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怪異症候群 ―異界の軸がズレた世界で―  作者: 前桵 風鈴


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第壱話 赤い怪異

※本作は実在の怪談・民間伝承を元にした創作です。

※一部の怪異・妖怪は独自解釈およびオリジナル設定を含みます。

※物語は徐々に世界観や設定が明らかになっていく構成です。


怪異。

怪異とは、現実には有り得ないような不思議な現象、あるいはその存在を指す言葉だ。


人間は理解できないものを前にすると、知ろうとする。

それが好奇心という名の衝動だ。


遊び半分で「ひとりかくれんぼ」をする人間。

動画の再生数欲しさに心霊スポットへ向かう配信者。


正直、僕には理解できない。


怖いだけじゃないか。

もし本当に“何か”が起きたらどうする?

取り返しのつかないことになったら?


怪異は、自然災害と同じだ。

人の都合なんて一切考えず、気まぐれに牙を剥く。


——だから、嫌いだ。


「…………」


僕の家は、代々妖術を扱う家系だ。

怪異を感知し、祓い、あるいは成仏させる役目を担ってきた。


祖父も、曾祖父も、両親も。

だが、その中で僕だけが出来損ないだった。


能力は低く、臆病で、怪異が怖い。


母の張る結界の内側で、ただ震えているだけ。

克服しようと何度も現場に連れて行かれたが、結果は変わらなかった。


——無理だ。

どれだけ修行しても、この恐怖は消えない。


「あら、珍しいね。ふーちゃんが窓の外を眺めてるなんて」


母の声で、はっと我に返る。


「何か怪異でも見つけたの?」


「……別に」


そう答えたものの、違和感が拭えなかった。


僕は窓の外を見るのが嫌いだ。

正確に言えば、怖い。


五歳の誕生日の夜。

寝る前にカーテンを閉めようとした、その瞬間。


窓の向こうから、目を見開いた“何か”が、じっとこちらを見ていた。


ガン、ガン、と叩かれる窓。

恐怖で声も出ず、母のもとへ駆け込んだ。


それ以来、窓の外を見ることは避けてきた。

なのに今日は、理由もなく、外を眺めている。


——呼ばれている。


そんな感覚が、胸の奥にまとわりついて離れない。


森の奥。

一本だけ異様に目立つ大樹の根元。


そこに、赤い“何か”が見えた。


「お母様、あそこ……何かいる」


母と並んで窓の外を覗く。


だが、母は首を傾げ、困ったように笑った。


「お母さんには何も見えないわ。ふーちゃんの見間違いじゃない?」


嘘だ。


母は家族の中で一番、怪異に敏感だ。

姿が見えなくても、気配だけで察知できる。


それなのに。


「……どうして」


僕にだけ見える。

そんなこと、今まで一度もなかった。


「ふーちゃんにしか見えないなら……怪異かもしれないわね」


「え……ど、どうすれば……」


「お母さんからは何もできないわ。ふーちゃんが対応してみたら?」


冗談じゃない。


だが母は、洗濯籠を抱え、そのまま部屋を出て行った。


一人、残される。


赤い“モノ”は、動かない。

倒れているようにも見える。


怖い。

なのに、目が離せない。


その瞬間だった。


気づけば、僕は玄関に立っていた。



何故だ。

さっきまで部屋にいたはずなのに。


靴に足を通し、ドアノブに手をかけている。


今日の僕は、明らかにおかしい。


——あの赤い人。


思い浮かべた瞬間、身体が勝手に動いた。


外は、夏の匂いがした。

蝉の声が煩く、日差しが眩しい。


枝を払い、葉を踏みしめ、森へ進む。


風が、同じ方向へ流れている。

まるで導くように。


やがて、大樹の根元に辿り着いた。


不自然な空間。

一本も木が生えていない、平地。


中心に、赤い着物の怪異が倒れていた。


白い布。

臙脂色の長い髪。

鉛白の角。

狐の面。


「……たす……け……」


微かな声。


「あ、あの……大丈夫、ですか……」


怪異は必死に口を動かす。


「……なか……すい……何か……食べ……物……」


空腹?


怪異が?


戸惑いながらポケットを探り、小包を取り出す。

母がくれた飴だった。


「……これしかないけど……」


恐る恐る口元へ運ぶ。


次の瞬間、風が巻き起こった。


怪異の身体が浮かび上がり、風はやがてその体へ吸い込まれていく。


「いやぁ……助かった。ありがとうな、嬢ちゃん」


「……どうも」


「俺は、蘭 瞬だ」


その直後だった。


風は吹いていないはずなのに、葉擦れの音がした。


ざわり、と。


白い、何か。


白いワンピース。

異様に高い背丈。


「ぽ……ぽ……ぽぽ……」


喉の奥で湿った、気味の悪い笑い声。


——駄目だ。


見た瞬間、身体が拒絶した。


蘭が、明らかに動揺した表情で後ずさる。


「おい……冗談だろ……」


白い女が、こちらを覗き込む。


目が合った。


——終わった。


足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


知っている。

知っているからこそ、分かる。


——八尺様だ。


「嬢ちゃん、掴まれ!」


横腹を抱えられ、景色が一気に流れる。


速い。

速すぎる。


必死にしがみつきながら、思った。


——なんで、僕なんだ。


本来なら、母に見えて、僕には見えないはずの怪異。

本来なら、僕を狙わないはずの存在。


この世界は、どこかおかしい。


異界の軸が——

ズレている。


その中心にいるのが、

どうやら僕らしい。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ゆっくりと怪異譚を巡る物語になります。

次話もお付き合いいただけたら嬉しいです。

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