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見難い火傷の子  作者: 清風
720/723

中継器・送信塔整備、国内放送網の原型成立

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子720


中継器・送信塔整備、国内放送網の原型成立


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


前回の成功から数日で、玄州中央停車場の案内所裏は、

とうとう部屋そのものが役目に追いつかなくなり始めていた。


机の上には中継図、路線図、用途別の運用記録、保守報告書が重なり、

壁には仮配線の経路が何本も引き直された跡が残っている。

床に積まれた部材箱には、駅用、学校用、静穏用と墨書きされた札がぶら下がっていたが、

もはや札を付けるだけでは整理しきれない。


前回の複数地点同時送出は、たしかに成功だった。

しかしそれは、成功したからこそ、限界も露わにした。


「……毎回これをやるのは無理だな」


ダンが中継盤の前で、赤くなった目をこすりながら言った。

机上の仮接続図には、書き込みと修正線が幾重にも重なっている。


「玄州中央、第一学校、南処置場の三点でこれだ。

地点が増えりゃ遅延差も増えるし、出力差も出る。

毎回仮配線を組み直してたら、そのうち現場の方が壊れる」

「機械だけじゃなく、人もな」 匠一が答える。


セレネはすでに別の紙束を広げていた。

そこには、各所から上がってきた増設要望だけでなく、

失敗報告や保守上の懸念も整理されている。


「仮線運用の継続は危険です。常設中継器と送信塔の整備が必要」

「言うのは簡単なんだよ」 ダンがぼやく。

「塔一本立てりゃ終わる話じゃねえ。

中継が死ねば先が全部死ぬ。

増幅器をどこへ置くか、保守員がどう回るか、雷や風をどう逃がすか、全部違う」

「だから決める」 匠一は短く言った。

「仮設を続けるか、設備へ移るかだ」

「答えはもう出てるだろ」

「出てる」 匠一は頷いた。

「設備へ移す」


その一言で、部屋の空気が変わった。

技術を試す段階ではない。

残す段階へ入るのだ。


玄州中心部の高台にある古い見晴らし場へ、一行が上がったのはその翌朝だった。


停車場と市街を見下ろせる丘の上。

風が強く、遠くの線路が白く光っている。

街道が折れ、処置場の石屋根が点のように見え、学校の白い壁もかすかに判別できた。

塔を立てる候補地のひとつだ。


「高すぎるな」 ダンが最初に言った。

「見通しはいいが、風を喰いすぎる。雷も拾う」

「でも届きは良さそう」 リョーカが言う。

「届くさ」 ダンは苛立たずに答えた。

「届くだけならな。保守が地獄だ」


案内所主任、保守係、土木方の者たちも同行している。

技術だけで決められる話ではない。

立てるなら、町の景観も、街道からの見え方も、人の出入りも関わってくる。


「高台は象徴にはなりますな」 案内所主任が遠くを見ながら言った。

「新しい声の塔、と」

「象徴で終わるならいらん」 匠一が即答する。

「保てる位置でなければ、ただの見栄えだ」


土木方の年配役人が頷く。

「なら、停車場寄りの中腹案も見ましょう。

街道から届きやすく、保守路も引きやすい」

「景観は少し落ちますが」

「景観だけで動く設備じゃないでしょう」 その言葉に、セレネが小さく記録を取る。


候補地は三か所あった。

見晴らし場の最上部。

停車場北側の中腹。

そして幹線沿いに近い斜面の肩。


それぞれ一長一短だ。


最上部は見通しが良いが、風と雷に弱い。

中腹は保守しやすく、市街への接続も楽だが、遠方への伸びは少し落ちる。

幹線沿いの肩は鉄道との連携に優れるが、街側への回り込みに中継器を多く要する。


「全部立てる気ですか」 リョーカが半ば冗談で言う。

「最終的にはそうなるかもしれん」 匠一が返す。

「でも最初は一つだ」

「どこを取る?」 ダンが問う。

「玄州中心、幹線優先、公共性の高い地点へ届かせる」

匠一は地図を見下ろしたまま言う。

「中腹だ。最上部は後回し。まず保守できる幹を作る」

「妥当です」 セレネがすぐ同意した。

「通常運用の安定が先。象徴性はその後で足ります」

「珍しく、少し夢がないね」 リョーカが言う。

「夢で保守は回りません」

「うん、知ってる」


塔の位置が決まると、次は中継器だった。


送信塔が幹なら、中継器は枝だ。

幹線沿いに一定間隔で置き、減衰する声と光の信号を拾い直し、次へ渡す。

山裾で落ちるもの、谷で乱れるもの、駅や学校や処置場へ曲がる支線へ流すもの。

それぞれ役目が違う。


ダンはその説明をしながら、木箱に納められた試作中継器を叩いた。

「塔を立てりゃ終わりじゃねえ。中継が死ねば、その先が全部死ぬ。ここが肝だ」

「わかりやすいですね」 保守係の若者が真顔で頷く。

「分かりやすく言ってるんだよ」

「でも本当に怖いのはここなんだね」 リョーカが箱を見ながら言う。

「そうだよ」 ダンは珍しく即答した。

「一番目立つのは塔だ。でも一番大事なのは、だいたいその手前の地味なやつだ」


中継器の設置候補は、幹線沿いの保守歩道近くと、小さな分岐停車場の裏手、

それに谷を跨ぐ築堤の手前に絞られた。

保守員が日常点検に寄れること。

列車運行の邪魔をしないこと。

雨や風の抜け方を読めること。

落雷や浸水の危険が少ないこと。

条件は多い。


現地確認のため、線路沿いを歩いた日の午後は風が強かった。

築堤の上では帽子が飛ばされそうになり、試験用の導線が何度も鳴った。

ダンが顔をしかめる。


「ここはだめだ。谷風がもろに当たる」

「でも距離的にはちょうどいい」 研究員が言う。

「距離だけならな」 ダンは足元の砂利を蹴った。

「風で揺れりゃ接続が死ぬ。死んでからじゃ距離も何もねえよ」

「なら少し手前か」 匠一が問う。

「築堤の前、保守路の曲がり角。あそこならまだ逃がせる」

「景色は悪いですね」

「景色で信号は保たねえ」

「今日はそればっかりだね」 リョーカが笑うと、ダンは肩をすくめた。

「設備ってそういうもんだろ」


整備は数日にわたった。


中腹の塔基部に石積みが据えられ、鉄骨が組まれ、避雷用の導体が試作される。

幹線沿いでは中継器用の箱が基礎へ固定され、導線が保守歩道の脇へ這わされる。

停車場裏では分配盤が拡張され、用途別の調整器が並び始めた。


その間、セレネは現場に立ちながらも、紙の上で別の塔を立てていた。

通常放送枠。

緊急優先順位。

学校・処置場・停車場ごとの使用帯。

現地裁量で絞ってよい範囲。

保守報告系統。

設備が建つなら、運用法も建てねばならない。


「そこまで今やるのか」 ダンが夕方、紙束を見て呻いた。

「塔が立ってからでいいだろ」

「塔が立った瞬間に使われます」 セレネは顔を上げない。

「使われてから決めるのでは遅い」

「ほんとに容赦ねえな」

「設備に容赦を期待しないでください」


リョーカは、そのやり取りを少し離れたところで見ていた。


最初、自分が立ったときは、すべてが自分の周りで回っているように思えた。

声の高さも、姿の濃さも、歌うかどうかも、自分が前へ出るか退くかで決まっていた。

だが今、塔が立ち、中継器が置かれ、導線が地図の上へ引かれていくのを見ると、

その感覚は少しずつ変わっていく。


これはもう、自分ひとりの技ではない。

自分の声や姿を使うとしても、それは大きな仕組みの中の一部になる。

少し寂しい。

でも、誇らしくもあった。


「どうした」 匠一が横に立って訊く。

「ううん」 リョーカは塔の骨組みを見上げた。

「なんだか、自分の手を離れていく感じがする」

「離れるだろうな」 匠一はあっさり言った。

「公共のものになるなら、そうなる」

「やっぱりそうか」

「嫌か」

「……少しだけ」 リョーカは笑った。

「でも、それ以上に嬉しいかも」 匠一は何も返さなかった。

ただ、塔の上へ視線を向けたまま、わずかに頷いた。


初めての定常試験送出は、夕暮れどきに行われた。


中腹へ立てられた試作送信塔。

幹線沿いの中継器。

停車場裏の分配盤。

そこから第一学校、南処置場、そして郊外の小停車場へと線を伸ばす。


仮設ではない。

まだ原型ではあるが、設備として組まれた系だ。


「送信塔、準備よし」

「第一中継、よし」

「第二中継、よし」

「停車場分配、よし」

「学校、受け準備よし」

「処置場、よし」

「郊外停車場、よし」


報告が順に入る。

以前のような張り詰めた一回限りの緊張とは少し違う。

これは成功するかどうかだけではない。

明日も明後日も回せる形になっているかを確かめる試験だ。


「送るぞ」 匠一が言う。


塔の頂部近くで、導体が低く唸る。

見えない信号が、幹線へ沿って走り出す。

中継器がそれを拾い、増し、次へ渡す。

停車場へ。学校へ。処置場へ。郊外停車場へ。


玄州中央停車場の案内所前に、いつものように淡い像が立つ。

第一学校の教室では、始業前の教師の横へ柔らかな表示が灯る。

南処置場の待機室には、ほとんど姿を持たない静かな声が落ちる。

そして郊外の小停車場――これまで玄州ほど設備のなかった場所にも、

小さく、しかしはっきりと案内の光が立つ。


「――ただいまの時刻をお知らせします。必要なご案内は、順に届きます」


同じ核の声が、今度は滑らかだった。

遅延差は小さく、出力の揺らぎも少ない。

停車場では流れが乱れず、学校では教師が自然に授業を始められ、

処置場では待機の空気を荒立てず、

郊外停車場では小さなざわめきの中で旅人が顔を上げた。


郊外停車場の年配駅員が、しばらく像を見上げてからぽつりと言う。

「……玄州と同じものが、ここにも来たな」


その言葉が、何より象徴的だった。


報告が返ってくる。


「停車場、安定」

「学校、安定」

「処置場、刺激なし」

「郊外停車場、受け良好」


ダンが息を吐いた。

張り詰めた力が、ようやく肩から抜ける。


「これなら回る」

「回す」 匠一が答える。


セレネは記録板へ、ためらいなく書きつけた。


――中継器・送信塔整備、第一次系統安定。

玄州中心、幹線優先の定常送出に成功。

国内放送網の原型、成立。


書かれた文字は簡潔だった。

だがそこに含まれる意味は重い。

試験の成功ではなく、設備としての成立。

再現できる形。保てる形。広げられる形。


夕暮れの高台へ登ると、試作送信塔が西日の中に立っていた。

最上部の象徴的な高さではない。保守できる中腹の、現実的な位置。

それでも塔は、停車場の屋根、街道、学校の白壁、処置場の石屋根、

さらに幹線の先の小停車場までを見下ろすように立っていた。


リョーカがその姿を見上げる。

「きれいだね」

「実用品だぞ」 ダンが言う。

「そうだけど」 リョーカは笑った。

「実用品がきれいでも、いいでしょう」


案内所主任が少し離れたところで帽子を押さえながら塔を見ていた。

「新しい柱、ですな」

「柱?」 保守係の若者が訊き返す。

「国をつなぐ柱だ」


匠一はその言葉を否定しなかった。

ただ、塔の根元から伸びる導線の方を見た。

柱は一本でも、つなぐのは線だ。

線はこれから増え、枝分かれし、国の地図へ刻まれていく。


停車場では夜の便のベルが鳴る。

学校ではもう子どもたちが帰り支度をしているころだろう。

処置場では遅い診察を待つ人が、長椅子へ掛け直しているかもしれない。

郊外停車場では、夕便を待つ旅人が、いつものように空を見上げているだろう。


その別々の生活へ、同じ時刻に、必要な声が届く。

しかも仮設ではなく、国土へ据えた設備を通って。


玄州の空へ、まだ誰にも見えない声と光の線が伸びていく。

塔は立ち、中継器は刻まれ、送出は定常へ入り始めた。

それはまだ国内全域には遠い。

けれど原型としては、もう十分だった。


実験は終わらない。

改良も、増設も、運用整理も、これからいくらでも要る。

それでもこの日を境に、光と声の技術は“うまくいったことがある”段階を越えた。


それは、国の中に残る設備になったのだ。


夕暮れの塔は風を受けながら、黙って立っている。

だがその沈黙の内側では、今日もまた新しい声が集まり、整えられ、

遠くへ渡っていく準備をしていた。

玄州から始まったその網は、まだ細く、まだ若い。

それでも確かに、国土の上へ最初の光の地図を描き始めていた。

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