帝都にソラ向かう
見難い火傷の子617
帝都にソラ向かう
深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層
鉄の時代
この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。
帝都へ至る街道の先に、城壁が見え始めた頃。
空は高く、雲は薄く流れ、遠目にも都の大きさが分かるほどだった。
そのさらに手前、帝都を見下ろせる丘陵の外れに、《ソラ》は静かに停泊していた。
巨大な船体は、あまりにも異質だった。
この世界の常識に照らせば、空に浮かぶだけで十分に異様である。
だが爆炎の面々にとっては、すでに見慣れた拠点でもあった。
甲板ではノクス隊が最終確認を進めている。
装備の点検。
持参文書の整理。
入城人数の確認。
帝都へ持ち込まぬ物資の切り分け。
誰が残り、誰が同行するか。
そのすべてが、無駄なく整えられていた。
ルナ隊は護衛としての配置を確認しつつ、同時に礼装の乱れまで見ている。
コレット隊は携行食と水筒、予備の布、簡易薬品の包みを人数分に分けていた。
オートメガネウラ隊は上空から帝都周辺の動きを観測し、
オートアースロプレウラ隊は停泊中の《ソラ》周辺警戒と固定補助に回っている。
匠一は甲板の縁に立ち、遠くの帝都を見ていた。
「でかいな」
隣に来たダンが、同じ方角を見ながら鼻を鳴らす。
「そりゃ帝都だしな。
地方都市とはわけが違うだろ」
「分かってたけど、実際見るとまた別だな」
城壁は長く、厚く、門楼は高い。
その向こうに重なる建物の群れは、ひとつの都市というより、ひとつの世界のように見えた。
人も、物も、権力も、情報も、すべてがあそこへ集まっている。
そして今から匠一たちは、その中心へ入っていく。
マリーが後ろから歩み寄る。
「緊張してる?」
匠一は少し考えてから答えた。
「してる」
「正直でよろしい」
「してないって言うほど図太くない」
マリーは小さく笑った。
「でも、帝都上空にそのまま乗りつけるほど無神経でもない」
「それはさすがにやらない」
匠一は《ソラ》の甲板を軽く見回した。
この船をそのまま帝都上空へ進めれば、目立つどころの話ではない。
報告文が先に届いているとしても、いや、
届いているからこそなおさら、皇帝側は警戒するだろう。
未知の飛行拠点。
独立運用可能な組織。
その本体が帝都の空へ現れれば、歓迎より先に防衛判断が走る。
だからこそ、ここで止める。
見せるべき力は見せる。
だが礼を踏み外さない。
それが今回のやり方だった。
ノクスが近づき、一礼する。
「匠一様、入城組の最終確認が整いました」
「ありがとう。人数は予定通り?」
「はい。中核のみ同行、他は《ソラ》にて待機。
持参文書も整理済みです。
梁家より託された紹介状、証言書、ならびに必要時提示用の補足書面も分けてあります」
「助かる」
「なお、帝都側が想定以上の警戒を示した場合に備え、応対順も定めております。
先頭は私、次いで匠一様、マリー様、ダン様の順。必要に応じて入れ替え可能です」
「分かった」
ノクスは一歩下がる。
その動きに無駄はなく、声にも揺れがない。
こういう時、匠一はいつも少しだけ救われる。
自分ひとりで全部を背負っているわけではないと、目の前の整然さが教えてくれるからだ。
やがて、上空監視に出ていた一機が戻り、オートメガネウラ隊からの報告がノクスへ渡る。
帝都外縁に動きあり。
こちらを視認した先遣の騎馬が接近中。
数は絞られているが、装備は正規兵。
おそらく確認と取次ぎを兼ねた使者。
ノクスは報告を受け、匠一へ向き直る。
「帝都側が来ます」
「早いな」
「梁家の先触れが効いているのでしょう」
マリーが静かに言う。
「話が通っている証拠でもあるし、警戒されている証拠でもあるわね」
「両方だな」
匠一はもう一度、遠くの城壁を見た。
歓迎と警戒。
興味と不信。
たぶん皇帝も、その両方で待っている。
玉玲救出の功は認められているだろう。
梁家の報告も重く見られているはずだ。
だがそれで、軌道の話が理解されたわけではない。
むしろ逆だ。
報告が重いほど、皇帝はきっと思っている。
軌道? 何だそれは。
その問いが、まだ見ぬ謁見の間の中心にある。
匠一はそれを分かっていた。
分かっていて、なお行くしかない。
ほどなくして、帝都側の騎馬隊が丘の下へ現れた。
数騎。
だがその動きには、訓練された緊張がある。
彼らは《ソラ》を見上げ、露骨にざわめきこそしないものの、馬の手綱を握る手に力が入っていた。
無理もない。
空に浮かぶ巨大な船など、この世界の兵にとっては脅威そのものだ。
匠一たちは地上へ降りる。
先頭にノクス。
その後ろに匠一、マリー、ダン。
さらに必要最小限の同行者。
武装はしているが、あくまで礼を崩さぬ範囲。
見せつけるためではなく、隠さぬための装いだった。
騎馬隊の中から、一人の士官が進み出る。
年は壮年に差しかかる頃。
鎧は実用本位だが、徽章から見てそれなりの地位にあると分かる。
その士官は《ソラ》を一度見上げ、それから匠一たちへ視線を戻した。
「梁家より先触れのあった一行と見受ける」
ノクスが一礼する。
「左様にございます。
我らは《爆炎》、梁家当主行道尚書殿よりの紹介を受け、帝都へ参りました」
士官はしばし無言で彼らを見る。
人数。
立ち姿。
装備。
礼法。
そして背後に浮かぶ《ソラ》。
「……なるほど」
その一言には、報告文で読んだものと現物を照らし合わせた重みがあった。
「帝都守備より、貴殿らを外縁控所まで案内するよう命を受けている。
ただし、あの空の船はここより先へ進めぬ」
「承知しております」
ノクスの返答は即座だった。
「《ソラ》はここに停泊させ、必要な警戒もこちらで行います。
我らは指定の人数のみ、地上より正式に入城いたします」
士官の目がわずかに細くなる。
その答えが、彼の想定に沿っていたからだ。
少なくともこの一団は、力を持つからといって礼を踏み潰すつもりではない。
それだけで、最初の空気は少しだけ和らぐ。
「よろしい。
では従ってもらう」
騎馬隊に導かれ、爆炎の一行は帝都外縁の控所へ向かった。
城壁が近づくにつれ、その巨大さはますます現実味を帯びる。
石の積み上げ方。
見張り台の配置。
門前の兵の密度。
荷車の列。
出入りする商人、役人、旅人。
帝都は生きていた。
巨大な生き物のように、人と物を呑み込み、吐き出し、回している。
その流れの中で、《爆炎》は明らかに異物だった。
視線が集まる。
噂が走る。
だが騒ぎにはならない。
すでに上から話が通っているのだろう。
兵たちは露骨に止め立てせず、しかし目だけは鋭く向けてくる。
控所では、さらに文書確認が行われた。
梁家の印。
紹介状。
証言書。
帝都側の受領印。
取次ぎ役の確認。
待機場所の指定。
その一つ一つが、爆炎を「ただの来訪者」ではなく、
「扱いを誤れぬ案件」として処理していることを示していた。
ダンが小声で言う。
「思ったより通るな」
マリーが同じく声を落とす。
「通ってるというより、通す準備が先にされてたのよ」
「梁家の報告か」
「ええ。それに――」
マリーはそこで言葉を切り、控所の奥を見た。
役人たちの動きが妙に速い。
確認は厳密だが、滞らせる気配がない。
つまり上からの指示は明確なのだ。
粗略に扱うな。だが自由にもさせるな。
そんな空気が、場全体に染みていた。
やがて、取次ぎの役人が現れる。
痩せた中年の男で、衣の質からして宮中実務に近い立場だと分かる。
彼は一行を見渡し、必要書類を受け取ると、過不足のない声で告げた。
「皇帝陛下は、梁家よりの報告をすでに御覧になっておられる。
貴殿らには、定められた手順に従い、謁見の間へ進んでもらう」
その言葉に、場の空気が一段引き締まる。
ついに来た。
匠一は胸の奥でそう思ったが、顔には出さなかった。
役人は続ける。
「ただし、先に申し置く。
陛下は貴殿らの功を軽んじてはおられぬ。
一方で、貴殿らの申す“軌道”なるものについては、いまだ御理解の外にある」
匠一はその言葉を、まっすぐ受け止めた。
やはりそうだ。
当然だ。
むしろ、それを正面から告げてくるだけ誠実ですらある。
役人は匠一を見た。
「ゆえに、問われるであろう。
それが何であり、何をもたらし、なぜ帝国に要るのかを」
「……ああ」
短く答える。
それ以上は飾らなかった。
役人は頷く。
「よろしい。
では、参るがよい」
案内に従い、一行は宮城の内へ進む。
外郭を抜け、中庭を渡り、さらに内へ。
石畳は磨かれ、柱は高く、天井は広い。
装飾は過剰ではないが、ひとつひとつが権威を形にしていた。
ここは帝国の中心だ。
地方の豪邸とも、貴族の館とも違う。
人ひとりの威ではなく、積み重ねられた統治そのものが空間になっている。
歩くたびに、靴音が静かに響く。
左右には控える兵。
前には案内役。
後ろには戻れぬ空気。
ダンが珍しく黙っている。
マリーの表情も静かだ。
ノクスはいつも通り整っている。
匠一だけが特別に緊張しているわけではない。
みんな、この場の重さを知っていた。
やがて、大きな扉の前で一行は止められた。
扉の向こうが、謁見の間。
ここから先は、もう梁家の庭ではない。
帝都外縁の控所でもない。
皇帝その人の前だ。
案内役が振り返る。
「まもなく、名が呼ばれる。
礼を失するな」
ノクスが静かに応じる。
「心得ております」
匠一は一度だけ、深く息を吸った。
軌道の価値を、この世界はまだ知らない。
鉄道がもたらす福音を、まだ誰も理解していない。
それでも、ここで言葉にしなければならない。
まだ存在しない未来を、この世界の言葉へ翻訳して差し出さなければならない。
扉の向こうから、衛士の声が響く。
場が整う音。
人の気配。
そして、呼び出しの前の、あの一瞬の静寂。
匠一は目を閉じず、前を見た。
やがて高らかな声が、謁見の間の内外に響き渡る。
「――梁家当主行道尚書が推挙する《爆炎》一行、入場!」
重い扉が、ゆっくりと開き始めた。




