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見難い火傷の子  作者: 清風
609/658

逃げ競争

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子609


逃げ競争


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


周蓋の目が細くなった。


「増えた、とは」


「さっきの二人じゃない」と匠一。

「別口。

街道の後ろ、木の上、あと左の斜面」


ダンが肩越しに振り返る。


「追ってくる気配は?」


「まだない」とニール。

「でも見てる。

数えてる感じ」


護衛のひとりが顔をこわばらせた。


「また賊ですか」


「分からない」とハナ。

「でも、さっきの残りなら近づく。

近づかないなら別」


周蓋は短く息を吐いた。

賊の残党なら、仲間を奪われた時点で焦れて動くはずだ。

だが見ているだけとなると、話は変わる。

街道の異変を拾った土地の者か、梁家の動きを探る別筋か、あるいはもっと面倒な何かか。


「詰め所から城へ、先触れは走ります」と周蓋。

「ここからは、こちらの目も増える」


「向こうの目も増える」と匠一。


「……はい」


その通りだった。

梁家の外縁に入ったということは、守りの手が届く半面、誰かに見つかる可能性も増える。

しかも今の列は目立つ。

豪華な馬車に、傷んだ護衛、そして後ろには賊を詰めた格子台車。

隠しようがない。


馬車の中から玉玲の声がした。


「周蓋。

何か、ございましたか」


周蓋は少しだけ迷い、それでも隠しきらないほうを選んだ。


「こちらを見ている者が増えました。

ただし、まだ害意は見せておりません」


「街道の者ですか」


「断定はできません」


布の向こうで、玉玲が息を整える気配がした。

怯えを押し込め、状況を受け止めようとしている。


「では、急ぎましょう。

止まって見せる理由はありません」


匠一が少しだけ顔を向けた。

周蓋も同じだった。

玉玲はもう守られるだけの荷ではなく、列の意味を理解している。


「はい」と周蓋。

「そのように」


前方の詰め所から、今度は二騎が出てきた。

軽装の騎馬兵だ。

ひとりはそのまま城へ向かい、もうひとりが列の脇へ寄る。


「周蓋殿!」


「玉玲様はご無事だ。

問答は後、まず前を払え」


「はっ!」


騎馬兵はすぐに馬首を返し、前方へ走った。

これで道の先は少し開く。

だが後ろは別だ。


匠一は歩調を変えずに言った。


「ワイ忍、後ろ厚く」


ち、ち、と二つ返る。

今度は周蓋にも、どこから返ったのか分からなかった。


護衛のひとりがぼそりと漏らす。


「本当に、どこにいるんだ……」


「いるところにいる」とダン。


答えになっていない。

だがダンはそれ以上説明する気がなかった。


街道はゆるく右へ曲がり、林が一度切れた。

視界が開く。

遠くに城壁の外縁、そのさらに手前に梁家の管理する倉と詰所が点々と見えた。

人の手が入った土地だ。

それでも、完全に安全ではない。


ニールが低く言う。


「左の斜面、ひとり消えた」


「下がった?」と匠一。


「たぶん。

伝えに行く動き」


周蓋の顔が険しくなる。


「誰に」


「それは知らない」とニール。


匠一は少しだけ考えた。

追うのは簡単ではない。

今は列を割れない。

なら、先に着くしかない。


「周蓋」


「は」


「城まで、あとどれくらい」


「このままなら一刻半。

少し上げられれば、一刻」


「上げる」


「馬が持てば」


マリーがすぐに言った。


「持たせる。

でも急にやると崩れる」


「少しずつでいい」と匠一。


「うん」


マリーは御者の横へ寄り、馬の呼吸と歩幅を見た。

ただ速くするのではない。

怯えを戻さず、疲れを跳ねさせず、じわじわと巡航を上げる。

そのあたりの勘は、もう護衛たちより彼女のほうが上だった。


格子台車がごとりと跳ねた。

中で赤布の男が肩をぶつけ、くぐもった声を漏らす。


「静かに」とハナ。


男は睨んだが、格子の外にいるのがハナだと分かると、すぐに目を逸らした。


周蓋はそのやり取りを横目で見て、また妙な感覚を覚えた。

この子たちは、賊を恐れていない。

それだけではない。

賊をどう扱えば暴れず、死なず、運べるかまで知っている。

戦うだけの者ではない。

扱いに慣れている。

そのことが、じわじわと効いてくる。


「周蓋」と匠一。


「何でしょう」


「城に着いたら、こいつらどうなる」


周蓋は格子台車を見た。


「まず梁家の預かりになります。

詮議ののち、街道賊と確定すれば処断。

別の筋があれば、さらに上へ回るでしょう」


「上って」


「州府、あるいは朝廷筋です」


ダンが口笛を吹きかけて、やめた。


「出世したな、おまえら」


赤布の男の顔が青ざめる。

冗談では済まない相手に捕まったことを、ようやく実感し始めたらしい。


その時、木の上からまた小さな報せが落ちた。


ち。


匠一が目だけ上げる。


「今度は」


ち、ち。


「前にもいる」


周蓋が即座に問う。


「詰め所の者ではなく?」


ち。


「違う」


空気が変わった。

前にも、後ろにも、見ている者がいる。

しかも梁家の兵ではない。


護衛たちが無意識に槍を握り直す。

御者の喉が鳴る。

馬もそれを感じて耳を伏せかけたが、マリーがすぐに宥めた。


「まだ平気。

まだ走らない」


匠一は前方の道を見た。

右へ曲がる先、低い石垣、倉の影、並木。

隠れる場所はいくらでもある。

だが、ここで止まれば囲まれやすい。


「止まらない」と匠一。


「はい」と周蓋。


「でも、前は開ける」


周蓋はすぐに騎馬兵へ声を飛ばした。


「先行!

次の曲がりと倉の影を見ろ!

不審があれば合図!」


「はっ!」


騎馬兵が駆ける。

土を蹴る音が前へ伸びた。


匠一はさらに言う。


「ワイ忍、前の高いとこ。

左右も」


ち、ち、ち。


返事が散る。

見えない斥候線が、今度は前方へ厚く伸びた。


周蓋はそれを感じながら、内心で苦く笑いそうになった。

梁家の護衛として長く道を見てきた。

伏兵、追手、噂、面子、護送。

どれも知っている。

だが今、自分の横にいるのは、そうした面倒ごとに対して妙に札の揃った子どもたちだった。

ありがたい。

だが、ありがたすぎて少し怖い。


馬車の中から、玉玲が静かに言った。


「周蓋」


「はっ」


「城へ着いたなら、父上にはすべてお伝えなさい」


周蓋は一瞬だけ黙った。


「……すべて、でございますか」


「ええ。

命を救われたことも。

賊を生け捕ったことも。

檻に詰めて連れていることも。

そして――」


布の向こうで、玉玲は言葉を選んだ。


「この方々が、ただ者ではないことも」


周蓋は目を伏せた。


「承知しました」


匠一は何も言わなかった。

否定もしない。

肯定もしない。

ただ前を見て歩く。


やがて先行した騎馬兵が戻ってきた。

息を弾ませながらも、声ははっきりしている。


「次の曲がり、異常なし!

倉の影にも人影なし!」


「よし、抜ける」と周蓋。


列はそのまま曲がりへ入った。

石垣の脇を抜け、倉の影を過ぎる。

一瞬だけ視界が狭まり、全員の神経が張る。

だが何も出ない。


抜けた先で、道は再び開けた。

その向こう、遠くに城門の上部が見えた。

まだ距離はある。

だが見えたというだけで、護衛たちの呼吸が少し変わる。


「見えた」とマリー。


「うん」とハナ。


「でもまだ」とニール。


「まだ」と匠一も言った。


その時だった。

後方のワイ忍が、今までより少し鋭い声を返した。


ちっ。


匠一の目が細くなる。


「何」


ち、ち、ち。


短い報告。

だが十分だった。


「後ろ、三騎」


周蓋が振り返る。


「梁家の兵では?」


「違う」と匠一。


「速い。

でも詰めてこない。

距離を見てる」


ダンが口の端を上げた。


「増えたな」


「増えましたな」と周蓋も低く返す。


今度は誰の目にも分かる形だ。

見ているだけの者たちが、少しずつ輪を狭め始めている。


城門は前。

不明の騎馬は後ろ。

列は長く、守るものも多い。


匠一は歩みを緩めず、短く言った。


「城まで、競争だ」


匠一の声は低かった。

だが列の全員に、はっきり届いた。


周蓋が即座に応じる。


「御者、上げろ!

ただし崩すな!」


「は、はい!」


御者が手綱を引き、馬へ声をかける。

マリーがすぐ横で歩幅を見た。


「急にじゃない。

今のまま、半歩だけ広げて」


馬が耳を動かし、呼吸を乱さぬまま歩幅を伸ばす。

豪華な馬車がきしみを深くし、速度をひとつ上げた。

後ろの格子台車も、ごとごとと音を増して続く。


「ダン、後ろ」


「おう」


「ニール、前と右」


「見える」


「キール、左の斜面」


「うん」


「ハナ、中」


「いる」


「マリー、馬」


「任せて」


匠一自身は前へ出た。

周蓋も馬車の脇へつき、護衛たちへ短く命じる。


「前を開けろ!

左右は寄せるな!

後ろは格子台車を切り離すな!」


「はっ!」


列が引き締まる。

さっきまでの護送隊ではない。

城門へ滑り込むための形へ、無理なく組み替わっていく。


後方から、かすかに蹄の音が届き始めた。

まだ遠い。

だが確実にこちらを測っている音だ。


護衛のひとりが振り返る。


「見えました!

三騎!」


周蓋も一瞬だけ後ろを見る。

街道の起伏の向こう、土煙が細く上がっていた。

距離はある。

だが追いつけぬ距離ではない。


「梁家の旗は」


「見えません!」


「なら近づけるな!」


周蓋の声が飛ぶ。

護衛の後衛が槍を構え直した。


格子台車の中で、赤布の男が身をよじった。

後ろの気配を感じたのだろう。

仲間か、別口か。

どちらにせよ、自分に何か起きると期待した顔だった。


ダンがその格子を拳で軽く叩く。


「期待すんな」


男はびくりと止まった。


前方では、城門が少しずつ大きくなる。

まだ遠い。

だが見えているだけで違う。

道もここからは整えられており、馬車の揺れがわずかに減った。


ニールが前を見たまま言う。


「門前、兵いる。

開ける準備してる」


周蓋が短く息を吐く。


「先触れが間に合ったか」


「でも遅いと詰まる」と匠一。


「分かっております」


周蓋は前方へ向けて大きく声を張った。


「梁家の馬車だ!

玉玲様ご乗車中!

門を開けよ!」


風に乗って、遠くから応答が返る。

城門の上で旗が振られた。

人影が慌ただしく動く。


だが後ろも動いた。


ワイ忍のひとつが、街道脇の草から飛び出すように匠一の足元へ戻る。


ち、ちっ。


「何」


ち、ち。


「三騎じゃない」


周蓋の顔が変わる。


「増えたのか」


ち。


「後ろに、さらに二」


護衛のひとりが息を呑んだ。


「五騎……!」


「追い抜く形じゃない」とニール。

「囲む位置見てる」


「賊にしては整いすぎてるな」とダン。


周蓋も同感だった。

ただの残党なら、もっと焦れて詰める。

距離を測り、列の長さを見て、門までの残りを計るような動きはしない。


「誰だ」と匠一。


「分からない」とハナ。

「でも、嫌な見方」


馬車の中から玉玲の声がした。


「周蓋」


「はっ」


「門は閉じずに、まず通しなさい。

後ろを外で止める形にすると、こちらが詰まります」


周蓋は一瞬だけ目を見開いた。

だがすぐにうなずく。


「承知しました!」


その判断は正しい。

門前で止まれば、馬車も格子台車も的になる。

まず列を飲み込ませ、そのうえで閉じる。

玉玲は怯えの中でも、まだ列を見ていた。


「前へ伝えろ!」と周蓋。

「門は全開、停止なしで通す!」


前方の兵が旗で応じる。

城門の扉がさらに開き始めた。


マリーが馬の息を聞きながら言う。


「もう少し上げられる」


「やれる?」と匠一。


「やる。

でも格子台車が跳ねる」


「跳ねてもいい」とダン。


「中身が舌噛む」とハナ。


「噛ませとけ」


「死なない程度に」とハナが返す。


そのやり取りに、護衛のひとりが思わず変な顔をした。

だが今は誰も突っ込まない。


マリーが御者へ短く言う。


「今。

手綱は引かない。

声だけ」


御者が震える喉で馬を励ます。

馬が応え、速度がもうひとつ上がった。

馬車が前へ伸びる。

格子台車が大きく跳ね、赤布の男が格子へ額をぶつけてくぐもった悲鳴を上げた。


「静かに」とハナ。


まるで看病の声色だった。


後ろの蹄音が、今度ははっきり聞こえた。

五騎。

まだ距離はある。

だが、こちらが速度を上げたことで、向こうも隠す気を薄くしたらしい。


「見えた!」と後衛の護衛が叫ぶ。

「黒馬三、栗毛二!」


「弓は」と周蓋。


「まだ見えません!」


「まだ、か」と周蓋は低く言った。

見えないだけで、ないとは限らない。


匠一は前を見た。

城門まで、あと少し。

だが少しが遠い。

こういう時の道は、いつも長い。


その時、左の斜面を見ていたキールが声を上げた。


「横にもいる」


「何人」


「二。

走ってる。

門じゃなくて、外壁のほう」


周蓋の顔色が変わる。


「伝令か、回り込みか……!」


梁家の外縁を知っている者なら、門だけが入口ではないと知っている。

外壁沿いの作業道、見張りの詰め道、荷の搬入口。

正門でなくとも、触れる場所はある。


「ワイ忍、左追う」と匠一。


ちっ、と返事が飛ぶ。

見えない影が斜面へ散った。


周蓋は内心で舌を巻いた。

判断が速い。

しかも、追わせる手がもうある。

本当に、札の揃い方がおかしい。


前方の城門では、兵たちが槍を立てて通路を空けていた。

門上からも弓兵が顔を出し始める。

ようやく梁家の守りが形になる。


「そのまま入れ!」と門前の兵が叫ぶ。

「止まるな!」


「聞こえた」と匠一。


「聞こえましたな」と周蓋。


列は最後の直線へ入った。

馬車、護衛、格子台車。

長いまま、崩さず、ただ前へ押し込む。


後ろの五騎も、ここで初めて距離を詰めてきた。

土煙が濃くなる。

蹄音が重なる。

もう見ているだけではない。


「来るぞ!」と護衛が叫ぶ。


「来させるな!」と周蓋が返す。


ダンが格子台車の後ろで振り向き、肩を回した。


「門まで持てばいいんだな」


「ああ」と匠一。


「じゃあ持たせる」


その声に、妙な気負いはなかった。

できることをやるだけの声だった。


城門が目前まで迫る。

門内の石畳が見える。

兵たちの顔も見える。

あと少し。

本当にあと少しだ。


だがその瞬間、後方から鋭い笛の音がひとつ鳴った。


周蓋の背筋が冷える。


「合図……!」


ただの追手ではない。

連携を取っている。


そして次の瞬間、門の外、右手の低い石垣の向こうから、伏せていた人影が一斉に立ち上がった。


「前にもいたか」と匠一が言った。


槍の穂先が、陽を弾いた。

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