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見難い火傷の子  作者: 清風
602/658

監督官の目

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子602


監督官の目


深淵ダンジョン第十七エリア、第四紀完新世層

鉄の時代

この地では、人を除く多くの生きものが八倍の大きさで生きている。


補佐の部屋へ戻ると、空気の重さがさっきとは変わっていた。


同じ机。

同じ地図。

同じ帳面。

だが、そこへ地方監督官が入っただけで、

部屋の中の秤そのものがひとつ上の段へ掛け替えられたようだった。

補佐は立ったまま机の脇へ退き、塩商と木材の男も無言で壁際へ寄る。

ラドに至っては、戸口の近くで板を抱えたまま、完全に自分の居場所を失っていた。


監督官は机の前まで進み、地図を一瞥してから振り返った。


「並べ」


子どもたちは素直に並んだ。

匠一が半歩前に出る。

それを見て、監督官は小さくうなずいた。

誰が前に立つかで迷わない。

それだけで、集団の形が見える。


「補佐からは、だいたい聞いた」


監督官は言った。


「飛ぶ船で来た。

山向こうの浜村に三日いた。

後ろに控えがある。

そして、道をつなぐと言った」


匠一はうなずいた。


「ああ」


「なら、私は別のことを聞く」


監督官は机の上の地図を指で押さえた。

山向こうの浜村。

この市。

さらにその先の道。

細い線が、ところどころで途切れそうになっている。


「おまえが見ているのは、村ひとつか。

それとも、この先までか」


匠一は地図を見た。

浜村から市へ。

市からさらに先へ。

まだ実際には歩いていない線もある。

だが、線の細り方は見れば分かる。


「先まで」


「どこまでだ」


「つながるところまで」


監督官は少し黙った。

曖昧な答えだ。

だが、逃げている曖昧さではない。

最初から終点を決めていない者の答えだった。


「では聞き方を変える」


監督官は指を滑らせ、市の印を叩いた。


「この市は、何で立っている」


匠一はすぐには答えなかった。

村の時と同じだ。

見たものを頭の中で並べ替えている。


「山と浜」


「それだけか」


「その間」


監督官の目が少し細くなる。


「間、とは」


「山だけでも足りない。浜だけでも足りない。

ここでぶつけてる」


「何を」


「塩と干魚。木と炭。薬草。人」


「人もか」


「人が運ぶから」


監督官はそこで一度だけ、補佐のほうを見た。

補佐は何も言わなかったが、目だけで「そういうことです」と返していた。


「なら、この市の弱いところはどこだ」


匠一は今度は早かった。


「詰まるところ」


「どこが詰まる」


「門」

「道」

「置く場所」

「決める人が遅いと、全部」


塩商が思わず顔をしかめた。

木材の男も、反論しかけてやめた。

どれも、この市で日々起きていることだったからだ。


監督官は匠一から目を離さない。


「では、おまえならどうする」


「分ける」


「何を」


「急ぐ荷と、急がない荷」


「それで」


「門で止まるのを減らす」


「他は」


「置く場所を先に決める」


「誰が」


「ここ」


匠一は机のほうを見た。

補佐の机。

帳面。

木札。

地図。


「ここで決める」


補佐が、そこで初めて少しだけ息を漏らした。

自分の仕事の重さを、子どもに言い当てられた形だった。


監督官はさらに問う。


「おまえは、道を作る話をしているのか。

それとも、人を動かす話をしているのか」


「どっちも」


「どちらが先だ」


匠一は少し考えた。


「人」


「なぜ」


「道だけあっても、人が動かなかったら細いまま」


監督官は、そこで初めてはっきりとうなずいた。

そのうなずきは小さい。

だが、部屋の中の誰よりも重かった。


「補佐」


「はい」


「こいつは、道そのものより流れを見ている」


補佐が答える。


「私もそう見ました」


監督官は再び匠一へ向き直る。


「後ろにいる者どもも、同じ考えか」


「だいたい」


「おまえだけではない?」


「ああ」


「なら、おまえは前に出る顔で、後ろには手がある」


「ある」


「足もある」


「ある」


「金は」


匠一は少しだけ考えた。


「いる」


補佐の眉がわずかに動いた。

監督官はそこを逃さない。


「いる、か。

持っている、ではないのだな」


「まだ前に出してない」


監督官は小さく笑った。

今度は、はっきりと。


「なるほど。

おまえは、言わないところと、言うところの分け方を知っている」


匠一は首を傾げた。


「だめか?」


「いや。

交渉では、そのほうが長生きする」


その言葉で、部屋の空気がまた少し変わった。

監督官はもう、目の前の六人を迷子や厄介者として見ていない。

少なくとも、交渉の席に乗せられる相手として見始めている。


塩商が恐る恐る口を開いた。


「監督官殿。

しかし、後ろに控えがあるという話まで含めれば、やはり危険では――」


監督官は視線だけでそれを止めた。


「危険かどうかは、もう過ぎた」


「は」


「浜村で三日置かれ、市へ入り、記録所を通り、ここまで来ている。

危険かどうかを門前で決める段は、もう終わっている」


塩商は口をつぐんだ。

補佐は黙って聞いている。

その判断は、補佐自身がさっき感じていたことでもあった。


監督官は机の上の板を取り上げた。

記録所の走り書き。

補佐の追記。

まだ粗いが、十分だ。


「補佐」


「はい」


「浜村への裏取りはそのまま走らせろ」


「すでに手配しています」


「よい」


監督官は続けた。


「それとは別に、地方府へ私名で書状を出す」


ラドが目を見開く。

補佐も、今度はさすがに少しだけ驚いた顔をした。


「監督官殿ご自身の名で?」


「そうだ」


「そこまで上げますか」


「上げる」


監督官の声は平らだった。


「皇帝へではない。

だが、皇帝の耳へ届く道の上には乗せる」


その一言で、部屋の中の全員が黙った。

塩商も木材の男も、ラドも、補佐も。

そして子どもたちも。


皇帝そのものではない。

だが、皇帝へ至る道の上。

それは、地方の一市で抱えるには大きすぎる案件だと、監督官が認めたということだった。


匠一が聞く。


「早い?」


監督官は匠一を見た。


「早い」


「いい?」


「遅いよりいい」


匠一はうなずいた。

その返しに、監督官はまた少しだけ口元を動かした。


「補佐」


「はい」


「この六人は預かれ。

だが預かり物としてではなく、通す前の客として扱え」


補佐が目を上げる。


「客、ですか」


「そうだ。

縄は要らん。

見張りはつけろ。

飯は出せ。

そして、今夜のうちにもう一度話を聞け」


「何を中心に」


「浜村の話だ」


監督官は地図を指で叩いた。


「こいつは、三日で村の流れを読んだ。

なら一晩あれば、市の流れももう少し読む。

明日の朝には、今よりましな話を持っているかもしれん」


補佐は短くうなずいた。


「承知しました」


監督官は最後に、匠一たちを見た。


「おまえたちは、ここで待て」


「ああ」


「逃げるな」


「逃げない」


「本当か」


「たぶん」


ラドが今度こそ吹き出し、補佐が額を押さえた。

だが監督官は笑わなかった。

ただ、ほんの少しだけ目を細めた。


「その“たぶん”は嫌いではない」


それは好意ではない。

だが、切り捨てる相手に向ける言葉でもなかった。


監督官は踵を返した。

随員と護衛が続く。

戸口まで行ったところで、一度だけ足を止める。


「補佐」


「はい」


「書状の文面は、弱くするな。

珍しい子どもが来た、ではなく、

流れを読み、後ろに手足を持つ先遣が来た、と書け」


補佐の目が、わずかに見開かれた。

そしてすぐに引き締まる。


「承知しました」


監督官はそれ以上何も言わず、部屋を出た。

足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。


しばらく、誰も口を開かなかった。

部屋の中には、さっきまでとは別の静けさが落ちていた。

判断がひとつ上の段で下されたあとの静けさだった。


やがて補佐が、長く息を吐いた。


「……ラド」


「はい」


「預かり部屋を替えろ。

裏の空き部屋じゃなく、窓のあるほうだ」


ラドが目を瞬かせる。


「客扱い、ですか」


「通す前の、な」


補佐は匠一たちを見た。


「監督官殿の前でまで、面倒を大きくしてくれる」


匠一が答える。


「大きかった?」


補佐は少しだけ笑った。


「最初からだ」


だがその声には、もう最初の苛立ちだけではないものが混じっていた。

厄介だが、拾う価値がある。

そう判断した者の声だった。


細い線は、まだ紙の上にしかない。

だがその紙は、もう地方府へ向かう。

そして地方府から先には、さらに上がある。


皇帝との距離は、まだ遠い。

だが、ただ遠いだけではなくなった。

その距離の上に、通るべき道筋が、ようやく一本見え始めていた。

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