第9章「ドランカーズ」
「これを使う事になるとは・・・。」
レイラのベッドに隠された機能。ステラがヘッドボード中央の飾りを真上へ引くと30センチほどの金属製のロッドが出てきた。このロッドは全部引き出すと付け根から直角に倒すことができる。ベッドに寝ている者が居ればその額の真上に届くだろう・・・眠っている間にロッドの先端から出る電波で一日分の記憶を消す
「用意できましたレイラ様。」
「・・・お願い。」
・・・などといった不穏な機能は無く、ステラはロッドの先端に氷嚢を吊るし、横になっているレイラの額に丁度当たるように紐の長さを調節した。
「如何ですか?レイラ様。」
「ああ、結構気持ちいいわこれ。ありがとうステラ。」
保有魔力量が異常に多い割に制御が上手くないレイラは、原因のよくわからない魔力消費により保有する魔力に波が立ったような状態になり、今は酷い頭痛と胃のむかつきに襲われていた。
「申し訳ございません、私が至らぬばかりにレイラ様をこのような・・・」
「え?・・・ああ、いいのよ気にしないで、ステラのせいじゃないわ。」
こういう時、夏頃のレイラならステラに八つ当たりしながら授業に出ていたのだろうが、最近は多少性格が丸くなったのか、或いはそんな気力も湧かないほど症状が辛いのか、今日は一日安静にすることにした。
「ちょっと、花火が足りないかと思って・・・きれいに咲かせるのは練習していたのだけれど意外に高さがあったわ。」
一応校医に診てもらったところ、身体に異常はないが何かの理由で魔力を一気に大きく消耗したことが原因ではないかと診断され、苦し紛れにレイラが白状した不調の原因というのが「祭礼の花火に悪戯した」というものだった。
だが実際の原因は全く違う。魔力の時化のような状態を作り出したのは時空転移、この症状は「転移酔い」である。
10月の終わり、すなはち前章。
レイラは魔導士ミリン(仮)がシリカ族の最後の一団と一緒にネイズ大森林へ転移する際、事件の事について固く口止めしていったためステラにも教師陣にも自分の体験を話すことはできなかった。シリカは一応本件の当事者だが、時空転移をしていないのでレイラは自分の体験をどこまで話していいか判断できなかった。ミリンが居ればアドバイスの一つも貰えたのだろうが、彼もまたどこか別の時空へ旅立ったに違いない。恐らくもう会うことは無いだろう。結局レイラは大事件を一人で抱え込むことになり、彼女の精神は消耗した。
加えて魔力の消耗と疲労。どちらも普段のレイラなら一晩眠れば日常生活に支障をきたすほどではなかったが、召喚魔法による時空転移と現地での戦闘の体験は想像以上のストレスとなって彼女を襲った。滅亡寸前の種族の運命を背負わされたこと、帝国兵から明白な殺意を向けられたこと、過去の世界に送られ帰るあてのない状況に置かれたこと。状況に順応する間もなく突然現れた謎の魔導士と二人のシリカによって僅か数時間のうちにすべて解決したが、展開が早すぎて却って精神的負担を極大化してしまった。
そして日付が変わって11月1日。祭礼で高揚した気分が沈静化すると同時にそれらの影響が一気に表面化し、レイラはとうとうベッドから起き上がれなくなってしまった。
「やはり私もお傍にいた方がよろしいのではないでしょうか。」
唸るほどではないものの具合の悪そうな表情のレイラに、
「こうしていれば大丈夫よ、あなたは授業に出なさい。氷の交換くらいはシリカがやってくれるわ。」
規則上シリカは一人では授業に出られないため、部屋着でベッドの横に控えていた。
「では、レイラ様・・・」
「行ってらっしゃい、ノートを宜しくね。」
後期課程が始まったばかりなのでここで授業に遅れると先への影響が心配である。そのためレイラが回復次第ステラ先生の特別授業が始まる予定だ。
同じ授業を受けていてもレイラとステラのノートはまったく異なる様相を見せる。研究者の娘であるステラのノートが本職の授業よりわかりやすいくらいにまとまっているのに対し、レイラのノートは基本、板書の丸写しな上にしばしばイラストが挿入されるというか、渦巻きを描く癖がある。偶にこうした線を描いていないと集中を維持できないのがいかにもレイラ様といえる。
「ふう・・・ねえシリカ、昨日のあれは本当にあったことなの?」
ステラを送り出したあと、レイラは横になったままシリカに話しかけた。だがシリカはレイラを見つめるだけで何も答えなかった。
「あなたも彼に口止めされているのね。」
目を閉じるとストーブにかけられた薬缶から噴き出す蒸気の音が聞こえるだけの世界になる。
「・・・」
いつものように添い寝をしにくると思われたシリカだったが、今日はベッドの横に椅子を持ってきて神妙な顔で座っている。普通の傷や病気、せめて身体的な過労ならシリカの能力で回復させられたのだが、今回のケースではまったく役に立たないことを自覚しているようだ。
あの魔導士は何者だったのか。相当な使い手と思われるが思い当たる名前が無い、ミリンというのは間違いなく偽名だろう。そして連れていた二人の魔人、見た目や能力は魔人っぽいというか、まるでシリカそのものだった。彼女たちもどこから来たのか、もしかしたらシリカと同族なのではないか。それにしても似すぎなのだが、それとも彼女の世界では皆あんな見た目なのか?今にして思えばシリカは彼らと一緒に行けば自分の世界へ帰ることができたのではないか。
何を考えても後の祭りだった。彼らはシリカ族と一緒にネイズ大森林へ行ってしまい、おそらく今はもうそこにもいないだろう。せめて行先を訊いておくべきだったか・・・だが今はシリカの帰るべき世界が判明しなかったことに安心してしまっていた。
僅か3カ月と少し。シリカが現れてからというもの、ある時はシリカの預け先を探して学園中を歩き回り、またある時は制服を巡って奔走し、昨日に至ってはエルフに召喚されて大昔の世界で滅亡した帝国の軍勢と戦わされた。魔法の魔法の勉強をしてそこそこの成績を修めればいいと思っていた学園生活は物語でも読んだことが無いような波乱の日々となった。その間、いつも傍にはシリカが・・・いないことも結構多かったが、シリカ無しに今の自分は無い。学問の成績は部分的にだが予想外に上がり、憧れの肖像画の魔法使いに少し近づけた気がした。
だが、そこに隙が生まれた、慢心と言ってもいいだろう。過去の森で銀灰熊を相手に低級の火魔法を大量に打ち込むという力技、魔力の量だけを頼んだ戦い方で無駄に消耗し、最後は乱入してきたセイシュたちに助けられた。
考えが甘かった。もう少し強力な魔法、あるいは形態の違う効率の良い魔法を使えていたら、クリスタが瀕死の重傷を負うことも無かったかもしれないし、シリカ族の犠牲者数をもう少し抑えられたかもしれない。
シリカ族。シーラ貝が無ければ普通にエルフとして暮らしていられたのだろう、新天地では現地のエルフと仲良くやって行けるのだろうか。シーラ貝は今の世界にも生きているのだろうか。
「彼らをシリカ族と呼ぶのは今の世界では混乱の元ではないかしら。」
レイラの耳元でセイシュが囁いた。そうだ、今シリカといえばここに居る魔人の事だ、それも世界に一人しかいないと言われていたのに急に100人も増えたら、実体がどうであれ戦力として仲間に引き入れようとするもの、脅威に感じて滅ぼそうとするもの、それが国家単位の意志として作用するだろう。結局シリカ族は滅びてしまう。
「ならばシーラ貝を捨ててエルフとして生きるのも一つの選択肢だが、彼らは共生関係にある。容易くは捨てられないだろうし、場合によっては彼らの生命を危険に晒しかねない。」
ミリンはクリスタの首飾りを手に取って興味深げに見ていた。
「この貝殻も、この時代には絶滅している種の物だ。この辺りの遺跡からも偶に出土するが、これは保存状態が良すぎるな。出所は・・・実家に伝わっていたと言っておけばごまかせるだろう。確かまだあったはずだ。」
やっぱり絶滅。首飾りに使われた、細長くて様々な模様のある巻貝。シーラ貝とは違うようだが、どうして滅んでしまったのだろう、他の生物に寄生するシーラ貝のような能力はかなり特殊な例だ。シリカ族が居なくなった向こうの世界では、シーラ貝も寄生する相手がいなくて滅んでしまっただろう。
「探せば見つかるかもよ?元々寄生せずに生き延びていた種なんだし、寄生相手がエルフでなくてはならないというものでもないでしょう?。」
ドブロクはジャーからクッキーを取り出して齧っていた。思えばこの子はいつも何か食べていた気がする。
「そういえば魔人教団にはシーラ貝の方の研究者もいたわね。それこそヒトやエルフ以外に寄生させる実験もやっていたようだし、生息地の情報とか残されていないのかしら?」
魔人教団は様々な方法で人工的にシリカを再現する研究をしていた。その中でも比較的マシというか、穏やかな方法なのがシーラ貝をヒトやエルフに人為的に寄生させること。年代的にはシリカ族が滅亡したはるか後の事だが、シリカ族は自分たちの事を年代記のような書物に遺していない。教団はどこでシーラ貝の習性を知ったのだろうか。
「あの遺跡みたいな転移装置が他にもあって、過去の世界へ貝を捕りに行っていたとか。」
「我々の時代にはあんな遺跡の存在は知られていない、この前のは本当に運が良かったのだ。教団が隠しているのかもしれないが、我々が発見した時点でだいぶ森に侵食されていたからな、あの侵食具合だとこの時代までに発見されていなければ完全に森に呑み込まれているだろう。」
「そもそもあの森はどこにあったの?帝国の近くのようでもあるけれど。」
「我々が想定通りの場所に出られていれば探しようもあるのだが、シリカ族のいい加減な儀式のおかげですっかり外れてしまったからな。」
「その帝国だが、獣人差別政策を公式に撤廃しても結局は一度根付いた差別を解消させるには至らなかったらしい。」
「そもそも何のための政策だったのかしら、意味が分からないわ。」
「意味はあったさ。国民が支配層に不満を持った時、その感情の手頃な処理先として一時的には有効だったはずだ。だが急に撤廃すると言われてもさて解放された獣人は帰る場所も働く当ても無く、そのまま奴隷になるか見世物として殺し合いを続けるしかなかった。」
「どうぞ・・・」
ステラがミリン達にお茶を出している。授業が終わるにはまだ早いが早退してきたのだろうか。
「ありがとう。君は確か・・・」
「この子はステラ・ニューマン。間違えないでね、ニューマンよ。」
ミリンの後から現れた黒いローブの女性、その顔は忘れるわけがない。だがなぜここにいるのだろうか。
黒いローブの女性はレイラの容態を見ると
「転移酔いで間違いないわね、こんなの全人類のうちの何人も経験してないでしょうから医者にわかるわけが無いわ。よかったわね、転移酔いの発症者として歴史に残るわよ。」
「・・・」
「何よ?」
「いえ、経験者の言葉は重みが違うな、と思いまして。」
(お母様も・・・転移酔い、聞いたことのない病気ですわね。)
レイラは何も言っていないのだが、この人たちにはレイラの心の声が聞こえているようだ。
「転移酔いは病気というより転移魔法の副作用ね。魔力の容量が大きい者が消耗した状態で転移すると稀に発症するけれど、慣れれば収まるわ。」
「そういえば私はなった事が無いですね。」
「必ずなるという物でもないし、発症する条件も割と厳しいから。それに転移魔法を本来の用途で使う人はそういないから発症例がものすごく少ないのよ。あなたは転移魔法の研究をしているのだったかしら?酔わない転移魔法とか?」
(ミリンが敬語だ。)
「術者の同行が必要とか変な縛りを解消したいと思っています、もっと使い勝手が良くなるでしょう。それにあの魔法はわざと制限が付くように作られている気がします。」
「あれはあのままの方が良いと思うわよ?転移が無制限に使えると悪事し放題になってしまうわ。」
(そういう物だと思っていたけれど、この話ぶりだとあの制限ってどうにかなるものなの?原術の開発者が意図的にそう作ったということ?)
魔法は習うか文献から学ぶのが当然で、新しい魔法を作るという発想はなかった。実用的な魔法はあらかた揃っているし、学園で習うだけでは足りないほどの種類があってそれを覚えるだけで何年もかかるだろう。ミリンは今ある魔法に飽き足らず新しい物を開発しようとしているのか。
魔法の開発は料理に似ているかもしれない。例えばお茶に砂糖とミルクを入れるのは当たり前にやっているけれど、新しい味を開発しようとして香辛料を振ったら?手軽に試せるがおいしい物を作るのは簡単ではないだろう、一口に香辛料と言っても何種類あるやら。しかも複数の香辛料を混ぜると相互作用で収拾がつかなくなったりする。香辛料は少ない種類でシンプルにまとめるのがコツだと言われているが、魔法の開発もまさしくそうなのだ。
調味料の順番で味が変わるように、魔法を重ねる順番、呪文の文言の前後によって結果が変わることもある。そして、多くの場合失敗の代償は体の一部や命だったりするため、リスクが大きすぎて今更新しい魔法を作ろうとする魔導士は余程の変人か・・・魔人を二人も連れているミリンは相当な変人に違いない。
(一人連れている私も周りから見れば変な人でしょうね。)
周囲の会話は聞こえるが、頭が痛いせいで目も開けられず、会話に参加する気も起きない。レイラにとって知らなかった事実が次々飛び出してくるので聞いているだけでも飽きなかったが、彼等の声は不思議と頭痛に響かなかった。
(そういえばどうして魔人が二人も居るのかしら。)
ようやくそこに気づいたが、どうにも声を出すことができない。この場に生物教師がいれば訊きたいことは山ほどあるだろうに。
目を閉じているのに周囲の様子が手に取るようにわかるということは別におかしいとも思わなかった。
別の誰かの視点であったり、天井から見下ろしていたり、自分の所在が定まらないでいるのには案外気が付かないものらしい。
帰るのが遅くなったかと思えばシリカそっくりな子を連れてきたり、突発事象はあったものの、ステラにはレイラが秋の祭礼を楽しんでいるように見えていた。だが、そうしている間にもレイラが消耗し続けていたことは間違いなく、気づかなかった自分の至らなさにステラは沈痛の面持ちだった。せめて今日だけでも付き添いたかったのだが、レイラの言うように授業に遅れないようにすることの方が、先を思えば大切なことは間違いない。校医の診断でも身体に異常はないとのことだったし、氷嚢の交換はシリカに任せて自分は自分の職務を果たそう、そう決めたのだがどうしてもレイラの事が気になってしまう。
丁度午後の授業が魔法実技だったため、ステラは早退して寮に戻ることにした。レイラが汗をかいていれば早く拭かねばならないし、朝食にほとんど手をつけていなかったからきっとお腹も空いているはず。食欲が戻っているという保証は何もないが、まずステラは食材を求めて「城下町」へ足を運んだ。
生鮮食品は学園内では取り扱っておらず、そうした買い物にはもっぱら城下町を利用する。
「ステラ。」
「はい?」
振り向くと声をかけてきたのは意外な人物だった。
「ディーン殿下、ご機嫌よろしゅう・・・殿下もお買い物ですか?」
仮にも一国の王子が庶民に混じって買い物、家庭教師を雇わず一般の学校に通っている事を考えれば今更感はあるが、日常の買い物など使用人にさせるようなことを自ら・・・だがディーンが手に提げているのは果物の篭盛りだった。
「あぁ、まあ、な。お前も買い出しか?」
「はい、何かレイラ様でも飲み込めそうな物がないかと。」
ディーンの表情が若干曇る。
「そんなに悪いのか?」
レイラの欠席の理由は教務課には単に体調不良と申告してあるが、ディーンの元には別ルートから情報が入っているらしく、単純な体調不良ではないという程度の事は伝わっていた。おそるべし親衛隊。
「なんというか、吞み過ぎた翌日の旦那様のような様子で、声をおかけすると頭を押さえて辛そうにされています。」
「二日酔いみたいだな、酒を出すような屋台は無かったと思うが。身体に悪い所は無いのだろう?」
「はい、校医の話では何かの原因で魔力圧が低下して急性の貧魔力症を起こしたのではないかと。ですが昨日はそんなに魔力を使うような授業も無かったですし、回復も遅いようで今朝は食事も摂られていません。」
「まあ、祭礼で風邪をもらってくるなんてのもよくある話らしいが・・・はしゃぎ疲れて寝込んだとかだったらまた母上殿に叱られるな。」
魔法学園は中央大陸の低緯度地域にあるため、通年の気温は高い印象があるが、逆に夜間は相当に冷え込むため寒暖差で体力を奪われ易い。秋の祭礼など夜間に外出することがあると体調を崩すことはあり得ない話ではないのだ。もちろん、二人ともあの日レイラに何が起きたのか知る由も無い。
「で、兄上が心配してな。これも兄上に持って行けと言われて。」
ディーンは果物の篭盛りを示した。
「まあ、お気遣いいただきありがとうございます。」
「本当なら兄上が直接見舞いたいところだが立場上そうもいかなくてな、俺が代理だ。」
家同士が親密なこともあり、アランがレイラを見舞っても何ら不思議ではない。だがレイラに召喚魔法の特訓を施した件では、魔人が出たという重大な結果もあって本国から厳重に注意を受けており、貴族令嬢の部屋を訪問するというのは次期国王として少々迂闊、しかし無視するわけにもいかず弟の出番となったのだった。ディーンが幼少期にブラッドベリー家に預けられていたのは割と知られた事なので彼ならレイラを見舞っても不思議ではないだろうと判断したのだが、継承権一位と二位の違いしかないので行動にはもう少し慎重になった方が良いかもしれない。
「ですが殿下、午後の授業はよろしいので?」
「なに、病気の臣下を見舞うのは王家の者として当然だ。」
微妙にはぐらかされたが、結局はレイラが心配・・・それとも病気とは無縁そうなレイラの弱った顔を一目見てやろうという魂胆か。
寮への帰り道。兄より頭半分ほど背が高く筋肉質なディーンと、背丈はレイラと変わらないもののスレンダー体型で小柄に見えるステラが並ぶと、両者の体格には倍以上の差があるように見える。歩き方一つにしてもディーンが相当な剣の使い手とわかる足の運びなのに対しステラは姿勢からして高貴な令嬢のような品格を感じさせ、それぞれ一人で歩いていても目を引きがちな二人が買い物籠を下げて並んでいると、その存在感は倍加する。
そんな二人の後には少し離れてついて歩く生徒がだんだん増えて行き、
「レイラ様の部屋までご案内します。」
「うん、だがその前に・・・」
ディーンは後ろを振り返り
「あまり大勢が入ると病人に障りかねない。見舞客がこれだけ来たことは本人に伝えておくからここらで解散してくれるか?」
寮に着く頃には奇妙な行列ができていた。
「レイラ様、ステラです。ただいま戻りました。」
返事が無いのは当然として、二人が部屋に入った途端
「シャーッ!」
「おっと。」
シリカがディーンを威嚇してきた。
「俺は見舞いに来ただけだ、レイラの顔だけ見たら帰るからちょっと通してくれないか?」
「シャー・・・」
「ほら、これをやるから。」
篭盛りの果物の一番上にあった苺をつまんでシリカの鼻先で振ってみせた。
これが当たった。シリカの威嚇がピタリと止んで、両手が使えるにも拘らず鼻から喰いつく勢いで匂いを嗅ぎに来た。
「んっ?」
ディーンの手を両手で掴むと苺だけを食いちぎった。手で受け取れば良いだろうに、というか行儀が悪い。ステラが皿に盛ってくれるのを待つのが最善なのだが、それを待てないほどの好物だったのか。
「んん?これが好きなのか。ほら、まだあるぞ。」
「へやッ!」
ふさふさの尻尾をバンバン打ち付けながらはやくよこせ~、と、まるでおやつを前にした犬のようだ。
「ディーン様、レイラ様はまだお休みですので・・・」
「おっと、すまない。悪いがこれを頼む。」
ステラが篭を受け取ると、シリカはそっちについて一緒に台所へ消えてしまった。
レイラはまだ顔色が悪かったが、普通の寝顔だった。安らかという感じではなく妙に難しい顔で眠っていたが、特に苦しそうとかうなされてとか言う事は無いようだったのでまずはひと安心。だが、ブラッドベリー家に預けられていた期間中にもこんなに青ざめたレイラの顔は見たことが無かった。
「魔力が多すぎるとこういう事も起きるのか。」
「はい、校医の診断では魔力圧の低下が原因とのことでしたから、何かで威力の割に消耗の大きい魔法を使ってしまったとか、そんな感じではないかと。」
「まあ、休んでいれば治るというなら心配はなさそうだな。」
適当に濁して花火の事には触れないようにした。それよりレイラは寝汗をかいていたりしないだろうか、眠っているとはいえディーンに嗅がれたりしたら目覚めてから気まずいはず。
「殿下、こちらをお使いください。」
「ああ、ありがとう。だが俺が居たのではレイラも落ち着いて眠れないだろう、無事な顔だけ見られたから帰らせてもらうよ。」
ステラが切り出すまでも無く、察したディーンは勧められた椅子を辞退して早々に帰ろうとした。
コトト・・・カインッ!、ボズッ!
「うん?」
シリカのいる台所から妙な音がした。
「なんでしょう?」
二人が覗き込むと、テーブルの上には皿に載った数個の苺。そしてシリカは椅子ごと床に倒れていた。右手にはフォークを持ったままだ。
だがシリカのこの有様はただ事ではない。
「どうしたっ、何があったッ?!」
驚いたディーンが抱き起すと、
「んーーーーーーーっ」
緩んだ表情に赤く染まった頬と潤んだ目。
シリカは酩酊状態だった。
「何だ、どうした?」
「でーーー、はーむっ!」
ギムレットで器用にフォークを保持して皿に残っていた苺を一つ刺すと、ディーンの頬にぺしぺしと押し付けてきた。食べろという事らしい。
「わかった!わかったから。」
ディーンが大口を開けて苺を受け取ると
「うーひぃ?」
「ああ、おいしい。」
「フヒヒ・・・」
「ウヒヒヒヒヒッ」
「何だこれ、どうなってるんだ?」
「私にもさっぱり・・・」
位置的にテーブルの上の様子はわからないはずだが、シリカは正確に次の苺を刺すと
「うぇらお。」
「私?!」
「うぇら、はーー・・・」
「・・・わかりました。はい、あーー」
「うぇら、うっしぃ?」
「はい、おいしいですよ。」
「ウヒッ」
シリカは空いている方のギムレットで皿を引き寄せると、這うようにして出て行ってしまった。
「酒の臭いはしなかったが、まるで酔っぱらいだな。」
「こんなことは初めてです。」
台所から様子を窺がうと、シリカは今度はレイラに苺を食べさせようとしていた。
椅子からベッドによじ登り、レイラの枕元に手を着くと
「えいら、はーーー」
反応は無い。
「えいら、はーー!」
少し怒ったようだ。
「シリカ、レイラ様は・・・」
見かねたステラが止めに入ろうとしたが、
「えいらっ」
シリカはレイラの閉じた唇に器用に苺を載せると、躊躇なく上から自分の唇を重ねて口の中へ押し込んだ。
「いっ・・・・!?」
後に居たディーンからはステラの髪が一瞬逆立ったように見えた。
そのまま数秒して、シリカが離れるとレイラがゆっくりと目を開けた。
「レイラ様っ」
「レイラ!」
「んん・・・ステラ、それにディーンまで、どうしたの?」
だるそうな声で答えるとゆっくり上体を起こした。
口の中にまだ甘い香りと酸味が残っている。
「えいら、おった。」
「シリカ・・・ありがとう。苺、おいしかったわ。」
「でっへ~~~~」
シリカはそのままレイラの膝を枕にして眠ってしまった。
「おっと。」
素早く駆け寄ったディーンが、ギムレットからこぼれ落ちた皿とフォークを受け止めた。
「レイラ様、御気分はいかがですか?」
「・・・ありがとう、だいぶ良くなったわ。今はお昼過ぎくらいかしら?」
まだ少しぼんやりした感じだったが、受け答えはしっかりしていた。
「ディーン殿下、わざわざお見舞い頂いて光栄です。申し訳ありません、こんな恰好で失礼いたします。」
「何、俺と”姉上”の間だ。気にすることは無い。」
”姉上”
ブラッドベリー家に預けられていた間、同い年のレイラとどちらが上かで勝負になり、レイラが勝利した結果そう呼ばせていた時期があったという他愛もない話なのだが、今では立場を忘れて話そうというディーンからのサインとなっている。
眠っている間にステラが帰ってきて、ディーンが見舞いに来てくれたらしいが、ミリン達も母様も消えている。ぼんやりした記憶が遠ざかり次第に視界がはっきりしてくるとようやくあれは夢だったと納得できたが、いったいどこからがそうだったのか。
「ステラから聞いたが、貧魔力症だって?詳しいことは知らないが。」
「転移酔い・・・この前本で読んだけど転移酔いっていう珍しい症状があって・・・」
夢で聞いた名前をうっかり口走ってしまい咄嗟にごまかしたが
「そうするとお前の家、二代続けて発症になるのか。家系なのかな。」
「え?・・・ええ、そうね。面倒なところがお母様に似てしまったわ。」
夢の一部が本当の事だった。だがこういう場合は昔に見聞きして忘れていただけだったりするものだ。
くかー
シリカは完全に熟睡モードだった。こうなるとベッドから落ちたくらいでは目を覚まさない。氷嚢にはまだ大粒の氷が入っていて、少なくとも一回は交換した跡があった。
「そうそう、その魔人。兄上が見舞いに寄越した苺にものすごい喰いつきだったが、余程の好物なのか?」
「シリカの好物?今までそんな様子はなかったけれど。苺がそうだったの?」
「まあ、そうなんだと思うが。食べた後に酒酔いみたいな感じになって、バタッと倒れたと思ったら今度は俺たちに食べさせようとしてきたり、ちょっと様子が変だったな。」
ベッドの縁に乗って変な姿勢で寝ていたせいで、シリカはずるずると落ち始めた。
「旬の果物なんてこの辺じゃ珍しいから舞い上がっていたのかしらね。」
レイラは落ちかけたシリカを掴まえて引き上げると、ズレた部屋着を直して自分の毛布を半分掛けた。
「おっと、そうだ。兄上から見舞いに篭盛りを持たされて、ステラに渡してあるから落ち着いたら食べてくれ。騒がしくしてすまなかったな。」
ディーンがなぜかそわそわした感じで帰ろうとすると
「いえ、構いませんわ。折角ですからお茶でも召し上がって行ってください。ステラ・・・」
「いや、いい。目を覚ましたことを早く兄上に伝えないとな。」
「レイラ様、あまりお引き留めしては・・・」
珍しくステラもディーンを帰らせようとする。
「・・・そう?それでは、アラン殿下にお見舞いのお礼と、私から宜しくとお伝えください。今日は来てくださってありがとう。」
「ああ、確かに伝えておく。また教室でな。」
ディーンはそそくさと帰って行ってしまった。
「あわてて帰らなくても、まだ陽は高いのに。」
「レイラ様。」
「ん?」
ステラの目線はレイラ、その胸元を指していた。シリカが登ってきたときに引っかけたのだろう、ボタンが外れて前が大きく開いていた。
「あらあら、私としたことがはしたない。」
「アラン殿下でなくてよかったです。」
「そうだったら大変ね。」
妙な夢のせいか、シリカに何か貰ったか、今朝までのもやもやしたものが晴れて頭が軽くなっていた。
「午後の授業はどうしたの?」
「魔法実技だったので早退してきました。」
「う・・・さすがステラ、そこは余裕があるわね。」
「あ、い・・いえ、私はただレイラ様が心配で。」
「冗談よ。それより何か作ってもらえるかしら?そろそろお腹が空いたわ。」
「胃の具合はいかがですか?」
「ステーキでも食べられそうよ。」
「燕麦粥にしますね。」
「・・・ステーキでも食べられそうよ?」
「燕麦粥にしますね!」
ステラは台所へ消えたが、音を聞いている限り単純なオートミールではなさそうだ。具材に何が入っているか、ステラの手料理なら期待して良い。
かー
シリカの部屋着は下は短パン、上はヨガウェアのような丈の短いシャツで肩も臍も丸出しだ。こんなラフな服装で王子の前に出てしまったが、そこは魔人だからという事で勘弁してもらおう。
「ああ、こっちだったかも。」
「くそっ、俺としたことがあんな物くらいでッ」
剣士として王を守る道へ進むなら、今後どんな魔物と戦う事になるかわからない。おぞましい姿の妖怪はもちろん、魔人の身体にいちいちたじろいで任務が務まるのか。
だが、間近に見たシリカの乳房はどうにも形が良く、若き王子には刺激が強すぎた。
「あんなちんちくりんな魔神の、裸ごときで平常心を欠くとはッ・・・!」
こればかりは剣の鍛錬でどうにかなるものでもない。がんばれディーン王子、
アランはちゃんと平常心で戦えたぞ(第1章参照)。