第6章「シリカ対古代文書」
翌日、放課後になるとレイラは図書館へ向かった。
魔法学園の図書館は学園敷地内の中央にある巨大な建物である。古今東西の魔法関連書、巻物、魔獣の記録などおおよそ魔法に関係のありそうな本を収蔵しており、毎日多くの生徒が利用している。骨董としての価値が高い収蔵品も多いため、身分証を携帯していない者は理由の如何を問わず入場を禁止している一方、志あるものを拒まない姿勢でどんなに素行の悪い生徒でも受け入れていた。
シリカの身分証はまだ発行されていなかった。というより、申請書類はまだ提出したばかりなので、これから書類が関係各所を回って発行まで早くても一週間はかかるだろう。身分証無しで図書館に入るのは本来許可されないが、魔人の進入を止められる図書委員などいるわけがない。一応、服飾教師と挨拶に回ったので申し送りはされていたようで、確認が取れるまで少し待たされたが無事に連れて入ることができた。
館内には防犯防災のための監視網が張り巡らされており、蔵書や資料を移動するとその痕跡を追跡できるようになっている。紛失、窃盗などの対策でもあるが、そのおかげで勘の鋭い生徒には少々落ち着けない場所になっていた。落ち着けないというのは図書館としてどうなのかと思うが、この図書館の潜在的な危険性を考えれば致し方のない所か。特に地下倉庫の収蔵品は未解明の魔道具もあり、迂闊に移動できないのだ。
「地理・地学、気象・海洋、スポーツ、科学、芸能・音楽、文学・歴史・・・の、棚番30か。」
普段からよく図書館を利用するレイラだが(その割に成績が揮わないことは置いておいて)、あまり奥へは行ったことが無い。よく利用するのは授業に関係のある本で、そういった参考書的な物は利用者が多いため手前の書架に集められている。だが今日の目的は普段縁がない、割と専門的な資料などが収められている書架である。
「30、30・・・ここね。」
今日、レイラが探しているのは歴史書。授業で扱う範囲を深掘りしようとするとここの本を手に取ることもあるだろうが、試験とは関係ない知識が深まるだけなので、普段のレイラならここまでくることは無い。シリカに出会わなければ一生読むことは無かっただろう。
「ズバリ魔人とかシリカ関連の題が付いた本は・・・ちょっと無さそうね。」
背の部分が擦れてしまって題が読めない物はひとまず除外。そうでなくても書体に凝るあまり何と書いてあるのかわからない本や、乱雑に扱われて表紙から中身が外れそうな本が結構ある。そんな状態でも廃棄にならないのは学園の司書ががんばっているか、逆に人数が足りなくて手入れが行き届かないのか。 まずは全時代を俯瞰できそうな本、「世界の歴史」とか「新説世界史パートⅡ」などの(レイラの感覚で)ふわっとしたタイトルの本を選んで自習コーナーへ行こうとしたが、気が付くと横に居たはずのシリカが消えていた。
レイラが目当ての本を探す間、シリカはレイラについて歩いていたが、奥の方に何かを見つけてそちらへ行ってしまった。一段と黴臭いそこは研究者向けの古書や古文書などの資料を収めた書架だった。一冊を手に取ると、パラパラと流し読み。大昔に書かれた英雄物語のようだが、だめだこりゃー、という顔で書架へ戻すと、次の一冊へ。そうやって棚一段を見終わると、下の方に紙一枚でできた本があるのを見つけた。本というか、それは古文書を書き写した物で、シリカはそれを数枚手に取ると、なんじゃこりゃという顔で、だが今度はそれを持ってレイラが居た書架へ戻って行った。
考古学の書架には教師達が苦労の末解析した古文書の複写が収められている。複写というからには当然原典、本物もあり、それらは古代遺物として地下倉庫に厳重に保管されている。魔法で複製を生成することもできるが、コスト(主に術者の猛烈な疲労)との兼ね合いから手書きで書き写すことが多い。考古学科の学生はこの作業を課題として出されるほか、割の良いアルバイトとして引き受けるケースもある。レイラも生物教師からシリカの調査と管理を依頼されているが、魔法学園にはこうした学業に直結したアルバイトがあり、学力向上と収入を同時に期待できる。
シリカが持って行ったのはこうして学生が複写した物である。
一方、シリカを見失ったレイラは周囲の通路を探したが見つけることができず、自分の調べ物もあるので仕方なく一人で自習コーナーへ行くことにした。自分がシリカの監視役であることは図書委員に伝えてあるので、シリカが外へ出ようとすれば知らせてくれるだろう。
「あ、あ・・・あのっ!」
「・・・」
「・・・あのうっ!」
「・・・」
「そこの魔人の方ッ!!」
「?」
レイラの行先がわからないシリカはそのまま寮へ帰ろうとしたが、貸出受付を通り過ぎたところで女子生徒に制止された。
図書委員の腕章を付けているその生徒は、彼女の限界の勇気を振り絞ったのだろう、座っていた受付から数歩の距離だというのに息は上がり顔が赤い。シリカを良く知らない一般生徒が声をかけるのは相当な勇気が要るだろうがここまでではあるまい、恐らく彼女個人の性格が影響している。
「・・・ひっ!」
魔人と目が合ってしまった!自分で呼び止めておいて随分な反応だが許してあげて欲しい。
「??」
自分が呼び止められたことに気づいたシリカは声の主へ振り返った。
緊張で少し上ずっているが普段なら鈴を鳴らしたようなきれいな声なのだろう。
「す・・す・・・」
「・・・」
すわ告白か?
「す、すぉのぶんひょっっ、」
「ぶんしょ?」
「き・・・禁帯出ですっ!!」
「いーひゅ?」
要約すると、シリカは図書館内でしか閲覧できない文書を持ち出そうとして図書委員に止められたのだ。
魔人に声をかけ制止するという、平時なら歴史に名が残りそうな偉業を成した彼女は、シリカをレイラに引き渡すと今にも心臓を吐き出しそうな顔で持ち場へ戻って行った。随分な態度だが、本来魔人を相手にするというのはそういう事なのだ。レイラや一部の同級生の方がおかしい。
「勝手にいなくなってはだめよ、ここは書架がたくさんあって探しにくいのだから・・・何を持ってきたの?」
「け」
「古文書の写しね・・・何が書いてあるのかしら?というかあなた、読めますの?」
「ちゅうぼうちょうのちょうしょ こくおうへいかあんさつみすい・・・ぼくろこ?」
「ぼくろこ?」
読めなかったらしい。それでも熱心に読もうとしているのでレイラはシリカを隣に座らせて、自分の作業に戻った。
シリカは時々レイラに紙を貰って何かを書いていた。古文書は基本的に現代と同じ文法で書かれているが、文字については現行と似ているものの、一部紛らわしい文字や、現代では使われていない文字もあって解読を困難にしている。また、原書の筆者によって個性的な言い回しがされていたり、インクの劣化などの要因で判別できない文字が適当に書き写されていたりして、正確な解読には相当な時間が必要になっている。シリカがそれを流すように読んでいるのはレイラの真似をしているのだろうが、一体何を書いているのか。
と思っていたら、
「こぇ」
「ん、なあに?お嬢ちゃん」
本を積み上げて古文書解析の宿題に勤しんでいる生徒がいた。瓶底メガネの典型的な研究者タイプの女子だったが、俗世に疎いのか魔人シリカを「お嬢ちゃん」と呼んで怖がりもしない。
「とこのこころ」
「ここ?ああ、これは三代目国王の暗殺未遂事件ですね。丁度私も調べている所ですから、簡単な質問になら答えられますよ。ええとこれは・・・国王暗殺図。晩餐の席で突如体中に斑点が現れて苦しむ国王エクリヴァーⅢ世の図と言われていますね。ほら、ここの腕の所の赤い点々がそうです。暗殺者に毒を盛られたというのが定説ですが、犯人はおろか使われた毒すらわかっていません・・・違う?」
メガネ女子はメガネを外してシリカが持ってきた写しと、たった今書いたメモを見比べ始めた。
瓶底メガネはものすごい度数に見えたが、よく見るとレンズの内側に文字が浮かび上がっている。辞書に直結した魔道具らしい。そういえば手元の文書を読むのにメガネを外している。
しばらく複写文書と解析本とを並べてシリカと問答をしていたが
「これは・・・複写の字が下手過ぎ?」
メガネ女子は他の古文書を並べて比較し始めた。
「本当だ、こっちの”でぃ”はこっちの”でぃ”とは筆の入り方が違いますね。なるほど”せぇ”の書き損じですか。だとすると正しくは・・・」
「シリカ、他の人の邪魔をしてはいけません。」
いつの間にかそばに来ていたレイラがシリカを剥がそうとすると
「ち、ちょっと待ってください、今・・・そうだとすると毒を飲まされたのではなく、そもそも食べてはいけないものをうっかりたべてしまった、と」
毒を食べたら皿も食べる系の王だったということか?
「それで・・・”本人は死の淵”が、”本人の不注意”と、似たような意味ではありますが・・・」
「うす」
まあ、皿を食べれば普通はそうなる。
「もっと詳しく調べないと断定はできませんが、この通りだとすると毒の追及が早期に終わったことに合理的な説明がつきますね。」
メガネ女子は少し興奮しているようだ。
「このページだけでも読み間違いと思われる個所がもう2カ所も、これだけで解釈が全然変わってきます。」
「すみませんが、私にはどう違うのかわかりませんわ。」
「ここです、ここの角、よく見ると筆の運びが逆になっていて今使われている文字とは・・・聞いてます?」
見せられた古文書は文字の崩れ方が酷くてレイラにはちょっと読み取れない。それを当たり前のように読むこの女子は一体何者なのか。襟章を見ると考古学専攻か。
「ああ、すみませんつい夢中になってしまって。ちょっと失礼して他の先生にも見せに行ってきます。これは面白い発見です。」
そう言い残すと、メガネ女子は机の上をそのままにして出て行ってしまった。メガネも置いたままだから考古学女子と呼ぶべきか。
メガネといえば先ほどの図書委員もそうだったが。
「何なんですの?あの方。」
シリカも知らないという感じでかぶりを振った。知らない生徒に話しかける魔人と、魔人を知らない生徒。知っていたらどんな反応をしただろうか。
「私たちも行きますわよ。ちょっと、なにそれ・・・」
シリカが瓶底メガネをかけていた。
「クッ・・・その本を返してらっしゃい。ククク・・・」
閉館時間には少し時間があったが、レイラは歴史書を何冊か借りて今日は部屋へ帰ることにした。とりあえず着手はしてみたものの、まだ雲を掴もうと手を伸ばしているような状態なのだ。読み始めて気づいたが、シリカの出現は散発的で、歴史書から時系列で追跡するにはとにかく量を読む必要がありそうだった。当然だが歴史はシリカのみで作られてはいない。歴史の端にシリカがいて、その端が方々に散っている。レイラはそれらを拾い集めている。
かつては専門の研究者が多数いたはずなのだが、シリカをはじめ魔人の専門書が無いのだ。今できるのは総当たりで突破口を探すこと。そのために一冊に集中することなく流し読みをしていたのだが、さすがに目が疲れてしまった。
シリカを図書館に連れて行くことはやはりリスクがあるようだ。今日だけで三つのトラブルを起こしているし、魔人を怖がって入館を躊躇ったり止めたりした生徒もいたかもしれない。だが、怪我人が出たり何かを壊したりということは起きていない、逆に一件は感謝されてもいる。そもそも自分が目を離さなければ良かったことでもあるし、今後はそこのところに注意して連れ歩くことにしよう。
途中、購買部で大判の白紙を何枚か買った。購買部といっても巨大な魔法学園の需要を満たす規模があり、宿題や研究に没頭する生徒のために朝は始業前に開店し、夜は寮の門限に合わせて閉店していた。品ぞろえも文具から日用雑貨、自炊する生徒のために食品や食器、調理器具、更に制服の販売から洗濯、修繕の受付窓口まであった。服飾学科の裁縫ギルドは夕方には閉まってしまうので、間に合わなかった生徒が駆け込みで利用している。
そういえば、こういう店にならシリカの興味を引くようなものが何かあるのではないだろうか。そもそもシリカの趣味嗜好の研究など誰もしたことが無かったが、カラフルな色鉛筆や装飾の施されたペン軸ではなく、シリカが興味を示したのは何の変哲もない上質紙だった。色や厚みをじっくり確認する姿は謎の妄執ぶりを窺わせていた。
部屋に戻ってからもレイラは書き取ったノートや本を見ながら、買ってきた白紙になにかを作図していた。どうやら大陸の大雑把な地図のようだ。
そんな日が数日続いて、
「ふぅ、なかなか思うようにはいかないわね。」
「レイラ様?」
「目撃情報が集中している時期とか地域があるというのはわかったけど、どうにも周期というか、法則のようなものは見えてこないわ。」
レイラは背もたれに寄りかかって背中を伸ばした。バキバキと音がしてきそうだ。
「単に当時の人口密集地だから、というのもあるのかもしれないけれど。目撃情報が途切れる期間にばらつきがあって、次の出現までの空白期間の長さは一定ではないのよ。ただ、その空白期間にはどこからも完全にいなくなるみたいなのよね。実体はあるのだからそんな風に消えるのは不自然だと思うのだけれども。」
目撃情報、シリカかそれと思しき魔人の出現は、当然だが誰かが観測し記録することで残される。シリカという存在が認知され始めてからおおよそ5000年、人類の探求心は今も太古も変わらぬようで、どの時代でも魔人シリカの動向を追跡する者が必ず数人はいる。レイラは散在するそれらの目撃記録を集約して、どの時期からどのくらいの期間、どの地域に出現したかを地図上にまとめようとしていたのだ。
シリカを追跡する者。たとえるならトルネードハンター的な者か。
最も初期の記録は個人の日記であると言われ、「○月✕日、角の生えたエルフを見た」程度の記録が残っている。そこから「角の生えたエルフ」を探し求める探求者が現れた。「魔人ハンター」の始まりである。
初期には自分の目による直接監視、発見情報のあった地域周囲の聞きこみ、記録などを一人ですべてをやっていたのだが、そのうちにそうした同志が集まってチームを結成し、作業を分担するようになった。20年ほどかけてそれらのチームが集合して次第に大きな組織になり、100年もすると一種の宗教団体の様相を見せはじめた。4800年前にはそうした団体が林立し、更にそれらが統合されていく過程で不老不死の魔人は崇拝対象になって行った。いわゆる魔人教団の発生である。
魔人教団は実際にはそのような禍々しい名前ではなく星や夜空に因んだ名称を掲げていた。悠久広大という意味で「銀河教団」、手の届かない光「流星教団」「月光教団」の三大教団が有名である。この名称にはなかなか捕まらない魔人への憧れのような意味も含まれている。三大教団はそれぞれ大陸南西部、中央部、南東部で成立後、魔人の情報や身柄をめぐって抗争を繰り返していたが、その後協調体制を築き、その象徴としてシリカの特徴である角と耳をあしらった紋章を制定した。紋章の形が剣にも見えることから、先述の三大教団をまとめて「三剣教団」と呼ぶこともある。
教団には不老不死を追求する医療目的の研究団体という顔もあり、信者には有力者も多かった。初期の構成員が大真面目にシリカの研究をしていたのに対し、中期以降は一向に捕捉できないシリカに対し人工的に魔人を生み出す研究が盛んになった。シリカの「ような者」を人工的に生み出し、姿形から不老不死の秘密に迫るという比較的真面目な信徒もいれば、それを高値で売り資金源にしている信徒もいた。だが土台となる人体は奴隷の購入や誘拐で賄っていたため、この頃から教団は邪教、シリカは邪神として恐れらるようになった。「魔人教団」という呼び名はこの時代に付けられた汚名で、それが今でも消えずに残っている。
一方、本物を追い続けていた一派も成果が上がらないため次第に信徒数を減らし、全体として最盛期には1000軒を数えた教会は徐々に規模を縮小して小規模な社が殆どとなってしまった。
そのため教団は闇雲にシリカを追い求めることをやめ、「見かけたらそっと知らせてください」という緩さに方針転換することで信徒数だけは維持することに成功した。先のイメージダウンなどもあって一般人のシリカ捜索に対するモチベーションは「何か触れてはいけないもの」という程度に薄れ、教団関係者以外に本格的な研究をする者は数人しかいなかったと言われている。だがその緩く広い監視網への転換により、シリカの滞留期間に若干の延長が見られたというのは皮肉な話である。この監視形態が実はシリカの追跡には最適だったのだが、それでも度々完全に失探することがあった。
レイラの言う「空白期間」はそのことである。
「もっとも、5000年分の歴史を三日やそこらで整理できるわけもありませんわね。」
レイラ的にはシリカの出現に何かきっかけなり法則なりを見いだせないかと思ったのだが、これまで何千年もかけて多くの研究者たちが調べ尽くしたテーマである、ぽっと出の学生にいきなり見つけられるわけがない。ただ、人々の興味は専ら実体としてのシリカに向いていて、こうした出現傾向の研究がされなくなって久しい。あらためてまとめることで何か見える物があるかもしれない。
今回シリカが魔法学園に出現したのはレイラの召喚に応じた、ように見えるが、これも微妙である。
生物教師の指摘通り、あの召喚獣騎馬戦のとき召喚門は消えていた。しかも釣り糸は魔人が出るような深さには届いていなかったはずだ。しかし、レイラの目の前に紛らわしい形で出現したうえ、その後も命令を聞いているところを見ると、普通に考えればそれはレイラに召喚され使役されている状態だ、学園の通達通りに。
シリカに直接訊いてみると
「えぃらにすわぇた」
「私があなたの何を吸ったですって?!」
何か違う意味のことを言いたかったのかもしれないがこんな感じで話にならない。時期や場所の事を訊いてもシリカには年、月などの長い時間の感覚が無く、場所についても特に意識はしていないらしい。そんなことでどうやって生き延びてきたのだろうか。
「人は自分の見たいと思う物しか見えない」という言葉があるが、レイラもシリカの出現に何らかの法則を見つけ出そうとするあまり、それが”ある”前提で記録を見てしまっていたかもしれない。
本人もその自覚はあって、毎日何度か、リセットのために体を動かしている。
「本人から訊き出すのは無理ね・・・もうしばらく放課後は図書館通いかしら。」
こうしてまた別の日。その日もレイラはシリカを伴って図書館へ来ている。当の研究対象本人を伴っているのが実に皮肉だが、
「あっ、また会えましたね、待っていたんです。」
「あなたは、確か考古学の」
「はい!アシモフと申します。」
先日の瓶底メガネの生徒が声をかけてきた。今日はメガネを首から下げている。
この少女、アイーシャ・アシモフは魔法学園で考古学を専攻する学生である。魔法を専攻するならば相応の魔法能力とそれを支える知性が求められるが、それ以外の学科であれば魔法の能力はさほど要求されない。アイーシャも魔法はあまり得意ではなく、考古学者を志して魔法学園の門を叩いた口である。
「実は先日の、エクリヴァーⅢ世の件で。ええ!あの字が間違っている巻物です。実はあれ以外にも怪しい文字が・・・」
「あの、申し訳ありませんが私も調べ物がありまして」
「はっ!これは失礼しましたっ。実はこの巻物、見ての通り保存状態があまり良くなくてこんなところにも折り目が」
「ちょっと、私の話を聞いてまして?」
テンションが上がると周りが見えなくなるタイプか。レイラの制止を聞かず一気にまくしたてた。だが、複写でなく原典を手にしている所からみると、地下倉庫に出入りを許可されるレベルの研究者なのか。
「・・・で、何か所か行が丸ごと削れてしまっている所の解釈を、」
「ですから!ちょっと落ち着いて。私、考古学は専門ではなくてよ?」
「へ?でもそちらの・・・」
シリカはとっくに書架へ行って本を物色し始めていた。
(そういえばシリカと何か話していたわね。)
「シリカ、ちょっとこちらへ。」
レイラはアイーシャにシリカを紹介した。最近学園を騒がせている魔人と聞いて驚いていたが、逆にあれだけの騒ぎになってシリカを知らない生徒がいたことがレイラには驚きだった。この生徒、どれだけ世間に無関心なのか。
「シリカ、この方のお手伝いできまして?」
「うぃす!」
「おお!」
「では私は向こうで調べることがありますので。多分閉館時間までおりますから。」
「助かります!ではシリカ殿、こちらへ。」
アイーシャはシリカを自分の席へ案内した。見れば先日彼女が座っていた時のまま本などが積み上げられており、どうやら自習室の一角を自分用として占拠しているようだ。利用規約に違反しているが、館内の図書委員が咎めないのはどういうことなのだろうか。不思議に思いながらもレイラはその件を一時棚上げにして、自分の調べ物に向かった。
しばらくして
(今日もこれといって収穫なしですわね。)
魔人が出現すると歴史が動くとよく言われるが、確かに大きな戦乱の前後にシリカの出現が記録されていた。だが戦場に忽然と現れ両軍の将兵をなぎ倒して去ったとか、両陣営が協力してシリカ捕獲を試みたなど戦争そのものをぶち壊しにした記録がちょっと面白かった以外、大半は普通にどことどこが戦ってどっちが勝って、その結果地図がどうなった、とかの記録で、出現の予測に役立ちそうな情報は見つからなかった。
「結局余計な知識を仕入れただけでしたわ。そろそろ帰りましょうか。」
アイーシャがしきりに何か頷いていた。
「なるほど・・・誤字の10や20では歴史は変わらないという事ですね、奥が深いです。ああ、レイラ殿。もうそんな時間でしたか。」
「シリカは役に立ちまして?」
「それはもう!大変助かりました。ただ・・・」
「ただ?」
「誤字を修正して解釈し直すと、一つ一つの記述は変わるのに大局的な結果は変わらなくて、結局エクリヴァーⅢ世は毒を盛られたも同然で、晩年は後遺症に苦しんだと。つまりここに書かれているのは毒物そのものではなかったんですけれど事実上長期にわたって効果のある毒で、その原因というのが」
「あの、その話はまた後日に。閉館時間ですわよ。」
「おっと、そうでした。」
アイーシャに何度も礼を言われながら、レイラ達は図書館を後にした。
陽がだいぶ傾いていた。乾いた冷たい風が吹き、落ち葉がカサカサと走る。
「この辺りもだいぶ寒くなってきたわね。」
そろそろ帰省のことも考えないといけない。シリカは・・・連れて行くしかないか。
図書館から寮への道を覚えたシリカはレイラより前を歩くことが増えた。頭髪が長いせいで、尻尾が第二の頭に見える。それを左右に振りながら歩く後姿を見ているとなにやら幻惑されそうだ。
冬期休暇帰省、その前にレイラには、いや、大多数の生徒にとって外せないイベントが待っていた。