第3章「シリカと悪役令嬢」
ピンク色の肉塊から直接手足と巨大な目玉が生えたようなブヨブヨの怪物が奇声を発しながら襲ってきた。レイラは必死で逃げようとするが一向に前に進まない。這うようにしてその場を逃れると、逃げ込んだ先の部屋では生物教師が金髪のユニコーン少女を解剖していた。内臓をひとつ手にすると、レイラの腹を裂いて入れ替えた。次々に内臓を入れ替えられ、鏡を見るとレイラは魔人になっていた。横を見るとステラが笑顔で両手を伸ばしてきて抱き寄せられた。反対側からも誰かに抱き寄せられたが、それは自分だった。三人でベッドに寝ていて、上から怪物が見下ろしてきて目が合った。そのまま顔を押し付けられ、声を出そうとするが口が塞がっていてブハブハと音が出るだけ。
目が覚めると毛布もシーツもグシャグシャに乱れて、一体どんな夢を見たらこうなるのかというくらいの惨状だった。
それはこれまでの人生でみた中でも最悪な夢だった。
夢はしばしば現実とつながっている。今日の魔人はレイラの頭を抱きかかえるようにして眠っていた。。
「・・・ちょっとあなた、またですの?。」
結局全裸で寝ている魔人をどかして、レイラはのろのろと起き上がった。
昨夜の魔人枕事件の真相はまだステラから聞かされていない。他の生徒に知られたら「魔人を枕にした女」という新たな二つ名が作られることだろう。
「・・・」
ぽふ
仰向けになった魔人の、顔の上に枕を載せると即席マゲランのできあがり。
「んぶ~~~。」
魔人が手をばたつかせると、昨夜の姿が思い出される。それをきっかけに昨夜の出来事を次々思い出してきた。
「レイラ様、御気分はいかがですか?」
起きていたレイラが様子を見に来る。メイド服という事は、まだ消灯には早い時間のようだ。ということは、丸一日眠っていたのか?
「ステラ・・・私、マゲランを見たわ。」
「まぐらん?あの”恐怖のマゲラン”ですか?」
ステラとは幼い頃一緒に本を読んだ仲だ。怪獣図鑑だが。
「ステラ・・・これ。」
「?」
レイラが指さす方を見ると、枕を被せられた魔人がもぞもぞと動いていた。
「きゃあー、レイラさまうちゅうかいぶつですわ。」
「いやー、ステラー、たべられちゃうー。」
なにこれ。
恐怖生物マゲラン。恐怖生物バンデレとならんで昔の怪獣図鑑に掲載されていた架空の生物であり、なかなか衝撃的な見た目の宇宙怪物である。レイラは幼少期にこの図鑑を夢中で読んでいた。入浴中、鏡に映った体がマゲランに見えることに気づいてマゲランごっこに興じ、興が乗りすぎてのぼせたことがあったとか。成長するにつれそんな怪獣は実在しないと理解したが、それでも夜の暗がりが少し怖かったりする。ワイバーンなどの魔獣は平気なのになぜ?と思うかもしれないが、あり得ない姿の生物が目的も無しにただ襲ってくるというシチュエーションが怖いのは次元時空を問わないらしく、お化け屋敷の定番でネタでもある。一方ステラはもう少し大人だった。
「まだ夜なのね。」
「はい、レイラ様は生物教室でお倒れになって・・・」
まだ寝ぼけた様子の魔人が這い出てきた。
「先生と私でここまでお運びしました。それから、先生からこちらをお預かりしております。」
「手紙ね、後で読むわ。今は何か軽いものでも食べたいかしら。」
「パンとスープならすぐにご用意できます。」
「たぬ!」
「そうね、いただくわ。」
時計を確認するとレイラが倒れてから1時間弱しか経っていない。短時間だがそれほど深く眠っていたのか。生きたまま解剖されるところだった魔人は通常運転だった。
と言っても、レイラが魔人を召喚してからまだたった2日しか経っていないのに通常も何も・・・
そう、たった2日の間に次から次へと大事件が起きたのだった。
「名前がわかったのに、いつまでも”魔人”じゃ変ですわね。」
胃が空腹を訴える音がした。
「レイラ様?」
「ち、違いますわ、今のはシリカが・・・シリカ?」
シリカは既にそこにおらずテーブルで自分の分のスープを待っていた。
「あなたこういう時だけ・・・ぷ・・・ククク・・・」
今日は最悪な経験をした日だったが、久しぶりに気分よく笑った気がする。
一日を笑って締められることがこんなに楽しくて幸せなことだったと、後年振り返ることになるレイラであった。
生物教師の手紙というのは研究の助手の依頼だった。対象は言うまでも無くシリカである。
(あんなことをしておいてよくこんな依頼ができるものですわ)
シリカは基本的にレイラの言う事しかきかないが、「この人の言う通りにしろ」と命じられるとその人物の命令に際限なく従う危険があることもわかった。やはりシリカにはレイラがそばについて見張っている必要があるだろう、理事会の意図とは少し意味合いが違うようだが。
翌朝から、レイラの朝のルーチンにシリカを起こすことが加わった。
これまでは自分の身支度すらステラに手伝わせていたが、シリカの支度は2人がかりである。なんせ服を着る習慣が無いので一歩ずつ教えながらなのだ、数千年生きている魔人にもかかわらず。
「あなたの苦労が少しわかったわ。」
「恐れ入ります。」
シリカを挟んで3人で姿見に映ると、姉妹というより家族写真に見える。
シリカに着せていた制服は昨日細切れになってしまったので、今日は私服として買ってきた服を着せてある。
ステラの制服を着せないのは、前を閉められないからだ。
少し遅くなったが3人で教室へ向かうと、レイラの取り巻きが集まってくる。人数が増えたようだが、魔人目当ての生徒も居るらしい。興味本位で集まったのだろうが、
「魔人ちゃん、というのは正しくありませんわ。」
シリカをその場に立たせて
「皆さんに自己紹介をなさい。」
レイラの命令にシリカは胸を張って高らかに名乗った。
「ひぅいら!」
そしてその日の放課後。
レイラのベッドにはステラとシリカが並んで座っていた。ステラだけでなくなぜかシリカもメイド服を着せられている。そして、レイラはこともあろうにステラのスカートに頭を突っ込んでいた。
「・・・・っ!」
「ちょっと動かないで。」
「申し訳ありません、レイラ様・・・」
レイラは生物教師から渡された図鑑を見ながら、ステラのそこと照合してスケッチを取る。観察用に挿入しているヘラを少しずらす
「んっ!」
「お゛っっ」
つい閉じてしまった膝に、レイラの頭が挟まれてしまった。
「く・・・っ」
「も、申し訳ありません、レイラ様ッ」
「つっ、平気よ。私こそ無理なことを頼んでしまってごめんなさい。」
「い、いえ、・・・私なら、大丈夫です。続けてください。」
「すぐに終わらせるからもう少し我慢して。」
「は・・・はひぃ・・・っ。」
「ちょっと、変な声出さないで。」
朝の和んだ雰囲気から状況は急転していた。
レイラとステラは幼い頃からの親友同士であり、ステラはレイラの家の支援を受けて学園では同学年に通っている。家の事情でレイラのメイドをしているがレイラはステラに対しては少しくだけた言葉遣いで接し、ステラの方も「お嬢様」でなく名前で呼ぶ関係であった。その二人がなぜ、一体何をしているのか?
時は少し遡る。午後の授業が終わってすぐに、レイラは生物教師を訪ねていた。
昨夜の手紙の件を正式に断ろうというのである。
生物教師の依頼は研究の手伝いというより代行だった。
シリカが自分の手元にあるとやりすぎてしまいそうなのと、レイラであれば他の者以上の接触も可能かもしれないということ、以上の理由からいくつかの実験を依頼したいというのだ。
そういうのは専門家である所員か生物教師が自分でやった方が早くて間違いもなさそうだが、
「体は既にお調べになったのでは?」
「いや、ちょっとやりにくくて後回しにしていた部分があって。」
「調べにくいところですか?」
「まあそうだ。道具と資料を渡すから、ヒトと違うところが無いか比較して詳しく記録して欲しいのだよ。」
「解剖とかでなく、シリカの細部を観察してスケッチをすればいい、と?」
「凝らなくていいができるだけ正確で見やすい線を心がけて。君の画が今後100年図鑑に載るかもしれないのだから。」
断りに行ったはずだが詳しい話を聞いてしまっている。
切り出しから生物教師が自分の非を認め、自分が直接触れないことを宣言したことで話くらいは聞いてみましょうかという雰囲気になってしまったのだ。レイラは会話の主導権を取られると弱いようだ。こういうのをミイラになりやすいタイプというのだろうか。
歴史上初。解剖を試みて失敗したのも史上初で、これはこれで歴史的な事件なのだが、シリカの体について詳細に調査できる機会は今後100年、或いは1000年でもあるかわからない。生物教師がレイラに提示した条件は、この調査結果を発表するときはレイラと連名にすること、そして何より
「やってくれれば4年分の単位を出そう。その価値は十分にある。」
魔法学園は3年制だが、特に成績優秀であったり何らかの功績を上げた生徒に褒章として「4年目」の単位を付与することがある。この単位を付与されると3年間の学費免除(返金)、卒業後王立アカデミーへの推薦などの特典を受けられる。学費の心配はそもそもなかったしアカデミーに興味も無かったが、落第スレスレから脱出できるというのは大きかった。実家でも肩身の狭い思いをしなくて済む。この条件はレイラの意志を大きく揺さぶった。
「それで何を調べるんですの?先生。昨日穴が開くほど観察されたのではなかったのですか?」
「そう、まさしく穴だ。下の穴がどうなっているか詳しく調べて教えてもらいたいのだ。」
「下というと、足の裏・・・穴?」
学術的な意義は理解しているし、実際歴史に残る偉業に違いない。自分がその実作業担当に指名されたのは確かに名誉なことなのだけれど
「よりによって・・・」
(よりによってここですか!陰部と肛門ッ!!!)
水戸黄門だったらどれだけマシだったか。
「手袋など必要な物は一式用意するから心配はいらない。それに陰部と言っても今回は前膣庭までだから大げさな器具とかは必要ないよ。」
「あの、それは具体的にどこのことなのでしょう?」
「知らないのか?授業でやるはずなんだが、まだ?ああ、専攻がちがうのか、仕方ないな。」
生物教師は図鑑をパラパラとめくると、
「このページの、この図と照合しながらヒト、それから魔人の図を、比較できるよう並べてこの用紙に。」
「この図がありますのにわざわざヒトもですか?」
「うん?そうだが・・・まあ、君ならやってみればわかるだろう。」
「はぁ・・・ところでそのヒトの役ははどなたが?」
「え?」
「え??」
「・・・ここは実際には塞がっているかもしれないから、図と違っていても慌てずに。念入りに見ればこういう口みたいになっているのが見つかるだろう・・・」
生物教師は口の端を左右に引っ張ってその形の真似をしてみせた。
「す・・・先生、先生がやるわけには行きませんの?せめて立ち合いとか。」
「もちろんできることならそうしたいが、魔人相手にこんなことをできるのは君しかいないだろう。それに私が居ては横から手を出しかねない。」
確かに、生物教師が外れるというのが条件の一つだからこれはない。
「私だって何でもできるというわけでは、それにシリカはいう事を聞かない時もあります。」
さすがのレイラもここは食い下がった。何か重すぎることを依頼されそうだ、そのぐらいはわかる。
「なあブラッドベリー君、これは君にとってはちょっとばかり恥ずかしくて勇気のいることかもしれない。だが人類と生物学、ことによっては医学にも、100年に一度巡ってきたチャンスなのだ。例えばこの作図に1時間かかったとしよう、その1時間を、全人類が100年待った。そしてその機会を掴めるところに居るのは君だけなのだ。大丈夫、今回は何処かを切ったりする必要は無い。詳しい手順も説明しよう。」
事実、今日もシリカは女子生徒に頭を撫でられたり尻尾を触られたりしても怒った様子はなかった。だが、頭と陰部ではだいぶ事情が異なる。レイラであってもそんなところに触ったり覗いたりして大丈夫だろうか?しかし生物教師の言うようにレイラにできなければ誰にもできないし、今やらなければ次の機会はまた100年後か、一万年後か?そして単位より何より気づいてしまった。レイラ自身がそれを見たいと、知りたいと思っていることに。
「そういうことでしたら・・・シリカが承諾するならですが。」
「それとヒト役のモデルか。君の友達でやってくれそうな人はいないかな。比較対照は絶対に必要だし、君が両方を見なくては意味が無いだろう。」
これも織り込み済みだったのかもしれない。レイラなら、シリカはもちろん比較対照になってくれそうな伝手もあると踏んだ上での依頼。
(いっそ「ご自身とくらべてみては?」くらい言って差し上げれば良かったですわ。)
そう思いながらも、寮へ帰ったレイラはさっそくステラに話を切り出した。言いにくい話だが、こういうことは早く済ませるのが一番いい結果を得られるものだ。
「こういう事情なの。力を貸してくれるかしら?」
「・・・はい、レイラ様。私でお役に立てれば。」
(雇い主の立場を利用してこんな無理な命令を・・・いえ、理由と意義については説明したし本当に必要なことなの。ごめんなさいステラ!)
そんなこんなで冒頭の状況に至ったのである。比較対照の観点からステラとシリカに同じ服装をさせている。シリカ用の制服は無いのでステラの予備のメイド服を着せたが案の定、前が閉められなかった。
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか、一晩中ステラの中を探っていた気がするが外はまだ夕方、実際は途中の休憩を入れて多分1時間くらいだろう。スカートの中に頭を入れている都合上、外がどの程度の明るさなのかわからない。それどころか中は真っ暗なのだが、生物教師に渡されたガラス製のヘラや棒には発光魔法が付与されており、レイラが魔力を流すと先端部が発光して体内を観察することができた。しかもこの発光魔法は術者が光の照射角度を変えることができ、観察を妨げなかった。誰が考えたのか大した発明である。
「ふう・・・このくらい描きこんであればいいでしょう、ご苦労様、楽にしていいわ。」
「はい・・レイラ様。」
ステラはベッドに仰向けに倒れ込んでしまった。シリカと交代するために場所を変えて欲しかったのだが、この様子では動けなさそうだ。
一方のレイラも無理な姿勢で目の前のステラを見、床の上の画用紙にスケッチを交互にしていると肩や腰がかなりつらい。それに目も疲れた。
(なるほど、こういうことですのね。)
「やってみればわかるだろう。」
生物教師の言ったとおり、図鑑と実物を比べると、実物からは実際の見た目と感触、図鑑からはその部位の名前と機能を吸収できる感じで、スケッチをすることでその知識が統合されよりしっかりと頭に刻まれた実感がある。次に診るシリカに同様の器官があれば名前や機能を当てられるだろう。
生物教師に教わった通り、使用済みのガラス棒やヘラをそれぞれ付着物ごとケースに収める。付着物も重要な検体になるのだそうだ。休憩を挟んだのでこれは2セット目だ。
(そういえば口の検査では何か付着物は無かったのかしら?明日訊いてみましょう。)
床に置いたバットにはまだ数セットの器具が残っている。ステラに使った方のケースにラベルを貼り付けて鞄にしまうと、並べてあった筆記具などをそのまま横へ移動させて、自分はシリカの正面で屈んだ。
いよいよ、魔人のそこを確認するときが来た。歴史上初、そう思うと胸が高鳴り指が震える。こんな重要な実験を一介の、成績も最下位近くの学生が?生物教師こそ本心では自分でやりたいのではないか?せめて立ち会ってもらえれば助言を受けることもできたのだが、レイラはこれを一人でやらなくてはならない。
だが今、レイラは心の底からそれを見たいと思っていた。その感情にレイラは自分が生物教師と同類、同じ考え方をしていることを自覚せずにはいられない。
5000年、1万年、人類が未だかつて目にしたことのない世界。それは意外につまらないものかもしれないし、期待通りの驚異の世界が広がっているかもしれない。あるいは当たり前の人体の構造なのかもしれない。だが、たとえどんな物であったとしても「1万年もの間、誰も見ることができなかった物」であり、それを最初に目撃すること、謎の正体に初めて辿り着いた者になることに恍惚とせずにいられるだろうか。震えは止まった。準備はできた。
この前向きな姿勢はレイラの若さ故なのだろうが、生物教師がそこに期待したというのはありそうなことだ。魔人シリカの研究にこれまで人類が捧げてきた時間を考えれば、今、自分の前にシリカが居ても新たに得られる知見には限界があるだろう。だがレイラはまだ若い。魔人というこの世界において異常な存在、その内部を観測することはそれ自体が精神に影響を及ぼしたり、命を落とす可能性すら無いとは言い切れないが、その前置きを聞いた上でなおレイラがそれを実行するのなら、彼女はこの研究を託せる人物になるだろう。
「シリカ。脚を開きなさい。」
大丈夫、ステラで一度練習済みだ。ヘラを持ち、傷をつけないように、差し込み過ぎないように。
レイラは今、歴史の最先端に立っている!