表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/22

第22章「レイラ大解剖!」

 レイラを種族の仇と狙っていたエルフの少女は、警備部に仲間を潜入させるなど背景に大掛かりな組織の存在を感じさせたが、そもそもレイラが滅ぼした種族と言うのは?


「本当に心当たりはないのかい?相手はかなり本気で殺しにきていたようだが。」

「本当に何もありませんわ。」


 最近は随分丸くなったが、魔法学園入学以前のレイラを知る者は彼女の我儘振りもセットで記憶している。どこかの少数部族が彼女の不興を買って村ごと焼き払われたなどと言う話があっても驚くには当たらないだろうが、それを実行するには自前の兵隊が必要だろうし、レイラの母はそう言った行いを決して許さなかっただろう。


 結論:不可能


 それはわかりきったことだったのだが、何せレイラである。常識的に不可能な事でも成し遂げてしまいそうな迫力があった。アランとしても手続き上レイラの口からはっきりとそれを言わせる必要があったという程度の事なので、それ以上深く追求する気はなくレイラたちは寮へ帰ることとなった。


「エルフ・・・ということは、私が滅ぼしたというのはエルフのことなのでしょうけれど・・・」

 今もレイラたちの後方をエルフの女子生徒が横切って行った。


 人数は多くないものの、魔法学園にはどこの教室にも1人や2人はエルフが在籍していて、その数は増加傾向にある。


 魔法学園の入学資格には年齢の項目が無い。これは種族による寿命の違いを反映させようとしたものだ。具体的な制限は無い物の、現実的にはヒト種族なら12~15歳、エルフなら100~200歳程度で入学して、魔法に関する基礎的な知識と実践を学ぶことが多い。

 人類のなかでは突出して長寿命で、一生の間で出産可能な期間も比例して長い一方、妊娠することが極めて稀なためエルフ全体の人口は横這いか減少傾向と言われているが、実は居住地域が分散しているせいで人口調査が行き届いていない。魔法に対する適性が高く、人類の中では最も古くから魔法を使ってきた種族と言われている。一方で科学や物質文明を否定的に考える傾向があり、他種族と関わることを避けて巨大な森などに隠れ住んでいるため現在でも未知の居住地が発見される可能性がある。


 少なくとも、滅びてはいない。


「それに、過去がどうの、と言っていましたが。どういう意味なのでしょうか。」


 やはり過去のレイラが何か・・・むしろ今のレイラにこそ関わりの有りそうな話だった。エドモンズ帝国の時代に絶滅した海エルフの一族。レイラはかつて事故でその時代へ飛ばされてしまい、入れ替わりに現代に出現した正体不明の魔導士と2人のシリカのような人の協力で海エルフのわずかな生き残りを現代へと避難させた。クリスタはその海エルフの1人であり、色々あって避難先の大森林から魔法学園へと戻ってきて、今はレイラの預かりとなっている。


 海エルフとは、海のそばに暮らし魚介を主食とするエルフの一族である。だからといって野菜や肉も普通に食べる。魚介を主食とするのは単純にそれらが豊富な環境に定住したというだけで、本来エルフには森も海も関係ない、同じエルフである。


 主食以外の特徴として、海エルフはシイラ貝という特殊な巻貝と共生関係にある。単に生活を共にするだけでなく、身体に直接に取り付くことで海エルフの一族に高速治癒や外部記憶などの恩恵をもたらしている。取り付く部位に制限は無いがエルフとしての生活の邪魔にならないところとして頭部に付いている事が多く、そのため海エルフの外観は遠目には魔人シリカと誤認されやすい。ただし、尻尾はなく足に蹄もない。耳は尖っているがシリカと違って毛皮はない。エドモンズ帝国によってシリカ族と呼ばれ迫害されていたが、その名前の由来は共生生物の名前であり魔人シリカとは無関係である。


 一方、レイラを襲ったエルフの少女はいわゆる”普通”のエルフだった。

「他に思い当たる事はないけれど、どういうことなのかしら。」

「思い当たる事がおありなのですか?」


 そういえばレイラと同居する4人のうち、ステラだけがあの夜の真相を知らないままだった。あまりに突飛すぎる内容なのと、肝となる魔法装置を見せることができないのでそれが真実だと証明できないことが気になって話していなかったのだ。だが、ドブロクに行列用の衣装を着せたのはステラなので比較的事件の核心に近い所に居たわけだし、いつまでも知らないままにしておくのはかわいそうかもしれない。

「うーん・・・説明するのが難しいけれど、実は去年の・・・」


 レイラは自身に起こったことを、時々ベータやクリスタの力を借りて話したのだった。



「なんとなく、また厄介事に巻き付いて行かれたのですね、とは思っていましたが。」

「やっぱりおかしかった?」

「顔の横に獣耳がある種族なんてそうは居ませんから。」


 シリカの耳はいわゆる獣耳で、先端がとがった三角形の耳朶をしているが、その耳がヒトのように顔の横に付いているのが大きな特徴である。獣人が獣から獣人になる過程で様々な器官のヒト化が見られるが、尻尾は消えずに残っているし耳は頭蓋のかなり上の方にある。この法則を適用するとシリカの耳が顔の横にあるのは元々耳がそこにある種族だったという事になるのだが、そのような種族はヒト化するとヒトそのものになってしまうか、いずれかの亜人になるだろう。


 百鬼夜行の晩に突然レイラが連れてきた「近所の子」の耳は明らかに作り物ではなく、それは顔の横に付いていた。


「そうすると、あの時お連れになった子はいったい?」

「実を言うと私もちゃんと聞いていないのよ。見た目はシリカなのに、シリカより普通・・・言葉を普通に話すし・・・ミリン、ていう男の人と親しくしていて、3人は家族みたいな感じだったけれど・・・」

「ということは、シリカはその人たちの世界から来たということでしょうか。」

「可能性は高いと思うわ。その上2人も連れていたのだから、ここより普通に見かける世界なのでしょうね。」

「魔人が当たり前に存在する世界って、想像するだけで恐ろしいですね。」


 大事な事だったのだが、レイラはついそれを訊きそびれてしまっていた。連れのユニコーンは何処の世界から来た者なのかと一言訊いていれば、今頃シリカを元の世界へ帰す算段がついていたかもしれない。そもそもレイラがシリカと暮らすことになったのも、送り返すべき世界がわからず、本来それらの情報を自動的に保存するはずの宝珠はシリカが出現した時に砕けてしまったからだ。返すべき世界が明らかになれば、再度召喚することも可能だろう。だが、肝心のミリンは何処へ行ったのかわからない。シリカ族の集団移住の後しばらくの間は城下町に滞在していて、その時に使っていた家も残っている。家を処分せずに居なくなったという事はまた戻ってくる気があるという事なのだろうが、それがいつになるかは全くわからない。ミリン一行は異世界を渡り歩く探検家であるだけでなく、各地に点在する時空転移装置を使って過去や未来へも移動する時間渡航者である。装置自体は超古代文明の遺跡だが、ミリンはその解析も行っていて、いずれは自身の魔法のみで移動できるようにするつもりなのだろう。


「元の世界・・・。」

「レイラ様?」

「そうね、彼等の家には何度も行きましたし、こうして鍵も預かっています。どこから来たのか訊く機会はいくらでもあったでしょう。」


 ステラの机には様々な鍵を管理するための鍵箱が付いている。寮のドアだけで2カ所、更に物置の鍵、レイラの宝石箱の鍵までステラが預かっているのだが、ミリンの家の鍵だけはレイラが保管していた。


「でも実際にはミリンたちはずっと留守にしていて、この鍵も手紙と一緒にポストに入れられていただけで直接渡されたわけではないのよ。」

「でも、家の鍵を預けるだなんてどういうつもりなのでしょう。」

「何も無いと思うわよ、家の中には最低限の家具以外に貴重品も無いし、処分するのが面倒で他人に押し付けただけじゃないかしら。」


 貴重品は無い、と言ったが、実際には貴重かどうか判断に困るよくわからない遺物なら大量に残されていた。ミリンたちは方々を探検しながらそのような遺物を持ち帰っていたが、ある程度分類と整理をした後は無造作に箱に詰め込んで地下室に押し込んでいた。レイラはミリンたちとはほんの数日の付き合いでしかないのでそんな事情など知る由もないのだが、一応恩人の頼みなので月に一度程度のペースで家の様子を見に行っている。


 ミリンの家に残されていた物にはどうという事も無い日用品も含まれていた。タオルや歯ブラシ、コップなど一目でそれとわかる物ばかりだが、城下町の商店では見たことの無い品だったのでもしかするとミリンが元々住んでいた世界の品かもしれない。異世界産の日用品!といえば好事家が欲しがるかと思いきや、実はそれほど珍しい物ではない。


 交換現象で住居や集落ごと運ばれてきた民が居るからである。


 この世界には交換現象で運ばれてき生物や地形が数多く存在する。交換現象とはざっくり言えばこちらの世界と並行するように存在する異世界の、両者の空間を球形の波のように切り抜いて入れ替える現象である。つい先日もその影響で生徒が消えたりしたばかりだが、発生には周期も法則も無く、範囲も一定ではない。一度交換された土地に重なるように別の世界が運ばれてくることも有る。


 事象の性質は広範囲の魔法のようであり、研究者たちは一応それが魔法であるという線で解析を試みているが、異世界転移魔法、いわゆる召喚魔法を生み出した以外にこれといった成果を上げることなく数百年が経っている。現象そのものは本当に土地や空間を入れ替えるだけなので生物が巻き込まれたとしても特に危険はないのだが、そうして入れ替わった生物は通常、元の世界に戻る術はない。レイラたちが交換現象に巻き込まれた生徒を救出できたのは、交換先に高度な文明があった上にそこで会った人々に交換現象についての知見があったという有り得ない程の幸運のおかげである。


 レイラはその異世界には行かなかったが、事件が収まった後でベータから詳しい話を聞いていた。


「交換現象じゃないけれど、彼らは魔法を使わずに土地というか、空間?こう、まるっと世界の一部を切り取って移動先の同じ大きさの空間と入れ替えるっていうことをやっているのよ。そうやってヒトや物を瞬間移動させるんだけれど、私たちから見ればなんで魔法でやらないの?っていう話よね。」

「その説明だと、ほぼ交換現象の再現じゃないの。」

「でもシリカは本物?の現象でないと移動できなかったし、きっと何か大事なところで違いがあるのよ。」


 結局、その世界は生物教師の出身地であり、他にも多くの人々がこの世界で暮している上に、シリカにそっくりな人造人間「プロコ」を製作して様々な世界へ送り込んでいたという驚愕の事実が明かされた。ただし、プロコの外観は彼らなりに理屈をつけて構築したものであって敢えてシリカに似せたわけではなかった。


 だが、重要なのはそこではなく、交換現象以外の方法で異世界へ人員を送る技術を持った人々が様々な時代の様々な世界を訪れているという事実だ。そしてレイラたちの世界にも多数が入り込み、何食わぬ顔で生活している。とはいえ、その目的は調査と捜索で破壊的な意図はない。レイラは生物教師の言葉を信じ、世界を揺るがす秘密は今はまだ公表しないことにした。


 そうやって特に事件も無いまま数日が過ぎて


「・・・そろそろじゃないかしら?」

「え?あ・・・はい。そうですね・・・では」


「正直、私も気乗りはしないのだけれど。」

「気分が乗るかどうかだけで断れたらよかったのにね。」

「代わってもらえないかしら?あなたが行っても向こうは気づかないでしょう。」

「あら、私が行って死んだりしたら余計大変なことになるわよ?」


 死ぬ、とか物騒な事を言っているが、レイラはこのあと健康診断を受けることになっていた。



 健康診断で死ぬ?



「はぁ・・・こんなことになるなら見せるんじゃなかったわ。」

「今も居るの?」

「居るわよ、はっきり感じるわ。」


 ベータはレイラの額に触ってみた。

「角は無いのよね。身体に見た目の変化は無し。あの子がいくら小さいからってこの身体の中に完全に入るわけが無いし、正直その感覚は私にはわからないわ。」

「ここも特に変わった感じはしませんね。」

 クリスタはレイラの胸を

「何度触っても変わりません!」

 ステラがクリスタをレイラから引き剝がした。


 レイラは改めて自分の胸に手を当ててみた。普通の、いつもの「自分の胸」だ。

 あの日、レイラは至近距離から放たれた鉄矢を胸に受け、服を貫通されたものの乳房で撥ね返すという冗談のような事態に遭遇した。服の下のレイラの肌には傷一つ無かったが、普通のヒトであるレイラの皮膚にはそのような防弾性能は無い。だが、それによって閃き得たレイラは召喚陣を起動、自分と重なるようにして存在していたシリカをその場に呼び出すことに成功した。


 シリカはすぐレイラの中に戻ってしまったが、それ以来レイラはシリカの存在をはっきり感じ取れるようになった。見た目はレイラのままでその身体に魔人シリカを宿しているのだ。ただ、その仕組みはもちろん、重なるというのがどんな状態なのか、過去に例が無く説明できない。


 今や、レイラは最も魔人に近い女となっていた。三剣教が権力を持っている時代だったらたちまち攫われて巫女か顕現者として祀り上げられただろう。


 レイラたちの生きる時代にも三剣教(いわゆるシリカ教)はあるにはあるが、最盛期に比べればその勢力は衰えに衰えて、さほど強力な信仰では無くなっていた。信仰対象が実在するにも拘らず、研究機関としての成果があまりにも少なかったことと一部幹部の悪行のせいである。一方で、魔法学園内では本物のシリカが出現したこともあってファッションとして三剣教のシンボルを身に着けることが流行したため、財政面で多少潤ったということも事実としてある。それはさておき


 準魔人とでも呼ぶような存在となったレイラは生物教師から見れば恰好の研究対象だった。さっそく生体解剖を申し入れてきたが、ネイズのシリカ族のことを途中で放り出して来ていたため理事会命令で本来の調査旅行に戻らされてしまった。


 だが、解剖は無いにしても魔人以上に貴重な存在が手の内にあるという事実は魔法学園内の研究者を刺激して止まず、情報を学園内で共有するという名目でレイラの特別健康診断を行うことになった。


 レイラ自身にも自分の現状を知りたいという気持ちがあった。シリカと自分は今どんな関係にあるのか、一体になっている感覚はあるがそれによって自分の身体にどんな変化が起きたのか、自身はもちろん、他者に危険を及ぼしたりはしないか。


 だが、決定的だったのはレイラに異常行動が見られたからだった。


 今のところ特に実害はなく回数も一度しかないのだが、レイラが自室の台所で果物を食べていた。レイラは自室では居間以外の場所では飲食をしない、更にステラが用意した物以外は食べないので、自身が台所へ入ったり、まして食材をつまみ食いなど貴族としてあるまじき振る舞いであり、たった一度であってもレイラがそれを行うのは異常であり、本人に全く自覚が無かったというのも異常さに拍車をかけた。


 レイラの異常な姿はステラによって発見されたが、無意識にそのような恥ずべき行動をとったという事実はレイラにとっても相当に衝撃的な事件であった。なんとなく原因のような物は思い当たったのだが、素人より専門家の考えを聞こうという事になり、丁度打診の合った健康診断の話を受けたのであった。


 学園としては魔人と融合したヒト、準魔人という仮称だけが既に決まっていたが、その身体にどのような変化が現れるのか、些細な兆候も漏らさず記録しておきたいという意図があった。公爵令嬢をモルモットのように扱うのは不敬極まりないのだが、歴史上唯一の実例とあってはそれも致し方ない。両者の利害が一致し、レイラに最大限の配慮をした上で彼女の身体の隅々まで調べることになった。


 最大限の配慮をするとは言っていたが、事前に知らされた検査内容は以前レイラがシリカの身体を調べた時より更に踏み込んだ内容で、デリカシーの欠片もないような検査項目がある一方、当日は男性職員を排除する上に選抜した女性騎士に建物の内外を巡回させるという過剰な警備体制が敷かれることになっていた。そこまでさせたという事に加えて、自分自身に白黒つけるためにレイラはステラを伴って医務室へ向かった。



 今日は通常の健康診断通りの検査項目に加えて、準魔人(仮)という新カテゴリの存在の定義を確定させるための試験のようなことをする予定だ。


 厳重に警備された医務室に入ると中の様子は普段通りだったが、その場の空気は異様に張り詰めていた。


 魔法学園の医務室は便宜的に”医務室”と呼ばれているが、学部の建物を丸々一棟使った”大学病院”とでも呼ぶべき施設である。その中には主に魔法に起因する傷病の研究部門と通常の診療、急患の対応から入院可能なベッドまで備えていてちょっとした総合病院である。今はレイラの検査をするということで警備部がその周囲を警備しているほか、建物の中にも女性部員が各所を警戒している。外部の警備を主任するのはアランだが自身は隣接する建物内に居て、現場の取り仕切りは小柄な仮面騎士が担当している。


 レイラとステラは共にガウンに着替えると、検査室に入った。

「それでは、よろしくお願いします。」

「先生、それはこちらが言う事では?」


 レイラの検査に当たって、医務室スタッフの素性が今一度改められた。いずれも勤続2年以上、レイラが入学する以前から勤めている者ばかりで、出自にも問題ない事が確認されている。どこかの諜報員などが潜入していることを警戒したのだが、王国としては今回の検査結果を公表する方針でいて、そのように公示している。どちらかというと、検査に紛れてレイラに危害を加えられることを警戒しての体勢だった。事実、エルフの襲撃事件以降、学園内では行方不明事件が連続して起きている。行方不明者は生徒であったり職員であったりで法則性は無いかと思われたが、身元を照会するとその身分が全員偽造であることが判明した。警備部と理事会はレイラ又はシリカを狙って侵入した工作員が大挙して脱出したのではないかと見ている。



 身長、体重、座高、胸囲・・・

 外部に器具を当てるだけで済む検査が終わり、今、レイラの腕に針が向けられている。検査は最初の山場を迎えた。


 だが、期待というか予想というか、それらに反して採血も無事に終わった。

「なんというか、普通ですね。」

「自分でも意外でしたが、ちょっと安心しました。」


 準魔人。魔人シリカと癒合し、至近距離から放たれた矢を文字通り撥ね返したその皮膚に採血用の細い針は通らない可能性が指摘されたが、事実はあっさりと貫通した。


 通常の検査より多めに採取された血液は数本の試料瓶に分けて詰められ、直ちに分析にかけられる。


 健康状態はともかく、魔人由来の成分が発見されようものなら大事件である。その意味ではすべての分析を建物内で完結できるこの医務室は最適な施設だった。


 内視鏡など人間ドックのような項目をこなし、検査は午後にまで及んだ。


 多目に血を抜かれた上に無理な姿勢を色々取らされて、レイラにも少し疲れが見えてきた。

 だが残すところ、検査項目はあとわずかである。



 レイラとステラは再び診察室に通される。見たことのある器具が用意されていたが

「それでは、私たちは退出いたします。検査項目と手順、器具の使い方はこちらにまとめてありますので。」

「承知いたしました。あとはお任せください。」


 医師たちが退出すると、室内にはレイラとステラだけが残った。

「それじゃあ、始めましょうか。」

「はい、お召し物を脱いでそちらにお掛けください。」


 レイラはガウンを脱いでスツールに腰を掛けた。

「散々見ておいて今更何を、と思うのだけれど。」

「普通の健康診断の範囲を逸脱しますので、畏れ多い、と、先生が。」


「でも、おかしな巡り合わせね。あの時は私が、今度はあなたが私を視ることになるなんて。」

「あの時は裸ではありませんでしたが。」

「シリカもメイド服だったわね。あれは・・・今思い出しても可笑しな恰好だったわ。」


 ステラは予め決められていた検査項目に従ってレイラの身体を調べ始めた。


 額に手を当てて撫でまわしてみる。

 角は無い。角が変化した突起や瘤のような物も無く、普通にヒトの頭である。


 顎の下に触れてみる。

 あまり知られていないが、シリカのここには産毛が襟巻のように生えている。

 目の前のレイラにはそれが無い。


 耳朶に触れてみる。

 ヒトの耳だ。大きくも尖ってもいない。形も変わっていない。後ろ側に毛皮も無い。


 瞳を覗いてみる。

 深い青色の虹彩。ここの色はシリカと同じだが、色はあまり重要ではない。瞳孔の形がレイラのは丸く、シリカのはかなり四角い。今のレイラは丸である。こうした2人の差異が重要なのだが、今のところ外観にシリカの特徴は現れていない。


 髪型は今朝ステラがセットしたままだ。見事なブロンド。シリカのラピスラズリのような青い髪とは全く違う。


 肩から前腕、首筋から胸、腰から足の先、ほくろの数とその場所まで、身体のどこを取ってもステラの記憶しているレイラから変わっていなかった。


「外はこんなものかしら。」

「はい。依頼された検査項目はこれで全部です。」

「それじゃあ、次は・・・」

「はい。では・・・下着を脱いで膝を開いてください。」


 ステラは膣内鏡を手にしてレイラの膝の間に入り込む。

「何か変わったという気はないのだけれど。」

「万が一、という事もございます。というより、皆さん、安心したいのでしょう。」

「それは私もだけれど、見た目でわからない所が変化しているのなら意味が無いわね。」


 レイラの膣内は、さすがに初見だったが以前レイラから聞いた無限の空間のような事にはなっていなかった。飽くまでヒトのそれである。多分。



 ここまでレイラはヒトだった。魔人シリカの影響は見られない。


 だが、検査はまだ終わっていない。



 魔人の本質は外見ではない。愛嬌のある見た目に騙されてはならない。疑うだけでは触れ合うことはできない。



 次にレイラたちが通された部屋は、普段は待合室に使われている部屋で診察室より広さがあった。次の検査は広さが必要なのだ。


 レイラは一方の壁を背にして立たされた。その向かいには医師たちが集まっていて、レイラの正面には台の上に固定されたクロスボウが異様な存在感を放っていた。


 クロスボウは医師たちが全員その後ろに居るくらいに、当たればただでは済まない代物だ。ばねを調節して威力を落としてあるが、本来なら先日レイラを襲ったエルフの暗器とは比べ物にならない程の威力がある。そんなものが今、至近距離でレイラの左胸を狙っている。更に、それを前にしてレイラはガウンを脱ぎ肌を晒さねばならなかった。


 要するに、レイラの胸が鉄矢を跳ね返した状況を再現しようというのである。


 左右には記録宝珠が十数基も設置されていて、全てがこれから起こる事の一部始終を記録するべくレイラの胸に向けられていた。


 勿論、検査項目は予め知らされていてレイラも覚悟をしていたのだが、この光景はあまり気持ちの良い物ではない。正直さっさと終わらせてほしかったのだが

「どうかなさいましたか?」


 焦れたようにレイラは問いかけた。そう、準備はとっくに終わっていて万一に備えて治癒術師も待機している。その治癒術師が妙に落ち着かない様子に見えるのだが、それは

「レイラ・ブラッドベリー、この検査は一旦見送りにしようかと思うのですが・・・」

「はい?」


 記録宝珠は今で言うハイスピードカメラ仕様であり、用途が特殊なため割と高価な代物だ。ここに並んでいる数を揃えるのに部署の年間予算の何割をかけたのだろうか。使わなかったらどこかにしまっておけばいいのだが、普通に実験していたらこの数を使い切るのに何年かかるか。今使わなければ経費を無駄に使ったとして来年度の予算を大きく削られるのはまちがいない。だが、理由はそこではないようだ。


「今朝の検査で採血をしましたが、」

「ええ、受けましたわ。」


「採血の針が通るのに、この矢が通らないというのは・・・」

「・・・ああ、」


 そう、このまま検査というか実験を実施した場合、レイラの生命を危険に晒すのではないかと心配しているのだ。

 レイラは普通の生徒ではない。魔人シリカが学園に留まる理由であり、社会的には公爵令嬢である。万一の事があれば魔人が暴れ出し、貴族令嬢に危害を加えたことで重罪に問われる。

 放たれた矢がレイラの心臓を貫けばほぼ即死ものだが、この距離で治癒術師が待機していれば助かる可能性は低くない。いわばこの場にいるレイラ以外の全員の運命が治癒術師一人の肩にかかっているわけで、治癒術師が落ち着かない様子なのはその重圧のせいだ。


「心中は御察し致しますが、先生は公務でやっていらっしゃることですし、何かあっても責任を問われるようなことにはならないと思います。」

「決まりの上ではそうですが、さすがに目の前で人が死ぬかもしれないようなことを、この場でやるというのは・・・」


 確かに、学園内で発生した傷病人を治療する場所でこれはどうかと、生物研究室ならやりそうだが。


「ですが、恐らく何も問題はありませんよ。」


 レイラは自分の命がかかっているというのに全く意に介さない様子だった。大勢に穴が開くほど観察されながら裸で立たされているという状況に多少なりとも苛ついてはいたが、理不尽な扱いを受けていることより準備万端整った状態で膠着していることの方が許せなかった。科学の名のもとに乙女を裸にしあんな姿勢やこんな姿勢をとらせて大勢でじろじろと眺めておいて、今更私の命が心配?


 だが、医師たちの心配ももっともなのだ。いっそ採血が失敗していればこんなところでもたつくことも無かっただろう。生物教師と違って、ここの医師たちは必要以上に患者に傷を付けることを良しとしない、科学より人命が優先なのだ。


 何の心配もないとレイラは主張するのだが、今日の検査の最中、一度も姿を見せていないシリカが自分の中に居るという事を証明できない。今も確実に中に居るのだが、その感覚を他人に説明できない。感じる物は感じるのだ。だからシリカの加護は今も有効で、今すぐ矢を発射されてそれがどこに当たろうともレイラにはかすり傷一つ付けられないだろう。ならばなぜ針は通ったのか、これもまた説明できないが、多分レイラが許可したから通したというようなところだろう。ただ、そんな都合の良い話はレイラの勝手な解釈でしかないので説得力は皆無に近い。ダメ元で話してみたところで


「俄かには信じがたいですね。」

「そうですね。実際にお見せできればよかったのですが。」


 見せるといえば、召喚魔法でシリカを外に出すことは可能だった。だが

「一時的でも魔人シリカを外に出すことが検査結果に影響しないとも限りません。こういうケースは非常に稀なので、あまり大きな状態変化を伴う行為は避けるべきでしょう。」

「元通りに中に入っていなさい、と命じればそのように戻る・・・かもしれませんが。」


 シリカの行動に関する解釈はほとんどレイラの主観である。実際それで大体辻褄が合うのでそのまま公的解釈にされてしまうのが殆どであり、今回のケースもそれに倣うことになるだろう。だが、注射針と鉄矢で反応が違うという現象は今日この場で初めて観測された事象なため、レイラの話を信じるかは現場裁量となる。それゆえの膠着なのだが

「なるほど、そうかもしれません・・・ですが、やはりこの検査は中止すべきと私は考えます。ヒトの命を天秤にかけるような行為は、少なくともここでするべきではありません。」


 主任医師の意志は固いようだった。確かに、この検査内容を突き詰めていくと最終的にはシリカがやったように裸で溶岩に投げ込まれかねない。

(それで体に熱が溜まって、温度が下がるまで地中で待機?シリカの潜行能力って私にも使えるの?先にそっちを調べるべきではなくて?)


 だが、その場はレイラが折れる形で収まった。命のリスクを背負った方が積極的という珍妙なやり取りであった。


 次の検査は、場所は変わらず記録宝珠もそのままだ。

 そして、レイラに歩み寄ってきたステラがガウンを脱いで裸になった。


 レイラのやや筋肉寄りな身体に対して、ステラの身体は不健康な感じではないが全体的に細身で儚げな印象を受ける。特に胸・・・


 メスを手にした医師が近づいてきた。


「どうぞ、覚悟はできております。」


 改めて言われると却ってやりにくいものがあるが、医師はステラの左手を持ち上げて

「・・・っ!」


 一筋切り付けた。


 自ら志願したことなのでステラは悲鳴を噛み殺した。


 深すぎず浅すぎず、適度な深さの傷が出来て血が滴る。


 宝珠が一連の流れを記録している。


「レイラ様・・・」


 ステラが出血の続く腕をレイラの前に差し出した。レイラが吸血鬼ならさあ吸って、とでも言わんばかりに。


 そう、皮膚の防御力と同様に、魔人と一体化したことで他の能力が使えるようになっていないか実験するのである。最初はもっとも衝撃的で無難な、生物教師命名のティーラブ能力。


 パンティしか身に着けていない少女2人が並んで立っているのを医師団が凝視しているという、世が世ならコンプラに抵触しそうな光景。


 最初は助手の女子生徒の腕を切ってその傷が治るかどうかという話だったのだが、内容を聞いたステラが自分がやると言い出して譲らず、ここにレイラと同じ恰好で立つことになった。助手の方が専門家なのは確かだが、魔人絡みとなるとさすがに少し怖いらしく、ステラに押し負ける形で交代を承諾してしまったのだ。

「じゃあ・・・やるわよ。」

「どうぞ、レイラ様。」


 シリカの能力は魔法ではない。理不尽なほど無理を押し通す無茶な、固有の能力だ。

 見た目がどんなに無茶でも、そういうものなのだから仕方がない。再現するというなら、同じようにやってみるしかないのだ。


 レイラはステラの傷口に唇を近づけ、いささか下品だが舌を限界まで出してその血に触れさせた。


「んっ・・・」


 レイラを意識しすぎてステラが呻いた。

「・・・ちょっと!」

「む、申し訳ありませんレイラさm・・・ひぃぃ」


 そうなる理屈も仕組みもわからないので、レイラはシリカだったらそうするだろうと想像しながらステラの腕の傷を舐めるしかない。一方のステラは何を考えているのか。


 口の中に鉄の味が広がって気持ちが悪い。参考までに訊いた話では、ヒトの血は胃に悪いらしい。血管の中を流れていてこそ有用なのであって、飲んだり吐いたりするものではないのだ。そんなことを考えていたが、やはり気持ち悪さが先に立った。


「ウッ・・・」

 堪らずレイラはステラの腕から唇を離した。


 助手からコップを受け取って口を漱ぐ。口の周り付いた血を拭う。


「・・・変化はないようです。」

 ステラの傷口を診察して淡々と告げる医師に向かってレイラは答えた。

「シリカの能力が何でも使えるようになるなんて都合のいい話、そうそうあるわけがないでしょう!」


(もう!少し飲んじゃったじゃないの。)

 証明は出来ないが、中に居るシリカが憤慨している気がする。ヒトの血を口に入れられたのがやはり気持ち悪かったらしい。こればかりは相手が誰であっても関係ない。


 ここでティーラブが発動しても何ら不思議ではなかった。矢を跳ね返したのはシリカと一体になっていたことによる恩恵というより、シリカが自分の意志でそうしたのだ、とレイラは考える。なぜステラの傷を治さないのかといえば、まずレイラが気持ち悪いと感じてしまった事で拒絶の感情が生じたのと、実験を利用してレイラと触れ合おうとしたステラに対するやっかみ。中に居る自分は誰よりもレイラに近いのに、肌に触れることができないのだ。


(大方こんな所でしょう。)


 今後溶岩に投身したり地中に埋まったりは今回の結果次第でやらされる可能性はあったが、まず実施されないだろう。元々シリカが気分次第で使っていたような能力である、真面目に分析するなら相当な時間をかける必要があるだろう。


「レイラ・ブラッドベリ-、ステラ・ニューマン、おつかれさまでした。今日の検査はこれで終了です。」


「お疲れ様でした、レイラ様。」

「ステラもお疲れ様ね。さあ、いつまでもこんな恰好でいないで・・・」


 助手からガウンを手渡されようとしたとき


 ”ヴゥワンッ!”


 設置されたままだったクロスボウから矢が放たれた。


 矢の飛んだ先は

「え?」


 ”ボスッ”

 と鈍い音がした。


 胸では跳ね返った矢は、背中では跳ね返らずそこに留まっていた。


「レイラ・ブラッドベリー!」

「え・・・ええ?」

「レイラ様・・・」


 撤収しようとしていた治癒術師が大急ぎで駆け付けた。

「は・・・ああっ!」

「え?何・・・どうなっているの??」

「こ、これは・・・いったい・・・」


 レイラが裸であったことでその異様な光景はますます異様さを増していた。


「何?なんなのーっ?!」

 自分の背中に何かが起こっていることは分かるのだが見ることはできない。レイラは背中に手を回すが届かない。

「ち、ちょっと待って。記録、記録宝珠をっ。」

 主任医師がレイラを落ち着かせようと両腕を掴んで声をかけるが、どちらかというと今起きている事態を記録することを優先しているようだ。


「レイラ様、落ち着いてください。何も問題ありませんから。」

「無いわけないでしょう!私の背中がどうしたっていうの?」


 ふと見ると部屋の隅に姿見があった。丁度自分が映っている。


 レイラが急に静かになった。落ち着きを取り戻したのとは違うようだが、ひとまず手を離しても大丈夫そうな様子だ。


 鏡の中のレイラは裸のままだった。身体を少しひねると背中から黒い棒が突き出ているのが見えた。クロスボウの矢に間違いないだろう。だが痛みはない、麻痺しているのだろうか。治癒術師が咄嗟に麻痺をかけてくれたのか。背中に奇妙な感覚がある。説明は難しいが、矢が刺さったのとは異質な何か。


 おそるおそる身体を横に向けてみた。矢の刺さった傷口が見えてくるはずだが

「何・・・これ?」


 レイラの背中の一部が手首のような形に隆起し、指先で矢を掴んでいた。


 自分の背中に手が生えているなんて今まで知らなかった。いや、そんなはずはない。そんなもの生まれてこの方、誰にも指摘されなかった。

 もう一度、目の隅で鏡を見る。見間違いであってほしい。


 背中の手はまだ矢をつかんだまま、なんならさっきより伸びていた。その手はレイラの意志とは無関係に動いている。


 気持ちが悪い・・・


 血の気が引く音というのはこれなのだろうか、頭の中で大雨が降るような音が聞こえた。


 急な貧血でレイラはその場に膝をついてしまった。

「レイラ様ッ!」

「レイラお嬢様!」


 視線が落ち着かない、目が回る、膝に力が入らなくて立つことができない。

 レイラの全身から冷たい汗が噴き出し、滝のように滴り落ちた。

 手が、全身が震える。見かねた誰かが、多分ステラか、ガウンをかけてくれたが前を合わせることもできない。


 身体の震えが止まらない。ガウンが汗を吸ってくれる分いくらか寒気は抑えられているはずだが、手足が冷たくなっているのが自分でもわかる。


 猛烈な吐き気が襲ってきた。だが、検査のために絶食していたため嘔吐するような物は何も無い。だが、口を開けていないと吐き気を抑えられない。膝をついていた身体はもう完全にへたり込んでいた。ガウンがずれる。背中の手が引っかかっているのだ。


「はっ・・・う、うぇ・・・」

 力なく開いた口でどうにか呼吸をする。

「レイラ様ッ!」

 ステラが声を掛けてくれているが、今はその声が頭に響いてひどく痛む。


 すぐに大量のタオルが用意され、羽織っていたガウンを剥いで全身の汗を拭かれる。多少は気分がマシになる。担架が横に置かれたが無理に乗せられたりはしなかった。今、身体を伸ばされるのは逆に苦しいのだ。


「はぁっ・・・はぁっ・・・、うぅ、・・・うっ、うぐぇっ!」

 レイラは何も考えられなくなっていた。ただ、この吐き気と悪寒をどうにかしないと。死ぬ、まではないものの、苦しみが長引くばかりだ。ただその一心で、吐き出せるものがあるならすべて吐き出そうとした。


 背中に奇妙な感覚がある。腹筋を締めると何かが押し出されて身体が楽になる。そのまますべて出し切ってしまえばなんとか・・・


 ”ドサッ”

「えっ?」


 それまで床に這いつくばっていたレイラは、今は何処とも知らない草むらに仰向けに転がっていた。


 草むらと言ったが、上の方は木々に遮られて太陽は見えず、どこかの森の中のようだ。それから全身が酷く濡れていて、落水して上がってきたか、助け出されたところのようだ。


 なぜか全身が酷く痛み、目も耳もおかしい。鼻から入ってくる空気もだが、息をするだけで喉にも肺にも激痛が走り、咳込んだことで地獄のような苦痛を味わった。自然に涙が溢れてくるかと思ったが、なぜかそうはならなかった。よく見えない目をこすろうとするが手が動かせない。


 手どころか足も、口も瞼も、何一つ動かない。


 混乱するレイラの顔に何かがぼたぼたと滴り落ちていた。


 よく見えないが、ヒトのような物がレイラに覆い被さっている。声がしないのは耳がおかしくなっているせいだろうか、その人影は声を発することなく、滴り落ちるのは滝のように溢れる涙だった。



 状況はよくわからないが、場所は先ほどまでの診察室ではないようだ。そして自分は・・・


 自分の姿を見ることはできなかったが、痛みで手も足も動かせず、目も耳も、口も満足に機能していない。声を出してみるとしゃがれたというか、獣が唸るような音がどうにか出ただけだった。しかも呼吸するたびにひどく痛む。想像するしかないが、全身をかなりひどく火傷しているようだ。


(このままでは、死ぬわね。)

 いきなりそんな状況になったのに、レイラは妙に落ち着いていた。落ち着きだけなら先ほど背中から手が生えているのを見た時よりましなくらいだ。


(何とか、声を取り戻さないと。)

 レイラは慎重に、一音ずつ声を出した。途中で咳込んだらやり直しだ。深く、静かに、短いフレーズで。

「ひ・・・ぃ・・・」


 焼ける喉をなだめすかしつつ、発音は悪いが歯と歯の隙間を使えばどうにか音を変えられそうだ。

「・・・ゃ・・・し・・・」

 胸の奥で何かに火が点くのを感じる。この状態でも相変わらずレイラの魔力は膨大に在庫していた。

 もじゃもじゃと内臓や気管が修復されるのがわかる。レイラが使える治癒魔法は弱く、回復も遅かったが、魔力量に物を言わせてじわじわと傷を治し始めた。

(身体はこんな状態なのに、どうして頭だけ冷静なのかしらね。)


 すると、レイラに覆い被さっていた人物がレイラに顔をこすりつけ始めた。

「!・・・」

 炭化した皮膚がめくれて激痛が走る。雷撃に脳天を貫かれたような痛みにレイラが我に返ると、そこは元の診察室だった。


「レイラ様!」

「ステラ・・・」

 床に仰向けで寝かされているレイラを、ステラが心配そうにのぞき込んでいた。どれくらい時間が経ったのか、ステラはガウンを着ていた。レイラの周りには医師や職員が集まっていたが、レイラは床に敷いた毛布の上に寝かされていて、医師は治癒術の類を使っているというより、脈を取ったりひたすらデータ収集をしているようだった。錘でも乗せられたかのようにレイラの身体は重く、身動きが取れなかった。レイラの意識が戻ったのを見て何人かが慌てて離れて行く。


「おお、意識が戻ったか、良かった。」

「先生、一体何が・・・」

「すまない、こちらの不手際で、検査に使う予定で改造したクロスボウが暴発して君に中ってしまい、いや、中ったというのが適切かはわからないが、背中から魔人が・・・」

「?」


「取り敢えず、異常が無いならその、魔人をどうにか・・・」

「魔人・・・」


 お腹の上が重いと思ったのはシリカが覆い被さっていたからだった。裸のレイラに覆い被さったシリカは人目も憚らずティーラブ能力を使い、今まさに短い舌を乳房に這わせているところだった。


 顔を上げ、レイラと目が合うと

「レイラ・・・」

 心底嬉しそうな笑顔でレイラの名前を呼んだ。涙さえ浮かべていたかもしれない。


 だが



「馬鹿――――――――ッ!!!」

 レイラに両手で突き飛ばされたシリカは笑顔のまま吹っ飛んでいき、測定器や職員を巻き込んで壁にぶち当たった。

 レイラはステラに助け起こされながら毛布を体に巻き付け、顔を真っ赤にしながらシリカが飛んで行った方を睨んでいた。


「ヒヒ・・・イヒ、イヒヒヒヒ。」


 巻き込んだ器材に埋もれながら、シリカは声を出して笑っていた。


 残念なことにこの一連の事象は宝珠に記録されておらず、立ち会った医師や職員に強烈な記憶となって残るばかりだったという。


 歴史的な大事件を精密に記録する千載一遇の機会を、人類は逃したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ