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よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


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第21章「真夏の太陽少女」

 あれから2週間。


 ウィンドリンガーの特殊性は溶岩の性質に顕著に表れている。


 通常の溶岩は冷却が進むにしたがって粘度が高くなり、流動性を失っていく。だが、表面が冷えても下の方ではまだ高温を保ち続け、その厚さにもよるが完全に冷えて固まるまで、触れる温度になるまでに数カ月から1年ほどもかかることがある。


 一方、ウィンドリンガーの溶岩は早ければ数週間で冷却が終わり、完全な固体になる。噴火の直後には液体のような挙動を見せていた溶岩は温度が下がると球体としての性質が強く表れる。冷めるほどに固いガラスの球体になり、ますます転がりやすくなるのだ。つまり、流動性は低下するが、転がりやすくなる。この球体は周囲の球体と固着したり、完全な球体になったり様々な様相を見せ、冷却後に回収し表面を磨くなどすると工芸品として高く売れる。


「ウィンドリンガーがこの世界に出現してから1000年以上経過しているらしいが、正確にいつ出現したのかは記録が無い。交換現象の活発だった時期にはよくある話だが、一晩で山が出現したと言っても公的な調査が入ったのは何十年もしてからのことで、そのときになって古地図と全然違う地形になっていることが判明したくらいなのだ。」

「突然山が現れたら騒ぎになるのではありませんか?」

「日記など個人的な記録には残ったかもしれないが、近くに住んでいた者は交換現象で向こうへ行ってしまっただろうし、逆に向うから来るものも居なかったのだろう。物騒な火山の近くにわざわざ住みたい者などいないだろうからね。」

「温泉が出ますし、湯治場を作りましたが・・・」


 生物教師はレイラに自分の持つ知識をこれでもかと語って聞かせた。

 それまで隠していた自分の正体を成り行きで話してしまったが、レイラが元々疑いを抱いていたとわかると今度は積極的に自分の事や住んでいた世界の事を語り始めたのだ。


 この世界、特に魔法学園内部には生物教師の仲間が何人も紛れていて、中には仲間にも正体を知られずに活動を続けている者もいるということ。真っ先に思い浮かぶのは服飾教師だったが、

「彼女は、こちらの世界の人間で間違いないと思う。少なくとも私の知る顔ではなかったし、多少性格に難があるとしてもそれは個性の範囲だろう。」


 ほかに思い浮かぶと人物は

「アイーシャのように、学生に紛れていたりはしないのですか?」

「彼女も私の仲間ではないよ・・・もしかして君は、いわゆる”変人”を基準に考えていないかね?」


 指摘されればその通りだった。生物教師を怪しいと感じたのも最初は単に変な人だと思ったからであり、最初から異世界人と思っていたわけではない。


「申し訳ございません、先生があまりにも・・・独創的な考えをお持ちだったもので。」


 新種の動物とみればとにかく標本を欲しがり、珍しい種族の生徒が入学すれば生活習慣や家族構成、果ては身体機能まで詳しく聞き出そうとする。しばしばその行動は一線を越えてしまうことがあり、研究室に多数の生物標本を持っていることから”解剖魔”とあだ名されるほどの人物である。


「いやいや、いくら私でも生徒の標本など持っておらんよ。解剖したのは同意の上だし相応の報酬も提供している。」

「したんですか!」


 目を剥いて追及するレイラに、生物教師は平然と

「当然だ。生きたまま身体のあちこちを切開して内部を観察させてもらったのだから、原状回復だけで帰らせては申し訳ないだろう。」


 レイラの言う”した”と生物教師の”した”はその指し示す行為が違っているようだ。


「シリカのときも同意を得たと・・・」

「そんなわけはないだろう。私にしてみればあれは自分が開発した探査機の一機であり、破壊を含めて自由にする権利があるはずだ。」


 生物教師はこの話の流れに少し気まずいものを感じてそれ以上話すのをやめた。


 実のところ、初めてシリカを見た時は間違いなくプロコの一機と信じて疑わなかったのだが、自壊プログラムを作動させようとしてその内部構造がまったく未知のものであることに気づくと、それがこの世界で魔人と呼ばれる存在ではないかと疑うようになった。事故によるプログラムの損傷や素材の変質ならともかく、骨格などの物理的構造が変化することは異世界であっても考えにくい。自壊も破壊もできないが、このままどこかへ行かせるわけにもいかず、学園内に留め置くために持てる知識を総動員して導き出した結論が魔人シリカとしてレイラに預けることだった。


 この策は奏功し、まんまとシリカを手の届く距離に留め置く事に成功したが、シリカはまるでそれが目的であったかのようにレイラに執着し、一方のレイラも親戚の子供を預かっているような感覚に陥っていた。学園が発行した委任状によって魔人の管理をさせられているのだとしても、学内外のどこへでも連れて歩く姿からはもはや家族の絆のような物さえ感じさせた。


 ところがその生活は唐突に終わりを迎えた。



 ウィンドリンガーからの溶岩流出から2週間、誘導溝の縁にはこの珍しい溶岩を一目見ようと見物客が押し寄せていた。表層の温度は相当に温度が下がっていたが、そのすぐ下にはまだ真っ赤に溶け・・・真っ赤に熱せられた球体が流れるように移動していた。シリカが掘った流路は溢れ出た溶岩を集めるために終端で巨大な溜池のようになっており、ウィンドリンガーの隣に溶岩の湖を形成していた。溶岩はそこから誘導溝に流れ込んでいったが、溶岩湖には新しい溶岩が供給され続けていて当分収まりそうにない。溶岩が冷却されるのまでには1年か、それ以上の時間がかかる。この溶岩はほぼ固体でありながら、そこは普通の溶岩と同様だった。そして、それは魔法学園一帯の気温を上昇させていた。学園施設を護る魔法障壁は突発的な事故や破壊行為に対抗するための物だったが、ウィンドリンガーの影響を受けることは想定内だったため現状のような広範囲、それも長期間の気温上昇にも適応できた。


 避難していた生徒や城下町の住民も戻り、魔法学園は一応は元通りの生活を取り戻した。


 レイラをはじめとした誘導溝の工事に当たっていた者たちも、多数の怪我人を出しながらも無事に帰着した。怪我人もほとんどは軽傷で皆それぞれの場所へと帰っていったが、ただ一人、魔人シリカだけが行方不明のままだった。


 シリカの消失は未確定とはいえ、少なくとも長期にわたって不在にしている事は既に本国はもちろん、周辺諸国にも知られていた。シリカが不在にしている今ならレイラを亡き者にすることも不可能ではない。そうすれば敵対勢力としては魔人を擁する国を相手にするというリスクを排除できるだろう。ただ、万が一という事もある。また、レイラを暗殺すること自体が簡単ではない。某国が貴重なコカトリスを差し向けた結果、まさかの石化無効という結果に終わったというのは彼女の武勇伝として方々で語られているところだ。かといって正面から襲うというのではそのまま戦争に発展する可能性がある。一方で同盟諸国にあってはレイラに無事でいてもらった方が敵対勢力に対して牽制になるため、魔法学園は以前より潜入工作員が増え、レイラを巡って見えないところで抗争を繰り広げている。



 そして2か月後。季節はいよいよ真夏となっていた。


 溶岩からの熱は相変わらず魔法学園とその一帯を熱し続けていた。学園の魔法障壁はこのような事態にも備えていたとはいえ、連日のように絶え間なく負荷を受ける運用は障壁の急速な消耗を招くため、学園理事会は暑さに限っては生徒たちの自主的な対応を求めていた。


 学園の制服は押さえるべきポイントを踏襲していればある程度は自由な形状が許されている。したがって経済的に余裕のある者は特注制服を仕立てたり、逆に苦しい状況にある者は学内で販売されている中古の魔法服を買って自分で直して着ることも出来た。王族ともなれば相応に飾り立てた制服を着ることもできたが普段のアランは基本的に他の生徒と同じ規格品の制服を着ていたし、レイラもそれに倣っていた。


 だがこの非常事態にあって、学園内は全身をローブで覆った人物で溢れている。


 元々ローブ着用というのは制服の規定に含まれていたが、せいぜい腰か膝の上までの丈で前は開いているのが普通である。それが、今校内を行き交うのは前を閉じ、丈に至っては地面に擦りそうなほどだ。


 更に制服の襟はフードとして使える形状であるにもかかわらずほとんど活用されていなかったのだが、今は半数以上がフードを被っていて教室内でもそれを外さない者すらいる。


 魔法学園においてはそれが猛暑対策、いわゆるクールビズであった。


 閉じたローブで外気を防ぎ、内部では環境調整魔法や単純な冷却系の魔法を使って体感温度を下げている。魔法学園ならではの猛暑対策だが、環境調整魔法は快適な状態が保たれるものの暑さと寒さ、湿度のすべてに対応する無駄に高度な魔法となっていて使える者も限られる。したがって冷却魔法や限定的な環境調整魔法が主流になるが、冷却魔法は温度調節が難しく、限定的な環境調整魔法は効果が薄いか湿度の調節が利かなかったりする。そんな魔法で快適に過ごすために、生徒達はローブの下の制服自体にも工夫を施した。


 暑い時は脱ぐ。


 ローブの下は規則よりもかなりラフ、まるで下着のような恰好で過ごす生徒が増えていた。屋外での実技授業が減っていたため丸一日ローブを着たままでいることは珍しくなかったし、筆記や食事などで両手を使う時も側面に開けた穴から手を出せば事足りた。その穴のせいで中の様子がバレることもあったが、そこはお互い様ということで誰が裸同然で授業を受けているかというようなことは話題に上がることは無かった。




 一方、ウィンドリンガー対応によって生じた授業の遅れを取り戻すため、魔法学園では今年度の夏季休暇の短縮を実施した。旅行など長距離の移動を計画していた生徒は行先の変更や中止を余儀なくされ、実家への帰省もできなくなる者が多数出たが、逆に近場の観光スポットを訪れる生徒が多くなった。特に人気なのは誘導溝を見渡す丘に建てられた記念碑である。


 大きな工事にはつきものというか、誘導溝掘削事業の参加者を称える石碑が建ち、そこには溶岩目当ての見物客に加えて魔法学園の生徒が頻繁に訪問するようになっていた。誘導溝から溢れた溶岩の一部を冷えてから城下町の住人が回収し、土産物としてこの場所で商売を始めていたが、その売店の横に簡素な小屋が建てられ、中には生徒達が設置した石碑があった。誘導溝事業の記念碑に比べれば小さなものだったが

「・・・」

「レイラ様。」


 その日はレイラもステラとそこを訪れていた。2人とも足首まで隠れるローブを羽織っている。中は一応制服を着ていたが、猛暑対応で特注した極端に袖の短い物になっている。


 2人の視線の先、小さい石碑は魔人の慰霊碑だった。


 慰霊碑の表面には魔人シリカの功績と献身を称える文言が刻まれていた。ウィンドリンガー周辺の温泉街やレイラたちの工区、最終的には魔法学園と城下町も救うために犠牲になったシリカに対して報いたいというのは理解できる。だが、シリカは生徒でも市民でもなく、学園の備品的な扱いなので人権も無い。人工知能を積んだ自律型のロボットが街を救うために犠牲になったからといって慰霊碑を建てようという発想にはならないだろう。だが、生徒の間ではシリカは単なる備品以上の存在であり、集団で学園理事会にシリカを称える石碑の設置を陳情した。さすがに公式に慰霊碑を建てることは叶わなかったが、有志が自主的に設置するという形式での許可は得られたので、募金を募ってこの場所に石碑を建てたのだった。小屋を被せたのは雨曝しはかわいそうという発想からだったが、それが一般人の目から石碑を隠す形になった。折角の石碑を隠してどうするのかとも思えるが、ある事情から人目が少ない方が参拝しやすい環境となり、いつしか石碑の周囲は生徒達からの供物でいっぱいになった。その一部は壁や天井にも飾られており、そしてなぜか「使用済み品を供えるな」という謎の注意文も掲出されていた。


「まだ死んだと決まったわけではないのよ。皆、シリカを何だと思っているのかしら。」

「それにしても、どうしてこんな物を・・・?」


 慰霊碑を囲んでいるのは供物として定番の果物や菓子と、大量のパンツの山。当然、小屋の壁を埋め尽くすように貼られているのは形も模様も様々なパンツで、中には署名入りや額装までされたものもある。注意文の「使用済み禁止」とはそういうことか。幸いそれは厳守されているようで、その場には異臭どころか洗い立てのような石鹸の香りが漂っていた。


 なぜそんなものが供えられているのかレイラにもわけがわからなかったが、恐らくシリカの好物として服飾教師が誰かに漏らしたのだろう。直接的にそれを指定していなくても、シリカが前腕の鬣を使ってレイラのパンツを掠め取ったとか、初期型の魔人服に取り入れていたとかいうのを逸話として語ればそれが多少ズレた形で広まっていくことは容易に想像できる。だからと言って即物的にパンツを供えてしまうのは短慮に過ぎるし、正直それは異様な光景だったが、供えた生徒の気持ちを考えれば無下に否定するものでもない。


 かくいうレイラも、好物を用意して待つなどと言った割には具体的に何を用意するかまでは考えていなかったが、パンツという発想は無く食事やおやつ時の喰いつき傾向から推理して果物という結論に至っている。


 そうしてなんやかんや言いながらこの場を訪れてしまっているわけだが、シリカの生存を信じているはずのレイラの胸中にはまた、あの思いが渦巻き始めていた。


 魔法学園の生徒や無関係の観光客までがこの石碑を訪れ、こうして無数の供物を供えてくれている。多くは祭り感覚でやっている事なのだろうが、中には本気で感謝の意を込めている者も居るだろう。署名した下着を誰でも見られる場所に飾るなど冷静に考えれば狂気の沙汰だが、それだけ本気と取れなくもない。レイラやステラはさすがにそんなことはないのだが、アイーシャなどはこの中に1枚あるかもしれない。そんなことより、レイラはこの光景を前にしても素直に感動できないでいた。いや、異様に過ぎるという事実を置いても、レイラの胸には喪失感のような物が生まれていなかった。シリカが交換現象に巻き込まれて姿を消した時に感じた不安感、あんな感情が湧いてこない。


 一度は解消したはずの疑念が再び湧き上がってきた。


 ヒトとして大切な感情が欠落している。


 そう思っているのは自分だけで周りから見れば他者の心配ばかりしている”オカン”という指摘に一度は納得していたのだが、シリカと最も深く関わった者として今のレイラの精神状態はあまりにも平静だった。


 実際、シリカが帰還しなかった夜から数週間、レイラは自分の感情が不安定になっていることを感じていた。召喚したのは確かに自分だが、用が済んだのに帰ってくれないその召喚獣を単なる荷物以上の物として考えている自分に少なからず安心していた。だが、それも数週間の事だった。あれほど世話のかかる魔人(しかもその世話は実は必要ない)が居なくなったことで肩の荷が下りたと感じてしまったのだろうか。レイラの胸からシリカ不在による不安感がきれいになくなっていた。


 シリカの生存を固く信じているから不安も悲しみも感じない、生物教師はそんな解釈もあると言ってくれた。本当にそんな風に考えられれば楽なのだが、生物教師にとってシリカは自分が開発したモノでしかなく、自壊コマンドを実行させようとしていた人物にそんなことを言われても素直に納得し難い物がある。だが、あの時シリカを探しに行くと言ったレイラを止め、信じて待てと諭したのも生物教師だった。誰よりもシリカの消滅を望んでいながら、その生存を信じろという発言をするとは言行不一致も甚だしい。


「消滅を望んでいるというのは必ずしも正しくはない。あれがプロコの一機であるならば間違いなく機能不全に陥っているから破壊するべきだし、私にはその義務と権利がある。だが、偶々外見が似ているだけの全く別の生物という可能性が存在するうちは慎重に判断する必要があるのだ。」


 などと本人は主張している。


「偶々だなんて、そんな偶然があり得るのですか?ヒトのような身体に一本角が生えて獣のような耳をしていて、あの子の耳はかなり珍しいと思いますけれど・・・」


 そう、この世界(というか、交換現象でこの世界に連れて来られた)の獣人は顔や身体の一部に元動物の特徴を残していたがほとんどヒトと変わらない姿をしていた。しかし、ほとんどすべての獣族は視力や聴力が祖先たる動物のままだったり、その関係なのか耳や目の付き方も動物のそれと同じか面影を残していたりする。それは動物を無理矢理ヒト型に組み替えたようないびつな姿だった。例えば猫を祖先に持つ獣人の場合、脳が巨大化するにつれそれを収容する頭蓋が膨らむような進化をし、頭の上にあった耳は側方へと移動しそうに思えるのだがそうはならず、頭蓋の成長と共に耳の位置も押し上げられるように上方へ移動したのだ。直立歩行するようになったにもかかわらず耳が上方にあることで、遠方の音には早く反応する代わりに背後の物音にはヒトより鈍いという不具合が起きた。逆にヒトの方が特殊なのだという説を唱える学者もいるほどだが、このまま数万年の進化を経れば最終的に元動物の特徴は面影程度にまで薄くなり、骨格などはヒトと同じ構造になっていくと考えられている。


 シリカの顔はヒトと同じ造形で目や口の配置もヒトその物であり、獣人として考えるなら突出して進化した獣人なのだが、よく見ると虹彩はやや四角く瞳孔は縦に長い。一方で鼻の形はヒトと変わらない。角以外で外観がもっともヒトと異なるのは耳朶で、先の尖った三角形の耳朶の、後面は短い毛に覆われていて馬の耳のようである。ただし、付いている場所は目の横、つまり耳の位置はヒトと変わらず形だけが獣耳になっているのだ。獣のヒト化の最終段階で眼球と耳朶の進化を忘れたような状態で進行すればこのような姿になるかもしれない。


「我々は、この場合探査機を作った方の我々だが、まずヒトの形が先にあって、そこに機能を追加していった結果あのような・・・シリカに似た外観が出来たのだ。獣がヒト型になるというのも理解できない進化だが、シリカに祖先があって獣人と同様の進化を経てきたのなら、あの位置にあの耳があるのはおかしい、と普通は思うだろう。」


「あ!もしかしたら逆なのでは。」

 レイラの反応に生物教師は少し嬉しそうに答えた。

「そう、プロコがヒト型から始まったように、シリカもヒトから変化してあのような姿になった、若しくはヒトと同じ祖先をもつのではないかと考えられる。だが、そんな生物の話は何処の世界からも出てこない、これはこちらの世界で亜人や獣人に取材した結果だ。ヒトと亜人は外見や機能が非常によく似ているが、住む環境が異なるというだけでは説明できない能力差、魔法の適性や極端な環境下での生存能力の差があり・・・」


「先生?」

「・・・う、うむ。まあ、体内の器官を比較してみると随分違うことがわかった。」


 生物教師が言い淀んだのはレイラの視線に気づいたからだ。それもかなり刺さるタイプの。

「色々な種族を片っ端から解剖していらしたのですね。」


「いや、もう理解してもらえると思うが必要な事だったのだ。断じてそのような趣味があったわけではない。」


 自分が作り出した生物探査機プロコに生じた異変を調査し、自壊させるという、見方によっては世界の存亡にかかわる任務を帯びて異世界への片道切符を買った、その覚悟はレイラには想像もできないものだったが、だからと言ってそこで出会った種族を次々解剖したというのも生理的に理解しがたい話である。だが、一応そこに至るのにはそれなりの理由があったことはわかった。


「この世界の魔法のおかげで切らずとも内部を観察できたし、切った痕跡もほとんど残さず元通りにできた。もちろん、被験者を苦しがらせるようなことはしていない。」


 生物教師は必死に弁明したが、研究室には多様な種族の内臓や、全身の標本まであるというのは学園の生徒なら知らぬものはない。もちろん違法な手段で入手したわけではないのだろうが、実際にシリカがその手にかかっている以上、解剖魔という二つ名はこれからも長く消えないだろう。

「だが、そうして研究を重ねた結果、あれほど似ているプロコとシリカは出自を異にする、いや、プロコは私の世界から来たのだから異世界産なのだが、シリカはどこから来たのかわからないと確信するに至ったのだ。」


「もしかしたら先生は、」

「うん?」


 それはレイラが図書館へ通うようになった本来の理由だった。

「前にもシリカに会われたことがあるのですね?」


 異常プロコを追って異世界へ旅立った生物教師は、元の世界へ戻ることはできないものの、その世界でならある程度時間を自由に移動できた。つまり、過去のどこかの時点でシリカと遭遇し、それがプロコではない可能性を感じて今まで研究を続けていたのだ。

「そっちだったのか。私はてっきり異世界人だと勘づいたからだと思っていたよ。まあ、どのみちこうなっていただろうがね。」



 こんな時に変なことを思い出してしまった。


 レイラたちは持参した果物を慰霊碑の正面に置いた。山盛りのお菓子やパンツの中にあってそこだけきれいに場所が空けてあり、他の参拝者はレイラがその場所を埋めるのを待っていたようだった。


 この慰霊碑はシリカのために建てられたことは明らかだったが、レイラのためという意図が少なからず存在した。政治的な意味で取り入ろうとする者、友人として傷心のレイラに寄り添いたいという者、様々な動機に支えられてこの石碑は建てられた。これでシリカが帰ってきたら、さて、この石碑をどうするのやら。


「ふーん・・・」

「レイラ様?」


 レイラの声が久しく聞かなかった不機嫌さを帯びていたせいで、ステラの胃は少し痛んだ。

「こうして石碑を建てて、皆でお供えまでしてくれているけれど・・・」


 そう言いながら供えられているパンツの一枚を手に取った。前面に刺繍が施されてそこそこの値段がしそうだったが、実際にシリカが穿いていたのは一応ブラッドベリー家の者として恥ずかしくない品であり生地の選定からしてそこいらの既製品とは別格だ。

「誰か一人でもシリカの帰還を願っている人はいるのかしら?」


 その場の空気が凍り付いた。




「と、いうことがありまして。」

「レイラ、それは思っていても口に出すべきではないわよ。」

「あら、あなたはどう思っているの?あのままシリカが死んだとでも?」

「そんなわけないでしょう。ただ、帰りが遅いとは思うけれど。」


 寮ではレイラ部屋に住む4人が夕餉の卓を囲んでいた。ステラが日中の出来事をベータに話し、ベータからレイラを諫める言葉が出るも結局自分自身の事なので説得力がない。だが、そこでは魔力の量ばかりが桁違いに多い落第スレスレの御姫様とその残像、いつ石化するかわからないリスクを背負ったメイド、太古の時代から現代に逃げてきた絶滅種族というかなり特殊な顔ぶれによる平和な光景が繰り広げられていた。


 テーブルを挟んで部屋の主であるレイラとベータが座り、レイラの隣にシリカと、ベータの隣には本来なら客人であるクリスタが座る。ステラは使用人なのでレイラたちとは同席せず、4人の食事が終わったあと厨房で食べるというのがあるべき姿だが、入学時のレイラの命令によってステラは同じ食卓を囲むことになっている。クリスタは自身がここでは客ではなく居候であると主張し、ステラの後輩メイドという位置に収まったが食事時は結局ベータの隣に座っていた。レイラとステラの間には少しの隙間があり、そこには一人分の食器が置かれているが使用者が現れないまま2カ月が過ぎている。


「レイラ様、お水を。」

「ありがとう、ステラ。」

 魔法学園は防護結界によって溶岩からの直接の熱を遮断していたが、空気が伝わることまでは防いでいなかった。これは結界の機能の限界ではなく、内外の気温差が大きくなると開口部に大きな気圧差を生じ、最終的に深刻な異常気象に至るという予想から許容できる範囲で高温になった空気を受け入れていたため、例年の夏に比較して明らかに暑くなっていた。


「それにしても、最近のレイラはちょっと暑そうよね。」

「あなたは何ともないの?」

「暑いわよ、同じ身体なんだし。でもレイラの場合、レイラ自身が発熱してそう。体温とか測ってる?」

「そんなに?私ってどこか変に見える?」

「お水を口にされることが増えているような、気がします。」

「いえ、実際触ってみるとちょっと体温高めなのよ。ほら。」


 ベータはステラの手をとってレイラの頬に触らせた。

「あぁ・・・」

「でしょう?私が触ってもわかるってことは相当高いのよ。」

「ちょっと、私どこも悪くありませんわよ。」

「レイラ様とベータ様で体調が違うというのは別に不思議ではないですよ。」

「でもこれはちょっとおかしいと思わない?」

「そうですね・・・」


 クリスタは少し考えていたが

「それはやはり魔人シリカとのつながりが絶たれたことで、そこに使われていた魔力が体温として排出されているとか。」

「あ・・・」


 当初はシリカの分の食器を見て少し目を伏せていたレイラたちだったが、さすがにこの光景にも慣れて来ていた。ただ、それをやめるという考えはなかった。


 シリカの不在によってクリスタの外出は以前のように困難になったが、レイラが帰ってきたことでベータへの魔力供給の問題は一応解決した。クリスタが監督者として現場に立ち会おうとするのだが、ステラが食器の片付けだなんだと連れて行ったりレイラたちが締め出したりで、最近はレイラとベータの二人きりで行われている。


「そんな毎晩横で見張られてちゃ敵わないわ。」

「こっちは命がかかってるんですからね。」

「・・・」

「何よ。」

「あなた、太ったのではなくて?」

「?!そんなの、自由に出歩けないから運動不足にもなるわよ。」

「ステラの料理がおいしいからって食っちゃ寝してたんじゃないの?」

「ステラはちゃんと考えて作ってくれているわよ!こういうところでさっきの仇を取ろうとしないでくれるかしら・・・もしかして、しばらく食べれていなかったから妬いてる?」


 一部の生徒たちには知られることになったが、まだベータのことは秘密扱いである。日中はもちろん、夜間も自由に外出して運動をすることは難しい。ただ、事情を知る生徒の一部が協力してくれるようになったので、レイラと入れ替わって散歩したり、仲間に匿われながら運動をしたり出来るように手配を進めている。しかし、現状では運動不足なのは明らかで、筋肉は落ちてしまっているようだ。2人の体型には差異が生じて来ていた。


「正直なところ、シリカが帰ってこないのが心配ではあるのよ。」

 レイラにとってベータは自分の残像から生まれたもう一人の自分自身であり、それまでの知識や記憶を完全に共有している。出現以降はそれぞれ異なる時間を過ごしてきたため記憶に差異が生じているが、性格や思考はそっくりなままなので互いに隠し事をしても無駄だとわかっている。その上でレイラは正直な心情を打ち明けたのだが、実はベータの方にはレイラに話していない秘密がある。

「まあ、生きてはいるのでしょうけれど、あのシリカが2か月も帰ってこないっていうのがね。」

「あの子の能力からして、その日のうちに帰ってこられるはずなのに。」


 シリカの地中潜行能力と転移能力からすれば、溶岩の熱で溶けたりしていなければいつでも帰ってこられるはずなのだ。

「多分、溶岩の上を普通に渡ってきたっていう話は実際にあったと思うのよ。」

「上を歩くのと中を泳ぐのとで・・・あの子の場合大した問題にはならなそうね。」


 やはり、2人ともシリカの生存を信じているようだ。それも希望とかではなく、現実として捉えている。


「シリカでも帰ってこられないような場所ってあるのかしら。」

「例の、異世界とか?でも交換現象は治まっていたのでしょう?」

「先生の話だと、規模を縮小しながら断続的に発生している可能性はあるらしいけれど、ヒトみたいな大きさの物が転移できる規模ではなくなっているだろう、って。」


 クリスタが帰還したときに見たという、穴をこじ開けていた存在というのが思い出される。時空の穴というのはそんな風に力技で支えたりできるものなのだろうか。


「案外、ちょっとした悪戯心で隠れていたら慰霊碑が建ったり大事になっちゃって、帰りにくくなってるとかかもしれないけれど。」

「例のパンツ堂?どうして皆そんなものをお供えするのかしら。」

「私が訊きたいわよ。」


 などと、他人には聞かれたくない話をするのに魔力供給の儀式は都合が良かった。


 途中、ベータが息継ぎをしたりレイラが喘いだりしているのだが、文字化するとくどくなりそうなので読者諸氏に於かれては脳内で適当に挿入していただきたい。



 丁度その頃。


 学園内では不気味な事件が始まっていた。



「レイラ、ちょっと話を聞かせてもらいたいんだが、いいかな?」

「アラン殿下、どうなさいましたの?わざわざいらっしゃるなんて。」


 レイラの部屋は女子寮内にあり、アランと言えども容易に踏み込めない場所である。王族、あるいは騎士団員としての立場を使えば学園内で入れない場所は無いのだが、その権威で以って女子寮に無闇に立ち入るべきではないと考えているのだ。


 だが緊急の用件であればその限りではない。


「単刀直入に訊くが、魔人シリカはその後どうしている?」

「え?」


 なんだか前にもこんなことがあったような気がする。

「どうするもなにも、帰ってきていませんが・・・どこかで目撃されましたか?」

「ん・・・いや、ちょっと訊いてみただけだ。君がどうしているかと思ってね。」


 レイラは小さく溜息をつきながら

「殿下、私と殿下の間です。わざわざ女子寮までお越しになっておいて”ちょっと訊いてみた”は通用しませんことよ?」


 アランも内心しくじったと思っていたが、極力平静を装いつつ

「お見通しか・・・やはりここへ来るべきではなかったかな。」

「そんなことはございません、殿下はいつでもご自身の望まれるままの場所へお行きになるべきですし、まして魔人絡みなら私を外す道理はありません。」


「口は災いの元と言うけれど、ほとんど話していない内から大筋を見透かされているような気分だよ。」

「いえ、以前にも似たようなことがございましたから。」


「ん・・・あの時はヒト型の何かというだけで目撃情報も多くは無かったから。」

「ということは、まさか・・・」


 アランは言いにくそうにしていたが、言わなくては話を続けられないと覚悟を決めた。

「実は・・・最近、校内で襲撃事件が続いていて」


 年初の事件が思い出される。同じパターンだろうか。だが今回は

「被害に遭った者の証言によると、犯人の姿は魔人シリカに酷似していたらしい。つまり・・・」


 シリカが戻った?


 いや、シリカが生徒を襲った??あり得ない、シリカがそんなことをするはずがない。躾とか知能とかの問題ではなく、シリカらしくない行動の筆頭だ。


 暴力は相手を制圧するために使うものだ。自分の身が危険な時、又は自分の優位を示したい時、状況は様々だが、シリカが暴力を揮わないのはまさにそれが理由だ。


 シリカはヒエラルキーというものに関心が無い。シリカが関心があるのは基本的にレイラの事だけなのだ。


「レイラ?」


 少しの間、レイラは心ここにあらずという様でいたようだ。アランの声で我に返る。

「え?ああ、あの・・・今回も、シリカなら何を置いてもここに帰ってくるはずですし、あり得ません。」


 アランもレイラがそう答えることを予想していたようだ。

「まあ、そういうことなら。」


 本来ならレイラを尋問する立場だが、レイラとの長い付き合いからシリカを使って他人を襲わせるくらいなら自分で殴りに行く性格だということは分かっていた。ただ、立場上、レイラを尋問したという事実が必要だったのだ。結果は案の定だった。


「一応伝えておくと、襲撃犯は昼夜、場所を選ばず出現し、被害者がどのように抵抗しても一切効果が無かったそうだ。」


 被害者の抵抗、物を投げつけたり魔法を使ったり様々な方法で抵抗したものの、襲撃者を止めることはできなかった。


「で、被害者の容態はどうなんですの?」

「うむ、重傷者8人、軽傷者5人、無傷で済んだ者が5人、今わかっているのはそれだけだ。」


 と、いうのも、学内には相当数のシリカ信奉者がいて、被害者の中にはそれが天罰(或いは褒美)と信じて告発しない者が相当数いるのだ。そのため被害の正確な数は警備部でも把握できていない。


「死者は出ていないのですね?」

「ああ、幸いなことにね。ただ、被害にあった者の証言によると、襲撃者の姿は魔人シリカそのものか、よく似た何者かだったらしい。」


「よく似た、というのがわかりませんわね。はっきりシリカだと仰ればよろしいのに。」

「それは君に気を遣ったか、或いは本当に違ったのかもしれない。」


 シリカのように見えて違う。そんなことがあるだろうか。

 いや、レイラは既に2人そういう存在を知っているし、生物教師の言う探査機ならそれこそたくさんいたはずなので、シリカに似た何者かは実は結構居る。


 だが、居たとしてもそれが魔法学園の生徒を襲う理由がわからない。

「その、重傷者というのは、とどめを刺される前に警備が駆け付けたということですの?」


 シリカ似の2人かシリカ本人だった場合、警備が駆け付けたところでどうにもならなかっただろう。プロコの場合はどうかは知らないが。

「いや、意識を失って倒れているところを他の生徒が見つけて通報したんだ。だが発見した時には既に襲撃者は逃走していたらしく、通報者はその姿を見ていない。」


 通報者に見つかる前に被害者を放置して逃げたということか。

「変ですわね、どうして逃げるのかしら。」


「そこだ。被害者が意識を失うまでにしておきながら、そこに別の生徒が通りかかったからと言って逃げる理由がわからない。襲撃者の能力から言って、通報者も被害に遭っていてもおかしくはない。しかも、逃走したあとの現場に何の痕跡も残していないんだ。」

「足跡も無かったのですか。」

「そう、襲撃者がどこから現れてどこへ消えたのか、被害者をどう追い詰めたのか。例えばやわらかい土の上に立てば足跡が付くだろう。花壇に踏み込めば茎が折れたり葉が落ちたりするだろう。そんな痕跡が一切なく、倒れた被害者だけが残されていたんだ。」


 シリカでなかったとしても犯人はまともな相手ではないようだ。


「意識の戻った被害者に聴き取りをしたところ、すべての事件の犯人には共通する特徴があり・・・」


「それがシリカだったと。」

「特徴だけはね。」


 アランの話はまだ途中だったがレイラは少なからず安堵していた。20件以上の襲撃事件を起こして痕跡を残さず逃走する、シリカに似た犯人。魔法学園には獣人の生徒も多いがシリカの外見はどの種族にも一致せず、その名と何の関係があるのかは知らないがシリカ族が奇妙な一致を見せているものの、今度はクリスタが犯人だというのだろうか?それもあり得ない。彼女はレイラの部屋からほとんど外に出ていないのだ。


「角や長髪などの特徴は一致したが、身長が証言によってバラバラで、本物は角を合わせると君の背丈くらいだったが、もっと小さかったとか3メートル超えの巨人だったとかで一定でない。シリカ以外の魔人が出現したとすれば大事件だし、警備部としては慎重に捜査を進めたい。だが、襲撃者は文字通り神出鬼没で、強化した警備のわずかな隙を突かれて被害者は増える一方なんだ。」

 アランの声に珍しく焦りのような物が感じられる。


「被害者にはこれと言った共通点が無く、被害の程度も重傷から軽傷まで広範囲で犯人の目的が見えてこない。正直・・・お手上げだ。」


 顔を伏せて悔しそうにしている。こんなアランの姿は初めてだった。


 アランが警備部に於いてそれなりの地位を確立しているのは王族という出自だからだけではない。明晰な頭脳と判断力で実績を積み上げ、仲間からの信頼を得た結果である。最初にシリカが疑われた時、即座にレイラを尋問せず被害者の証言を集めたのもアランの判断だった。その結果、シリカの犯行を否定する身長差という証言を引き出したが、それ以上の情報が全くなくすぐに捜査は行き詰った。


 これ以上の被害を防ぐために、出来ることは全てやるべき。打手に困ったアランはついに無実であることが確実なレイラの元を訪れたのだが、それはシリカに対する疑念ではなく、レイラと話すことで突破口を見いだせないかというわずかな期待からだ。アランは、王家の一部は本人も気づいていないレイラの能力を知っているのだ。


 言われてみれば確かに、レイラには思い当たる相手が居た。シリカにそっくりな外見と能力を持つ2人の・・・あれは異世界人だろうか、それとも過去か未来の存在だろうか。セイシュとドブロク母娘。シリカ族の集団避難以降、どこへ行ったのかはわからないまま。2人と行動を共にしている謎の魔術師ミリンの行方も。城下町には彼らが一時滞在していた家がまだ残っている。彼らが去った後にはレイラ宛ての封筒が残されており、その家の鍵はレイラたちに託された形になっている。


 だが、彼らがシリカに似ているとしても犯行に及ぶ動機が無い。もしかしたら何か思いもつかないような理由が隠されているのかもしれないが、ただ襲って逃げることにどんな意味があるのだろうか。少なくとも意味もなく子供を襲うような変人ではないと思っていたのだが。


 レイラの前には憔悴した様子のアランが居た。こんなアランは初めて見る。アランが慎重に捜査を進めると言ったからには本当に慎重を極めていたのだろう。時間に余裕があれば良かったのだが、襲撃事件の被害者は増え続けていて防ぐための警備も躱されてしまって打つ手がない。自分の元を訪れたのもシリカに対する嫌疑を確実に解消することで被疑者を減らしていこうという考えなのだろうが、これは積極的に事件を解決に導けるのだろうか。


 アランにどんな言葉をかけたらいいのか、レイラは床の模様を見ながら考えを巡らした。


「床・・・」

「え?」


「床ですわ。」


 レイラの席があって、客であるアランはその対面。レイラの隣はシリカの定位置である。


 シリカは靴を履いておらず、足は蹄鉄無しの剥き出しの蹄である。これが伸びるわけでもすり減るわけでもなく、一定の長さを保っている。蹄は靴底よりも固く、板敷きの床はそこだけ何度も蹴られたように凹んでいる。


 シリカが立ったところには足跡が付く。


「その犯人は足跡も残していないのですわよね。」

「え・・・ああ、そうだ。」


「ですがシリカがそこに立てば蹄の跡が残りますわ。」

 レイラが示した床を見ると、なるほど、その辺りだけ床が丸く凹んでおり、U字型の傷が何か所か見られる。これまでの犯行現場には足跡など見つかっていないし、これほど特徴のある足跡なら見逃すはずがない。


「なるほど、犯人はシリカのような外見だが、足跡が違う者だと。」

「というより、犯人は・・・そんな犯人が実在したのでしょうか、という事ですわ。」

「足跡を消すような工作をしたか、或いは協力者がいるという事は無いのかな。」

「まあ、私をお疑いですの?」

「君とは限らないよ、君以外の誰か・・・」


 シリカが犯行に及ぶ現場に必ず居合わせて、足跡などの痕跡を手早く始末し霧のように姿を消せる者。

「無理だな。」

「あり得ませんわね。」


 レイラの言う事は悪戯に捜査を混乱させるだけではないだろうか。だが、アランの表情には陽が差したようだった。

「つまり、襲撃者は実在せず、被害者は・・・何かの原因で自ら傷を負った?」

「可能性の一つでしかありませんけれど。いえ、確かに何かは居たのでしょう。自分で自分を殴って気絶するまで殴り続けることなんてできるわけがありません。」


 自分を殴るというのは案外難しい、まして気絶するほど殴るなど不可能だ。壁や地面に体当たりをするなら別だが、それなら現場はそれなりに荒れているだろうし、そうして体当たりをした痕跡を一体誰が何のためにわざわざ消すのか。


「自傷の可能性も含めて現場をもう一度調べた方がいいかな。だが、被害者が見た襲撃者の姿をどう説明する?身長の差はあっても皆がシリカのような姿を見たと言っている。」

「誰かがシリカの扮装をして・・・いえ、それなら足跡が、そもそもそんなに繰り返し人を襲う意味がわかりませんわ。」

「動機はひとまず後回しだ。今は犯人の目星をつけ、これ以上の被害を防ぐことだ。」


 レイラの突拍子もない見解を、アランは真面目に受け止めて帰って行った。


 痕跡が無いだけでどうして襲撃者が実在しないなどと思えるのか。


 だが、レイラな言うなら検討してみる価値はある。



 レイラの透視能力ならば。



 学園警備部には治癒魔法の使い手が多く在籍している。警備という活動内容の性格上どうしても荒事に遭遇することが多く、余程の重傷者でない限り現場で治療して復帰させるなどしている。一方、学園には本職の医務室もあり、より高度で専門的な治療を行っている。生物教師が指を付けてもらいに行ったのも医務室だが、これは欠損部位の修復が相当に高度な治療であることを示しており、そうした治療を行えるレベルの使い手が居るのが医務室なのだ。


 警備部が現場で行う治療と医務室が行う治療は魔法の有無を別としても根本のところは同じ物だが、警備部のそれは現場での応急処置という側面が強く、治療記録などは残していない。怪我の内容や治療の記録を詳しく知りたければ医務室へ行くべきだ。


 そして行ってみた結果、


「自分の魔法で怪我をしていた可能性があるんだ。」

 記録を分析すると、強力な魔法で抵抗した者ほど重傷になる傾向があることがわかった。


「そんな器用なことができるんですの?」

「うん?ああ、自分を撃ったというのではなくて、相手を撃った反動で傷つけられた、という感じかな。」


 アランはまたしてもレイラの部屋を訪れていた。

「魔法を撃った反動程度でそんな大怪我をしたのですか?」

「いや、撥ね返されたにしては怪我の内容が打撲や捻挫ばかりなんだ。」


 攻撃に多用されるのは火系の魔法である。魔法自体の威力に加えて対象に着火することで継続してダメージを与えられるのと、単純に使用者が多いというのもある。

「火球を跳ね返されたら普通は火傷をしますわね。」

「魔法の属性に無関係なダメージを受けたという事は、怪我の程度も考えると相手から反撃を受けたより自分の魔法の反動ではないかと言われているんだ。ただ、怪我が大きすぎるから単純な反動ではなく、何らかの増幅をされた可能性も考慮している。」

「増幅ですか。」

「直接魔法を増幅したというより、相手が使った魔法の威力に合わせた反撃を自動的にやった感じかな。」

「でも、そんな魔法があるのですか?」

「増幅なら上級魔法にあるけれど、自動反撃というのは聞いたことが無いかな。不可能ではないだろうけれどかなり複雑な術になるだろうから使い勝手は悪そうだね。1対1の対決で即興で相手に合わせるような使い方には向いていないと思う。」


 それに大事なことを忘れている。

「では、少なくともその場にはそのような術を使う何者かが居たということですわね。」

「それがそうとも限らないんだ。現場を再度調査してみたけれど襲撃者の痕跡は何一つ見つかっていないし、その相手がどうしてシリカに見えたのかもわからないままだ。」

「鏡のようなそうでないような・・・」


 魔法を使ったトリック。直接何らかの作用を及ぼす物ではなく、寧ろ外部からの刺激に合わせて自分を変化させる受動的とさえいえる魔法というものが存在する。レイラが想像した鏡は、単純に姿が映るだけではなく設定によって服装を変化させたり、成長や加齢を想定した変化を加えた姿を映しだしたりする魔法鏡である。大して珍しい物ではないが、姿を映す以上の機能は無く、魔法攻撃など受ければ簡単に割れてしまうだろう。


 何者かはわからないが、姿だけでもシリカを絡めてきたとなると、やはりレイラに関係がある事なのか。


「魔人シリカの軍事的脅威度を考えれば、今のうちに君を亡き者にしてしまった方が良いと考える勢力もあると考えて警備の増強や入国審査の厳格化などの対応をしてきたが・・・」

「本当に懲りない方々ですわね。」

「シリカがいない今なら真っ当な方法で始末できると考えているのだろうね。石化の呪いが効かない相手という情報は届いていないか、理解されていないようだ。」


 あれは攻撃手段自体がレアすぎたが、精神に負荷をかけるタイプの魔法や呪いはレイラには効かない可能性が高い。


 魔法使い同士の戦いにおいて魔力容量が多いというのは大変に有利である。

 同じレベルの魔法の撃ち合いになった時に単純に残段数が多くなるのと、精神に作用するタイプの魔法に対する抵抗力が強くなる。魔力を水に譬えれば、攻撃に際してはより大きなタンクを持っている方が有利、防御においてはそのタンク自体が鎧になる。かなり雑な譬えだが、大体そんな解釈で構わない。


 魔法学園に於いて人を襲うならば、剣や素手で挑むのは有効ではない。生徒はもちろん職員までも魔法服を標準装備していて、この服は自己修復をするだけでなく通常の布より防弾防刃能力が高い。もちろん、そんなものは技量でカバーできるのだが、それは”それなりの技量のある者を差し向ける必要がある”ということでもある。つまり、通常の暗殺に比べてコストが高い。しかも学園の規模に対して警備部をはじめとした防御システムが過剰に厚く、本国の騎士団とも密接なつながりがある。


 そんな学園に於いて連続して生徒を襲い怪我人を出したミハルは、見方によっては優秀な暗殺者に成り得たのだ。


 そして今、彼女に並びそうな才能の持ち主が学園内で暗躍している可能性がある。

「被害者が自分で自分を傷つけたというのは、君が言ったように鏡を使ったトリックの可能性が高いかもしれない。」

「あら、でも魔法鏡って盾のように魔法を防いだり撥ね返したりする物なのですの?」

「いや、多分他にも何かの仕掛けがあるんだろうね。」


「他の仕掛け・・・」


 アランはレイラの表情に注目していた。


 視線が虚空の一点を向いていて迷いが無い。桜色の唇は閉じていて、時々わずかに上下する。そしてこれは身近な者しか知らないことなのだが、耳朶が前後にわずかに動く。


 かわいいとかそう言う事ではなく、必死で考えているようで実は考えていない時の表情。


 レイラが考えた事ではなく、”視た”ことを話し始める時の顔だ。


「仕掛けがある以上、やはり誰かの仕業なのですわ。そしてシリカの不在を狙って活動を始めた、或いは居なくなったから入り込んだかはわかりませんけれど、無作為に生徒を襲撃しているように見えて、恐らく特定の誰かを狙ったものの間違った相手を繰り返し襲って・・・いえ、襲う気はなかったけれど、見つかったから止むを得ずと言ったところでしょう。その者にとっては見つからずに行動することが最優先で、その目的のために毎日警備部の巡回や監視システムにかからないように偽装をしながら移動しているんですわ。」


「偽装か・・・」


 学園内にはアランや一部の貴族の熱心なシンパがいて、特にアラン親衛隊を名乗る女子生徒達はまるで軍の精鋭部隊のように学園内のどこにでも隠れていて、アランが声をかけるだけでその場に現れる。彼女たちの待機場所は茂みの中だったり、壁の中だったり、茂みも壁も無い時は茂みそのものを着て移動したり、移動可能な壁を持ち歩いていたりするらしい。

「親衛隊の彼女たちみたいな感じなのかな。」


「そこで鏡の出番ですわ。その潜入者は全身を魔法鏡で覆って、周囲の景色を映しながら歩き回っている!」

「しかし鏡では正面の景色しか・・・ああ、魔法鏡だから必ずしもそうとは限らないのか。」

「そうです、その鏡は正面の景色を正直に反射していなくて、真後ろの景色を正面に、正面の景色を背中に映すようにしているのでしょう。そうすればあたかも何も無いように見えます。」

「つまり、着替えブースのような物を担いで歩いているのか。だがそれでは地面に擦れる所はどうしているんだろう、引きずれば音を立てそうだけれど。」

「魔法鏡は板である必要は無いんですのよ、鏡である必要すら。潜入用の服に魔法をかけて服自体を鏡にしているのでしょう。そして・・・」


 レイラはハンカチを広げてアランの顔に被せた。

「外を見るためには穴が必要ですけれど、こんな風に細かい隙間のある布で顔を覆えば中からは外が見えて外からは見えないという状態を作り出すことはできますわ。だから覗き穴もなくて完璧に隠れることができた。ただし布でできている以上、全身に細かい隙間があって完全な鏡にはならない。だから、光の加減や、ふとした拍子に人の形の影が立っているのが見えてしまうことがある。」


 アランの側からはハンカチ越しにレイラの顔が見えたが、白い幕がかかっていた。確かにこの方法なら覗き穴が無くても外を見ることは可能だが

「ただしこの方式には重大な欠点があって、自分より暗い所にあるものはほとんど見えません。襲われた生徒は校舎の出入り口や日陰になっていたところから出てきて、偶々そこにいた襲撃者と鉢合わせしてしまったのではないでしょうか。」


 たしかに、襲撃現場は校舎や寮の入り口前と建物の角に集中していた。


「そして、全身が鏡だから明るさの足りない室内や夜間では人の形が丸見えになってしまう。この部屋を襲わず外で待ち伏せているのはそのせいでしょう。襲撃者は日中は隠れる必要が無くて、逆に隠れると見つかってしまうから、明るい所を選んで移動しているんですわ。」

「ああ、だから日が暮れそうになると急いでどこかに隠れる必要があるんだ。それで校舎の入り口での遭遇が多かったのか。なかなかに大胆というか、一種の挑戦者のように思えてきたよ。」


 姿なき挑戦者のからくりは解き明かされた。奇妙な服を着て堂々と学園内を闊歩しているのだから、見つかりにくいと言っても相当な度胸が無くてはそんなことはできないだろう。

 だが実際に警備部はその人物を見つけられないでいるのだから、余程上手く立ち回っているに違いない。


「怪我人が魔法の反動を受けて転倒させられたというのも多分、隠密活動を優先してあからさまな攻撃を控えたのですわ。そして反動の正体は防御結界でしょう。魔法で生成した炎や水は防御結界に触れた時点で消滅しますがそのエネルギー自体はその場にあって空気の急な膨張を引き起こす、ああ、そういえば授業で実演を見ましたわ。」


 レイラは謎が解けていくことと過去の授業を覚えていたことが嬉しくてほとんど踊っているようだった。

「そうか、こういう事ですわね!防御結界を張ったままで攻撃者に向かって突進すると空気の膨張に走る勢いを足した威力になる。だから生徒達は自分の魔法より微妙に強い力で弾き飛ばされたのですわ。」


 最後のところでレイラ自身の考えが出てきてしまったが、恐らく姿を消す仕組みはレイラが”視た”通りだろう。本人は自分が”考えた”と思っているのだろうが、実際は”視た”、透視したのだ。そしてこれは偶然だろうが、生徒たちが一様に打撲や捻挫ばかり負っていた理由はレイラの考察で説明が付く。


 レイラの透視能力を覚醒させるために様々な危機を経験をさせること。父王からの命令でそれを実行しているアランだったが、それは必要とあれば自分で危機的状況を作り出せという事でもあった。幸い?にして、落第を始めとしたこれまでの危機はすべて本物であり、自分の部下や協力者にレイラを襲わせる必要は今のところ無い。ただ一つ心配なのは、レイラが自分に危険が集中する理由に気づいてしまう事だ。


「ああ、でも・・・」

「うん?」

「シリカの姿を見たというのはどういうことなのでしょう?今の説明だと襲撃者の背後にシリカが居たという事になってしまいますわね。」


 アランは少し安心した。申し訳ないが、これが本来のレイラだ。自分で答えを言っておいてそれを忘れてしまう。

「それはレイラ、君自身が言ったことだよ。魔法鏡の使い方。」

「え?・・・ええと、どういうことでしょうか。」


「襲撃者は発見されたことでそれ以上隠れている意味がなくなった。かといって正体を見せることはできない。だから鏡に映る物を切り替えて正面には正面の景色を映すように、本来の鏡の性質にしたんだ。そうすれば発見した生徒は目の前に突然自分の姿が現れて驚くだろうし、その隙に防御結界を使うことが出来る。」


「でも、それなら被害に遭った生徒の姿になるんじゃありませんの?」

「そこで魔法鏡だよ。実際に着ている服とは違う服の姿を映せるなら、別人の姿を映すことも不可能じゃない。それがシリカの姿だったのも偶然ではなくて・・・」


 アランはレイラの目をじっと見つめるようにして言った。

「皆がシリカのことを心配していたからその姿が反映されたんだと思う。」


 魔法鏡の特性の一つである実像と異なる服を映す機能は、その姿を強く想像することで発動する。そうして店頭にない服であっても店と客がイメージを共有し、在庫から希望の品に近い物を探したり、或いは仕立てたりするのだ。

「でも、それならどうして魔法攻撃なんか・・・被害者にはシリカに見えていたのに。」

「突然姿を現したから驚いたというのと、咄嗟に正確なシリカの姿を思い描けなかったのだろうね。で、出現した虚像を見たらシリカに似ているけど別の魔人だ、怖い!となったんじゃないかな。ああ、そういうことか、軽傷の生徒は攻撃しなかったから突進のダメージだけで済んだんだ。」


 アランは自分の解釈に自分で納得した。

「痕跡が残らないのも、こそこそと移動しなくていいから舗装された道を堂々と歩いていたのだろう。だから足跡も残らない。ならばそれを逆手にとって行動範囲を絞りこめるんじゃないか。」


 目の下には疲労から深い隈が出来ていたが、アランの目に生気が戻った気がする。


 事情を知らないと危ないヒトのように見える顔だが

「ありがとうレイラ、やはり君に話して正解だったよ!」

「え?、ええ、お役に立てましたならうれしゅうございますわ。」

 レイラは少し困惑気味に答えた。


「それなら、もう一つ頼めるだろうか?」

「はい、殿下の御頼みとあれば・・・」



 アランはここでの会話の内容を警備部に伝え、これまでの襲撃地点から犯人の移動ルートを割り出させた。

 警備の配置を調整して移動ルートを絞り込み、襲撃者を捕らえるために次に打つ手は。


「そもそも狙われているのはレイラじゃないの。なのにこんな作戦、危険じゃない?」

 ベータは反対した。

「私が出るというならまだわかるわ・・・そうよ、私が行けばいいのよ。」

「それであなたに何かあったら結局私もただでは済まないのだから同じことよ。それにあなたの事は一応、まだ秘密なんだから。」


「それなら、私に同行させてください。レイラ様をお一人で行かせるわけにはいきません。」

「ありがとう、でも、それもだめなの。一回で確実に犯人を釣るには私だけで行かないと。」


「私は・・・ダメですよね、やっぱり。」

「角を隠してもその耳は目立つし、ごめんなさいね、あなたには不自由ばかりかけてしまうわ。」


 ステラとクリスタも、レイラの性格は知っていたので食い下がることはしなかった。その代わり、アラン達と一緒に陰から見守る事には同意した。



 アランが仕掛ける作戦。

 今の状況が長引けば被害者が増えるばかりだと考えたアランは、襲撃者にとっての本命、レイラを囮にして犯行現場を押さえることにしたのだ。その内容も実に簡単で、日中にレイラが一人で出かけて、所定の場所に設置したベンチで休む。その周囲には予め警備部員が潜伏していて、襲撃者が動いたら直ちに取り押さえるというものだ。


「そんなにうまくいくのかしら。」

「あら、こういうときは単純な作戦が良いのよ。向うだって待望の私に会えるとなったら必ず出て来るわ。」

「そこはまあ、そうだとは思うけれど。何か引っかかるのよ。」

「相手の狙いがわからない事?多分、どこかの王族が嫁に欲しいとかそういう類よ。シリカがいないから今の内って思ってるんじゃないかしら。」

「あなたを攫ったらそれこそ戦争ものではなくて?」

「ということは、シリカさえいなければ戦争になっても負けない公算があるのかしら。」

「例の、トリス帝国とか?」

「確かに、一度やってるものね。」


 トリス帝国というのはレイラたちが適当に呼んでいるだけで、バローが白状しないせいで未だに正体がわからない敵性国家である。初めはコカトリス帝国だったのだが、だんだん面倒になって今ではトリス帝国と呼んでいる。仮にコカ帝国と呼んだとしても、飲料メーカーっぽい感じは拭えないだろう。

「だから、バローの時と同じで私の安全は犯人によって保障されているというわけ。」

「まあ、それはそうだけれど。」


 ベータとしてもこれ以上食い下がることはできず、アランと合流するために地下へ降りて行った。


 一人になった部屋で、レイラは考えた。

「シリカだったら・・・もう襲撃者は捕まっているでしょうね。」


 神出鬼没を地で行き、何を考えているかわからないのが難点ではあるがシリカは基本的にレイラに利となる行動を取る。他の生徒が襲われても無関係を決め込むが、レイラが標的であれば、或いはレイラがそう命じればシリカは直ちに行動を起こし襲撃者を追い詰めただろう。


 これはシリカの癖なのか、そうした襲撃者に対してシリカは直接手を下すことはなく、役人の居るところまで相手を追い立てて捕らえさせる。それはまるで遊んでいるかのようでもある。

 ミハルの時も地下で散々追い回している。


「本当に・・・。」

 2か月もどこで遊んでいるのか、と言いかけて止めた。


 溶岩に特攻させた立場で言えることでは無いし、遊んでいるとは限らない。


 生きていることは確信しているが、どこでどうしているのかは知る術もない。今も火口の中で何かと戦っているかもしれないし、身体の大半を失って下流の方まで流されたまま埋もれているのかもしれない。


 ただ”あの”魔人シリカである。何年か経ってから突然、誰かの所に現れるのではないだろうか。むしろ歴史的にはそれが有力だろう。


 今回の襲撃者はシリカ不在という情報を得た上で行動を始めたに違いない。ならば相手が子供ばかりだから甘く見ているということは充分あり得る。事実、これまでの被害者は攻撃らしい攻撃を受けていない。こちらが魔法を使わなければ防御結界による魔力爆発に遭う事もないし、格闘ということならレイラも多少の心得はある。というか、単純に力とか反射神経の勝負になった時のレイラはかなり強い。相手が結界で押し倒しに来るのなら、逆にねじ伏せてしまえる可能性は低くない。


 レイラは自分の手で襲撃者を取り押さえようと考えていた。


「私だけでもやれるってところを見せなきゃね。」

 誰に話すでもなくそう言ったレイラは、ステラさえも連れずに外へ出て行った。



 レイラが寮を出ると同時に状況は開始された。


 警備部員を分散配置して監視の範囲を広げ、襲撃者に圧をかける。

 襲撃者は警備の数が多い事には気づくだろうが、それが自分をある場所へ誘導するための配置だとまではわからないだろう。鏡を使った隠れ蓑は姿は隠せても実体を消すことはできない。人通りの多い状況を作り出せば無関係の生徒と物理的に接触したり移動時に発生する風を感知されて発見につながることは避けるだろうから、人通りが少なくて警備もおらず、日当たりが良くて地面が固い場所へと向かうことになる。


 そしてその場所、Xポイントではアラン達が仮設の植え込みの中に隠れて息を潜めていた。


「すまないが、ベータ。少し離れてくれないか?」

「あ、あら。申し訳ございません、つい」

「まったくです。あなたにもしもの事があったらレイラ様もただでは済まないのですから、少し自重してください。」

「はいはい、というか、あなたこそどうしてここに居るの。レイラの事なら私に任せてくれていいのよ。」

「レイラ様だけでなくあなたまで危険な場所に行くと仰るのなら、レイラ様付きメイドとして私が行かないわけにはいきません。」


 ステラの理屈はわかるようでわからなかったが、

「そうですよ、レイラ様がお一人で活躍なさる場面なんてめったにないのですから、家人として見届けないわけにはいきません。」

 部屋に隠れているはずのクリスタまでがここにいるのは更にわけがわからなかった。


「ええと、君は・・・誰だ?」

「誰だって構わないじゃありませんか、ただの家人です。」

 さすがにシーラ貝は背中に隠していたので、今の彼女は小柄なエルフに見える。


 ステラやベータとも親しそうにしていたので、無関係ではないのだろうとアランが納得しかけた時

「隊長!」


 警備部員の声に一同は静まった。予定通りの方向からレイラがやってくる。寮で自習するのに飽きた少女が気分転換に外で読書しようと場所を探している、という設定であるため、固そうな表紙の本を一冊抱えている。傍らにシリカもステラもいないというのにも見慣れたと思っていたが、やはり彼女が一人で歩いている姿には何とも言えない違和感がある。レイラ自身もなんだか落ち着かない様子に見えるが、それは作戦のせいで緊張しているのだろうか。


 アランたちはレイラの周囲に目を凝らすが、まだこれといった異常は見られない。

 被害に遭った生徒からの聞き取りで、輪郭のはっきりしない水の塊のような物が見えるということがわかったため、そんなものが近づいていないかと警戒をしているのだが、いまはまだ現れていないようだった。


 Xポイントに着いてしまったが何も起きない。予定通り、レイラはそこに用意されていたベンチに腰を下ろすと、抱えてきた本を開いた。


「あ・・・レイラ様。」

「大丈夫なのかしら。」


 レイラの様子を見たステラ達が何かに気づいたようだが

「何か見えたのか?」

「あ、いえ、特に問題はございません。」

「というか、問題というほどの事では無いのですけれど、」

 レイラが予定と違う事をしているのだが、今から修正するのは困難に思えた。


「そうか・・・仕方ない。皆、どんな異変も見逃すな。」

「了解・・・」

「承知いたしました。」



 これまでの被害状況から、襲撃者は潜入、暗殺に特化した装備を見に着けているものと考えられた。魔法鏡を隠れ蓑に使う以上、突起や膨らみの少ない服装で、長物はもちろん鞄も大きなものは持ち歩けないはずである。極端な凹凸があると隠れ蓑に映し出される背景の映像に不用意な影、或いは明部が生じるためだ。これは周囲の景色に対して違和感を生じさせ、発見リスクとなる。


 襲撃者対策で警備部員たちは軽装備で生垣や各種の偽装の中に隠れている。レイラの背後には清掃道具などを入れる倉庫があるがこれも警備部員が隠れるための偽装である。いざという時は中のレバー操作で全ての壁が展開する。他にもこの周囲には分別ごみの回収箱が集中しているように見えるが、全て警備部員が隠れてレイラを護衛するための偽装である。



 状況開始から大して時間は経ったいなかった。


 季節は夏という事もあり、日中の陽射しは強い。日焼け対策は万全にしているし制服のおかげで熱中症のリスクもほとんどないが陽光の下ではさすがにじわじわと水分を失う、正直、読書したいなら図書館へ行った方が快適だろう。レイラもそろそろ喉の渇きを感じ始め、そこでようやく自分が段取りを間違えた事に気が付いた。


(しまった。)


 実はステラが軽食と水筒を用意してくれていた。本来の計画ではレイラは用意された鞄に適当な本を入れてXポイントまで徒歩で行くことになっていたのだが、考え事をしながら出てきたため鞄を忘れて本を脇に抱えてきてしまったのだ。したがって補給すべき水分が無い。一度帰るか?まだ陽は高く、持ってきた本はほとんど読み進んでいない。もっとも、レイラは禄に本文に目を通しておらず、適当なタイミングでページをめくっているだけだった。


 レイラは目を閉じて天を仰いだ。

 遠目には本の内容に感銘を受けているように見えた。


 日光の下での読書はちょっと光が強すぎるし、本にも良くないだろう。早くもレイラは作戦を中止したくなっていた。


 折角ステラが用意してくれたお弁当を無駄にはできない。もちろん、帰ってからお茶と一緒に頂いても良いのだけれど。ああ、誰か気を利かせて持ってきてくれたりはしないかしら。 


「って、あれはそういうことを考えている顔よ。」

「否定は致しませんが・・・やはり私は寮に居るべきでした。そうすればレイラ様に鞄をお持ちすることができましたのに。」

「万一の時にレイラ様をお守りする、って、警備の皆さんと一緒に早朝から待機したのは失敗でしたね。」

「あなた、姿を見られずに寮へ行ける魔法とか持ってないの?」

「あるにはありますけれど、ちょっと準備が必要ですよ?地面に魔法陣を描いたりとか。」

「良いじゃない、ちょっと外させていただいて、そこら辺でやってくれない?」

「描くのに2時間くらいかかりますけれどね。」


「君たち、静かにしてくれないか。」

 張り込み中である、さすがにアランに叱られた。


「・・・長くないかしら。」

「何がです?」

「レイラよ。さっきから上を向いたままだわ。」


 たしかに、レイラは天を仰いだまま固まっていた。

「居眠りでも始めたのかしら。何か聞こえない?いびきとか。」

「そんな、いくら何でも・・・」


 レイラは動けなくなっていた。


「お姫様は天気がおよろしいのにこんなところで読書ですか。」

 耳元で急に囁かれてレイラは目を開けたが、後ろから首元に腕をまわされて顔を下げることができなかった。

 目の動きだけで見える範囲を探すが誰もいない。誰もいないのに声だけが聞こえた。誰かの腕の感触があるが姿は見えない。わかるのは女性のような細い腕ということくらいか。


「ページをめくってみたけれど、天気が良すぎて読書どころではなかったわ。」

 上を向いたままではしゃべりにくい。

「ちょっと、しゃべりにくいんですけど。この手をどかしてもらえるかしら?」

「いいえ、このままで充分お話しできましてよ。」


 襲撃者はこの監視の中を突破してレイラに辿り着いた。鏡魔法の隠れ蓑はそれほどの性能だったのか。


「こんな回りくどいことをして、私に何か御用?」

「それはこちらのセリフですわ。わざわざこんな舞台を用意して、私に何か用事があったんじゃございませんの?」

「あら、ご存じでしたの。」

「そりゃ、こんなにあからさまな警備体制・・・その上姫様がお一人でこんなところへのこのこ出てらっしゃるなんて、何かあるに決まっているじゃありませんか。」


 警備の配置状況、地面の状態、レイラの登場と、襲撃者に少し頭があれば誘っていることがすぐにわかる。

 相手はこちらの作戦を読んで先回りをしていたのだ。

「まあ、実際あなたに用があってこうしてお待ちしていたのはその通りですわ。」


 パン!と音を立てて本を閉じる。首に回された腕に力が入るのが感じられた。

「慌てないで。本を閉じただけです。」


 音が大きかったので何かの合図と思われたのだろうが、植え込みに潜んでいる部隊に動きはない。

「これは失礼いたしました。永年の恨みがようやく晴らせるかと思うと気が昂ってしまいまして。」

 恨み?他者から恨まれることなど覚えがたくさんあるが、こんな手の込んだ細工の出来る相手などいただろうか。


「失礼ですけど、どこかでお会いしまして?あなたの声も聞き覚えがありませんけれど。」

「ええ、もちろん初対面です。私個人としてはあなたに何の恨みもありません。」

「あら、それじゃあ何を長年恨んでいらしたの?」

「一族の、恨みですわね。昔あなたに滅ぼされたことがありまして。」


 レイラが昔、誰かの一族を滅ぼした?ブラッドベリー家に敵対していた貴族か?レイラにはそんな政治抗争に参加した記憶などない。それとも幼学校時代の喧嘩の話か?どちらかの一族が滅びるような大喧嘩になったらそれは家同士の問題で、レイラ個人を恨むのはやはりおかしい。

「一族って、ちょっと覚えがありませんわね。いったいどちらの貴族でらっしゃるのかしら?」


「・・・そう、覚えていらっしゃらない。」

 腕に力が入った。

「種族ひとつ滅ぼしておいて、覚えてらっしゃらない、と。」

「言っていることがおかしくてよ。滅んだのならあなたはなんなの?」

「一人生き残ったからって、種族は再興しないわよ!それにどうせ私もこの場から逃げられないわ。」


「・・・それもそうね。」


 レイラのこの返答は文字通りの意味だったが、襲撃者の思っていたのとは少し意味が違っていた。


 レイラは閉じた本を傍らに置き、立ち上がろうとした。


「ち、ちょっと・・・」


 襲撃者はレイラの動きに引きずられるように一緒に立ち上がった。だがレイラが言ったようにその足は地面にしっかり捕らえられていて、バランスを取ろうとして腕を滑らせてしまった。


 わずかに腕が緩んだ隙にレイラは苦も無く抜け出した。


「これは、いったい?」


「そんなの、見たままですわ。学園の地面があなたの悪行をいつまでも見逃すとお思いだったのかしら?」


 襲撃者の足が砂に覆われていた。いや、砂ならば払えばいいのだが、その足はびくともしない。砂と思っていた物はコンクリートだった。


 足を固定されたままで急に立ち上がってバランスを崩した襲撃者は無様に尻もちをついた。

「くっ・・・」


 警備部の動きがあからさま過ぎて襲撃者に作戦を教えているような物だというのはわかっていた。

 警備の姿を見せることで相手の行動範囲を制限することが目的なので、それは仕方のないことだ。問題は、そうやって読まれた作戦にどうやって相手を嵌めるか。それには相手の想像の上を行く仕掛けをしておくことだ。


 傍らにマンホールがあった。こんなところにいつから設置されていたのか。丸い鉄製の蓋がゴトゴトと動いて警備部員が、続いて小柄な警備部員が現れた。


 アランは作戦を読まれることを予想して手を打っていた。

 ミハルは得意の土系魔法でXポイントの地下に小部屋を作り、作戦開始に先行して潜んでいたのだ。そしてかつてレイラを襲撃した方法で、今度は彼女を救ったのだった。


 襲撃者が倒れたのを確認して、周囲に潜んでいた警備部員たちも姿を現した。


「さて、いい加減顔をお見せになりませんこと?いつまでもその奇妙な姿とお話しするのは疲れますわ。」

「奇妙だと?」


 レイラの前に居るその人物は隠れ蓑の機能によってその向こう側の景色に見えていたが、今のレイラくらいに近い距離だと輪郭が歪んで朧げに人の形が浮かび上がって見える。頭に小さな黒い点があるのはおそらく覗き穴だろう。

「よく見ると、魔人とはだいぶ違いますね。」

「え?」

「確かに。同じなのは角くらいで、他の部分は適当というか、髪の色も全然違うし。」


 ミハルと警備部員にはレイラとは違う姿が見えているようだ。

「あなた達にはこれがシリカに見えるの?」

「はい。でも靴を履いているし・・・」

「靴?いやいや、髪の色が全然違うじゃないですか。」


「えぇ、髪はこういう色ですよ。」

「何を言っているんです、魔人シリカといえば濃紺のロングヘア。これはどう見ても灰色ですよ。」


「灰色?靴??」

 レイラは改めて目の前の人型の物体を見た。舗装された地面柄というニッチ過ぎる生地で全身を覆った奇妙な人物がいるだけだ。


「どうしたレイラ、何かされているのか?」

「え?いえ、大丈夫です。」

「油断するな、そいつから目を離さずにゆっくり離れるんだ。」


 動きを封じたとはいえ、相手は隠れ蓑などという珍品を持ち出すような相手だ。他にも何か隠し持っているかもしれない。油断なく構える警備部員がじわじわと囲みを狭めるのと反対に、レイラはすこしずつ後退した。


 襲撃者は尻もちをついて座り込んだまま、奇妙な仮面でレイラを睨み続けていた。


 そうして、レイラの後方には抜剣した警備部員が迫っていた。あと数歩ですれ違うだろう。


 すれ違うと同時に警備部員が横に動いてレイラと襲撃者の間に立ち塞がる形になる。そうすればもう、レイラの安全は確保できたような物だ。


 次の一歩で警備部員とすれ違う・・・


 突然、レイラは前方へ、襲撃者の方へ向かってダッシュした。


 バランスを崩しながら、ほんの2、3歩の前進だったが、背後からレイラを狙った切先は虚しく空間を貫いた。


「なんだとっ?!」

「ちぃっ・・・」

 隣にいた警備部員の有り得ない行動に、一瞬、隊列が乱れた。襲撃者を包囲していた警備部員の注意がその男の方を向く。


 襲撃者の一味が既に警備部に入り込んでいたのか。いや、それならミハルの待ち伏せは・・・わざとひっかかったフリをしたというのか?だが、その策はレイラの突然の奇行によって失敗した。


 当のレイラ自身も自分の突然の行動に驚いていた。背後で何が起きたのか、振り向いて確認しようとしたとき、目の隅で襲撃者がこちらへ向かって手を伸ばすのを見た。


 暗器。服の下などに忍ばせておく暗殺武器である。袖口から短剣が飛び出してそのまま投擲したり、手の中に納まって武器として使ったりする。今回は前腕に仕込んだ小型のクロスボウだった。一回射ちきりな上射程も短いが、今なら充分な威力を発揮するだろう。襲撃者の手から放たれた鉄製の短い矢は、吸い込まれるようにしてレイラの胸を直撃した。


 レイラの、分厚いがやわらかい胸部装甲は、鉄矢の勢いの大半を受け止めた。


 ”びよよん”


 そんな音が聞こえたかと思われた。鉄矢はレイラの胸で弾かれて乾いた音と共に地面に落ちた。


 襲撃者のクロスボウは再度矢を番えるためには一度装備を外す必要がある。そもそも、必要最低限の装備しかしていない、二の矢など用意していなかった。それ以前に

「馬鹿な・・・」


「レイラ!」

 アランが駆け付けてきた。

「貴様ァッ!」

 アランにも襲撃者の姿はシリカによく似た別人に見えていたが、躊躇なく斬りつけた。


 ”ゲンッ”

 アランの一撃は襲撃者の右腕を斬り落とした。妙な金属音がしたのは暗器を破壊したからだ。


 魔法鏡を使った隠れ蓑は実のところ絶妙なバランスの上に機能している代物だ。片腕を斬り落とされたことでバランスが崩れ、その機能は完全に失われてガラスの粉末を編み込んだようなキラキラと輝くタイツスーツが姿を現した。


 片腕を落とされた襲撃者は今度こそ警備部員に取り押さえられた。


「レイラ・・・」


 レイラは呆けたような表情で棒立ちになっていたが、アランに声をかけられて我に返った。

「アラン・・・」


「レイラ様ッ!」

 ステラが駆け寄った。ベータとクリスタの姿が無い。潜んでいた茂みから飛び出そうとしていたクリスタをベータが引き留めていたのだった。


「レイラ様、お怪我はっ?」

「だ、大丈夫よ。何とも無いわ。」


「本当に何ともないのか?これがまともに当たったように見えたが。」

 アランは地面に落ちていた鉄矢を拾い上げた。精密に加工された丸い軸、矢じりは無く、先端を鋭く尖らせていた。矢羽根も無いのは完全に短距離特化仕様なのだろう。長距離を滑空するのではなく、ばねの力と加工精度で短距離を真直ぐ飛ぶことだけを目指した武器。おそらく弓でも無くて、スプリングを使って一発だけを撃ち出す機構。専用の鉄矢はそこそこ重量があり、当たれば相当の威力があるはずだ。


「レイラ様?」


「さすがに、穴が開いてしまったわね。」


 レイラの胸にははっきりとわかる大きさの穴が開いていた。思わず指を入れてみると、下着にまで穴が開いていた。その下の肌にまで届いたかと思ってなおも探ってみたが、出血を思わせるぬめりも穴の感触もなかった。だが、指先にやや固い物の感触があり


「!これは・・・」

「ちょっと、”それ”は違うわよ。」

「はい?」


 レイラの胸をまさぐるような手つきになっていたステラは、”それ”の正体に思い当たり慌てて指を引き抜いた。


「馬鹿な!この距離で、まともに当たったんだぞ。運良く即死を免れても・・・刺さらないはずがない。」

 縄をかけられた襲撃者が堪らず口を挟んだ。


「そこは学園の特製制服のおかげですわ。」

 レイラは得意げに胸を張ってみせたが、その左胸には明らかな穴が開いていた。

「私くらいになれば、自分の魔力で制服の修復速度を早められるのよ。あなたの矢で開いた穴は、大きくなる前に塞がって行き、最終的に矢そのものを止めてしまったのよ。」


「ふ・・・ふざけるなぁッッ!!」


 だが刺さっていない物は刺さっていないのだ。襲撃者は叫びながらレイラから離れたところへ連れていかれた。



「レイラ様、さっきおっしゃったこと・・・」

「ええ、大嘘よ。そんな器用な事出来るわけないわ。多分、こういうことよ。」



 レイラはステラに離れるよう促すと、目を閉じた。


 胸に下げた宝玉が輝き始め、レイラの足元に青白く光る召喚陣が現れた。だが、同時にレイラの体も光り始めた。


 そのままレイラが念じ続けると、レイラの体から押し出されるようにして青く光るヒト型が現れ、やがて実体となった。



「ん゛~~、ぬ゛っ!」

 見覚えのある小柄な全裸少女は不満そうに唸ると、背中からレイラの懐に飛び込んだ。


「「シリカ?!」」


「まったく・・・まさかとは思いましたけれど、本当にこんなところにいたんですのね。」



 ウィンドリンガーの溶岩に落ちたシリカはそのまま火口の奥深くへ一気に沈んでいった。ウィンドリンガーの特殊な溶岩の上ではシリカは踏ん張ることができず、比重の大きい身体は重力に引かれて落下するだけだったのだ。溶岩の高温で焼かれ魔人服は跡形もなく焼失した。だが、無限に落ち続けることは無かった。交換現象の影響範囲外は普通の土壌である。底に到達したシリカはそのまま地中を進んで戻ってきたのだ。


 だが、溶岩に焼かれた身体は異常な高温を帯びていた。ただ焼かれていたのではなく、魔力を含んだ溶岩に晒され更に地中の高圧を受け続けたことで太陽のように高エネルギーを圧縮した怪物になっていたのだ。そのまま地上に出ればその放熱は溶岩の比ではなく、更に局地的な上昇気流は強力な低気圧を発生させかねない。シリカは地中に留まり、温度が下がるのを待つことにした。それでも、シリカの放つ高熱は学園周辺の気温を上昇させ、農作物にも影響を与えた。


「そうして、私の近くまで戻ってきていながら私に触ることができない日が続いたせいで・・・」

 レイラはぐいぐいと押し付けられる背中を押し返しながら自分の解釈を話した。


「我慢の限界が来たシリカは私に触るだけでは足りなくて、中に入ってしまったのですわ。こんな風に。」


 レイラが手を離すと、レイラの胸に背中を預ける形になったシリカは、そのままレイラの体にしみ込むように消え始めた。適当に沈み込んだところで再び肩を掴んで押し出すようにすると、不満をこぼしながら外へと出てきた。一体どういう絡繰りになっているのか、その手を離すとまたレイラの中に消えてしまった。


「それじゃあ、最近よくお水を飲んでらしたのも?」

「言われるまで自覚は無かったのだけれど、多分シリカのせいね。」

「レイラ様がそのようなことになっていらしたとは、お傍付きとして面目次第もございません。」


 レイラの水分摂取量や果物の摂取量が急に増えたことに気づきながら、その理由に考え至らなかったという事のようだが

「いいのよ。こんなことになっているなんて、普通はわからないわ。」

「ただでさえ学園はこの暑さだし、普通に暑さのせいだと思うのは仕方がないだろうね。」


「いえ・・・」

 ステラはある異変を目撃していた。


「レイラ様が台所で果物を摘まんでいらっしゃる現場なんで初めて見ましたので、驚いてしまって・・・」

「ちょっと!そんな事まで言わなくていいわよ。」

「いや、この暑さでは多少行儀が悪くなるのも致し方ないだろう。」

 そう言いながらアランは苦笑していた。


「一応、申し開きさせていただくと、シリカは私をある程度操作できたみたいで、朝とか私がまだ眠っていたのに気が付くと台所にいたり、さっきみたいに急に足が動いたり・・・」

「別にシリカのせいにしなくても、これだけ暑ければ朝は喉も乾くだろうし、いいんじゃないか?」

「だから私じゃなくてシリカの意志だっていうの!」

 ディーンの声は大きく、レイラの恥ずかしい逸話が一つ周囲に知られることになった。



 やがてアランとディーンは取り調べのために襲撃者と偽警備部員を連れて撤収することになった。


「そういえばあなた、変なことを言ってましたわね。」

「はん?」


 襲撃者はマスクを脱がされ、隠れ蓑を脱がしたところ下になにも着ていなかったので警備部員のローブを着せられた状態だ。その特徴ある尖った耳、ヒトより細身な身体。彼女の正体はエルフだった。

「私に滅ぼされたとかおっしゃいませんでした?それとも聞き間違いだったのかしら?」

「何を言っていやがる。こっちは充分調べた上で、事が起きるまで・・・みすみす一族が滅びるのを待って・・・」

「馬鹿ねぇ、そんなに一族が大切なら滅ぼされる前にやればよかったでしょう、返り討ちでしたでしょうけれど。」

「はあ!?馬鹿かお前はっ。滅びたという事実は既にあるんだよ!変わらないんだよ!」

「はぁ・・・、あなたさっきから滅びた滅びたって、いったい私がどちらの一族を滅ぼしたって言うんですの?全く思い当たりませんけれど。」


 襲撃者エルフは怒りのあまり歯茎から血を流しそうなほど歯を食いしばってから、ようやく

「お前、過去へ行っていたことがあるだろう。」

「なっ!?」


 ステラにも話していないことをなぜ知っているのか。話しても信じてもらえないと思って黙っていたのに。

「その時お前は、残り僅かな、放っておいても滅びを待つだけだった我が同胞を・・・ッ」


 レイラが驚いたのを見て警備部員が割って入った。

「姫様、そろそろ・・・」

「あ・・・待って、もう少しだけ。」

「ふ、フンッ!身に覚えが無いならそれでもいいさ、やった事実は消えないからな。その身に背負った罪の重さに一生苦しめばいい。」


 絶句したレイラに向かって吐き捨てるように言うと、襲撃者エルフは警備部に連行されていった。


 過去へ行って、滅びそうな種族に出遭った。それは事実。だが、滅ぼした?逆だろう。

 そもそもあのエルフは何者だ?エルフ?エルフならこの学園にも普通に・・・


「あ・・・!」

「レイラ様、大丈夫ですか?」


 棒立ちだったレイラを気遣ってステラが声をかけた。舗装された道からの照り返しもあってここはかなり暑い。


「え・・・ああ、大丈夫よ。さあ、私たちも帰りましょう。外は暑いわ。」

「あの、レイラ様。シリカはこのままにしておくのですか?」


 レイラは自分の体に手を突っ込むことはできないが、召喚魔法を使って自分の中にいるシリカを体外に召喚することができた。その気になればいつでも外に出せるわけだが

「実はね、あの子の体はまだ結構熱いままなのよ。うっかり触ると火傷する程度には。」

「え、でも先ほど・・・」

「熱かったわよ。でもシリカの再生能力かしら、焼ける傍から火傷が直って行くから、ちょっとむずむずするくらいで済んだのだけれど。」


 そう言いながら見せたレイラの掌はまだ赤かった。

「だけど、誰が触っても必ず治るという保証はできないから、当分はこのままにしておくつもりよ。」


 ティーラブ能力とは作用の仕方が異なるため本当にシリカの能力で治っていたのかはわからなかったが、あの場では誰も治癒魔法を使っておらず、やはりシリカの仕業と考えるのが妥当だろう。だとすれば、レイラと近しい、ステラやベータ以外の者が触った場合同じように治るかはその時のシリカの気分次第となり、その意味ではレイラの判断は適切だと言えた。


「でも、こういう形で帰ってきていることは果たして、学園の皆に話して良い物なのかどうか。」

「アラン様たちに相談なさった方が宜しいかと思います。」


 シリカの存在は軍事バランスに影響する。たとえ思った通りに敵を倒してくれないとしても。生存していることを今明らかにすれば、敵対勢力からすればこれ以上レイラ暗殺に手駒を使いにくくなる。返り討ちに遭うのが確実だからだ。そういう意味ではさっさと告知してしまった方が良い。既に学園内に潜入してしまった工作員には慌てて撤収すればそこから足が付きやすいというリスクもあり、王国としてはその方が都合が良いのだが、レイラ個人としてはこのまま何もせず潜伏していて欲しいと考えている。事態をなるべく穏便に済まそうとするなら逆にシリカの生存をこのまま秘密にしておくことか。レイラの身辺は今まで以上に物騒なことになるが、襲撃の矛先を自分に向けさせておけば他の生徒は、巻き込みはあるものの一応安全なはずだ。幸い、今日の事を目撃したのはこの現場に居た者たちだけである。それに、命と引き換えに学園を護った魔人がしれっと生きていたら、例の慰霊碑を建てたりパンツを奉納した生徒の立場が無いだろう。


「当分は・・・せめて外を歩けるくらいに温度が下がるまでは内緒にしておいた方が良いかもしれないわね。」 


 

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