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よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


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第20章『自分語り』

 シリカが発見した地下遺跡は遺跡どころかつい先日まで使われていた異世界の研究施設だった。

 アイーシャも遺物とされた三角硬貨の保存状態が良好というより新しすぎると感じて、その正体を追究しようとしていたのだが、実物を見る以前にベータたちから回答がもたらされた。


「向こうは向こうで重要施設が消えてしまって大変みたいだったわ。ただ、むこうでは・・・こっちでいうところの交換現象の研究が進んでいて、発生をある程度予知できるそうなの。」

「それは・・・すごいわね。」

「それで交換の範囲内にある場所からは住人や重要施設が退避して監視していたら、無人のはずの施設から子供が出てきて・・・子供って言うのは最初に行方不明になった生徒ね。で、彼を保護して事情を聞いていたところに今度は怪人が出た!」

「怪人・・・」


 皆が一斉にシリカを見た。

 ヒトの特徴を多く持ちながら、額に角、顔の横に獣耳、前腕に鬣のような物、お尻に尻尾、爪先は蹄なのに足の骨格はヒトっぽい、そして

「りゃぃ?」

 意味は通じるがまともにしゃべれない。一部ではシリカ語とも呼ばれているが、発音が悪いだけで言語自体は標準的な人類語である。


 不老不死や固有能力は使って見せなければわからないだろう。


「それがね、あまり話は聞けなかったけれど、向こうにも亜人種がたくさんいて、シリカっぽい人もいるらしいのよ。ただ、こっちと違って一括りに怪人って、魔人と獣人の区別が無いの。」



 などと異世界見聞録(といってもベータはその研究施設から出ておらず、行方不明だった生徒たちが転送されるのを待つ間に少し会話をした程度なのだが)が始まる少し前、レイラは今回の事件の関係者を集めて報告会を開いていた。


「これで全員かしら?」

「はい、アイーシャさんにも同席していただいております。」


 行方不明事件の後もアイーシャは誘導溝工事現場に足留めをされていた。

 当人は学園へ帰るより遺跡調査をしたがるかと思われたが、ベータから施設の正体を聞かされて急激に興味を失い、荷物をまとめて帰ろうとしていたのをステラがつかまえたのだ。


「今回の行方不明事件について、不確実な情報を持ったまま学園に帰ることは重大な混乱を呼びかねません。学園理事会に報告する前に事件について我々の見解を統一しておきたいと思います。」

 百人弱の生徒と城下町からの工事参加者、騎士団員が勢ぞろいしている。彼らを前にして王のように振舞い堂々と仕切っているのは我らがレイラ・ブラッドベリー嬢である。


「まずは・・・」

 レイラは一呼吸置くと

「レイラ・ブラッドベリーの名において、これよりこの場で語ることに虚偽はないと宣言します。」


 高らかに宣言した。


 やはり生徒の中にはレイラが仕切ることに不服そうな顔の者もいたが、レイラは構わず続けた。レイラは自分の家の名を以って宣言をした。これ以降、この場でのレイラは魔法学園の生徒ではなく公人、公爵令嬢レイラ・ブラッドベリーである。以後この場での発言にレイラは相応の責任を負い、この場にいる全員は彼女の話を受け入れなくてはならない。


「まず、行方不明者全員の無事の帰還を喜びたいと思います。1人も欠けることなくここへ戻ることができた。だが、そもそも彼らはどこへ行っていたのか、どうやって消え、どのようにして戻ってきたのか。この場を借りて明確にしておきましょう。」


 正直、レイラはこんな手段は使いたくなかったのだが、時間が無い中で急いで真実を伝え、つべこべ言わずに納得させるにはこれが最適な手段だったのだ。権力で庶民をねじ伏せるような行為はこれまで避けてきたのに、こうなっては家の名を使わざるを得ない。


「今回の行方不明事件ですが、これは500年ぶりに起きた交換現象であることが判明しました。」


 一部の生徒がざわつく。ウィンドリンガーの噴火よりレアな現象に遭遇したことが信じられないといった風だが、レイラは続けた。

「交換現象の詳細は省きます、今更説明は不要でしょう。ただ、実際に交換が行われる現場に遭遇した記録は少なく貴重な体験であったと言えるでしょう。」


 教科書に書かれるような珍しい現象、だが交換現象はこの数千年で地球を滅茶滅茶に破壊した張本人である。無作為に発生する自然現象で、無慈悲に土地を削り取り、そこに住んでいた生物ごとどこから来たともわからない土地と入れ替え、何の前兆もなく唐突に始まって唐突に終わる。そして、この現象の最も恐ろしい所はその交換がいわゆる異世界の間で行われるということだった。今地球に住む亜人や魔獣は全て交換現象によって連れてこられたのだ。


 その現象に遭遇して1人の欠員も出さなかったのは幸運、それも一度向うへ行って無事に帰ってこられたなど、その体験を本にすれば大ヒット間違いないだろう。加えてこちらに送られてきた土地から新種の魔獣が出現しなかったのは奇跡とすら言えた。


「更に、今回は土地の交換先の住人と連絡が付き、協力を得られるという幸運にも恵まれました。」


 ピンと来ていない者も多かったが、その重大さに気づいた生徒は表情をこわばらせた。アイーシャもここには反応した。


 歴史上、交換現象の有無に依らず異文明同士の初接触は衝突から始まり、どちらか一方が他方を打倒、征服することで収めていた。今回のように最初に出遭ったのが話の分かる相手だったというのは珍しい例で、加えて帰還に協力的だったなど本当に幸運だった。しかも、迅速な対応の裏には言語の違いがほとんどなく意思の疎通が容易だったという事実があった。過去の地球においては同一の時空に存在しながら地理的に離れていただけで全く会話の成立しない言語が乱立し、人類同士の抗争の元になっていたのだから、異世界人となんの準備も無しに会話が成立したというのは幸運を超えて異常事態だった。


「まったくもって、不幸中にあってそれを上回る幸運にあったとしか言いようがありません。ですが、これが事実なのです。私たちは溶岩誘導溝の工事中に進路前方に発生した交換現象に遭遇し、20数名の行方不明者を出しました。しかし、行方不明者は交換現象で運ばれた先で協力的な異世界人と接触し、関係者の尽力と彼らの協力により全員が無事に帰還を果たすことができました。」


 関係者、つまり事故が交換現象であると判明してからの対処に当たった一部生徒と騎士団員、そして本件の現場に居た、居ないに係わらずここの現場に参加したすべての要員である。


「特に最終作戦において、勇敢にも魔人と共に異世界へ赴き転送に必要な生体情報を先方に提供し、帰還に際しては最後まで異世界に残って全員の帰還を見届けてくれた人物。彼女については様々な憶測が飛び交っていると聞いていますが・・・」


 自称情報通、無責任な噂を捏造、流布した生徒は既に特定し、騎士団員が密かに監視していた。度が過ぎるようであれば逮捕拘禁もあり得る。

「ゴシップとしてもくだらないですし、あまり出鱈目な噂が広まっていくのは看過しかねますのでここではっきりさせておきます。」


 レイラが合図すると、参列者の後の入り口からレイラが入ってきた。


 2人とも学園の制服を着ているので壇上で並ぶと全く区別がつかない。わずかな違いはアランからもらった指輪だけだ。


「もうお気づきでしょうが、その”彼女”というのは今までこの集まりを仕切っていたこの女性で、皆をここに集めたのは私、レイラ・ブラッドベリーですわ。」


 場内は騒然となった。よく似た他人だとか従妹だとか色々な噂が流れていたが、そういうレベルではなかった。今の今まで誰も壇上に居る女生徒をレイラと信じて疑わなかった、それほどそっくりで、容姿から話し方からレイラそのものだったのだ。


「そろそろお静かに願えますかしら。ご紹介しますわ。」

 ベータが一歩前へ出た。


「こちらはレイラ・ベータ・ブラッドベリー。と言ってもまだブラッドベリー家の認知を受けておりませんのでブラッドベリー姓を名乗るのは尚早なのですが、私の一存でこう名乗っております。噂にあるような隠匿していた双子でも、腹違いの姉妹でもありません。彼女の正体は私が転移魔法を使った際に生まれた残像、複製体なのです。」


 またしても場内は騒然となった。ベータの正体についてはもちろんだが、一年目で落第とまで噂されたレイラが召喚魔法に加えてより上級の転移魔法まで使用したことと、残像が発生するほどの長距離転移をしたというのは一大事件なのだ。実際には歩いて行ける距離の転移だったが、それでこのような残像を発生させたというのは事実である。


「静粛に!さて、彼女の正体を明らかにしたところで皆にお願いしたい事があります。」

 場内が静まり返った。レイラの良く通る声はその場の隅々まで響いたが、その声には有無を言わさぬ圧力が含まれていた。聞かない者には厳罰とでも言っていそうな勢いだった。


「要らぬ混乱を避けるため彼女の存在は今まで伏せてきましたが、最終作戦の確実な成功のためには彼女の存在が不可欠であり、こうして皆に紹介の運びとなりました。しかしながら、彼女の存在はまだここの外には知られておりません。そこで皆には彼女について見聞きしたことは全て忘れて頂きたい。」


 場内は静まり返っていた。レイラの素性を考えればこの要請を拒否できる者はこの場にはおらず、そしてこの要請はレイラがそれを口にしたその時から発効していたのだ。

 もちろん、これは法的手続きを踏まえた公的な要請ではなく、ブラッドベリー家による物でもない、飽くまででレイラ個人の要望である。だが、これを反故にした場合、王家とも太いつながりのあるレイラからどのような報復をされるかわからず、更に言えば・・・当然のことだが行方不明者の帰還のために危険な役割を買って出たこの少女に対してどう謝意を表すべきか


「レイラ様、それはこの場にいる全員が同じ考えだと思いますが。」

 1人の女子生徒が静寂を破った。発言を許可されたわけでも許可を求めてもいない不敬な行為なのだが

「そうですよ、忘れろなんて大袈裟な言い方しなくても、黙ってろとかここだけの秘密ヨとか」

「そんな恩人に仇で返すような真似、しませんよ。」

 そこに集まった者たちが思い思いに発言を始め、一時収拾がつかなくなったが


「わかったわ、わかりました!皆の厚意に感謝します。」

「大体レイラ様っていつも心配しすぎなんですよ。」

「本当、俺らだってちゃんとわかってるんですから・・・まるでオカンだもんなぁ。」


「おかん・・・」

 レイラの口から普段なら、貴族なら決して発しないような俗っぽい単語が出た瞬間、場内がドッと笑いに包まれた。


「れ、レイラ様が・・・”オカン”などと。」

「し、失礼ですが、レイラ様その意味を御存じで?」

「し・・・知ってるわよそのくらい!母親、でしょう?」

「それもなんというか、下品とは言いませんけど、ちょっとうるさい系の”お母様”ですが。」

「うるさいって、私そんなに口うるさかったかしら?」

「口うるさいというか、細かいというか・・・もうちょっと放っておいてくださっても大丈夫ですわ。」

「そうそう、レイラ様って心配性なんですよね。」


 集まった生徒の中には貴族出身者も多かったが、ここぞとばかりに普段のレイラに対する不満をぶちまけ始めた。普段ならなかなか言いにくい事だが、この空気なら言える!


「口うるさい、オカン・・・」

「レイラ様?」

 最前列の女子生徒がレイラの様子に気が付いた。誰かの言葉が余程効いたのか、呆けたような表情になっていたのだ。


「私が・・・心配性?」

「あの、お気にならずに。皆本気ではないと思いますよ。」

「私ってそんなに皆のことを?」

「え?」


 奇妙な質問だった。

「・・・えぇ、正直、かなり心配症というか。レイラ様はいつも皆の事を心配なさっていて、一方でご自身は割と無茶をなさるので、見ているこちらが却って心配になるというか。」

「今回のことだって、その、もう1人のレイラ様でなくても誰か他の者でも事足りたのではないですか?」

「というか、最初、レイラ様ご自身で異世界へ行かれようとしてましたよね。」


「そ、そうだけど・・・それはいけないかしら?」

「いけなくはないですが、もうちょっと控えて頂くというか・・・立場的に。」

「私たちのために無茶をなさらないでくださいというか、私たちの事を当てにして頂いても、と。」

「「です!」」


 絶妙なタイミングでハモった2人、一卵性双生児のそっくり姉妹がこの現場にはいたのだ。

「「元々の話が双子の片割れを送るという事だったのなら私達に言ってくださっても良かったのではないでしょうか?」」


 この2人、感情が昂ってくると発言がきれいに重なる傾向がある。

「そうはいかないわ、あの時はそれ以上生徒を危険な目に遭わせるわけにはいかなかったのよ。」

「その点、私なら存在しなくなっても特に困ることは・・・」


 城下町からの協力者は大人ばかりで、レイラたちの行動に対して理解を見せてくれたが、学園から派遣された生徒たちはレイラと同年代の子供であり、理性よりどちらかといえば感情が優先される年頃だ。あの時は自分の本体、レイラを守るための決断だったが、ベータのこの一言はここでは地雷発言だった。


「何ですかそれ!存在しなくなっていい者なんていません!」


 途端に場が騒然となった。もはや場を仕切るレイラに発言許可を求める者もなく、一時収拾がつかなくなってしまった。しかし発言の多くはベータを責めるように聞こえながら、その内容はレイラたちが独断で自身を犠牲にしようとしていたことに対しての抗議だった。


 自分の迂闊な発言が原因だったためベータはそれ以上何も言えず、レイラもその場が自然に収まるのを待つしかなかった。


「ですが・・・私たち皆、こうして皆の事を第一に考えてくださるレイラ様のことは大好きです。」

「そうそう。」

「あら、そう?ありが・・・」

 生返事気味だったレイラはその言葉を言い終わる前に何を言われたのかを理解した。1人の生徒の他愛もない一言が、今はどんな愛の告白より効いた。


「「あ、ええ・・・と」」

 発言した生徒はレイラの名前しか言わなかったが、ベータにとってもそれは自分の事であり、先ほどの双子に負けないハモりを見せた。


「だから俺たちの事をもうちょっと頼るというか」

「もうちょっと信用してくれてもいいんじゃないかと」


「レイラ様1人で全て背負おうとしないで、私達にもできることなら任せてくださって構いませんのよ?」


 レイラもようやく理解が追い付いてきた。公爵令嬢としての責任と立場を意識するあまり、問題が重大であるほど自分の力だけで対処しようとしていたが、一方で周囲の者はそれを共有したいと考えていたのだ。


「私・・・そうね、私なりに考え抜いた最善策を採ったつもりだったけれど、それが独断だったのは事実だし、結果的に皆には心配をかけてしまったようね。」


 レイラは姿勢を正すと、それまで見たことも無い角度で頭を下げた。

「「ごめんなさい。」」


 実際の所それほど深く下げたわけではないのだが、レイラが他人に頭を下げること自体が非常に珍しいことだったのに加えて、2人のレイラが同時に謝罪しているので一層珍しい光景となった。


「レイラ様、それは違いますわ。」

「「え?」」

「私たちは別に怒っていませんし、謝罪を求めているのでもありません。」

「さっきも言ったと思いますけど、自分を犠牲にしてまで守ろうとしてくれたことには感謝しているくらいで。」

「だからここで言っていただきたいのは・・・」


 勘違いをしていた。つい最近、自分も全く同じことを言ったばかりだ。あの時ステラに言った言葉がそのまま自分に向けられている。


 レイラに欠けていたのは他人を心配したり思い遣る心ではなかった。必要なのはむしろ心配することを止め、周囲の仲間を信じて任せることであり、自分の心配事を他者と分け合い気持ちを軽くすることだったのだ。無論、それには限度があるし自身で背負わなければいけない状況は必ず来る。だが一生で出遭うすべての事象について1人で背負う必要はない、特に今回のような場合は。

「そうね・・・」


 レイラとベータは互いに顔を見合わせると

「「心配してくれてありがとう。」」



 ベータの存在は理事会から公式な発表があるまでは伏せておくこと、事件の概要は交換現象という自然災害であり、交換された先の異世界人と魔人シリカの協力で行方不明者は全員無事帰還したということで口裏をあわせることを決めてその場は解散した。


 クリスタの事は途中でシリカに、更にステラと入れ替わったこともあって未だ気づく者は無く、レイラはそのまま彼女の存在を秘密にしておいた。大勢で秘密を共有するのは露見しやすくなる。ベータのような残像の存在は過去にも例がある事なので仮に知られても説明できるが、クリスタの事は説明に困る。まさか過去の世界から連れてきたと正直に言うわけにもいかず、言っても信用されないだろう。理事会にもまだ知られていない話でもあり、シリカ族の潜伏先へ出向いている生物教師が何か知恵を貸してくれることを期待して待った方が良いだろう。



「だけど、あなたはともかくクリスタはどうしてもどってこられたの?」

 報告会が解散したあと、レイラは仮設宿舎の自分に割り当てられた部屋で今回の事件について報告書を書いていた。本来なら現場を監督するミハルが書く物だが、最終作戦の発案と実行者ということでその部分だけはレイラがしたためて、最終的にミハルがまとめて理事会に提出するということになったのだ。


「終端が垂直な壁だから、皆だんだん低くなるあの壁がなくなったら終息だと思い込んでしまったのよ。」


 ベータは時空通路さえ開いていれば転移装置の座標を調整して帰ることができた。シリカは交換が予想される地中に潜っていれば交換現象によって送り返されてくるのでクリスタが帰還するにはシリカと手を繋いでいればよいと考えてしまうが、それは彼女が潜っていられるだけの余地が交換される空間にあった場合の話である。レイラ達は観測結果から交換現象の終息は間近に迫っていると考え、シリカが帰還するタイミングは最後の交換の時だと予測していた。だが、その時には交換される空間は相当に狭まっており、クリスタが入れる余地など無かったのである。しかし

「交換現象って球体の中心から外側へむかって拡散するように広がるって思っていたけれど、向こうで観測した結果は違っていて、球体を縦に輪切りにしたような形でこっちの端から反対の端へ向かっているのよ。」


 行方不明の生徒が転移させられた、いわゆる異世界では交換現象の影響範囲をこちら以上に精密に測定していて、それは最終的に球形だったが中心から始まるのではなく、縦に割った球の一端から始まって中間地点へむけて拡大し、反対の端へ向かって終息するという結論に達していた。

「だから地上に見えている壁がなくなっても地中にはまだ充分余地があったの。交換現象が続いていたのだから転移装置で送ることもできたのだけれど、地上に出ている部分が無いと正確な座標を取りにくいからより安全な方法で帰ることにしたの。でも結局地上部分が無くなっていたから座標の調整に手間取って、少し時間があいてしまったというわけ。」

「それならあなたもシリカと帰ってくれば良かったのではなくて?おかげでまだ首の後ろがズキズキするわ。」


 ベータが帰還したときレイラはそれまでの帰還者の時とは違って立ち上がって後ろを向いており、空中に出現したベータから後頭部に膝蹴りを喰らう形になっていた。

「じつは結構危なかったのよ。交換現象は本当に終わりが近くて時空通路の開いている時間が短くなっていたの。それがどうしてか収縮が止まるタイミングがあって、そこを見逃さずに向うの博士が転送してくれたの。」


「結局危なかったんじゃないの。」

「でも皆帰ってこられたんだし、これで良かったのよ。」


「その通路のことなんですけれど、私、見ました。」

「何を?」


 レイラにも覚えがあった。シリカに連れられて地中を移動すると土の中なのにその場に埋まっている物が見えてくることがある。

「何か、ヒトの手足のようなものが通路の口をこじ開けていて・・・」


「誰かが埋まっていたということ?!」

「あり得ないことですけれど、確かにヒトの手のような物と、膝みたいな物が・・・」


 シリカは自分ではないという風に首を振った。そんなことが可能な存在はシリカしかいないだろうが、もしそれがシリカだったならクリスタは異世界で生き埋めになっていたはずだ。

「それも不思議だけれど、時空通路ってヒトが手足でこじ開けられる物なの?」

「通路っていうのは便宜上そう呼んでいるだけで、実体のある穴やトンネルではないと思っていたけれど、世の中まだまだ知らない事だらけという事かしら。」

「理事会に提出する報告書には書かない方がいいかしらね。」

「クリスタの事を書かなきゃならなくなるから、そこは省いた方がいいわね。」


 行方不明事件は解決したが、解明できない謎を残すこととなった。解明の機械があるとすれば再び交換現象が起きて、その交換先が今回と同じ異世界だった場合だが、そうなる確率は極めて低い。ゼロではないが、低い。


 レイラはベータから異世界見聞録を聞き、事件と関係のありそうなところを報告書に仕立てていった。異世界そのものの事は別に訊かれることもあるだろうが、そっちはベータが自分で要点を書き出している。こういうとき自分が2人居て助かるわ、と互いに思っていただろう。



 異世界の研究者の予測では交換現象はもう少し続くとされていたが、地上だけを見れば既に収まっていると言えた。そのため、元々予定されていた人員の交代はあったが工事は再開された。地下に出現した異世界の研究施設については先方で既に退避が進んでいたこともあって目ぼしい機械などは残っていないと考えられ、工事予定の溝より若干深い所にあったことから本格的な調査はウィンドリンガーの噴火が収まってから行うことになった。


 アイーシャはミハルとの再会を喜んではいたが、彼女が素性を公にできないことと、遺跡と思われたものが異世界の研究施設だったこともあって名残惜しそうに学園へ帰って行った。そのミハルは継続して現場の指揮を執っている。彼女に課せられた懲罰の一環という側面に加えて、不測の事態における指揮能力が一部で評価されたという話も聞こえてきており悪い事ばかりではない。掘り進んでいた誘導溝はすっかり埋まってしまった上、当初は存在していなかった森が出現するなどして現場の士気は低下していたが、大きな災害を乗り切ったことで結束はむしろ固くなっていた。追加の人員派遣も決定し、工事はどうにか間に合いそうだ。


 ステラ達も寮へ帰って行き、火山噴火と言う災害が迫っていながらも一応は平穏な時間が戻ったと言えよう。



 レイラは工事再開後しばらくは前線に詰めていたが、工事が順調に進み始めたところで休養のために学園へ戻ることにした。



「まったく、君の周りではどうしてこう面倒なことが起きるのかね。」

「私に訊かれても困りますわ、大体、交換現象は自然現象ですし。」

 生物教師はネイズ大森林から急ぎ帰還していた。シリカ族の調査も緊急の課題だったが、そちらには信頼のおける友人がいることもあって交換現象の調査のために戻ってきたのだ。


「先生こそこんなに急いで戻っていらっしゃらなくても、そもそも専門が違ってらっしゃるのではなくて?」

「それは教師としての専門だよ、研究者としては古代文明はもちろん、異世界文明も対象に含まれている。」


 生物教師と言う肩書ではあるが、この世界で生物を研究することは必然的に交換現象や召喚魔法で現れた種族の研究を含むことになる。それは単に生物学的な特徴の調査に留まらず、彼らの暮らしていた環境や文化にまで及ぶ。今回は数百年ぶりの交換現象で異世界の地下建造物、それも現用の研究施設が出現したということでなるべく状態が良いうちに調べようということになったのだった。加えて、交換現象で異世界へ飛ばされた生徒達が全員無事に帰還したというのも歴史的大事件だった。


 過去の行方不明者の内、交換現象に巻き込まれて帰還した例は皆無なのだ。


「さて、さっそく現地へ行きたいところだが、記憶が鮮明なうちに帰還者の聴取もしなくてはならないし、本当に君に関わると休む間が無い。」

 生物教師はネイズへ行くために作った荷物をほぼそのまま持って誘導溝の工事現場へ行こうとしていたが、さすがに着替えなどは入れ替える必要があり、一度荷解きをして中身を整理し直していた。


「あの、その件ですけれど、実は・・・」

 レイラは行方不明者の帰還に際して何が起きたのかを詳細に話した。生物教師は当然クリスタの事は知っているし、ベータの事でも相談に乗ってもらっているので話しても問題はない、寧ろ話しておくべきだろう。そう考えたレイラは学園へ戻るとまたしても寮へ直行せず、帰ったばかりの生物教師を訪ねたのだ。


「通訳なしで会話ができる異世界人、それもヒト族・・・」

「断定はできませんが、ベータから聞いた限りでは一部の専門用語を除いてほぼそのまま会話ができたとか、服装にも違和感がなくて、異世界どころか外国よりも近くに感じられるほどだったと・・・先生?」


 生物教師は荷物を整理する手を止めて深く考え始めた。

「ん?・・・ああ・・・レイラ、君はどんな感想を持ったかね?」

「感想ですか?」

「異世界人のだ。直接会ってはいなくてもベータたちから聞いた範囲での感想で構わない。」

「そうですね・・・」


 ベータの話から察するに、異世界人にはこれと言った特徴がなく、言い換えればこちらのヒト種族そのものだったということだ。科学技術が進んでいるけれど魔法が無いわけではなく、少なくとも魔法について詳しい知識があるらしい、そして交換現象についてはこちらより進んだ研究がされていて、そのおかげで行方不明者は無事に帰還が出来た。

「異世界、という割に普通のヒトが住んでいる、普通の世界と言う感じがしますわ。」

「普通のヒト、かね?」

「ええ、見た目に言語、それに倫理観。異世界と言うよりこの地球のどこかの国と言った方がありえそうなくらいに。もっとも、ベータたちが会った異世界人は飽くまで特殊な立場にある者で、現地での普通ではないのかもしれませんが。」


 普通のヒト・・・生物教師は繰り返しそう呟いていたが、やがて何か思いついたように顔をあげると

「シリカには彼らがどう見えた?」


 突然話を振られたシリカだったが、それに驚くどころか予想していたかのようにすらすらと答えた。

「ふむ、近所の人々、か。」


 シリカが言うには今回の交換相手となった世界はこの地球の近縁とでもいうべき異世界で、そっくりな種族がそっくりな環境に発生し、そっくりな進化を経てそっくりな文明を構築したということだった。異世界同士にも動物の血縁のような概念が存在するといういことか。


「それにしても転移装置とは、その世界の科学力は相当に進んでいる、いや、そこ”だけ”が進んでいるのか。我々に転移や召喚の魔法があるように、彼らはそれを科学で実現させたのだろう。ということは、先方には魔法が存在しない可能性が高い、或いはこの世界ほど浸透していないか・・・魔法を使って移動するのは難しかったかもしれない。」

「ええ、生徒達を召喚魔法で連れ戻すという考えは最初からありませんでしたわ。」


 賢明な判断をした、と、レイラはちょっと得意げだった。

 レイラを始めとして召喚魔法を使える生徒が現場には何人もいたが、そういう世界がある、とわかっただけでは転移した生徒を連れ戻せるとは限らなかった。召喚魔法の性質上、行方不明になった生徒のいる世界と、その世界に於いてどこに居るのかを正確に把握できないと、召喚が成功したとしても誰が連れて来られるかわからない。レイラの最初の召喚魔法でも、異世界に届いた魔力の釣り糸をつかって手探りのような形でウルフィンを捉まえたが、それはウルフィンに狙いを定めたのではない。糸を伝わってくる手応えと勘で強そうな獣を捕まえただけなのだ。


 これは異世界の転移装置も似たような原理に基づいていると推察できた。双子のようにそっくり、というのは外観の事ではなく、もっと内面的な情報の事を言っていたのだろう。連れてきた双子の片方に合わせて装置のチューニングをし、異世界に居る双子のもう1人を探知する。そうすれば二つの世界の間に通路を確立し、生徒達を元の世界へ送り返すことが可能になる。


「最初にシリカだけで帰ってきたということは・・・」


 そこはレイラも疑問に思っていた。シリカに双子は居ない。血縁の可能性があるのはセイシュとドブロクだが、どちらもここにいない。それどころか彼ら自身が異世界人ではないかと思うほどだ。

「いうことは?」


 だが、生物教師はそこで黙ってしまった。

「・・・シリカとはそういう物、と思うしかないか。」

「わからないんですね。」

「私も何でも知っているわけではないよ、判断材料も少ない。」


 レイラもいつの間にか生物教師ならわかるのではないかと思い込んでいた。少し考えればそんなわけはないとわかりそうなものだ。普段の生物教師の態度、特にシリカや異種族については世界でもトップクラスの知見の持ち主と思えるほどの雄弁振りだったが、異世界そのものとなると話は別だったようだ。


「いや、ありがとう、参考になったよ。今日は寮に泊まるのかね?」

「いえ、お力になれたならば幸いですわ。今日というか、しばらくはこちらに居ようと思っていますの。」

「そうか。ベータとクリスタにもよろしく伝えておいてくれ給へ。異世界の話もそのうち聞かせてもらうとね。」

「ええ、伝えておきますわ。」


 異世界人といえば、目が4つに腕が6本、毛むくじゃらで身長が3メートルもある・・・そんな風に考えることは今時子供でもしないことだが、常識的にはエルフや獣人など、いわゆる亜人のことを指すと考えていい。彼らは元々この地球には存在せず、交換現象によって土地ごと連れてこられたのだ。そして言語や文化の壁をどうにか解決して、なんとかかんとか同じ国で、同じ学園の寮で暮らすまでの関係になった。シリカもここでは魔人と呼ばれて様々な異能を見せているが、本来の彼女の世界では当たり前の住人なのかもしれない。


「異世界・・・か。」

 寮へ向かって歩きながら、レイラはシリカの国を想像してみた。

(角と尖った獣耳、尻尾と、蹄のある足の人間が暮らす世界。当然彼らは不老不死で、病気も怪我もしない、だから人口は増えるばかりで・・・食糧難?そもそも食べる必要が無いとさえ言われている。人口増加?男性がいるの?)


 初めて姿を現した時のシリカを思い出した。

(裸が当たり前の種族?男女とも??)


 自分たちの”当たり前”が通用しない、倫理や価値が逆転した世界。怪我や病気と無縁で、身を守るための服や鎧が価値も意味も持たない文明。だからと言って被服文化が無くなったりするのか。社会的地位を示す指標や娯楽として役に立つことは無いのだろうか。元々そんな文化が無かったとしたら?


 日頃から自分たちの常識に合わせさせることばかり考えてきたが、逆にシリカの常識とはどんなものなのか。


「ねえ・・・」

 声をかけると、傍らを歩いていたシリカが姿を消していた。

 都合が悪い話や答えるのが面倒な話になることを感じ取るとこうやって逃げてしまうのがある意味シリカの常識らしい。


 逃げると言っても行先はレイラの部屋しかないのだが、そうやって逃げればレイラもそれ以上追及しないと確信しているようだ。


「もう・・・」

 ため息をつきながら1人で寮へと帰るレイラだった。



 そして特に事件らしい事件の起きない数日がながれた。



 生物教師の発言にもあったようにレイラの周辺は、特にシリカが出現してからは大事件が起こる傾向があったが、さすがに毎日起き続けるわけではない。実のところステラが石化の呪いを受けた事、更にベータとクリスタの存在はどれか一つだけでも大事件なのだが、レイラにとってそれはもう日常の一部になりつつあった。とはいえ、レイラが居なくともレイラと関りのある人物の所では事件が起きていて、性格オカンなレイラはそれを放っておけないのだ。



 溶岩の誘導溝の修復工事は、最初の時とは違って難航した。


 人員の追加も行われたが、それ以上に交換現象で出現した森が邪魔だったのだ。

 元は木もまばらな荒野だったので工事内容はほとんど土を掘って固めるだけだったのだが、今度は森を一つ切り倒して根を掘り起こし、それらをどかした上で土を掘る、そこに至るまでの手間はもちろんだが、土を掘るのと森を伐採するのは根本的に異なる技術と知識、加えて機材が必要である。学園は初期の計画に従って人員を動員していたため、木を切り、どかすための機材の用意が充分では無かったのだ。


 ミハルの魔法で生成した岩巨人ゴーレムは木を引き倒す程度の力はあり彼女が森の伐採に参加すれば作業の助けになることは確実だったが、同時に二つの魔法を使う事は術者の精神に大きな負担を強いるため、一度岩巨人を停止させないと溝の内壁を固める魔法は使えない。停止した岩巨人はその場でただの岩に戻ってしまうため、再使用するには身体の構築からやり直しになる。このことはミハルの負担増に加えて工事の遅延も意味していた。土系魔法の使用者は他にもいたが、ミハルのように一枚岩の壁を作れる者は他になく、図らずも彼女が替えの効かない人材であることが明らかになったのだった。


「アラン殿下の慧眼たるや・・・」

「レイラ様?」

「ミハルよ。彼女、また大変なことになっているらしいわ。」

「交換現象もですけれど、彼女には荷が重すぎる気がします。」

 知っていてのんびりしているレイラではないのだが、今はシリカに連れられて魔法学園の中庭に居た。


 ミハルとレイラ、そしてシリカと中庭。これだけ揃えば年初の事件を思い出さずにはいられない。

 あの事件の後も、現場となった中庭は相変わらず生徒達が魔法の練習に使っていた。丁度あの後、中庭のこの一角を仕切るかのように飛び石が設置されその上に立って魔法を唱える生徒の姿がよく見られたのだが、今は火山対策に動員されたり避難したりしてそうした生徒の姿を見ることも少ない。シリカが2人を連れてきたのはその飛び石の列の端。


「誰もいないじゃないの。こんなところで誰に会わせるっていうの?」


 シリカは飛び石のもう一方の端まで走っていくと、唐突にしゃがみこんで地面に顔を付けた。顔が地中に入っているようだ。

「何をやっているのかしら、あれ。」

「さあ、私にもわかりかねますが・・・」


 レイラ達があきれて見ていると、シリカは地中で何やらミャゴミャゴと話していたが

「えっ?」

「レイラ様っ!」


 飛び石に使われていた岩がゴトゴトと動き出し、一部は地面から離れて持ち上がった。


「ヴィゥ、アッ!」

 謎の言葉を放ちながら起き上がったシリカがレイラ達の所へ戻ってくる間も岩はその配置を変えながら起き上がり、やがて人のような形になった。


「これって、あの時の岩巨人じゃないの!」

「確かに、そうですね。」


 並び方が変わっていたので気が付かなかったが、ミハルに操られてレイラたちと戦った末にシリカがどこかへ連れて行ってしまった岩巨人はこんなところで飛び石の振りをしていたのだ。


「これを連れて行って森の伐採をさせるというの?でも、こんなの馬車に乗せられないし、荷車にしても何頭立てが必要になるか・・・」

「転移で運ぶと言いたいのではないでしょうか。」

 シリカも工事現場に居て場所を覚えているので、転移能力で岩巨人を運ぶことは可能だろう。


「連れて行ってもミハルに操作させたら同じことじゃなくて?」

 シリカは何も言わなかったが、そのかわりに両手を振ると、岩巨人もそれに倣って両手を振った。上体を回すと岩巨人もそれに倣った。更に片足を高く振り上げると

「しぇー。」

「わかったわ、あなたもそれを操れるというのね。」


 岩巨人は思った以上に機敏に動いてシリカの動きを模倣したが、普通に命令をして作業に従事させることもできるようだった。岩語?ゴーレムに通じる言語でもあるのだろうか。


 これを見た時のミハルの反応がちょっと心配だったが、今の彼女なら大丈夫だろう。

 問題は現地への輸送だった。移動させるだけならシリカに任せればすぐなのだが、それが問題だった。早く着きすぎてしまうのだ。


 シリカの転移能力。最初の使用は忘れ物を取りに行くというレイラの個人的な目的のためだったが、公の場で披露していないこともあってその存在を知る者は少ない。シリカが一度現地を訪れて場所を覚えなくてはならないのと、わずかだが移動に時間がかかるのが転移魔法との違いだが、シーラブと並んで魔力に依らないシリカの固有能力の一つである。便利な能力には違いないのだが、通常の転移魔法とは異なり一度に大人数を移動できる可能性があるこの能力は国防上の機密になり得るため、シーラブのように公然と使ってしまったもの以外は出来るだけ使わないか、秘匿するようにとアランから言われている。


「とりあえず・・・これはしまっておきなさい。」


 しまっておけと言われても困りそうな大きさだが、シリカは迷うことなく岩巨人の身体をよじ登ると、ちょこんと頭の上座った。

 中庭の隅で丸まっていれば造園業者が飛び石を片付けたように見えるかもしれない。なんにせよ人目に付く前に片づけてほしいものだと思いながら、レイラはステラと明日以降のことを話し合った。


 休養は充分取ったし、交換現象に関わる報告も済ませた。理事会と警備部、それに加えて交換に巻き込まれた生徒の保護者に対する説明まで求められたのには閉口したが、現場から戻った生徒達は皆レイラに協力的で、予め打ち合わせた通りの内容で話を合わせてくれた。そのおかげでそろそろ現場へ戻っても大丈夫そうだと考えていたところで工事の状況を知らされたのである。


 本来、レイラに求められていたのは飽くまで人見知りしそうな現場指揮官の監視と補佐なのだが、やはりお節介な性格なのだろうか、自分も急いで工事現場へ戻らなくてはという意識が強く働いた。


 他の生徒に言わせると

「ステラが新種の毒に冒されて療養中というだけでも大変なのに、その上ベータ様を匿って更に誘導溝の工事の監督までなさるのだから、普通の人間ではとても務まりそうにないことを粛々とこなされるレイラ様ってやっぱり王妃の器なのね。」

 などと、レイラ株は絶賛上昇中なのだが、最も大変なはずの魔人の制御が含まれていないのはもはやシリカを脅威と認識しなくなっているのだろう。


 ・・・硬直していたステラがようやく声を搾り出した。レイラの後方に何かを見て驚いていたのだ。

「レイラ様、あれを!」

「え?」


 ステラの指す方を見ると、ここしばらく収まっていたシリカの脱ぎ癖がまた始まって下半身を露出していた。新しい魔人服のキュロッツどころかパンツまで脱いで丸出しという恰好で立っている。

「ちょっと、またなの?!」

「はい、この目で見ました!」


 シリカは不本意そうな表情でパンツを拾うと、股の間に挟んで尻尾の上に紐をかけ、前側の紐の端と合わせてもぞもぞと結び始めた。1人で穿けるように工夫された構造になってはいたが、左右のバランスが悪くなりがちで普段はステラかレイラに手伝ってもらっている。


「・・・人目が無いからってここは誰が通りかかるかわからないのだから、そんなはしたない恰好を」

「そんなところに入れるなんて、もう・・・あり得ません!」

「・・・何を?」


 どうもレイラはステラの言っていたことを正しく理解していなかったらしい。


「今、岩巨人を入れていたんです!」

「入れた?」

「そうです!」


 ステラはちょっと興奮気味のようだ。

 だが、言われてみれば岩巨人が跡形もない。中庭のどこにもそれらしい岩は積まれていないし、飛び石も敷かれていない。


「あ、あんな大きな物・・・入れるだなんて・・・はしたないにも限度があります。」


 一年前のレイラであったらこんなやり取りに我慢できずキレ返していたのだろうが、様々な事件に遭遇して対応能力が磨かれたらしい。

「落ち着いて、私には見えなかったのだけれどあなたは何を見たの?岩巨人がどうしたの?」


 ステラの頭から蒸気が噴き出しそうだった。

「レイラ様、あれは・・・シリカは、あの魔人は・・・」


 ステラのこの反応、消えた岩巨人、下を丸出しのシリカ。

「まさか・・・」


 ステラは大きく息を吸い込むと、なんとか声を抑えながら自分が見たことをレイラに伝えた。

「岩巨人を、股の間に・・・!」


 レイラの脳裏にあの夕方の記憶がよみがえった。


 シリカが出現して間もない頃、生物教師の助手に任命されて魔人とヒトの違いを詳細に記録するため寮の部屋で、ステラにあんな事をした挙句、シリカにも。


 あの時見たのは物理的にあり得ない光景だった。


 昨年末に実家へ帰省した時、自分が鍵を探していたときにシリカが小物を次々取り出して並べていたのはてっきりスカートに隠しポケットがあるものと思っていたが、そんな常識的な考えが適用できない相手だという事をつい忘れてしまっていた。


 細部は多少異なるかもしれないが、恐らくステラが見たのはシリカが岩巨人の頭の上で下半身を露出し、岩巨人の巨体を膣内に吸い込むまでの一部始終だったのに違いない。


 あまりにも異常な考えだが、間違いない。シリカの膣内は異次元ともいうべき広大な空間であり、量やサイズに関係なくその中に入れたり出したり出来るのだ。


「はぁ・・・そういうことなのね。」

 レイラは正直忘れかけていた。

 というより、あの夕方に見た異様な光景は忘れたい記憶だったのだが、今やそれは鮮明に思い出され、魔人の身体に関する一つの秘密が発見された。


 もちろんその仕組みが解明されたわけでも出し入れの現場を見たわけでもないが、あの光景の意味がようやく分かったのだ。大発見なのだが、今すぐ生物教師に報告に行くという気にはならなかった。


「取り敢えず、岩巨人は”そこ”に入っているのね?」

「うぃす。」


「・・・はぁ、それならそれでいいわ。明朝の連絡便で現場へ戻るわよ。」

「レイラ様?」

「今は魔人の謎より溶岩よ。優先順位を間違えないように確実に状況を解決していきましょう。」

「・・・承知いたしました。」


 そうして3人は寮へと帰って行った。


 明日からはまたシリカとレイラは誘導溝の工事現場へ、ステラはベータたちと留守番である。


 クリスタの魔力払底問題は、週一回程度の間隔でシリカが戻ってクリスタを補給可能な森へ連れ出すことで解決した。お陰でベータは魔力ポーションを飲まずに済んだ。ステラの石化問題はまだ完全には解決していない。バローたちの分析班でも今回の工事遅延の影響で学園から避難する生徒が増え、人員不足が深刻になっていたのだ。そして石化解除薬の開発そのものも行き詰まりを見せ始めていた。ステラは既に相当の回数の薬を服用しており、それでも石化の兆候が完全には消えず、バローも手詰まり感を隠せなくなっていた。分析班ではもはや原因はコカトリスの呪いよりステラの方にあるという可能性も論じられ始めているようだ。だが、ステラとベータたちは交換現象以降それまでのぎこちなさが解消したようで、ステラは安定した状態が続いている。


「ステラの事は任せて。あなたの方こそ、週一回シリカを寄越す事、忘れないでよ?」

「自分のことでもあるのだから忘れたりしないわ。」

「私の魔力が尽きてもすぐに死んだりはしませんから適当なところで来ていただければ充分かと。」

「絶対にイヤ!無理!あんなもの飲まないわよ!」


 最初の出発の日はこんなやり取りは無かった。ただ、ただ慌ただしく、自分とシリカの荷物を作り、クリスタにベータの魔力補給を、ベータにはステラの話し相手を頼んで出てきた記憶しかない。

 遺跡が見つかった件を報告するために一時帰宅した時もすぐに現場へ戻らねばならず、ベータたちとはほとんど話していない。せいぜい魔力補給に問題が発生したとか、そのくらいだ。


 今回は色々掘り下げて話す余裕があったが、加えて異世界帰還組の生徒たちから申し出があって、留守中のステラの買い物に付き合ったり、一部続けられている授業の内容を教えてくれることになった。正直、部屋に籠りがちになっていたステラの周囲が活気づくのはありがたかったし、ベータの負担も多少は減るかもしれない。唯一、未だに隠れていなくてはならないクリスタだけが少し可哀そうではあったが、そっちはベータに何とかしてもらおう、同じ自分なんだし。



 そしてレイラは訪問者を迎えた。


「レイラ、無事なようだね。」


 将来の伴侶と目される女性の危機に際して何の動きも見せなかったアランは、噴火対策本部に首脳スタッフとして詰めていた。毎日送られてくる報告書で行方不明事件や交換現象の事は知っていたが、王族として複数に分かれた誘導溝の工区を統括監督する立場にあったため学園から動くことができなかったのだ。


「今回ほど”世の中何が起こるかわからない”と強く感じたことはありませんわ。」


 この1年、レイラの周辺では魔人出現をはじめとした様々な大事件が起こりそれぞれレイラに影響を残した。その結果、本来ステラと2人で暮すはずの寮には現在5人が住んでおり、広さには余裕どころか手狭に感じるほどになっている。魔人の同居はレイラにとってかなりの負担のはずだし、クリスタの存在は歴史をひっくり返しかねない秘密、ベータに至っては直接レイラの生命にかかわる存在である。今回の交換現象においてはその全員が協力して行方不明者全員の帰還を達成した。異世界からの転送がスムーズに進んだのはレイラと同じ生体情報を持つベータが居たからであり、そのベータが消滅しないように支えているのはクリスタである。そして異世界から転送手順の情報を届けたのは魔人シリカで、5人のうち誰が欠けてもこの帰還作戦はここまで完全に成功はしなかった。


「彼女の、騎士としての覚悟を見る目的でもあったのだけれど、想定外の異常事態が起きて本当に心配だったよ。」

「そのミハルですけれど、今回の事件に際しての対応振りはなかなかのものだったと思いますわ。」


 個人的に言いたいことは他にもあるのだろうが、先にあった火山の噴火という差し迫った危機への対策が遅延しているという現状を考えると、それをすべて言葉にするのは憚られた。いまは互いの無事を喜ぶに留めることしかできない。


「王都から回してもらった工兵は現地へ直接向かっている、君が向こうに着く頃には作業を始めているはずだ。」

「本当にありがとうございます。」


 王都から人員を回す、ということは直衛部隊の人員を割いたという事である。魔法学園の生徒が溶岩誘導溝の工事に参加している理由の一つとして、各地の駐屯部隊の人員はそれぞれの工区へ出動していて他所へ回す余裕などなかったという事が挙げられる。レイラたちの担当工区は生徒の比率が高く、工事の長期化によって体調を崩す者が少なからず出ていたため彼らに休養を取らせるための交代要員を必要としていた。


 アランが手配した人員は増員というより欠員の補充である。それでも訓練を受けたプロなので、実質作業速度の向上が期待できたのだが、現地に着いた彼らはきっと話が違うと思うことだろう。現場の様子は計画時とは一変しているのだから。


 と、色々あったが3度目の出発となる朝はそれまでの2度より大分気が楽だった。正に持つべきものは友、いや、既に持っていたのにレイラが気づいていなかっただけか。そのレイラ自身も友を助けに行こうとしているのだが、連絡便にはちょっと意外な人物も乗り合わせていた。


「おはようございます、レイラ殿。」

「おはよう、って、あなたもまた工事現場へ?」

「はい、先生の助手として例の、異世界の施設の調査です。」


 先生と言うのがどういうわけか、本来専門外の生物教師だった。

「おはようございます、先生。先生が行かれるという事は、何か異世界の生物が現れたのですか?」

「おはよう。いや、そんな報告は来ていないが、行けば何かの痕跡でも見つかるかもしれないからね。それに交換直後の土地と言うのも一度見ておきたい。」


 検疫という観点もあるが、帰還者の検査は転送直後に現地で済ませて問題は出なかった。確かに、土壌や植物から何か発見するとすれば生物教師の出番もあり得るだろう。実際に他の生物教師や土木、服飾教師も既に現地視察に行っている。考古学的に見る価値のある物はなくとも、異世界の建築や服飾の様式を調べるには絶好の機会なのだ。そういう意味では、多少出遅れた感はあっても実物を見ておいて損はない。


 加えて、理事会が募集をかけていた補充の人員もいたので今回の連絡便は馬車を増やしてちょっとした車列になっていた。


「そういえばご存じでしたか?この一帯は交換現象が始まる前には鉄道が通っていたらしいですよ。」

「残っていたらさぞや便利だったでしょうに。」

「何でもこの辺りは複数回の交換現象が起きて鉄路も何もズタズタになってしまったのだそうで、物理的な痕跡は何もなくなってわずかに当時の記録があるくらいです。」


「本当に、何なのだろうな、交換現象と言うのは。」

「平行世界、異世界の土地や生き物がこちら置き換わる現象、ですわよね。初めて発生が確認された時にはもう相当な地域で交換が起きていて、止める手立ても元に戻すこともできずに地形は滅茶苦茶、地図が意味を成さなくなり当時の体制が崩壊したり、異世界人と戦争になったり。」


 散々図書館に通ったおかげでレイラも交換現象については一通りの知識を蓄えていた。

「人類が積み上げた科学文明が一気に衰退する一方で、異世界から魔法がもたらされて人類は滅亡を免れ、どうにか文明を立て直して今に至るとか。」

「対魔族戦争とか、獣人迫害とか禄でもない歴史がたくさん生まれた原因でもありますね。後世の我々から見れば面倒な歴史の物語ですが、交換が起きる前の人類からはおとぎ話のような世界に見えたでしょうね。」


 交換現象のおかげで文明は滅茶滅茶になった。それまでそこに無かった文明が突然出現し、分類不能な生物があふれ出した。それでも人類は逞しくもしぶとく生き残り、地球の支配権の確保まで果たしたのである。


「・・・それって同じじゃなくて?」

「いえいえ、全然違いますよ。物語は事実を文字通り物語るために書かれたもので、記録だけではそこに生きていた人々の息遣いや熱量までは伝えきれないときに一部脚色や演出を加えて理解しやすくしたものです。一方でおとぎ話は娯楽や教訓を・・・」

「ありがとう、大体わかったわ。」


 シリカはこうした歴史を体験してきた生き証人なのだが、どういうわけかこの手の話には乗ってこない。図書館では写本の修正に協力的だったが、それは原本の内容を自分の知る事実に合わせるという事ではなく、飽くまで写し間違いの指摘に留まった。自分だけが知っている歴史の真実という物があれば後世の間違いを正したり得意げに語りたくなるのが人情だと思うが、シリカは原本については間違っていても修正せず、気づいたアイーシャに真実の歴史を訊かれてもわからない振りをするのだった。


 ”知らない”と”わからない”は似ているようで全然違う、それこそ”物語”と”おとぎ話”のように。

 ヒトが書き残した記録や物語の上での記述上のこだわりか、単なる偶然か。


 シリカは過去の事象や事件の真相について問われると、必ず”知らない”ではなく”わからない”と答えている。これもレイラが散々図書館へ通った末に辿り着いた一つの推論なのだが、シリカは様々な時代に様々な状況下で様々な人物から同じことを問われて、それに対して一様に”わからない”と答えている。自分の知識が現在に影響を与えることを避けているのではないかとレイラは考えている。



 金品で釣っても恋人を人質にとっても直接拷問にかけても同じ答しか返ってこないので、当時の支配者も研究者もシリカに歴史を訊くのは時間の無駄だと考えたらしい。せめて思わせぶりな発言でもあれば追及する意味も生まれたのかもしれないが、同じ一言しか返さない。その認識は人類に深く広く根付いており、今や交換現象についてシリカに問いかける者はいなかった。


 交換現象の事はもちろんだが、そもそも魔人シリカである。シリカの謎を解明するためにレイラは魔人と寝食を共にするという危険極まりない任務を負っているはずなのだが、有史以来数多の研究者が大抵の方法は試して失敗し尽くしていて、一介の学生に過ぎないレイラに何ができるという物でもない。だが、ただ共に暮らしているだけで外観上の特徴がかつてないほど細部まで記録されたり、それまで知られていなかった能力が見つかったりしているのだから世の中わからないものである。


 余談だが、シリカの身体にはほくろが無い。一見どうでも良さそうな情報だが間違いなくシリカに関する数百年ぶりの新事実であり、そんな些細なことでもレイラの功績として後世に語り継がれることになる。


「結局、交換現象がなぜ起きているかはわからないまま。その範囲や場所も一定ではなく、発生に周期も傾向もない。その、今回つながっていた異世界では交換現象を予知していたという話だが、地中に出現した施設に何かその手がかりでも残っていれば大いに今後の役に立つだろうね。」

「でもベータが聞いたところでは、目ぼしい機材や資料は流出を防ぐために運び出した後で、シリカが見つけてきた硬貨のようなものは特に価値のない記念品の様な物だったとか。」


「そうなのか、だがどんな些細な手がかりでも構わない、こちらでもその予知が出来るようになれば助かる命もあるだろう。」


 命。


 そう言われるとレイラもこれ以上否定的なことを言う事は出来ない。

 床や壁に残った跡からどんな役割の機材が置かれていたのかを知る術はないが、覚書の一つでも残っていれば大発見だ。



 レイラ達が工事現場に到着したとき、溝の再建工事は既に進んでいたが確かに計画より遅れていた。最初の溝を作った時と比較しても半分程度しか進んでいない上、作業に当たっている生徒たちが妙に疲れていた。


「ミ、・・・班長!」

「レイラ様!よく戻ってきてくださいました。」

「聞いてはいたけれど、遅れは深刻な様ね。」


 ミハルは心配そうな顔になると

「はい・・・正直、このペースで進めると噴火が予想される日付の前後一週間程度まで作業を続けても、良くて7割の完成しか見込めません。やはり交換現象で出現した森が問題になっています。」


 ミハルは得意とする土系魔法で岩巨人、ゴーレムを作り動かすことができた。この岩巨人はある程度自律行動ができたためミハルが付きっきりで看ている必要はないのだが、同じ場所で他の生徒や協力者が樹木の撤去や溝の構築に従事していて、岩巨人は傍で作業している者を避けるような複雑な行動を自動で実行できなかった。そのためミハルはその場に留まって岩巨人に命令を与え続けなくてはならず、指揮系統に負担となっていた。


「一応だけど、あの時の岩巨人が使えるのよ。その、あなたさえ良ければ出して手伝わせることが出来るのだけれど・・・」

「あの時の?・・・あっ」


 ミハルも気が付いたようだ。自分が動かしてレイラや他の貴族の子息たちを襲わせたあのゴーレムである。

「ここの現場にはあの事件の関係者は私達しかいないし、正直、岩巨人の外観ってどれも同じに見えると思うのだけれど、どうかしら?操作はシリカがやってくれるからあなたの負担は増えないわ。」


 ミハルは少しの間考えていたが、

「そうですね、こちらこそお願いします。今は一人でも、一体でも手が欲しい状況です。」

 実際、シリカが運んできたゴーレムを見せてもあの襲撃事件と結びつける者はまずいないだろう。


「決まりね。シリカ・・・」

 シリカは既にキュロッツを脱ぎ始めていて周囲の生徒達を動揺させていた。


『向こうの、人目に付かないところで岩巨人を出してミハルの手伝いをさせなさい!』

「う・・・ゐ・・・」


 猛ダッシュで迫ってきたレイラからいつになく圧力のある声で命令されて、シリカが珍しくたじろいだ。



 2体になった岩巨人と、学園から来た補充人員のおかげで工事速度は大分回復した。


 それまではミハルの操る岩巨人が木を根こそぎ引き抜いて、生徒たちが枝を払ったり丸太を運び出したりしていたのだが、岩巨人が2体になったことで木を引き抜く速度は単純に倍になり、シリカに丸太運びを手伝わせたので生徒の負担は大いに減少した上に、森の伐採が進むので溝の工事も進められるようになったのだ。


 肉体労働をするのにシリカの魔人服は適していなかったが、異世界の施設を調査に来ていた服飾教師が”なぜか”持ち合わせていた予備の生地でシリカ用の運動着を即席で仕立ててくれた。


 他の生徒や有志の作業員が上下つなぎの作業着を着ているのに対し、シリカの運動着は下は短パンのみ、上に至っては臍丸出しの丈の短いチューブトップで、シリカ生来の防御力を最大に活かしたデザインになっている。学園の制服と同様に魔法服として仕立てられているため多少の傷は自己修復が働くが、腹巻を胸に巻いたようなデザインのこの運動着はふとした拍子に容易に脱げてしまうという問題を残していた。


 加えてシリカは子供の様な身長に対して出る所はしっかり出ている体型なため、シリカの作業中には周囲の生徒たちの作業能率が明らかに低下するという現象が見られた。皮肉なことにシリカの存在は工事の速度を上げる一方で下げる方向にも作用していたのである。


 正直、こんなデザインでなければ工事はもうちょっと早く進んだだろう。服飾教師の責任を問いたいところだ。


 それでも全体としての速度は明白に向上したようで、数日で遅れの大半を取り戻した。もう2、3日すれば再工事の予定に追いつき、計算上そこから後は予定を上回るペースになるはずだ。


「班長、どうかしら。」

「はい、このまま進めばどうにか工期に間に合いそうです。」

「そうしたら、一旦ペースを落とすか、休日を入れても良いかもしれないわね。」


 生徒たちの様子もレイラが到着した時より士気が上がっているように見えた。だが、連日のハイペースな作業で皆疲弊しているはずだ。今のペースを続けて事故を起こすよりは先の見通しが立ったところで休養を入れるというのは真っ当な考えだろう。


 だが、調子よく進んで見える時には何か起こりがちである。

 どこかの幽霊の名前が付いた有名な法則があったが、それとは無関係に。




 結局、予定されていた再工事計画に追いついたところで休養日を設けることになったが、それに先立ってレイラは後方へ下がっていた。現場の指揮はもうミハルに任せておいて大丈夫だったし、普通の魔獣と違いシリカは自分の判断で岩巨人への指示と自分の作業を両方ともこなし、見張る必要すらない。直接工事を手伝うわけでもないレイラは一応現場までは来るものの、ほとんど一日中仮設指揮所に居るようになっていた。


 仮設指揮所は工事の起点、宿舎などがある場所よりかなり現場寄りに設置された簡易な建物、というより工事の進行に合わせて解体、移動する想定で作られた”移動指揮所”である。進行状況をはじめ工事に関する様々な情報をここで一度整理し、後方の指揮所に送る機能がある。後方との連絡のために常時数人が待機しているほか、休憩所も兼ねているので簡素な炊事場も備えている。


 正直、ここではレイラは員数外なのですることが無く、お茶でも淹れようかと暢気に構えていたところへ


「・・・?」

 仮設で構造的に弱いとはいえ、部屋の隅から何かが弾けるような音が聞こえると原因が気になる。最初は風かと思った。だが肌がざわつくのを感じたレイラはなんとなくポットを床に置いて身構えた。


 すぐにテーブルの上の空のカップがカチャカチャと音を立て始めた。

「あら地震ね。」


 レイラは落ち着き払った様子で、しかしすぐに動ける態勢で室内の様子を窺がった。

 横方向の振幅は大きくない、おそらく震源は遠くないのだろう。縦方向の揺れも感じる。カップがテーブルから落ちて破片を飛び散らせた。テーブル自体も振動で移動し始めている。指揮所の建物は潰れたりはしなかったが、可搬性を考慮して薄く作られている壁の合わせ目は軋み、接合部が外れるのではないかと思うような音がしていた。長い揺れになるようなら外へ逃げた方が良いだろう。


 移動する棚や落下物に注意しながらレイラがドアの方へ近づいていくと、皿やガラスが割れる音に混じって周りから何人かの悲鳴が聞こえた。


 唐突に揺れが収まった。レイラが軽く押すとドアは軋んだ音を立てながら開いた。建物に相当のダメージがあるようだ。通路に出ると壁にしがみつくようにして立っている女子生徒が見える。


「れ、レイラ様・・・」

 震える声で呼びかけてくる。


「取り敢えず収まったようね。今のうちに外へ出ましょう・・・火の始末も。」


「レイラ様、ご無事ですか。」

「ええ、大丈夫よ。こちらは問題なくて?」

「はい、棚が動いたくらいで大したことはありません。」


 互いの無事を確認して後片付けをしているところに前線から一報がもたらされた。


「レイラ様、誘導溝の掘削現場で崩落が起きました!」


 前述のようにレイラは本来連絡の担当外で、こうした報告を最初にレイラに伝えるのは間違っているのだが、レイラがミハルの補佐をしていた時の印象が強すぎて連絡係の生徒がついレイラに報告してしまったとしても無理はない。しかも、レイラもそれを指摘せずに受けてしまうのだ。


「崩落?!どうして今になって。」

 原因は先ほどの地震だろう。だが、溝を掘る傍からその廃土を圧縮、岩壁化して補強するという工法から考えて溝が崩れることは考えにくい。


「急に地面が、床が抜けたように穴が開いて・・・以前工事した時はこんな空洞はありませんでした。」

「空洞・・・あ!」


 レイラはその正体に思い当たって青ざめた。

「すぐにその下を調べて、誰か埋まっているかもしれないわ!」


 工事が異世界の施設の上に到達していた。当初の計画では地下にそのような空洞があっても問題なく工事を継続できるはずだったが、地震に加えて2体の岩巨人が活動していたことで予想外の過重と振動が発生し天井が崩れたのだ。


 そしてその空洞ではアイーシャや学園の教師たちが調査をしているはずである。


 レイラが崩落現場に到着すると、2体の岩巨人はそれ以上の被害を出さないように横へ退避していた。崩落した場所の土砂をどかす作業をさせているかと思ったが、岩巨人を動かすことで更に崩れるという可能性を考えたのだろう。ミハルの指揮で生徒たちが土砂を運び出している。だがどういうわけかシリカはその作業に加わらず、自分で木を引き抜いて横へどかしていた。まるで事故には関心が無いという感じだ。だが


「シリカ!」

 レイラは一言しか言わなかったが、シリカはレイラの方を一瞥しただけでこれから命じようとしていることを理解し、行動を起こした。 


 シリカの姿は音もなく地面に吸い込まれていった。


 地中へ潜ったシリカの姿を見ることはできないし、動き回る土の盛り上がりが見られるわけでもない。水に潜ったなら上から姿を見たり、移動すれば波が起きたりもしそうなものだが、土の中ではそうはいかない。というよりシリカが潜行能力を使うと手を繋いでいる者も含めて土と存在が重なってしまい、目で追う事はできない。このような能力は他に例がないため、透視や探知系の魔法で追跡できるかは試してみないとわからないが、崩落した土の中で生き埋め者を探していることは間違いない。



 地下施設への進入口は工事の妨げにならないように現場からずっと離れた場所、工事計画の進路上の先の方に横穴を掘る形で設置されていて、生物教師たちはレイラたちとは別行動でその進入口から中へ入って内部の調査をしていた。


 今どの辺りの調査をしているかはわからないが、万が一にも崩落した場所に誰かが居たとしたら・・・


 やがてシリカが地面から頭だけを出してレイラに状況を知らせた。それこそ水面から顔を出した子供のような姿だ。

「誰も居なかったのね?良かったわ・・・」


 だが、その地面が波打つように動き始め、レイラの目の前の地面が割れて陥没を起こした。レイラの足元にも振動が伝わり地鳴りがする。シリカも、まるで海面で揺られているようにゆらゆらと動いている。

「おっと・・・」


 先ほどの地震の余震だろうか。目の前の木が揺れていた。回りの生徒達が騒ぎ始める。


「レイラ様!」

「班長、至急退避命令を。」


 岩巨人がぐらぐら揺れて、そのままの姿勢で地面に飲み込まれ始めた。先ほどの地震より強いのではないだろうか。

「岩巨人から離れて!資材や丸太からも!」


 現場は騒然となったが、地震はすぐに収まった。



「縦揺れもあって、横揺れの幅は小さかった感じね。」

「正確な所はわかりませんが、震源は近いかもしれません。」


「・・・ウィンドリンガー、とか?」


 噴火の近い火山があれば、火山性の地震が起きても何の不思議もない。そもそも噴火の予測が出てから始めた工事だったのだから、時間が経てばこういう状況が発生するのはむしろ当然と言えた。


 すぐにミハルの元に現場の情報が集まってきた。指揮系統は問題なく機能しているようだ。


「負傷者、行方不明者なし。工事済の範囲に顕著な異常なし、なれど引き続き検査中、と。」


 行方不明者の人数にはシリカが調べた地下の情報も含まれているが、それだけでは情報として充分とは言えない。


「班長、私はシリカと地下を調べて来るわ。」

「地下ですか?」

「地下施設に調査団が入っているはずよ。崩れた範囲にはいなかったみたいだけれど、もっと奥ではどうなっているかわからないし。」


 調査団にはアイーシャも参加している。ミハルとしては彼女の安否を確かめずにはいられないはずだ。


 出入口にしている横穴までは少し距離があった。穴を掘る工事という性格上、この現場にも生き埋め事故に対する装備を用意してある。横穴からそれらの装備と担当者を送り込むのが正規の手順だが、準備と移動の時間、二次災害のリスクは無視できない。その点、シリカならここから地下施設に直行出来る上に二次災害リスクも無い。しかしシリカだけならともかく

「危険すぎます。レイラ様まで行かれるのは許可できません。」


 ミハルとしては当然の判断である。上級貴族であるレイラに万一の事があった場合、その責任はミハルだけに留まらずこの工区に居るすべての騎士団員に及ぶ。アランがこの場に居ても同じ判断を・・・


 と、ミハルは考えたのだが、おそらくアランなら苦笑しながらレイラを送り出しただろう。

「何かあればシリカが私を守るから大丈夫よ。それに、下でも事故が起きていた時にシリカだけでは正しく判断をできない可能性があるわ。」


 シリカはまずレイラの事を守ろうとする。シリカの自律判断には明らかな優先順位があって、レイラを含む複数人を助ける必要がある場合でもそのままにしておくとシリカはレイラしか助けない、全員を助けるだけの能力があるにも拘らず。そこはレイラが命令しなくてはならない。


 生物教師たちが無事ならすぐ連絡を寄越すなり自力で脱出するなりするかもしれないが、そのどちらも不可能は状況に陥って地上からの救助を待っている可能性もある。


 ミハルにとってレイラの保全は重要事項だが、彼女自身が言うようにシリカがいれば余程の危険も難なく突破できるに違いない。


「わかりました。地下施設内の調査隊の捜索と状況の把握、必要であれば救助活動もお願いします。」


 平民出身であるミハルにとってこの発言はかなり難しいものだったが、レイラ自身が言い出したことでもあり、現場指揮官としてするべき行動と、レイラの覚悟に恥じない判断をできただろう。

「承知しましたわ。念のため救護班に準備させておいてください。多くの負傷者が出ている場合シリカだけでは手に余ります。」

「そちらはお任せください。」

「では、シリカ!」


 シリカは立ち泳ぎの様な態勢で地面から肩から上を出していたが、レイラが屈んで手をのばすとその手を取って地面に引き込み、レイラの姿は川にでも飛び込んだように地中に消えてしまった。ミハルはその様子を見て少なからず驚いたが、すぐに立ち直ると冷静かつ手際よく指示を出し始めた。



 シリカの加護、というのだろうか。地中を進んでいる時でもレイラは圧迫感や息苦しさを感じることはない。ただ、地中はほとんど視界が利かず、木の根や土竜が突然目の前に現れて反射的に避けようとしても、シリカに引かれる方が早い上にそうした障害物は空気のようにすり抜けてしまう。自分が土竜を通り抜けたのか土竜が自分を通り抜けたのか、どちらだったのか考える暇もない。シリカに触れている限り普通に息もできるし目を開けていても痛くない。そう分かっていても、やはりレイラは目を閉じ息を止めずにはいられない。


 爪先に固い地面を感じて、レイラは地中でない場所にいることに気づいた。コンクリートで固められた異世界の地下施設に出たのだ。先に入った調査団が設置、それとも元々あった物を修理したのだろうか、天井に設けられた円形の照明が機能しており施設内は暗闇ではなかった。後ろを振り返ると天井が崩れており、まだ土が降り注いでいた。おそらくすぐ上に工事現場があって、ここの土はそう厚くはないだろう。


「見たところ・・・特に異常はないみたいね。」


 異常は無い、と思う。正常な時がどうなのか見たことは無いが・・・多分。


 元の世界でも地下にあった施設である、地震対策を徹底していたのだろう、壁や天井にはひびが入っていたが、大きく崩れてはいなかった。2人が出た場所は通路のようで、左右の壁には全長に渡って手すりが付けられていて、ところどころあるドアと次のドアの間は大きめの窓だったり壁だったりする。さすがに窓はほとんど割れていた。中を覗いてみると、灯りが点いていなくてもある程度の状況は見ることができた。 


 通路も部屋も壁と天井は白い素材でできていて冷たい印象だった。壁の一部には通路と同じような手すりがあり、床だけが緑色に塗られている、若しくは何かの光沢のある素材で作られていて、地震でできた天井や壁のひび割れ部分から細かい砂が入り込んだのだろうか、薄く埃が積もっている。だだっ広い部屋に机と椅子、それに書架のようなものがあったが本の類は入っていない。これがベータの言っていた器材や資料を運び出した後の状況なのだろうか、痕跡がきれいに消し去られているようでちょっと不気味だ。床に紙屑が散らばっていたり紙の箱がいくつか置かれていたりもしたが、あまりに無機的だ。


「通路の灯りが点けてあるという事は、ここまでは誰かが来ていたという事なのかしら。でも誰かの気配みたいなものは感じられないわね。」


 他にこの場に居るのはシリカだけだったが、レイラは敢えて自分の見立てを言葉にした。誰かが居そうな状況なのに誰もいないというのが少々不気味だったが、レイラは奥へと進むことにした。調査隊から見ればこの場所こそが最奥部なので入口へ向かって戻ることにしたというべきかもしれない。


 通路は長い一本道だった。途中に区画を分けるドアのような物は無く、大きな機械を通せるような広さを持っていた。最奥部の灯りが点いていたのも、一か所を点灯すると通路全体の照明が点灯するようになっているのかもしれない。ならば調査隊は入り口から入ってどっちへ進んだのだろうか。調査を始めて何日か経っているはずだから、この辺りは調査済みということはないだろうか。


 少し進むと灯りの点いた部屋があった。窓から中を覗いてみたが、そこはそれまでの部屋と同じ資材を運び出した後の状況で誰も居なかった。地震のせいで床にはうっすら埃が積もっていたが、足跡のような物はない。


「灯りは点いているけれど、これじゃあこの部屋に誰かいたかどうかはわからないわね。」


 シリカは窓に顔を押し付けて中を見ていた。シリカの能力ならそのまま中に入れそうな物だが、普段の行動はヒトを模倣しているようで、こうして顔を押し付けるのも学園で誰かがやっていたのを真似ているのだろう。それどころか、部屋の中を見ているというのも恰好だけで何かを見ているかどうかも怪しい。


 どうやらそこから先は明るい部屋が続くようだ。レイラとシリカはそれぞれ通路の片側の部屋を分担して中を覗きながら進んだ。


 何部屋目か、窓から覗き込んだレイラと中にいたアイーシャの目が合った。

「!?」

「え?レイラ殿??」


 ドアから中に入るとその部屋には他にも調査団員がいた。

「アイーシャ、無事?」

「はい、軽傷者が何人かいますがほぼ無事だと思います。」


 アイーシャの話では最初の地震の時には揺れが収まってから調査を再開したのだが、2度目の地震が来た時点で危機感を抱いた者が自然にこの部屋に集まってきた感じらしい。見れば、この部屋には他の部屋よりも物が多いようだが

「意味のありそうな遺品を取り敢えずこの部屋に集めていたのですが、そうしたらなんとなくここが拠点のようになってしまって。」

「そう・・・」


 レイラが見回すと、そこに居る者は皆手首などに包帯を巻いている。やはり調査隊にも被害が出ていたのだ。だが歩けないほどの負傷者はいないようだ。

「火山が近いこともありますし、ここはもう危険だと思います。外に出た方が良いのではないですか?」

「それが、入り口が埋まってしまいまして・・・レイラ殿はどうやってここまで?」


 やはり生き埋め状態だったのか。シリカの潜行能力は口外無用だったが、この状況では話すしかない。

「なるほど、シリカ殿にそんな能力が。それならここから出られそうですね。」


 最大何人まで同時に連れて歩けるのかはわからないが、ここには20人程度しかいない。4、5人ずつで運び出してもそれほど時間はかからないだろう。


「一応、アラン殿下からは口外無用と言われているので、無事に外に出られたらこの能力の事は忘れてくださいね。」

 レイラはその場に居た全員に釘を刺した。全員・・・?


「あら、これで全員かしら?」

「いえ、入り口を掘り出しに行っている人と、まだ連絡が付いていない人が何人か。」


 連絡、つまり状況不明者が何人かいるということか。ここにいる顔ぶれを改めて確認してみると、生物教師がいないようだ。被服教師は先日シリカの運動着を作ったあと、妙に上機嫌で学園へ帰って行ったからここにはいない。ここにいる人を地上に運んで、入り口の復旧作業に当たっている人も集めて上に運んで、状況不明者を探して上に運ぶ。”上に運ぶ”という作業がある時点で全てシリカの能力頼みになるが、肝心のシリカは1人しかいない。


 シリカの潜行能力、名前は特にないが、これまでの所シリカと手を繋いでいた人物に同じ効果を発生させた実績しかない。思えば今まで何の疑いもなくシリカと一緒に地中に潜っていたが、途中で手が離れたりしたことの事を考えていなかった。当のシリカが当たり前のように引っ張るのでそういう物だと納得してしまっていたが、考えてみればよくもそんな恐ろしい挑戦をしていたものだ。

「シリカ、あなたの能力で一回に地上へ連れていけるのは何人なの?」


 シリカはしばし考えていたが、

「ん~・・・、みっ!」

 と言って両手を突き出した。”みっ”とは言ったが両手で繋ぐことができる人数、2人ということか。即答できなかったという事はシリカも試したことはないようだが、レイラ自身が何回か体験した感じでは地中ではシリカに引っ張られて移動する関係で、しっかり手を繋いでいないと離れてしまいそうになることがある。無理に片手に数人繋いで、地中で離れてしまったら何が起きるか。一回に4、5人ずつ運び出すという目論見は早くも崩れた。一回に2人となるとなるべく急いだ方が良いのだろうが、アランが心配していた軍事利用の可能性としてはどうなのだろうか。


「シリカ殿の、その、潜行能力は転移魔法とは違うのですか。」

「ええ、仕組みはわからないけれど中では自分で歩くことになるわ。ああ、脚を怪我している人は注意した方が良いかもしれないわね。」

「状況によっては入り口を掘った方が早いかもしれませんね。」

「そっちはどんな状況なの?」


 アイーシャの話では、入り口として掘った横穴はヒトが1人通れるくらいの幅しかない、斜めに掘っただけのトンネルで、誘導溝のようなチート補強はされていない。左右の壁は土が剥き出して、2回の地震で壁が崩れて埋まってしまったらしい。噴火が迫っている火山が近いという事を考えればあまりにも迂闊だが、ミハルのような魔法の使い手は他にはいなかったし、本格的な通路を作る時間も無かった。だが、逆にそれは土で埋まっているだけということだ。シリカを地上へ送って上から通路を掘らせれば・・・


「連絡が付いていない人は何人いるのかしら。」

「それが、実は正確なところはわかっていないのです。」


 魔法学園から調査に来た人員は当初は5人の教師だったのだが、その後増えたりアイーシャのように急に呼ばれた生徒が加わったり、何かを見つけて分析のために魔法学園へ帰ったりして、誰も人数を把握していなかった。


「そうすると、連絡のついていない、状況のわからない人は居ないかもしれないということ?」

「一応、この部屋に避難してきた複数の人からまだ調査を続けている人がいるという発言がありましたので、居ると考えて間違いないと思います。」

「その場所はわかるかしら?」

「移動しているかもしれませんが、この施設の下層に居ると思います。」


 この施設には下層があったのか。ベータはそこまでは知らなかったようだ。地下の更に下層となると複数人で探しに行くべきか、シリカの潜行能力を使えば床も壁も突き抜けて探すことが出来るが。


 だが、便利な魔人シリカは1人しかいないのだ。行動に優先順位を付ける必要があるが、自分にそれができるだろうか、していいのだろうか。どれも人命がかかっている。しかもどれくらいの時間が残されているかもわからない。レイラは急いで決断せねばならかったが、幸い一つのアイデアがあった。


「そうね・・・まず全員をここに集めましょう。わかる範囲でここにいない人の名簿を作れるかしら?それを見ながらシリカと私で探しに行きます。それと入り口の復旧作業をしている人にはいったん引き上げてもらってちょうだい。」

「復旧作業は続けた方が良いのではないですか?」

「いいえ、彼等には別の作業をしてもらいます。」


 アイーシャが部屋に避難している人から聞き取りをして状況、行方不明者のリストを作成した。その間にも小さな地震が襲った。被害は無かったが、地震が続けて起きるのは何かの前兆のようで避難している者たちの不安を煽った。


 だが、レイラの胸は妙に落ち着いていた。先日まで彼女を悩ませていた、心が無くなっているという不安、恐怖心が消えているのではないかと考えることもできるが、今はむしろ好都合だった。


「小さな地震が急に増えるのは大きな地震の前兆ともいわれますけれど、逆に終息へ向かっていることも考えられます。詳細なデータを取る方法が無い現状ではどちらとも断定できませんが、今最も必要なのは冷静な行動です。皆さん、どうか冷静さを忘れずに。」

「うに!」


 絶妙なタイミングでレイラの語尾だけを真似たシリカの声が響いた。魔人シリカは穏やかでない素性に反して随分親しみ易い、体型と比較しても随分幼い童女のような声をしている。その声で突然

「・・・うに。」


「うに?」

「うに。」

 レイラとシリカのこのやり取りはその場にいた者の失笑を誘った。皆が笑いを噛み殺しているのは片方がレイラという上級貴族だからである。不敬とされると無事に脱出できても後でどんな処分が待っているかわからない。


「万一の事があっても魔人シリカが私たちを守ってくれます。繰り返しになりますが、生き残るために冷静さを失わず、常に最高の能力を発揮できるようにしておきましょう。」


 実際には如何に魔人と言えども全員を守ることは難しい。だが、一時的かもしれないが不安な空気は払しょくできた。笑いの力は偉大である。


 そうこうしているうちに状況不明者の名簿が出来上がった。

「ここでわかるだけの名前ですから、本当にこれが全部かは保証できませんが。」

 実際、名簿には僅か5人の名前しか書かれていない。とはいえこの名簿は人数が多ければいいという性質のものではなく、誰も居なくなていない状況の方が好ましい。

「それは仕方ないわ。当てもなしに探すよりは良いでしょう。」


 レイラは名簿を受け取って捜索に出ることにした。最初に目指すのは入り口である。まずはそこで復旧作業に当たっている人々からも状況不明の人物がいないかを訊く必要がある。


 シリカはレイラから離れすぎない程度に先行して、ここへ来るまでと同じように片側の部屋を調べている。

 調べながら、レイラは1人の状況不明者の事を考えていた、というよりはっきりその人物を探していた。


 その人物というのはもちろん生物教師である。他にも最低4人を探す必要がありそれぞれ見知った相手だったが、生物教師の専門は生物全般、それは通常の動物から魔法生物までを網羅し、研究熱心が過ぎるあまり珍しい種族は取り敢えず検査、あわよくば解剖しようとさえするという問題人物である。そんな人物が地上に出現した異世界の植物ではなく地下施設を、退避を後回しにするほど熱心に調べているのか。


 割れたガラスや崩れた天井を避けながらしばらく進んだレイラたちは最初の目的地、入り口に到着した。


 トンネルの復旧作業というから10人くらいが作業していると勝手に想像していたが、実際には5人しかいなかった。トンネル自体が狭いせいで人数が多すぎても中に入れず、掘削自体は1人が魔法で行っていて他の4人が流れ作業で土を後方へ送っていた。


「ちょっとよろしいかしら?」


 レイラは5人に声をかけて作業を中断させた。

「何でしょうか?」

 先頭で魔法を使っていた人物、土木科の教師がこの場を仕切っているようだ。

「こちらの作業はどのくらいかかる見込みですの?」


 土木教師はやや間をおいて答えた。

「誰かと思えばレイラ・ブラッドベリーと魔人ちゃんか。見ての通り、ここはまだ通れないよ。」

「それは見るまでもありません。ここの復旧にかかる時間によっては別の場所を掘った方が早いかもしれないのです。」


 土木教師は怪訝そうな顔をした。普通に考えれば元々あった通路を開通させる方が新たにトンネルを掘るより早く済むというのは明らかだし、他に入り口が無いことは既にわかっている。

「別の場所といっても、ここより早く開通する場所は無いでしょう。それとも何か・・・」


 目の前の2人を見ていた土木教師はそれがここに居るはずのない相手だと気づいた。

「そういえば君たちはどこから入ってきた?」


 レイラはそんな彼の反応に少し嬉しそうに答えた。

「ご明察です先生。上でも工事現場に穴が開きました。今は土砂で塞がっていますが、脱出口を作るならばそちらの穴を広げる方が簡単だと思います。」


 実際には穴は埋まっていて、レイラはシリカの潜行能力で土に潜って入ってきた。だが、そちらの方が穴は大きいのでより多い人数で作業でき、地表まで掘らなくても誘導溝の深さまでたどり着けば済む。更に、上に居るはずのミハルたちに連絡できれば上からも穴を掘ることができるので時間を短縮することが期待できるだろう。


「なるほど、一度そこの状況を見て、実際に君の言う通りならそっちを掘った方が良いだろう。」

 土木教師は自分以外の4人に手作業で入り口を掘り続けるように指示し、自分はレイラが通った行き止まりの調査に向かった。途中アイーシャたちのいる退避部屋を通るので、そこで人手を調達するとも言っていた。


 状況不明者については追加の情報は無かったが、名簿の5人のうち2人がそこで作業に加わっていることが分かった。最初は3人で作業をしていたところに退避の途中だった2人が協力を申し出たのだそうだ。残る状況不明者は3人である。


「それにしても、こんな状況でも調査を中断しないなんて、一体どういうつもりなのかしら。」


 悪態をつきながら、レイラは3人がいるという下層へつながる階段を下って行った。


 この地下施設は地上部分が無く、すべて地下に作られていた。長く真直ぐな廊下には途中に地上に出る出入口は無く、先に入った調査隊によると誘導溝とほぼ平行に作られているらしい。そして、誘導溝から離れた側の端に地上につながる出入口があって、そこから誘導溝の方へ向かって掘り進むように拡張したのではないかという事だった。


 元々異世界の建造物であり、こちらの世界でこんな工事をしている事など異世界人が知る由もないので誘導溝の真下に作られたのは偶発的な事態に過ぎない。だが、その偶然はこれまた火山噴火という偶発的な事態により魔法学園を脅かす事態になりつつあった。交換現象によってそれまでの工事がゼロになるどころか工事内容的にはマイナスになったとも言える事態になり、遅れを取り戻すための急ピッチの工事が更なる停滞を呼んでしまったのだ。元々余裕を持ったスケジュールで始めた工事だったが、さすがにこれほどの遅延が発生すると取り返しのつかない結果になりかねない。


 地下施設の下層部分は上層と違って通路が無く、ひとつの大きな部屋だった。レイラが到着すると、信じられないことにそこにはまだ稼働中の機械があった。


 機械が作動時に発生させるガスだろうか、不快な臭いが充満しているが我慢できない程ではない。そして案の定、そこで書類を集めている生徒2人を発見した。名簿に名前が載っていることを確認し、避難するよう促したが、その2人はもう1人が動かないと離れられないと言い始めた。止む無くレイラは残った1人、生物教師を探して室内を歩くことになった。


「それにしても、一体何なのかしら、これ。」

 同じような箱型の機械が何台も列を成しており、その一部が稼働してこの臭いと、唸るような音を発生させていた。近づくと少し熱を帯びていて、足元から細かな振動も感じられる。その列の奥に壁に面した横長の机のような物があり、果たしてそこに生物教師が居た。


 机には灯火やハンドルが多数配置されており、生物教師はそれを操作するでもなく、ただ椅子に座って灯火や計器を眺めているようだった。

「先生・・・」

「ん・・・レイラ・ブラッドベリー、それにシリカか。」


「こんなところで何をなさっているんです?」

「ああ、これは・・・」


 反応が薄い。だが、答えに窮している風ではなかった。

「発電機を回していたんだ。」

「発電機・・・」


 地下施設の灯火が一部点灯していたのはそのせいか。

 生物教師はどこか心ここにあらずという感じでしばらくレイラと向き合っていた。


「不思議には思わないのかね?」

「何をですか?」


 生物教師は椅子から立ち上がり、レイラではなくシリカの方へ向かって近づいて行った。

「プロコ17号か?」


 シリカは反応しなかった。プロコ17号とは?。

「・・・そうだな。まぁ、期待はしていなかったよ。」


 生物教師がシリカを解剖しようとしたあの日、丸め込まれて研究の助手というか共犯にされた日、レイラは生物教師に従いながらもどこか不審に感じて図書館通いを始めた。シリカのことを調べるというのは本当だがそれは表向き、生物教師のシリカ、そして異種族に対する異常な執着振りについて過去のシリカ研究者もそう言う人物だったのかどうか興味が湧いたという、割とくだらない理由だった。レイラ自身はそう思っていたが


「やはり、先生とシリカは無関係ではなかったのですね。」


 口を突いて出たのは自分でも予想外の言葉だった。


 生物教師は少しの間考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「そうだ、とも言えるし、無いともいえる。」


 何が言いたいのだろうか。

「もうしわけありませんが、ちゃんと話していただけませんか?」


 生物教師は長い間抱えていた秘密を一息に吐き出すような勢いで話し始めた。

「もう君には隠しておいても意味は無いだろう、寧ろすべて話して協力してもらいたいくらいだ。そうだな、君の想像した通り、シリカと私たちは無関係ではない。というか、シリカを作ったのは私たちだ。」


 予想外の告白だった。シリカを作った?誰が?

「正しくは酸素炭素系生物探査システム、プローブ・C・O、略してプロコと呼んでいる。」

「探査システム?」


「そう、そしてここは時空研究所の一部だ。恐らく転移装置が設置されていたはずだ。」

 転移装置。ベータたちを異世界から送り返した転移装置のことか。交換現象で入れ替わったのだからまさしくそのものに違いない。


「君は交換現象で行方不明になった生徒を回収するためにベータを異世界へ送り込んだだろう、それと同じことだ。かつて、向こうの世界で私たちは開発中の転移装置の実験のため、プロコを数機用意して複数の地域へ送り込んだ。目的は転移装置の到着地点を特定するための単純な位置情報を発信することだったが、実験を繰り返す内に転移装置に何らかの問題があり、行先がいわゆる異世界になっていることがわかった。だが実験は継続され、プロコの役割は現地の詳細な調査と情報を収集送信することに変わった。プロコは状況のわからない異世界を単独で渡り歩くために強力な自己修復能力や機体保護のための位相フィールド発生能力を追加され、現地の知性体と接触した時の事を考慮して外見上はヒトの形に神性のシンボルと魔性のシンボルの両方を持たされた。神性というのは母性を感じさせる身体と細胞修復機能、魔性というのは角と破壊力だ。神とも悪魔とも判断できない相手を前にした時、知性のある者なら接触をためらうだろう。だが、そうした機能を追加した代償として電力の補充が利かず、異世界での活動は短期間に限られた。更に回復不能な損傷を受けたり電力の消耗などで行動不能となった時には自機体を完全に破壊するようにプログラムしてあった。」


 シリカの桁外れの防御力の正体は物理も魔法も効かない”位相フィールド”だったのか。どれだけ打撃を与えても位相の異なるフィールドを表面に発生させているため威力が通らないのだ。だが、自機体を破壊とはどういうことだ。


「我々の転移装置はまだ開発中で、片道の転移しかできなかった。つまり、プロコは本来使い捨てだったのだ。情報を送信した後は自己破壊機能が作動して、その機体は砂粒の大きさまで粉砕され破片も残さず消滅するように作られていた。だが、一機だけ、異常に長期間にわたって活動を継続している機体があった。同じ世界に長期間残留させるのはリスクが高い、そう考えた私たちは直ちに自己破壊指令を送ったが、反応は無かった。機体に異常が発生していることは間違いないが自壊指令は実行されず帰還させる方法も無い。別の機体を送り込んで破壊させることも試したが、逆に破壊されてしまった。しかもプロコ同士の戦闘、破壊という想定外の運用はその世界に甚大な被害をもたらした。この世界で凡そ1万年前のことだ。」


「それって、つまり・・・」

「そうだ。君たちの良く知る大裂溝を生み出した事件だ。そして異常プロコ破壊の試みはその後も君たちの世界に多大な被害をもたらし続けている。」


「異常プロコ破壊の試みは続けられた。放置しておけばその世界にどんな影響を及ぼすかもわからないからだ。強化改良した新型プロコが開発され、満を持して異世界へ転移させた。だが、出力強化の影響で機体を覆う位相フィールドにも歪みが生じ、転移に想定外の影響を及ぼした。転移装置の設置されていた場所一帯がごっそり異世界の土地と入れ替わってしまったのだ。作動中の転移装置そのものと人員、電力をはじめとした転移に必要なエネルギーも異世界へと転移し、現地に大規模な破壊をもたらした。反対にこちら側には最初の交換現象だ。」


 レイラは言葉が出なかった。生物教師の語る歴史はあまりにも荒唐無稽・・・にも拘らず、レイラはそれを信じ込んでいた。少なくとも、歴史に照らして時系列以外の矛盾は無かった。だがそれも転移装置の特性で説明がついてしまう。そして生物教師は・・・


「奇跡的にそのとき装置を操作していた職員が転移先の異世界で生存していることが確認されたが、帰還させる方法は無く送り込んだ強化プロコは行方不明となった。私たちは職員の救出と異常プロコの回収という二つの問題を解決するため、転移装置の再建を急いだ。同時に改良も加えられ、プロコの信号を頼りに異世界を探知する機能が追加された。だが、行方不明の職員を探すには更に追加の強化プロコを送り込む必要があった。しかも、転移装置本体を保護する方法は見つかったが転移パッドと周辺の土地が消失する原因は不明なままだったのだ。」


 シリカの目撃された時期がバラバラなのはその職員を探すために何度も時代を変えて送り込まれたからなのだろう。だが、職員の救出は失敗を繰り返した。


「何度目かの救出作戦で、ついにその職員を発見したが・・・彼は自らを皇帝と名乗り、交換現象でズタズタになった世界に自らの帝国を築いていた。」


 帝国・・・かつてレイラが体験したタイムトラベル先でクリスタの世界を支配していた皇帝。


「そして、そのプロコは彼を連れ戻す事に失敗した上、彼はその時代に新たな転移が出来ないように何らかの方法で時空を封鎖してしまったのだ。その世界の科学レベルからはあり得ない技術だった。だが、その封鎖は完全ではなく、時間を相当にずらせばまだ転移が可能だった。そこで長期間行動可能な改良型プロコを送り込み更なる情報収集をした結果、過去では彼は英雄と呼ばれていたこと、皇帝となった後大規模な民族抹殺を行ったという歴史を知った。」


 獣人排除、抹殺政策と言っても過言ではない。シリカ族を絶滅寸前に追い込み、恐らく複数の種族を根絶やしにした政策を行った皇帝の正体は、異世界の科学者だった。


「彼が時空を封鎖した技術の正体も一部だが判明した。それは・・・これも私たちの責任なのだが、その世界に元々存在しなかった技術だった。転移、交換現象によってどこかの異世界からもたらされた、魔法と呼ばれる超科学技術だったのだ。私たちは自分たちがこの世界にもたらした深刻で重大な影響について、どうにかして責任を取らねばならないと考えるようになった。」


「それで、先生が自らこの世界に?」


「・・・まあ、文脈から言ってそうなるな。私はプロコの開発主任だった。」

 つまり、シリカを作った、という発言は文字通りの意味だったのだ。だが関係ないという発言の方はどうなのだ。

「人間を転移させるのは転移先が生存に適さない環境である可能性などのリスクがあって先送りになっていたのだが、改良プロコを散々送り込んだことでこの世界の充分な情報が集まり、何よりその皇帝が生存していることで安全と判定されたため、この世界に人員を送り込むことになった。だが、彼が生存している時代の周辺は封鎖されていて転移できない。そこで、封鎖に対抗するために彼の影響の残る未来へと転移し、魔法について研究することになった。そんな時だ、この世界に複数のプロコの痕跡が見つかった・・・より未来の世界へ送り込んだプロコが自分について書かれた複数の書籍や遺物を見つけたのだ。」


 生物教師の語る世界の真実は時系列が容易く前後する。しかしそれを聞いているのは時空転移を経験し絶滅寸前だったシリカ族をこの時代へと導き、魔人シリカの最も身近に暮らすレイラである。時系列の乱れは逆に分断されていた歴史が一本に整列されるように感じられた。


「行くべき時代は決まった。私は元の世界へは戻れない覚悟をもって転移パッドに立った。皇帝を連れ戻すのではない、彼に対抗する策を未来で手に入れる。プロコからの情報で私は身なりを整え、経歴を作り、こうしてここに立つに至った・・・今は座っているがね。」


 冗談のつもりだったようだがレイラは反応できなかった。

「ということは、私たちが学園で教わっている魔法や異世界の概念は・・・」

「魔法はともかく、異世界の概念は皇帝、つまり私たちの世界からもたらされた物だ。」


 道理で、あるかどうかもわからない未知の世界について、捕捉方法だけが妙に具体的な説明されているわけだ。召喚魔法は異世界の転移技術を魔法で再現した物ということか。そしてなぜそんな魔法を熱心に教えているのかといえば

「原理的には召喚魔法でこちらから異世界へ移動することも可能・・・」

「その通りだ。私は転移装置の知識と魔法を組み合わせて転移魔法を開発した。だが、知っての通りそれはこの世界の中での移動に限られ、ベータのような存在を生み出す可能性も孕んだ危険な物に仕上がった。そこで転移魔法に異世界という概念をより強力に織り込むため、魔獣のイメージと結びつけることを考えた。その結果誕生したのが召喚魔法だ。」


 魔法を使いこなす事ばかりに傾注していたが、考えてみれば異世界からもたらされた魔法を誰がいつ、人類が使えるように整えたのか。

「それで魔法学園の理事長という地位を手に入れて、表向きは一教員として勤務しながら魔法の成熟を待った、と?」

「まあそんなところだ。魔法学園を作ったのは私の仲間だし、現理事長は・・・なぜ私だと思った?」


 まただ。今まで幾度もレイラの前に署名として現れながら、一度も姿を見たことが無い人物。シリカが学園で暮せるように周辺環境を整えた手際、レイラに監督させるという判断の早さ。その理事長の正体が今目の前にいる人物。誰もそんな事まで話していないし飛躍した考えなのに、それが不動の真実だと確信してしまう。だが

「それは・・・そうなんでしょう?」

「それはそうだが、そういう君も普通ではないな。」


 ベータかクリスタが居れば透視能力の事を話してくれたかもしれない。だが、レイラ自身はまだそれに気づいておらず、

「私、勘は良い方ですので。」

「恐ろしい勘だな。君が異世界からプロコを引き寄せたのには驚いたが、外観や能力はプロコそのものなのに中身は別物だったのにはもっと驚いた。」

「ということは、シリカはその、プロコではなかったのですか。」

「それはまだわからない、異常プロコが機体にどのような異常を起こしたかは未だにわかっていないのだ。シリカが異世界で同様の異常を起こしたプロコの一機である可能性はあるが、そうなった原因もわからない。ただ、異常な防御力などいくつかの特徴は一致していたし、何より外観はそのものだった。ならば機体の内部に何らかの異常が起きているにちがいない。」


 いきなりシリカを解剖しようとしたのはそういうことか。生物教師にとってシリカは作り物という認識であり、生命ではないのだ。自分の知識に従って解体処分しようとして失敗したのだろう。

「それで、詳しく調べられる前に強制自壊指令を実行させようとしたのだが、肝心のスイッチが存在しなかった。君も見ただろう、シリカの膣内を。」


 膣というか、陰部に膣は無く、異常な広さの空間が広がっていた。しかも

「仕組みはわかりませんが、シリカは便利な物入れに使っていましたわ。」

「物入れ?それは・・・その話はまた聞かせてもらえるかな?」

「もちろんですわ。それより・・・」


 レイラが言い終わらない内に部屋が軋み始め、無人の椅子がガタガタと踊った。


「む、これは大きいか?」

「先生ッ!」


 新たな地震が襲った。振幅は小さくビリビリとした揺れが横と縦に襲う。天井から細かな砂が落ち始めた。


「急いで出た方が良さそうだ。」

 レイラたちは急いでその場を離れた。操作盤の上に土砂が降り注ぎ、室内の照明のいくつかが消えた。


「君、持てるだけの遺物を持ってすぐに避難だ。」

 生物教師は助手をしていた生徒に避難の指示を出したが、それでも書類の搬出を忘れなかった。


「先生、上の皆さんは通路の奥へ向かっていますわ。私が入ってきた壁を掘り起こせばすぐ工事現場に出られるはずです。」

「横穴ではないのか?・・・聞いての通りだ、通路を奥へ進むんだ。」


 レイラたちが上層へと続く階段を上がっている最中も、地震は断続的に襲ってきた。

「まさか、もう噴火するのか?」

「予想ではまだ日数があるはずですが。」

「火山の噴火なぞ予想できたとしたのが間違いかも知れんな。いや、発電機のせいか。小型だが位相差技術を使っているから、どこか閉鎖が不完全で時空を乱したかもしれんな。」


 地下施設の階段や通路は激しい揺れに対しても埋まるようなことは無く、やはり地震に対策された構造のようだった。一見無駄そうに思えた手すりも実はこのためにあったのではないかと思えた。レイラたちは手すりにつかまりながら階段を上へ、通路を奥へと移動していった。


「先生っ!」

「おお、戻ってきたか。」

 予想通り、誘導溝の崩落現場は土の層が薄く、地下からでも容易く脱出口を開けることができた。作業の指揮を執った土木教師は全員を脱出させた後も最後まで地下に残り、レイラたちが戻ってくるのを待っていた。


 誘導溝に出ると、ミハルとアイーシャがレイラたちを待っていた。

「レイラ様!」

「レイラ殿っ!」


 レイラは品を損なうことなく会釈をした。

「お待たせしたようですわね。」


 頭にも服にも砂埃を被っていたが、怪我も無く帰還したレイラをミハルたちは満面の笑みで迎え、レイラも笑顔で応えた。


 調査団全員の無事が確認され、崩落現場からの脱出というレイラの判断が正しかったことが証明された。


 生物教師は意味ありげな視線をレイラに送った。

 打ち明けた秘密をどう扱うか、事によっては魔法学園、ひいては国家を揺るがしかねない内容だが、その判断をレイラに任せるとでも言わんばかりに。


 レイラはこれにも笑顔を返した。

 生物教師の正体、交換現象の発生と世界崩壊の原因、そして依然として残ったシリカの謎。

 1人で抱えるには大きすぎる秘密だが、意外なほどレイラはその重さを感じていなかった。単にいろいろなことが一度に起き過ぎて反応が追い付いていないだけかもしれない。


 生物教師は過去の修正法を未来に求めた。レイラは成り行きのまま行動した結果、滅亡したとされていた種族を現代に蘇らせた。案外、生物教師の願いも成り行きで叶えられてしまうかもしれない、レイラはそんな風に考え始めていた。


 だが、そんな空気を台無しにする情報がもたらされた。


「班長!ウィンドリンガーから溶岩が流れ出しました。」



「どういうこと?予想噴火日まではまだ2週間あるはずでは!」

「火口の一部に亀裂が出来て、溜まっていた溶岩が噴出したんです。もう火山の麓に広がり始めています。」


 シリカの参加で工事はギリギリで間に合うはずだった。崩落した個所は埋めてミハルが補強すれば良かった。噴火まではまだ日数があった。ウィンドリンガーの特性から、噴火の時期は前後2~3日の誤差で予測できるはずだった。


「他の工区は既に工事が終わっているはずでしょう、そちらで引き受けさせることはできないの?」

 特に最前部の工区は扇形に溝を掘って、溶岩を誘導溝へ集めるように作られている。通常ならこうした誘導溝はひとつあれば充分なのだが、ウィンドリンガーの溶岩の特殊性を考慮して2本の溝を掘った。こちらの工事が完了していない以上、既に完成した溝の方に溶岩を誘導するしかない。


「最前工区では既に溶岩が溢れていて手が付けられない状態です。第2誘導溝へつなぐにもバイパス溝を掘ることができません。」

「ウィンドリンガーの溶岩は流動性が異常に高くてすぐに拡散します。今すぐにでも堰を作って拡大を阻止しないと!」

「と、とにかく溶岩をどうにか・・・このまま流れるに任せてはだめです。なんとかここまで誘導できれば、完成している部分だけでもどうにかできるはずです。」


 こうしている間にも地表を流れる溶岩がここに到達するかもしれないが、溶岩が広く拡散しているとなると多少の時間があるようだ。だが、ミハルはウィンドリンガー周辺の地図を思い出していた。


「麓の宿場は?退避は完了しているの?」


 そう、火山と言えば温泉。ウィンドリンガーの周辺にも無数の湯治場があり、既に避難勧告は出されていたが

「温浴施設に入院している患者がまだ居るはずです。」

「すぐに避難指示を。」

「班長!」

「何?」

「既に溶岩に囲まれて孤立した宿場が・・・」


 状況は既に絶望的になりつつあった。本来溶岩はその名の通り、溶けた岩である。成分よって程度の差はあるが粘度は相当に高い。高いのが普通だ。だがウィンドリンガーは異世界から到来した、未知の部分が多い火山である。そして、その火口は地球の地殻に接続しているにも拘らず、異常な溶岩を湛え続けていた。


「班長の魔法で石壁を・・・壁だけで溶岩を防ぐのにどれくらいの厚さが要るのかしら。」

「難しいと思います。私が壁を作る速さと溶岩が広がる速さを考えると・・・」


 今、溶岩はどれくらいの範囲に広がっているのだろうか。それを全部ミハルが魔法で作った壁で囲わせるのにどれだけの時間がかかるか。孤立した宿場を囲む防壁を作った方が早いだろうが、取り残された人々は蒸し焼きになってしまわないだろうか。こうしている間にも・・・


 事態の進行が早すぎた。誘導溝構築のため土木工事のエキスパートは居るが、宿場を守る防壁を作るには人数も資材も足りない。加えて今からでは時間も足りない。こんな状況で出来ることなど、無いに等しい。等しいが、無くはない。有るにはあるが・・・


「シリカ。」


 シリカにもこの状況でレイラが望む事は大体想像がつくだろう。


 だが具体的な方法はシリカは考えられない。バカなのではなく、選択肢が多くて決められないのだ。シリカに取ってはレイラだけを連れてこの場から逃げるのも溶岩そのものを食い止めるのも、レイラが助かるという意味においてルート違いの同じ結末でしかない。ただ、ルートが異なるだけなのだ。


 レイラは考えた。今すぐ溶岩をなんとかして孤立した集落や傷病人を救い、自分たちも助かる方法は無いか、と。既に流れ始めている溶岩に対して魔法で水や冷気を浴びせても、次々流れてくる溶岩に押し切られてしまうのが関の山だ。もっとも単純な方法としては誘導溝を直ぐに完成させるか、溶岩の方を誘導溝へ導く事。いまここには既に技術者も魔法使いもいるが、誘導溝を完成させるにはあと10日から2週間は必要だ。他の工区は既に工事を終えているが、そこで手の空いた者を回してもらったのが現状なのだ。ミハルの魔法による補強を省略してとにかく延伸だけに集中すれば多少は・・・いや、そんな状況ではない、今すぐ何とかしなくてはならない。


 地下施設はまさにその要求を満たす構造物だった。本来の誘導溝より強度は落ちるし狭いが、誘導溝の計画ルートと並行して伸びている。恐らく反対側の端に穴を開ければ能力は落ちるが誘導溝として機能するはずだ。だが、そのためにはその場へ誰かが行かねばならず、トンネルが地上とつながると同時に流れ込んでくる溶岩から生還しなくてはならない。


 レイラは出来るだけ感情を抑えて命令しようとした。だが、突き当りの壁をぶち抜いた瞬間に溶岩に飲まれるシリカの姿が脳裏をよぎり、どうしても言葉にできなかった。図書館で読んだシリカの逸話では溶岩の中を歩いたような描写もあったが、誰かがそれを見たというわけではない。その逸話自体、伝聞の伝聞のような代物だ。


 シリカの肌は人並みにやわらかく、温度は少し冷たい。

 剣も魔法も効かないのが位相フィールドとか言うもののおかげだとしたら、触って体温を感じることができるのはどういうことなのだろうか。生物教師は異常プロコと言っていたが、本当にその探査機がシリカなのか、少なくとも生物教師は自分が作った物と同じではないことを認めている。


 溶岩に触れ炎に包まれるシリカ。服が燃え尽きてもその足は止まらず、壁を破壊して更に溶岩を呼び込む。表情一つ変えることなく赤熱した裸身が溶岩の中に消える。高熱で身体が融けてしまうまで、シリカは溝を掘り続けるだろう。


 レイラはもう一度シリカを見た。青色の瞳は深く透明で、何もかも見通してしまいそうだ。


「!・・・」


 レイラが声を発するや、いや、声にするために息を吸い込むや否や、シリカはくるりと背を向け、先ほど通ってきた穴へと消えた。


 レイラは茫然と見送るしかなかった。


「・・・もう、」


「レイラ様?」

 シリカが突然姿を消したことに驚きながら、ミハルはレイラが何を命じたのか訊こうとした。


「まだ何も言っていないわよ。」


 レイラも急いで行動しなくてはならなかった。


「班長、大至急皆をここから退避させて。この穴から溶岩が噴きあがるわよ。」

「レイラ様?」


「地下施設は誘導溝と並行するように延びていました。今、シリカはその終端からウィンドリンガーまでトンネルを掘っています。」

(多分。)


「まさか、溶岩をその中に?」

「地下の通路はかなりの強度があって、広さもあったわ。溶岩を中に引き込んで、ここまで通します。」


 生物教師は目を剥いて声を上げた。

「レイラ、それでは地下施設が!」

「他に方法はありません。それとも、宿場に孤立した人々をこのまま蒸し焼きになさいますか?」


 生物教師には返す言葉が無かった。自分のいた世界の、元の職場だなどとこの場で言う事はできない。それを白状してレイラの計画を阻止したとして、それで現地の住人や入院患者を犠牲にしていい事にはならない。

 常識外れの行動が多く解剖魔として知られるこの人物は、この点では常識的だった。


「すまない、貴重な異世界の遺物に触れて少々舞い上がっていたようだ。私も君に賛成だ。」

「畏れ入ります。」


 本心では帰ることのできないはずの世界の椅子にもっと座っていたかっただろう。自分に宛てたメッセージか何かが残されているかもしれない。だが、教師として生活してきた時間は自分の郷愁よりこの世界の住民や生徒の安全を優先する選択をさせるだけの変化をもたらした。


 レイラの方も、生物教師の心境を思うとこの地下施設を破壊するのは心が痛んだが、他に選択肢は無かった。生物教師が事情を理解した様子だったのが救いだったと言えるだろう。



 疾風、疾きこと風の如くという言葉がある。

 通路を突進するシリカの後には、砕けたガラスが舞っていた。


 やがて通路の果てに到達すると、そこにあった壁にまともにぶち当たった。漫画のようにシリカの形の穴が開いたりはしなかったが、型でも押したようにその形に凹みが出来た。潜行能力を使っていればそのまま壁に浸入するところだが、今の使命はこの壁を破壊することである。無様に跳ね返されて珍しくシリカは尻もちをついたが、すぐに立ち上がった。シリカもこの程度は想定内だったのだ。そして両手を前に突き出すと、

「うべっべぇー、ぎうぇっ!」


 以前よりいくらか聞き取れるようになったが、前腕の鬣が伸びて土壁に突き刺さると、周囲はもうもうとした土煙に包まれてシリカの姿も見えなくなった。



 レイラたちは指揮所や宿舎へ伝令を走らせる一方、作業をしていた者たちを直ぐに溝の外へ退避させた。後方にある宿舎は溶岩を避けられる位置に建てられていたが、念のため中にいる要員には退避が命じられた。仮設の指揮所は誘導溝の中にあったが、いざという時には放棄するように作られていたため、最低限の書類だけを持って全員が脱出した。


 その直後、

「う、何よこの臭い。」

「うぇぇ・・・」


 異様な臭いとほぼ時を同じくして、誘導溝を真っ赤な・・・溶岩?ガチッ、ガチッと奇妙な音を立てながら流れてきた。

「これが、ウィンドリンガーの・・・」

「私も流れるのを見るのは初めてだが、これが溶岩なのか?」


 誘導溝を埋め尽くす量の真っ赤な溶岩が流れ、いや、転がってきた。

「私、溶岩と言えばもっとドロドロとして、ゆっくり流れる物だと思っていました。」


 レイラたちが見ているそれは、確かに近づけない程の高温を帯びていて赤く輝いていたが、流れる溶けた岩というより転がる大量の球体だった。大きさは様々で、小さな球体でできた川に大きな球体が浮かんで押し流されているような状態になっている。球体同士はある程度引きつけ合うようで、メタボール状、個々の球体は固体でありながら、全体としての挙動は液体に似ていた。


 溢れる溶岩は大量の球体を転がすような速度で拡散していくのだ。しかも、球体は中空のガラスのような状態で体積に比べてはるかに軽い。緩やかな傾斜があれば容易く転がり、凸凹があれば弾んで超越してしまう。そして高熱を帯びたままどこまでも転がっていくので一度平地に流れ出すと大きな被害をもたらすのだ。


 文献には赤熱した球状の岩の大群と書かれていて、その流れが非常に早いことも知られていたが、実際に見たその溶岩はあまりにも奇妙だった。


 だが、どれだけ奇妙でも溶岩には違いないわけで、仮設指揮所はたちまち燃え上がり、金属製の枠組みは歪んで崩れてしまった。


「班長。」

「はい、想定通りに誘導できています。あとはこのまま大裂溝まで流れて行って、冷えて固まるのを待つだけです。」


 今や溶岩は宿舎の前を横切って流れていた。建物は無事だったが、中に誰か残っていたら今頃は異臭と高温で無事ではいられなかっただろう。



 色々と事件、事故はあったが、こうして溶岩の誘導は成功したのである。



 工事に参加していた生徒や城下町からの協力者たちは、この光景に快哉を叫んで互いに称え合っていた。ついにやり遂げたのだ。握手を交わす者、抱き合い涙する者、緊張の糸が解けてその場に座り込む者、反応は様々だが、安心した雰囲気に包まれていた。


「班長、馬を一頭、お借りできるかしら?」

「はい、どちらへ行かれるのですか?」


 レイラの代わりに生物教師が答えた。

「レイラ。シリカを探しに行くというのなら許可できない。」


 信じられない言葉だった。つい先刻、自分たちに迫っていた危機的状況を単独で解決した功労者を迎えに行こうというのに、許可できない?

「どういうことでしょうか、先生?」


 不愉快そうに発したレイラの言葉には憤りが含まれていた。だが、生物教師はレイラを諭すように答えた。

「シリカは火口付近か、或いは直接火口までトンネルを掘ったに違いない。それもこの早さで掘ったとなると、周囲の土壌がどうなっているかわからない上、流れているのはこの異常な溶岩だ。噴火が収まるまでは近寄らせるわけにはいかない。」


 当然のことだった。生物教師は立場上、そして1人の人間としても生徒を危険に晒せるわけがなく、レイラを行かせるわけにはいかなかったのだ。


 その場にいた生徒たちも水を打ったかのように静まった。


 あのまま失敗したかもしれない工事を成功に導き、自分たちを救ったのは魔人シリカの無謀とも思える突撃だった。具体的に何をしたのかは知らなくても、溶岩の真ん中へ向かって誘導溝の終端を繋ぎにいったというのは想像に難くない。だがそれを成し遂げたとして、自身が溶岩の中に沈むという運命を避けられるだろうか。


 自分たちを助けるためにシリカが犠牲になったと考えると、誰も手放しで喜べはしなかった。


「先生は・・・シリカがどうなっても構わないのですか?」

 あれほどの執着を見せた対象、そして自分の開発した探査機の一機かもしれない存在、それを簡単にあきらめられるというのだろうか。更にレイラにとっては単なる魔獣ではなく、およそ1年を共に過ごした手のかかる同居人であり、相応の愛着も感じていた。ステラと同様に、簡単に諦められる存在ではなくなっているのだ。


「シリカの状況ももちろん気になるが、だからと言って君を危険な場所へ行かせるわけにはいかない。」

「しかし・・・」

「魔人シリカの能力が本物なら、自力で戻ってこられるだろう。」


 そう、シリカなら自力で、もう戻ってきていても不思議ではない。だからこそ、今戻ってきていないという事は何かが起きている証。


「ですが、戻れないような状況に陥っていることも考えられます。」

 レイラは食い下がった。生物教師が言っていることはもっともであり、実際、待つというのがこの場合正しいだろう。理屈は理解できるが、それでもレイラはシリカを探しに行きたい衝動を抑えられなかった。


 生物教師はまだシリカがプロコの内の一機という可能性を捨ててはいなかった。捨てていないだけに、今回のような行動を取った後の結末について具体的に予想していた。レイラにだけ聞こえるように注意しながら

「能力を使い切って、自壊消滅した可能性もある。」


「自壊・・・でも、先生は失敗なさったのでしょう?」

「正常な方法で出来なかったとしても機能自体は備わっているのだ、修復できない程の損傷を受ければ作動する可能性は充分にある。」


「それなら、尚の事急いで行かないと。」

「行って、君に何ができる?砂粒ほどに分解されたシリカの身体を箒で掃き集めるのかね?」

「必要ならそうします。」


 即答するレイラに生物教師は、もう一度落ち着かせるように

「そのシリカだった砂とそうでないただの砂をどうやって見分けるのかね。」

「そんなこと・・・」


「姿形を保っていられないほど損傷したなら君にできることは無い。万が一無事なら、待っていれば戻ってくる。それにこれ以上前に進むことは君自身が危険だ・・・信じて送り出したのなら、君は待つべきではないのかね。」


 レイラはもはや反論できなかった。シリカにそれを命じたのは自分だ。命令を言語にしていないとしても、シリカはレイラの考えを完璧に実行したに違いない。信じているのならば、戻ってくるのを待つべき、それは確かにそうなのだが

「先生・・・」

「戻ってきたときに君がいなかったらシリカはどうなる。」


「・・・わかりました。」

 唇を噛みしめ、俯きながら答えるレイラ。こんな姿を人前で見せることなどこれまでなかっただろう。


 生物教師はレイラの肩に手を置いた。

「私も、こんな程度で自壊してくれるなら楽でいい。だが、そうはならないだろう。」

「先生・・・」


「先生はどちらの立場でいらっしゃるのですか?」

「・・・」

「シリカに帰ってきてほしいのですか、それともこのまま消滅してほしいのですか?」


 先ほどまでとは声のトーンが異なる。消沈した感じが消えて、何やら怒気を含んでいるような。


「それは・・・」


「わかりました。私、待ちますわ。」

「レイラ・・・」


 声に力がこもり、顔を上げたレイラの目には闘志のような輝きさえ浮かんでいた。


「部屋を完璧に整えて、好物を揃えて。シリカの帰還を待ちます!」


 突然高らかに宣言したレイラを、ミハルたちも驚いて見つめている。



(逞しくなったものだ。)

 1年前、公爵令嬢として周りからちやほやされていた寮生活から、魔法も教養もダメという実態が知れ渡って友人たちから距離を置かれ、始終癇癪を起したような有様で自分より弱い立場のメイドに当たり散らしていた少女が、何の間違いか魔人を召喚し、状況に流されるままその魔人と同居を始めた。それは自分にも少なからず責任のあるところだが、レイラは随分変わった。この変化をブラッドベリー公爵夫人はどう見たのだろうか。レイラの変化は確実に周囲を巻き込み、やがて世界をも動かすのではないだろうか。あの魔人と共にあることで


「そういえば・・・シリカの好物って、何だ?」








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