第2章「魔人と生物教師」
翌日の朝。
魔法学園は試験日程を消化し、通常授業に戻っていた。
だが、まさにその日から日常が変わってしまった少女が居る。
まだ始業には時間があるが、敷地内に学生寮があり相当数の生徒が入居している魔法学園では、部活動や種族の習慣などによりかなり早い時間から制服姿の生徒たちが行き来する姿が見られる。
魔人が消滅せずレイラの部屋に現れたため、目撃した生徒達から召喚魔法は失敗だったのではないかとの疑義が出ていた。魔人を暴れさせないようにレイラが全霊で以って抑え込んでいるのだと擁護する者、世界を破壊するために力を蓄えているのだと主張する者などが現れて紛糾したが、学園長が異例の通達を出し事態を収拾した。曰く、
「魔人の希少なサンプルとして可能な限り長期間学園に引き留めて研究するべし」
これは学園理事会の決定を学園長の名義で掲示板に掲出するものだが、その内容は魔人は危険な存在ではないと学園が判断したと解釈できた。危険があるなら第一に生徒に避難を呼びかけるからである。この通達が掲出された時点では、まだレイラは自室にいてようやく目覚めたところだった。
「う・・・ん・・・」
なんだか枕の感触がおかしい。位置もずれているようだ。
枕の位置を確かめようと手を伸ばすと、顔の横辺りに微妙な弾力のある盛り上がりがあった。
「なによこれ・・・?」
枕だと思ったのは魔人の腹だった。夜中に枕と入れ替わったのか?
「ちょっとあなた、ここで何をしていますの?」
レイラが声をかけると、魔人はのろのろと起き上がり
「ぬぅ~~」
レイラの口に吸いつこうとした。
レイラが召喚した魔人は昨夜はレイラのベッドに居座り、気を失ったレイラに変わってステラが場所を空けさせようとしたが叶わず。尚も魔人をどかそうとしていると、半睡眠状態で着替えたレイラがベッドに上がってしまって、枕の代わりに魔人を抱えて眠ってしまったのだった。もちろん本人は覚えていない。
「ちょっとっ!やめなさいッ・・・ステラ!、ステラ!」
使用人部屋からステラが飛んできた。
「おはようございます、レイラさ・・・っ!?」
家政婦は見た!全裸の少女のようなものが主人を襲っているのを!!
「これを何とかしてちょうだい!」
「は、はい、ただいま。」
ステラが後ろから引きはがそうとするが、魔人はびくともしない。
「だいたいあなた、どうしてここに居るんですの?あなたに使役魔法をかけたのは昨日の事で・・・」
「しれ・・・?」
「昨日の事で、今かかっていないならどこへでもお好きな所へお帰りになって結構よ?」
「んーっ・・・えいら!」
「だから何ですの?!」
「レイラ様から・・・はなれて・・・くださいぃっ」
レイラ達がそんなことになっている間に次の通達が、一通目を補足する形で掲出された。
「昨日、召喚魔法に長けた教師がレイラの送還魔法の痕跡を追跡し、元の世界に戻った魔人を再度召喚することに成功した。魔力量が突出して多いレイラが、学園の要請を受けて魔人に継続して使役魔法をかけ現状に引き留めている。学園理事会は全力を挙げて現状の維持にあたっており、魔人が人身に危害を加える恐れはない。近日、魔人は研究用として学園の所属登録をする予定である。」
という内容だ。7割くらいは嘘だが、ある意味魔人を引き留めているのはレイラで合っていた。魔人が見せるレイラへの執着は彼女の支配下にあるようにもみえる。一度は帰った魔人が再びレイラの部屋に現れたことは既に学園中に広まっており、倒れる直前に発したレイラの一言はメイドにしか聞き取れていなかったのだ。ただ、この内容だと理事会とレイラの間で了解が取れていることになるが、もちろんこの時のレイラはそんなことは知らなかった。
そして、授業のため教室へ向かう途中で掲示板に立ち寄りこれまでの2通の通達を知ったレイラ達は、新たに貼り出された3通目を読んでいた。
昨日の魔人が学園の制服を着ている。部屋から出すにあたってレイラが着せた物だ。
結局連れてきてしまったが、掲示板には今の状況を先読みしたかのようなことが貼り出されていてレイラ達は困惑していた。更に
「魔法学科実技試験における不備が見つかったため、召喚獣騎馬戦優勝者レイラに付与される単位のうち一般教養の分については保留、各教科の教員の指示に従って補習を受講すること。魔法学科の単位は評価を1ランク下げてAランクを付与する。」
通達には不備としか書かれていなかったが、実はレイラは大きなミスをしていた。召喚門を維持せずに送還門を使用すること自体は特に禁止されていないのだが、その前段で魔人に使役魔法をかけていなかったのだ。もっとも、レイラ自身それに気づいたのはつい先ほどのことだ。
召喚に思わぬ時間をかけてしまった上に予想外のものを呼び出したことで冷静さを失っていたレイラは、使役魔法も隷属契約も忘れて直接命令をしてしまっていた。必要な要件を満たしていないので通常なら失格、単位は不可となるところだが、2通目の通達の内容と併せると、高位魔人の召喚に成功した点を評価されたのと今後その引き留めに協力することで帳消しにしてもらえたらしい。
ただ、使役魔法の事は飽くまでレイラの主観であり、理事会が言っている不備は別の物かもしれない。魔人の引き留め云々についてレイラの同意なしにあのような発表をしている事には意義を申し立てたいところだが、前期で単位を落とすところを回避させたのは交換条件という意味ともとれる。今やレイラの進退は理事会次第、これでは一度つながった首を皮一枚まで斬り直されたも同然の状況だった。
「まあ、落第するよりは百倍マシですわね。少なくとも昨日1日でAランクを貰ったわけですし。」
そういいながらレイラは内心動揺していた。落第なら即実家へ帰って軟禁同然の生活が、進級できたとしても成績次第では、冬休みの帰省を許されず学園で自習もあり得る。唯一もぎ取った「Aランク」で以ってなんとか両親には許してもらうしかない。
この時レイラは気づいていなかった。皮一枚でつながった首では人間は生きていられないことに。
「えいら!」
「ひぃっ!・・・もう、なんなんですのあなた?!」
「えいら!」
何を考えての事か、魔人はレイラの頭によじ登ろうとしてくる。子犬が飼い主を登るのと似たような物だろうか。
他に居た学生はそんなレイラを遠巻きに見物するばかりで、手助けをする者などいない。正直、学力以外でも学園内でのレイラの評判は芳しくないのだ。多少意地が悪く、物言いはきつく、すぐに八つ当たりをする姿を度々目撃され、名家の令嬢にありがちな取り巻きと呼ばれる一団さえ少し離れて付いてくる始末だ。一人を除いて。
「大丈夫ですか、レイラ様。あなた、レイラ様から離れなさい!」
「もうっ、これを早くなんとかしなさい、ステラ!」
「は、はいっ、ただいまっ!」
「た~りまっ」
何かにつけて名指しで用事を言いつけられるというのもあるが、ステラだけはレイラのそばを離れず、常にレイラの味方としてふるまった。彼女に言わせればレイラは意地悪でも八つ当たりをする暴力女でもなく、ステラへの大きな期待と信頼の現れということらしい。今も自身の危険を顧みずレイラを救おうとしている、その献身ぶりと整った容姿で、取り巻きの一部はレイラでなく彼女が目当てとも言われている。おそらく親衛隊もあることだろう。
「何をしているんですの?!早くしなさいこの、役立たず!」
「申し訳ありませんっ。離れなさい!お願いだから、レイラ様から離れて。」
「・・・うりゅ。」
ステラの腕力では全く歯が立たなかったが、涙目で訴えるとなぜか魔人は自発的に降りてきた。
「まったく・・・髪が乱れてしまいましたわっ、ステラッ!」
「は、はいっ!ただいま・・・」
ステラは自分の鞄から櫛を取り出し、レイラの乱れた髪を整え始めた。彼女自身もこの学園の生徒であるため、今は学園の制服を着ている。だが身分の上ではレイラの使用人であるため、彼女の鞄には教科書やノートよりレイラの世話をするための品が多く入っている。
「はやくしなさいな、授業に遅刻してしまいますわ。」
周囲の生徒が俄かにざわつき始めた。レイラの態度に抗議しているのではない。
「?どうしましたの、手が止まってましてよ?」
「あ、あの・・・レイラ様。」
「何よ。」
「レイラ様。」
「だから何よ?本当にあなたは・・・」
レイラが苛立った様子で振り向くと、自分の後ろで髪を直しているステラ、と、その更に後ろ。
魔人がステラの頭を掴んで何かしている!
ステラの短い黒髪をかき分け、さかんに頸筋の匂いを嗅いでいる。そして何かを見つけたように指のはらでぐりぐりと圧し始めた。
さっき自分の邪魔をしたからか?馴れ馴れしいのでつい油断していたが、ついに魔人としての本性を現した。自分の主人のレイラではなく、ステラを生贄として召し上げようというのだ。
「レ・・・レイラ様・・・」
ステラはすでに鼻声になっている。魔人はステラの頸を後ろから締め上げていてこのまま落とされそうだが、レイラの対応次第ではステラの細い頸は捩じ切られてしまいかねない。
レイラは咄嗟にステラの鞄を漁ると、顔剃り用のレザーを取り出した。武器になりそうなものはそれくらいしか無い。
折りたたまれていた刃を開くと
「あ、あなた。私の使用人から離れなさい!」
「なゅう?」
魔人は奇怪な声を発して、尚もステラの頭を弄り回している。レイラの脅しは効果が無いようだ。そもそも魔人に剃刀ごときで対抗できるのか?
「れいらさまぁ・・・」
この状況では。ステラは今にも泣きだしそうだった。泣きたいのはレイラも同じだった。今もステラの頸は左右に曲げられ、コキコキと乾いた音を立てている。急いで、しかも一発で正解を出さないとステラは・・・
追い詰められるほど冴える。
昔からレイラにはそういう面があった。普段の働きが悪い反動だろうか、こういう時こそレイラの頭脳は働くのだ。
(魔人、魔人と取引き・・・刃物で脅しても効果は無いわ。何か、魔人が好きそうな物で気を引けば)
「ステラを放しなさい!でないと・・・」
剃刀を自分の頸にあて、
「私が死ぬわよ!」
「!?!?」
レイラの無謀な行動は周囲の空気を凍り付かせた。
「?・・・めぇ」
「あっ・・・」
魔人が肩をポンと叩くと、ステラはその場にへたり込んでしまった。
「う・・・」
ステラは解放されたが、今度は魔人はレイラに迫ってきた。そういえば自分が危なくなったら誰が助けるのだろう、ステラか?
そのステラはたった今自分が助けたのだから、それでは無限に繰り返すことにならないか?ここに居る誰か?そんなが人いるのか?それより、
「くひっ・・・ぅ・・・」
剃刀をあてたところから出血している!出ていることがはっきりと感じられるほど。頸にあてた時に力が入りすぎて剃刀を引いてしまったのだ。頸から鎖骨、胸の谷間へと暖かいものが流れ落ちていく。
「えいら。」
魔人はもうレイラの肩に手をかけていた。
触られたショックで剃刀を落としてしまった。膝も肘もガクガクと震えて逃げることもできない。唯一の武器を手放してしまい万事休す、か?
「えいら。」
「ひっ!」
レイラが膝をついたところに魔人の顔が近づいてくる。
「んめ゛ぇぇぇぇ・・・。」
「・・・ぃっ」
「おおおおっ。」
自分で見ることはできなかったが、感触ははっきりとわかった。魔人が舌を伸ばしてレイラの頸についた血を舐め取っている。遠巻きに見ていた生徒達から声が上がった。
「ぬうぅうっぅぅ」
「うぅ・・・」
魔人はまだレイラから離れず、鎖骨上窩に溜まった血を舐めていた。そして次第に下の方へ
「だめぇーーーーッ!!!」
立ち直ったステラが魔人を引きはがした。そんな力が彼女の細腕にあったとは。
「レイラ様っ・・・、レイラ様は・・・ッ!」
「ス・・・テラ・・・?」
こんなに興奮したステラを見るのはいつ以来か、火事場の馬鹿力というのはこういう時に出るのだろう。
「レイラ様はっ・・・・私のレイラ様ですッッ!!」
こうして、レイラを発端とした朝の騒動は終息した。
「お二人の勇気に感動しました!」
「素晴らしい勇気でしたわ、ブラッドベリーさん。」
「あなたの命を懸けた献身、しっかりと見届けましたわ。」
「あ・・・ありがとう。」
「あぁ、ありがとうございます。」
二人の勇気と互いを思い遣る心は学園の美談として永く称えられ語り継がれた。
「お二人を応援いたします!」
「末永くお幸せに。」
「ありが・・・え?」
「ありがとうございますっ!」
レイラとステラは決して引き離してはいけない、という認識が一部の生徒の間で醸成される原因となった事件だった。
学園長、理事会の通達は本当に議事を通したのか疑問に思えるほど短時間に連発された。その意思決定の早さに比して、安全と判断したとはいえ魔人を学生寮に放置し警護の一人も付けない、というより通達以外に全く動きがないというのは対応にちぐはぐさを感じる。この学園側の不自然な動きにはどんな意味があるのだろうか。
実を言うとそんな騒動が起きていた頃も学園理事会は活動中だった。始業前から議事をしているというのは余程危急の事態なのだ。議題はもちろんレイラが召喚した魔人である。頭頂部の真直ぐな角と尖った耳、蹄と尻尾などの特徴から魔人はユニコーン型と特定できた。
「魔人」とはユニコーン型だけを指した呼び名ではなく、左右一対のねじれた角を持つ水牛型や、緑色の肌の巨人、岩石や鉱物の体を持つ魔物など、異次元から来襲し特に目的も意味も無く破壊と殺戮をもたらす恐怖の象徴である。
魔人は言語を解し道具を使うなど高い知能を持ちながら感情という物が欠落しており、この世界に出現すると周囲にある物をすべて破壊し自然に消滅するまで手の付けようがない、まるで台風のような存在だ。ただしその出現は稀で、個体によっては1000年間に1体しか記録が無いものもある。一方でユニコーン型の討伐件数は魔人としては抜きん出て多い。また、その外見や能力にばらつきがあり、総じて他の魔人と比べて脆弱であった。そんなユニコーン型にあって、剣も魔法も通じない異常個体の存在が示唆されている。その外観上の特徴として青い髪が挙げられており、学園理事会でも今回魔法学園に出現した個体との類似が指摘されていた。
そんなものを、落第に最も近い生徒が何かの間違いで召喚してしまった上に使役までした。それは歴史的大事件であった。
しかし現れた魔人は思いのほかレイラに従順で、手あたり次第破壊を行うと言われていたが実際にはところ構わずどこでも寝るというようなありさまだった。2通目の通達のようにレイラが使役魔法を使っている事実はなく、掲示板前でも魔人は命令を聞いていなかったが、制服を着せていたことが周囲の生徒には魔人を服従させているように見えたようだ。
加えて、レイラの行動はいざという時、身を捨てても「皆」を守るという覚悟と受け取られ、彼女の評判を大いに高めるとともに、彼女が居れば思ったほど魔人は怖くないという安心感を生じさせた。
このような事実を踏まえ、学園理事会は魔人を当面レイラに預け過度の干渉を控えることを決定した。
しかし、学園理事会の判定が「安全」だったとしても、常識で考えれば魔人と一つの部屋で暮らすなど危険極まりない。レイラは魔人用に部屋を用意できないか教師に相談しようと考えたが、その前に解決すべき問題があった。
寮での魔人はレイラの行くところどこにでもついてきた。顔を洗いに洗面所へ行けば横に、朝食のためテーブルに着けば後ろに。トイレの個室まで入ってこようとしたのには全力で阻止した。しかし教室へ向かうため魔人を部屋に閉じ込めると、振り向くとなぜかそこに居るため結局部屋に戻るという状態だ。
このままでは教室までついてきてしまう。それはやむを得ないとしても、このまま外に出すわけには行かない。普通の魔獣なら(学内を連れて歩くことはあり得ないが)そんな心配は無いのだが、ここまでヒトにそっくりだと胸とか下とか、この魔人は服を持っていないのだ。仕方なく今日一日はレイラの予備の制服を着せておいて、放課後に商店街「城下町」へ魔人用の服を買いに出かけようということになった。
そして教室へ向かう途中で掲示板に立ち寄り、今朝の騒動になったのである。
血が付いてしまった制服の着替えや諸々の事情があってレイラは午前の授業を休むことにした。
「ステラ、あなたも今日は半日お休みにしなさい。酷い恰好になっていてよ。」
「ありがとうございます、レイラ様。ですが・・・」
「休みなさい。これは命令です。」
「・・・はい、レイラ様。」
気のせいか、心が軽い。
「そういえばステラ、あなた首の方は大丈夫なの?」
「はい、それが・・・なんだか朝より調子が良くて。」
まさかとは思うが、魔人が何かしてくれたのか。
「レイラ様、傷が・・・」
「そういえば・・・結構深かったはずなのに。」
頸の傷もだが、なんだか肩も軽くなった気がする。やはり魔人の仕業、お陰なのか。
当の魔人はレイラの前をフラフラと歩いている。目にする物全てが珍しいという感じで歩道脇の花、ダンゴムシ、何にでも興味を示すようだ。午後はこのまま教室へ連れて行くしかないのだが、ある程度騒ぎになるのは避けられないだろう。それを思うと今朝の通達はありがたい。
午後の授業までには気分も落ち着き、レイラ達は軽い昼食を摂った後教室へ向かった。先の通達のおかげで魔人を連れていても咎められることはなかったが、どうにも目立ちすぎて少々居心地が悪い。しかし丈の余った制服を着た少女がレイラの後をついて歩く姿は凶悪な魔人のイメージを覆し、愛嬌すら感じさせる。これが女子生徒には思いがけず好評で、取り敢えず魔人への警戒はだいぶ緩和されたようだ。
レイラは心配していたが、教室での魔人はレイラとステラの間におとなしく座っていた。教室は劇場構造で机列も定められていないのだが、教壇からは魔人の周りに生徒が集まっている現象がはっきり観測できただろう。今朝までとは打って変わり、他の生徒は魔人に興味津々という感じだった。
休み直間にはレイラに魔人の事を訊こうとする生徒が詰めかけ、レイラが塞がっているとステラに、そして大胆にも魔人に直接声をかける生徒まで現れた。
「魔人ちゃんは・・・」
名前が決まっていないためレイラは単に「魔人」と呼んでいたが、他の生徒からはいつのまにか「魔人ちゃん」と呼ばれていた。
魔人は女子生徒から声をかけられたり撫でられたりするのは歓迎したが、男子に対しては威嚇して触らせようとしなかった。しかし「ちゃん」って・・・ううむ。
ただ、騎馬戦の時の「活躍」を見た生徒が親衛隊を結成し、陰から魔人を見守る活動を始めたという噂を聞いた。出現して一日しか経っていないというのに、また面倒なことにならなければよいのだけれど。
そうして午後の授業の終了後、レイラは魔人を連れて教員棟へ、ステラは魔人の服を買いに「城下町」商店街へ外出して行った。
今朝の通達ではレイラが魔人に使役魔法をかけ続けていることになっていたが、一緒に住むとまでは書いていなかった。ならば魔人を別室に住まわせても通達に矛盾は無いはずだ。レイラは職員室に居た複数の教師に、学生課にも相談してみたが、魔人のために寮に部屋を用意することは無理そうだった。そもそも学内の寮は部屋不足で、他の生徒が空きを待っている状態だったのである。代案として学生課が管理する学園近郊の物件を紹介され、候補の一つとしてレイラは資料を受け取ると教員棟を後にした。
次にレイラは厩舎へ向かった。ユニコーンといえば角の生えた馬である(そこまで単純ではないが)から、魔人の預け先の候補として考えていたのだが、規則により魔獣禁止だったため断念。過去には預かった事もあったのだが、一晩で馬の数が激減したという事件があり、それ以来禁止されているのだそうだ。
魔獣用の預かり所にも行ってみた。ここに収容されている魔獣は召喚者と契約によって縛られていて帰らないものや、召喚以外の方法で捕獲されたものである。だがこの施設は中型から大型魔獣専用で、柵も首枷もそれ用のサイズしかなかった。試しに入れてみると柵の間隔が魔人より広くて素通りしてしまうなど意味を成さなかった。魔人のようなサイズの魔獣は召喚後送り返すか処分するのが通例で、施設が対応していなかったのだ。後から思えば、預かってもらえさえすれば檻は必ずしも必要ではなかったのだが。
警備部の留置場には人間サイズに対応した檻があった。要するに牢屋なのだが、無実の者を入れることを頑なに拒否され断念。見学中に魔人が檻を一つ破壊してしまい、さすがのレイラも平謝りに謝った。あきれたことに魔人は破壊した檻のパーツを捻じ曲げてヒト型のオブジェを作っており、その後しばらく警備部の門前に飾られていた。まあ、留置場だと犯罪容疑者に面会に通う感じがしてどちらにしてもナシだな。
いい加減歩き疲れたレイラが中庭のベンチで休んでいると生物教師が声をかけてきた。魔獣預かり所は生物学科の管轄でもあり、そのルートで魔人のことが伝わったのだった。
「そういうことなら私の研究室で預かることもできるがどうかな、丁度使っていない部屋がある。」
生物学科は通常の動物から魔獣まで、多様な動物の生態について研究する学科である。だが実態は生態にとどまらず、捕獲技術や病気、怪我の治療、飼育設備まで幅広く研究する実践的な科学者集団だった。頑丈な檻や柵は無いが、所属するスタッフには研究者に獣医師、飼育員にハンターなど、万一魔人が暴れても対処できそうな人材が揃っていたし、研究に都合が良いからとスタッフからは歓迎された。それになにより動物の多さ、土と草の香りが実家に似ていたのがレイラの気に入った。
案内された部屋は長い間使われていない実験室だった。使われていないとはいえ毎日の掃除を欠かしたことはないそうだ。天井に大きな照明、その真下にベッドのようなサイズの白いテーブルがあるが、天板に何本か分割線があり何か別の形に組み替えることができそうだ。部屋の隅にはガラスの扉が付いた棚があり、大小の試薬瓶と実験器具などが入っているのが見える。部屋の奥には大きな木箱と、その横の戸を開けると簡素な風呂場があった。風呂場を備えた部屋というだけでも驚きだが、人が横になって入れそうな大きさの浴槽まで備えてあった。施設の性格上給湯設備があるので、湯を張れば今すぐでも入浴できそうだ。少し薬品の匂いがするのがちょっと気になるが、入り口の前に薬品棚があるせいだろう。
レイラは当面ここで魔人を預かってもらうことにした。
「いいですか?私が戻ってくるまで先生の言うことをよく聞いて、おとなしく待っていなさい。」
魔人を生物教師に預けて、レイラは一度自分の部屋へ戻ることにした。魔人が今着ているのはレイラの予備の制服で、下着から何から全部そうである。サイズも体型も合わないので取り合えず被せてあるだけだが、今帰ればステラが魔人用の服を手に入れている頃だろう。それを持たせて今度は生物学科へ使いに遣り、代わりに自分の制服と下着を持って帰らせればいいのだ。そういえば今日は色々忙しくて昼食も十分摂っていなかった。レイラは軽いめまいを覚え始めていた。
部屋に戻ったレイラを待っていたのは手ぶらのステラだった。言うまでもないとは思うが両手に何も持っていない状態の方の手ぶらである。
「申し訳ありませんレイラ様、魔人に着せる服の相談をしたのですが断られてしまいました。」
(断られた?私に服は売れないとおっしゃいましたの?!)
脊椎反射的に激高しかけたが、ステラの言ったことを反芻してここは冷静さを保った。
魔人に着せる服は無い。魔人といえば普通はゴツゴツした鱗のような肌や盛り上がった筋肉の巨漢である。身長だけが人並でも腕や足の太さはまるで違うし、ましてそんな体にどんな服を着せられるというのか。そもそも召喚獣に服を着せるという段階で前代未聞だ。そんな服を学生向けの商店街でどうやって揃えろと言うのか。いや、方法はあるのではないか。
「しっかりしなさい、あなたどんな説明をしましたの?大きさだけ合えば適当なこども服で構わなかったのではなくて?」
「はい、ですが胴回りに合わせると丈が長すぎ、胸もかなり窮屈なので直す時間が欲しいと言われまして。」
なるほど、ステラは伝えるべきことは伝えていた。レイラは子供服を着た魔人を想像してみた。
(あの身長にあの大きさ、市販の服では収まらないか。大きめの物を着せておいて丈を調節・・・結局同じことね。)
「丈は詰めてもらうにしても、問題はあの胸ね・・・。」
取り敢えず裸でなければ良い、とは思ったが、やはりブラッドベリー家が預かるからにはあまりみっともない服装にもできず、つい服を選んでしまう。
魔人の身長はレイラより頭一つ分低いが、胸囲は同じくらい。標準的な体型の服だと入らないのだ。
「仕方ないわ、手分けして着れそうな服を探しましょう。そうだわ、あの伸びる布地の、」
レイラは先頃発売された新しい布地を思い出した。あの伸びる布で作ったシャツなら胸に合わせて伸びるのではないか。
「あのシャツを買いましょう、その上に重ねればサイズが合わないのは隠せるかもしれません。」
「では私がシャツと下着類を。」
「そうしてちょうだい、私は上に重ねる物と、スカートに・・・」
目的に適う物を揃えてレイラが生物学科へ向かったのはもうだいぶ陽が傾いてからのことだった。
レイラ達の荷物には魔人の着替えセットが入っている。目当ての伸びる布のシャツと少し大きめの上着、膝丈のスカートなど。つい拘ってしまったが、納得の買い物ができた。今の段階で部屋着と寝間着まで用意する必要があったのかは不明だが、下着はともかく靴下まで買ってしまったのはレイラのうっかりミスだ。魔人のつま先は馬に似た蹄なので履けない。
ステラを外に待たせて、レイラは研究室のドアをたたいた。
「先生、ただいま戻りました・・・先生?」
部屋には誰もいなかった。それだけではなく、テーブルの上には夥しい量の血液が付着し、よく片付いていた部屋はどこのお化け屋敷か野戦病院かと思うほどに血の着いたガーゼや手術道具が散乱していた。窓から入る夕陽ですべてが赤く染まって見えることが不安を煽った。
「先生ッ」
浴室のドアが開いてずぶ濡れの白衣の人物が現れた。白衣のあちこちに赤い染みが着いている。
「ああ君か、なんだ遅かったじゃないか。」
「先生、御無事で?これは一体何が?」
生物教師はずぶ濡れの白衣を脱ぐと、座ろうとして下まで濡れていることを思い出したが、隅に重ねてあった丸椅子を一つとってそのまま座ってしまった。
「・・・先生?」
「ああ、どうしたらいいんだ私は。これは・・・大変なことだ。」
つぶやきながら頭を掻きむしり始めた。
ずれた返答ばかりの生物教師にレイは苛っとしたが、なんとか事情を聞き出さないといけない。先生はともかく、魔人はどこへ消えたのか。
ふと見ると、生物教師の手に複数の傷があり、一部は現在も出血中のようだ。
「先生、その手は」
「手・・・ああ、さすがはセキマ56式、こんなところも切れていたのか・・・まったく痛みが無かった。」
「セキマ、刃物の名産地ですね。メスですか・・・急患でもあったのですか?」
セキマ56式。刃物の名産地セキマで作られた医療用メスだが、刃の部分に実験的に魔法を付与したところ触れていないところまで切れるようになってしまい、発売されることなく廃版になった代物だ。試作品が評価用に配布されたがその一部が生物教師の元にも届いていた。
「いや?私は医師ではないよ。」
「では、この血は・・・?」
「じつは・・・久しぶりに大物の解剖をしたんだ。」
「解剖ですか・・・」
(・・・解剖?これから人に貸そうという部屋で?)
「君が帰ってくるまでの間あの魔人を少し調べさせてもらおうと思ったんだが」
血に染まった机を見やりながら、一つ一つ思い出すように生物教師は話をつづけた。
「ユニコーン型の魔人は確かに珍しいが、実を言うと種族としてのユニコーン型というのは存在しない。学園にも2体標本があるが、それも含めて全て、過去の研究者が作った合成体なのだ。」
合成体。合成獣ではなく、いっそ合成人と言った方が本質を表している。ヒト、エルフなどをベースに内臓の機能や筋力の強化、魔獣の器官移植などを施した一種の改造人間である。生命維持に必要な器官を別の生物と交換して寿命の延長や新しい能力の付与の研究をしていたようだ。
机に残っていたメスを一本手に取ると、切れ味を確かめるように切っ先を指で触れた。すっかり鈍っている。
「今は禁忌だが、100年か120年ほど前は素体用の奴隷があって、筋肉量を増やしたり体型を変えたり、色々やっていたのだよ。」
「憧れだったんだろうな、伝説のユニコーンの再現。神話の時代から歴史の要所要所に出現して歴史を動かす存在。何十年も歳を取らない一方、何百年も姿を見せないこともある。鱗も堅い皮も無いが、火でも刀でも傷つけることはできない。」
よく見るとガラス棚に並んでいる試薬瓶に入っているのは様々な組織の標本だった。解剖した小動物、魚の全身骨格、大型の動物の眼球・・・殻を二つに割ったオウム貝、巻貝が何体も並べてある・・・そういえば魔人の角はこの貝に似ている。
「長い寿命と強靭な身体、しかも長く若々しい姿のまま。自然界に生まれるには不自然な部分が多いこの魔人を、学者たちはなんとか解明しようとした。その一環で、合成による魔人の再現実験が何回も行われた。」
浴室の前に置いてある木箱は随分古そうだったが、上下に長くレイラが入れそうな大きな物だ。手前に蓋というより簡素なドアのようなものが付いている。蓋のラベルには100年前の日付がかろうじて読めた。
生物教師が箱を無造作に開くと同じくらいの大きさの巨大な薬瓶が入っていたが、その中に人影が。
あの魔人!・・・によく似た、角の生えた金髪少女の、腹を裂いた解剖標本。
「これもその一体だ。しかし外見だけいくら似せても不老不死の再現はできなかった。脚の改造を頑張ったようだが御覧の通り、死んでいる。本物なら死なないのだ。」
と言われてもレイラは標本を直視できない。標本の保存状態は極めて良く、今にも瓶から出てきそうなのだ。
「管理の不手際で逃げられたのだろう、合成体大量流出事件があったのがおおよそ100年前。合成体は元動物と比べて身体能力や魔力が向上する代わりに寿命が著しく短くなるのだが、どういうわけか100年経った今でも当時と変わらぬ姿で見つかることがある。つまり寿命を伸ばすことに成功していた可能性があるのだ。だが、その功労者は管理責任を問われることを恐れて資料を処分してしまい、今となっては誰がどうやって合成したのかわからなくなってしまった。」
机の上に広げたままになっていた図鑑を示しながら話し続けた。もはや講義のようになっている。
「さて、ユニコーン型は大きく分けて2種類ある。見栄えを優先して巨大な角を生やした長角系と、角は小型だが地道に身体能力を強化した短角系。後者はともかく前者は長い角を形成するために無理に数本を継いだため、脳に深刻な障害が出てしまったという記録がある。だが今でも生きているというのは長角系の方だ。」
(この人は何を言っているの?私の魔人はどうなったの?)
「人間を素体としている以上、鋼鉄の肌や毒を吐く能力を付与したりはできない。固い筋肉は筋肉でしかないのだ。刃物を突き立てれば切れる。同じ理由で100年を超す寿命の付与など、まして老いることのない体など作れない。そう言われてきた。」
「だが君が連れてきた長角系には角を継いだ痕が無く、真直ぐできれいな一本角だった。生え際も頭皮と完全につながっている。つまりこの魔人は合成体ではなく、生まれつきのユニコーン型という可能性がある。」
生物教師の声が熱を帯びてきた。
「仮に天才的な技師が作成した出来の良い合成体だったとしても、長寿命化の成功例の一体ではあるだろう。貴重な生体サンプルとしてその内部構造を調べることができれば人類への貢献は計り知れない。」
生物教師は床に散乱した器具のなかから一本の銀色のヘラを拾い上げた。
「私は魔人を診察台に寝かせ、魔法による透視を試みた。だが透視魔法には抵抗されてしまった。服は透視できたが肝心の内部構造が見えてこなかったのだ。魔法による皮膚組織の透明化も試したが診察台が透明になっただけだった。うっかり屈んだら頭をぶつけてしまったよ。」
拾い上げたヘラの先端を撫でながらなお話は続いた。よく見るとこのヘラも鈍ったメスだ。
「透視できないことには内部を観察できない。だがここにはメスもあれば麻酔もある。最後の手段で私は魔人に麻酔をかけ皮膚を切開しようと試みた。古風だが有効な方法だ。だが、麻酔を注射しようとしても針が刺さらず、すべてこのように曲がってしまった。」
果たして、床には注射器が何本も転がっていて、針はもれなく「へ」の字に折れ曲がっていた。
「私は決断を迫られた。今やらねば次の機会は100年後か?研究者が100年、いや1000年以上前から追い求めた謎の答えがここにある。そして研究者はそんなに長くは生きられない。悩んだ末に私は麻酔をあきらめた。」
手にしたメスがギラリと光った。
「だができるだけ手早く、正確に切らなくてはならない。開いて、素早く内部を観察し、閉じて治す。切られたことに気づいて暴れられでもしたら大変だ。素早く切って、魔法で治す、魔力がある限り繰り返せばある程度のことまで調べられる。丁度ここにはセキマ製の56式が1ダースあった。市場に出回らなかった魔法メスの試作品だ。」
まるで宙に浮いた何かを切り裂くように水平に薙いだ。
レイラは血の気が引き膝が震えだしていることにも気づかないでいた。恐ろしい事を想像してしまったのだ。もしも想像通りだったら、「いう事を聞いて、おとなしく待て」と命じたが、おとなしく待つにもほどがある。
「私はまだ机に横たわっていた魔人の、まずは腹部の切開を始めた。多くの内臓を観察できるからね。」
切開という言葉を聞いて、レイラは思わず自分の腹を押さえる。
「奇妙な感触だった。切りにくい皮膚というのではなく、手が何かに引っ張られるような感触があるのだ。何度かメスを取り落として、ここに至って実に間抜けな話だが、自分で透明にした服だと気づくまでに貴重な魔法メスを半分ダメにしてしまった。」
生物教師の視線の先には果たしてメスが落ちていた。まだ使えそうに見えたが、すべて鈍ったり曲がったりしているのだろう。
「見えない服を手探りで除去し、今度こそその皮膚にメスを入れた。だが、刃は押さえるほどに深く入るだけで、切開できなかった。こんなにやわらかい、見た目は当たり前の皮膚がなぜか切れないのだ。胸部や脚部、顔面などどこで試しても同じだった。結論として、この魔人の皮膚は刃物では切れない。魔法メスすら効かない以上、魔法も効かないと考えていいだろう。まだ試していないことはたくさんあるが、この異常な皮膚だけでもまず間違いなく彼女は100年振りに姿を現した・・・」
「本物の青い魔人、シリカだ」
不意に大きな音を立ててドアが開いた。
「ムゥ・・・ゲァ~~」
漏れ出た蒸気の中から奇妙な唸り声と共にピンク色の怪物が現れた。
「ひぃぃっ!」
叫び声を上げるレイラ。
三角の帽子をかぶり巨大な目玉をブルンブルン揺らしながら迫ってくる姿は昔本で見たマゲランという怪物に似ているが、あれは架空の魔物ではなかったのか。
「にェ・・・ラ~~」
レイラ危うし!だが、そこには生徒を守る勇敢な生物教師がいた。
「ああ、そんな恰好で出てくるんじゃない。部屋が水浸しになってしまう。拭いてやるから待っていろと言っただろう。」
手を伸ばして怪物の頭から布を取り去ると、その下から本来の顔が現れた。
正体は角に巻き付いたタオルで前が見えずにわたわたしていた魔人、シリカだった。
「まえが~みえない~」
「ほら、取ってやったぞ。ああ、ここに付いているのは全部私の血だ。さすが魔法メス、取り落としたときに自分の指やら腕やら切れまくっていたのに全く気付かなかった。まだ出血している所があったのか。」
既にレイラの顔は紫色になっていた。目にも輝きが無い。
「気が付いたら切れてもいないのに魔人が血まみれでね、血の出どころが自分だと気づかないほどとは恐れ入ったよ。私は指を付けてもらいに行くから、すまないがここを片付けておいてくれないか?」
生物教師自身、自分で治癒魔法を使うことはできたが傷の数が多いので他人に診てもらうことにしたらしい。
連日の疲労に加えて少々えぐい話を聞かされていたところにピンクの怪物が現れ、更に千切れた指を見せられたのがダメ押しだった。
レイラはその場で気絶してしまった。気の毒なことに2日連続である。彼女のメンタルは大丈夫だろうか。