第19章「魔人消失」
ウィンドリンガーに噴火の兆候。
このニュースが世界を駆け巡ってから数日。
魔法学園は新学期を迎えたはずだったが、学内は生徒の姿に混じって城下町の住人も見られ、活気にあふれていたが授業が行われている様子はなかった。
「もうそんな時期か。」
「前回から年々振りだっけ?」
「100年以上経ってると聞いたがどうなんだ。」
「いや、俺が子供だったころにも噴火しているはずだ。」
「お前何歳よ?」
問題の火山は魔法学園からそう遠くないところにあり、平時は噴煙もほとんど上がらず地震も少ない。近隣には温泉も湧いていて、学内の浴場に引き込んで利用されている。火口周辺の温度が低く、地熱を利用した産業などは特にない。過去の噴火では独特の溶岩が火口から流れ出し、高速で流れる粘度の低い溶岩がルート上にある建物に多大な被害をもたらした。
冷えて固まった溶岩は大半が商品や記念品、あるいはその他の素材として持ち去られるものの、流路に堆積した溶岩で毎回地形が変わるためその都度測量と地図の修正が行われ、次の噴火の際の溶岩のルートの予想を立てていた。
「前回の観測結果ではこんなルートではなかったはずだが。」
「観測に間違いがあったのでは?」
「間違いだとしたら見ればわかりそうなものだ。」
「冷却後に掘られて地形が変わったのかもしれません。」
「だがここまで流路を変えるとなると結構な大工事だぞ、一体誰が?」
魔法学園や城下町への被害を防ぐため、噴火が予知される度に事前に溶岩の誘導路を構築し、学園や街への被害を防いでいた。今回も予想される噴火までは充分時間があったため、学園理事会は溶岩や飛来物に対する防御計画を策定した。
一部の生徒や周辺住人は避難を始めていたが、中には使命感や土地に対する愛着、謝礼目当てなど様々な動機で学園に留まり、理事会の提示した防御策の実施に協力していた。一方、学園職員は噴火の観測のためほとんどは残らねばならず、地学的な現象とは関係の薄そうな生物教師もネイズ大森林から急いで戻ると連絡を寄越した。
魔法実技に実績のある生徒は学園警備部に招集され、学園に施された結界の点検と補強に当てられていた。授業が止まっている今、成績判定に有利に働くことが期待されたこともあり少なくない生徒がこの作業に参加していた。理事会の策定した通りに準備すれば、溶岩は学園の横を掠めるようにして海へ流れ込み、施された結界は万一の溶岩流入や飛来物から建物を護るだけの強度が充分にあるはずだ。
学園から離れて火山にほど近い地点では、いつの間にかできていた巨大な溝を塞ぎながら流路を変更する工事が行われていた。
その中に混じって、魔法を揮う少女騎士の姿があった。彼女は最近騎士団に加わった人物で、背は低く顔の半分を仮面で隠していたが、盛り土を操って強固な岩壁を作る事ができた。その強度はコンクリートとは比較にならない本物の岩盤だったため、強固な壁がニュルニュルと生えてくる様からいつしか学園の守護者として奉られるようになっていた。
一般に、土を素材に作られた壁は土壁、岩を素材にすれば岩壁となり、土や砂から岩盤を作り出すには別に圧縮の魔法が必要である。謎の仮面騎士、ミハルはその圧縮工程を省いて土、或いは水と砂からいきなり岩壁を生成することができたため、彼女の体型を揶揄しての事では無いのだが一部の生徒から「壁の神」とか「岩盤の神に愛された女」という二つ名を付けられていた。
そんな彼女にも弱点はあった。彼女の作る岩盤には材料となる土や砂が必要で、これは溝を掘った際に出た廃土がそのまま転用できた。その廃土は男子生徒や商店街の有志が運び込んでいたが、その際に盛り土の置き場所などで男子とのやり取りが発生する。この仮面の騎士は極度の人見知りらしく、しばしば会話の行き違いに悩まされていた。
「騎士様ぁ、ここの土はこのくらい盛ればいいんですかぁ?」
「え、えぇと・・・図面通りで」
「班長、これ図面ってこっち向きでしたっけ?土もっと持ってきた方が良いですか?」
「えと・・・ちょっと待ってください、これだと・・・」
「ちょっとあなた、土木工事を手伝うなら地図くらい読めなさいよ。そもそも向きがどうかなんて一般常識ですわよ?」
「え、あ・・・あのっ」
魔法学園の生徒だった時には他の生徒と会話することもほとんどなく、その小さな体と相まって目立たない存在だったミハルは、今や防災工事の最前線で他の生徒から”騎士様”あるいは”班長”と呼ばれ特別な存在感を放っていた。
ただし、中身は以前のままの内気な少女なため、相変わらず他の生徒との会話は苦手だ。
時間には余裕があったが、もたつくやりとり自体が我慢ならなかったレイラがミハルと手伝いに来た生徒たちの間に入って仕切り始めた。上級貴族の出身であるレイラがこんなところに出てくる必要は普通なら無い。だが彼女の方にはその理由があった。この工事に参加すれば成績評価に有利に働くからである。またミハルとは知り合いであったことから、彼女の補佐的な役割をもってこの現場に立っているのだ。
「ちょっと見せて・・・あなたの言う通りで合ってるわよ、ここを手伝うならコンパスくらい持ち歩きなさい!土はもっと欲しいわね。」
「レイラ様ぁ、あっちの溝って残しておいていいんですかぁ??」
「ええと・・・あなた自分で図面持っているのでしょう?私に訊くより図面を見なさい・・・いえ、一応見せて。ああ、これね、残しておいていいんじゃないの?」
レイラに訊いてきた生徒はそれでも溝が気になったらしい。
「図面上はそうなんですけど、これ残しておく意味ってあるんですか?埋めてしまった方が安心な気がしますが。」
「そんなの図面を描いた人にお訊きになればよろしいのではなくて?」
仕切ってはいるが、頭を使っているわけでは無いようだ。
レイラの役割は本来ミハルの魔力面のサポートだったが、初日からこのような有様で監督のように振舞い始めていた。しばしば図面を読み間違えることもあったが、それを指摘する声に対しても
「なるほど、ここはあなたが正しいようね。そうとわかったら直ちにやり直しなさい!」
と、決して謝ることなく修正させて往時の悪役ぶりが復活したかのようだ。だが、現場の動きを停滞させないので現場の空気は悪くは無かった。空気が良い事と工事が順調であることは必ずしも同義ではないということは付け加えておく。
ミハルとしてはかつて自分が襲撃した相手が親身?に手伝ってくれている現状に、内心では穴を掘って埋まってしまいたい心境だった。明白に命を狙ったつもりはなくても傷つけようとしたことは間違いないし、どう謝罪すれば気持ちを伝えることができるだろうか。同じ歳なのに頭ひとつ背が高いレイラは優しい姉のようでもあり、包容力のありそうなその・・・胸を前にするとつい甘えたくなる。だが、特赦を受けたとはいえ反逆罪に問われたことのある自分にそれは許されない行為である。他の生徒たちとも以前のように話すことはできず、長く美しかった髪は収監された時に切られてしまって首筋までしか残っていない。更に仮面で顔を隠しているので誰も彼女だとは気づかない。ミハルは後悔の念を壁の生成にぶつけた。お陰で防御壁の拡張は捗ったが、この2人の正体がかつての連続生徒襲撃犯とその摘発に活躍した影の騎士だということを知る者は学園警備部でもわずかな人数だけ・・・というか、あのときは休暇中で警備部も含めて生徒はあまり残っておらず、その代わりというわけではないが王国から本物の騎士団が出張っていたのだから知らなくて当然である。
と、目の前の壁から人面が現れた。
「ひゃっ!!」
「ぬぅ・・・」
ミハルを驚かせながら出現したシリカは、そのままの歩みでレイラの所へ向かうと地図を示しながら何事か報告した。
「地下は地図の通りなのね、これなら予定通りにどんどん掘っても大丈夫そうだわ・・・で、それは何?」
シリカは掘削予定地の地下を偵察していた。なんの準備も無しに地中へ侵入し周辺の様子を偵察できるのは彼女くらいのものだが、学園で使われている魔法には透視魔法も音響探査魔法もあるので魔人の無駄遣いと言えなくもない。
シリカがこうして地中を歩き回れることは特に秘密ではないが、見せる機会が少ないこともあって一部の者しか知らない。ミハルはこの能力で追い立てられた事があり、その記憶のせいで目の前の岩壁からヌルっと出現したシリカに別の意味で驚いていた。
シリカの地中探査は穴も掘らないし進路上に障害物があってもその破壊を伴わない。原理は不明だが木や石があっても空気のように通過する能力があり、通常の透視魔法より広い範囲を直接目視し、音響探査魔法より直接的に地中の様子を観測できた。魔人の能力をもってすれば溶岩の流路を掘る工事自体が数日で済むだろう。だが、理事会の指示で調査以外の作業は敢えてミハルと生徒達に実施させていた。火山噴火が迫る中の土木作業はミハルに対しては表立って懲罰を与えられないことの代替、生徒達には集団行動の実地訓練という側面が窺える。
シリカのこの能力ではヒトや物も一緒に移動できるというのはすでにレイラも体験済だが、仮に地中で手を離してしまったらどうなるか・・・誰もその実験をしようとはしなかったが、逆に地中に埋まっている物を落とし物でも拾うかのようにその場から持ち帰ることができた。
「大昔の通貨みたいだけれど・・・たくさんあったの?どの辺りに?」
金属製の三角形の小片で、何かの目的をもって工業的に作られた物のようだ。
シリカが更に詳しい報告をするが、
「部屋?地面の下に?」
シリカが地図上で示したのはまだ工事が到達していない場所で、更に工事予定範囲より深い場所にあったためそこには部屋どころか仮設トイレのひとつすら存在しないはずだった。もっとも、そんなところに仮設トイレを設置しても誰もたどり着けない。
「何かしら、地図には何も描かれていないけれどもっと深い所にあるのね。大昔の遺跡が埋まっているのなら先に調べた方が良いかもしれないわ。」
現代の我々の世界でも、家などを新築する際に敷地内から遺跡が出たりするとそちらの調査が優先となり、その間工事が止まってしまうという例は珍しくない。いまレイラ達がやっている工事は火山の噴火に伴う溶岩の被害を回避するために必要な事なので、遺跡が出た場合どちらを優先するべきなのか?
「そうね、学校に報告して判断を仰ぎましょう。そうだ、アイーシャにもこれを見せて意見を聞きたいわね。」
レイラの口から出た名前にミハルは動揺を隠せなかった。
「・・・ああ、今すぐ連れて来ようっていう話では無いのよ。彼女を呼ぶにしても場所は考えるから安心して。」
アイーシャは考古学を専攻し、図書館に専用の机があるほどの図書館ヘビーユーザーである。図書館で受付係をしていたミハルとは話す機会も多く、ミハルにとってはほとんど唯一の友人、親友ともいえる人物だ。だが、連続襲撃事件を起こしたミハルは退学の上収監されてしまった。そのことは既に学園の生徒達の耳にも届いているのだが、そのミハルが彼女の能力を見込んだアランによってほとんど日を置かずに特赦を受け、そのまま騎士団の末席を汚すことになったことまではまだ公にはされていない。平民の身分であるミハルが複数の貴族の子息に怪我を負わせたことは重罪であり、その彼女が収監直後に放免され公職に就いたとあっては被害生徒が黙っていないだろう。
そうした事情もあって、アランの発案でレイラはミハルの傍に付き、彼女の正体が露見しないように防いでいるのだ。
具体的な方法まで決めてあったわけではないが、レイラが本来現場を仕切る立場のミハルより前に出てしまうため結果的にミハルの存在感は薄れ、何か事情があって仮面を着けた謎の多い騎士という設定で押し通すことが可能となっていた。
ミハルはアイーシャだけには正体を明かしたいとも思ったが、いざとなると行動に移せずにいた。被害者から許されたわけではないし、自分がしでかしたことを考えると自分と親しかった人にどんな迷惑がかかるかもわからない。そんな考え方が出来るならそもそも襲撃事件など起こさなかったのではないかと思えるのだが、今のようにレイラやアラン達に関わる前の彼女の孤独振りを考えるとやはり拗らせていたとしか言えない。
一方、その襲撃事件でターゲットとされていた当人、レイラはガミガミといきり散らかしながらも、ミハルの罪状も忘れて彼女の仕事ぶりに感心していた。小さな体で大工事の要となって働く彼女を素直にすごいと思ったし、彼女の才能を見出し、監獄で埋もれさせておかなかったアランの慧眼もだ。いずれは国王になろうという人物には必要な才能だろうし、そういうところを見せられアランという人物がどれだけ頼もしいか改めて思い知った。同時に、ミハルの傍に居るとどうしても影の騎士を思い出さずにはいられない。冷静に考えるとあの時の自分は一体何を考えていたのか、自分一人だけならともかくステラまで巻き込んで、後になって考えるとアランに事情を話して適当に辻褄合わせをしてもらえばよかったのではないか。
そもそも自分が忘れ物をしなければ、普通にアラン達が事件を解決していたかもしれない。
こんな調子でミハルとレイラは互いを意識しながらも、その心情はほとんど交わっていないのであった。
レイラと交わるといえば外せない人物がいるのだが、彼女の姿はこの現場にはない。
魔法学園では石化解除薬の分析に当たっていた研究員も一部は避難したり火山対策と観測に駆り出され、バローなど数名が残っているものの薬の複製は当初の想定より遅くなることが確実となっていた。そのためステラは万一に備えて寮で待機させられていた。
本来治療できない石化状態から、シリカの介入でステラは奇跡的に回復した。だが石化状態からの完全回復には細胞の奥深くに浸透した石化因子を完全に分解する必要がある。この因子の分解には現状では石化解除薬を数回服用する必要があり、バローが持ち出した解除薬の分析と複製が間に合わなければ再び石化が始まってしまうのは確実と思われた。
石化解除薬の製法は軍事機密、それどころかそもそもそんな薬が必要とされる世界ではなかったのだから誰も正しい用法など知るはずが無かったのだが、どういうわけかシリカは必要な量を凡そ予測していた。ディーンに分けてもらった薬は充分な量ではなかったが、未完成ではあるもののいくつかの試作品を試す機会があり、結果的にステラの容態は安定しているのが明るい材料ではあった。少々ややこしいが、バローにレイラ誘拐を依頼した勢力(バローは頑としてその名を明かさない)が準備していた物が解除薬、それを魔法学園で複製した物が現状、試作品と呼ばれる代物となる。
試作品がステラの元へ優先的に回されてくるのはもちろんバローの差し金である。将来的にコカトリスのような魔獣による攻撃を受けることを想定した場合、石化解除薬の戦略物資としての価値は高い。その効果を実証するために実際にその呪いを受けている当人で実験するのは当然と言えたが、バローが危険を冒してまで解除薬を持ち出してきたのは偏にステラのためだ。自分の不手際から意図せず石化させてしまったステラに対して責任を感じている、本人は傭兵としてのけじめだと言うが、レイラはもう一歩踏み込んだ感情があるのではないかと予想している。
レイラと言えば不幸中の幸いと言って良いのか、寮に残されているのはステラだけではなかった。今はまだその存在が秘密にされている古代のエルフ、シリカ族の少女クリスタと、転移の残像レイラベータが同じ部屋に隠れ住んでいるのだ。溶岩対策の最前線に出ていて寮に帰れない日が多いレイラに代わり、実質レイラそのものであるベータが傍にいることは、隔離状態のステラにとって大いに精神面での支えになった。
「私としたことが本物のレイラ様と残像の区別が付けられないなんてなんと不甲斐ない・・・」
「それは仕方ないわよ、残像と言っても転移魔法で本体と少しずれたところに生成されたもう一つの本体なんだから、解釈次第ではどっちも本物だし。」
「そんな事を言われると、もうあなたを何とお呼びすればいいのかわからなくなってしまいます。」
「あら、今まで通り”レイラ様”で良いわよ。それとも向うと区別するのに私の事は”レイラ”呼びにする?」
「それは・・・さすがに憚られるというか、畏れ多いものがありますね。」
「構わないわよ、本物が戻ってきたときにうっかり”レイラ”って呼んじゃっても怒ったりしないから。」
ベータがそう言う以上そうなのだろう。だが、公爵令嬢と公爵家に雇われた平民という本来の立場を考えればそうもいかない。
「やはり”ベータ様”で。」
「私はレイラの代わりに居るのよ?レイラと同じに呼べばいいじゃないの。」
ステラはしばらく考え込んでいたが、
「やはり”ベータ様”です。別人でありながら実質レイラ様であるあなたはレイラ様と同格であるべきです。」
「堅いわねぇ・・・こういう機会でもないと”レイラ”なんて呼べないわよ?」
「私は堅いんです。それはご承知のはずです。」
ベータは積極的にステラに会話を仕掛けた。そうすることでステラの正気を保ち、石化の進行を少しでも遅らせようというのだ。
加えて、素性は明らかでないがシリカのような外見の少女が一緒に居ることでステラの精神は平穏を保ち続けることができた。これは石化のトリガーを発動させないという意味で重要なことだった。
だが、それはレイラの生命を危険に曝す行為だった。
先日まで、ベータは一日の大半を薬で眠らされて過ごしていた。そうすることで最終的に統合するとなった時、レイラの精神にかかる負担を少しでも軽減しようとしていたのだ。だが、こうしてベータがステラの話し相手になることでレイラとベータの経験内容に差異が生じ、統合時にレイラの精神が持ち堪えられない可能性が更に高くなるのだ。
レイラはそれを承知した上でベータがステラと一緒に過ごすことを望んだ、いや、初めから両方ともそのつもりだった。本体も残像も考えることは同じだった。
レイラが不在の間、ベータの魔力補給はクリスタが代行している。
その儀式?をステラの見ているところでやるのはさすがに気が引けたし、ベータがステラの部屋で休むのはやりすぎだろうという事で夜はクリスタを伴って地下へ帰って行くのだが、ここで不思議な現象が発見された。
「ベータ様、今日って特に外出なさってませんよね?」
「ええ、ずっと部屋に居たわよ。あなたも一緒だったでしょう。」
看護師服に着替えたクリスタが魔力測定器を見て不思議そうな顔をしていた。
部屋から出られず時間の余ったステラがクリスタ用の服を色々作ってくれるのだが、そこではなく
「今日も減り方が基準値より多いですね。」
「私はいつも通りにしているつもりなのだけれど、そんなに違うの?」
生物教師が用意した魔力測定器には便利な機能が色々備わっているのだが、その中に魔力の異常消費を検出する物がある。本来魔法アスリート用の機能らしいのだが、ベータの日々の魔力減少量が多すぎてこの機能が警告を発しているのだ。
「まあ、命に別状あるほどではありませんが、このまま行くと足りなくなりますね。」
「え、エルフの魔力量でそんなことがあり得るの?」
「私も自由に行動できない身ですので、精霊と交われる場所まで行けないと魔力の回復はヒト並です。それに元々魔法を使うような状況は発生しないという想定でいましたから、このペースで吸われ続けると回復が追い付きませんね。」
クリスタが自分の乳房を持ち上げながら言うのを見ると大変申し訳ない気持ちがしてくる。
「・・・今”小さいのに申し訳ない”って思いました?」
「な、何も言ってないわよ!」
クリスタはシリカと比べると全体的に痩身である。身長と髪型が似ているおかげでぱっと見には両者を間違えることもあるが、レイラの同級生などはシリカを見慣れているので二人の差異に気づくかもしれない。
ここだけの話、シリカは同じ身長の平均的なヒトと比べてちょっと太目なのだ。
「ベータ様どこかでこっそり・・・」
「使ってないわ。」
「うっかりとか無意識にとか」
「そんな魔法の使い方が出来るなら逆に教えてもらいたいくらいよ。」
レイラもベータも魔力量はともかく魔法そのものの才能はかなり低い。人に気づかれずに使うなどという器用な真似は難しいだろう。
「でも毎日している事と言えば起きて、皆でご飯を食べて、おしゃべりして・・・食べたりしゃべったりするのに魔力を使う体質とか」
「そこは普通よ。そんな体質だったらとっくに健康診断で指摘されるか誰かが気づいているわよ。」
「はぁ、困りましたね。このまま行くと早ければ来週からポーションを使うことになるかもです。」
「え・・・あれを飲むの?」
種族単位で魔力量が多いエルフ族。シリカ族はこの点ではエルフとしての特性を失っておらず(それを上回る魔力量のレイラがどれだけ異常か)、それで足りないとなるとアランかディーンに頼んで騎士団から魔力ポーションを分けてもらうことになるのだが、これが絶望的に不味い。しかもクリスタの予想では充分な本数を飲むには一日では時間が足りなくなりそうなのだった。
「ポーションは勘弁してほしいわね。他の方法で・・・あなたの魔力を回復させる方法は無いの?」
「一つにはポーションを私も飲む。でもこれは2度手間になるだけですね。」
「私が飲まずに済むならそれでもいいわ。」
「・・・何という事を。もう一つはステラさんとの会話を減らして、できるだけ寝ている事ですね。」
クリスタの言葉にベータは疑問を抱いた。
「寝るのはわかるけれど、ステラと話さないことがどうして回復になるの?」
「回復というか・・・」
クリスタはベッドに腰掛けているベータの顔を覗き込むように屈むと
「たぶんベータ様って、頭を使うと魔力を消耗するタイプなんですよ。」
「何、それ?」
ちょっと理解できない概念だった。
「頭と言うか、魔力で思考を強化して、それを無意識にやっていて。」
「・・・ごめん、何を言っているのかわからない。」
「レイラ様の、ベータ様の頭って論理的に考えずにいきなり解答を導くことが多いんじゃないですか?」
「余計にわからないわ。」
「要するに・・・」
クリスタはベータの頬に両手をあて、祖母が孫娘に言い聞かせるように話した。
「あなたは無意識に魔法で答えを引き出す、生まれついての透視能力者なんです。」
透視能力者。
聞いたことはある。数十年から百年に1人、フォレスタルくらいの規模の国にならその程度の確率で出現する特殊スキル保有者である。その能力は物事の真実を見抜く事。予言や予測と違って、目の前の事象の正体をその場で言い当てる能力と言えばわかりやすいだろうか。
統計の積み重ねで市場や天候の動向を予測したり、霊的な気配やヒトならざる者の圧を感じ取って未来に起こりえる事件を予言したりするのに似ているが、透視能力はより直感的で短期的な能力である。考えようによっては超短期的な予言とも言える。今後の行動などによって変更することのできない未来や今知らない知識を言い当てる能力とでも言おうか。
しかし
「透視って、そんな能力があるなら私の成績はもうちょっとどうにかなってるんじゃないの?」
「成績って試験の事ですか?それって問題文を読んで回答を導く物ですよね。」
「ええ、そうよ。透視能力があるなら解き方はともかく答えを透視できるんじゃなくて?」
「それは問題文を読んでしまっているからですよ。透視は訊かれて答える物じゃないから、問題文のある試験だと頭で論理的に考えてしまって透視が効かないんです。」
つまり透視とは
「それって勘、ってことじゃない?」
「能力者はそう感じると言われています。ですが、勘と透視能力は根本的に違う物で、的中率が段違いです。何か身に覚えはありませんか?なぜ知っていたのかわからない知識があるとか。」
「そんな覚えって・・・」
バローのことだ!
深紅の傭兵という名は貴族として噂程度には聞いたことがあったが、その二つ名をあの御者と結びつけたのはレイラの勘としか言えない。しかもどういうわけか的中した。
そう思うと他にも色々腑に落ちることが多い。
ミハルが起こした襲撃事件、犯人が地下に潜んでいると思った根拠は何だったか。クリスタ達と出会ったあの世界、帝国の名を聞くまでも無く過去の世界だと感じていなかったか。昨年の後期魔法実技試験、あのまま召喚を続けていればなんとかなると根拠もなしに考えていなかったか、出現したシリカを即時に味方と判断したのはなぜだったか?
「アラン・・・」
「?」
「・・・いいえ、何でも無いわ。つまり、私が無意識に透視能力を使っていて・・・」
「ステラさんとの会話をうまく回していた。」
「そんなことに透視能力を?」
「わかりませんよ?例えばステラさんの石化トリガーを透視して回避していたとかだったら?」
「・・・そう言われると、使わずにはいられないわね。」
「でも、」
看護師服の前をはだけながらクリスタが言った。
「透視もいいですけどほどほどにしてください、できれば睡眠時間を増やして。でないと・・・」
ベータの膝に跨って両手で彼女の頭を抱えた。
「本当にポーションを使うことになりますよ。」
見た目に反してクリスタはシリカを除いた学園の誰よりも長い年月を生きている。だがヒト族や獣人族にありがちな加齢臭のようなものを感じないのはエルフ系の特性なのだろう。
「・・・ち」
「え、何です?」
「ん、何でも無いわ。」
レイラやステラが相手ならともかく、正直付き合いの浅いクリスタ相手に”これ”はかなり恥ずかしいのでできれば避けたい。味さえどうにかできればポーション一択なのだが、あの味は、こっちを選んでしまうほどに不味いのだ。せめて希釈品ならばと思うが、クリスタが試算した本数はそれだけで溺死しそうな数だった。
ベータは一息を吐くと、クリスタの乳首に
「今、小さいって言いかけませんでした?」
クリスタの声は氷の様だった。
「ひっ・・・い、言ってないわよそんなこと。」
だがベータの記憶にはレイラのそれが刻まれていて、彼女(それはベータ自身でもある)とクリスタを比べて感想が口に出てしまうのは仕方がないかもしれない。
「・・・本当ですか?」
「本当よ。」
因みにシリカもなかなか大きいので、勝負になりそうなのはステラかミハルくらいだと思う。そういえばシリカの味見をしようなんて話もあったっけ・・・
「言わなかったけれど、思いましたね?」
「それは仕方ないでしょう!ていうか、もしもこんなことでまた透視能力を使ってしまったら・・・」
「くっ・・・しかたありませんね。」
だがクリスタの乳房と向かい合いながら一言
「でも、かわいいと思ったのは本当よ。」
「・・・歳上相手にそんなこと言うもんじゃありません。」
二人は目を閉じ、魔力補給の儀式を始めた。
レイラは工事現場から現れた遺跡の報告をしに学園へ戻った。と言ってもまだシリカが地中で発見しただけで工事はそこまで到達しておらず、このまま掘っても遺跡の上を通るだけなのだが、現場から見つかった遺物もいくつか持参してまず教務課へ向かう。通常授業を潰して学生を土木工事に駆り出す判断は理事会によるものだが、工事自体が授業の一環として行われているため報告窓口は教務課である。一通りの報告を済ませると、今後の方針は数日中に理事会が決定するとのことで、レイラは教務課を出るとその足で寮へは戻らず、図書館へと向かった。
既に陽は沈みすっかり夜になっていたが、図書館はまだ活気づいていた。
「いたいた、アイーシャ。」
「ん、おを、レイラ殿。」
「なんだか久しぶりね。」
アイーシャが居たのはいつぞやの、騎士団が詰所代わりに使っていた自習室である。今はウィンドリンガー噴火対策本部となっているせいで昼夜を問わず人の出入りがあり、部屋の真ん中に集められた机に地図や様々な図面が広げられていた。圧巻はその机の真ん中を縦断するように設置された、ウィンドリンガーから魔法学園を経て海へ至る精密な模型である。ミハルのような土系魔法の使い手が石や土を操って地図を立体的に見られるように作った物だ。これによって土地の高低差や谷間などが視覚的に捉えられるようになり、噴火対策本部では重宝していた。アイーシャは土木方面に明るくはなかったが、図書館に詳しいことから資料管理を任されていた。
「ちょっとこれを見て。」
「なんです?」
レイラに促されてシリカは工事現場で発見した金属片を渡した。
「これは・・・」
それらの金属片は同じ大きさ、同じ形、数字と何かの紋章と思しきレリーフがある。
「現場の地中に埋まっていたのをシリカが持ってきたのよ。古代の通貨みたいだけど、こんなものがまとまって埋まっていると何かの遺跡があるんじゃないか、って。考古学的に価値があるなら工事計画に影響が出るかもしれないし。」
だが、硬貨を受け取ったアイーシャは難しい顔をして唸り始めてしまった。
「アイーシャ?」
「う゛~~~・・・、あ、レイラ殿。」
「何かわかった?」
「何と言うかこれは・・・」
「これは?」
アイーシャは言いにくそうにしながらなんとか言葉を吐き出した。
「一体何でしょう?見当もつきません。」
「何って、通貨ではないの?」
「多分通貨、硬貨で合っていると思います。」
「いつ頃の時代の物なの?」
「わかりません。」
「どこか遠くの、外国の通貨とか?」
「可能性は低いですね。保管方法にも依りますが、ただ埋まっていたということならこの国で使われていたという可能性はありますが。」
「だけどわからない?」
「こんな硬貨がこの辺りで流通していたという話は聞いたことがありません。」
その硬貨と思しき小片は金属製で、大きさも模様も揃っていたことからプレス加工などで大量に発行された物ということは想像できた。その製法やデザイン様式自体はありふれたものだが
「硬貨は保管や持ち歩きの都合で円板型にするのが一般的で、多角形も無くはないのですが六角とか、角は鈍角にするのが普通です。これは六角形の三辺から正三角形を生やした、全体としては三角形で、しかも角をこんな風に尖らせているのは珍しいですね。」
アイーシャが書架を探して一冊の古びた研究書を持ってきた。
「ええと・・・ああ、これとかですね。一応三角の硬貨が発行されていたことはありますが角はこんなふうに丸まっていて。」
示されたページには硬貨の精密なイラストがいくつも掲載されていたが、三角は珍品に分類されていてその角は大きく丸められていた。
「こんな刺さりそうな形は持ち歩きにくいわね。仕上げ加工前とかかしら?」
「何かの記念メダルとか限定的に作られた物かもしれませんが、こんなものが大量にあるということは造幣工場の遺跡かもしれません。」
アイーシャは図録と三角コインを交互に見比べていたが
「これは現地に行かないと。」
「さっき報告してきたばかりだけど調査発掘をするかどうか審議にかかっているんじゃないかしら。時間はあまりないでしょうから数日中には・・・」
「工事の御邪魔はしませんので。」
「結論がでると思うわ。そうしたら・・・」
「今からでも全然構いません。」
アイーシャは図書館に籠っているイメージだったが、自分の机の下からバックパックを取り出し素早く靴を履き替え、発掘調査スタイルに変身した。
「って、理事会の結論が出るまで待ってからでいいでしょう?」
「レイラ殿。」
アイーシャは一度深く息を吸い込んで
「普段からこの学園には様々な勢力の目が光っていて、発明発見の知らせを狙っています。ですからこういう情報がもたらされた場合、そうした連中に先を越され重要な遺物を持ち去られたり遺跡を破壊されたりしてしまうのです。それを防ぎ現場の保全をするためには一刻も早く調査に向かわないとなりません。」
「それなら現場にも警備部員がいるし・・・」
「彼等には遺跡の価値なんて判りはしません。10年前の割れた茶碗と5000年前の壺の欠片の区別だって付けられないでしょう、そんな人たちに任せていては遺跡は廃墟そのものにされてしまいます。」
「まだ報告してから1日も経っていないのよ。盗掘を防ぐにしても今すぐ出発する必要はないでしょう。」
だがアイーシャは信じられないものを見るような目を向けてきた。
「レイラ殿、こうした発見は歴史をひっくり返す可能性があるのです。それは先に情報を押さえた者がその時代の歴史を自由に出来ると言えるものです。」
アイーシャは普段からちょっとテンション高めだが、この興奮振りは普通ではない。
このまま一人で行かせることもできるが、工事現場までは行けてもシリカが遺跡を見つけた場所はその少し先の地中で、そこまでは辿り着けない。バックパックには折り畳みスコップのような物も見えるので、いざとなれば自分で掘り進むくらいのことはしかねないだろう。
「わかったわ。」
「ではさっそく!」
「待ちなさい。出発は早くても明日の早朝、今夜はもう寮へ戻るわよ。」
「着替えですか?そんな物あとで届けさせればいいじゃないですか。」
「そうじゃなくて、こんな時間から現場へ向かう馬車は無いのよ。」
理事会の決定が出るまでの2、3日は寮で過ごせるかと思っていたのだが、これでは本当に着替えだけを持って現場へ帰るしかないか。理事会がどういう決定をしたかは、学園と工事現場を結んでいる定時便で届けられるだろう。
レイラが寮へ戻ると調子の良さそうなステラが出迎えてくれたが、図書館でのやり取りは思った以上に長時間に及んでいたようでベータたちは既に地下へ帰った後だった。
事情を話すとステラはいつもと変わらぬ明るい表情でレイラの着替えを鞄に詰めてくれた。
「具合はどう?」
「はい、バロー様が試作品を回してくださいますので、ここ数日は具合が良いです。」
「・・・彼に”様”は必要なくてよ?あなたがこんな体になったのも元はと言えば彼が原因なんだし。」
「ですが、治療薬開発のために手を尽くしてくださっていますし・・・」
ステラにしてみれば無理をして薬を分けてくれる人という認識になるのか。レイラから見ればバローは当然の償いをしているだけなのだが。
「ベータのことは起こしに行かなくていいわ、彼女には寝ていてもらった方が・・・」
レイラはステラの表情の微妙な変化に気づいた。昨年の今頃なら気づくどころか表情を意識すらしなかっただろう。
「ごめんなさい、そういうつもりじゃないのよ。昼間こっちへ上がってくるのは私と彼女が同意した上でやっていることだし、その結果は私自身の物よ。」
「ですが、私のためにレイラ様が危険に・・・」
「それも含めて、私自身が決めてやっていることよ。あなたは使用人としてただそれを受け入れればいいのよ。」
ちょっと卑怯だが、使用人と言う言葉を使われるとステラは反論できない。
「レイラ様・・・ありがとうございます。」
「あら、わかっているじゃないの。」
つい謝ってしまうのが普通だが、レイラとしては謝罪より感謝の言葉を聞きたかった。自分が命をかけて救おうとしているのだから、詫びるより礼を言ってほしいとのだ。ステラもレイラのそういう性分をわかった上でこの言葉を選んだのである。
「ベータ様はもう、話し方もちょっとした仕草さえもレイラ様そのものです。クリスタは、おしゃべりなシリカと言う感じで、大昔の知恵や知識がどんどん湧いてくるのに現代についての知識が無いというのが話していて不思議な感じがします。」
ステラはクリスタの素性を正確には教えられていない。昨年秋の祭礼で似たような格好の子に会ってはいるが、それは別人である。
本心では理事会の返答を待ことも含めて数日でも寮に居たいのだが、アイーシャの言うように遺跡も放置できない、というかアイーシャを放っておいたら何をするかわからない。
翌朝、レイラ達は一番早い連絡便に乗り込んで工事現場へと出発した。
別れ際に抱き合うレイラとステラにアイーシャは単純な挨拶以上の物を感じ取ったが、この二人ならそうなのだろう、と、特に不思議とは思わなかった。
特に考えたことは無かったが、アイーシャにはレイラとステラのような関係がよくわからなかった。自分もそういう友人が欲しいという事ではない。自分は古文書や遺物に向かっている方が似合っていそうだし、他人と付き合うことに時間を取られるよりは図書館に籠っていたかった。それが若さの一つの形だと言えばそれまでだが、彼女には多くの友人が居るものの知り合いというレベルの付き合いで、真剣な悩みや日常の愚痴を吐露できるような友人と言うとちょっと思いつかない。半年前なら図書館の受付の子とそこそこ親しくなっていたのだが、まだ頻繁に顔を合わせる同年代の生徒と言う程度で、もっと親密になる前に彼女は事件を起こして収監されてしまった。噂では王都のどこかで監視されながら働いているとか、特赦を受けてどこか遠くに住んでいるとか言われているが、場所も職業もわからない。
というか、自分にもああいう関係の友達が出来ることがあるのだろうか。寮生が多い魔法学園ではちょっとしたきっかけから親密になるか険悪になるか、かなり極端な関係になる傾向がある。大体上級生が誘って下級生を引き込むか、貴族が身分の差を利用して自分より下級の貴族や平民を、というパターンが多い。そして卒業と共にドミノ式に次の下級生や貴族を引き込んで、学園の密かな伝統となっている。
だが、工事現場ではそんな考えが吹き飛ぶような事件が起きていた。
数日後、レイラ達が現場に到着したのは日が暮れた後だった。本来翌朝の到着だったところを無理を言って急いでもらったのだ。
「行方不明者ですって?落盤?崩落??」
「それが、先頭区画で測量をしていた生徒が・・・」
「工事は止まっていたのではなかったの?」
「事前に作成した地図と実際の地形が合わなくて、工事を再開する前に、と、班長が。」
測量。普通は地上ですることだし、今回の掘削工事も例外ではない。平常時は溝が図面通りに進んでいることを定期的に確認するために、土系魔法使いや肉体派の生徒が工事を進めるのと並行して魔法学科の生徒が測量を担当している。稀なケースではあるが、測量が必要なレベルの巨大魔法陣を使う魔法や、建築物の構造自体に魔術的な意味を込める場合に備えて魔法学科の一部の生徒は測量や土木建築も学ぶのである。その分、在学期間が長くなることもあるが、魔法建築士はだいたい高給取りなため、学園に長期在籍するだけの価値は十分にある。
「そもそも測量でどうして行方不明になるのよ?」
そう、作業の性質上、掘削現場の崩落やトンネルの落盤に巻き込まれることはまずあり得ない。野犬に襲われた程度なら魔法で対処できるだろうし、野盗に襲われでもしたのか。あるいはどこかでサボっているのか。
「辺りはよく探したんですの?」
「もちろんです。ですが測量器材も含めてどこにも見当たらず・・・」
「器材が無くなったという事は、盗賊という線はありませんの?」
「足跡や馬車の跡はありませんでした。本当に人と器材だけが消えてるんです。」
「班長はどこなの?」
レイラにしては咄嗟によく気が付いた。
班長と言うのはミハルの事である。アイーシャが同行している状況で迂闊にミハルの名前を出すのはまずい。少なくとも本人が名乗ることを避けている現状ではその名は伏せておいた方が良い。
単にそういう名前の騎士団員が班長をしている、という説明でも良かったかもしれないが。
「ああ、班長ならそこに。」
生徒が指さす方を見ると、いっぱいいっぱいになりながら生徒に指示を出しているミハルがいた。現場指揮官となればもっと目立ちそうだが、レイラとシリカの発する存在感が濃すぎてミハルが掻き消されていたのだろう。
「班長!」
「あぁ、レイラさん!」
行方不明者が出たことは現場に混乱をもたらしていたが、ミハルは憔悴した表情を見せながらもどうにか現場を仕切り、生徒達を抑えていた。
「生徒が消えたというのはどういうことなの?」
「それが、私にもわけがわからなくて。私が測量をするので助手をお願いしていたのですが、私が目を離したちょっとの隙に姿が消えてしまって。後ろは森だったので奥へ行ってしまったのかと思って探したのですが見当たらず、工事自体は遺跡調査で止まっていますので手の空いた人を編成して捜索隊を出しています。」
状況が人を作ったのだろうか、いつものミハルより話し方が流暢で手際まで良くなっている。
「遺跡の方はたぶん理事会が調査隊を寄越すことになると思うけれど、行方不明者は何人いるの?」
「1人だけです。ただ、穴に落ちたり獣に攫われたとしても、痕跡も遺留品も残っていないもので行方どころか原因もわかってない状況です。」
「事件か事故か、工事自体は中断していたから影響はないけれど、早く見つけないと再開できないわね。このままでは遺跡調査も・・・」
そうだアイーシャ!結果的にいきなりミハルに引き合わせてしまったがやはりショックを受けたのか、先ほどから一言も発していない。
振り返ると後ろにいたはずのアイーシャの姿が無かった。道理で声がしないはずだ。慌てて見渡すと、少し離れたところで壁の土を指でほじくっているのだった。
「ア・・・」
「ちょっとそこの人、勝手に動かないでください。行方不明者の捜索が先です。」
「へ?ああ、すみません、ええと・・・班長殿。」
レイラの声を遮るようにミハルが呼びかけたが、アイーシャは声の主の正体に気づかなかったようだ。
仮面で顔は半分しか見えず、普段のおどおどした態度が消えているとはいえ数カ月の間その身を案じていた親友の声が分からないとは。
長かった髪をバッサリ切られてしまったせいで、仮面を外したとしても外見は随分変わっているのだが、声で気づかないものか。いや、今のミハルはそれほどの変貌を見せていた。言い換えると、短期間で急成長したのだ。
「その・・・ここは断層なのでしょうか?」
「断層?」
アイーシャが突然妙なことを言い出した。
歴史を多角的に追うと人物や当時の国家の体制、気候や地形の変化までが調査の範囲に入ってきてきりが無くなる。実際それらのすべてが絡み合って一つの結果に至ることが歴史なのだが、1人で全てをカバーするアイーシャは学園でも変人扱いされることが多かった。
「ほら、ここから地質がかわりますよね。それにこの線から踏みこむと匂いまで変わります。」
「匂い?・・・あら本当。」
レイラが壁に顔を近づけて嗅いでみると、なるほど、土に由来する匂いが急に変わる境界線のようなものがあるようだ。一次産業が盛んなブラッドベリー領で育ったレイラは嗅覚が敏感だ。
「なんというか、こっち側は比較的乾いていていかにもこの辺りの土壌という感じなのに、この辺から先は水っぽいというか、急に石が増える気がするわ。」
「どういうことですか?」
「そうですね、元々こういう土壌だったのが大規模な水害か何かで大きく地面を抉られたところに、上流から砂っぽい土が流れ込んできて今の地形になったとかでしょうか。」
この場合、境界線の先が元の土壌でこちら側、学園のある方が比較的新しい砂漠っぽい土地という事になる。
「それって大裂溝とどちらが先なのかしら。」
大陸を分断する大裂溝。太古にできた長大な谷。それこそ古代の遺物が出土したため、冒険者が拠点とする場所として街道や街が作られ、現在の魔法学園に至っている。
「どうなんでしょう、大裂溝まで行って断面を見てみたいところですね。」
「シリカ、あなたが遺物を拾ったところって・・・」
レイラが振り返ると、丁度シリカが壁の中に消えるところだった。
シリカの地中潜行はもう見慣れた光景だったが、
「・・・シリカ?」
地中に居てもレイラが呼べばシリカはすぐに出てきた、今までは。
「シリカ。」
再度呼びかける。アイーシャもシリカの消えた辺りを注視しているが、彼女の場合は土中に消えるシリカが珍しくて出現を見逃すまいとしているだけだ。だが、レイラの声に含まれる不安そうな気持ちをなんとなく感じ取っていた。
「レイラ殿?」
「・・・シリカ!」
レイラがシリカの消えた壁に近づこうとすると、壁の方もレイラに向かって近づいてきた。
”ヴォッ・・・ヴォヴォヴォヴォヴォッ!”
甲虫の羽音のような唸り、圧縮した空気を開放した時のような断続的な衝撃波を伴って土壁がレイラに向かって迫ってきた。
「レイラ殿ッ!」
「レイラさん!」
抜群の運動神経は伊達ではない。迫ってくる壁に頭から突っ込むかと思われたレイラは寸でのところで身体をのけぞらせると、そのままの態勢で後ろへ飛びのいた。
「なによこれ、壁が動いたわ!」
「崩落です、急いで離れてください!」
いや、壁は垂直のままで崩れてはいなかった。かといってレイラの言うように動いたわけでもなかったが、その断面は間違いなく近くなっている。
「班長!」
「みんなを溝から退避させて、出来るだけ後方へ下がるように。」
ミハルの言うように崩落であったなら、地上へ脱出すると崩れる土に巻き込まれる可能性がある。先日まで掘っていた溝に沿って後方へ走るのが最も安全と思えた。だが、崩落がどこまで続くかわからない。ミハルの魔法によって溝の内壁は一枚岩で補強されているような物だったから、それが崩落したとなると尋常な事態ではない。だが地震や地滑りは起きたわけでもなく、どうして壁が迫ってくるのか分からないまま生徒達は溝の出口へ向かって走った。
ほどなくして崩落は収まった、というか唐突に停止した。まるで見えない壁に防がれたように、垂直な壁を形成してピタリと停止したのだ。
「なんだったのかしら、崩落とも違うようだけれど、辺りの様子を見るに壁が動いたわけでもないし。」
「せっかく掘った溝が・・・埋まってしまいました。」
すべてではなかったが、壁の向こうの溝は完全に埋まって数日分の作業が無に帰したような状況だ。
「はて、これはいったい・・・」
好奇心旺盛、というより研究者としての魂に火が点いたのか、アイーシャは既に壁と溝の境界を調べ始めていた。停止した壁と、岩で補強された内壁の間に指を突っ込んで土をほじくっていたが
「んん~??」
「何、何かおかしな所でもあったの?」
「溝のここから先が、内壁が無くなっていますね。」
「え?」
レイラ達も同じところを掘ってみると、ミハルの魔法で形成したはずの岩壁がそこで途切れていた。
「そんな、私は確かに・・・」
ミハルの声が震えている。この溝の壁は彼女の魔法によって固められ天然岩のようになっていたはずだ。それが途切れているという事は、岩の厚さが足りなかったのか、そもそも岩を形成できていなかったか。責任感の強いミハルは自分の失態の可能性に思い至り自我が揺らいでしまった。
「考えられないわね。」
レイラがぴしゃりと否定した。
「班長が廃土を固めて岩に変えるところは私はもちろん、大勢の生徒が見ているわ。壁の上までしっかり岩盤化しているのを確認しているし、その厚みは1メートルや2メートルではないのよ。」
溝を掘る過程で出た廃土を圧縮して強固な岩盤に変える。いまのところそんな芸当が出来るのはミハルだけであったが、砂がちで崩れやすい土地とはいえ幅10メートル以上の溝を掘って出た廃土の、その殆どを岩に変えるとなるとその厚みは数メートルに達する。溶岩を流すだけならそこまでする必要はないのだが、人数の限られた状況で廃土を運び出すことに比べればこうして処理してしまうのが合理的と言えた。
それより、レイラのこの一言はミハルを正気付けたようだ。
「確かに、これは普通ではありません。アイーシャさん、岩盤だけでなくこの壁と接するところを広範囲に調べてもらえますか。」
名前を呼ばれたアイーシャは一瞬戸惑ったが、
「・・・はい、わかりました班長殿。」
班長から呼ばれた自分の名が、ひどく懐かしく感じられた。この班長と呼ばれる人物とは初対面で、それどころか紹介もされていないから相手の名前も知らない。
「あれ・・・班長殿。」
「何か?」
「どうして私の名前を御存じなのですか?」
「あ・・・」
「班長!大変です。」
「え・・・あ、すみません、その話はあとで・・・どうしました?」
ミハルはアイーシャに答えるのを後回しにして、慌てた様子の生徒の方へ向かった。
声がしたのは地上からだったが、立てかけてあった梯子で地上に上がったミハルはその光景に息をのんだ。
「そんな・・・こんなことって。」
この一帯はほぼ砂漠になっていて植物はほとんど生えていない。森のような場所はあるにはあるが木もまばらで、砂がちな土壌は掘りやすい一方で崩れやすく、ミハルの魔法による補強が不可欠だった。だが今、ミハルの目の前にはしっかりした森があった。夜も更けていたが少なくとも何もなかった枯れた土地ではないということははっきりと分かった。
「ちょっと、これって・・・」
「ええ?さっき来たときと全然違うじゃないですか。」
溝はただ埋まったのではなかった。もちろん、この森は地滑りで運ばれてきたものではない。木はまるで初めからそこにあったかのようにそこに根を張っていた。
「一晩、いえ、さっきのほんの数分で砂漠が森に変わった?あり得ないけれど、目の前に起きたわね。」
アイーシャがさっそく元の地面と森の境目を指で掘り始めた。
「やっぱり・・・土壌が全然ちがいます。」
「短時間で・・・土壌が変わる、森が生える・・・」
ミハルのように土や砂から分厚い岩盤を生成する魔法があるのなら、そんな魔法だってあり得るのではないか。だが、誰が、何のためにそんなことを。バローを雇っていたという国か?学園へ戻って彼を尋問するべきか。だが、人為的な物として、目的は何か。溶岩の誘導を邪魔する気ならこんな風に溝を全部埋める必要はない、完成してから入り口を埋めれば済む話だ。どうしてこんな半端な所で始めて、こんな所で止まったのか。
レイラは溝の中へ戻った。
この壁は又動き出すかもしれない、いや、確実に動き出すだろう。それはいつの事か。
そして、土壁の中に入って行ったシリカが未だに戻ってこない。
「シリカ。」
レイラが呼べば必ず姿を現すはずだが、一向にその気配がない。
あの時、シリカは壁に入って行ったのだったか?よく思い出せ、壁の方が迫ってきてシリカを飲み込んだように見えなかったか?
だがその程度ならシリカは何事も無かったように出てくるはずだ。たとえ魔法で作り出した土壌であったとしても関係ない。どんな性質でも土壌に変わりはないのだ、たとえミハルが作った岩壁であってもシリカは水か空気のように通り抜ける。
そのシリカが出てこられない土?
この場にシリカがいたらどうなる、という物でもないが、いないという事実が別の不安を掻き立てる。
自分はどうしてこんなにも冷静でいるのだろう?
石化したステラを目の前にした時、彼女をバローに預けるという選択は今考えればあり得ない判断だ。結果的に良かったかもしれないが、あの場の心情としてあり得ないだろう。
自分が魔法陣を踏んで過去へ飛ばされてしまった時、身一つで突然見知らぬ土地に放り出されて不安になるわけでも待ち受ける冒険に胸躍らせるわけでもなく、詳しい事情も聞かずに一方に加担して、結果的にちゃんと帰ってこられたけれど・・・帰ってきたときのシリカの反応はどうだったか。あのシリカが、仕事から帰った飼い主を迎える犬のように、校舎の屋上から”一直線に”飛んできた。それなのに今の自分はどうだ?あの時のシリカと立場を入れ替えた状況にあるはずだが、胸は騒いでいるか?痛んでいるか?引き離されている状況に不安は感じないのか。
もしかしたらシリカはこのまま帰ってこないかもしれない。厄介払い?そんな考えはとっくに無くしていた。魔人が何を考えて何をしでかすかを心配していたのは出会って最初の数週間くらいのものだ。服を着ることから始めて学園で生活するために身に着けるべき最低限の知識を覚えさせてからは、どこへ行くにも必ずついてきてよく躾けられた犬のように忠実・・・とは言い難い所も少なくないが、
どうして自分はシリカの心配をできないのか?
不死身の魔人が傷ついたり泣いたりしている姿を想像できないからか。実際、まったくイメージが湧いてこないが、身近な人物が突然いなくなって帰ってこなかったら相手が何であれ心配になるのではないだろうか。だが、レイラの胸は騒ぐことはなく、動悸を感じてもいない。
無事に帰ってくることを確信しているから、と肯定的に捉えることもできるが、ステラの場合はそういう状況ではなかっただろう。
根拠も無しに確信を持ってしまうことの危険性は理解している。そういう人物は必ず暴走する、絶対に権力を持たせてはならないタイプだ。つまり自分が権力を持つ、即ち王家に嫁ぐことはあってはならない。
まるで自分が人間らしい心を失くしてしまったようだ。王家に入ることも結果手にする権力にも興味はないつもりだったが、今の自分の在り様を思うとその未来には不安しかない。婚約の話を一度見直してもらおうか、それよりも今この時の自分が不安、というか、もはや恐怖すら感じる。
シリカが消えた場所はもう完全に土壁の奥に埋まってしまっていて容易に調べることはできなくなってしまった。だからと言ってシリカが迷って出てこられないなどという事はないだろう。そうでなければ地下を偵察なんかできない。
シリカだけではない、行方不明になっている生徒の事も。よく知らない相手だが現場を(事実上)仕切っている者として知らなかったではすまされない。だが、なぜかその生徒の事も無事に戻ってくるイメージしか湧いてこない。楽観的と言うレベルではない、理屈ではわかっているのにその生徒が戻らなかったり戻っても死亡していたりといった状況がまったく想像できない。
こういう人間が権力を持った結果、行きつく先は・・・
「班長、大変です!」
「今度は何?」
「先ほどの崩落に巻き込まれた生徒や協力者が数人、姿を消しました。」
生き埋めになったということなら直ちに救出作業に入るべきなのだが、
「姿を消した?埋まった場所がわからなくなったの?」
「いえ、埋まった場所は明らかだったのですぐに掘り出そうとしたのですが、どこまで掘っても出てこないんです。」
生き埋めとあれば一刻を争う状況だ。連絡に来た生徒もかなり焦っている。
「落ち着いて、状況をもう一度、わかるように説明して。」
生徒は一度深呼吸をしてから話を再開した。
「ですから、生き埋めになった場所はほんの2メートルほどの距離の場所で、崩落が収まってすぐにその場所を掘り始めたんです。見えている場所でしたから間違い様がありません。なのに、土を全部どかしても誰も見つからないんです。」
レイラ達は急いでその現場へ行ったが、救出を急ぐために図面を無視してごそっと土を掘ってあり、明らかにそれまでとは土質の違う廃土の山が出来ていた。
そこを掘っている生徒達はまだあきらめてはおらず、生き埋めになった仲間を傷つけないように手を使って土を掘っていた。中には指先を傷つけて出血している者もいる。
「場所に間違いはないの?透視魔法を使える人は?」
「それが、透視魔法には誰も・・・」
「場所はここに間違いないんです、埋まる瞬間を見ていました。それなのに・・・距離が違っていたとしても何メートルも違わないはずです。なのに透視魔法にかからないなんて・・・」
「どこかに流されていたりはしないの?」
土砂崩れや地滑りならそう言う事もあるかもしれないが、今回の崩落は明らかにそれとは違っていた。
「皆掘るのをやめて。怪我をしている者はすぐに治療を。」
レイラの声にすぐに反発の声が上がった。
「ここにまだ人が埋まっているんですよ?どうしてやめろなんて言うんですか。」
「透視魔法にかからない以上、その人たちはここにはいないわ。まず透視で捜索して、それから掘るべきよ。」
レイラの言う事はいわゆる正規の手順というやつで間違ってはいない。透視魔法で発見できない以上、生き埋めになった生徒達はここにはいないと考えるべきだ。だが
「埋まるのを目の前で見た、と、先ほど言いましたよね。どう見たって地滑りではないし、流されるにしたってたかが知れています。この一帯を掘っていれば必ず見つかります。」
「救出作業を続けさせてください。事態は一刻を争います。」
そう主張する生徒達に、レイラは諭すように
「でも実際にその場所にその人たちはいなかった。そして流されてもいない。透視でもみつからないのならこの場所を掘り続けるのはそれこそ時間の浪費でしかないわ。」
冷静な反論は却って相手を激高させることがある。人命がかかった状況で、レイラは冷静過ぎた。
「だから、この目で埋まるところを見たと・・・この辺りに埋まっていることは間違いないんだ!透視にかからないのは魔法が失敗しているのかもしれないじゃないか。」
「俺の透視にケチを付けるのか?!」
「そんなことは言っていない、ただ誰にだって失敗や間違いはあるだろう!」
「つまり俺が失敗したと言ってるんじゃないか。」
とうとう生徒同士が争い始めた。
「やめなさい!救出を急がねばならない状況ではなかったの?あなた達が喧嘩を始めてどうするの。」
「うるさい!あんたこそ何なんだ。公爵家で偉いからって勝手に仕切りやがって。ここのボスはそこの騎士様だろうがよ。」
この生徒の身分は知らないがレイラより低いことは明らかだ。だがその暴言を責めることはせず
「私は彼女の補佐として呼ばれていのだから間違っていません。」
「補佐なら補佐らしく後ろに引っ込んでいたらどうなんです?正直言って邪魔なんですよ。」
別の生徒が割り込んできた。こっちはもう少し上の身分そうだがそんなことに構っている状況ではない。
「だからこそ一度冷静になれと・・・もういいわ、わかったわ。あなた達はこの場で作業を続けなさい。そうして時間と体力を無駄にすればいいのよ。私は私でやらせてもらいますわ。」
そう言い放ってレイラは踵を返した。
レイラは元々こういう性格だったが、シリカが丁度いい・・・サンドバッグになっていたと言えるかもしれない。何かをしでかすと大ごとになるので目が離せない相手が傍にいたことで、他の生徒たちの多少のミスは許容できる精神状態になっていた。そのシリカが姿を消したため、元々のレイラが最悪のタイミングで出てしまった。
この場にいた生徒達はまだ不満そうだったが救出作業を再開した。だが、変わらず素手で掘っていることもあって手に怪我をしている者が増え、一旦立て直す意味で土系魔法を使える生徒と交代した。ミハルほどの力を使える者はいなかったが、魔法で少しずつ土を掻き出せば行方不明者に行き当たった時に身体を傷つけることも無いだろう。
本来、この場を仕切るのはミハルの役目であり、レイラが不在にしている間にミハルはそれが可能なだけの自信を身に着け始めていた。だが、目の前で起きている諍いを放置できない性格のレイラは、たった今指摘された通り出しゃばってしまった。彼女の発言は正論だったが、感情的な言い争いになると権力を背景にしたレイラの態度は相手にかなりの悪印象を与える。その結果レイラはこの場で孤立してしまうこととなった。
ミハルはというと、レイラの勢いに押される形で一歩下がってしまっていた。折角目覚めかけた指揮能力にレイラが蓋をしたような物で、唇が波打ったような形に開いた「はわわ」口とでもいう表情で困り果てた様子になっていた。
もちろん、ヒトの口はそのような形に開く様にはできていない。上下左右にガクガクと震えることで残像が生まれてそのように見えるのだ。
「班長。」
「ひゃいっ!」
「・・・自力で脱出した者がいるかもしれません。何人か地上の捜索に当たらせた方が良いと思いますわ。」
「あ、あのっ・・・わたしっ」
すっかりいつものミハルになってしまっている。
「あのぅ・・・レイラ殿。」
「何かしら?」
「学園から戻っていきなりこんな事故に遭遇されて気が張ってらっしゃるのかもしれませんが、少しお休みになってはいかがですか?」
アイーシャまでが遠慮がちに声をかけるほど・・・だがアイーシャの提案はもっともだった。学園から工事現場までそれなりの距離を馬車で移動してから崩落現場までの徒歩移動、再度発生した崩落から全速力で逃げてきて、さすがのレイラもかなり足に来ていたのだ。
「あなたこそ、本来部外者なのにこんな事故に巻き込まれて大変な目に遭ったのではなくて?今日は一旦宿舎へ下がりなさい。私はまだすることがあります。」
「いいえレイラ殿、私は学園を出発するときにステラさんからレイラ様を託されました。そんな大切な物を託された以上、私はその責務を全うする責任があります。」
ステラの名を出されてレイラは幾分か冷静さを取り戻した。確かに疲れは感じていたし、先ほどの全力ダッシュで相当の汗もかいていて、ここにステラがいれば着替えを勧められただろう。それに他人を相手にキレたのも久しぶりな気がする。
「・・・そう、そういうことなら・・・ちょっと着替えさせていただくわ。少し状況も整理したいし。」
「あのっ、それは班長の私にお任せください。」
レイラの雰囲気が変わったのでミハルでも声をかけやすくなった。
「それもそうね、というより私の方こそ勝手に仕切ってしまってごめんなさい。でもあなたも相当疲れているでしょう?さっきの生徒から声の大きそうなのを捜索隊長に任命して救出作業を仕切らせると良いと思うわ。それであなたも少し休んで。」
「しかし、私は班長として常に状況を把握しなくてはなりません。特にこのような急変の直後は状況を整理できるまで休むわけには行きません。」
毅然として主張するミハルに、レイラは自分が折れるべきと判断した。
他人に任せると決めると、途端に緊張が解けて身体のあちこちが休眠モードに切り替わり始めた。気をしっかり持たないとこの場で倒れてしまいそうだ。
「補佐を引き受けておいてこの体たらくで申し訳ないのだけれど、お言葉に甘えて先に休ませていただくわ。ミハルもなるべく休憩をとってね。それと何か異変があったらすぐに知らせてください。」
「はい、お任せください。」
「それじゃあ行きましょうアイーシャ、宿舎へ案内するわ。」
「・・・やっぱり、ミハル殿なんですね?」
休むと決めた時点で意識が休眠モードになってしまった結果、それまで控えていた名前を呼んでしまった。しかも先ほどの狼狽えた姿を見られた以上、最早言い逃れはできまい。
「そういえばちゃんと紹介していなかったわね。」
丁度他の生徒達は救出作業を再開し始めていたり救護所へ行ったりしていてこちらで何か話しても聞こえていないようだ。だが念のためレイラは二人を連れてその場を離れた。
と言っても角を曲がった程度の移動だったが、ちょっと姿をくらます程度なら充分だ。
レイラが目配せすると、ミハルもこの時を待っていたかのように仮面を外した。髪型がさっぱりした上に表情にも自信が窺えるようになっていたが、その素顔は確かにあのミハルだった。
「ミハル殿ぉ~ッ!!」
感極まったアイーシャはミハルに駆け寄ると、そのまま両手で抱き締めた。
ミハルも学園に居る間に何度も打ち明けようとして果たせずにいたため、ここへきて感情が一気に溢れ泣き出してしまった。
「アイーシャっ・・・あぁぁっ・・・」
放っておけばキスでも始めそうな様子だったが、ここはまだ原因不明の崩落によって生徒が生き埋めになった現場なのだ。今はまだその時ではない。
「感動の再会の最中だけれど、今はまだ私たちだけの秘密にしておいて。彼女の素性を隠したのには理由があって、それはアラン殿下がお決めになったことなの。」
「国家機密・・・」
ちょっと大げさだが、王家の裁定となればそういうこともあり得なくはない。
「わかりました。こうして生きてまた会えただけで今は充分です。」
「ごめんなさいアイーシャ。レイラさんの言う通り、今はまだ仮面の騎士団員で。」
しばらく抱き合って落ち着きを取り戻した二人は、状況が落ち着いてから経緯を話すという約束をして別れた。
きっかけは失言だったが、悩みの種が一つ解決した。この二人ならその時まで秘密を守り通すだろう。もっともそんなに大した秘密でもないのだが、現場を仕切っているのがちょっと前まで重罪で収監されていたということを今知られるのは士気の低下や反感を生む原因になり得る。更に異常事態の最中であれば、全員の結束が普段以上に重要である。今しばらくは秘密にしておいた方が良い。
肩が軽くなったように感じたレイラだったが、だからと言って気分良くは眠れない理由がまだまだ残っていた。
行方不明の生徒たちの安否、奇怪な崩落。
救出作業を続けている生徒たちは明日の朝どころか、気が済むまであの場を掘り続けるだろう。あるいは頭の冷えた誰かが一旦作業を止めて透視からやり直すかもしれない。透視魔法は確かに失敗もあるが、人体のような大きさの物を見逃すことはそうそうないのだ。理由はわからないが行方不明者はもうあの場にはいないと思う。行方を探すには捜索範囲を広げるべきなのだが、レイラに従う生徒もいなければシリカもいない現状では、レイラにできることはない。
宿舎の自分の部屋で、傍らの空のベッドを見る。やはりシリカ戻っていない。
朝にはレイラのベッドから出てくるのだが、一応就寝時は自分に割り当てられたベッドに居るのだ。
土の中に何かを見つけて戻らないのか、或いは戻ることが出来なくなっているのか。
魔人シリカはレイラの元に現れてから様々な限界を露わにした。弱点と言ってよいものかは微妙だが。
シリカにはあらゆる種類の魔法が効かない。一方でシリカ自身も魔法を使う事が出来ない。レイラが転送ゲートを踏んで過去へ飛ばされた時も自分だけは残ってしまったし、他者の傷を治す能力は舌で舐めることが出来なければ効果を発揮しない。地中へ潜ったり遠距離を一気に移動したり、魔法のような力を行使するがこれらは全て魔法とは異質の物だと言われている。前腕の毛が伸びるのもその一つで、恐らく脛の毛や髪の毛も同じように使えるのだろう。そして、毒も薬も効かない一方で毒でも薬でもない一部の果物には近づくだけで眠ってしまう。
矛盾。
シリカは矛盾の塊である。不老不死も含めてせめて魔力の上に成立していれば何とでも説明できるものを、魔力まで撥ねつけてしまうのでそれは成り立たない。毒と言えば化学反応である。成分が生体組織と化学反応を起こして破壊的な効果を発揮するのが毒、それが効かないということは化学反応に対して異常に安定した組織で構成された身体だということだが、果物の放つ香りという化学成分の影響を激しく受ける。
そしてレイラは今日も自分の抱える矛盾に悩む。
「どうして・・・こんなに事件が次々起きて原因もつかめていないのに、不安を感じない。私は皆を、シリカを心配していないの?」
他者の心配をしている時といえば、もっと胸がざわざわしたり変に緊張して眠れなかったり、思考が乱れたりするものだと思うのだが、今のレイラは通常通りだ。異常事態の連続、もしかしたら死者が出ているかもしれない。理屈ではそういう状況も考えられるのに、レイラの胸は至って平穏で、頭は普通に睡魔に呼ばれている。レイラを襲っている不安があるとすれば、行方不明者の安否より、自分がヒトの心を失っているのではないかという疑念だろう。
その不安さえもレイラにとっては平常運転のようで、考えているうちに眠ってしまった。
翌朝、レイラはかなり遅い時間になってから目を覚ました。
アイーシャが起こしに来てくれたようだが、反応が無いので諦めて先に行ってしまったらしい。
救出作業の現場は相当掘り進められてまだ数人の生徒が残っていたが、誰が見ても行方不明者はそこにいないのは明らかだった。そして昨夜のうちに方針転換があったようで、透視魔法を使える者たちが地上から広範囲の探索をしている以外は何かの作業をしている者はいなかった。工事を再開できないので生徒達は宿舎に戻って休んでいるようだ。
「おはよう班長。少しは眠ったの?」
「おはようございますレイラさん。」
椅子と長机を並べただけの簡易指揮所が作られていて、ミハルはその真ん中に座り、机には工事現場の見取り図が広げられていた。見取り図に丸が描き込んであるのは透視魔法で行方不明者を捜索した範囲のようだ。
「透視の使える人にはここより広い範囲の捜索をお願いしたのですが、未だ誰も見つかっていません。」
崩落が始まった場所はこれまでに掘った溝の先端に当たるところで、見取り図によると昨日のうちにこれまでの全工程の3割ほどが埋まってしまっていた。透視魔法は範囲を広げると深度が浅くなり、狭めると深くなるという性質がある。ミハルは透視魔法使いを升目のように配置して、一定範囲を本来の溝の底まで一斉に透視させていた。その1回分を1ブロックとして、透視魔法使いを1ブロックずつ移動させているのだ。ただ、透視魔法使いはこの現場に3人しかいないため1ブロックは大きくはない。捜索は捗っているとは言えず、崩落の開始地点に到達する前に魔力が尽きてしまうことは確実だった。
魔力が尽きても補充すれば・・・
あの儀式をやらせるのか?自分とベータみたいに?
「騎士団から魔力ポーションを送ってもらいました。」
「ああ、そっちね。そうよね・・・そう、あれを飲ませたの。」
人目を忍んでいるからこそあんな儀式もできるのであって、こんな場所で、しかも誰とやるかが超重要となるあんなことをやらせるわけがなかった。
「私の感覚がだいぶおかしくなっていたわね。」
「え?」
「いえ、何でも無いのよ、気にしないで。」
供与された魔力ポーションは希釈したレギュラー仕様で、癖のある味だがまあ飲める。当然効果も薄まるのだが、個人差はあるが1本で数ブロックから十数ブロックの透視が出来るようだ。ベータ(=レイラ)の魔力容量がいかに化物級であることか・・・
「実は昨夜、また崩落があったのですが、」
また崩落?現場はとてもそうは見えないが
「はい、それがものすごく奇妙で、救助活動で土を掘ったところの背後、見取り図で言うとこちら側に突然土の壁が現れて、それがこっちへ向かって広がったのです。」
「ええと・・・どういうこと?」
「つまり・・・」
昨夜遅く、必死の救出作業が続く中で再度崩落は起こった。だが、救出作業中の生徒たちの背後で発生したその崩落はほぼ垂直な壁をその場に発生させたあと、生徒たちから遠ざかる方向へ、前回の崩落の続きとなる方向へ向かって進行していったのだった。
「おかげで生き埋めなど新たな行方不明者はありませんが、埋まり方が奇妙過ぎて、これは明らかに普通の崩落や土砂崩れではありません。」
「そうすると、何者かの妨害工作?」
このまま誘導溝が完成しなければ魔法学園やその周辺に溶岩が到達し被害をもたらす可能性がある。魔法学園は魔法による防壁で護られているが、どの程度の量の溶岩が押し寄せるか分からないのは防御上の不安材料だ。溶岩と接触することで防御結界は消耗する。噴火が長時間に及べば結界が尽きるか、或いはどこかが突破されるかもしれない。
「それはどうでしょう。人為的に崩落させているのならもっと時期と場所を選んで確実に妨害できたはずです。」
「でもこの崩落は不自然なのでしょう?」
「不自然と言うより異常、この垂直な断面を見てください。まるで堰き止めたみたいに真直ぐです。人為的でなくても何かの力が作用していなければこんな風にはなりません。」
堰。そう考えると昨夜再発したという崩落の開始点がやはり垂直な壁だったというのは堰を開いたという感じだろう。
「ただ、地上の方は更に異変が起きていまして・・・」
上に上ってみると、レイラが昨夜見たように何もないはずの荒野に突然森が発生していた。
「別に変わった所は無いようだけれど・・・」
「これです。」
ミハルは木の枝を拾い上げた。枝打ちをしたかのようにきれいに切り落とされた枝が方々に落ちている。
「この木の上の方の枝が切られたように落ちているんです。それも、こちらへ近づくにしたがってだんだん低い位置へ移動しています。」
崩落と共に出現した森が見えない鋸に切られたようにだんだん低くなっている。
レイラも枝を拾ってみた。
斧やのこぎりで切ったのではない、なめらかで、何かとてつもよく切れる剣で斜めに斬りはらったような断面だ。そして、木々はこちらへ向かってだんだん低くなっている。
停止と進行を繰り返す崩落、崩落現場の不自然な端面と地質の変化、唐突に出現した森、剪定したように切りそろえられた木々・・・
「私たち、土壁に驚いたり行方不明者が気になったりして、現象の本質が見えていなかったのではないかしら。」
「現象の本質?」
「土ではなくて、いえ、土も重要だけれど、こっちを見るべきだったのかもしれないわ。」
「そういえば、最初の行方不明者は地上に・・・あの時も少し離れたところに森があって、地図とちがうので気になっていたのですが。」
「この森は、ずっと向うからこうやって広がってきていたんじゃないかしら。古いレンガを抜き取って新しいレンガをはめ込むように、元々あった地形を抜き取って・・・」
地形を抜き取って、別の地形を嵌める?
「交換現象じゃないの?!」
交通網を寸断、インフラ網を破壊して代わりにそれまで存在しなかった魔獣と言うべき生物や亜人を地球にもたらした異変。地上の一部が切り取ったように消失し、そこがそっくり別の、異世界の土地と入れ替わる現象。この現象により地球文明は崩壊し、出現した魔獣や亜人は人類の生存にとって脅威となった。だが、同時にもたらされた魔力が人類に反撃の力を与えた。争いと講和を繰り返した結果、魔法と工業技術が両立した現在の文明がある。
亜人と人類の交流によって情報を整理した結果、地球で消失した土地は亜人の世界に出現し、逆に亜人の世界の土地がそこに居た者と一緒に地球に出現していたことが分かった。
それが起こるきっかけや原因は一切不明だったが、土地や生物が入れ替わることから暫定的に「交換現象」と呼ばれるようになった。その後も現象の研究は続けられたが原因の究明には至らず、入れ替わり以外の現象が観測されなかったことからそのまま交換現象と呼び続けられている。そして、時が経つにつれて交換現象は頻度を大きく減らしていた。
「交換現象なんて、最後の記録は何百年も前ですが。」
だが、終息してはいなかった。
「人為的な妨害工作にしては間抜けなほど計画性が無く、一方で大規模で容赦が無くて、唐突に始まって唐突に止まる。異常だけれど自然現象という条件を満たす物、恐らく間違いないわ。」
「だとしたら・・・」
”ヴォッ”
レイラのすぐそばの壁が甲虫の羽音のように唸った。
背中に冷たいものが・・・それが冷や汗という物だとは後で振り返って思う事だ。
「急いで、すぐに皆を下がらせて!」
「はいっ!」
だが、レイラ達が居たのは一度交換された土地を更に掘った場所。危険なのはそこより戻った場所である。レイラ達は走った。何とかして警告を、1人でも多くを救わなくては。だが全速力で走ったとして壁の進行に追いつけるのか。
交換現象の先端が近くなると2人の頭上に木の枝が降り注いだ。
「レイラさんっ!」
「こういう事だったのね。」
交換現象はその範囲を狭めつつあった。木が切りそろえたようになっていたのはそこが現象の上限で、それが降下していたのだ。ここで起きている現象の終了が近いのだろう。上限は更に低くなる。
ということは、このまま走っていくと木の枝に混じって自分たちの首も落ちることになる。
土壁はミハルたちが掘った溝を逆行するように進行していた。このまま行けばやがて始発点まで到達して、そのほんの少し先には仮設宿舎がある。普段なら昼間は誰もいないが、今は昨晩夜通しで救出活動に当たった生徒たちが休んでいるはずだ。誰か起きていて異変に気付くだろうか。眠っているなら急いで起こさないと逃げられない。そんな考えがレイラの頭をよぎると
「あっ!」
降ってきた枝が脚に絡まってレイラは転んでしまった。
「レイラさん!」
「大丈夫!先に行って。」
立ち上がろうとしたが足首に激痛が走った。転んだ時に挫いたか。これでは追いつくどころか立つこともできない。
「なんてこと・・・」
だが、歯を食いしばって激痛に耐えながらレイラは立ち上がった。そして一歩踏み出した。
「!!!」
土壁の先端ははるか前方を移動中でもはや追いつくことは絶望的だ。だがここで止まるわけには行かない。
更に一歩、二歩・・・偶数歩目に挫いた方の足が来て全然進めない。しかも今までは迫ってくる壁から逃げるだけだったのでまっすぐ走れば良かったが、追いついて、追い越すとなったときどうすればいいのか。壁を追い越した瞬間、森の木のように身体を分断されてしまうだろう。横から回りこんでも同じことが起きるはずだ。進行する土壁の上から避難を呼びかけるしかないのだが、レイラはもう走れない。いや、土壁の後方にいた時点で詰んでいた。
「ぐっ・・・ぬ・・・」
公爵令嬢が出すような声ではない。
突然、レイラの身体が宙に浮いた。
いや、何者かに担ぎ上げられ、そして猛然と走り出した。
この速さなら壁の進行に追いつき、追い越すことも可能だろう。だが
「一か八か・・・」
「壁に追いついたらそのまま地面に潜りなさい。タイミングが重要よ。」
後方から迫ってくる気配に思わずミハルが振り向くと
「レイラさん?!」
「つかまって!」
追い越しざまに腕を掴んで釣り上げられた。そのままものすごい速さで突進していき、たちまち壁の先端に追いついた。
レイラは昨年の魔法実技試験以来2度目、ミハルは初体験。
突然どこからか現れたシリカは、動けなくなっているレイラを拾うと肩に担いで走り出した。説明されたわけでもないのにレイラの目的を理解し、実行していた。
「レイラさん!」
「このまま壁の前に出るわ。しっかり手を握って、絶対に離さないでね。」
「は、はいっ・・・ええっ?!」
眼前に地面が迫ったと思うと、水の中とも光の中ともつかない奇妙な空間に引き込まれていた。
「壁の進行には止まるタイミングがあるのよ、人が一歩ずつ進むように。その止まったタイミングなら安全に出られるはずよ。」
「レイラさん、これは一体・・・」
「落ち着いて、私たちは今、地面に埋まっているの。」
「!?」
埋まっていると聞いてミハルは反射的に息を止めた。その必要はないが、説明は後回しだ。
レイラの指示通りにシリカはタイミングを待った。そして
「ぶはっ!!」
周囲の景色が見慣れた色彩に戻った。土壁の前進はブロックを並べていくように進行する。次のブロックを置くまでの数秒間はそこは安定した壁であり、通り抜けても身体を分断されない。逆に、そのブロックの厚みの中に納まっていれば切断を回避できるのだった。
土壁は宿舎に接近していた。進行はもう少しで止まりそうだが、このまま宿舎の一部を削り取るかもしれない。
土壁を突破したシリカはそのまま宿舎まで走り、ミハルだけを降ろした。
「ひ・・・ひぃ・・・」
「大丈夫?」
「だいじょ・・・です、はひぃ・・・わ、しはなかのひ、に、しら、て」
ミハルのトラウマがよみがえったようだが、今はギリギリのところで彼女の義務感が上回ったようだ。このまま乗り越えられるかもしれない。だが、一度跳ね上がった動悸は急には治まらない。言葉が断続的にしか出なかった。
「わかったわ、そっちはお願い。シリカ、いままでどうしていたの?」
シリカは土壁の方へむかって無造作に歩いて行った。土壁の方もこちらへ向かって進行してくる。だが、その速度は明らかに遅くなっていた。
そして立ち止まると、土壁の進行もそこでピタリと止まった。
肩の上は狭いが、シリカが腿を押さえているので膝を揃えてならレイラは安定して座っていられた。
「やっぱり交換現象なのね。そうすると行方不明になった生徒たちも・・・」
シリカは壁に飲まれたのではなく、溝ごと異世界へ移動させられていた。溝のあった空間には代わりに異世界の土地が出現した。それが土壁の正体だった。
「あなたが異世界に転移?そんなことがあるの?」
シリカにも作用する転移、ということは交換現象は魔力的なものの作用ではなく、なにかもっと根本的な、量子物理学とかそっちの方面の現象らしい。魔法や熱力学的な力の影響を受けない一方で重力という制約は受けるというシリカの矛盾を解くカギは、案外この辺りにあるのかもしれなかった。
「みんな無事なのね?それは良かったけれど」
転移先の世界はシリカが発見した遺跡が元々あった世界だった。行方不明になった生徒たちは周囲の空間ごと交換される形で転移したため、向こうの世界に着いた時点では自分たちが掘った溝の中におり、命に別状は無かったらしい。
「その方法じゃあ、地面に潜れるあなた以外は普通に生き埋めで死んじゃうわね。」
シリカの帰還方法は実に単純だった。次の交換現象が始まるまで地中で待機して、こっちへ転移する土の中へタイミングよく飛び込んだのだ。シリカの能力なら他の生徒を連れて潜ることはできたが、転移直前の移動は常人の神経では追従できず、悪くすれば森の木のように身体を分断されてしまう。
「背負うとか抱きかかえるというのはだめだったの?」
「にゃ!」
シリカの好み次第で異世界から帰れるかどうかが決まるという地獄のような状況。
「にや~~~~~っ!」
「何よ、ちがうの?」
「れがぃ。」
そう言うとシリカはポケットから折り畳んだ紙を取り出した。
「異世界人に会ったの?それで私に?」
レイラは受け取った紙を広げた。異世界でシリカに遭遇した誰かからレイラに宛てた手紙だったが、どういうわけか見慣れた言語で書かれていた。
”緊急なので用件だけを手短に書く。今回発生した空間転換現象でこちらに転移した君たちの仲間は皆元気だ。この転換現象は急速に縮小しており、次の波で終息すると予想される。”
「・・・だんだん縮小しているとは思ったけれど、もう人が入れない大きさになりそうなのね。なら急がないと向こうにいる人が帰れなくなってしまうわ。」
”現状、転換現象が一種の時空通路のように作用してこちらとそちらを繋いでいると考えられる。現象の縮小と共に通路も縮小しており、来た時と同じ方法では戻れなくなっていると考えられる。”
次に交換現象が起きた時にシリカを向うへ送って残っている生徒たちを連れて帰らせようと考えていたのだが、このままだと全員を連れて戻るのはシリカでも難しそうだ。だが
”こちらは重要施設の一角が転換に巻き込まれてその対応に追われており、君たちの仲間を送り返す手段を準備する余裕が無かった。そのため時間的猶予が無くなってしまった事を心からお詫びする。異常個体が混じっていたが、彼女の言葉を信じるならば今なら彼女だけは自力で帰還できるというのでこの手紙を託すことにした。無事にそちらの責任者の手に届くことを祈る。”
「向こうは向こうで重要施設の建物が抉られて・・・もしかして遺跡のこと?古代どころか現役の建物だったってこと・・・」
”そちらに転移したこちらの施設は、出来るだけ速やかに破壊してほしい。特に重要な機材は含まれていないがそちらの文明に重大な影響を及ぼしかねない。こちらでは転送装置の修理が出来次第・・・”
一番大切な要件はその後に書かれていた。
「転送装置!破損した装置を修理して起動できれば、転移した生徒たちを全員送ることが・・・」
”君たちの仲間を送り返す算段で居る。時空通路の縮小が始まっているが修理までには充分時間がある見込みだ。ただし君たちの世界について情報が少なく、現状で転送を強行した場合時間、或いは空間座標が大きくずれる可能性がある。そこで、転送時の目標とするために双子の兄弟の一方を、次の転換現象発生時にこちらへ送ってもらいたい。異常個体と一緒に送ってくれれば最後の転送時に一緒に送り返せるだろう。”
「双子・・・」
咄嗟に思い浮かぶ顔は無かった。ミハルに訊いてみよう・・・いや、双子の生徒を連れて来て、一方に”今から異世界へ行ってもらいます。”と言って応じてくれるだろうか。だめでもやってもらうしかない、行方不明者の帰還がかかっている。だがなぜ双子の片方が必要なのだろうか。
「要するにそっくりな兄弟とか、血縁が特に濃い人ということかしら。」
人探しの魔法に近い原理なのかもしれない。捜索対象者の縁者の血液を少量採取して、似た血液の在処を探す魔法なのだが、高い確率で対象を発見できる一方で血液を扱うことが忌避されてこの魔法の取得者は少ない。
「でもそういうことならうってつけが居るわね。」
宿舎の撤収が完了し、あとは交換現象が起きるのを待つだけとなった。ミハルたちも土壁の到達予想範囲外へ退避していて、ここにはレイラとシリカ、それとベータとクリスタの4人しかいない。
レイラはシリカと共に土壁の前で待機している。
背後に仮面の人物が近寄ってきた。
「本当に大丈夫なの?」
ベータに仮面を被せてここへ来るよう仕向けたのはレイラである。異世界人の手紙を読んだ後、シリカを学園へ行かせて連れてこさせたのだ。クリスタまで呼んだわけではなかったのだが、ベータと親しくなったようで一緒についてきた。そのままの姿を見られるわけには行かないので、クリスタはシーラ貝を背中に移動させたうえでフードを被っている。
シリカを使いに出したり宿舎の撤収作業があったりで、レイラの足は治療されることなく放置されていたが、レイラは文句を言う事もなく、撤収作業中の医療班から痛み止めをもらって服用していた。痛みは抑えたがまともな治療をしていないので、あまり歩き回るのは良くない。
「私とあなたなら普通の双子以上に近いでしょう?転送装置の原理は知らないけれど、時空を超えた異世界への転送だと空間的な座標だけでは・・・詳しいことは忘れたけれど、出来るだけよく似た双子を双方に置くと空間が惹かれ合うみたいに通路が開くって。それなら私たちの方がそこらの双子より都合がいいはずよ。」
「ちゃんと、無事に帰ってこられるんでしょうね?」
「正直わからないわね。」
と、とんでもないことを笑顔で言うレイラ。以前に似たような経験をしているからか、多少の余裕があるようだ。
「シリカが預かってきた手紙には、転送装置は一度に一人ずつしか転送できないって。交換現象の持続時間はだんだん短くなっているけれど発生時間を正確に予測できない上、電源が不安定で待機状態にしておけないから・・・ここだけの話、全員が帰れるかどうかも確実ではないの。」
余裕など全然なかった。
「でもシリカが一緒に行くし、万が一戻ってこれないような事態になってもあなたさえいればこっちは大丈夫でしょう?」
そういうことだった。双子の片方を送り込むのでは万一の時行方不明者(或いは犠牲者)が一名記録される。だがレイラが戻れなくなったとしてもベータが居れば、実質レイラはいなくなっていないということになる。
「向こうに行っている間にどちらかが死んだらどうなるのかしらね。」
「そこよね。時空通路が閉じたらもう転送は出来なくなるわ。物体も霊的存在も通ることはできないから、そうなると私たちの間の因縁みたいなものも断たれるんじゃないかしら。」
「つまり、私とあなたはそれぞれ別の世界に生きるレイラ・ブラッドベリーになる、というわけね。」
「案外、帰ってこない方がお互いのためとか。」
「やめてよ(笑)」
「でも、その手紙の主って信じていいの?」
当然の疑問である。向こうにいる生徒たちがどんな扱いをされているか、こちらから知る術はない。もしかしたら手紙の内容は大嘘で、向こうにもこちらの生物教師のような者がいて解剖用の検体を欲しがっているだけかもしれない。
シリカをこんなに早く戻して寄越したということは、魔人や魔獣がさほど珍しくない環境という可能性もある。だが、転移魔法で生徒たちを送ってこない代わりに転送装置があるということは、魔法が発達していない文明の可能性もある。シリカから聞き出せた異世界の情報は限定的でそれ以上の事はわからなかったが、こちらと大差ない人類が住んでいるのだろう。
「でもシリカの能力で救出できない以上、信じる以外に方法は無いのよね。」
「こちらへ送り返されてきて、今度は土に埋まるなんてことにはならないでしょうね。」
「時空座標?の目標地点があなたになるから、帰還した生徒はあなたの傍に転送されるわ。あなたが埋まったり海に沈んでいなければ大丈夫よ。」
そんなやり取りをしているうちに
”ヴォッ・・・”
レイラには聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「始まったわ。」
交換現象は最初と最後はゆっくり、中間地点の転移が最も高速で行われる。宿舎の近くで停止していた土壁は今、ゆっくりとこちらへ近づくように拡大を始めていた。
「ん!・・・」
ベータは突然レイラにキスをした。そしてありったけの力で吸い始めた。
「んっ・・うっ・・・んぅ~~~っ!!」
レイラはベータを振り解こうとするが、後ろからクリスタに押し付けられていて離れられない。
土壁が到達するにはもう少し時間があったが、ようやく解放されたレイラは魔力の急激な消耗で立てなくなっていた。
「・・・ベータ!・・・あなた・・・」
クリスタの魔力が払底気味で魔力不足だったベータは、久々に満腹と言った表情でレイラの前に片膝をついた。
「黙っていたことは後で謝るわ。やっぱりここは私が行った方が合理的でしょう?」
「でも、あなた・・・魔力が尽きたら」
「それは私が同行しますので。」
クリスタが進み出た。
「あなたはちゃんとこちらに生まれた人類でしょう。それに種族を代表する使命だって」
「ぶっちゃけ、村から出て外の世界を見て回るのが使命の本質でしたし、私が居なくても家族は大丈夫です。こう見えてももう昆孫が居るんですよ。」
昆孫、孫の孫の孫である。子供のような見た目だがレイラたちよりはるかに年長なのだ。彼女の子孫は今何人いるのだろうか。
「だいたい、シリカ無しにどうやって行く気なの?」
「そこも私なら解決できますよ。伊達に長く生きてはいません。」
「というか、向こうへ行くだけならシリカ関係ないわよね?戻る時も。」
うまく言いくるめたつもりでいたのだが、さすが自分、誤魔化していたところはとっくにばれていた。
レイラは敢えて黙っていたのだが、元々この世界に存在しなかったベータなら、万一帰ってこられなくてもそれはベータが出現する以前の状態に戻るだけだ。更に、クリスタも行くのなら魔力の補充もできる。向こうの世界でなら2人は隠れている必要はないから、クリスタは今より効率的に魔力の回復ができる。レイラたちも2人を隠しながら暮らすという負担がなくなる。そしてなにより、ベータが異世界へ行ったままになると彼女の消滅時に記憶の統合が起こらない可能性が高い。
レイラはそれを知った上で敢えて自分とシリカが行くことにした。公爵令嬢レイラ・ブラッドベリーとしての義務感、というより、自分のために誰かを犠牲にするくらいなら自分が身代わりになってその誰かを助けようと考えるのがレイラだった。だがそれはベータも同じで、レイラから今回の計画を聞いた時、既にこうすることを決めていたのだ。
シリカがレイラを抱き起した。そのまま後方へ連れて行こうとする。魔力の急激な消耗は貧血に似た症状を起こし、自力ではまだ立てそうになかった。
「あなたもそっち側だったのね。」
非常に珍しい事だが、シリカがレイラを裏切った。レイラの安全を最優先にした計画としてベータに説得されたのだろう。
こうなってしまってはもうベータたちに任せるしかない。
「必ず戻るのよ。犠牲になろうとか考えないで、最後の瞬間まで無事に帰還することを考えること。」
「当り前でしょう・・・」
ベータはレイラを自分の陰になるようにローブで隠すと、仮面を外してレイラに着けさせローブもレイラに被せた。制服を着たベータはレイラと区別がつかず、遠目には何が行われたかわからなかった。
クリスタもシーラ貝を元の位置に戻し、フードを脱ぐと遠目にはシリカに見えた。
”ヴォヴォヴォ・・・”
土壁が迫ってきて、シリカはレイラをつれて宿舎へ退避した。そして宿舎の反対側から出てきたときにはシリカは更に別の人物と入れ替わっていた。
「大丈夫ですか?レイラ様。」
「あなたこそ、身体は大丈夫なの?」
「レイラ様が無茶をなさると聞いては黙っていられませんから。」
フードを被ったステラはクリスタと同じ背格好に見える。レイラに無茶をさせないための計画と聞いて、ステラも賛同し協力していたのだった。
どちらが手を伸ばしたというでもなく、ベータとクリスタは手を繋いでいた。なんだかんだ言ってレイラはかわいい女の子が好きで、ベータにもおなじ嗜好が見られる。それを差し引いてもこの状況では誰かの手を繋ぎたい衝動に駆られるだろう。土壁はもうそこまで来ている。このまま立っていれば、土壁と入れ替わるように異世界へ移動できるはずだ。
「悪いわね、こんなことに付き合わせて。」
「未知の世界なんて望むところですわ。」
退避中のレイラはその姿を見ることはできなかったが
「ちょっと待って。これだと2人のどちらかは戻れないんじゃないの?!」
ステラは無言で歩を進めていた。
「止まって、戻して!あの2人は帰ってこないつもりよ!」
レイラの方を向かずに答えた。
「ベータ様ご自身は計画をやり切るご意志でいらっしゃいます・・・ただ、万一の時はどちらか一方が残るより、2人で残った方が良いだろうと。」
「あなたはそれを知っていて・・・」
「申し訳ございません、ベータ様はレイラ様そのものでいらっしゃいますので、命令されると従わざるを得ませんでした。」
時空転送装置の作動原理はわからないが転送に必要な時空通路は縮小しつつあり、電源の問題もあって生徒たちの転送終了後にレイラを転送できるかは不確実だった。クリスタは普通の転移魔法しか使えないはずだから結局時空転移装置で帰ることになるのだが、それがベータの帰還に影響するようなら迷わず残るだろう。行かなければいい、とはいかなかった。大恩あるレイラのためにも、クリスタ個人としてもベータを一人にしては置けないと感じていたのだ。
「シリカは?どこにいるの?」
レイラをステラに引き渡した後、一緒に来るかと思ったがどこかへ姿を消してしまった。
「姿を見られないように地中から寮へ帰る、という手筈でしたが・・・」
ステラもシリカのやりそうなことがなんとなく想像できた。
「もう・・・クリスタと一緒に居るところを見られたたらどうするのよ・・」
恐らく、シリカはクリスタを連れて一か八かの帰還を試みるつもりなのだろう。より小柄なクリスタならシリカと一緒に最後の交換現象に乗ることができるかもしれない。そのために向う側へ行ってしまったのだ。
「レイラ様、ご心配でしょうがお急ぎください。」
後方で仮設宿舎の建物が一階部分をもぎ取るように交換されてバラバラに崩れていた。土壁の速度は随分遅くなっていたが、安全地帯まではまだ走らねばならない。
今は3人を信じて待つしかない。
レイラはステラに肩を借りながら可能な限りの早さで走った。
行方不明者の帰還が始まったのは交換現象が一時的に収まってからすぐの事だった。初期に比べると大分低くなった土壁の前でレイラが椅子に座って待っていた。やがて目の前に1人の生徒が出現した。地面より若干高い所に出現したためよろけてレイラの方へ転がってしまったが、その時の打ち身以外に特に外傷などは無い様子だった。向こうで説明を受けてきたらしく、転送されてきた生徒は出現するとすぐにその場から離れた。そうすることで次に転送されてきた生徒と衝突することを避けたのだ。
帰還した生徒はすぐに後方のテントへ連れていかれた。簡単な健康診断をするためだが、そこへたどり着くまでに出迎えの友人たちに囲まれてしまい、テントの手前で人だかりになっていた。ミハルたち騎士団員と管理部門の生徒が声を張り上げて誘導しているが、この状況を落ち着かせるのは難しいだろう。
転送はレイラを目標にしてその手前に落ちるように行われたが、レイラが椅子に座ってふんぞり返っているところに生徒が1人ずつ出現しては転ぶというのはなかなか奇妙な光景だった。
崩落、交換現象による行方不明者は最終的に20余人に上っていたが、既に10人ほどが帰還を果たし友人と再会を喜び合っている。あと10数人。だが、転送されてきた生徒達が帰還を喜ぶ前に不思議そうな顔をするのをレイラは見逃さなかった。
(仕方ないわよね。)
帰還した生徒たちは向こうでベータに会っているのだ。そして彼女をレイラと信じていたら、こっちにもレイラがいたので不思議に思うのも当然だ。
「レイラ様。」
「大丈夫、こういう状況も想定済みよ。」
後ろに控えていたステラが心配そうに声をかけたが、レイラは表情を変えることなく答えた。この状況を想定した上でどんな対策を考えているのか、それはベータたちと共有しているのか。
少なくともステラと共有していない時点で御察しなのだが、ここへベータが現れた場合、帰還者に加えてこの場にいる大勢の生徒や城下町の人々に姿を見られることは避けられない。レイラが2人居る状況をどう説明するか。
「レイラ様、最後の生徒が・・・」
最後の行方不明者が無事帰還した。これで判明している行方不明者は全員帰還した状況だ。
次はベータの番だ。
だが、待てど暮らせどレイラそっくりな少女は現れなかった。
テント前の人だかりも徐々に引いていき、いつしかそこにはレイラとステラ、ミハルと少数の生徒だけになっていた。その生徒達も異世界へ行ったはずのレイラがここにいることを不思議に思っていたが、その説明をされることなくテントを撤収して引き上げていき、最後にレイラとステラの2人だけになった。
転送装置による帰還者はそれ以上送られてこなかった。
「レイラ様。これ以上はお体に障ります。」
「まだよ。次の交換現象まで待たないと。」
シリカがクリスタを連れて帰ってくるならその時だ。ベータも必ず帰ってくる。
確かに、ベータが言ったように彼女たちは向こうに行ったままの方が双方にとって都合が良いことは間違いない。だが、根本的な解決を目指すことなく厄介払いをしたような形で終わるのはレイラのプライドが許さなかった。同じくらいにベータは自分を犠牲にしてレイラを護ろうと考えるだろうが、帰ると約束した以上、それを最優先するはずだ。自分なら・・・果たしてどうだろうか。貴族としての教育の賜物で、弱者を護ろうという意識が強すぎるのだ。
ステラの方を振り返ってみた。目の前の壁を凝視していたが、こちらに気づいて
「せめてもう少しお下がりになりませんか?ここだと壁に近すぎます。」
ステラも3人のことが心配なのだ。彼女にとってベータたちはレイラを騙すという反逆的行為に及んだ共犯者である、短期間に強い絆で結ばれたにちがいない。
「そうね、終息線まで下がりましょうか。」
随分低くなった壁を見ると、次の波で今回の交換現象は終息しそうだ。
交換現象の終息するラインは予測が出来ていて、レイラ達はそこまで後退することにした。予測された終息線までは50メートルも無い。
”ヴォッ・・・”
「レイラ様!」
「始まったわね、走るわよ。」
ようやく治療を受けることのできた足で、レイラは全速力で走った。50メートル程度なら数秒しかかからない。その背後では
”ヴォッ・・・ヴォッ・・・”
「レイラ様。」
「終わりが近いから区画単位の交換も遅くなるのね。」
それでも2人は終息線までは走ることを止めなかった。交換現象はほとんど解明されておらず、まだ何が起きるかわからないのだ。
終息線に到達した2人は立ち止まって振り返った。土壁はほとんど無くなり、地上部分は森と言うほどの植生も無かった。
だが、目の前で起きている現象はそれだけだ。
(どうしたのよ・・・)
「・・・」
(早く出て来なさいよ!)
「・・・レイラ様。」
土壁は終息線に到達して消滅した。
ステラは終息線に駆け寄り、膝を着いた。地面に動きはない。誰かが穴を掘って出てくるような気配もない。
「そんな・・・、レイラ様。」
ステラが振り返ると、レイラは何も答えずそこに突っ立っていた。
現状が信じられず、ステラはもう一度終息線の向こうを見た。端から端まで目を走らせ、変化が起きている場所を探した。だが、どれだけ探してもそこはただの地面だった。
「レイラ様っ。」
ステラは再度振り向いた。
「しっ・・・静かに!」
レイラはただ突っ立っていたのではなかった。
辺りが静かになると、小さいが奇妙な音が聞こえてきた。
”ズゾ、ゾゾ、ゾ・・・”
と、何かが這うような音が、地面の下からしていたのだった。
その音はレイラの足元を通り過ぎて、徐々に遠ざかっていくようだった。
”ゴッ!”
「きゃあっ!」
地中から聞こえてくる音に気を取られていたレイラは、突然降ってきた物体に後頭部を蹴られそのまま圧し潰された。
「ベータ!」
「・・・ただいま。ちゃんと戻ったわよ。」
そしてさっきまで音がしていた地中から
「ぬぉう。」
「戻りました。」
「シリカ!クリスタ!」
それ以上は言葉にならなかった。
レイラは3人を抱き寄せて大泣きに泣き始めた。




