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よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


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第18章「レイラベータ」

「こっちのレイラが本物、こっちは転移魔法によって生まれた残像のような物だ。」

 アランが即座に断定した。具体的には浴室にいる方のレイラが本物で、ステラをベッドに誘っている方が残像である。


「そんなはっきりわかるものなのか?」

「魔力量が全然違うね。」


 中庭から持ってきた宝珠を二人のレイラに順に持たせてみると、魔力に反応して光る宝珠の輝き方が段違いだった。

 他には、単純にシリカが付いている方が本物とも言えた。


「まさか転移魔法をやってしまうとは思わなかった。転移の移動距離が短すぎると通路の入り口と出口が重なってしまって残像が生まれることがあるんだ。今回のように徒歩で移動するような距離で転移するのは絶対に避けた方が良い。」

「申し訳ありません、私としたことがつい、夢中になってしまって・・・」


 それぞれ部屋着に着替えたレイラが2人並んで正座していた。

 緑を着ている方がいわゆる本物、ピンクを着ている方が残像である。先ほどまでステラを巡って優位を主張し合っていたのだが、どちらが本物か決着が着くと、意外に互いに他方を慮って大人しくなってしまった。


「しかし、転移の残像ってこんなにはっきり、というかまるで分身だな。」

 ディーンが感心しながら言うと


「移動距離に対して注がれた魔力量が過剰だったのと・・・」

 アランはディーンとバローを交互に見て

「直前に干渉があった影響も出ているな。」


「干渉?」

「お前たち、何か余計なことを考えていただろう。」


「入浴か?」

「就寝ですかね?」


「そうだ。それがそのままレイラの行動になっていただろう?」

「いや待て、俺は何もあいつと・・・なぁ?」

「そうですよ、あちらのお嬢さんならともかく。」


「だから、2人のレイラの一方はステラと入浴、もう一方は同衾しようとしているんだ。」


 慣れない転移魔法で魔力量が急に減ったところへ妄想込みの魔力を被せられられたことが直後の行動に影響したということか。一種の催眠術と言えるかもしれないが

「まさか、そんなことがあるのか?」

「・・・そう考えると妙に辻褄が合うからビックリなんだが。」

「え?」

「・・・兄上ぇ。」

 アランが真顔で言うと冗談に聞こえない。だが昨年の夏、召喚魔法の練習をしていたレイラがステラを召喚してしまった時も丁度こんな感じではなかっただろうか。繊細な魔法を扱う時に野次を控えるべき理由がここにある。


「まあ冗談はさておき、普通なら数秒から数分で魔力が切れて残像は消える物だが、もうかれこれ1時間になりそうなのに消える気配が無いのは元の魔力量が大きすぎるからなのかな。この様子だと数時間か、ことによると数日はこのままかもしれないからそのつもりでいてくれ。」


「そのつもりで、といわれましても・・・どうしましょう、ねぇ?」

「ねぇ?」


 2人のレイラは互いに顔を見合わせた。互いの手を取って、まるで生き別れた双子の姉妹のようだ。


「何か不都合が無ければ、自然に消えるまでこのまま・・・かな。魔法を使わせて消耗させれば消滅を早めることもできるが・・・」

 アラン殿下と言えどもそんなことはさせませんことよ、とばかりに緑のレイラはピンクのレイラを自分の後に隠した。


「なあ、取り敢えず危険は無いとして、どっちもレイラっていうのはややこしくないか?」


 ディーンは残像レイラに識別用の名前を付けることを提案したが

「却下よ。どっちも私自身なんだから、レイラ以外の名前なんてあり得ないわ。」

「ですがレイラ様、ディーン殿下の仰ることももっともです。名前は一人に一つだからこそ意味がある物だと思います。」

「「ステラまで・・・」」

 異口同音。2人のレイラは同時に同じ言葉を発した。実は先ほどからこういう現象が多発していて、まるで本当の双子のようだ。


「そうだな・・・元は同一人物としても、今の服の色のように時間が経つにつれ差異は生じる物だと思う。短い付き合いになると思うが、不満の無い範囲で自分に適当な名前を付けてくれないだろうか?例えば「レイラ」の後に何か接尾語を付けるとかどうだろう?」

「接尾語、ですか・・・」


「普段はレイラ”様”ですから、残像の方はレイラ”殿”とか?」

「事情を知らない者には同じに聞こえるんじゃないか?もっと明らかに異質な感じがいい。」

「俺たちは単にレイラとしか呼んでないし、ズバリ”残像レイラ”で良くないか?」

「ヒトとしての格が低いみたいな言い方は良くないだろう。」

「そういう兄上は何か案があるのか?」

「・・・どちらもレイラにしか見えない。正直どうすればいいのか困っているところだ。」


「ダヨー」とか「っち」とか案は出るが、あだ名レベルを脱却できなくては2人を区別することはできないだろう。一方「2号」、「コピー」ではヒトに付ける名前としてあまりにひどい。


「本人は何か案はないか?自分の事だしこういう呼ばれ方は我慢できないとかの要望でも。」


 どちらのレイラもこの状況を深刻なものにしたくはなかった。折角だから1人でできないことをやり尽くしてから消滅しよう。手始めに

「それでは殿下、畏れながら・・・」


 ピンクのレイラがアランの前に進み出た。

「私こと、残像レイラは・・・」


 これは何か悪戯を仕掛ける時の目だ。

「第二の、を意味する文字を付けてレイラ”ベータ”と名乗りたいと思います。」

「ベータ・・・」

「はい、「第二の」を意味する文字でございます。お気軽に「ベータ」とお呼びください。」

 わざわざ強調するということは、確信犯だ。


「わかった、それでいいだろう。皆もわかったな?」


 返事の代わりに、その場にいた面々が笑いをこらえている。

「兄上、いいのかそれで?」

「本人がそう言っているんだし、理由も納得できるだろう?」

「本当か?」


 アランの顔もちょっと緩んでいるというか、複雑な顔になっていた。


「ベータ」は2番目を表す語としてポピュラーだし、アラン自身が自分の翼竜に付け馴染んだ名前だった。

 ピンクのレイラは自分にアランの翼竜の名前を付けた。跨乗することもある翼竜ベータ―の名前を。


 何日間になるかわからないが、レイラそのものの少女を自分の召喚獣の名で呼ぶことになる。アランにとっては羞恥プレイに嵌められたと言っても良いだろう。


「そうだ、なにか見分ける目印になる物が必要だな。」

「名前だけ変えても本人が違う名前を名乗ったらわかりませんものね。」

「「ちっ。」」

「ん?」


 レイラズは何か企んでいたらしい。


「取り敢えず、本物の方にはこれを嵌めていてもらおう。」

 アランは自分の指輪を外してレイラに差し出した。騎士団員であることを示す身分証でもあるが、さすがにアランは顔パスが効くので嵌めていなくても不便を感じることは無い。


「あら、嵌めてくださいませんの?」

「入団試験は通過したのかい?」


 そう言いながらもレイラの右手を取ると、指輪に人差し指を通した。

 期待していたのと違う指に嵌められてしまったレイラは溜息をつきながら、自分に合わせて指輪が大きさを変えるのを見ていた。


「ベータの方に付けると消滅したときに指輪の行方が分からなくなりますものね。」

「あ~あ、私も欲しかったですわ、指輪。」

 何ももらっていないベータまで同じように溜息をつくのは奇妙な同期だった。


「そういえば・・・ベータが消える時は何か予兆とか、注意することとかあるんですか?」


「体験者の話だが、特に前兆とかはなく、視線を外して戻した時には消えていたそうだ。目撃者によって消える瞬間の姿が違うとか、色々言われているが、注意するべき点としては・・・」


 アランは立場上高官が転移をする場に何度か立ち会っている。残像の知識もそうした場で聞いた物だ。

「しては?」

「消えるまでに蓄積した記憶は本物の方にも転写され、その期間の事を思い出そうとするとひどく混乱するそうだ。」


 一口に混乱するといっても程度は様々だが、具体的にはどんな感じなのだろうか。


「同じ時間に二種類の体験をした記憶が出来るというのは思いのほか疲れる。それは残像の存在した時間に比例して重くなるらしいが、最長どのくらいの記録があるのか・・・短い時は本当に一瞬自分の背中を見たとかその程度だが、それで驚いたわけでもないのに脈拍が乱れてあわや心停止というところだったらしい。君もそれなりに覚悟を・・・」


 ここに居る面子の中で、転移残像の知識があるのはアランだけだった。したがって彼が知識と記憶を総動員して慎重に決断するべきだったのだが、レイラベータがあまりにも自然にそこに居るためつい呑気に話し込んでしまった。


 残像と確認できた時点で一刻も早く始末するべきだったのだ。


 アランの知る過去の事例では、残像が1、2分存在しただけで消滅時に本体が受けるショックは生命に危険を及ぼすレベルだった。目の前に居るレイラの残像はたっぷり1時間以上存在していて、周囲の人、なんなら自分自身とも会話している。もし今この瞬間に残像が消滅した場合、レイラの精神が受ける衝撃はどれほどのものになるか。


「そうか・・・私としたことが、ステラを元に戻せたことで舞い上がってしまって、変化する現状に対する対処ができていなかった。すまない、レイラ。」


 アランは過去一申し訳なさそうな顔でレイラの前に跪いた。

「「そんな、頭をお上げください殿下。」」

「無理するな兄上。残像だとしても兄上にこの女が殺せるか?絶対無理だ。」

「しかし、私がすぐに行動していればレイラにこんなリスクを負わせることは・・・」


 実際、不可能と思われた石化からの回復が成功した直後でもあり、健康そうなレイラが1人増えていたところでその重大さにその場で気づける者はそうはいないだろう。せめて身体の具合が悪くなるとか邪悪な表情を見せているとか、異状があれば良かったのかもしれない。


 今レイラベータが消滅すると、記憶が統合された時の衝撃でレイラは良くて廃人、最悪ショック死する。そして、そのリスクを減らす方法は今のところない。



「横からすみません殿下、そのぉ、記憶の混乱を防いだり症状を抑えたりはできないんですか?」


 関係者のような顔でその場に居るバローを、もはや誰も不思議に思わなくなっていた。

 アランは少しの間考えるような顔をしたが

「そうだな、今この場でベータを処分するわけには行かないならば、なるべくベータを部屋から出さず、できれば睡眠薬か何かで一日中眠っていてもらうくらいか。夢を見た記憶も増やさないように、薬や環境を調整する必要があるが、あとは、ベータが消滅しないように魔力の補給を欠かさないことだな。」


 ベータを処分。転移魔法使用時の事故で出現した彼女はいわゆるレイラ本人ではないことが確認できている。つまり、ベータは生命ではなく現象であり、法的には人権も何もない。だが、彼女が感じた苦痛も快楽も、確かな記憶として最終的にレイラがまとめて受け取るため、ベータを不快な環境に閉じ込めることは避けた方が良いだろう。そしてベータを生かし続けながら、できるだけ急いで解決法を見つける必要がある。


 言い終わったアラン、質問したバロー、聞いていたディーンとステラが一斉にレイラズの方を見た。


 出現直後からレイラとベータはそれぞれ異なる行動を取り、識別を意識して異なる色の服を選んで着替えていた。


「なんとぉいうか・・・詰んだ?という言葉がこれほど似合う状況というのもなかなか無いですよぉ。」

「ここは前向きに考えよう。ステラの石化だってどうにか解除できたんだ。それに比べれば、今の状況は現状を維持できれば誰も犠牲にならない分だいぶマシだ・・・ん?どうかしたか。」


 珍しくシリカがアランの裾を引っ張って注意を引いていた。

「何か話があるようですね。私・・・ではなくて、ステラのこと?」



 翌朝、出張に行こうとした生物教師はシリカに捕まり、レイラの部屋に連れてこられた。


「まあ、君の事だから今更ではあるが、危険なことに挑戦する前には相談してくれたまえ。」

 2人のレイラを前にして、生物教師はもううんざりという顔だった。


 ステラの石化が解けるまでの経緯について一通りレイラズから説明を聞いたが、2人が同時に同じ言葉を発するとまるで双子の姉妹を前にしているかのようだ。


 さすがにアランたち男衆は帰った後だったが、騎士団の中からレイラと関りのある女性を選抜して部屋を警備させている。ベータが消滅した際には直ちに医局に通知し、必要であればレイラに心肺蘇生を施すための訓練も受けている。


「おはようございます。」

「ぉ、おはようございます。」

 ステラも大概早起きだが、連絡役の彼女も負けず劣らずだ。それとも徹夜なのだろうか。ベータがいつ消滅するかわからないので四六時中見張る必要があるといえばその通りなのだが、元々声が小さいのか、早朝だから抑えているのか、この騎士も朝は強くなさそうである。


 彼女に朝食を提供するステラの態度はどこかよそよそしい。

 騎士が顔の上半分が隠れるような仮面を着けていて、それで隠したつもりになっているのがかわいい、というのではなく、実は見知った顔なのだが、彼女が本来ならここに居られるはずがない大罪人だからである。

「ぁ、あのっ!」

「はい?何でしょう。」

 そっけなく応じるステラ。


「ぁ・・・あの時は本当に、申し訳ありませんでした。私、ちゃんと周りが見えていませんでした。」

「はぁ、どうぞお気になさらず。アラン殿下のお決めになった事なら、私たちも粛々と従うまでの事です。」

「はぃ・・・申し訳ありません。」


 冬期休暇中の魔法学園を騒然とさせた連続生徒襲撃事件。

 平民出の生徒が貴族出の複数の生徒を病院送りにしたため、逮捕された犯人は身分制度に対する反逆者として本来なら十年程度は牢獄行きである。だが、その素質をアランに見いだされ、またそれまでの学園内での生活態度も加味して更生の余地ありと評価され特赦を受けたのだ。王家の命令で赦すことになったため、彼女の家族は周囲からの差別的な扱いが無くなって大いに助かっただろう。


 ただ、罪の内容が内容なので復学は叶わなかった。騎士として学園内の詰所で寝泊まりすることになるが、ほとんど外出もできないだろう。騎士団内の座学会に参加しながら卒業資格の取得を目指すことになる。


 仲の良い友人がいたはずだが、確かアイーシャとか言ったか、彼女に対してはどうするつもりなのだろうか。騎士が図書館の資料を借りに来ることは珍しくないし、下っ端の彼女にはそういう仕事が振られ易いだろう。再会してしまったとき、ちゃんと説明ができるのか。


 昨夜、アランから紹介された時のレイラは

「アラン殿下が許すとお決めになられたなら、我々臣下はその決定に従うだけでございます。」

 と答えたが、レイラ個人の感想がどうなのかは明言していない。たとえレイラが許しても、彼女を傷つけようとしたことをステラが許すはずがない。だが、そのときのレイラの一言が頭を離れない。


「ミハルが見張るのね、わかったわ。」


 ステラが笑いを嚙み殺す音が、ミハルには何に聞こえていただろうか。



 一方、レイラの部屋では生物教師がうんうん唸っていた。


 現状、石化状態で帰ってきたステラはすっかり元通り、逆に彼女を治すために魔法を使ったレイラは暴走した挙句、出現した残像と同居中。

 これだけでも二つの危険な状況が進行中であることを、レイラに伝えるべきか。


 ステラは元に戻ったように見え、アランの立てた計画の通りの結果になっていると言って良い。


「まずいくつか確認しておこう。手順は単純で、君たちは石化状態のステラを寮から中庭へ召喚、その時のステラは石化のままだったが、身体に付けられた傷が治っていた。」

「はい。」

「そして、そのまま通常の手順でこの部屋へ送り返したら、石化が解けた。」

「はい。」


「ところが、その石化の解除には魔人が関与している、と。」

「治してはいない、と言っていましたが、腑に落ちない点もありまして。」

「どう見ても治っているようにしか見えないが、我々では診断できない何かがあるということか。」

「でも、現にステラは治って・・・」

「いや、そこなんだが・・・石化したステラは石化したステラなんだ。ヒトじゃなく。」

「ヒトじゃないですか?」

「その通り、ヒトじゃなく精巧な石像なんだ。召喚した時点で石像なら、送還すればここには石像として帰ってこないとおかしいじゃないか。」


 至極当たり前の事実を突きつけられてレイラは絶句した。

 あの時はアランの発案を名案だと思った。その結果元通りのステラが戻ってきて有頂天になった。生物教師の一言でずっと気にかかっていたもやもやが晴れた。そうだ、この現実はおかしい。

「アランの理論通りに解釈するなら、万全を期すためには宝珠は保存内容を複写した新品を使うべきだし、召喚魔法も送り返すだけの片道で試すべきだった。」


 片道召喚、それも帰す方だけというのはなかなかに高度な事をしなくてはならない。


「それじゃあ、今のステラは?」

「魔人が介入して召喚魔法で何かをしたのだろう。本来石像としてここに転送されてくるはずだった彼女にヒトの身体を与えたとか、ちょっと常識では考えられないことが起きたようだ。」

「そんな・・・」

「だが今は現状の彼女を受け入れるしかない。君とこの寮に入った時のステラにはもう戻せない。ただし、個人的な感想を言わせてもらうなら、襲撃を受けて意識がなくなるまでの記憶を持っていたのだし、身体が何でできていようと本質は彼女その物なのではないかね。」


 生物教師が謎のフォローを入れてくれた。

「実際、ステラは治っているように見えるが、このままにしては置けない、と。」

「意味はよくわかりませんでしたが、確かに、シリカは今のステラはヒトではないからとかどうとか言っていましたわ。」


「ヒトではない、か。ぜひともステラの身体を調べさせてもらいたいところだが、今は急用がある。ひとまずシリカのしたいようにさせて様子を見るしかないだろう。」


 当のシリカはその場に、レイラと生物教師の間にいたのだが、特に否定も肯定もしなかった。ここでシリカが自発的に答えないのは、何かを隠していて、それが言いにくい内容を含んでいるという事とも取れる。



 レイラの必死な顔を見て思わずフォローを入れてしまったが、生物教師には一つの心配事があった。


 召喚魔法によって召喚対象にされた者(物)は出現した転移門に吸い込まれるように消え、召喚者側の転移門に出現する。この転移門という名前が誤解の元なのだが、今更変更するには広く知られ過ぎてしまった。


 召喚魔法で実際に起きていることは対象の移動ではない。

 召喚対象は一度その身体を消滅させられ、その際に読み取った情報を元にそっくりそのままの存在が召喚者側に生成される。つまり、実際には誰も移動しておらず、その意味において「門」と呼ぶのは適当ではない。元の世界に送還される際も同じことである。使役中に受けた傷などが治っている件についてはアランの解釈で合っている。


 この解釈で行くと、今のステラは昨日の夕方誕生した複製で、石化していたのもレイラが失敗召喚をした時に生まれた複製、レイラと長年ともに暮らした親友は最初の召喚の時素粒子の状態まで分解されて消えてしまっていることになる。


 しかし、これでは対象者が送還前後で連続した記憶を持つことの説明がつかない。


 これは召喚獣が召喚者に対して親密度を増していく現象からも確認されている。解明には至っていないが、召喚者と召喚獣は密接なつながりがあり、同種族の別個体を召喚することは通常起らない。


 召喚魔法の使用例を増やせば、そのうち記憶に断絶のある召喚獣が現れるかもしれない。魔法学園が召喚魔法を熱心に教える理由は実はこんなところにあったりする。魔法学の世界では生物教師のような心配をする者は少なくなく、圧倒的な使用実績を積み重ねることで召喚魔法の安全性を担保しようとしているのである。


「私もなるべく早く戻るようにするから妙な動きは控えるように。」

「妙な動き・・・」


「ああ、魔法を本来とは違う目的に使うとか、感情のままに突進するとか、普段君がやりそうなことだ。」

「・・・おとなしくしていろと言う事ですね。」


「まあそういうことだ。それと残像の君のことだが、アラン殿下の意見に私も賛成だ。既に半日経過しているというが、この状態で統合が起きると本体である君の精神に深刻な結果をもたらすことは間違いない。積極的な解決策が見つかるまではそうして寝かせておくしかない。」

「ですが、残像は自力で魔力を回復できないと聞いています。何か有効な対策は無いでしょうか。」

「それについては君から魔力を供給するのがいいだろう。足りなくなってきたタイミングで、寝る前か起きた直後に・・・」


 まるで花粉症の薬か何かのような扱いだ。


 生物教師が魔力の効率的な供給法を箇条書きにしてくれたが、レイラ自身が行うという前提でかなりえぐい方法を提示され、こんな状況でなければスリッパでぶっ叩いていたことだろう。

「君の魔力を漏らさず注ぐならこれらの方法が最適だ。」

「・・・本当にこんなことを?」

「そうだ。それぞれ一長一短があるから、状況に応じて使い分けると良いだろう。」

「・・・わかりました、さっそく今日からやってみますわ。シリカ、先生を駅まで送って差し上げて。」

「助かるよ。くれぐれも、おとなしく待っていてくれ給え。」



 そしてその日の昼前、寮の地下で密かに活動する一団があった。

 ここはレイラの部屋の下、レイラが物置として使っている部屋の更に下。ベータのための玄室を構築していたのである。だが、2階のレイラの部屋を模して作ったその部屋は必要以上に広い。それはクリスタの隠れ家も兼ねているのであった。


 ミハルの魔法は土や石に関する物に適性が高く、工兵として極めて有能だった。

 寮の地下は圧し固められた土だが、ミハルはこれに穴を穿つと、除けた分の土を更に圧縮して石壁や石柱を作り出し、頑丈な小部屋を出現させた。中庭の地下通路も同じ工法で作られていて、非常に頑丈なうえ年間を通して気温や湿度が安定しているためかつての犯行現場は現在は貯蔵庫として活用されている。

 この能力を使えば最前線に頑丈な拠点を設置したり、橋をかけたりと応用は無限大だろう。


 地味で暗いイメージの少女は、アランに見いだされたことで重大犯罪者から一躍英雄の一角に名を連ねそうな役に封ぜられたのであった。


 その一方で

「私だけこんなことでいいのかしら。」

「ベータ様、申し上げにくいのですが、ベータ様が現れて既に半日が経過しております。転移魔法の残像としては驚異的な存在時間ですが、いずれレイラ様と記憶を統合するときに備えて記憶をなるべく空白に近い状態にしておく必要があります。」

「それはそうだけれど、皆が忙しくしている時に私だけ寝ているというのはどうにも合わないわね。」


 しかも、ただ眠るのではなく薬物を使って人工的に昏睡状態になるのである。これはあまり気分のいい物ではない。消耗する一方の魔力は定期的に、レイラが補給に来ることになっている。


「魔力の補給って、レイラが来られない時はどうするのかしら?」

「はい、その場合はレイラ様同様に魔力が多い私が代わりに勤めさせていただきます。」

「そうなの?、まあエルフだし・・・って、あなた変な事考えてない?」

「そんなことありませんよ、実に適切な人選だと思います、色々と。」


 それは、獲物を狙う野獣の眼だった。


 隠れ家は地下にあるため窓は無く、急ごしらえのため家具も椅子と机とベッドが二つずつ。当分の間ベータとクリスタはここで過ごすことになる。


 すべての事情はレイラから聞いているが、この暮らしをいつまで続けるのか。ベータが存在すればするほど、消滅したときのレイラの危険は増すばかりなのだが、過去の事例から既に手遅れなことがわかっている。今この瞬間にベータが消滅しても、レイラが受ける重複記憶ショックは確実に精神を破壊するレベルなのだ。これは魔力の多少でどうにかなるものではない。したがって、ベータをこのまま消滅させずにいることが現状ではレイラの安全を保つことになる。そうして時間を稼ぎつつ、安全に自分を消す方法を探すわけだが、仮にその方法が見つかった場合、こうして自分が眠らされていることが全く無意味にならないだろうか。


 などということをなんとなく考えながら、バローの協力で作った睡眠薬を呷る。


(何もしなくても何かしても、自分は消える運命に変わりない。ただ、無策のまま消えることは我慢できないわね。)



 どのくらい眠ったのか、窓が無いので昼か夜かもわからないが、ベータはレイラに起こされた。

「お休みのところ申し訳ないけど、魔力の補充をするわよ。」

「ん・・・おはよう。今は夜?」

「門限はとっくに過ぎて、20分くらいで消灯よ。」


 薬の効果とはいえ、朝食を摂ってからから15時間近く眠っていたのか。こんな生活が健康にいいわけがない。


「ところで、やり方は誰かに聞いてる?」

「手をつなぐとか背中に手を当てて念じるとか、演習で騎士たちがやってるの見たわよ。」

 そう言いながらベータは上を脱いで裸になった。直接肌に触れた方が魔力の伝導率が高いのだ。


 レイラはベータの背中に手を当てて、意識を集めた。バックタッチと呼ばれる魔力補給法である。


 と、クリスタがレイラの手を剥がしながら

「それは戦闘状況で安全かつ迅速に、応急的な補充をする方法で、現状には適切ではありません。」

 と、これはアランからの受け売りである。

「安全が確保されている現状ではもっと効率の高い方法が使えるはずですよね?」


 正論を前に言い返す言葉も無く、レイラは生物教師が残した箇条書きを見せながらベータに説明した。


「・・・という選択肢があるけれど、どれがいい?」

「どれも最低だと思うわ。」


 1)口唇法

 互いの口唇をしっかり押し付け、送り側は呼気に魔力を乗せて口から送り出す。受け側は送り側と呼吸を合わせて肺まで吸い込む。2人の呼吸を合わせないと口から洩れた分は無駄になるのと、次に紹介する方法に比べて効率は落ちる。(クリスタ註:それでもバックタッチの数倍の効率がある)


 2)授乳法

 送り側の乳首を授乳の要領で受け側が吸う。心臓に近い器官から直接魔力を供給するので効率が良いのと、送り側は特に何もする必要は無く、ペースなどはすべて受け側が制御できるので身体の負担が少ない。(クリスタ註:”授乳”のような仕草であることからこの名があるが、実際に母乳を出す必要は無い。)


 3)陰唇法

 送り側の臍と陰部の中間にある丹田に集まる”気”を、陰部から吸い出す。先に魔力を練って”気”化する必要があるが、魔力の補給という点では最も効率が高い。送り側で魔力の放出開始を制御するが、一度放出すると一回分を放出し終わるまで途中で止めることができない。受け側は吸い出しの強さやペースをある程度制御できるが、送り側が蓄積した量を読み違えると夥しい無駄が発生したり、逆に不足することがある。事前の調整が不可欠なのと、効率が高い一方で激しく体力を消耗するため生命を落とす可能性がある。


「これ、理屈はわかるけど・・・」

「本当にこれじゃなきゃだめなの?」

「取り敢えず3番は除外で」

「普通に考えたら1番一択じゃない?」


 この魔力供給法を考えたのは生物教師である。この状況にかこつけて、レイラに怪しげなことをさせようとしているとしか思えない。ならば一番マシなのはこれだろう。


「必要量になった、ってどうやってわかるの?」

「これを額に当てると線が伸びて行って、ここの印に届けば満タンだって。」

 レイラは生物教師から預かった魔力計測器を見せた。本に挟む栞のようだがガラスに似た材質でできており、試しにレイラの額に当てると虹色に光る線が現れ最大目盛のところまで到達した。


「あの、お2人ともちょっとよろしいですか?」

 横で聞いていたクリスタが口を挟んだ。

「飽くまで私の見立てですが、これは結構な魔力が必要です。お2人とも1番をご希望のようですが、効率が悪いので完璧に呼吸を合わせないと2時間くらいはかかります。」

「「そんなに?」」

 2人の反応は完全に一致した。希望は持てそうだが、消灯時間が迫っている。


「慣れれば30分くらいまで短縮できるでしょうけれど、それでもこの時間から始めるにはギリギリです。私は最も効率の良い3番をお勧めします。」

「「3番・・・」」


 効率が高い事に疑いはないのだが、さすがに抵抗がある。あと、場所が場所だけに何か違う物を吸い込みそうなのが・・・


「待って、3番って確か魔力を練って”気”化してからやるんでしょう?そんな準備していないわよ。」

「レイラ様ほどの容量があればそのままでもきっと大丈夫ですよ。」

「それだけじゃないわ、ここよ?ここ!さすがに・・・念入りにきれいにしておかないと・・・」

 女子しかいないとはいえ、寝間着を持ち上げて自分のパンツを指さしてみせるというのは公爵令嬢としていかがなものかと。


「仕方ありませんね、時間がありませんから今夜は2番で手を打ちましょう。ベータ様、レイラ様を思いっきり吸っちゃってください。レイラ様、ベータ様を助けると決めたなら覚悟を決めてください。」

「「えぇ・・・」」


 レイラズは互いに顔を見合わせて固まってしまった。


 他人に見られているとさすがに恥ずかしい。だがいつまでもただ見つめ合っているわけにはいかない。

「お2人とも!時間が迫っているんですよ。しかもこれをやらないとお2人ともこの世からいなくなることをお忘れなく。」

「「わ、わかっているのよ。頭では理解しているの!でもいざとなると決意が・・・」」


 しびれを切らしたクリスタがレイラの背中に回って胸をはだけさせると、左の乳房を掌に乗せて上を向かせた。

「あっ、ちょっとっ!」

「ささ、ベータ様。」


「あ・・・はい。」

 ベッドの端に腰掛けていたレイラをクリスタが後ろから支えている。さあ吸え!とばかりに乳首をこちらへ向けられているのがちょっと嫌だが、確かに、自分たち2人の命がかかっているのだ、恥ずかしがっている場合ではない。

「では・・・失礼します。」

「あ、はい・・・こちらこそ・・・宜しくお願いします。」


 ぎこちない挨拶を交わしてようやく魔力を補給し始めた。


(ああ、こういうことか。)

 実際に何かを飲み込んでいるわけではないのだが、それでも何か熱いものが喉を伝って腹へと流れ込み、臍の下の辺りがその何かで満たされていく感じがして、ベータは純粋魔力を補給される感覚を知った。


 一方のレイラは頭痛に襲われていた。急に血圧が下がっていくのが、チリチリする脳天でわかる。実際には出血はしていないのだが、自分の奥底にあった魔力が外へ出ていく感覚を理解した。

(魔力を奪う攻撃をされたらこんな感じになるのかしら。)


 初めてなので止め時がわからなかったが、クリスタがベータの額に計測器を当てて残量を見ていた。そして10分ほどが経過して

「も~ぅ少しですよぉ・・もう少し、頑張ってくださいレイラ様・・・そのまま・・・3,2,1・・・はいそこまで。お疲れ様でした。」


 ベータがゆっくりとレイラから離れる。レイラは貧血を起こして半目になっていたが、減ったのは実体のない魔力だけなのですぐに回復した。

「「はぁ・・・、おつかれさまでした。」」


「次回はもう少し早い時間から始めた方が良いかもしれませんね。レイラ様、魔力は充分ですがもう少し練って頂けると早く終わると思いますよ。」

「そう、やってみるわ・・・って、」

「「まだやるの?」」

 今更何を訊いているのか。

「当然です。毎晩ベータ様の残量を量って、危険ゾーンに入らないように適宜補給と言われているではありませんか。」


 これを、これから定期的に?

 1番に切り替えたいところだが、普段のベータは薬で眠らされているので練習する時間が取れない。というか、2時間もの間唇を重ねたままって、なんの世界記録かという話である。3番を回避するなら今回の2番を頑張って早く出来るようにするしかないのか。


「薬・・・」

「え、何?」


 閃いたレイラが不意に立ち上がった。

「そうよ、薬!」

「薬?・・・あ!」


 さすが同一人物、同じタイミングで同じことに気が付いた。


「ねえクリスタ。この魔力補給って」

「騎士団で使っている魔力ポーションじゃできないのかしら?」


 クリスタは不思議そうな顔をして

「出来ますよ。それが何か?」

「「できるんかい!」」


「なによそれ、それならわざわざこんなことしなくても」

「まったく、すっかり乗せられましたわ!」


 だが、クリスタはため息交じりに

「お2人とも、その場合何本、何リットルのポーションが必要とお思いですか?」

「「え?」」

「ベータ様の身体を1日維持するのにどれだけのポーションが必要かご存じですか?」


「「それは・・・」」

 2人とも答えられなかった。

「私が伺っている話では特級ポーションのレギュラーサイズを24本、4.8リットルだそうです。」


 特級ポーション。もっとも高価な魔力ポーションであり、量当たりの回復量は最も大きい。魔法工房で製造された原液を通常は数十倍から100倍に希釈して瓶詰するところを、原液のまま詰めた物だと言われている。

 値段的には学生が買うような代物ではなく、校内はもちろん城下町商店街でも探せば1本見つかるかどうかというところだろう。効果はともかく値段が高すぎて滅多に売れず、市場にもほとんど流通しない。それこそ戦争でもない限り需要もなく、毎年フォレスタルにも納品されていたのはストックの入れ替え用だ。

 高価ではあるが、レイラの家の財力から考えればそれを毎日2ダース買うことは難しくはない。なんなら冷蔵ケース付きで配達させることもできるだろう。確かに量は多いが、時間をかけたり何回かに分けて飲めば良いのではないか。


「それくらいなら・・・」

「レイラ様、特級を飲んだことはおありですか?」

「え?・・・ない、けど。」


 ベータには訊くまでも無い。

「もしかして・・・」

「一口で飲んだことを後悔、二口で吐き気を催し、1本飲み切れるかどうかを競う大会が各地で開かれております。」


「どれだけ不味くても、毎晩こんなことをやらされるよりは」

「ち、ちょっと待って。そんなにヤバい代物なの?」


「2本飲んだら記憶が飛び、3本で発狂すると言われるほどのクソ不味さです。」


 フォレスタルでは毎年使用期限が近づいた物を放出するため、各地の冒険者が非常用として買いにやってくることもある。できれば飲まずに済むに越したことは無いが、かといって捨てるにはもったいない。


「でも、飲用として作られた物だし、水やお茶で薄めればなんとかなるんじゃない?」

「失礼ですがレイラ様、普及品のポーションは100倍希釈です。500リットル弱のポーションですよ?飲むだけで数日かかります。」

「それどころかそっちが原因で死にそうね。」

「しかもその死ぬほど不味い物を飲んだっていうの、最終的にレイラの記憶になるから本人も同じ”体験”をしちゃうっていうのがえげつないわね。」

「うっ、そうだった。」


 なんのかんの言って自分は飲まなくて済むと鷹を括っていたレイラはベータに指摘されて我に返った。


 魔法実技の授業では普及級ポーションを飲まされることがある。何事も経験ということでレイラも一本飲んだことがあるが、

「あれって甘苦いというか、単味で苦いだけの薬に甘味だけを足してなんとか飲めるようにした感じなのよね。酸味を少し足すだけで飲みやすさが全然違うと思うんだけど。」

「開発者は使用感まで考えてなかったのね・・・今からでも改良版を作ってくれないかしら?」

「できたとしても500リットルよ?」


「一つ絶望させるようなお話をしますと、このポーションの製法は私の時代から殆ど変わっていません。」

「「そうなの?」」

「ただ、極初期には土中の魔力を吸い上げたコガの樹液を炭酸水で割って作っていて、これは嗜好品になるほど飲みやすかったらしいですが。」

「「その製法はどうして途絶えたの?」」

「あまりの人気に伐採され尽くしてコガの木が絶滅しました。今は計画的に植えられたニイガなどの魔木の樹液を精製していますが味が凄いことになっていますね。」



「私が出来ない時は代わってくれるって言ってたけれど、クリスタだったらどのやり方にするの?」

 唐突に話を振られたが、クリスタは一切迷うことなく

「3番ですね。」


 さすが185歳、効率以外は完全に無視できるらしい。

「じゃあその時はそれでお願いするわ。」

「ちょっと!それ私が吸うのよ?!」

「いつか消えるまでに記憶を薄れさせてくれればいいんじゃない?」

「絶対忘れない!味も臭いも、毛の本数まで完璧に記憶しておいてあげるわ。」

「ていうかね・・・」


 レイラはクリスタに顔を近づけて問い詰めた。

「これ、男性の時はどうするの?という話よ。」



 結局クリスタは白状した。効率の高い魔力補給法には違いないが、かなり趣味でアレンジを加えている、と。

「・・・ですので、太い血管の上の皮膚から滲み出る魔力を吸い取る感じでやって頂ければ。同時に手の平から受け側の血管に流し込むようにして頂くと時間の節約になります。」

「わかりやすい血管というと・・・」

「ここなんかお勧めですよ、太い動脈。」


 そう言いながらレイラの大腿動脈を指でなぞった。

「ちょっと・・・そこじゃ3番とあまり変わらないじゃないの。」

「というか、皮膚より粘膜からの方が効率が良いので、腿の間に顔をうずめる覚悟があるのなら3番を選ぶ方が論理的ですね。」


 初めて会った時のクリスタは薄幸そうな外見も含めて清楚な美少女という感じだったのだが、こっちが本性だったのだろうか。

「もう、お陰でとんでもない記憶が残ってしまいましたわ。」

「自分で自分のを吸った記憶とか、なんかもうおかしくなりそう。」

「ねえ、その記憶って消せないの?」

「はぁ?それができないからこんな面倒な事をしてるんでしょうに。」


 授業で習うことはないが、記憶を操作する魔法はあるにはある。だが非常に繊細な操作が必要な上、ベータのような残像存在に使った事例は過去に無い。使う準備をしているうちに消えてしまうからだ。残像は実体を持った幽霊のような物だ。戸籍や人権などについて法的な規定はなく、魔法学会でも存在ではなく現象として解釈されている。いわば今のレイラは自分の残像という現象と会話し、それが消えないようにメンテナンスをしているということになるのだ。


「それか・・・私の吸う?融合した時のショックが小さくなるかもよ。」

 そう言いながらベータは胸元を開いてみせた。自分の身体を第三者視点で見るのは貴重な体験だが、薄桃色の乳頭は形もよく、口をつけてみたい衝動が湧く。確かに、一度経験すれば衝撃を緩和できるだろう。しかし!


「私は名案だと思います。」

「それは御免被るわ!」

「えぇ・・・割と本気なんだけど。」


 ベータの提案も冗談で片づけられない物があって、インパクトの強そうな事象を先に体験しておくと統合時のショックを和らげられるというのは本当の事であり、検討する価値はあるだろう。


 消灯時間が迫っている。と言ってもここはレイラの部屋の真下、廊下から入るドアはあるものの、部屋から直通の階段があるなど事実上レイラ用の物置となっている部屋の、更にその下に密かに作った玄室である。廊下に出ることなくベッドまで行けるので実を言うと誰かに見つかる心配はほとんどない。だが、一応規則遵守が建前なのでレイラははやく上へ戻らなくてはならない。


「何?早く降りなさいよ。」

「ちょっと待って・・・膝がまだがくがくしていて。」

「何年もしないうちに王妃になるんでしょう?そんな情けないことでどうするの。」

「何よ、あなたなら立てるっていうの?逆にあなたが上手にできないからこうなっているのではなくて?」


「自分同士で喧嘩しないでください。お水でもお持ちしましょう。」


 時間が迫っているはずだが結構余裕がありそうだ。


 クリスタが階上へ消え、レイラは寝間着を直しながら膝をさすっていたが


「結局、来なかったわね。」

「期待してたわけじゃないけれど、来ないというのも却って気になるわね。」

「あっちはすぐに終わりそうに言っていたのに。」


 そう、レイラ達がこんなことをしている最中にシリカが乱入していない。


「あの子を信じて任せるしかない、って、頭では理解しているつもりだけれど・・・」

「正直、何かやらかすんじゃないか少し心配なのよね。」


 そのシリカはというと


「んむっ・・・んっ・・・んんっ・・・」

 ステラの膝に乗って彼女の唇に吸い付いていた。



 時間は20分ほど戻って、レイラがベータの隠れ家を訪れた頃。

「はぁ?・・・渡してもいいが、なんで今更あれが必要なんだ。」

 レイラは自分が動けない時にシリカを使いに走らせることがあった。その理由として門限の例外がある。シリカは学園の生徒ではないため、消灯時間に関係なく学園内を移動できた。レイラが個人的にアランやディーンに至急の用事がある時には夜中でもこうして警備部詰所に使いとして現れることがあった。


 ディーンの前に立つその少女の、背中まで届くストレートの髪はラピス・ラズリを思わせる鮮やかな青色で、前腕や脛に生えているのようなものも同じく青だが、メッシュのように銀髪の束が混じっている。特に額には銀色の花のように広がった部分があり、そこから印象的な一本の角が生えていた。更に靴の代わりに蹄がある爪先など、所々に魔人としての身体的特徴を持っているのがシリカである。整った顔立ちや背丈の割に大きな胸など一見すごい美少女風だが、夜遅い時間帯に異形の人型が学園内を走っているとそれだけで怪談が一節作れそうだ。


 直しの終わった制服を日中に受け取りに行ってきたようで、暗くて細部はわからないがシリカは新しい魔人服を着ていた。少なくとも裸ではない。去年の冬くらいまでは殆ど裸みたいな恰好で学園内をうろついていてそれだけで騒動になったこともあった。


 バローが持ち込んだ石化解除薬は学園内の薬学研で分析が始まっていた。魔法学園の薬学研究室は優秀な人材に加えて旧式から新型まで幅広い機材と豊富な記録データを有し、魔法に関係なくても薬剤にかけては世界随一の分析力を誇っている。お陰でバローが提供した石化解除薬の単純な複製ならすぐに作れそうだったが、それでも薬剤の反応待ちだけはどうしようもなく、最初の試作品が出来上がるのに4~5日かかりそうだった。だが、バローはそれを見越してアンプルを多めに持ち出していた。


「こちらです。」

「うむ・・・1本で良いのか?はぁ、5本?!」

 ディーンは研究員が持って来たアンプルを渡そうとしたが、流石に5本も使うと残りが少ない。


「5本・・・もしかしてぇ、ステラさんの身体は完全に戻っていなかったですか?」

 この研究員もバローの変装だった。30代くらいの普通の研究者に見える。ドクター・バローといった風貌だ。石化解除薬の複製を進めるにあたって、知識のあるバローを尋問する代わりに分析に参加させているのだが、そのためにわざわざ変装をしているのはやりすぎではないだろうか。

「そうなのか?」

「麻痺でなく石化の解除薬ですから、動けるようになったヒトには通常必要ありませんがぁ・・・1人の石化を解除するならそのくらいは使いますね。この薬は唯一無二の効力がある一方で、効くのが遅いんです。」


 シリカは5本を要求していたが、すぐに渡せるのは1、2本というところだ。石化の解除という、生化学的な反応ではなく魔法か呪いの類に関わる薬は、単純に成分を真似ただけで同じ物が出来るとは限らず、製造プロセスを終えて試験をしてみないと複製の成否はわからない。それでも、学園の薬学研究室は薬剤にかけられた魔法の解析をする能力があり、そこは期待できるだろう。ならば1本くらいは多目に出してやってもいいか。


「まあ、前例のない治療法だったからな、ステラに何か起きた時に備えるというのはいい考えだ。まあお前に免じて3本は融通してやるが、それ以上は複製ができるまで待ってくれ。」

 本来なら越権行為だが、ディーンは独断でアンプルを渡した。先日の行軍演習も含め、度々シリカに助けられている身としては自分のできるところで恩を返しておきたかったのだ。


 シリカもディーン側の事情が分かるため3本のアンプルを受け取って引き下がった。


「いいんですか?ここの設備は素晴らしいですけどぉ、私は薬学は素人ですからね。」

「お前の事はともかく、俺はここの職員の事は信頼しているからな。」

「えれぇ言われ様だ。しかし、魔人っていつもこんな感じなんですか?随分イメージと違うというか・・・」

「まあ、今夜はちょっと変なことをしているみたいだが、大体あんな感じだな。」

「それにあんなのを独りで勝手に歩き回らせてるって、ここの警備体制は余程すごいのか緩いのか」

「見えているだけが警備じゃない・・・って、なんでお前に教えなきゃならん?仕事に戻れ。」

「へ~ぃ。」



 薬を受け取ったシリカは転移能力は使わず、徒歩で寮へ戻った。余程の間抜けをしなければ何の問題も無いが、転移能力を使った拍子にアンプルを傷つけたら?中身を変質させてしまったら?代わりの薬はまだ無いのだ。永年の経験で、こういうときこそ確実に徒歩で帰るべきだとシリカは知っていた。


 途中、待ち伏せていた生徒に遭遇したが、彼らは姿を見せた段階で蹴散らされ、潜伏していた者も警備部に確保されていた。シリカに勝負を挑むこと自体は禁止されていないのだがそれは基本的に他の校則に違反しない範囲での話である。消灯時間が迫っているという事は、寮生は各自の部屋に居るべき時間であり、その段階で門限破りという校則違反だ。


 魔人相手に腕試し目当ての転入生は後を絶たず、新入生の中にも物は試しとばかりに無謀な挑戦をする者が居て、この時期の警備部は確保された門限破りの生徒で溢れかえる。


 あと、門限はもちろんだが主であるレイラの立ち合いなしにシリカと戦うことは禁止されている。そうした規則をよく調べずに挑んでしまうのは彼らに共通した特徴だった。


 当初の想定よりだいぶ遅くなったが、シリカは寮へ戻ってきた。


 出来れば5本もらえると確実だったのだが、貰えたアンプルは3本。

 途中数度の襲撃に遭いながらも、大事にしまっていたおかげでアンプルには傷一つない。


 レイラとベータは地下の隠れ部屋で魔力補給の儀式中。クリスタは”万一の事故に備えて”儀式に立ち会っている。そっちにも強烈に惹かれるものがあったが、今はそれより急ぎの用事がある。


 ノックもなしにステラの部屋へ入ると、シリカはガチャリと音を立ててドアを閉めた。


 ステラはレイラから先に休むように言われていたが、彼女の性格上レイラより先に寝ることはあり得ない。事実彼女はメイド服のままで、ベッドではなく椅子に座っていた。だが、意識は無かった。うたた寝?それにしてはシリカの立てる物音に全く反応しない。余程疲れているのか。その後ろでなぜかシリカが服を脱ぎ始めた。


「ん・・・しっ」

 シリカは机に伏しているステラの上体を起こし、膝の上に跨った。

 上を向いたステラの顔は特に表情は無かったが、開いたままのその目には生命の輝きが感じられない。さっそく石像に戻り始めているのだ。


 シリカはもらってきたばかりのアンプルを一本折って中身を口に含むと、ステラに唇を重ねた。


 ステラの顔に白い筋が浮かび上がり、更に皮膚の下を伸びていく。シリカの口からステラの体内に何かが押し込まれているようだ。肌に浮かび上がる血管のような模様は数秒で全身に到達した。唇を起点として、枝分かれを繰り返しながらミミズのように体中に伸びていく様子はなかなかにグロテスクだったが、そんな状況にもステラはすぐには反応しなかった。


 この血管のような物はシリカの口から出ていたが、実態は前腕のギムレットに近いようだ。伸びきった後は少し速度を落として後退し始めた。


「んっ・・・んぅっ・・・」


 時間にしてまだ数秒だった。全身に回った異物の感覚がステラの意識を引き戻した。ちょっと虫に刺されたような痛みだが全身に及べば生命にかかわる。ステラがそのショックに耐えられているのは膝に乗ったシリカのおかげだった。

「はがっ・・・はぶっ、がぼぼ・・・」


 ステラの口からかなり汚い音が漏れた。呼吸をしないシリカでもタイミングを合わせることは出来る。体中に走らせた管をステラの呼吸に合わせて少しずつ戻していく。管は細い所では髪の毛より細いのだが太い所では数ミリの太さがあり、この異物に対しステラの反射機構が反応して炎症を起こした。それは地獄のような苦痛を与えるが、シリカはその管を通して先ほどの石化解除薬をステラの全身に送り届けていた。


 ステラの石化は完治していなかった。


 というより、シリカがアランの着想を利用してステラの身体を改造し、取り敢えず動ける状態にしたのだ。



 太古の昔、人類が魔人シリカを追い求める最も強い理由は不死性、不老不死の身体だった。シリカを手に入れることで自分もシリカと同じ不老不死の身体になれると、何の根拠も無しに長い間信じられてきたからだ。そうした追跡者はシリカの神出鬼没に翻弄され、多くが悲惨な最期を遂げた。だがそもそも根拠が無いというのに、永遠に生きる身体を求めてシリカを追いかける者は後を絶たなかった。実在する不老不死はそれほど人類を魅了して止まなかったが、実際にそれを手に入れたという記録は一切ない。かの一角亭の女将も、”魔力バカ”改め”無限の井戸”レイラ・ブラッドベリーですらも。



 だが、ここに運命の悪戯でそれになってしまった少女が居る。


 バローが用意した石化解除薬は確かに効果があったが、石像の状態では服用できないため宝の持ち腐れになるところだった。だがあの夜、シリカはステラを召喚しようとしていたレイラの魔法に介入し、ステラの構成情報を書き換えた。それによってステラは石像のままでも人のように動き、考えることが可能になったのだ。もしもクリスタがステラを触診していたら、その音がシリカに似ていることを発見したかもしれない。


 今のステラはほぼ不老不死になっていた。


 シリカと同等かはわからないが、皮膚は刃物で傷つかず、一部の魔法も効かなくなっていただろう。歳を取らないことがわかるには時間が必要だから今は気づきようがないが、その身体を保っているうちに根本的な治療をしなければ、徐々に動きが重くなりやがては体色も石に戻ってしまうだろう。


 更に、ヒトの免疫機構は石化を始めた組織を異物として排除しようとするため、身体を動かせるようになった直後のステラは(外からは見えないが)炎症をおこして全身が火照るような感覚に見舞われた。この症状はシリカの能力で抑えることができたが、当然、永遠にそのままにしておくわけにはいかない。不死性を維持しながら絶えることの無い苦痛を受け続けていれば、いずれは精神が死んでしまう。シリカの能力ではステラをヒトの身体にすることはできなかったが、今の動かせる身体ならバローの薬を飲ませることができる。更にギムレットを使えばより早く身体の隅々に薬を送り届けられる。一度で完治は無理だが、ヒトの部分が徐々に増えて行けば治療に余裕が出来てきて、毎日続ければ一週間とかからずにステラは完治するだろう。


 ”石像のような均質な身体”というクリスタの感想は核心を突いていたのだ。


 だが、こうしてステラを治療していることは外部に知られてはならない。アランの考えが奏功して元の身体に戻ったということにしておくのも間違いが広まってしまうのでよくないが、真実を広めてはならない。


 ステラの回復の秘密を外部に知られたらどうなるか。


 根拠のない噂に過ぎなかった不老不死が急に現実味を帯び、現状様子見という名の放置状態にあるシリカの奪い合いは一気に激化する。それは当然ステラを巻き込み、レイラにも危険が及ぶことは想像に難くない。


 レイラを護るためならステラを石像のまま放置して置き、アランには自分の勘違いが取り返しのつかない結果になったと落胆してもらうのが早道だった。だが、それではレイラも傷つくし、何より回復手段があるのに使わなかったと知れば激怒するだろう。こういう事が出来ると知られるのはシリカにとっては面倒が増えるので避けたかったが、襲撃者が増える分には今まで通りこっそり排除すれば良いだろう。


 今はレイラも自分の事で手一杯で、アラン達はそのフォローと事後処理、加えてバローが持ち込んだ新薬の分析に追われている。シリカはその間にステラをヒトに戻そうとしていた。



 さすがにレイラと本人には事実を伝えたので、ステラは深夜にシリカがどこかへ出て行き、帰ってきたシリカが唇を重ねてきてもそれがどういう行為なのか理解していたが、皮膚の下を異物が這いまわる感覚はどうにも耐えられず情けないほど涙が噴き出した。


 一回分の薬を流し終わってシリカが唇を離した後、ステラは涙と全身から噴き出た大量の汗を拭こうとしたが、体力の消耗と大量の発汗による脱水症状でシリカにしがみつかないと立つこともできない有様だった。


 身体を拭く過程で何度も桶をひっくり返したり転倒したりしたが、レイラが隠し部屋へ行っているおかげでその音も聞かれずに済んだ。唇を合わせてからここまで、実際には数分しか経っていないが、全身を包む疲労感はまるで何時間も熱にうなされた後のようだ。ステラはシリカにお礼を言いながら、こう訊かずにはいられなかった。


「ね・・・ねぇ、これは・・・あと何回必要、なの?」



 こうして学園のお騒がせコンビがそれぞれ大変なことになっていたその頃、遠く離れた王都ではフォレスタル王が深夜だというのに使者から重大な報告を受けていた。


 ウィンドリンガーは交換現象によって地球に現れた異世界の火山である。転移によって変質したとも言われているが、この500年間大きな爆発は記録されておらず、代わりに河口からかなり特徴的な溶岩を噴き出すことがある。普段は火口は透明な天蓋を被せられたような状態だが、内圧が上がり噴火が近づくとこの天蓋が上昇しはじめる。その天蓋の上昇が観測されたのだ。


 天蓋の上昇速度から、噴火までは2~3か月かかると予想され、王都では緊急対策会議が招集された。


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