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よむシリカ  作者: RiTSRane(ヨメナイ)


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第16章「居たのは誰だ!?」

 召喚獣が具体的にどこの世界から召喚されてくるのかというと、実はよくわかっていない。術者の内面を深く深く掘り下げた末に到達する精神世界のような物だと主張する一派もあるが、召喚魔法の訓練初期に召喚するのは身近にある物品であり、それは「この世界」の存在である。だが、実用段階に入り獣的な物を呼び出すようになると、しばしばこの世界に存在しない異形の存在が出現するようになる。外観はもちろん内部の構造も異常で、異世界から召喚されたとしか考えようがない物が混ざり始めるのだ。シリカのように外観とサイズの両方が人類に近いタイプの召喚獣は比較的珍しい部類だが、召喚元の世界ではそれが普通の人類なのかもしれない。


 三剣教団なるものが権勢をふるった歴史がありながら魔人シリカの実在を信じない者が一定の割合で居るというのも面白い話である。一方で、商売繁盛の願掛けとしてその姿を模した置物や絵画を店先に飾る風習がある。そう、かの「一角亭」にあやかったもので飲食業や旅館業には定番の装飾だが、縁起物なのでシリカが実在するかどうかはどうでもいいらしい。我々の世界でも信楽焼のタヌキを飾ることがあるし、何なら趣味の蒐集家もいるくらいだ。本物のタヌキの入店が歓迎されない点もシリカと似ている。


 ということは、「シリカ」=「タヌキ」?!

 どっちもカタカナ3文字だし、似ていないということは・・・



「いくらなんでもそれは飛躍し過ぎよ。」

「レイラ様、どなたとお話しされているんですか?」


「え?・・・あらごめんなさい、ただの自問自答だから気にしないで。」


 歴史書ばかりを何カ月も読み続けていたせいか、レイラはうとうとすると複数の文書の内容をごっちゃにしてとんでもない暴論を脳内で生成するようになっていた。


 後期末試験日程を終了した魔法学園は、今は春季休暇に入っている。休暇と言っても期間は夏季や冬期に比べて短く、入学や進級、卒業などの手続きが集中するので教務課、学生課は平時より余程忙しい。


 レイラは普通の進級(無事に進級したのだ)なので引っ越しもないし、次学年用の教本の類は購買部に入荷するまで購入できないので特に準備することはない。唯一、制服に二年生を示すパイピングを追加する作業があるが、これは学生課に依頼してバイト学生に発注してある。今回はステラの分も出してあるので彼女もすることがない。


 魔人服には学年表示が無いのでこの改造は必要ないが、半年間着用したシリカの要望を取り入れて服飾教師の手で改修作業が行われている。胸当てに使われていたパンツは普通の布だったため変色や傷みが目立ってきており、レイラの強い要望もあって何か他の物で置き換えられる予定だ。


 現状、3人とも手元に制服が無いことになるが、今は寮で全裸生活・・・というわけではなく、試験前からの打ち合わせ通りに王都を目指して移動中である。その目的は魔人シリカの国王との謁見。既にアランから話は通してあり、レイラ達はひたすら運ばれる以外することが無い状態だ。


 後期末試験は魔法実技があのような騒ぎになってしまったため、レイラの進級は改めて危機に瀕した。だが、今回は前期末試験の反省から実技以外の試験についてステラ先生の特別補講を受け、まあまあ人並みの成績を達成できていた。おかげで魔法実技が低迷した分をどうにか相殺し無事進級にこぎつけたものの、総合的な席次は下がってしまったため実家に戻れば年末帰省の時より厳しく叱責を受けることになっていただろう。


「全教科の結果が出揃うまでは生きた心地がしなかったけれど、無事に進級できたのはステラのおかげね。改めてありがとう、ステラ。」

「そんな、お傍付きのメイドとして当然の事をしたまでです。」


 魔法実技は期末試験日程の最終日に近かった。予めステラが発破をかけてくれていなければ総合成績は今より更に悪くなっていたのは確実で、彼女がテスト対策に講義を開いてくれたのは本当に不幸中の幸いではあった。


「落第などと恥を晒す娘は斬首に処す。」

 と冷たく言い放つ母を想像して思わず自分の首に手を当てる。


「ああ、こういう時でもシリカ族なら・・・切れた首もすぐにくっつければ助かるのに。」

「そんな大昔に滅亡した種族を引っ張り出してどうなるものでもございません。これからは普段からちゃんと勉強をなさってください。」


 シリカ族大脱出の夜、もう5か月程も前のことになるが、ステラはレイラが連れてきたドブロクと名乗る少女と顔を合わせている。シリカにそっくりなその少女に驚きながらも、その素性を詮索はしなかった。レイラが仮装した近所の子供と紹介したなら、ドブロクは仮装した近所の子供なのだ。


 もちろんその同じ時、とある校舎の屋上に滅亡した種族が百数十人も集合していたことなどステラが知る由も無い。


 その脱出行を先導したミリンとセイシュは、シリカ族をネイズ大森林へ送り届けた後ドブロクと合流、”城下町”にしばらく滞在した後、転移魔法でどこかへ姿を消してしまった。


 レイラにとってもこの3人の素性は謎のままである。ミリンはどう見てもヒトの男性だが、あとの2人はシリカ族と比べてもよりシリカに似ていて明らかに別種族、というよりシリカそのものだった。レイラは矢継ぎ早に進行する状況に流されるような形になって、2人の素性を詳しく訊く暇が無かった。いや、もしかしたら訊くことを避けたのかもしれない。訊いてしまうとシリカが彼らと行ってしまうような気がしたのだ。元の世界へ帰せるものなら帰したいと思っていたはずなのだが、慣れてくると手放すのが惜しくなったのか。或いは別の感情によるものか。


 ただ、3人の会話を聞いた範囲では彼らは家族であり、父ミリン、母セイシュ、間に生まれた娘がドブロクということらしい。ということはセイシュたちはヒトと交雑可能な亜人種なのか。それならば確実にシリカとは別種族である。判明しているシリカの身体構造から、ヒトどころかいかなる動物とも交雑できないことがわかっているからだ。


 そのシリカはレイラの隣に座っている。長旅に退屈して馬車馬と並走していても不思議ではないのだが、おとなしくしているのはその服が原因だ。今着用しているのはレイラの実家で貰ったドレスのうちの一着なのだ。遠隔地にありながらシリカの好みを見事に読み取った逸品で、子供の外遊び用のような仕立をしながらフォーマルな場でも着られるように様々な部分が着脱式になっている。シリカは自分用に仕立てられたこのドレスを大事な物と認識しているらしく、自分が動くことでダメージが入ることを心配していた。高級ではあるが普通の生地で作られているため、シリカが本気で遊ぶとたちまち擦り切れてしまうのだ。借りてきた猫というのだろうか、こうして鎮座しているとまるで普段とは別人のようだ。


 おとなしいといえばステラの様子も普段とは少し違う。


 おとなしいこと自体は問題ないのだが、後期末試験の激闘の後数日入院したステラは、以前にも増して蛇を嫌うようになっていた。麻紐なら問題ないのだが、六角形など同じ模様が繰り返し現れる組紐などを見ると息が詰まり、本物の蛇を見ようものなら足がすくんで石のように固まってしまうようになった。そうなると呼吸不全を起こし、長時間に及べば失神し生命にも係わる。身体に外傷はなく健康そのものだったが、深刻な心的外傷、発作を起こすようになってしまったのだ。そのため、ステラ自身はもちろん、レイラの服にもそれらしい装飾を付けないように細心の注意が払われた。


 馬車の内装にも様々な組紐が取り入れられているが、それは単なる装飾にとどまらず、御者に合図を送る信号装置や荒道を通る時に掴まる持ち手などの保安装備にも使われている。取り去ってしまうと機能不全を起こす物があるので外せないのだが、かといって馬車を改造したり組紐を使わない車体を新規に建造したりするには時間が無かった。そのためそれらしい物には覆いをかぶせてクッションのような見た目にしたのだが、光沢のある窓枠やドアの取っ手なども蛇の身体の一部に見えてしまうことがあり、ステラがいつ発作を起こすかわからなかった。


 ならば学園で留守番をさせるという選択肢もあったのだが


「お願いいたします、どうか私も同行させてください。」

「これは君のための措置なのだ。ここに居れば余計な物を目にすることは無いし、治療も進められる。万一発作を起こしても、私の部下たちが君を看ているから安心だ。」


「殿下、私からもお願いいたします。」

「レイラ、君まで・・・」


 ステラを庇うように前に立った

「ステラは私を護るために苦手な蛇も操り、そのせいでこのような身体になりました。それが原因で本人の望まぬ生活させられるというのであればあまりに不憫です。」

「それはそうだが、この機会に彼女を休ませるという意味でもあるのだ。」

「ならばなお、彼女のしたいようにさせてください。休暇であっても望まぬ毎日は却って苦行です。」

「だが・・・」

「ステラの面倒なら私が看ます。」


「それが、ステラに対して私が報いることができる唯一の方法でもあるのです。」


 大見得を切った結果が今の状況である。


 気分の悪そうなステラは長旅で酔わないようにゆったりとしたドレスを。


 そしてステラの面倒を看ると宣言したレイラはメイド服を着ているのだ。


 断じて衣装を交換して遊んでいるのではない。レイラとステラが単純に服を交換しても体型的に着られn/


「それ以上言うと斬りますよ。」

「?誰と話しているの。」


「独り言です。」

 レイラが自分のためにメイド服を着てくれている。それだけで幸せなのだが、天井やドアの梁、木目の模様を見ているだけで発作を起こしそうになるため、常に呼吸を整え平静を維持しようと努めねばならない。発作を起こしている間はレイラが自分の身体を抱き起したり摩ったりしてくれているのだろうが、その間、ステラは意識が無く、何をされていても感じたり記憶したりできないのだ。ならば、こうして普段とは違うレイラを一秒でも長く見ていられるように、意識を保てるように。


「はうっ・・・!」

「ステラ?!どうしたの、何か見えた?」


 慌てて自分の体を支える。

「・・・いえ、大丈夫。何でもありません、レイラ様。」

「無理をしないで、先は長いのよ。」


 言いつつステラの横へ移動すると、

「ん・・・」


 膝を見せて手招きをした。

「え?」


「だから、膝枕。」


「ひざ・・・」


 どうしてこれを膝枕と呼ぶのかだろうか、実際に頭を受け止めているのは膝ではなく腿ではないか。腿枕だ、これは腿枕と呼ぶべきなのだ。膝枕というのは前から入って膝の間で頭を挟む形の、首が傷む時に何か良さそうな


「どうしたの?いらっしゃい。」

「は・・はい、ですが、私大分汗をかいてしまっ。」

 乗り物酔いが酷くなると吐き気を催すのに伴い、背中や額から冷や汗がだらだらと噴き出てくる。その頭でレイラのひ・・・腿に頭を載せようなどと


「ほぅらっ!」

「あっ・・・」


 引き倒されるようにしてレイラの腿に頭を沈めた。


 だがこのままでは体を横にねじった形になって必ずしも楽とは言い難い。

「シリカ、ステラの靴を脱がしてあげて。」


 二人の様子、特にステラをジト目で見ていたシリカは、命じられるままにステラの靴を脱がせ、両足を座席に載せるのを手伝った。脚を延ばせるほどの広さは無いので、ステラは膝を立てた形になる。

(ああ・・・)

 見上げると正面にレイラの顔が、その手前には豊かな膨らみがある。


 レイラは一方の手でステラの頭を支えながら、もう一方の手で髪を撫でていた。日頃の献身が報われているとも言えるが、そんなステラの唯一の召喚獣が不確定名:大蛇だというのはなんと皮肉な事だろうか。


「ん?どうしたのステラ。どこか痛いの?」


「い、いえ・・・あの」

 汗で貼りついたステラの前髪を丁寧にはがし、整えた。

「確かにすごい汗ね。シリカ、タオルを取ってくれるかしら?それと・・・」


 額の汗が吸い取られて乾くと気持ちがいい。拭き取った後に汗止めローションを塗ってくれている。

(においが移る心配はしなくてよさそう。それにこれ、レイラ様の匂いがする。)


 お尻を持ち上げられる感じがする。それに膝がちょっと涼しいけれど、これは・・・


 パンツを脱がされているらしい。

(あれ、レイラ様の手って4本だっけ?それでもいいか、レイラ様だし・・・)


「やめなさいシリカ。何でも脱げば楽という物ではないのよ・・・ほら、元に戻して。」

(ああ、戻すんだ・・・)


「!ッ」

 眠りかけていたステラの目が急にカッと見開かれ、激しく咳込み始めた。顔が熱い。


「ち、ちょっとステラ、本当に大丈夫?」

「げふっ・・・わ、わたしったら・・・げふっ!げふっ!!」


 この姿勢でせき込むと血が上りやすいのか目が回る。


 蛇とは無関係の発作だった。意識を保とうとすればするほど、そっちの発作を引き起こしてレイラに抱かれるという悪循環に、内心嬉しいながらも身体は確実に消耗していた。


 そうして無駄に心拍数を乱高下させたせいで普段より揺れに弱くなったステラは、深刻な乗り物酔いを起こしていた。


「ステラ、まだ気分が悪いんじゃないの?・・・ちょっと、馬車を止めて!殿下、殿下!」



 こうして度々停車するため行程には遅れが生じ、再出発の度回復運転をするため馬車は揺れ最初へ戻る。

 行程は狂うが、待ち伏せている襲撃者が居たとしたら待ちぼうけを食っていい気味なのかもしれない。


 こういう状況に慣れているのか、御者が乗り物酔いの薬を出してくれた。


 そんなこんなを繰り返して野営地に到着したのは当初の予定から少し遅れた頃だったが、現地にも少々問題が発生していた。


 池の畔でもないのに大量の羽虫が発生していたのだ。


 特に害がある様子もないが、数が多い。密集するとヒト程もある黒い塊になり、そんな塊が方々にできていた。


 こういう状況に備えて長距離行軍する隊は各種の駆除剤を備えているし、随行する医官はその場の植物などから薬剤を抽出するための知識も身に着けていた。それらの薬剤は不快とまではいかないが独特の芳香があり、敏感な者は咳込んだり目に刺激を感じたりする。レイラ達の馬車にもポンプ式の噴射器が備え付けてあったが、それを使うまでも無く騎士たちが全て片付けてくれた。


 レイラの食事の用意は隊の炊事係が交代で担当していた。行軍中はレイラも基本的に騎士たちと同じ物を食べるが、席は別に用意している。ここは学園ではないのでステラは同席せず給仕の仕事に徹するのが規則だが、体調を考慮して騎士の一人に代わってもらい休んでいる。当然、レイラの食事が済むまで自分は立っていなくてはならないが、鍛えられた騎士には苦でもなく、寧ろ高い身分の令嬢をお世話できると歓迎された。


 とはいえ、レイラには近々王子と婚約の噂もあり、そのような相手に一介の騎士が気安く声をかけることは躊躇われる。相手の方から世間話でも振ってくれれば幾らでも付き合うのだがそうもいかない。しかし


「何かしら、ねえ貴方。野営というのはいつもこんなに虫が飛んでいますの?」

「はっ!いつもではありませんが、虫はよく飛んでいます。」

「そうなの・・・」


 食事中に駆除剤を使うわけには行かないが、レイラはスプーンを置くと、

「・・・ッ!」


 目の前の空間で素早く何かを掴む仕草をした。

 それは騎士の目に追えないようなものではなかったが、ボクシングのパンチのように繰り出した右手を開くと、小さな虫がつぶれて死にかけていた。


「あら、蚊じゃないのね。」

「え・・・と?」


 騎士がレイラの突き出した手を覗き込むと、それは薄茶色の小さな甲虫だった。ヒトを刺す虫ではないようだが、食事中に近くを飛ばれればどんな虫でも気分は良くないだろう。


 ナプキンに虫を擦り付けて取り除くレイラの姿に、令嬢と言えど田舎者、動体視力が凄い、などと騎士は様々な感想を持ったのであった。



 一方のステラは騎士たちに混じって食事を摂ることになっていたが、昼間の馬車酔いの影響もあって早々に切りあげて馬車へ戻った。だがそれも休むためではなく、内装を組み替えてレイラの寝台の用意をするためだ。ただ、今日はステラの体調を気遣って御者の男が手伝ってくれていた。酔い止め薬の礼を言うと、照れたように頭を掻きながら用法容量を必ず守ること、手や足が重く感じたら服用を中止することなど、御者というより医師か薬師のように説明してくれた。まだ出回っている量の少ない新薬らしく、効果は確実だがあまり続けて飲むのは避けた方が良いようなことを話していた。


「しかし、あの魔人・・・本当に1日中いるんですね。」

「お嬢様の魔力量あればこその離れ業です。」

「それは魔法学園に居る間だけ教師が補助をしてくれるという話だと聞いていましたが。」

「最初の一月くらいはそんな感じでしたが、お嬢様がそれはもう熱心に修練を積まれまして。こうして遠出も出来るように。」


 大嘘である。最初から学園の補助は魔人用の家具や衣類の手配に便宜を図ってくれた程度で、シリカはどちらかというと自分の意志でレイラの傍にとどまっている。だが、冬期休暇でレイラは実家へ帰らねばならなくなり、当初はシリカに留守番をさせるという計画もあったのだがレイラ抜きで魔人を放置することに懸念を示した理事会が新しい設定を考えたというのが真相だ。


「なるほど、それでようやく謁見が可能になったと。」

「はい、まさか魔人の都合で国王陛下をお呼び立てするわけにも参りませんから。」

「しかし、毎日魔人の傍にいて、あなたは怖くは無いのですか?」


「怖い・・・ですか?」


 ステラもすっかり忘れていたが、一般人の魔人に対する感想はそうなのだ。そういった質問はもっぱら主人であるレイラに向けられる物で、一介の使用人に過ぎない自分に答える機会が来るとは思っていなかった。


「・・・そうですね、確かにちょっと、怖いです。」

「というと、思ったほどではない?」

「ええ・・・そうですね、最初は何を考えているのかわからなくて・・・今もわかりませんけれど、特に暴力的とかそういうことはなくて、根本的に価値観とかものの考え方が違うところもあるようですが、狂暴ということはないですね。」

「でも、本では一人で軍隊や国を滅ぼしたなんて書いてありますけれど。」


「それはたぶん、壊滅という言葉の解釈だと思います。軍隊はある程度の人数がまとまって行動している必要がありますが、逆に限度を超えて散ってしまうと死人を出さずとも壊滅することがあるそうです。魔人に驚いて逃げたり、手柄を焦って深追いしたり、それらが無秩序に行われると・・・」

「理屈ではそうですが、それはその軍隊がもともと問題があったのでは?」

「末期の旧帝国軍ならあり得ない話ではないと思います。」

「普通に殲滅させられた方がまだありそうだと思いますが。」

「それなら・・・」


 とっておきとばかりにステラは口元を隠しながら

「魔人シリカは基本的に相手を殺しませんので。」



 魔法実技試験では騎馬戦形式という高校の運動会のような内容ながら、使う魔法や召喚獣は本物であり死者、重傷者が出ても不思議ではない。そのさなかに突如として出現し強豪を蹂躙した魔人シリカであったが、相手騎手をレイラが蹴り落とすという戦法で勝ち進みほとんど怪我人を出さなかった。年明けの連続襲撃事件の際もシリカは岩巨人を倒すことなく無力化し、樹木巨人に対しては戦っていない。シリカ族脱出戦ではシリカは戦場にいなかった。


 その他にも学園内で辻勝負を挑まれるような状況でも決して命を奪うことはしなかった。


「なるほど、大昔から不殺を徹底していたら・・・」

「シリカなら不可能ではないと思います。」


 ほどなくしてレイラが戻ってきた。何かをハンカチに包んで携行していて、それに釣られるようにシリカがついてきている。

「ただいま。あら、あなた・・・」

「あ、これはどうも姫様。」

「おかえりなさいませレイラ様。」


「御者をお願いしているとはいえ、私のメイドと二人だけでこんなところに居るのはあまり褒められたものではなくてよ?」

「い、いえ、レイラ様。この方は私が具合悪そうにしているのを見かねて手伝ってくださったのです。」

「はい、昼間もかなりお辛そうでしたので、ちょっと様子を見に寄っただけです。」


 御者はレイラと入れ替わるように外へ出た。

「昼間といえば、良く効くお薬をどうもありがとう。お陰で彼女もだいぶよくなりましたわ。お礼というほどではありませんがおひとついかが?」

 そう言うと、レイラは手にした包みを開いて差し出した。包まれていたのは干物、といっても蜜に漬けた果物や木の実を乾燥させた、菓子のような物である。果実本来のうまみを濃縮したような味はそのままお茶菓子として、あるいは製菓材料として多用されるほか、長期保存が利き栄養価も高いので携行食糧として採用する軍も多い。

「あ!これはどうも。ではお言葉に甘えて。」


 御者の男の好物が含まれていたらしく、リンゴと胡桃などを少々手に取ると嬉しそうに自分の寝場所へ戻って行った。


「ステラ、あなた夕食をしっかり摂れていないでしょう?お水もあるからこれを食べておきなさい。でないと身体がもちませんわよ。」

 甘酸っぱい乾燥果実の香りがステラの鼻腔をくすぐる。これなら食べられそうだ。


 御者が寝場所に戻ってくると、驚きつつも腹立たしい光景が広がっていた。

 毛布や鞄に虫が集っていたのだ。


 好物の干しリンゴをもらっていい気分だったのが一気に冷める。

「なんだこれ、さっき駆除したんじゃ・・・?」


 見れば周囲の騎士たちも同じような状況に陥っていた。

「くそっ、確かに駆除したのにどこから湧いて出た?」

 御者の男も自分の服に付いた虫を手で払っていたが、異常なその量にとうとう上着を脱いではたき始めた。


 レイラたちも同じ虫に襲われていた。馬車のドアは閉じたが、通風孔や小さな隙間から少しずつ内部へ侵入してくる。

「この虫、さっきのうるさい虫じゃないの。」


 いつの間にか馬車の窓にもびっしり虫が貼りついていて、かなり気持ちの悪いことになっている。


 中へ入りこんだのを、レイラは備え付けの殺虫剤で駆除する。体調の悪いステラに配慮して少量ずつ使うが、大して広くないキャビンにはたちまち薬剤臭が立ち込めた。

「ごめんなさい、ちょっとの間我慢して。」

「いえ、お構いなく、どうぞ・・・」


 だが入り込んだ虫を見てステラの表情が変わった。

「レイラ様、決してドアを開けてはいけません。中に入った虫は完全に駆除してください。お召し物に付いたら・・・シリカ、すぐにはたき落して。」

「何?どうしたのそんなに慌てて。ただの虫よ?うるさいけど。」


「これはカツオブシムシです。」

 レイラもその名は聞き覚えがあった。

「カツオブシムシですって!・・・て、何だったかしら?」


 カツオブシムシ。体調2~3ミリ程度の小型の甲虫である。小型でふわふわと飛んでいるためつい羽虫と言ってしまったが実体は甲虫。特に毒などは持たないが、おそろしい害虫である。なぜなら

「服を食べる虫です!」


 成虫は正の走光性をもち、明るい方へ寄ってきたり白など明るい色の布によく付く。

 春先から初夏にかけては冬物を本格的にしまって春夏物に切り替える家庭も多いと思うが、虫よけ剤などで忌避や駆除をしておかないと次に出したときに穴だらけになっていたりして、まさに文明の破壊者でもあるのだ。


 ただ、蛹から羽化するには時期が少し早い(劇中3月下旬)。しかも視界が塞がれるような量が発生するというのはどう考えてもただ事ではない。

「大変!魔法で焼き殺すわよ、ステラ。」

「おやめください、こんなところで使ったら私たちまで焼けてしまいます。」


 外では騎士たちが鎧をマントなどではたいていたが、マント自体が食われてどんどんボロに変わって行った。ヘルメットの羽飾りも鎧の下の下着もやられているようだ。

 馬車の中でもとうとうレイラ達のドレスに穴が開き始めた。


「・・・食べるのが早すぎないかしら?」

「何ですか?」

 レイラに付いた虫をステラが素手で払い落とし足で踏みつぶしているが、虫は次から次へと車内へ侵入してきて手に負えない。そんなときに不意にレイラがつぶやいたのだ。


「ほら、この虫っていつの間にか服に穴を開けて台無しにしちゃうけど、それは半年とか経ってから見つかるでしょう?今のこの早さはおかしいと思わない?」


 レイラを護っているステラは自分に付いた虫は後回しにするため、レイラより被害が大きかった。襟や袖口など、白い所を中心にもうずいぶん大きな穴を開けられてしまっている。

 シリカまでが癇癪でも起こしたかのように、自分のドレスを脱いで辺りに叩きつけている。だが、既にそのドレスにも穴が出来ており、身に着けたままの下着すら食われつつあった。


「シリカ、ドアを開けずに外へ出られるわよね?裸になっていいから、この辺りに居る怪しい者を探しなさい。見つけたらすぐ誰かに知らせるのよ。」

「・・・ろじゃ!」

「まさか、レイラ様。」

「ええ、多分、これは彼らの攻撃なのよ。」


 珍しく苛立っていたのだろう、シリカはドレスを手にしたまま床へと吸い込まれて消えた。脱いでいいと言った下着もそのまま着けて行ったようだ。



 騎士までが虫に取りつかれて鎧を脱いだり水に飛び込んだりと大混乱に陥る中、場違いな姿の少女が隊の中央を堂々と歩いていた。魔法学園の制服を着たその少女の周りだけ虫が集っていないところを見ても、彼女が犯人で間違いない。何より、

「おーっほっほ。私のかわいい虫たちの威力、いかがかしら?レイラ・ブラッドベリー。いらっしゃるんでしょう?」


 余程の自信があるのだろう。完全に自白している。


 周囲の騎士たちも彼女を止められない。


 そして少女はそのままレイラ達の馬車へ向かって歩を進めてくる。

「この私の召喚獣、いえ、召喚虫と呼ぶべきね。この虫たちは自然に居る虫よりも強力かつ高速に布を食べるのよ。レイラお嬢様におかれましては今どんなはしたないお姿でいらっしゃるのかしら?」


 この虫のすべてが彼女の召喚虫だとすると、恐るべき魔力である。一体ずつは僅かな魔力で操れるとしても、この一帯全てを覆い尽くすほどの量、数を一度に召喚して操っているとしたら、レイラに匹敵する魔力に加えて制御の腕前も半端ではない。


 しかも、特筆すべき点はまだあった。あのシリカが初めて他の召喚獣に苦戦しているのだ。


 既に下着まで食いつくされたシリカは手にしたドレスの残骸で虫の塊を叩いているが、有効な打撃になっていない。一度叩く度に数十匹の虫が死ぬが、その程度では問題にならない程の虫が周囲にいて、今もまだ増え続けている。更に耳に入り込んだ虫が中で羽音を鳴らすため、その不快さにシリカはしばしば頭を抱えて転げまわった。


 魔人に対抗する戦力というとつい大型で強力な魔獣を想像しがちだが、実は正解はその反対だったのだ。


 この少女もどこかの国に雇われた襲撃者にちがいない、それもかなり独特な戦法を使う。期末試験の時には見なかった顔だが、確実に相手を仕留めるために混沌とした状況を避け、機会を狙って伏せていたのだろう。それだけの知恵も回るとなると、これはなかなか厄介な相手だ。


 大した抵抗を受けることも無く、少女はレイラの馬車の前に立った。この時点で騎士たちに大きな怪我はない。だが、米粒ほどの小さな虫は目にまとわりつき、耳の穴を塞いで視覚と聴覚を奪っていた。鎧の下にも入り込み、中で下着を食い荒らすため騎士たちは痛みはないものの言い様の無い不快感に襲われ、戦うどころか武器も鎧を脱ぎ捨てるという有様だった。このまま人体を食う性質があったらどれほど凄惨な事になっていたか、あるいは騎士の1小隊も随行していれば完全に詰みという状況だった。

「さあ、その無様な姿をお見せなさいなレイラ・ブラッドベリー!」


 自分の能力を熟知し、修練を積み重ねた故の自信。事実、その態度に見合うだけのことをやってのけている。

「どうなさったのかしら?ああ、開けて差し上げないと、自分で外にも出られない臆病者でいらしゃいますのね。」


 とうとう、馬車のドアハンドルに手をかけた。今開けられたら、レイラは一生ものの痴態を晒すことになる。

「しようがありませんわね、今ドアを開けて差し上げぶひゅっ!・・・」

「うるせぇ!」


 下着を穴だらけにされたディーンに拳骨で殴られ、少女は気絶してしまった。


 少女を見つけたシリカがディーンをここまで連れて来たのだ。幼少期をブラッドベリー領で過ごしたせいか、ディーンだけはこの虫の中でも動くことができたのだ。


 召喚者が意識を失ったことで虫は制御を離れしばらく滞空していたが、元々群れで活動する習性が無かったため自然に方々へ散って行った。


 大量の召喚虫が制御を失って森に放たれてしまったが、実のところこの程度なら大きな問題になることはないだろう。主な影響は食害だが、召喚者によって無理に食わされていたものなので制御を離れれば適量に戻るし、どこの世界から召喚された虫かは知らないが水質や平均気温の影響もあり、この種がこのまま繁殖定着してしまう心配はまずない。



 この襲撃での負傷者は無かったが、目や体を洗うのに使ったため近くにあった湖には大量の虫が浮かび、耳や鼻に入り込んだ虫を取り出すのは繊細で骨が折れる作業だった。また、布製品の被害が甚大で、騎士たちの替えの下着がなくなったほか、レイラ達はそれぞれ着ていた物がダメになった。更に食料の被害も深刻で、布袋が食い荒らされ小麦粉などが使えなくなってしまった。


 コントのような倒され方をした刺客ではあったが、何気に甚大な被害をもたらしていたのだ。

 姿を見せずに朝まで潜伏していれば、本来の目的を達成していたかもしれない。


 粗方片付けが終わったところでアランは各小隊長を招集して軍議を開いた。

「まさか、こんなやられ方をするとは想像もしていなかったな。」

「確かに、考えようによっては恐ろしい相手ですな。」

「食料を大分やられてしまったし、このまま進軍を続けるのは困難だ。兄上、物資と食料の調達に先遣隊を出してはどうだろう?」


「召喚術のもつ可能性というか、使い方次第という事を見せつけられたな・・・先遣隊の人員を選抜して直ちに出発させよ。レイラたちにも必要な物はないか一応訊いて、な?」

「わかった。」


 続いてディーンに一発でのされた少女の尋問がされたが、殴られた時の衝撃で記憶障害を起こしたらしく会話も困難な状態で、専門的な治療と更なる取り調べのため先遣隊が街へ護送することになった。


 一夜明けて。


 ダメージを受けた布類の補修が必要だったため隊の出発は遅れ、行程の回復のため駆け足を多々挟むことになりステラの具合はますます悪化することとなった。


 ステラは行程の大半を馬車内で横になって過ごしたが、御者の言った薬の副作用だろうか時折手足の異常なだるさを訴えるようになった。だるい時は手足をさするようにとか水を多めに飲むようにとか御者が助言をくれるが、この御者は新薬マニアかなにかなのだろうか。

 その度行軍は停止し、ステラの容態が落ち着くまで休憩しなくてはならず予定は遅れるばかりだった。


 それでも騎士たちは彼女を労わるような言葉をかけてくれていたが、回数を重ねるとさすがに末端の騎士たちから不満が聞こえ始めた。


「兄上、ちょっといいか?」

「うん?何かあったのかディーン。」

「実は・・・」


 更に運んでいるのが噂の魔人ということもあり、時間がかかるほどに魔人が自分たちを襲ったりはしないだろうかという不安が部隊内に広まって行ったのだった。


「そんな噂が広まっているのか。」

「こんな規模の隊だから噂はすぐ全体に蔓延する。偵察の報告では前後に不審な影は無いというし、レイラ達の護衛役を分けて本隊を先行させた方が良くないか?」

「その場合、隊をどう分ける?」

「というか、魔人のお守りに残りたい奴なんて居るのか?」


 騎士たちの要望を聞いて隊を分けたとして、馬車の護衛に残ろうとするものはアランと、思い当たるのは3,4名。ディーンは先行する本隊の指揮を執らねばならない。


「そもそも魔人を連れて帰るために演習を組んだんだが、あいつら本来の目的を忘れてるんだよな。」

「いや、私に有無を言わさぬだけの人望があればこんな事にはならなかったのかもしれない。彼等ばかり悪くは言えんよ。」

 騎士団におけるアラン達の身分はまだ一般の騎士に過ぎないのだが、王族という身分ではどうしても祀り上げられてしまい、隊の行動はアラン達が決定し、それを各隊長が部下に下達する形になっている。演習に参加している騎士にはアランより年上の者もいて、年下に命令されることに思うところがあったとしても致し方は無いだろう。更に今回は山越えなどを含まない、街道を中心とした比較的難度の低い長距離行軍ということで、経験の浅い騎士を中心に選抜した訓練用特別編成だった。そのせいで安易に現状や上官への不満を口にしがちだったのだ。


 往路はそれでも順調に進んでいたのだが、復路に入ると護衛対象の都合で度々行軍が止まり、想定外の遅延に悩まされることとなった。


 護衛対象が公爵令嬢と病人だけであれば、そんな状況でも逆に士気は上がったかもしれない。弱き者、特に美姫を護って戦うことを騎士の誉れとするノリは昔も今も変わらない。なぜそうなっていないかといえば当然、魔人がその対象に含まれているからである。魔人が具体的にどう強いかは魔法学園が積極的に広めているおかげで王国の若い騎士達にも充分伝わっている。そんな怪物を護衛することに騎士の名誉などあるのか、栄光ある騎士団の行軍を遅らされて屈辱を感じないのか。


「いや・・・本当にそれだけなのか?」

「うん?どういうことだ?」


 今回の行軍は魔人を国王に謁見させるために計画されたことだ。大々的に告知したりはしていないが、一応軍事行動なので道程上にある街には日程を伝えてある。さすがに魔人を連れて帰ることは秘密にしていたが、魔法学園を見張っていればそんなことはすぐにわかるだろう。あるいはどこかで若い騎士が口を滑らせたかもしれない。


 そして、護衛対象の美姫は命を狙われている。


 魔法学園で起きた一連の襲撃事件に端を発するレイラ暗殺計画とでもいうべき事件。更に先日の期末試験での騒動でそれらしい人物は全員国外退去、あるいは拘束できたはずだ。だが辛抱強く機会を窺がっている巧者が残っていたとしたら、こうして部隊を分裂させ、襲撃に都合の良い状況を作り出そうとすることくらいはするのではないだろうか。


「そういえば、不満を言う者は森に入ってから急に増えたような気がするな・・・」

「樹の陰から不満を煽るような言葉を囁けば、出処不明の話でもこの規模の隊ならたちまち蔓延する。」

「そうすると・・・」

「攻撃は既に始まっている、というのは考え過ぎかな。」



 まだ陽は高かったが、結局アランは隊を停止させ、演習を優先して先行する本隊とこのまま馬車を護衛する小隊に分けて再編成した。本隊の指揮はディーン、護衛隊の指揮はアランが執るが、アランと共にレイラの護衛をするのは元々彼の小隊だった者のみで、他は全てディーン隊に編入した。新編成に合わせて野営用の器材などを積み替え、本隊は先に出発、やや遅れてアラン隊も出発した。



 アランの小隊は本来彼を含め10人で構成されていたが、訓練を優先する必要のある若手をディーンの小隊に預けたため現在の人数は8人となった。ベテラン騎士である隊長を筆頭に、アランにとっては信頼のおける仲間ばかりである。レイラたちが乗る馬車と機材を載せた荷馬車それぞれに御者がいるが彼等は民間人である。襲撃を受けた際は最悪荷馬車を放棄してレイラたちだけを逃がす算段であり、元々その危険性を孕んだ上での行軍だったためちょっと高めの賃金を支払うことになっている。


 レイラの身分を考えれば護衛が少ない気もするが、これもディーンと各隊長を集めて協議した末に決めたことだ。


 幸いその日はそれ以上何事も起きずに過ぎた。


 あるいはこの様子を襲撃者はどこかで見ていたのかもしれない。急に隊を分けた理由を測りかねたか、目論見通りに事が動いていてもいったん様子を見るほどの慎重派なのか。


 そして翌日の昼間も無事に過ぎ、夜になった。


 昨夜よりだいぶ少ない夕食の後、レイラたちは馬車で、騎士たちはそれぞれの担当する場所へ移動するか眠る準備を始めた。


 夜間は騎士が夜明けまで2交代で見張りと火の番に就く。これはアランも例外ではない。


 事態はアランが火の番をしている時に動いた。


 季節的にまだ夜は寒く虫も少ないが、冬眠明けの爬虫類や夜行性の動物はちらほら姿を見せていた。そのため深夜でも森の中は無音ではない。だが、不自然な無音状態に気付くには余程神経を尖らせている必要があっただろう。


 交代の時間だというのに見張りの騎士たちが集まってこない。そればかりか先に休んでいた者も誰一人起きてこない。


 仕方なく寝ている騎士たちを起こしに行くと

「なんだ・・・これは。」


 騎士たちは寝てはいなかった。寝床から起き上がってきた者と、明らかに戦闘態勢の者がいる。そして、そのままのポーズで固まったように地面に横たわっていた。


 声をかけ揺り動かしてみるが反応が無い。それどころか呼吸も止まっているようだ。だが外傷が見当たらない。ただ時間が止まったかのように固まっている。


「!レイラッ」

 気づいて馬車の所へ戻ると、馬車はそこにあって一見無事そうだったが、屋根の上に異様な物が載っていた。


「これは・・・これはお前の仕業かッ?」


 背の高さ5メートル、いや3メートルくらいかもしれない。灰色ボーダー柄の巨大な鶏が馬車を持ち去るかのように爪を食いこませていた。

 その背中から

「はい、俺ですぅ。」


 御者の男だった。いや、服装はそうだったが、顔は変装を解いてアランと歳も近そうな少年の姿になっていた。


「俺って夜型だもんで昼間は弱くて、だいぶ馬車を揺らしてしまったのでお客さんもお疲れでしょう。」

 見れば手には手綱を握っている。だがつながっているのは馬ではない。


「お詫びに快適な空の旅にお連れしようかとぉ・・・」

 こんな状況だというのになんとも呑気なことを言っている。


「さては、わざと馬車酔いをするように仕組んだな?。それに妙な噂を流して隊を分けさせただろう。」


「いや、こんなに嵌るとは思いませんでした。ああ、残っていた騎士さんたちはちょっと石になってもらいましたぁ。」


 石?石に・・・あんな形で、苦しんでもがいたような跡も無かった。一瞬で?

 いや、ヒトを石に変えただと?どうやったらそんなことが


「その鶏、まさか・・・」

 思い当たる名があった。だが、特徴は一致するが、実在したのか?


「えぇ、初めて見た時は俺もびっくりでしたわ。こいつは・・・」


「なんですの騒々しい。中で病人が寝てますのよ?」


 無造作に戸を開けてレイラが出てきてしまった。

「おっと、これは・・・」

「へ?なにこれ・・・?」


「レイラ!ステラを連れて早く逃げるんだッ。」

「にげる?・・・えぇと・・・」

 この状況でレイラは寝ぼけているのだ。

 だが御者に化けていた少年も同じくらいに緊張感を欠いていた。


「あぁ、すみません姫様、そのまま中で寝ていてください。そうすれば寝ているうちに済みますのでぇ。」

「はぁ・・・そうさせていただきますわ、馬車が揺れる物ですからあちこち痛くて・・・」

「ああ、それは申し訳なかったです。実は御者は専門外、こっちが本職だもんでぇ」


 レイラは馬車の屋根に乗った鶏を見上げながら受け答えしていたが、長く話したおかげで少し脳が働きだしたようだ。


「・・・あら、よく見たらあなたはこの前の」

「知っている男か?」

「はい、この前の試験の時に助けてくれた鶏の・・・」


 鶏。人が乗れるほどの巨大な鶏だ。シュッとした体形で走るのも飛ぶのも得意そうだ。尻尾には紐を付けたままになっている。降りて連れて歩く時用だろうか?それにしては付ける場所が変だ。後ろ向きに引き連れる品種なのだろうか。

「あの、鶏じゃないですよぉ。」


「それじゃあやっぱり・・・」

「お!さすが王子様はご存じで。」


 茶色と黒、灰色が混じったフカフカの鶏でとても大きい。

「違うんですか?」

「レイラ、こいつの眼を見るな!」

「そうそう、直に見たら最期ですよぉ。」

「え・・・?」


 目・・・この鶏は特徴的な仮面を着けている。革製で攻撃にも防御にも使わない感じの、強いて言うならおしゃれな感じだ。

 目の所は網になっていて、その奥に忙しく動く目があるのがわかる。紐が付いているので騎手の操作でこれを開いたり、逆に跳ね上げてある蓋を閉じたりもできるようだ。


「最期というほどではないだろうけれど、ちょっと面倒なことになるだろうね。」

「そうそう。おや、もしかして姫様はご存じない?」

「ご存じって・・・鶏ですわよね?」


「・・・」

「・・・」


 アランまでがあきれたような表情をみせている。何?レイラはそんなに変なことを言ったのだろうか。


「・・・はぁ、ちょっといいですかぁ姫様。まずはこちらをご覧ください。」


 馬車の周囲には見張りをしていた騎士たちが奇妙なポーズで転がっていた。

 蹴られて昏倒したという感じではなく、地面に着いていない方の手や足が浮いているというか、走ったり跳んだりしたままの形で動きが止まってそのまま転がされた感じだ。見ていると可笑しいというより、胃の辺りが締め付けられるような感じがする。


「これを見てどう思います?」

「どう・・・って、どうしたらこんな風になるんだろう、とか、疲れそう、とか?」


 だが、やはり見ていてい気分は良くない。それに先ほどから感じる寒気はなんだろう。まだ夜明けは遠いのか。


「石化の呪いだ。あの形のまま筋肉が固まって動けないんだ。」

「王子様正解ぃ!」

 警戒の姿勢を解かないアランとは対照的に、騎乗の少年は楽しそうに笑う。


「では王子様、姫様に教えてあげてください。こいつは鶏じゃなくてぇ・・・」


「コカトリス。魔物だ、伝説上の。」


「コカトリス!・・・って、なんでしたっけ?」


「・・・」

「・・・」


 わざとやっているのではないのだ。レイラの反応がこんな風なのはちゃんと理由がある。

 まず第一に本当に知らないこと。

「コカトリスというのは見た通り、身体は鶏、尻尾は蛇という魔物だ。」

「はぁ。」

「武器は嘴と鉤爪。気性は荒く、爪を使った連続蹴りは非常に強力。何より恐ろしいのは、その目に石化の呪いをかける能力があることだ。」

「え?目に?!」


「あぁ、大丈夫。今はこうして仮面を着けてるから、仮面越しに見ても石化はしませんよぉ。ほらこれ、網が被せてあるでしょう・・・って、これ機密だったわ。」

「あ、それは・・・どうも。」


「そしてこの怪物は、魔人以上の希少種、いや、存在しないといわれていた魔物なんだ。」


 魔人シリカは一部で実在を疑われているものの、公式記録や個人的な記録などにしばしば登場することから概ね”いる”と信じられている。とはいえ、その名を日常で耳にする機会は多くなく、いわば知る人ぞ知る存在だ。一方のコカトリスはまず記録などといったものが無く、逆に架空の物語で頻出するため知名度は高い。要するに原典は不明だが明白に架空の生物であり、単純に世間の知名度で比較するならば「シリカ<<コカトリス」となる。だが、レイラはそうした物語の類にあまり興味が無く、図書館でも専ら記録書ばかりを読んでいるためシリカを知っているのにコカトリスを知らなかったのだ。


「ではこいつの紹介はこのくらいにして、要件を申し上げます。レイラ姫!」

「はい?」

「あなたにどーうしても会いたいという方がおりまして、私と共においでいただけますでしょうか。」


「それは、交際の申し込みとか縁談の類でしょうか?」

「さて、そこまでは知りません。私はただ「連れてこい―ッ」って言われてきただけですのでぇ。」


 アランがレイラを庇うように割って入る。

「魔人を諦めて主人の方を押さえに来たのか。」

「細かいことは分かりかねますが、普通に考えたらそうしますよねぇ。」


 先日の少女もレイラを名指ししていたが、あれとは根本のところで何かちがうようだ。


 レイラは無慈悲に即答した。

「そう言う事でしたら、こちらとしては同行いたしかねます。」

「おや、だめですか。」

「えぇ・・・名前も明かさず目的も言わず、他人を使って攫わせるとか野盗まがいの事をなさるような方とは・・・」


「・・・ですよねぇ。」

「はい。なので、どなたか存じませんがご依頼主の方にはそのように・・・」


「では決裂ということでぇ。」

「んっ・・・」


 少年はにわt・・・コカトリスの羽をごそごそと探ると、なにか細長い物を取り出した。

 取り出した2本の棒を真ん中でつないで片方に付いた鞘を払うと、それは長槍だった。それもものすごく長い。


「よっ!」

 コカトリスに乗りながら地面の相手を薙ぎ払う仕草をしてみせた。準備運動なのか、手の内を見せているのか。

 アランが剣を構え直す。


「実力で拉致させていただきますねぇ。」


 翼竜ベーターを召喚するには時間が必要だしさすがに相手も待ってはくれないだろう。もし召喚できたとしても森の中では地形的に不利、翼を広げられない翼竜は地を這う大トカゲ以下だ。更に、物語で読んだ通りならコカトリスは羽を広げなくても縦横に高速で走ることができ、見たところメイン武器は足爪を使った跳び蹴り。同じ爪を使った蹴りでも翼竜は上空からの急降下で威力を発揮するタイプで地面で戦うにはどうにも分が悪い。しかもあの長槍、あれはコカトリスに乗った時に威力を発揮するように誂えたものにちがいない。


「せいっ!」

「ふんっ!」


 思った通り、アランの剣は少年に届くはずもなく、反対に槍はアランの足元まで攻めることができた。これではアランは防戦一方で攻勢にでる隙がない。


「ていっ!」

「うおっ!」


 コカトリス自体も攻撃してくるかと思ったが、槍を使いながらでは命令を出せないらしい。だが、コカトリスの羽毛は触感こそもふもふしているが剣で斬りつけても通らず、瞬発力があるので迂闊に懐に入れない。

 一方の少年の方もコカトリスの背からアランの足元を狙うのは簡単ではなかった。森の中での有利は確かだったが、相手が近すぎてコカトリスの影に入ってしまうのと、角度的に的が小さくなるのだ。


 少年は槍を諦め、コカトリスでの攻撃に切り替えた。


「ひやっ!」

「おっと、失礼しましたぁ。」


 コカトリスが飛び上がった反動で馬車が大きく揺れ、レイラは振り落とされた。無様に尻から落下したが、抜群の運動神経のおかげでかすり傷ひとつない。


 コカトリスが地面に立つと、やはり高さ5メートルは見当違いか。羽毛が立っていて大きく見えるが、実際の中身は二回り位小さいだろう。鶏にしては脚がものすごく大きくて長い。


  ガキンッ!

「くっ・・・」


 少年の槍は素早いが軽く、剣で弾くことができた。だがコカトリスの足は・・・

(こいつ、もしかして軽いのか?)

 コカトリスの足は槍以上に早く堅かったが、見た目ほど重くは無かった。まともに受けさえしなければ剣で凌げそうだ。

 だが、夜の見張りが交代するような時間まで起きていたアランは強い疲労感に襲われていた。


「ありゃ、王子様思った以上にお強いですねぇ」

「何をっ!」

 少年は正直な感想を言っているのだが、アランには煽られているようにしか聞こえない。


「仕方ない、後々めんどうなことになるので王子様には使いたくなかったんですがぁ・・・」

 少年が手綱を操作すると、コカトリスの仮面が開いた。覆っていた網が跳ね上がり、ぎょろぎょろと動く両目が姿を現す。


「なんだ・・・?」

 わかっていたのにアランはそれを直視してしまった。

 いや、見た目は本当にただの鶏の目なのだ。ただ見ただけで体が石になるとは思えないし、隠していた物が出てくるという状況にヒトは目を向けずにはいられない。


「これは!ッ」

 それまで巧みに攻撃を躱していたアランの脚が突然もつれ、転倒した。

「これが、石化の呪いか!」


 コカトリスの圧するような視線が目を通して脳に侵入し、筋肉や神経の活動を著しく鈍らせる。


 だが、アランの精神は耐えた。視線が脳の奥へ到達する前になんとか目を逸らし、意識を保った。コカトリスの石化が呪いだというのなら、それがどの程度効果を発揮するかは精神力、あるいは魔力の勝負だ。翼竜を召喚できるアランの魔力は平均よりかなり強く、コカトリスの石化にどうにか耐えた。だが、脚が重い。完全には防ぎきれなかったのだ。


「つ・・・ッ。」

「さすが王子様、一回では足りませんかぁ。」


 呪いを躱そうと目を逸らすが、本気を出したコカトリスの眼力はそんなものに関係なく、脳を直接焼かれるような感覚にアランは頭を抱えた。


「おっ!・・・」

 突然、アランの前に石の壁が現れた。突けば崩れそうな壁だったが、どういうわけかコカトリスの眼力はその壁を突破できず、アランは頭痛から解放された。


 同時に森から数人の騎士が現れると、アランを護るように布陣した。


「兄上、大丈夫かっ?」

「ディーン、それに・・・」


「これはこれは、お早いお帰りで。」


 作戦通り反転してきたディーンたちだった。


 先行した本隊はまず補給物資を手に入れた先発隊と合流した。そこから選抜者で小隊を編成し補給物資を持ってアランたちと合流することになっていたのだ。そしてその小隊には補給物資と一緒に新参者が合流していた。王都で足止めにあっていた”頼れる人物”である。


 だが、真夜中の森の中でどうやって馬車の正確な位置を知ったのか。


「案内ご苦労!」

「よくやってくれた、レイラは向こうに隠れているはずだ。」


 ディーン隊からシリカが現れた。灯火も無しに迅速に辿り着いたのはレイラを嗅ぎ分ける嗅覚の賜物だった。

 レイラの命令でシリカは本隊に付いていた。襲撃者の少年がシリカ不在のタイミングを見計らって行動を起こすというところまではアランも読んでいたが、まさかの大物、コカトリスの登場で危機一髪という状況になっていたのだった。


「やれやれ、魔人の居ぬ間に姫様を攫って行くだけの簡単な任務が台無しだ。」


「気を付けろ、鳥の目を見るな!」


「え?」


 援軍の何人かがさっそく倒れた。

 だがディーンの前には先ほどの石壁が出現していた。コカトリスの眼力が通らないということは、ただの石ではないようだ。


 壁の下の方、影になった所に小さな人影があった。

「・・・」

「おぉッ!・・・すまん、助かる。」


 声ちっさ!ディーンにはなんとか届いているようだ。騎士団の魔術士か、”頼れる人物”とはこの人物か。


「こんな小さい壁、回りこめば無いも同然・・・」

 だが、コカトリスが回りこもうとするとそれに合わせて壁も動いた。


「こいつ・・・壁じゃないなぁ?」

 ディーンの影から出てきた人影はフードを被っていて顔が見えなかったが、身長ほどもある杖を携えているのが見える。


 よく見ると壁はたくさんの小さい壁を並べたもので、それがコカトリスの攻撃に合わせて形を変え移動していた。数歩下がればその全体像は壁というより蛸か何かのように見えるだろう。

「今だ!」

「はぃ!」

 ディーンの合図で壁の一部がコカトリスへむかって突撃した。


「うぉ!なんとっ!?」

 一撃を躱したコカトリスを追尾するように壁が移動した。コカトリスは更にその先へと飛びのく。


 まだ動ける騎士が剣で斬りかかる。だが分厚い羽毛に阻まれて有効打が入らない。正直、コカトリスにとっては訓練された騎士より新参で弱そうな魔術師の方が厄介な相手のようだ。


 動く壁の攻撃はどこまでも追ってくる。あの魔術師を倒せば良いのだが、攻勢に転じられるタイミングがない。


「だが・・・」


 少年にはまだ余裕があった。コカトリスの石化の呪いは垂れ流しのような状態になっているのだ。


「うぉ・・・」

「く・・・」

 騎士たちの足取りが重くなってきた。アラン同様にある程度は魔力で呪いを撥ねつけられるが、掠める程度の視線でも繰り返し受けることで影響が出始めたのだ。


 気づけば満足に動けるのはディーンだけになっていた。ならば狙うべき相手は


 ドガッ!!

「ぐっ・・・がっ!・・・」

「ああっ・・・殿下。」


 魔術師を狙えばディーンは必ず庇おうとする。自分の防御もしながらそれをできれば完璧だが、ディーンはそこまで器用ではなかった。魔術師を襲うと見せかけた爪は寸前で一拍遅らされ、すかされてバランスを崩したディーンは遅れてきた蹴りを脇腹に受けてしまった。

 肋骨の何本かが折れた。傷は内臓に達し、口から鮮血が流れ出す。


「殿下、殿下ッ。」

「ぬかった・・・に、逃げろ。」


 コカトリスが目の前に迫っていた。石化の呪いもだが、小柄な魔術師は爪の一撃に堪えられそうにない。

「そのまま動かないでいてください、そうすれば大けがはさせませんから。」

「っん!」


 岩の壁が背後からコカトリスを襲った。

「おっと!」


 指先一つすら動かしていないのに、攻防一体の岩壁は盾として皆を護りつつ、隙あらば槍のように攻撃を仕掛けていた。単純な相性の悪さに加えて、この魔術師の攻撃と防御を素早く切り替える操作技術、複数の方向から攻撃できる空間把握能力は恐るべき才能だ。ただ本人の性格に依るのか、防御はともかく攻撃がためらいがちに見え、おかげでなんとか回避し続けられている。この魔術師が前面に出て戦っていたら戦況はもっとアランたちに有利に展開していただろう。


 まだこれほどの使い手を隠していたとは、王国騎士団の実力、侮りがたし。


「ちょっとあなた!いい加減になさいませッ!!」

 ディーンたちとは反対側から、良く通る横柄な声が響いた。


「っ!だめだ、目を見るなレイラ!」

「どうせ用があるのは私でしょう?!その人に手を・・・目?、え??」

「あ・・・っ!」


 少年は慌てて手綱を引き、コカトリスがレイラの方を向かないようにする。


 だが、鶏の目は横向きに付いているのだ。

「やべぇ・・・」


 仮面の蓋を閉じたが手遅れだった。


 レイラはコカトリスの目を覗き込んだままの姿勢で固まっていた。


「あぁ・・・やっちまった。」

「・・・」


 少年は雇い主からレイラを無傷で連れてくるよう厳命されていたのだろう。本気で憔悴していた。


「レイラ・・・」

「レイラさん・・・」


 キン!静寂に音があるとすればそんな音だろう。空気がキンとしていた。


「・・・」


 わずかにレイラが息を吸い込んだように見えた。いや、そうであってほしいと望んだからそう見えただけかもしれない。だが、少年は念のために呼びかけてみた。


「・・・姫様?」


「鶏ってこの目でどうやって正面を見るのかしら?」




「「はぁ!?」」


 敵味方から同じ声が出た。



「なんとも、ない?のか??」

「ええ・・・ただ、おっきな目だなぁ、と。」

 無限に長い数秒が流れた。


「フフ・・・アハッ、アハハハハハハハハッッ!!」

 少年の憔悴した表情は大笑に変わった。


 たっぷり20秒ほど笑い続けただろうか。顔を真っ赤にし額から大汗、目から涙まで流して笑っていたが

「アハハハ・・・ハアッ・・・いやぁ、聞きしに勝る魔力量。さすがはレイラ姫様、人間とは思えませんわぁ。」


 どうしてこの人に笑われているのか、鶏の目を見るのがそんなに大変な事なのか、レイラは訝しげな眼を向けた。

「あなたちょっと失礼ですわよ。これはあなたの雇い主に苦情の一つも入れすには済みませんわね。」

「ではご一緒に・・・」

「いいえ!ご招待は丁重にお断りいたします。その雇い主の方には正式に抗議文を送らせていただきますから、雇い主のお名前とお住まいを教えなさい。」


 少年はレイラの迫力に圧され始めていた。

「ぇぇ・・・それはちょっと」


 少年が反論を考える間もなく、レイラは一際通りのよい声で言い放った。

「あら?人攫いなんて恥知らずなことをさせておいて、名前は明かせないとおっしゃいますの?さぞや卑しいお方なのね、あなたの雇い主はッ!」


「・・・っ。」


 今のは効いたらしい。

 だが少年は依頼に忠実、実行には冷静であることを信条とするタイプのようだ。

「ーーーーっ、」


 落ち着いて現状を分析する。第一目標のレイラがわざわざ目の前に出て来た。これはチャンスだ。更に、まともに戦える騎士は残っていない。彼女を攫って逃げるなら今だ。

 だが、最後に残った正体不明の魔導士。こちらから仕掛けなければ反撃してこないようだが、彼女の魔法、それともああいう召喚獣?岩の蛇だろうか?あれはコカトリスとは相性が悪い。


 一方で向こうから仕掛けては来ないようだ。騎士が動けないというのもあるだろうが、こちらが動くのを待って奇襲する気なのだろう。例の魔人が姿を見せていないのはどこかでこちらを窺がっているにちがいない。あれが遣いに出ているタイミングを狙ったのだが、これではもう無理か。


 開けたままのドアから馬車の中が見える。人影が見える!そんな気配はしなかったが、余程の使い手が伏せているのか。それにしては姿が丸見えだが。


(魔人か?ちがうな、こいつは・・・)


 この奇妙な伏兵の正体に気づいた時、少年は腹を括った。


「はぁぁぁーーーっ」

 音を立てて深呼吸をして空気にリセットをかけた。なんとか冷静さを取り戻したようだ。


「申し訳ございませんが、雇い主の名前を明かすことはできません。そういう契約ですので。ですが・・・」

「ですが?」


「今日の所は潔く負けを認めて引き下がりたいと思います。それから、」


 いつの間に連れ出したのか、コカトリスの羽毛の中から眠ったままのステラを掘り出した。開けたままになっていた馬車のドアにコカトリスの尻尾を突っ込んで巻き取ったのか。

「こちらのお嬢様は当方でお預かりさせていただきます。」


「ステラ!」


 この時ばかりは、レイラは自分の短気を激しく後悔した。


 馬車に残されたままのステラを助け出しに来たはずが、アランが動きを止められ、ディーンが重傷を負わされるのを目の当たりにして黙っていられなかったのだ。レイラが一時の激情に走ったばかりに、ステラの身柄は今敵の手にある。


 だが、彼の本来の目的がレイラである以上、ステラの使い途は一つしかないはずだ。


「貴様ッ彼女をどうする気だ!」

「御心配には及びません、これは・・・彼女のためです。」

「ステラのためだと?!」


「手前ェッ!ステラに何をしやがったッ?!」


「そうよ!ステラをどうする気なの?!返しなさい、今すぐ!」


 レイラには少年がどうして自分との交換を言い出さないのか理解できなかった。


 少年は申し訳なさそうに俯くと

「本当に申し訳ありません。ですが、この方は俺の名誉にかけて、元通りにしてお返ししますので。」

「手前ェ何言ってやがる、ステラを降ろせっ!」


「・・・ちょっと、元通りにって、どういうこと?」

「ん?」


「もしかして、頂いた薬に関係あるのかしら?」

 少年が少しビクッとしたようだ。


「そこに気づかれますか・・・まあ、そこは気づきますよねぇ。」

「答えなさい!ステラはどうしたの?」


「・・・あれは、ただの酔い止めじゃありません。石化の研究をしていて偶然できた・・・麻痺毒です。」

「麻痺ならこちらでも治療できます。返して頂いて大丈夫よ。」

 レイラの言い方はまるで自分を連れて行けと催促しているようにも聞こえる。


「いえ・・・実体は、進行性の・・・、石化薬で」

「石化・・・」


 石化の研究をしていてできた薬なのだから当然といえば当然だが。

「コカトリスの呪いを分析する過程で似たような効果のある薬品が出来たのですが・・・」


 呪いなら外部からの魔力による干渉で解除が可能で、この場合魔力というのは必ずしも治癒魔法のことを指さない。薬でかかった麻痺なら対処法は解毒薬を飲ませるか、魔法による治療を試みること。だが、麻痺の度合いによっては薬を飲ませることができなくなり、口や鼻から少量ずつ流し込んで正常な部位を増やしていくことになる。


「それじゃあ・・・ステラは」

「申し訳ありません。本当はあなたに飲ませて運び出し、移送の途中で解毒薬を投与する予定でした。」


 この毒の症状が進行して完全に石化してしまうと、解毒薬を投与してもそれを嚥下することができない。

 そうなると魔法で治療するしかないが呪いでない、薬品による石化は症例が極めて少なく研究は進んでいないのだ。


 しかも現状はもっと複雑だった。

「副次的に鎮痛効果があって、この方があまりに気分が悪そうだったので・・・逃げる前に解毒薬を飲ませれば充分間に合うはずでした。薬の効果が出ている時に石化の呪いに当てられると双方が効きすぎてしまうことは知っていたのに、このお嬢さんの居るところでコカトリスをけしかけてしまって。ここまで回ってしまうと・・・」


 毒が通常より強く効いてしまって急速に症状が進み、ステラの状態は麻痺から一気に石化へ進行してしまったのだ。薬で麻痺している相手に追加でコカトリスの呪いをかけることなど普通はないし、そんなレアケースの解毒法など普通は研究されないか、されてももっとありそうなケースの研究の後だろう。


 ステラの顔が髪で隠れていると思っていたが、完全に石化していて髪と顔が同じ色に変わっていた。

「石化の研究なら我々の方が進んでいます。我々の名誉と命にかけて、必ずこの方を元の身体に戻してお返しするとお約束します。」


 不運、としか言いようがない。ステラは完全に服を着た石像になってしまっていた。


 彼の言う通り、ステラの治療につながる研究はその毒を作った国が最も進んでいるだろう。だが、ここで彼にステラを預けた上に逃がすとなると、後々彼女の身柄とレイラの交換を要求してくることは明白だ。一方で彼自身は治療後にステラを返すと言っているが、嘘を言っているようには見えない。


 逡巡したのち、レイラは決断をした。


「わかりました。今は彼女をあなたにお預けします。」


「レイラ!?」

「レイラ?本気なのか!?」


「・・・彼の言う通り、毒薬と呪いの両方をかけられたときの石化の研究など私達は考えたこともありませんでした。時間が経つほどステラの容態は悪化し、治療困難な状態へ進行すると思います。」


 レイラはアランの方へ向き直った。

「私達には彼女を治療する算段すらありません。唯一希望があるとすれば、彼に預けることです。」


「う・・・」

「しかし・・・」


「どうかお二人とも、彼の事を・・・私を信じてください。」

「だが・・・シリカ、そうだ、シリカはどうしたんだ?ステラを直せないのか?というかなんであいつは戦ってないんだ。」


「私が命令して帰らせました。」

「え?」


「彼が私をどこへ連れて行く気なのかは知りませんが、理由はわかります。魔人シリカを脅威に思って排除したいか、逆に自分の陣営へ取り込みたい者に依頼されて来たのでしょう。私の身柄を押さえればシリカを思い通りにできる、あなたの主人はそういう考えなのでしょう?」


「仰せの通りでございます、姫様。ですから、あなた様には一筋の傷も付ける気はございませんでした。」


「それとステラは、あの子の力では・・・」

「・・・治せない、のか?」


 言われてみれば、この少年はレイラを連れて行くとは言ったが、他の襲撃者のように傷つけたり殺したりする意図はない様子だった。何となればレイラの身代わりとなってジャイアントラットの一撃を受けたりもしている。コカトリスなどという物騒な魔物を使役しているが、それしか彼に扱える召喚獣が無いのでは仕方のないことだ。誰もがレイラのように複数の異なる召喚獣を同時に出したり、1体目が使えなくなったからとすぐさま2体目を召喚出来たりするわけではないのだ。


 またティーラブ能力は擦り傷や切り傷には神がかった効果を発揮するが、乗り物酔いや風邪などには効果が無いらしい。実際、ここまでの行程でシリカは試すこともしなかった。


 ディーンは黙りこくってしまった。握った拳に口惜しさが滲んでいる。


 レイラは改めて少年の方を向いた。


「ですが、こちらもいつまでも待つというわけには行きません。雇い主の名を言えないなら、せめてあなたの名前なり連絡方法を教えてくださらないかしら?深紅の傭兵とはいえ住所というか、拠点のようなものはあるのでしょう?でなければステラを見舞いにも行けませんわ。」


 深紅の傭兵。


 その単語にはアランたちも反応した。

「深紅の傭兵だと?レイラ、本当なのか?」

「レイラ?」


「え?・・・」

 勢いで口から出た言葉だったが、特別な意味があるとは思っていなかった。そもそも「深紅の傭兵」って何のことだろう?


 だが最も驚いていたのは当の少年の方だった。

「そんなことまで・・・まったく、あなたは底が知れないお方だ。」


 傭兵、傭兵団に盗賊団。今回のような荒事を金品で引き受ける存在はいくらでもある。レイラはその中から「深紅の傭兵」を名指しし、的中させた。


 本人も聞いたことが無い名前にもかかわらず。


「ですがこちらもプロとして、雇い主についてはお答えしかねます。」

「手前ェ、この期に及んでまだ・・・」

「ディーン・・・」


「・・・すまん。」


「ですが二つ名を当てられた以上、姫様には名前くらいお教えするべきでしょう。俺・・・私はバロー・ラインロング。お気軽にバローとお呼びください。」

「深紅の傭兵、バロー・・・」


「いやだなぁ、そうやって続けて呼んだら俺の正体がバレちゃいますよぉ。で、こちらのお嬢様ですが、解毒薬は基本内服薬なのでこの御身体では・・・」

「結局治らないのか。」

「ですが、治療法に心当たりがあります。今はできるだけ急いでそちらへお連れして、結果の方は新学期に。必ず報告にお伺いします。」

「わかりました。その言葉、信じてお待ちしておりますわ。」


「では皆さま、その時まで。」


 石化したステラを羽毛の中に沈めると、


 ”トットットットット・・・・”


 巨体の割に以外に軽い足音を残してコカトリスは走り去っていった。


「あいつを、信じて大丈夫なのか?」

「わからない。だが、レイラが信じるというなら、我々もそうするしかないだろう。」

「なんだよそれ。」


 レイラはコカトリスの去った方をずっと見送っていたが、一言だけ

「申し訳ありません。でも、そう確信できたとしか・・・」

「できた、って・・・お前それ、根拠とか無いのか?」

「ディーン。」

「兄上も、レイラが言ったからってだけで、しかも深紅とかどうしてわかったんだ?」

「ディーン!」

「今からでも追いかけよう、あの様子じゃ相当疲れが来てるだろう。追いつけないことは無い。」

「ディーン!そこまでだ!」


「兄上・・・」

「レイラには、わかってしまうんだ・・・そういう人なんだ。」

「・・・なんだよそれ。」


 当のレイラは少年、バローが戻ってこないことを確認すると、それまでとは打って変わった憔悴した顔でディーンの方を向いた。


「レイラ?」

「シリカは・・・どこ?」

「さっき自分で帰らせたって言わなかったか?」

「いや、さっきのはどう聞いてもはったりだろう。」


 ディーンたちと一緒に戻ってきて、その足でレイラの方へ走り去っていったシリカはレイラの元に辿り着いていなかった。


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