第11章「デンカランシン」
ステラが魔人シリカを手懐けた。いや、レイラ様第一主義のステラをシリカが同志認定したという方が近いか。最近のシリカはステラの言う事をよく聞く。まだ陽が高いうちに疲れて眠ってしまったレイラを置いて、ステラはシリカを城内の何処かへと連れて行った。
そして一夜明けて。
ブラッドベリー城、レイラの部屋は二階のバルコニー付き。学園の寮と違って大きな窓と広くて明るい室内、お気に入りの調度、動物と植物、ブラッドベリー領名物の土と草の香り。宿題に補習課題、更にシリカというお荷物はあるものの、レイラは久しぶりに自分のドレスに袖を通しくつろいでいた。
(実験室の薬品臭い空気でも、図書館の黴臭い空気でもない、これこそヒトが吸うべき空気ですわ)
深く深く深呼吸・・・と、そこへ
「おう、魔力バカ!遊びに来てやったぞ。」
ぶち壊し。
「これはディーン王子殿下、ご機嫌よろしゅう・・・というか言葉遣いが乱れてましてよ。」
「構わん、俺とお前の間に遠慮することなど無いだろう。」
「はぁ・・・まったく、あなたという人は。」
ディーンは帝国王家の第二王子、「魔力バカ」の命名者である。気さくといえば気さく、不躾といわれればその通り。長子であるアランが完璧な王子である分、何かにつけて比較された幼年時代は荒みがちで、田舎の空気で心根を洗ってこい!と父王陛下に放り出されて一時ブラッドベリー家に滞在していたことがある。
その滞在期間中に聞いたレイラの
「バカ」もバカなりに努力しないと、本当の自分に成れないまま終わってしまう
という人生観と、
にもかかわらず結局バカで、それでも日々努力をやめないレイラの姿に感じ入る物があったらしく、王城に戻ってからは自分の劣るところを認め、少しでも向上する努力をするようになった。この変化にレイラの両親は王室から非公式に感謝されている。その後もレイラと居ると良い影響があるようだから、と国王陛下からも機会があれば積極的に訪問することを勧められている。
今なら努力の方向音痴という言葉があるが、幼少時からも日々の努力の甲斐なくレイラの学問の出来が散々だったのは気の毒とも思える。頭に入っていないのではなく入れるべき知識が間違っているというか、試験の類を悉く外してしまうのだ。そんなレイラにあって、唯一突出した才能は内包する魔力量であった。魔力の操作自体は下手だったにもかかわらず魔法学園への挑戦を勧めたのは他でもないディーンであったが、受験勉強の面倒はステラが看、合格を知らされた日は二人とも自分の事のように喜んだという。今のレイラがあるのも一部は彼等のおかげともいえよう。姉弟のように過ごしたディーンはレイラにとって肩の力を抜いて話ができる貴重な男友達であり、ステラは出来た妹である。
「姉より優れた妹などッ・・・」
と、どこかの悪役なら激高しそうな。実際、ステラは領主夫妻に負担をかけまいとして猛勉強した結果、平民ながら魔法学園への推薦を取り付け学費を免除されているのだ。
「しっかしいまだに思い出すな、あの兄上が、結構余裕かましてた割に見事に転がされたな。」
兄弟仲が悪いわけではないが、やはり完璧と思われた兄がよりによってレイラに負けたというのが面白くて仕方ないらしい。手綱を握ったまま、暴れる翼竜に振り回される形でゴロゴロと転がされた兄の方は観衆の面前で無様な姿を晒してしまったが、相手が魔人使いだったということもあり父王は彼を叱責したりはしなかったそうだ。その後アランは打倒シリカを目標に掲げ、休暇の度に彼女に所縁のある街や遺跡を調査して回っているという噂もある。
「いいでしょう、もう、そのことは。」
レイラとしてはあの快進撃の事には触れられたくないらしい。アランに土を付けたことで学園の女子からのバッシングはすさまじいものがあったのだ。
「あまり思い出したくないわ。」
「そうか?」
見かねたステラがバッシングの件をディーンに相談、彼がアランに取りなして署名入り告辞が掲示板に貼り出された結果、バッシングは急速に鎮静化した。
「・・・どうぞ」
ステラが紅茶を差し出したが、ちょっと言葉に愛想が無いというか笑顔も無いし、なんというか、対応がやや塩っぽい。
だがディーンの方はそんな態度を気にも留めない様子だ。
「おう、ありがとう。」
窮地のレイラを救った英雄二人の姿としてはどうもぎこちない。
「で、あの魔人は連れてこなかったのか?」
「いるわよ、そこに。」
「そこ?そこって・・・」
大げさに辺りをキョロキョロ見回し、ふざけたつもりでテーブルクロスをめくってみると
「シャーーーーッ!」
「うわっ!ここかよ。」
テーブルの下には驚いてディーンを威嚇するシリカが居た。
今日のシリカはブラッドベリー家が用意した特注ドレスを着ている。
魔人の凶悪な印象を思えば黒、妖しさを漂わす紫、激しさの赤辺りが良さそうなのだが、シリカ本来の性格を反映して子供服のような黄色である。
学園製の魔人服とは違ってこのドレスはスカートを採用している。お披露目に着ていた礼服は割とタイトなミディ丈だったが、こちらはフォーマルな場に着る物ではないので大きく広がったフレアになっていてますます子供服感がする。だが、どうしてこんなものが用意されていたのか。
ドレスの見立てをしたのはレイラの母である。レイラが幼かった頃に充分に構ってやれなかったことを心の隅で後悔しているが、成長したレイラに対して今更甘やかすこともできず、評価すべきところはしっかり評価したうえで、ステラなどレイラに近しい者を厚遇することで間接的にレイラへの褒美としたかったのだろう。
だからレイラが魔人を預かることになったと知らされた時は相当に驚いた。そんな危険極まりないものを生徒に管理させるという理事会の方針に不審を抱き、追加の使用人を送るか、中退させてでもレイラを呼び戻すべきかと真剣に悩んだ。だが、その後の手紙でレイラが苦労しながらも魔人を管理している事、色々あって学園内での評価が向上していることを知ると、今度はレイラを変えた魔人が何者なのか興味が湧いてきた。
手紙から普段の魔人の様子を知ると、当初の印象との落差に戸惑いつつもステラに採寸させて城内で魔人用の普段着やドレスを作らせた。そして仮縫いでトルソに着せてあったのを、ようやく本人が空いたので特急で仕上げたのだった。
普通ならドレスを褒める場面なのだろうが、ディーンの反応は
「なんか野良猫みたいだな。」
「猫みたいでかわいいじゃないか」と同義なのだが、ディーンとしてはなかなかこの「かわいい」という単語は使いにくい。
「ユニコーン種だし、男子にはそういう反応をするわよ。」
角がテーブルに当たらないように頭を低くしているせいでますます猫に見えてくる。
「ほらほら、これはどうだ。」
お茶菓子のクッキーで釣ろうとするがシリカは警戒態勢を解除しない。それどころか顔の前でしつこく振って見せたらはたき落されてしまった。苺のようにはいかないようだ。
落ちたクッキーは・・・いや、落ちていなかった。まっすぐ手元へ飛んできたクッキーをステラは華麗にキャッチし、
「粗相があってはなりませんよ。」
パクッ
ステラからは受け取る、というか口で受けた。つくづく室内飼いの大型犬かと訊きたくなる。
「おお?俺からは受け取れないっていうのか?」
「だからシリカは男性全般がだめなのよ、そういう物と思うしか。」
(だけどステラの手から直接食べるとか、いつもこんなに甘えていたかしら?)
「ということは、男でなければいいのか。」
「え?ええ、そういうことですけれど・・・」
***しばらくおまちください***
「それで・・・なんですの?それは」
「見ての通りだ。」
ディーンは一度退席すると、使用人に一番大きいメイド服を用意させてそれを無理矢理着込んできた。
宴会などで一時的に使用人を増やす必要がある時のために、城内にはメイド服などを複数サイズ揃えてストックしている。
その中には180センチ超えの長身メイド用もあるという周到振りだったが、飽くまで高身長の女性を想定したものだ。鍛えられたディーンの身体に対して各部の太さが不足しており、袖口や肩などの縫い目が破裂しそうだ。
果たしてこれを「着た」と言っていいのか、その前に他の家人に見られでもしたら・・・
「いえ、私が申しあげたいのはそういう事ではなく」
「どうだ!これなら見た目はそこのメイドと変わらんだろうッ」
ステラのメイド服は基本デザインこそディーンが着ている物と同じだが、常勤のメイドとしてステラに合わせて仕立た専用品である。更にステラ自身の整った顔立ち、短く揃えた黒髪と細身だが芯の強さを感じさせる体型。学園でも「妹にしたいメイドNo.1」、と意味はわからないが人気なのだ。それをゴリラのような筋肉メイドと「見た目は変わらん」とは
「これは、たとえ殿下のお言葉といえど聞き捨てなりません。」
完璧にメイド服を着用しているステラと、無理に突っ込んでいるディーンとでは勝負になるまい。
「そういうことでしたら殿下、ここはどちらがメイド服に相応しいか勝負というのは如何でしょう?」
「ちょっとステラ、不敬ですわよ。」
「よかろう、その勝負受けた!」
「殿下?!」
3人とシリカは中庭に出た。12月末とはいえ風が無い上に午後の陽射しが暖かく、シリカ的には昼寝日和だろう。
メイドと、メイド服の・・・せめて補強をしてから出直すことをお勧めしたいがディーン王子、記録係のレイラ、そしてシリカがそれぞれ位置についた。
中庭の一方にシリカ。反対側にステラとディーンが少し離れて立っている。
「それでは両者同じクッキーを持って、魔人シリカがどちらを受け取るか。2本先取3本勝負。」
「いざ!」
「おう」
「はじめ!」
「お願いします!」
「お願いします」
両者、クッキーを持った右手を握手を求めるような姿勢で前へ突き出し、腰を折り目を閉じて待つこと数秒。
カリカリと音がして目を開けると、シリカはステラの手からクッキーを齧っていた。
「勝者、ステラ!」
「待て、そいつ受け取らずに食ってるぞ。」
「問題ないでしょう、これは受け取ったとみなします。細かい男はきらわれますよ?」
「くそっ、次だ。」
「はじめ!」
「お願いしまっす!」
「お願いします」
カリカリッ・・・
「勝者、ステラ!」
「うおおお、なぜだああっ。」
「いえ、当然の結果だと思います。」
勝者の余裕か、シリカに舐められてべたべたになった手をハンカチで拭きながらステラは答えた。
「くそっ、次だ!」
「次はありませんわ。」
「何っ?」
「2本先取です。」
「くっ・・・」
・・・どうして勝負になると思ったのだろうか。
「いや、3度目の正直という言葉もある。もう一度だ。」
「謹んでお受けいたします。」
「おう、よく言った。」
「はぁ・・・戦場で指揮官にしてはいけないタイプですわね。」
「うん?」
勝負はついていたが、ディーンたっての願いで3戦目を行った。
「ありがとうございました。」
「むぅぅ、完敗か。」
「気は済んだかしら?」
どう考えても勝負の前提条件がおかしすぎる。
だいたい、この勝負でメイド服の何がわかるというのか?いや、もう何を競う勝負なのかわからないのだが、この王子、負けず嫌いである。
「いや、この勝負、俺とメイドでは見た目が違い過ぎた。」
今???
「魔人に目隠しをしてもう一度だ!」
「謹んでお受けいたします。」
既に服装の事はどうでもよくなっているようだ。
「前は見えませんわね?ではシリカ、その場で3回回りなさい。」
目隠しをしたシリカはその場でもたもたと回った後
「では、始め!」
おぼつかない足取りで歩きだす。
「(そ、そ~ら・・・こっち)」
「殿下、声を出すのは反則ですわよ、それに逆効果ですわ。」
「ああっ!そうだったっ!」
だが、目隠しをしたシリカを声や音で誘導しなくてどうするのか。これではますますシリカは迷走するばかりで・・・
「勝者、レイラ様です。」
「どうしてよ?!」
シリカはふらふらと彷徨った挙句、3回連続でレイラにゴールインしたのだった。
「くっ、メイドに負けた上レイラにも負けるとは・・・」
「今のはノーコンテストですわ!大体この勝負に何の意味がありますの?」
「意味は無い!」
「ございません。」
「無いの?!」
息ぴったりな二人に、ついレイラは声を出して笑ってしまった。笑いのツボというやつに嵌ったらしい。
汗が出るほど笑ってステラにお茶をもらい、ようやく落ち着いてきたところでディーンがネタばらしを始めた。
「この前お前が寝込んだ時に、最近魔人を押し付けられたり、教師連中のむちゃくちゃに突き合わされたりで、精神的な方で休めてないだろうって、ステラに相談されてな。」
「お体の方なら私がお世話できますが、お心の方は私だけでは少々力不足と感じましたもので。」
「できればもっと早くやりたかったんだが、学園では周囲の目もあって声をかけにくくてな。今まで引っ張ってしまった。」
「とんでもございません、無茶な演出に乗って頂いて感謝しております。」
「あなたたち・・・」
シリカの出現からこっち、周囲の目や教師の無理な注文(主に生物教師)やら、度々送られてくる学園からの通達にシリカの予測不能な行動などで気の休まる時間のなかったレイラだったが、二人はそんな彼女を気遣ってくれたのだった。当初のぎこちない感じはきっかけを計っていたのだろう。
「ありがとうございます殿下。ステラも、ありがとう。」
「まあ、”姉上”が元気ならいいんだ。気にするな。」
「専属メイドとして当然のことを致したまでです。」
「ぬ!」
「あなたもありがとうね、シリカ。」
「ぬぁ~・・・。」
見よ、諸侯を震え上がらせた魔人のデレデレな姿を。活字だけど。
元の服に着替えたディーンは、そろそろ帰ろうとしていた。
「ですけど、ここまでしていただかなくとも・・・」
「いや、ステラと打ち合わせをしていたら盛り上がってしまって。」
「道理で。殿下のメイド服、あんな無理な着方をしていたのに裂けも破れもしなかったのはそういうことでしたのね。」
「はい、あまりお見苦しいと却って毒かと思いましたので、そこは手直しをさせて頂きました。」
「うん?それでは俺のメイド姿が見苦しいと言っているようではないか?」
「いえ、決してそのような。眼福でございました。」
「本当か?」
「はい。」
「ならばよい、これからもレイラを支えてやってくれ。」
「いいの?!ていうか眼福って??!!」
「殿下の仰せのままに。」
ディーンは帰って行った。年末年始の王族は各種挨拶や宴会で忙しいだろうによくぞ抜け出して来れたものだ。
「ぬーーーーーーー」
「え?シリカ??」
シリカはレイラに抱き着くと、ドレスの胸に顔を擦り付け始めた。
「ぬぅっ、ぬぅっ、ぬぅっ!」
「ちょっと、シリカ・・・角・・・」
「ぬぅ~~~」
「なあに?やっぱりお腹空いてるの?」
「だいぶ体を動かしましたから、そうかもしれませんね。」
「そういえば一番動いてましたものね、お疲れ様。お部屋へ戻りましょう。ステラ、お茶のお代わりをもらえるかしら?」
「はい、レイラ様。すぐにお持ちします。」
「王家の方の訪問を受けるのは名誉なことですけれど、ディーン様のように頻繁にいらっしゃられるのはどうかと。」
紅茶を注ぎながらステラはつい本音を言ってしまった。こういう場合、レイラは主人としてステラを嗜める立場だが、確かにステラの言う通りで、一国の王子が年頃の娘をあまり気安く訪問するのは公人としていかがなものか?だが政治的には王家とブラッドベリー家の関係は良好にしておきたいし、そうするともはや妃候補は既定路線として逃れ得ないのか。
「確かに、ディーン殿下にはもう少し公人としての自覚を持ってもらいたいわね。」
このくらいに言うのが精いっぱいだった。
「でもステラ、シリカも。仮にも王子殿下に対してあの態度はどうかと思うの。」
「はい、申し訳ありませんでしたレイラ様。少し調子に乗ってしまいました。」
「シリカは?」
「にゅぅ・・・」
またテーブルの下に潜ってしまった。
「これ・・・反省しているのかしら?」
「さあ・・・なにぶん魔人のすることですので。」
クロスに隠れて、シリカがどんな顔をしているのか見ることはできなかった。
「・・・?ちょっと、何をしているの?」
レイラが膝に違和感を覚えて下を覗くと、シリカがスカートの円い刺繍を角でコツコツ叩いて遊んでいるのだった。
「というか、あなたいつまでそこに居ますの?」
狭い空間にクロスで隠れているのが気に入ったらしい。片づけついでにステラがクロスを外すと、居所が無くなって椅子の上に上がってきた。野生のユニコーンにも穴に潜って暮らす習性は無かったと思うが。
「あなたって本当、わけがわかりませんわね。」
今更ではあるが、アランが各地の遺跡やシリカ所縁の地を調べているというのは本当の事である。過去に自国内に現れた魔人の情報を蒐集して「打倒」というより普通に研究をしているのだ。折角本物が居るのだからこの機会に色々究明して、将来起こり得る問題に備えておこうというのだろう。そして、情勢によっては王国の戦力として利用することも見据えているに違いない。そのくらいはレイラでも想像できる。その時には自分が命じて戦地へ行かせることになるのだろうか。今日の平和な様子からはおおよそ想像もできないし、そんな日が来ないことを願いたい。
だが、アプローチの仕方は全然違うものの研究熱心な所は生物教師に似ている気がしなくもない。ある程度情報が揃ったら実物を調べに来たりするのだろうか。アランが内視鏡を持ってシリカを間近で見たいと言ってきたら・・・あの王子の口から「陰部」とか「肛門」とかいう単語が出ることに耐えられるだろうか?そんな事態になる前にこちらから出向くべきではないか。
左手に下半身丸出しのシリカを抱え、右手に剥ぎ取ったパンツを握りしめて
「アラン殿下!どうぞ御覧になってください。これが・・・」
想像しただけで眩暈がしてきた、いやこれは頭痛か。この件はこれ以上考えないでおこう。
シリカが椅子の背もたれに顎を乗せて後ろ向きに座っていると足の裏がよく見える。だいぶ小石が挟まってしまっていて、厩舎で落としてもらった方がよさそうだが連れて行って大丈夫だろうか。
「そうだわ、いい機会だし今日は3人でお風呂へ行きましょう。」
ブラッドベリー家にはステラ以外にも多くのメイドが勤めていて、城内ではレイラの世話は彼女らも含めて分担になる。加えて本来ステラにも城内の通常業務が課されるのだが、レイラが魔人を同行していることから今回の帰省ではそれらを免除されている。レイラが所用で不在にする時などは魔人の相手をできるのはステラだけであり、その身辺の世話を専門で担当することになったためだ。
「さすがに3人だと少し・・・というか、かなり広いわね。」
貴族用の浴場は魔法学園の大浴場ほどは大きくないが、3人で入るには大きすぎる。しかし本来なら3人どころかこの中で浴槽に入れるのはレイラだけである。ステラは浴場へ入ることはできるが、それは飽くまで主人の世話をするためで湯に浸かることは許されない。
「メイド長は居るかしら?」
「ご用でしょうか、お嬢様。」
「魔人を入浴させます。誰か手を貸しなさい。」
ステラ達使用人には使用人用の浴場があり、客人には格に合わせた浴場を使ってもらう。レイラの友人や宴の招待客など賓客であればレイラと同じ貴族用、外部から招聘した細工師や料理人は特別な場合を除いて使用人用を使う。馬なら厩舎で洗う。
さて、今日はシリカをどちらへ入れるか。主人から特に指示が無い場合、その判断はメイド長に委ねられる。まず魔人は賓客であるか?レイラの連れではあるが友人ではなく、魔法によって使役される召喚獣、それどころか規則上は備品と同格だというのだから厩舎かそこらの洗い場で充分だ。しかし魔人を粗末に扱って大丈夫だろうか。機嫌を損ねたりすれば主人や領地にどんな被害が出るかわからない。となれば、間を取って使用人用浴場か。だが今、レイラが「手を貸せ」と言ったということは
「失礼ですがお嬢様。お嬢様もご一緒なさるという事ですか?」
「ええ、私でなければ・・・私とステラでないと魔人の体を洗うことはできません。」
「そうすると、魔人は賓客扱いで・・・?」
「そんなわけ・・・」
口に出してようやく気が付いたが、実はレイラの両親もここははっきり決めておらず、レイラもシリカはいつも自分と一緒に居るものと思ってはいたものの、格付け的にどう扱うかまでは考えていなかった。
ドレスを仕立てて待っている程なので家としては魔人を歓迎していると思われたが、帰省してからの食事はレイラは両親と同席するが、客がいるときはシリカは別室のこともあった。
ここは自分が態度を表明せねばなるまい。
「魔人シリカは私の客として扱いなさい。食事については他のお客様のこともあります、今まで通りとしましょう。入浴については私とステラが付き添いますから貴族用の方に着替えを用意しておきなさい。他に誰か付き添いたい者が居れば認めます・・・だいたい寝室が一緒なのですからそこは察しなさい。」
「これはとんだ粗相を。申し訳ありませんでしたお嬢様。」
実はシリカの寝室は客間を用意されていたのだが、それをいつもの習慣でレイラが自分の部屋へ連れて入っているのだからメイド長が謝る事ではない。だが、彼女は立場上そうせざるを得ないのだ。
結局、ステラと3人で入ることになった。普段の入浴時ならレイラの世話をするために数人のメイドが居るのだが、魔人が入浴するという事で不安な者は外して構わないと言ったところメイド長以外誰も手を挙げなかったのだ。もっともメイド長は他にも役目を抱えているので同行できず、代わりに手空きのメイドを指名して外に待機させた。いずれ慣れてきたら彼女らも一緒に入ってもらう事になるだろう。
レイラは浴槽に突撃しようとするシリカを引き戻し、ステラが大理石の床にマットを敷いて待っている方へ連れて行った。
マッサージ用のマットの上にシリカを腹ばいにさせ、二人して馬用の固いブラシで蹄に詰まった小石を取り除く。学園でもやっていることだが、生物研究室の浴室はこうした洗い方ができるほどには広くなく、シリカを膝立ちさせていたため角度的にブラシの届かない場所があった。それがここなら3人が一列に寝そべっても余裕の広さがある。更に自分の家なので少々の土で汚しても気にしなくて済むという利点もあった。
自分で洗うことを教えた方が良いのだろうが、気になっていた小石や砂を取り除くのは地味に気分の良い作業だったというのと、レイラには別の目的もあった。
ヒト以上に、シリカの身体には自分では手の届かない場所が多い。尻尾の根本付近もその一つ。普通なら排泄物で汚れそうなものだが、シリカの特性のおかげできれいな物だ。こうして洗っていると普段見られない角度からシリカを観察できる。そう、それこそレイラのもう一つの目的。
「んっ」
シリカの尻尾を持ち上げ、根本付近を洗いながら先日調べるはずだった辺りをじっくり観察すると、やはり外観はステラや普通のヒトと変わりない。だが内部は前側と同じようになっているのだろう。一応生物教師から肛門鏡を借りていたが、あの時放置してしまったヘラはいつの間にか消えてしまったらしい。歩いていてどこかに勝手に落ちた、という可能性もなくはないが、あの光景を見てしまうとずっと奥の方へ消えてしまったのではないかとも思える。そして、後ろから入れた物も同じ運命を辿りかねないと思うと、とても使う気にはなれなかった。
生物教師に聞いたのだが、一部の動物にはいわゆる生殖器が無く、体外で精子の受け渡しをするケースがあるらしい。それでもシリカのそこは異常なのだが、可能性の一つとして無くはないというのだった。雄の観測例がない事についても、雌のみで種族を維持している動物のことを話してくれたが、これほどの高等生物にまで適用できるのかは疑問ということだった。その話の最中、生物教師が必死に笑いをこらえていたことが印象に残っている。
石鹸を泡立てて脛の毛の中を洗っていると、瘤の様な物を見つけた。ヒトでいう踵の少し上に付いていて、犬や猫の肉球に似ている。いつか生物教師が言っていた本来のかかとはこれにちがいない。そういえば蹄の手入れ、裏掻きとか蹄鉄の交換とか全くしていないが、そもそも蹄鉄はついていなかったし、手指と同じで蹄も延びたり欠けたりしないようだ。生物教師もこれは調べていたが、レイラは自分の目で確かめたかったのだ。
馬の裏掻きもあまり見たことは無いが、シリカの足裏は馬とは違うようだ。蹄のすぐ後ろにもピンク色の肉球がある。ピンク色なのは普段接地していないということなのか。
(この際他も色々見ておこうかしら)
髪を洗いながら頭皮やうなじを観察。頸筋から背中にかけて鬣があることを除けばここはヒトそのもので、肩や背中に浮き出る骨の形も同じだ。横にステラが居るので比較がしやすい。こういう観察の仕方はあの生物教師にはできないだろう。
こうして洗われていると気持ちがいいらしく、いつのまにかシリカは眠ってしまっていた。
「それじゃあ、前は・・・自分で洗いなさいね。」
寝ているシリカをマットの上でひっくり返したが、熟睡しているようで起きない。
「こら!起きなさい・・・起きないと」
鼻をつまんで少し引っ張った。
「むぬぅ・・・・」
つまむといえば・・・ステラは何かを思い出した。
「そういえばこの前生物教師がね、搾ってみろって言ってたのよ。」
「え?」
「これ。」
「えぇ・・・」
さすがにステラもちょっと引く。レイラが指差したのは胸のそこそこ立派な膨らみと、そこに載った桜色の突起だった。
「子供みたいに見えても私たちよりよっぽど大人なわけだし、可能性は充分という話なの。でも・・・」
レイラはシリカの横に座り直した。
「調べる項目にね、味があるのよ、味!これに口をつけて吸えと?この私に?!何が出るかわかったものではないし、ちょっと躊躇するわね。」
「前の時みたいにヒトと全然似ていない可能性もありますものね。」
「そうそれ。だから先生も味をみたら吐き出せ、って。」
「大丈夫なんでしょうか。」
「毒だったりはしないと思うけど、絶対ないとも言えないのが怖いわね。」
母乳の味など食べた物次第で変わるものと思うが、排泄の無い”無限胃袋”のシリカである、何かが出ることはあり得るのだろうか?。
「ああ、でも・・・」
「はい?」
「また誰かに協力してもらわないとね。」
「協力・・・」
「ほら、この前みたいに普通のヒトと比較してみないと。」
そしてしばしの沈黙。
「・・ぞ・・・・」
「え、何?」
「レイラ様が必要となさるのなら、この身いかようにもお使いください!」
ステラは体に巻いていたタオルを外し、細身の体をレイラの前に曝け出した。
「え、ちょっと待ってステラ。」
ステラはやや暴走気味に、レイラに迫ってくる。
「どうぞ、レイラ様の望まれるように!どのような仕打ちを受けようとも私はっ・・・」
この状況で冷静さを失わないレイラは少しおかしいのかもしれない。
「落ち着きなさいステラ。その気持ちはとてもうれしいのだけれど、あなたでは無理よ。」
「そんな、私はレイラ様に一生のすべてを捧げる覚悟でお仕えしております。あ、あの時も」
「いいからちょっと待って、あなた勘違いしているわよ。」
「え・・・?」
レイラの諭すような一言に、ステラは少し落ち着きを取り戻した。
「勘・・・違い・・・ですか?」
「よく聞きなさい、まず、今搾るのは無し。本人の了承なしにやるのは間違っているわ。」
「ですが、いずれは比較のために・・・」
「だとしても、あなたには無理なの。」
「それは・・・大きさのことでしょうか?」
シリカのそれはヒトとは異なる基準の物と捉えないと錯誤を引き起こす。
だが、実測値という残酷な現実は確かにそこにあった。
「そこじゃなくて」
「レイラ様は、その、御立派な物をお持ちですが私は・・・」
「あのね、ステラ。」
「あなた妊娠も出産もしていないでしょう?」
「・・・」
「単純に、ヒトは基本的に出産後でないと母乳は出ないというだけのことなの。それにシリカに生殖器官が無い以上、同じ理由でこれを搾っても何も出ない可能性があるわ。」
「そういえば・・・、そうですね。」
「もちろん、推測だけで結論を出すのはだめ。いずれ確かめる必要はあるのよ。でも、今ではないわ。」
膣の件もあって、ステラは少し覚悟を決めすぎてしまっていたようだ。
「申し訳ございません。取り乱しました。」
「いいのよ、前にも似たような事で無理なお願いをしているから、思い詰めてしまうのも無理は無いわ。あなたには本当に助けられてばかり。」
やらかした、とばかりに俯くステラをレイラは抱き寄せると
「これからも私を支えて頂戴ね。」
と付け加えた。
「はい・・・」
「とりあえず今は、この子を起こすのを手伝ってもらえるかしら?」
「はい、レイラ様。」
二人がかりでシリカの上体を起こす。ヒトなら浴場の熱気で湯中りしたのかもしれないがそこはシリカである。
「生物教師が言っていたけれど、シリカの防御力は異次元的というか、この肌を破る方法がないらしいわ。」
「肌を破る、ですか?」
素手で引き裂くみたいな表現になってしまった。レイラも少し湯気に中って言葉選びがおかしくなってきたようだ。
「ええと、鎧とか甲羅を突破するみたいな、シリカの肌って剣で突き刺しても火で炙ってもなんともないのよ。」
「昨日のお披露目ですね・・・この目で見てもまだ信じられません。こうして触った感じは普通のヒトと変わりませんし。」
「シリカが来たばかりの頃は解剖騒ぎとかもあったけれど、昔の人はもっと無茶な実験もしたらしいわ。」
レイラは図書館や生物学科で読んだ本の事を話した。
まるでヒトを如何に残虐に殺すかの競技会か見本市のような内容だったが、その悉くを撥ねつけてシリカはここまで来たのだ。
「・・・それで人質の交換条件に溶岩の中に歩いて入らせたのよ。川じゃないんだから、頭が沈むまで自分で歩いて行ったらその時点で気づきなさいって話よね。そのまま渡って出てきて返り討ち。」
「なんだか、こんな小さな体なのに酷いことをいっぱいされて、可哀そうです。」
「ステラ、シリカをヒトの尺度で測ってはだめよ。どれだけ小さくてかわいくても、この子は魔人。」
「頭ではわかっているのですが、見た目がヒトその物なので気持ちが受け入れられないものがあります。」
やっぱりステラはやさしい。
「・・・そうそう、ちょっとこれを見て。」
レイラはシリカの鼻の穴を指先で塞いだ。
「ふごっ」
シリカの閉じていた口がぱかっと開く。しかし
「そしてここを・・・」
鼻の穴を塞いだまま、もう一方の手で口を閉じる。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「わかった?」
「えぇ・・・?」
「シリカは呼吸をしていないの。」
「え?でもさっき鼻を塞いだときは?」
「あれは反射の一種らしいわ、水に沈めても苦しがらないし。見た目だけは呼吸をしているように胸も動くの。」
「・・・不思議な生き物ですね。」
「生き物なのかどうかも怪しいわ。呼吸とか生きるために当然必要な事が必要でなくて、刃物も一切通らない体とか普通じゃないし。」
「防具不要・・・まさかそれで服も着ていなかったとか?」
召喚獣騎馬戦でのシリカのデビュー戦は色々衝撃的だった。
「そういうこと。裸が一番強いって、いったいどこのニンジャよ、てね。」
「そういえば、騎馬戦の時も攻撃が当たらないんじゃなくて、当たっているのに手応えがないって、男子が。」
「当たっているんじゃニンジャも失格だわ。」
シリカ。遠い異次元の存在で不老不死の魔人。永年の研究にも関わらず、未だ数多の謎を孕んでいる。この世界に居る間はともかく、自分の世界ではどんな暮らしをしていたのだろうか。風呂には入っていたのだろうか。普段はどんなものをどうやって食べていたのだろうか。家族や友達は?こんなに無防備で触り放題なのに、触れられる部分以外はわからない事だらけだ。それが今ここに居ることには何か意味があるのだろうか。
シリカばかりではない。レイラ自身、そしてブラッドベリー家も偶々そこにいた、で済まされるのだろうか。
だが、そのことにレイラが思い至るにはまだ時間が必要だ。
なんだかんだで結局全身洗ってしまった。
「さあ、起きなさいシリカ。こんな格好で寝ていると風邪くらいは引くかもしれなくてよ。」
「ぅぬぃ・・・」
上体を無理矢理起こされたシリカは姿勢を維持できずにそのままレイラにもたれかかった。
「やはり少し走らせすぎたのでしょうか。」
「騎馬戦の時はあれだけ動けたのに、不老不死も当てにならないわね・・・」
あの時と、今日の運動量。
「ステラ・・・」
「レイラ様・・・」
二人は同じ結論に達した。
(寝たふり!?)
シリカの両脇と膝を二人で抱えると、
「せーのっ」
浴槽へ投げ込んだ。