第10章「レイラ帰る」
「魔力バカ」
数あるレイラのあだ名の中でも、現在学園内で最も知られているのは文句なくこれである。
こういうあだ名はどこか本人のいないところで言われ始めてそこから波紋のように広がっていくことが多いが、これについては誰が付けたかが明らかになっている。そこらの虐めっ子なら敢えて手を出そうとはしないレイラに向かって公然と「バカ」と言い切ることができる家柄の出身である彼は大方の予想通り、王国の第二王子である。
さて、夏季休暇には成績不振が原因で実家からは
「帰省するに及ばず。休暇中は学園に残り自習して過ごせ。」
と叱られたレイラだったが、魔法学科の実技試験で望外の好成績を出したおかげで(一般教養は微妙だったが)どうにか年末は帰省を許され、12月後半からの冬期休暇を実家で過ごしていた。
レイラの実家、ブラッドベリー家は王家に最も近いと言われる五大貴族のうちの一つである。主産業は農業だが品質と生産量を売りに王国の食糧庫としての地位を確立している。農業と言っても作物の生産だけでなく、動植物の研究、防疫、地質調査などその内容は広く深い。開祖は偉大な魔法使いレイン・ブラッドベリーである。
当代は婿であるレイラの父親が領主だが、実権は母親にあり領の実質的な運営は母が行っている。レイラの両親は魔法学園で知り合ったことにされているが実は幼少時からの付き合いで、14の時自分だけが魔法学園に入るというのを嫌って駆け落ちを計画、レイラの祖父母と将来の夫に説得されて条件付きで入学を了承。条件というのはレイラの父を同行させること。当初は使用人とするのを想定していたが、試しに二人とも受験させると通過してしまい、寮は別だが同級生として3年間を過ごしたのだった。
実はこれは計画的に行われたことで、レイラの母が駆け落ちを言い出した時にそれを止めようとした父が咄嗟に立案したものだったりする。比較的穏やかな性格で機転が利く父と、押しが強く行動派の母。対照的な性格故、いい塩梅に分業ができていたようだ。
レイラの母はブラッドベリー家の生まれで、プライドとカリスマを併せ持ち領地運営をほとんど一人でこなす才女だが、家訓に従い休む時は全力で休み、旅行をするのが趣味である。一方レイラの父親はブラッドベリー領の出身だが、家は西方の砂漠からの移住者で代々植物学者である。結婚後は名目上の領主として外交を担当しているが、外交の実務は部下に任せて自分はほぼ挨拶だけという状態である。にもかかわらず領主として支持を得られているのは、政策の殆どは彼の発案であり、それが大体うまくいっているという実績があるからである。
レイラの容姿と性格は母親譲りだが、領内の視察など多忙で家を空けがちだった母親より書斎にいることが多かった父親から得る物も多かったようだ。書物や調査が好きだったり、魔法学園の生物教師と似た考え方をするのはそこに原因があるのだろう。
「めでたく、この年末は帰省を許されたわけだけれど・・・」
いざ帰省が決まると今度は別の問題が発生した。「学園関係者」の肩書を持つシリカは学園の定める生徒でも職員でもなく、強いて言えば備品である。したがってレイラが帰省している間は然るべき管理者に返却するのだが、その管理者とはレイラのことであり、代理はいない。規則上は今からでもレイラが代理を指名し教務課に申告すればよいのだが、代理を決めてもシリカがレイラの命令しか聞かない以上意味が無かった。
呆けた行動が多いせいで忘れられがちだが、魔人シリカといえば戦場に於いては両軍を壊滅させたり、気に入った女性一人を攫うために街を一つ滅ぼしたという逸話があったり、本来は歩く大災厄のような存在である。特殊な災害対策を施した魔法学園だからこそ置いておけたのであり、学外へ出すことには理事会にも不安視する意見が多かった。
だが魔人を完全に制御しているとアピールできれば王国としては強力な外交カードになる。
レイラの帰省を巡って理事会は紛糾した。魔人を生徒の管理で学外へ出すことには一様に難色を示したが、かといって学内の誰が魔人を一か月近く預かれるのかという問題に答えが出せず、レイラの帰省を中止させるために成績の改竄をすることまで提案された。学び舎として成績改竄を検討するというのはさすがに本末転倒で政治的に宜しくないということで、結局レイラを信じる以外の選択肢は無かったのである。
帰省にあたってレイラはシリカのための着替えを用意したり貴族社会における礼儀作法を教えたりとかいった準備に追われると思っていたのだが、言葉遣いはともかく、仕草についてはシリカは既に完璧で教えるべき作法はほとんど無かった。
そして迎えた帰省当日。
レイラの実家は地方領主、家は城であった。
城に到着したレイラはまずステラを伴って両親に帰還の報告をする。成績の事も正直に言わなくてはならないので非常に胃が痛くなりそうな状況だが、学費も現地での生活費もすべてを出してもらっている立場でいい加減な報告などできない。試験の結果もシリカ出現の経緯も、要点は既に手紙で知らせてあるのだが同じ内容を改めて自分の口から伝える。よってこの報告は儀礼的な物だが、逆にごまかそうとして先の知らせと違うことを言おうものならどんな叱責が待っているか。母の怒り顔を想像するだけで委縮してしまいそうになる。
しかし、連日図書館へ通って固い文章が並ぶ歴史書を読み続けたことで何かのスイッチが入ったのか、レイラの口からは驚くほどスムーズに言葉が流れ出た。もちろん成績の事は追求されたが、事前に考えてきたわけでもないのに今後の行動計画がスラスラ出てきて、ステラにフォローされることなくすべて報告しきって終了できたのである。
学業成績が揮わない事実は変わらないのでそこはしっかり叱られたが、報告を中断されずに最後までできたことで気持ちが高揚していたせいか、帰還の報告は想像していたより幾分楽に感じられた。
次に時と場所を移し、大広間に領内の諸侯を集めて帰還の挨拶と、魔人シリカのお披露目となった。
シリカには学園を発つ前に仕立てて置いた礼服を着せている。見た目は学園の制服に似ていて色も黒基調だが、今回は足袋も用意した。本来なら服飾教師が作ったあの服が正装になるのだが、胸元にレイラのパンツを縫い付けた服でこのような場に立たせられようか?
王国内でも五本の指に入る有力貴族に魔人を引き合わせるなど普通なら絶対にしてはならない危険な行為だが、これは両親からレイラに課された試練と取ってよい。魔人シリカを完全に制御し、意のままに操れるところを見せなくてはならないのだ。
同時に両親にとってもこれは試練であった。これは諸侯に娘への信頼と彼女の力を示す場でもあるのだ。いつまでも出来損ないと陰口を叩かれる娘では家の名に傷が付く、魔法学園での成長ぶりを示し挽回させるにはまたとない機会だが、しくじれば歴史ある家名は地に落ちるだろう。一方の諸侯にとっても、正当な理由なくこの場を欠席するのは領主への信頼を欠く行為であり、今後の立場に影響が出ることは間違いない。だが、今まで落ちこぼれだの何だのと陰でこそこそ言っていた口にしてみれば、ここで一気に粛清されても不思議ではないのだ。有力者が集まる場に魔人を連れてくるというのは本来そういう事なのだ。
今この瞬間に、人類の命運が懸かっていたとも言えるだろう。
レイラが入場すると、同伴している奇怪な少女に場がざわついた。これが一体で国を滅ぼしかねないと恐れられる魔人。一見か弱い少女のようだが、頭部の大きな角は少女が魔性の者である証であり、足袋の上からでもわかる異様な形の足が禍々しい。歩くとき以外は静止して機嫌の読めない尻尾も不気味だった。これで天井に届くほどの巨体であればまだ恐れようもあるのだが、そこに居る魔人はレイラより頭一つ背が低い。仕立の良い服装もあって本当に角さえ無ければどこにでもいそうな獣人の少女にしか見えず、居並ぶ諸侯は明らかに反応に困っていた。
レイラはまず、形式通りに帰国の挨拶をした。続いてシリカの紹介である。
「父上、母上。これが我が魔人、シリカにございます。」
シリカはまずレイラの両親に向かって、そして
「ご列席の皆さま。我が魔人、シリカにございます。」
回れ右をして諸侯に向かってお辞儀をしてみせた。
たったこれだけのことだが、その間、レイラはシリカに一切指図をしていない。魔人が主人の「意」に従うところを見せたのだ。それはレイラが魔人を完全に掌握していることを意味する。そして・・・
「皆さま、申し訳ありませんが壁の方へお寄りください。」
広間の中央に十分な空間ができると、レイラの合図で脇に控えていた騎士が進み出てきた。騎士たちの中でも兜に羽根飾りをつけた大柄な人物、隊長のロバート・シェクター。そして細身で背の低い騎士。兜の天辺に鮮やかな青いリボンをつけたその騎士こそ「閃刃アリー」アリソン・エレメンツ。二人は領主と諸侯にそれぞれ一礼すると、シリカの方に歩み寄った。
一体何が始まったのか。広間の中央でシリカは礼装のボタンを外し、裾を持ち上げて腹を露出してみせた。普通なら賓客に見せるような姿ではない、同じことをレイラがすれば正気を疑われるだろうしステラがすれば不敬として処罰ものだろう。
アリーがシリカの前に進み出て、グローブを外して素手で腹に触れた。指に吸い付くようなムニムニとした感触はヒトと変わらない。彼女は次に自分がすることを考えて少し迷ったが、事前に聞いた話を信じるしかない。数歩下がって間合いを合わせると、アリーはグローブを付け、
「えャッッ!!」
”べちっ”
気合一閃、居合の要領でシリカの腹を水平に薙いだ。いや、アリーは剣を振り抜く事ができなかった。
手加減無用と聞いてその通りにしたのだが、かつて感じたことのない異様な手応えにアリーは驚愕の表情を隠せなかった。
気合に続いた奇妙な音は、音速に近い切先とシリカの腹の間で圧縮された空気が解放されるときの破裂音だ。剣は1,2センチほど腹にめり込んだがそれ以上進むことができなかった。その上、アリーの斬撃をまともに受けてこの少女、魔人は跳ね飛ばされもせずまっすぐ立っている。まるで床に根を生やした大木のように身じろぎもせず。
諸侯に動揺が走る。アリーが手加減も寸止めもしていないことは、奇妙な破裂音が広間の端まで聴こえていたことで明らかだった。
手に残った異様な感触に眉を顰めながらアリーが下がり、入れ代わりにロバートが中央に進み出た。シリカは変わらず腹を出したまま。その腹へ向かって
「むんっ!!」
ドンッッ!!
渾身の力で剣を叩きつけた、そして瞬時に剣を引くと
「とあっ!!」
ぎ!ぃぃぃ・・・・ん・・・・・
今度は真直ぐに突き立てた。金属同士が激しくぶつかり合うような音が響き、残響で鼓膜が痺れるほどだった。衝撃波がガラス窓をビリビリと鳴らした。
その少女の肌から出たにしてはおおよそあり得ない種類の音だった。
アリーの剣は軽い、だが鉄の鎧を切り裂くような鋭さがある。それが全く通用せず、ロバートの重い斬撃も突きも効果が無かった。シリカの腹は傷一つ付かなかったばかりか、その足は二人の剣撃を正面から受けてよろめきすらしなかったのだ。
だがシリカの足元から煙が出ていた。二人の剣の威力はシリカの腹から足へと伝わり、足袋と絨毯を焦がした。そしておそらく、その下の石までも。
二人が下がり、改めてレイラが中央に出てきた。
「いかがでしたでしょうか。皆様には魔人の伝説の一端をご覧いただきました。」
剣も炎も効かない魔人。炎は実演しなかったが、剣だけで十分だった。ブラッドベリー家の出来損ないが、本物の魔人を手懐けたというのは単なる噂ではないことを証明したのだ。そしてこれはただのデモンストレーションではない。諸侯に向かって「妙な考えを起こすな。」という警告でもある。ブラッドベリー家は魔人の加護を手に入れた。この事実を以てレイラは汚名を返上し、領主の立場をも一段押し上げたのだった。
魔人の紹介は終わったが、その後は同じ広間で宴席が待っていた。レイラと並んで主賓の席に座らされたシリカは、学園での姿からは想像できない上品さでテーブルマナーも完璧だった。時折、勇敢な客人がシリカに酒を勧めに来たが、シリカは喜んでこれを受けた。レイラもこれは知らなかったため、横で内心ハラハラしていたが、シリカはかなり行ける方だった。その上、宴席に合わせてグラスから立ち上がる香りを楽しむ仕草さえ見せていた。ただ、
「へめろもにろ、にゃくみゅぅれんぼのべ・・・」
「おや、魔人殿はだいぶ酒が回っておられるようで。」
「いえ、シリカは機嫌が良いとつい古代語で話してしまうものですから。」
「そうでしたか。気に入っていただけたようで光栄です。」
酒について蘊蓄を語ろうとするといつもの発音が出るのでそこだけは止めた。
こうして帰国の挨拶とシリカのお披露目を無事に済ませたレイラは、しばらく諸侯と歓談した後ようやく自室へ引き上げることを許された。
だが窮屈な宴席から解放されたレイラはすぐには部屋へ帰らず、その足で騎士詰所へと向かった。
「シェクター隊長!」
「お嬢様、どうしましたこんなところに?」
「隊長こそ、先ほどの不敬な振る舞いは一体どういうことですの?」
「やれやれ、見られていましたか。」
レイラにはロバートに訊きたいことがあった。
「抜剣のまま退出するなど、あなたらしくありませんからすぐにわかりましたわ。」
不敬な仕草というのはそのことである。剣を抜いたまま扉をくぐるのは部屋に押し入る仕草として不敬に当たるのだ。
経験豊富な騎士であるロバートが、あれだけの人目がある場でそんなミスをするわけがない。
「これです。」
「これは!・・・ええと、何ですの?」
「・・・お嬢様。」
ロバートの剣はその先端が剣先から5センチほどのところで折れて、いや、つぶれていた。指で触れると先端にかえりが出て盛り上がっているのがわかる。そのせいで鞘に納めることができず、やむを得ず剣と鞘を重ねて持って退出したのであった。
「あの魔人の術でしょうか、最後の突きのときにやられました。」
「術?」
やはりシリカが何かしたらしい。当の本人はアリーや他の騎士に囲まれて菓子を勧められている。
「打ち込みの手応えも奇妙な物でしたが、突きが入る瞬間、魔人の姿が自分自身になって・・・」
ロバートは現場再現の要領で鏡に向かって剣を突き出した。
「殺気は感じられませんでしたが、何か不気味な感じがして、腹を抉りながら斜め下に抜くところを正面から入るように突いたところ・・・」
ロバートは平らになった剣の先端を鏡にぴったり押し付けた。
「お互いの剣が正面から当たったようになり、引いてみるとこんな事に。」
「そうでしたか、でも私には普通にシリカを突いたように見えましたが。」
「アリーにも同じことを言われました。彼女の剣も岩にでも打ち付けたように刃こぼれというか、刃が平らにつぶれていて・・・それから」
「なんですの?」
「その時見た私の姿は丁度こう、鏡に映したように裏返しでした。」
「鏡、ですか。」
レイラは鏡に映ったロバートと、本物のロバート、そしてぴったり合わさった剣先を見た。
シリカにそんな術があったのだろうか、そんな魔法は聞いたことが無いが固有の能力かもしれない。新学期になったら生物教師に訊いてみよう。
「んーっ、ただいま私のベッドーーッ!」
「にゅーーっ!」
「レイラ様、お疲れさまでした。」
実家とはいえ半日以上を緊張して過ごしたレイラはもう限界!とばかりに着のままベッドにダイブし、シリカもそれに続いた。城の使用人が毎日整えていてくれたベッドはたっぷり空気を含んでいて、レイラの意識を瞬時に呑み込む。
「レイラ様、せめてお着替えを」
「みゅ~、むがしぺすぺら・・・」
「むがしてすぺら~」
呂律の回らないレイラとそれを真似るシリカから「脱がして」と言われ、仕方なくステラは二人を着替えさせにかかった。
魔法学園の寮に置いてあるものとは比較にならない、巨大なベッドに自分も靴を脱いで上がらなくてはならなかったが。
「終わりましたレイラ様。レイラ様?」
着替えのため上半身を起こしていたレイラはそのまま寝てしまったようだ。
「んぇ~~~・・・」
なんともだらしない主人をそのままにして、ステラはシリカの礼服を脱がしにかかった。
毎日のお世話のために体力は付けてあるステラだったが、旅の疲れにこのダブルヘッダーは堪える。加えて、シリカの礼服は尻尾窓があるなどしてヒトの服より脱ぎ着が面倒なところがある。脚袋はお披露目の時に擦れて底が無くなっており、燃え滓のようなものが足に付いていた。それを丁寧に剥がして、パンツを残して他を脱がし終わったところで、
「ふぅ・・・」
ついため息が出てしまった。
「ん~~~~、すてらあ~~~。」
「ひぁっ・・・」
レイラに後ろから引き倒された。
「すぺらぁ~~~~~~」
「あ・・・ちょ、レイラ様」
レイラの手を振りほどこうとするが思いのほかしっかり抱き着かれていて外れない。更に
「すぺら~~~」
裸のままふらふらと這い寄ってきたシリカに押し倒され、三人そろってベッドに倒れ込んでしまった。
「ちょっとっ、あなたまで・・・っ」
これぞ「前門の魔人、後門のお嬢様」。
「んふふふふ、おつかれさま~~~。」
「おふかぇさま~~~。」
「あのーーーーっ!」
ふかふかベッドの誘惑を鋼鉄の意志で振り切ってなんとか抜け出したステラは、レイラの寝相を直すと、乱れた服装をその場で整え、
「起きてください、あなたにはまだ用事があります。」
「ふぇ~~~」
シリカだけを起こして普段着に着替えさせると、何処かへ連れて行った。