第1章「魔法学園の魔人」
優勝・・・?
望外の結果だった。苦戦を承知で参戦した召喚獣騎馬戦だったが、開始直後の無様な姿からここまで逆転するとは。
(これで、鍛錬を積んできた甲斐があったという物。)
簡単な魔法なら「一晩中でも打ち続けられる」と噂されるほどの魔力量を誇るが、高位の魔法になると一回を正常に起動することすら危うい。「目覚めているのに集中力が3行もたない」と揶揄される彼女こそ「魔力バカ」、もとい若き日の「寝不足の魔女」レイラ・ブラッドベリーその人であった。
半年前、レイラはまだ希望に満ちた新入生だった。
フォレスタル王国首都を遠く離れ、中央大陸中ほど、大裂溝と呼ばれる大陸の裂け目からさほど遠くないところに、王立魔法学園はある。
魔法に関わる理論、実技はもちろん、魔法と何らかの関係がありそうな物なら蟻の巣作りからカレーの作り方まで授業に取り入れようとする、知に対して貪欲な学園である。その貪欲さで魔法でできることを魔法以外の方法で再現する研究など、魔法に背を向けるような研究でも疎かにせず、その運営にかかる莫大な費用を賄うために研究成果の商業化にも取り組み、魔法具の製造販売も手掛けるもはや学園という名の都市国家の体である。
「ここが・・・魔法学園。」
「レイラ様。」
「ステラ、ここよ。この学園にあの人が、ホールの肖像画の人も通っていたのよ。」
「あの建物、見たことがあるわ・・・食堂に掛かっている画じゃない?」
「レイラ様、足元を・・・」
「~♪」
踵の高い靴の、その踵の方で凸凹した石畳を器用に歩いてみせる、この金髪の少女はレイラ。そしてその後をスーツケースを引きながら歩いているのは彼女の親友であり、メイドであるステラ・ニューマン。
二人はこの春から晴れて魔法学園の生徒となり、その第一歩を記したところだった。
新入生最大の魔力保有量を誇るレイラは入学直後からその特性を遺憾なく発揮した。序盤で習う初級魔法のすべてが他の生徒を圧倒する威力で、なにより持続時間が桁違いだった。たちまちレイラはクラスの注目を集めた。偶に失敗するのも茶目っ気があって親近感がわいた。そうして2か月目になると、初級ではあるが複数の魔法を同時に使う事を習うようになった。他の生徒が二重、三重を成功させるのに対し、レイラができたのは1.3、1.7、という感じで二重に到達するのには倍の時間がかかった。
「人には得意もあれば不得意もあるものよ。」
と自分で言ったのが負け惜しみに聞こえてしまったかもしれない、いや、まぎれもなくそのものだったが、この辺りからレイラの人気は急激に失速した。底なしの魔力量は健在で、他の生徒なら魔力が尽きて日を改めるような魔法でもレイラなら何回でもやり直しができた。その結果一人で居残りをしている姿が目立ってしまい、最終的に目標を達成しているにもかかわらず「出来損ない」「落ちこぼれ」という印象を周囲に与えてしまった。
同じクラスにいたステラはレイラの特性を説明しようと何度も試みたが、「実際に居残りをしている」という事実を盾にされて誤解を解くには至らなかった。ほどなくして、レイラの周囲に居るのはステラと、レイラの家柄目当てに集まっている形ばかりの取り巻き衆だけになってしまった。
最終的にできてはいたが、時間内にできなかったことでレイラの実技の成績は後退した。
「できるようになったのだからそれで良いのではなくて?何か問題でも?」
評価というのはそういう物なのだが、ここでレイラは開き直ってしまった。上品というイメージは横柄へと上書きされ、人数こそ減らなかったものの彼女の取り巻きは明らかに距離を取るようになった。
このままではジリ貧である。まだ入学して3か月しか経っていないというのにこの不人気振り。他のクラスの生徒などレイラを見てヒソヒソと何を話しているのか、気になって声をかけると逃げ出してしまう始末で、今までの悪評に「怖い」が追加されてしまった。自分はいいが、どうやらそれが原因でステラが嫌がらせを受けるようになったらしいのはレイラにとって我慢がならなかった。
「私に何か文句がおありなら堂々と仰ればよいのですわ!」
レイラは本気で言っているのだが、他の生徒たちはレイラの後にある「家」を気にして正面から文句を言えず。そもそも言うべき文句が無いので言いようもない、不満があるとすれば大した才能も無いのに歴史ある金持ち貴族の家に生まれ、王家とも繋がりがあり、色々恵まれていることくらいか。そこに文句を言っても空しいだけなのだが、レイラがステラを守ろうとすればするほど、いじめの矛先はステラへ向いてしまった。
一方、ステラの方はレイラが孤立している状態を何とかするためにクラスの雑事を率先して片付け貢献しているつもりでいる。加害側と被害側、それを解決しようとする側、それぞれの思惑がすれ違い、レイラのクラスには見えない時限爆弾が置かれているようだった。
その日も、なんやかやと理由を付けてステラが雑用に連れていかれてしまいレイラは一人で教室に居た。ぽつんと座っている姿はクラスで孤立した現状を明白に表している。
「よう!どうした魔力バカ。調子悪そうじゃないか。」
大きな声をかけてきたのはレイラと同い年にして身長170センチを超える大男で幼馴染みの
「これはディーン殿下、ご機嫌麗しゅう。」
王国第二王子である。
「殿下におかれましてはまた背がお伸びあそばされたようで、このまま行けば卒業するころにはタイラーウッズの怪物を超えそうですわね。」
「おう、身長の世界記録を目指しているからな。」
目指す。レイラに魔法学園を目指よう勧めたのはディーンだった。別に今こんな状況だから彼を恨むという事ではない、レイラにそんな発想は無いと断言しよう。だが、馴染んだ顔を前に少しばかり弱気を見せてしまった。
「私の事はまあ、自業自得ですから。ですがステラがその、なんというか・・・不憫で。」
「自分が原因だから自分の力でメイドを助けたい、と?」
「ですわ。」
「つまりお前の評判が良くなればいいんだな?」
「そうですけどそんな簡単にできる物でも・・・」
「できる!というか、今から始めればたぶんできる、3か月後くらいに!」
「3か月?」
レイラとしては今すぐなんとかしたいのに3か月とは。だがディーンにはなにか考えがあるようだ、一応聞いてみてもよいだろう。
「期末試験て知ってるか?」
「え?・・・ええ、それくらいは。」
「お前、召喚魔法で優勝しろ。」
「ええっ?」
召喚魔法。魔法学園では1年目から教わる上位魔法だが、2年、3年になってもまだ授業内容に含まれており、次第に高度になっていくらしい、くらいの事しかレイラは知らなかった。魔法学園は3回の長期休暇を含めた2期制なので、前期試験があるのは10月。あと3か月ある。
「俺ら1年が習うのはまだ先だから、今から始めれば授業より先に覚えられるだろう?」
「急に言われても。それに期末試験で優勝って何ですの?」
「魔法実技試験にあるんだよ、すごいのが。召喚獣騎馬戦っていうんだが。」
召喚獣騎馬戦は、数種類実施される魔法実技試験の中でも最も高度な技術を要し、最も苛烈な試験である。受験者がその場で召喚した魔獣に騎乗し、他の受験者をその魔獣から振り落とさせるという単純な騎馬戦のルールで行われるこの試験は、多い時で100騎の受験者が入り乱れ、時には重傷者も出る激しい物だ。その上、比較的高度な魔法を複数同時に使用するという、魔術師として難しい技能が要求される割には筋肉勝負な要素もあり、かなり実戦に寄った試験と言える。そのような試験なので、騎馬戦部分で上位に入賞できれば相応の評価が得られるのだ。成績上位の3名にはなんと報奨金、学科の評価は5段階評価のA、のさらに上のSが付与される。
「ただ、この試験は全学年合同だから優勝はまあ、無理だな。全部に勝たなくても10位くらいに入っていればA評価はもらえるだろう。単純計算で、10人抜けば良い。」
「そう思い通りにいけば、でしょう?召喚魔法なんて難しいんじゃありませんの?」
「当然だ。だから一回の試験だけでAを貰えるんだ。時間をかけてじわじわやるよりお前に合ってると思わないか?」
「たわっ、近いですわよ殿下。」
タイラーウッズの怪物とは、同名の土地に現れた巨大魔人である。身長3メートル、暗緑色のフード付きコートを被ったような姿で巨大なオレンジ色の目をしていたといわれている。そんな怪物と比較されるような風貌ではないが、170センチの巨漢が前のめりに顔を寄せてくると結構な迫力がある。
「よし!そうと決まれば今日から特訓だ。放課後を空けておけよ?」
そう言い残しディーンは去って行った。
「ち、ちょっと殿下、そんな急に・・・まあ、予定はありませんけど。」
ならば、3か月後の逆転に向けて今から準備をするのも悪くない。それに召喚魔法を磨き上げれば卒業まで高評価を維持できるかもしれない。
その日の放課後、ステラを先に帰らせ、レイラは中庭でディーンを待っていた。
中庭というのは校舎に囲まれた比較的小さい校庭だが、そこは学校のスケールが違うので結構な広さがある。火や爆発を伴う魔法でなければここで練習するのが定番コースだが、どこかで見ているであろうディーンの取り巻きの目が刺さるようだ。
「よう、待たせたな。」
「いえ、そんなには。」
「うってつけの先生を連れてきたぜ。」
「先生?」
そういえば誰に教わるとか全く考えていなかった。すっかり舞い上がっていた自分が恥ずかしい、などと思う間もなく、
「やあ、ごきげんようレイラ。」
「アラン殿下?!」
金髪に碧みがかった灰色の瞳、学業優秀でスポーツ万能、これら全部にやらせも忖度も無い完璧な優等生である、王国第一王子アラン・フォレスタル殿下である。ちなみにレイラ達の一つ上、2年生だ。
「ご無沙汰いたしております、お変わりございませんか?殿下。」
「君が落ち込んでいるというので飛んできたよ、レイラ。」
「とんでもございません、私ならこう、全く問題ありませんわ。」
「ディーンから聞いているよ、遅くなってすまない。」
レイラが王子二人と親しげなのは実家同士の付き合いが長いからだ。特にディーンの方は事情があって、レイラの事を「姉上」と呼んだりする仲でもある。
「召喚魔法は学園トップの兄上に教われば、お前でもいい線行けると思わないか?」
生まれ持った素質なのか、アランは1年時に高位魔獣の翼竜を召喚し、そのまま期末試験で優勝した天才である。なるほど、彼から教われば期待できるかもしれない。これはブラッドベリー家に生まれたレイラならではの特典ともいえる。ならば最大限に利用し最高の結果を出すことが、この幸運に報いることになるだろう。
「教本の召喚魔法のページは読んだ?」
「はい、一応は。」
「ではその内容はひとまず置いておいて・・・レイラはワカサギを知っているかい?」
そういえばこの人、天才だった。魔法の説明をするのになぜかワカサギ釣りの話を持ち出した。一方のレイラは素養はともかく頭の方は並だ。
召喚魔法はワカサギ釣りに喩えられる。まず氷の張った海面に穴を開ける、これが召喚用の転移門開設に当たる。氷の下の海は魔獣の住む世界、浅い海には当たり前の「獣」、深くなるほど召喚は難しいが強力な獣が出るようになり、深海には異次元の「魔獣」まで棲んでいる。そこに魔力というエサを付けた針を投げ込み、糸から伝わる感触を頼りに獲物を待ち、何かかかったら針を引き上げる。糸は術者の魔力であり、強さと長さは術者の魔力強度と保有量で決まる。出力が大きければ太くて強い糸、魔力量が多ければ長い糸になるという解釈で大体間違っていない。面白いことに、召喚魔法が洗練される過程においてこの「針を投げる」というイメージが次第に具現化し、近年では術者の杖の先から釣り糸を思わせる青白い光の糸が放たれ文字通りの「釣り」に見えるようになってしまった。最初に「釣り」のイメージを広めた魔術師の責任が問われるところだ。
「・・・と、だいたいこんなところだけれど、なにか質問はあるかい?」
「ええと・・・」
いきなり釣りの、それも特殊なスタイルの話をされてレイラは混乱した。アラン的にはこれでもわかりやすく喩えたのだが、どうも天才の考えることは訳が分からない。レイラの瞳が渦巻き模様になっているのではないかと思えたが、なんとなくニュアンスは伝わったようだ。
「それじゃあちょっとやってみよう。」
「え、もう、ですか?」
「こういうのは理屈をこね回すより実践を繰り返した方が早く上達するよ。」
レイラはアランのこういう考え方が好きだった。レイラ自身にも見られる傾向だが、それは間違いなくアランの影響を受けている。ただのせっかちとも言えるが。
「いきなり魔獣を出すのは危険だから、最初は物体の召喚を。小さくて軽くて、身近な物を想像して」
「はい。」
指揮棒のような杖を構えながら、レイラはハンカチを想像してみた。
「それが出来たら最初の魔法、地面に転移門を展開。こうやって・・・」
「こう、ですか?」
アランに教わった通りにすると、地面に小さな青白く光る円陣が現れた。
「さすが姉上、兄上が教えているからと言って一発で成功するとは。」
「うん、ここまで上出来。」
「あ、ありがとうございます。」
レイラが口を開くと同時に円陣は弾けて消えてしまった。
「ありゃ・・・」
「集中力が切れやすいのは相変わらずだね。」
そう、レイラは魔力こそ無尽蔵だが、集中を欠くため呪文が長くなるほど失敗しやすいのだ。「2行魔法なら無敵」とからかわれたりするが、「2行魔法」というのは大体教本の序盤に載っている単純変化の魔法である。たとえば「火、燃えろ」とか「氷、出ろ」とか。そこに「小さい火、燃えろ」とか「丸い氷、出ろ」とか威力や形状を指定する文言を追加すると失敗するという感じである。実際にはそこまで単純でもないので、飽くまでイメージとしてご理解いただきたい。
王子たちは自分の用事もあるので帰って行ったが、レイラは召喚魔法をものにしようと居残って練習を続けた。やがて陽が落ち、心配したステラが探しに来てようやく部屋に帰ったのであった。
「ステラ、悪いけど明日からは一人で先に帰ってちょうだい。」
「!レイラ様、それはどういう・・・」
「私はちょっと帰りが遅くなるかもだから。」
「今日の様にですか?」
「ええ、そうよ。」
レイラの目に何かが燃えていた。ステラもこんなに輝く目は久しぶりに見た気がする。
「見てらっしゃい3か月。大逆転よ!」
転移門の構築と維持、魔獣使役といった比較的高度な魔法の重ねがけである魔獣召喚はレイラにとって不得意中の不得意魔法だったが、彼女はあきらめなかった。自慢の魔力量を活かして放課後から深夜まで魔法の反復練習を繰り返した。
「では、一週間の成果を見せてもらおうか。」
「はい、アラン殿下。」
促されるままに転移門を展開するレイラ。
レイラはこの一週間での上達ぶりを見せようと王子二人を呼び出していたのだ。
貴族とはいえ王子を呼びつけるとは何たる不敬!だがそんなことを気にする間柄でもない。
「そういえばさっきステラを見かけたぞ。」
「ステラですか?」
「ああ、なんか一人ぼっちで歩いてて寂しそうな感じだったから声をかけようと思ったんだが、お前を待たせていたからそのままにしておいたんだ。」
「そうですか、ステラが・・・」
毎日一緒に行動していたのを突き放したようで、レイラは少し気が重くなる。
「・・・なるほど、上達したね。」
アランの言う通り、これだけ会話をしてもレイラの描いた転移門は揺るがなかった。
「おおー。」
「相当練習したんじゃないか?無意識に近い状態で転移門を出せているから、集中力が必要ないんだろうね。」
「はあ、そこまで考えていませんでした。」
「ええ・・・」
ディーンは褒めようとしたのだが、正直なレイラの一言はその空気を断ち切った。
「レイラらしいよ。それじゃあ次だ、君の部屋にある物から何かを召喚してみよう。」
「はい。」
最初はまず転移門の開設の練習。この門はそれだけでは解放された門に過ぎず、物体引き寄せの魔法とセットで使用して初めて召喚門として機能する。
「釣り糸と針をイメージして、投げ込む。」
「投げ込む・・・」
レイラの手にした杖から青白い光の糸が伸び、転移門に飛び込んだ。光の糸は微妙に撓んでいて本当に釣り糸のようだ。
「そして、いつも身近にあるものを思い浮かべて。できれば持って帰るのに困らない物を。」
「いつも・・・近くに。」
特訓初日の事を思い出した。あの時はハンカチを召喚しようと思っていたのだ。
いつも使う白いハンカチ、白、ステラが洗濯し畳んでくれる、白くて細い指で・・・
レイラがそれを強くイメージすると、杖から延びた糸が太く変化した。
「それに針をかけて、引き寄せるっ!」
「引き寄せるッ!!」
弛んでいた光の糸がピンと張ったと思うと、転移門が拡大し円陣から黒い物体が出現した。
「え・・・」
「・・・」
「ひゃ・・・」
レイラは着替え中のステラを召喚した!生物の召喚に成功したのだから一気に数歩前進したと言えるだろう。
確か、レイラはハンカチを召喚しようとしていたはずだったのだが
「もう!ディーンがあんなこと言うからですわ!」
「俺のせいかよ!お前の集中力の方がおかしいんじゃないか?」
「二人とも落ちつけ。ステラ、身体は何ともないか?」
アランに声をかけられたステラはこれから着ようとしていたエプロンドレスで体を隠していたが、ちゃんと着るためには一度体から離さねばならず、中庭には人目があるため身動きが取れなくなっていた。
「あ、あの・・・はい、大丈夫です。」
「レイラも手伝って、まずは彼女をなんとかしないと・・・そこの君。」
さすがのアランも動揺しているようで、草むらに向かって呼びかけた。
「・・・はい。」
草むらが返事をした?!
「何か、彼女を隠せる物は無いか?」
「少々お待ちください・・・」
(女の人の声?)
草むらが揺れたと思うと、黒ずくめに身を包んだ人物が飛び出した。
「こちらをお使いください。」
「これは・・・。」
黒ずくめの人物が差し出したのは暗幕のような黒い布だった。
「これを・・・ディーン、そっちを持って。レイラ、ステラを手伝ってあげて。」
男二人で布を持って立つと簡易的な着替えブースとして機能した。
だが人目を引いてしまう上に支えているのが王子二人というのはかなりまずい。
「後ろは私が見るから。」
「あ、ありがとうございます、レイラ様。」
秒で出てくると、エプロンが無くてただの黒いワンピースだったが外を歩ける恰好になっていた。
「ありがとうございましたアラン殿下、ディーン殿下。」
「なに、構わないよ・・・しかし召喚魔法でヒトを呼びだすというのは初めて見たな。」
「申し訳ありません殿下、私ったらどうしてこんな・・・」
「ステラは平気なのか?どこか怪我とか、具合の悪い所とかは無いのか?」
「あ・・・はい、大丈夫です。ありがとうございます。」
召喚魔法のベースは転送魔法であり、正しく使えばそれ自体は人体に害はない。だが普通は術者自身が移動するために使う物で、魔獣召喚と同じ原理ではあってもヒトを引き寄せるというのは普通は起きない。
「部屋からいつも使っている馴染んだものを召喚した結果、一番馴染んでいるステラが召喚された、ということなんだろうけれど・・・」
「なんというか、お前ってダメなのかすごいのか、わけがわからないな。」
「あの・・・ありがとうございました。」
ステラが謎の人物にもお礼を言うと、
「いえ、これもお役目ですから。それより、皆さまは急いでここを離れた方が良いかと。」
「え?」
「今のを過激派の生徒に目撃されたようです。」
(何その不穏な単語?!)
「わかった。今日はここで切り上げて急いで逃げた方がいいな。」
「そうだな、俺もそう思う。」
「殿下?」
レイラの問いかけには答えず、アランは再び草むらに話しかけた。
「君たち、この二人を寮まで安全に送り届けてくれ。」
「御意。」(X3)
二人に促され、レイラ達はその場を離れた。直後にドカドカと乱暴な足音と、女子の怒声らしきものが聞こえてきた。
「やはり見張られていたか。」
「・・・だな、この前はいなかったから油断した。」
王子二人はこそこそとその場を後にした。
だが、翌日事件は起きた。
レイラ達がいつものように教室へ向かっていると、掲示板の前が騒がしい。この時間はいつも人が多いが、これほどではない。
「おはようございます皆さん。」
「え、れ・・・レイラ・ブラッドベリー・・・さん。」
「どうかなさいまして?」
「・・・これです。」
魔法学科1年ステラ・ニューマン。学園内での不適切な服装により一週間の謹慎を言い渡す。
「な!・・・なんですの?」
「レイラ様・・・」
振り返るとステラが青ざめた顔で、わなわなと震えている。
「申し訳ありません・・・私・・・」
「いいえ、あなたは悪くありませんわ!あれは私が起こした事故じゃありませんの!」
「ですが・・・」
「そもそも転移門で移動したのに誰が!・・・ぁ」
(昨夜の、過激派ッ!)
レイラは直感したが、正直その「過激派」なる者がどういう人物、団体なのかを知らない。
知らないが、あの状況を見ていた人物が教務課に通報したというのはまちがいない、あの場にいた人物といえば王子二人とステラ、それに謎の人物たちだ。謎の人物は怪しいが、アランとのやり取りを見る限り敵ではないと思う。残る人物は姿こそ見せなかったが過激派しかいない。
「ステラ・・・あの、」
「主人に恥をかかせてしまいました・・・私は部屋に戻って謹慎しております。」
そう言うと、ステラは俯いて寮へ帰ろうとした。
「レイラ、ステラ!」
「ディーン殿下。」
「ふたりとも、ちょっといいか?」
ディーンはレイラ達を連れて少し離れた物陰へ移動した。
「心配するな、あれはな、ステラの身を護るためなんだ。」
「!」
「身を護る?」
朝からまた不穏な単語が。
「・・・というわけでな、過激派の連中は隠れちまってるし、何かしでかすとすれば狙われるのはレイラよりステラだろう。」
「つまり、謹慎は建前と。でも私が狙われないというのは?」
「お前が俺や兄上と親しいのは既知の事実だから今更なんだろう、特訓中も邪魔しなかったろう?」
「はぁ・・・」
「それに、お前は貴族。ステラは平民だ。平民の分際で王族に馴れ馴れしい、ってところだろうな。」
「そんな・・・ステラは」
「まあ、ステラは悪くないってことは理事会も承知してる。一週間、我慢してくれ。その間に連中を探し出して話を付ける。」
親衛隊。学園内にいくつか存在する非公然組織で、主な活動は「推しの生徒を陰から愛で、情報を共有すること」と言われている。厳しい掟に縛られているとも、入るも出るも申告不要で活動も気分次第という緩い繋がりとも言われ、構成員も推されている生徒もはっきりしないことが多く実態がつかめない。だが、二人の王子には明らかにそれが存在し、一部は御庭番的な身辺警護を「自主的な活動」として行っている。昨夜の謎の人物もそうした一人らしい。一方で、自分の欲望に正直すぎて文字通り過激な行動に走ってしまうのを過激派と呼んでいる。
その過激派に、昨日の事故でステラは目を付けられてしまったのだ。王子が二人そろっているところに半裸で現れたらそれはまあ、ふしだらとか言いたくなるのも理解はできるが、原因はレイラの召喚魔法である。責任を感じると同時に自分でなくステラに危害を加えようとする事に憤りを感じたレイラは、その日以降も一人で召喚魔法の鍛錬に励んだ。
(こうして一人になっていれば、向こうから接触しやすいでしょう。)
ステラには警備が付いている。狙いを無防備な自分に変えてきても不思議ではない。
(出てきたら返り討ちにしてやるわ。)
返り討ちにする具体的な方策も無しに決意するレイラであった。
しかし何の収穫も無いまま一週間が経ち、ステラの謹慎が明けた。過激派と言っても学内の同好会のようなものなので、警備部に本気を出されたら見つからないはずは無いのだが、まるで解散したかのようにピタリと活動を停止してしまったのだ。レイラは襲撃されることもなくただ鍛錬をして過ごし、どうにか自分の小物程度なら選択して召喚できるようになった。危険が取り除かれたわけではないが、謹慎を延長することもできないのでステラは登校を再開することになった。
「レイラ!魔法に集中して。」
「は、はい!」
今日もアランの指導を受けているレイラであったが、御庭番同好会はともかく過激同好会もどこかで見ていると思うとどうにも集中できない。しかし、そろそろ魔獣を召喚できるようにしないと、期末試験で勝利するためにはまだまだすることがあるのだ。加えて、魔法学科とはいえ一般教養の試験もある。にもかかわらず、連日召喚魔法の鍛錬に打ち込むあまり、魔法以外の勉強が滞っていたのである。
「本当に大丈夫か?”寝不足の魔女”だっけ?最近授業中の居眠りが増えたって聞いたぞ。」
「平気ですわ、私、魔力量だけは自信がありましてよ?あと変なあだ名を増やさないでくださいませ。」
「いや、お前のクラスで聞いたんだよ、俺じゃない。」
「レイラ、寝不足は魔力で補えないよ。あまり無理はしないようにね。」
レイラは深呼吸をして、杖を構え直した。召喚門の展開はもう目を閉じていても(関係ないが)できる。今度はより深くへ、遠い次元、この世界を一枚の平面として、その下に何層もある同じような世界、その深い方へ糸を通すイメージで、というのはアラン流の解釈である。彼がこのやり方で翼竜を召喚したのなら、その彼から教わったやり方で同じ魔獣を呼び出せない道理はない。
「それじゃあレイラ、もう一度。自分の考える強い魔獣、頼りになる仲間、信頼のおける相棒の姿をイメージしながら、投げる。」
「イメージして・・・投げる。」
「その魔獣におやつをあげている所を想像して。」
「おやつ?」
「想像して!」
「はい、おやつ・・・」
不思議とアランの言葉の真の意味が理解できる。
ぼんやりと実家の黒い大型犬を想像する。その犬にレイラはビスケットをあげようとしている。
その場面を想像すると、召喚門の上にもう一つの門が現れて一枚に重なった。
おやつを上げると更に重なって、犬の姿がより大きく、強そうに変化し、召喚獣の姿がだんだん具体的に見えてくる。
失敗した時の心配はその時にすれば良い、というのはアドリブで対処できる実力のある者の言う事だ。このセリフをレイラは度々、実力も準備もなしに使っている。これまでその場を凌いで来られたのは周囲の助けと幸運の賜物だ。今日も偶々、集中力が極大になったタイミングでそれらがかみ合った。
「狼の遠吠えのような・・・」
「集中して!」
「集中・・・狼・・・強くて頼りになる・・・」
魔獣が出現するとき、鳴声などが前兆として聞こえることがある。レイラが感じたのも恐らくそれだろう。召喚門が魔獣に合わせて拡大した。
「来た、出るよ・・・」
「ああ・・・」
「おお・・・」
遠吠えと共に魔獣が姿を現した。
「おいおい、やったなレイラ。」
「やりましたわ!」
出現した魔獣は・・・
「これは、狼、大きさ、毛並み・・・ブラックハウンド(黒い猟犬)か。」
狼を思わせる体型だが体長は5メートルはあろうか、体毛は暗闇の様に黒かったが鬣は青味がかった銀色で、瞳も青く光り輝いていた。脚は太く、逆に胴体は細身で、この巨体でも森の中を縦横に駆け巡り、爪の一撃で獲物の頭を潰す。獰猛な性格だが、翼竜ほどの知能は無い。
「結構強いやつだぞ。初めて召喚に成功した魔獣としては上出来じゃないか。」
「この子が、私の魔獣ですのね。」
「そうだな。後はこいつを毎日召喚して、心を通わせていくんだ。」
アランと同じ翼竜を召喚することもできたかもしれないが、あまり高位の魔獣だと使役魔法の段階で弾かれるかもしれない。無理に召喚しようとすると、針が弾かれて狙いより下位の魔獣が出てきてしまうことが多いのだ。そう考えるとアランの天才ぶりたるや・・・
(本当にこの子は、時々予想のはるか上を飛び越えていくな。)
「そうそう、この子に名前を付けないと。」
「名前?」
そして学期末が近づき、学園内に張り詰めた空気が流れ始めた。
学期末試験。一般教養は補習を受けることで単位の付与を受けられるが、ここは魔法学校である。魔法実技だけは実力を見せねばならない。魔法使いとして一定の能力を身に着けたと認められなければ、他の試験の成績に依らず落第判定となり学園を去ることになる。魔法学園にさえ入らなければ、一般の学校であればそれなりの成績で卒業できたであろう若者が、ここではたった一度、魔法使いとしての能力が及ばなかっただけで積み重ねた過去も将来の可能性もすべてを失うのだ。レイラもその瀬戸際に立っていたが、万全の策をもって臨んでいた。
魔法学科の期末試験は延べ一週間にわたって行われ、一日目の筆記試験は必須である。丸一日、朝から日没までかけて一部を除く一般教養全科目の試験が行われる。二日目午前は魔法科の筆記、二日目午後から七日目までの実技試験は選択式で、毎日異なる実技試験を受けて一定の点数に達すれば進級が可能となる。試験によって得られる点数は異なるので、簡単だが点数の低い試験を複数受けても良し、難度は高いが高得点を狙える試験で一発合格し、後の日程自由に過ごすも可、である。大魔法使いを目指し全日程を受験する猛者も毎年数人は居る。
問題の魔法実技、召喚獣騎馬戦は、騎馬戦部分で勝てなくても要件さえ満たせば最低でもC評価を得られる。要件というのは召喚魔法を構成するすべての魔法、すなはち魔獣を召喚し短時間でも使役状態にしてから送り返すという最低限の魔法を行使することである。C評価は進級に必要な最低ラインなのでこの試験一本に絞るのも手ではあるが、騎馬戦次第では落第の危険が高い試験でもある。特に1年生は召喚魔法自体習った直後で弱い魔獣しか出せず、上級生から鴨にされる可能性が高い。
リスクの高い試験であるが、成績上位3名には一部科目の試験免除に加え、試験であるにもかかわらず国王から奨励金が出るという破格の待遇が用意されているので受験者のモチベーションは概ね高い。
家が太いレイラは奨励金には興味が無かったが、自分がクラスで孤立している現状、ステラへのいじめともとれる扱いを同時に解決するためにこの試験に挑んだ。目指すはA評価、そのためには騎馬戦で10人に勝つこととディーンは言っていた。今のレイラにはそれが十分可能な魔獣が居る。更に上位3名に入ることができればS評価と、ブラッドベリー家始まって以来の出来損ないという汚名を返上することもできるかもしれない。
レイラの実家、ブラッドベリー家は甘いような酸っぱいような家名の通り、果樹園と酒造で財を成した一族である。その始祖レイン・ブラッドベリーは元はといえば強力な魔法使いで、勇者一行の一員として各地を戦い歩き、魔王との戦いで功績を上げ爵位を授かった。若くして引退した後、彼女は故郷に戻り現役時代に収集した植物の研究に没頭した。その中から厳選した果物の大規模果樹園を開き、収穫した果物の一部で今度は酒造に取り組んだ。彼女の夢は自分で作った最高の酒で家族や友人と乾杯する事だったのだ。そして領主としてはやはり農業を奨励し、自らも不作や病害などと戦いながら領地を一大生産地とし安定した生産量で王国の食を支えたのである。「ブラッドベリー領出身者はにおいでわかる」とは主に相手を称えたり信頼を示すときに使う言葉である。
用例:「高級ブランデーを思わせる土と水の香り、ブラッドベリー領の出身者でいらっしゃいますか?」
「高級ブランデー」の部分をブランド名に置き換えたり、水源を当てたりすると効果的。
一方で、レインの強力な魔法使いの素養は子孫に受け継がれ、家系図には多数の高名な魔法使いが名を連ねた。そんな一族の末子にあるのが我らがレイラ・ブラッドベリー、彼女もまたレインの高い魔法能力を受け継いでいたが、幼い頃から体を動かすことの方が得意で、効果が出るのをじっと待つことの多い魔法は苦手だった。ただ、屋敷に飾られている先祖の肖像画はどれも大好きで、自分もいつかそこに加わりたいとは思っていたようだ。
召喚獣騎馬戦の試験会場は学園内の、アリーナ式の観覧席を備えた大競技場である。万一の事故に備えてこの時間帯は他の試験は少数しか実施されておらず、その分多くの教員と警備部員がここの要員に割かれている。更に警備部には騎士階級の者も本国から出向して来て万全の警戒態勢を整えている。この試験では高度な召喚魔法の実技を間近で見られるため多くの見学者が詰めかけ、中には単純に見世物として楽しもうという者もいる。なにせ広いとはいえ競技場に100騎の魔獣騎士(の卵)が揃い最後の一騎になるまで戦うというのだから結構な迫力なのだ。ただし召喚される魔獣は玉石混合、過去には炎竜などの「乗れたら優勝」レベルの者から、乗った瞬間負け確定のスライムの使用例もある。
試験担当教員が火薬式の信号銃を鳴らし試験開始を告げ、それを合図に受験者たちは一斉に召喚を始める。他の生徒が巨大な蜘蛛や足が6本の馬、アランが翼竜を召喚しそれぞれ鞍具を着けさせているのを横目に、レイラはまだ一心不乱に念じ続けていた。
鞍具は術者が魔獣に乗るための鞍など装備一式のことで、絶対必要ということは無いが魔獣から振り落とされないためには使用が推奨される装備だ。これがあると騎馬戦での生存率は格段に高くなる。レイラも汎用品の鞍具を調整して用意している。用意はしているが、肝心の魔獣がまだ呼び出せていない状態だ。
やがて早い者は戦闘フィールドへ移動しはじめた。召喚獣に騎乗した受験者はフィールド上の任意の場所で所定の時間まで待機するのだ。この時間までに騎乗できていなくても試験は続行できるが、その場合は他の受験者から攻撃されながらの召喚になることを覚悟しなくてはならない。つまりは良い的である。
騎馬戦において落馬した受験者は自分の魔獣を伴って安全エリアへ脱出し、魔獣を送還できれば戦績に関係なく試験は合格となる。だが、魔獣を倒されるなどして送還できなかった場合は試験の要件を満たせなかったとして不合格になる。そのため弱い魔獣に乗る者が他の受験者を買収して生き残ったり、わざと魔獣だけを狙う行為も行われているが、それらも実力のうちとして黙認されているのが現状である。
連日の自主練でレイラの召喚魔法は向上し、ブラックハウンドとの連携もなかなかのレベルに達していた。だが肝心の本番で、まもなく騎馬戦の開始という時間になってもレイラは開始位置から一歩も動けずにいた。召喚門は展開し、魔獣を釣る段階なのだが。
(深度は合っている、いつもならとっくに「ウルフィン」が食いつくはずなのに、どうして!?)
「ウルフィン」はレイラが召喚した魔獣に付けた名前である。レイラ曰く、鬣の青を海面に見立てて狼とイルカを合わせた造語とのこと。一度召喚した魔獣は術者との間に「縁」ができ、次の召喚で同じ深度を狙うと基本的に同じ魔獣が呼び出される。特に個体に名前を付ける行為は縁を補強する効果があり、次回から確実にその個体が召喚されるようになるのだ。が・・・
(いない・・・どうしましょう、いない!)
幾度となくやってきたことなのに、レイラが投げた「釣り針」には何の反応もない。召喚門に投げた魔力の糸はまるで底に着いたようにだらりと垂れている。目の前に青く光る円陣からは魔獣出現の予兆である狼の咆哮が聞こえてもよさそうなのだが。
「パっフォッ!」
火薬の破裂する音が場内に反響し、騎馬戦が開始された。魔獣同士が激突する中、何騎かは勝負を早々にあきらめ召喚中の生徒を狙ってきた。瞬く間に何人かが失格になる。当然レイラも危険だが、魔獣騎士の卵たちはレイラと他に数人の生徒への攻撃を避けているようだ。そこは実家の太さ故か、権力のある家の出身者を避けているのだ。だが中にはそういう太い家を憎む者がいてもおかしくない。或いは先日の過激派が入り込んでいるかもしれない。何秒あるかわからない猶予時間内に、とにかく召喚を成功させてせめて単位だけは確保しなくては。
ブラックハウンドはそこそこ高位で珍しい部類の魔獣だ。機動力と俊敏さが高く、森林でもほとんど速度を落とさず走れるという特技を持つ一方、胴体が左右に激しく動くので騎乗には向かないところがある。それでもレイラ自身の身体能力と合わせて立ち回れば戦績で入賞を狙うことは十分に可能なはずだった。しかしなぜか何度も練習した召喚は成功せず「ウルフィン」は現れない。
理由はわからないがこのまま待っても時間が過ぎていくだけだ。他の魔獣を呼び出せればまだ可能性はあるかもしれない。レイラは召喚門を維持したまま再度「釣り針」の投入を試みた。深さが同じなら同じタイプの魔獣が居るはず、それに賭けるしかない。
一方、フィールドでは例年にないほど激しい戦いが展開されており、観覧席のほとんどの生徒たちの注意はそちらへ向いていた。受験者がほぼ全員男子なのに対して、観覧席に居るのは男女半々と言ったところか。推しの生徒の活躍を一目見ようと、様々な応援グッズまで持ち込んでいるのは試験会場としてどうかと思うが、そんな観覧席から未だ召喚すらできずにもたついている生徒を見ている者が僅かだが存在した。召喚に苦戦する友人を心配しているのだろうか、怪しい嘲笑を浮かべる生徒がいたことに気づく者などいる筈も無い。
(無駄よ、無駄無駄。ワンコどころか今のあなたには蟻んこ一匹呼び出せなくてよ。)
(もう一度投げ直して、ウルフィンでなくてもいいの・・・誰か、来て!)
だが、対象のイメージがあやふやなまま召喚をするのは悪手である。エサとなる魔力が拡散してしまい、魔獣を引き寄せられないのだ。こういう時は過去に召喚した他の魔獣に切り替えるのが定石だが、ウルフィン以外にはステラしかいない。加えて、何度も「釣り針」を投げ直したことで召喚門自体が綻び、レイラも消耗してしまっていた。
(ああっ!)
召喚門の青い光が明滅した。門の維持が困難になったときに発生する現象である。土埃に遮られて観覧席の生徒は気づいていない。
門が消えかけたことでレイラは本格的に焦り始めた。実は彼女の魔力量をもってすればまだまだ余裕があったのだが、召喚門を長時間維持するには別の力、集中力が足りなかったのだ。今まで維持できていたのが奇跡とすらいえる。大層な言われようだがレイラはそういう子なのだ。結局ここでも「魔力バカ」なのだ。
(もう、あきらめるしかないの?このまま続けて何かが出てきても、いきなり乗りこなせるの?私がバカでしたわ。)
ますます集中を欠いたレイラの召喚門は歪み、激しく揺れ動いた。
「バスンッ!」
120ミリ滑腔砲の射撃のような音がして召喚門が破裂し、舞い上がった火花の中から2本足で立つ影が・・・現れてしまった。
「おい、あれ見ろよ」
「まさか、人間を呼び出したのか?」
「そんなわけあるかよく見ろ、何か違うぞ」
大事故が起こった。
大きな破裂音と派手な火花のおかげで観客の注意はレイラの方に集まった。
「なんてこと・・・」
知能が高い高位魔獣になるほど召喚は難しくなっていく。単純なエサでは釣れなくなるからだ。
相応の供物を捧げ、呪文まで専用の物が必要な場合もある。高位魔獣はそこまでしてようやく呼び出しに成功するのが普通である。更に、知能の高い魔獣は自我が強くて使役魔法にかかりにくい。その場合より高度な供物、例えば少女の生贄などを用意して引き換えに願いを聞き届けてもらう「交渉」が必要になってくるが、魔法学科の1年ではそんなレベルの事は教えていないし能力的に無理だ。
そしてもう一つ、魔獣は高位の者ほどその姿がヒトに近づいていく傾向がある。単にシルエットがヒトなのではなく、角や尻尾などの「魔」を象徴する部分以外の特徴がヒトと変わらなくなってくるのだ。強そうな筋肉も堅そうな鱗も持たない方が高位で強力。
その法則にしたがえばレイラが呼び出したのは非常に高位の魔獣、「魔人」と呼ばれる領域の存在であった。
観覧席は大混乱だった。魔法障壁で護られていて安全なのだが、魔人出現という事態に恐怖にかられた生徒たちが狭い出口に殺到したのだ。少なくない怪我人が出ているようだ。特に女子生徒の怖がり方は尋常ではなかったが、生贄の話をしたせいか?私が悪いのか??
一方、現場のレイラは妙に落ち着いていた。召喚という第一関門を突破した達成感の賜物か、ヒト型の者を召喚してしまったことに驚く前に、自分の目的を達成するべく行動を開始した。女神はそのような行動をとる者に微笑むことが多いらしい。
(まずは召喚門の縮小だけど、門は消えてしまったようね。)
魔獣の使役中、召喚門は消滅させず「扉」を閉め、魔力の消耗を抑えるため小さな点になるまで縮小させて宝珠に収める。この宝珠は魔法学園の特許技術で作られており、指輪などに加工して使役中は常に身に着けて置くことが推奨される。宝珠に召喚門を収納しておくことで召喚元の場所の情報が保持され、使役魔法を解除すると自動的に召喚門を再展開して魔獣を送り返す仕様なのだ。このとき、鞍などを着けたままにしておくと一緒に転送されてしまうことがある。
(ヒト型?なら言葉が通じるかも。)
なんという大胆で自己中な思い込みというか勘違いというか、
「そこのあなた、私に召喚されてきたのよね?」
レイラが話しかけると、魔人は理解できないという表情で突っ立っていた。言葉は通じないのか?
「ならば私に従いなさい。さあ、私を乗せてこの騎馬戦に勝利するのよ!」
ああ、こんな時でも「魔力バカ」、というか魔法関係なしのただの「バカ」だ。使役魔法はどうした?
大体「騎馬戦に~」といきなりいわれてルールの説明も無しとは恐れ入りますよお嬢様。
魔人はぐるりと頭を巡らせて辺りを見回した。レイラの後方、観覧席では生徒たちが出口に殺到し将棋倒しになっていた。振り返るとすぐ近くで魔獣が戦っていた。数秒後には巻き込まれるだろう。
「さあ早く、私を乗せなさい!乗せ・・・」
同じ命令を繰り返したことでレイラは目の前の問題に気が付いた。
(乗せる?どこに?どうやって??)
ウルフィン用に用意した鞍が合わないのは見れば判る。ヒト型でもミノタウロスくらいなら肩に乗ることもできるしなかなか画になるだろう。2メートルも身長があれば少々無様だが肩車でも我慢しよう。それより小さければ、四つん這いにさせて背中に跨るか?無い!大体目の前の魔人はレイラより頭一つ分は背が低い。
魔人の頭には前腕ほどの長さがある一本の真直ぐな角が生え、脛から下は濃い体毛に覆われていた。青い大きな瞳、瞳と同じ色の腰まで届く長髪に巨乳、肌の色はかなり白く、あまり陽に当たっていないようだし筋肉質という感じでもない。胸は単純にサイズに着目するならレイラの方が大きいかもしれないが、小柄な分際立って見える。だが問題はそこではなく、「魔の象徴たる部分」を除くとレイラより小さい少女にしか見えない、どうにも凶悪とか狂暴とかいうイメージからは遠い外見なのだ。
(なんだか弱そ・・・)
魔人はレイラの後に回ると屈んで両膝を抱え込み、そのままレイラを担ぎ上げた。
「ち、ちょっと、何?」
肩に乗せられたレイラがバランスを取ろうと片足を振り上げたところで、魔人が突進し始めた。たちまちすぐそばで戦っていた2頭を跳ね飛ばし、次の目標はフィールドを高速で駆け回る6本足の馬。
「ちょっとぉぉ~~~~っ!」
相手もレイラの動きに気づいたらしく、こちらへ向きを変えて迫ってくる。馬力も重量も桁違いだろう、6本もある脚の一本一本が棍棒のようだ。無茶だ、こんな相手に正面から挑んで勝てるわけがない。
彼我の距離が縮まると魔人が姿勢を低くし、一段と加速したかと思うと
「けうっ!!!」
六脚馬の前脚を駆け上がって一気に背中へ到達すると、そのままの勢いで騎手に両膝蹴りを食らわせた。不意をつかれた騎手ははるか向こうへ吹っ飛んで行った。
魔人の肩の上で激しく揺さぶられながら、何とかレイラは姿勢を整えた。
「え・・・勝った・・・一勝?」
絶望しかけた状況から瞬く間に勝ち点1をもぎ取った、まさしく起死回生。そう、飽くまで騎馬戦なのだから魔獣を倒さなくても騎手を地面に落とせばいいのだ。あと、最初に跳ね飛ばした2頭も入れて勝ち点は3だがその時のレイラは気づいていなかった。
「お、おい、あれすげーぞ。」
「すごく小さいが、何の魔獣だ?」
レイラの魔人は立ち塞がる魔獣の爪や牙を巧みにかわし、しかもレイラにかすり傷一つ負わせていなかった。明白な体重差がある相手にも全くひるまず突進し、相手の隙をついて転倒させるなど何某かの体術を使っているように見えた、が・・・一部の眼の良い生徒には異様な光景が見えていた。
「何だあれ?あんなのありかよ。」
実は魔人は爪や牙をかわし切れておらず、相当な回数をまともに受けていた。だがそれらは魔人の身体に食い込むことなく滑るように通り抜けてしまい、すごい体術に見えるのも単純に足を引っかけていたり、時には正面からぶつかって相手を弾き飛ばしているのだった。あまりの体格差に観客たちの脳が現実を受け入れられず、存在しない「体術という集団幻覚」を生み出していたのだ。
観覧席の騒乱が歓声に変わる活躍。レイラを担いだ魔人はフィールド内を駆け回り、強敵達を文字通り蹴落としていった。魔法の試験で魔法ではなく肉弾で勝ってしまっているが、召喚獣を使っている以上ルールの範囲内である。あまりに快調なのでレイラの眼は生気に満ち光り輝いていた。
そしてレイラの快進撃は男子生徒の目を釘付けにしていた。
「すげぇ・・・」
「まさかこんなありがたい物を拝めるとは。」
正直に言うと、大多数の生徒たちが注目しているのは快進撃を支える「下の人」だ。大きな声援を送りながらガン見する者、上のレイラを目で追いながらチラチラ下を見ている者など視線は様々。小柄なせいで少し太めに見えるものの魔人の外見はいわゆる美少女で、それが豊満な膨らみを揺らしながら縦横無尽に駆け回る姿は相当に刺激的な光景だった。落ち着け若人よ、これは単位のかかった真面目な試験である。
ロケットランチャーのように肩に担がれたレイラが、ほとんど姿勢を崩さないでいることの凄さはあまり注目を集めていないようだ。
小柄な魔人との対比でものすごく不安定に見えるのだが、魔人もレイラも全くふらつくことなくフィールドを駆け回り、そのままの状態で魔人は飛び蹴りまで繰り出している。しかもレイラと対峙した男子達は敢えて避けずに正面から迎え撃っていた。まっすぐ突入してくるのだから避けることは難しくないしバランスの悪さに付け込むこともできるはずだが、これが騎士道精神という物なのだろうか。どうも負けを覚悟で突っ込んでいるように見えるし、顔を魔人の大腿部に挟まれて振り落とされた生徒などは恍惚とした表情で地面に転がっていた。負けて悔いなしというのとは覚悟の面でだいぶ差があるようだ。
背後に風切り音を感じてレイラが身を低くすると、魔人も同じ物を感じていたらしく更に低くなった。レイラの頭上を鋭い鉤爪が通過し、前方で旋回した。
「ここまで残るとは、本当に上達したね、レイラ。」
「でもその魔獣は初めてだね?ウルフィンはどうしたんだい?」
(とうとうこの時が来ましたわね。)
全長5メートルを超える、羽毛の生えた巨大なトカゲを思わせる体に三角の翼。競技開始時に早々に舞い上がった翼竜であった。
「殿下に対抗するための、隠し玉ですわ。」
大嘘である。だが、優勝を狙うならアランに勝たなくてはならない、そのためにはウルフィンでは力不足なのだ。
・・・召喚で苦しんだせいで当初の目標を忘れてしまったらしい。生き残って10位以内を目指していたはずだ。
「その、魔獣?確かに強いみたいだけれど、大丈夫?2体目を育てる時間など無かったと思うよ?」
アランの指摘通り、ともに訓練した時間はそのまま強さにつながる。魔人にはさっき初めて乗ったばかりで訓練時間はゼロだ。
バサッ
重い羽音を響かせて翼竜はレイラたちの前に着地した。特訓の時に何度か見せてもらったが、こうして対峙すると本当に大きい。
「アラン殿下・・・」
アランが騎乗する翼竜は、鳥とトカゲの中間のような外観をしているがこの世界では貴重な航空戦力であり、高速と爪を生かした攻撃が得意、調教次第で魔法も覚えるという最強クラスの魔獣である。その組み合わせをして、ついたあだ名は「竜騎士王子」だ。
「3割くらいの騎馬を倒して、あとはゆっくり見物していても優勝のはずだったのだけれど、君がものすごい勢いで追い上げてきたからね。まさか勝ち点で並ばれるとは思わなかった。」
目についた相手を夢中で倒してきたので気が付かなかったが、そういえばもう残っている騎馬はレイラとこのアランだけになっていた。
翼竜まで鋭い眼光を飛ばしてくる。余程気の合う相棒なのだろう。
「せっかくここまで来たんだ、決着を付けよう。手加減抜きだよ、レイラ!」
「望むところですわ、師匠!」
翼竜は再び上昇し、急降下しながら鉤爪を振り下ろしてくる。更にアランから魔法攻撃。この状態で魔法を使えるのだからアランの能力は相当なものだとわかる。確かに、待っていても優勝だっただろう。
一方のレイラは魔力切れ(と思っている)で魔法が使えず、魔人も空を飛ぶ相手は苦手らしく、レイラを担いで逃げながら翼竜の爪を角でしのいでいた。
このまま時間切れまでしのぎ切るというのもありだ。同点優勝か、優勝できなくとも3位以内には入ったはずだ。だが、相手は尊敬する「師匠」。勝つことこそ恩に報いる行為だ。実家でもそう教えられて育った。
制限時間が近づき審判が出てきた。手にしているのは
(信号銃・・・火薬式の、空砲)
レイラの頭に作戦が閃いた。魔人の頭にポン!と手を置いて
「行きますわよ。」
「ぬぃ!」
不思議とそれだけで全てが通じた気がした。
翼竜の方も今度こそ止めとばかりに嘴を向け急降下してきた。このまま頭から地面に突っ込みそうな勢いだ。いっそ避けて地面に突っ込ませた方がレイラに有利なのだがもはやそこに気づきもしない、要するに両者とも頭に血が上っていた。
その距離既に10メートル!魔人は上体を大きく反らすと翼竜に向かってレイラを投げつけた。避けられる距離でも速度でもない、接触タイミングをずらされてこれは翼竜を直撃する、と思わせて、目のいい翼竜は瞬時に翼を開いて減速し足の鉤爪でレイラを捕まえようとする。
「なんのっ!」
迫ってきた鉤爪を押さえて躱すとあん馬の要領で体を回転させ
「ぉおっ!」
レイラは翼竜の胸に強烈なキックを食らわせた。
「グエェーッ!」
レイラのつま先が翼竜の胸にめり込んだ。羽毛の防御力分を引いても内臓に衝撃が届いたのだろう。苦しそうに翼をばたつかせながら降着するとそこは魔人の目の前だった。
蹴った反動で翼竜から離れたレイラは、下で待っていた魔人の手でもう一度、今度は翼竜の背をめがけてジャンプ、というか魔人が投げた。
天才といえども無理なことはある。アランはもがき続ける翼竜から振り落とされまいと手綱を操るのに精いっぱいで、上からのレイラの奇襲に対応できなかった。
すとっ
「レイラッ!」
レイラはアランの肩に片手をかけた状態で、激しく揺れ動く翼竜の背中に事も無げに立ち乗りしている。恐るべきバランス感覚。
「失礼いたします殿下。ごきげんよう♪」
「うわっ」
レイラはアランの両脇に手を回すと、鞍から放り出した。手綱を掴んだままだったアランは地面に叩きつけられはしなかったが、踵が地面に触れてしまった。主人が視界に入ったことで翼竜も静かになる。
「やれやれ・・・完敗だ。」
「恐れ入ります、殿下。」
レイラは待ち受けていた魔人の肩に10点満点の着地を決めた。
「これで私が優勝ですわね!・・・あれ・・・優勝?」
生き残れば充分だったのだが、それにしてもこんなに暴れるとは我ながらはしたない・・・
最後の一騎が決まったにもかかわらず、審判は信号銃を撃たない。
レイラが呆けたように棒立ちしていると、
「レイラ、まだ試験は終わっていない!魔獣を帰すんだ。」
(そうだった!)
アランの声に我に返ったレイラは、開始位置へ戻って魔人から降りた。
改めて自分が召喚した魔人を見た。それは今まで授業で教わったどの魔獣とも似ていなかった。どこから見ても裸の少女、に、長い角と三角の耳、蹄と尻尾。似ている生物を強いてあげるならヒトかエルフだろう。よくこんなのに乗っていたものだ。
魔人、魔獣でなく魔人。
今回の試験内容は名前の通り、「魔獣」を使った騎馬戦である。「魔人」を使ってはならないという規則はないが、それは魔人を召喚することを想定していないからだ。魔人と魔獣では召喚獣としての格が違う、召喚の難度と必要な魔力が段違いである。修業を積んだ魔術師が入念な準備をしてようやく召喚できるレベルであり、いくら魔力量が豊富と言っても一介の学生にそんな者を召喚できるはずがない。まして、レイラには既にウルフィンという縁のある魔獣がいたのだからそれが出てこないのがそもそもおかしい。
だが、そこには魔人が居た。小さな体で他の魔獣をすべて蹴散らし、何かを待っているような顔でレイラの前に立っている。
魔人の強さはヒト部分の姿による。この法則に当てはめるとこの魔人は相当に強い。恐らく王国を亡ぼせる程度の力はあるだろう。これらは2年の授業の内容なのでレイラが知らないのも無理はない。小さければ弱い、鎧が無ければ弱いという世間の常識とは逆なのだ。そして、魔人は基本的に破壊者である。
審判席では教師たちが集まっていた。魔人の対策を話し合っているのだろうか。警備の騎士も出動し観覧席を守る態勢に入っている。
だがこの局面で、レイラは全く別の事を、この3か月間ずっと考えていたことを今も考えていた。目的を定めたらその達成だけを考える、それがレイラだ。ただ、今は当初の目的より優先すべきことがあったと思う。
(今は、この魔人を帰らせて試験要件を達成しないと。)
今のレイラのように召喚門が消えてしまった場合は、送還するための転移門を新たに開く。コスト的には門の維持が不要な分、魔力消費が少ないが、対象を元の場所に返せるかは不確実になる。新しい転移門には召喚時の情報が保持されていないからだ(魔法学園では道義的に「元の場所へ返せ」と教えている。)。何らかの事情で門を維持できない、或いは送還門を展開できない場合は使役魔法を解除するタイミングで魔獣を捕獲するか処分する。そうしないと、制御されていない魔獣がその場に放たれることになる。
レイラもアランに教わってこういうケースの対処法は知っていたが、特訓では問題なくウルフィンが召喚できていたので実践はしたことがない。だがやり方は同じだ。レイラは魔人に向き直り、その足元に送還門を展開した。青白い魔法陣が浮かび上がる。
(よかった、まだ魔力は残っていたようね。)
門さえ開けば、魔人はこちらの世界から押し出されて元の世界に戻る筈・・・だが、魔人は微動だにしない。
(駄目ね、何かが足りないのかしら。魔力?門の大きさ?)
召喚にあれだけの時間を要した魔人である、送還にも同等の魔力と時間を必要としても不思議ではない。
不意に頭の奥から刺すような頭痛がしてきた。目が回る。今度こそ魔力の払底が近いのだ。このまま送還門が消えるようなことになったら召喚魔法は完結せず、競技に勝っても試験に落ちることになる。何が足りないのか、送還門が消える前に見つけ出さないと。
(そういえばアラン殿下に何か聞いたような気が。確か・・・)
絶望的なことを思い出した。
(高位の魔獣の召喚には供物が必要だったわね。)
今回、魔人の召喚に当たって供物の類を一切用意していない。1年目で教える召喚魔法の範囲を超えているし、仮に3年であっても教養として教わるレベルである。そもそも魔人が召喚されたこと自体が事故のようなものだ。その上これだけ激しく使役したのである、何の対価も無しに帰るわけがない。本来の順番と違うが、魔人的には供物の後払いでも収支は合うのだろう。というわけで、帰らせるには何らかの供物が必要だが、今この場で用意できる物といえば・・・
魔力が尽きる前に決断しなくては。この小さな魔人が本気で暴れ出したらどれほどの被害が出るかわからない。魔法学園の総力を集めれば何とかなるのだろうか。戦った場合どんな被害が、どれくらいの死者が出るだろうか。最初は弱そうに見えた魔人が、今では無邪気に世界を滅ぼすサイコな怪物に見える。
ただ成績を挽回しようと努力しただけなのに、世界の危機を呼んでしまった。
(これは、私の失態ですわ。)
この場で用意できる供物、それはレイラ自身であった。
実家の両親は悲しむだろう。自分もまだまだやりたいことがあったが、ここで終わりのようだ。運命とはかくも唐突で容赦ない物なのか、女神は何処でサボっているのか?
(今なら自分一人の犠牲で済むわね。)
その覚悟ができるなら、ここは単位をあきらめて教師陣に魔人の処分を願い出るという選択肢もあっただろう、倒せるとは言っていないが。事態の急展開が続いてレイラは普段の冷静さを欠いてしまっていた。要するにテンパっていたのだ。
教師陣もまさか生徒がここまで覚悟を決めてしまっているとは思っておらず、事の成り行きを見守っていた。
送還門が明滅を始めた。いよいよ魔力が残り少ない。
「魔人よ」
レイラは祈りを捧げるかのように目を閉じ、両手を上げて
「この身で以ってお怒りを御鎮めください。どうか、どうかお帰りください。」
正式な祈りの言葉なんか知らない、ただ、心の底からの願いを言葉にした。
薄目を開けると魔人はまだそこに居た。レイラ一人では足りなかったのか。
だが他の人を巻き込んではいけない。レイラを供物として魅力的に見せる方法は何かないのか?
飾りつけ?ここには何も無い・・・そう、無い、飾るのとは逆なのだ。
(この恰好では、生贄に相応しくなかったですわね。)
レイラが制服を脱ぎ始めたのを見て観覧席から叫び声が上がる。レイラの意図を察した生徒がいたのだろう。教員席からもレイラの覚悟に気づいた数人の教師が飛び出し、軽装の騎士が駆け寄ってくる。
(これで、皆が助かるなら)
ようやく魔人が動き出し、レイラに近寄ってきた。2歩、3歩・・・大きく口を開け、脱ぎかけで露わになった両肩に手をかけて引き寄せると、
はぷっ
「んむっ・・・!!」
「・・・」
「・・・」
「んんっ!」
唇を重ねられた、正確には口を被せられてレイラは堪らず膝をついてしまった。
「んケケケケッ!」
魔人は奇怪な笑いを発しながら振り向くと、送還門に飛び込んで消えてしまった。
ドザザーッ!
レイラを救うべく全力疾走していた騎士たちは急速に失速し、何人かはレイラの目の前で転倒した。
(えぇ・・・?)
送還門も消滅し、後には気まずそうなレイラが残された。
運命は残酷で容赦ない。だが、誰も傷付けず、何も破壊せず、結果だけ見ればレイラの行動は大正解だった。
魔人は無事に帰ったのか?帰ったとして元の場所へ戻れたのか?
あんな恰好で現れたのはもしかして入浴中に呼び出してしまったのではなかっただろうか。
制服を着直しながら早くも魔人の心配をし始める辺り、案外レイラはお人よしだ。
ともかく召喚魔法は完結し、無事レイラの優勝が確定した。
そもそも試験の一環なので競技の後は成績の発表だけで表彰式とかは特にない。アランと六脚馬の少年がそれぞれ2,3位なのは順当と言ったところか。ライバルとしてタゲられたりしなければ良いのだけれど。
だが、その優勝を揺るがす事態は既に、とても近い所で発生していた。
今日はもう他の試験も無い。魔人と大暴れしたせいで魔力はもちろん、体力の消耗が激しかったレイラは、少し早いが寮へ帰って休むことにした。
だが、レイラが寮へ帰る道すがら、周囲の生徒の目がおかしい。眼球の数とか形がとか言うことではなく、何か見てはいけないものでも見るような視線をちらちらと投げかけてくる。先ほどの騒ぎが噂になっているのだろう。今度はどんな悪評を立てられたのか。
そんなことを思い憂鬱になりながら寮へと向かうが、途中で出遭う生徒はある者はレイラを追い越していき、ある者は逆に走ってすれ違っていく。どうも話題の中心はレイラ以外のところにあるようだが、先ほどの視線から察するに自分に関わりのある何か・・・
(もしや、ステラに何かありましたの?!)
動きを見せなかった過激派がついにステラを襲ったのか?レイラは何かに急かされるように歩みを早めた。
レイラの部屋の前にはドアを囲むように人だかりができていて、その一番前にステラの姿があった。先ほどからのざわざわする感じの震源地は自分の部屋だったのだ。
「何かあったんですの?」
ステラの無事を確認して普段の態度を取り戻したレイラは人だかりを押しのけてドアの前に立った。
「れ、レイラ様・・・部屋の中に・・・」
正直、疲れて早く休みたいことに加えて、周囲の視線が不快だ。
「中?中がどうかしましたの?」
虫が出た程度ならレイラはもちろん、同郷のステラも動じることは無い。そのステラがこの様子なのは何か異常事態が起きているに違いないのだが、少し苛立っていたレイラは躊躇なくドアを開け中に踏み込んだ。
同時に人だかりが騒然となった。
送り返したはずのあの魔人がレイラのベッドで眠っていた。
そのときレイラが感じたのは恐怖だったのか、それとも他の何かだったのか。
「・・・帰れというのはそういう事ではありませんわよ・・・だいたいあなた、ベッドが土だ~ふぇに・・・」
「レイラ様っ!」
精神力も体力も限界だったレイラはこれ以上の負荷に耐えられず、その場に崩れて落ちて意識を失ってしまった。