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目の前にはぽよんぽよんと跳ねまわる液体モドキ、もとい『スライム』。
後ろには緑肌の小怪物、ゴブリン。
私は2体の魔物に挟まれていた。
何のことは無い、ただ再びあの採取依頼を受けていただけだ。郷土料理に使える木の実を取る。それだけの依頼だった。
ただ、受付嬢が言うには、「どうも最近魔物が活性化している」らしい。本来は低級魔物しかいない森に中級クラスの魔物が現れたり、そもそも魔物の数自体がやや増えているという。
「奥深くに入らなければ問題ないですよ」と言われたので、気にせず森に入ったが……実際、魔物の密度は確かに高くなっているようだった。
「ギギ!」
ゴブリンが威嚇の声を上げる一方で、スライムは沈黙を保っていた。いや、そもそも口がないのだから、声を発しようがないのだ。
だが、この2匹、どうも連携しているように見える。偶然出くわしたにしては動きが連動しすぎている。
異種の魔物が協力するなんて話、私は聞いたことがない。ギルドに報告すべき異常事態ではないか?
あるいは、これも魔物の活性化現象の一部なのだろうか。
「ギギギ!」
ゴブリンが大声を上げながら、棍棒を持ってこちらに近づいてくる。後ずさりしようとするが、後ろはスライムが道を塞いでいる。
スライムの液体は劇物に近い特徴を示し、触ると皮膚が火傷を起こしたように爛れてしまうらしい。触らない方が吉か。
このゴブリン、自分の力に自信があるのか、仲間を呼ばず単独で私とやり合うつもりらしい。
今にも飛びかかってきそうな低姿勢――しかも、前に見たゴブリンより体が1回り大きい気がする。
私はそっと腰のベルトから、新品の杖を取り出して両手で握った。
「グギギ……」
杖を構えた瞬間、ゴブリンがたじろいだ。どうやら人間が使う武器の危険性を理解しているらしい。やはり彼らはただの獣ではない。
それでも引く気はないようだ。棍棒を振り回しつつ、じりじりと間合いを詰めてくる。
これ以上は近づけさせない。
そう思い、杖を掲げる。取り合えず、相手を殺す気はない。ただ威嚇するだけだ。
そうだ、炎。動物は本能的に火を恐れるはずだ。
私は記憶の中の炎を思い描いた。
かつて天上から地を見下ろしていた時、人間たちは魔法で火球を生み出し、敵に向かって投げつけていた。あれを真似ればいい。
魂に宿る魔力を集め、杖の先に集中させる。魔力は使用者の魂の鼓動に応じて変化し、力となる。
私が思い浮かべたまま、魔力は球状の火の玉と変化し、ボッという音と共に具現化した。
そのままゴブリンの棍棒へと飛ばしてやると、棍棒は破裂音と共に砕け散り、その欠片がパラパラと地に落ちた。
ゴブリンは唖然と手を見つめている。そして、棍棒の成れの果てを自分の身と重ねて想像してしまったのだろう。
視線がゆっくりこちらを向いた。その目は恐怖で満ちており、少しずつ後ずさりし始めた。
一方で、後ろのスライムには何の変化もない。ひたすらぽよんぽよんと跳ねているだけで、前進も後退もする気は無さそうだ。
「ゴブリンとスライム、私の邪魔をするのはやめて。」
このままでは埒が明かないので、静かに想いを言葉に乗せ、魔物たちに話しかけた。
その瞬間、2匹ともびくりと体を震わせて硬直し、2人は互いの顔(スライムに顔があるのかは不明だが)を見合わせた。
やっぱり言葉は通じているらしい。
「私、碌なもの持ってないの。確かに杖とローブはあるけれどね、このローブは貴方達の身体には合わないし、人間用の杖を無理に持ったって魔法が使えるようにはならないわ。」
お金も大半は宿に置いてきたし、そもそも彼らが欲しがるのは食料や武器防具、貴重な魔石や宝石だ。
そんな高価なものは持ち合わせていない。
ゴブリンはギギ……?と首を傾げている。私の言葉が通じて困惑しているのだろう。
生憎私にはゴブリンの言葉は分からない。犬や馬等、知能が高い動物の言葉ならある程度分かるけれど、やっぱり私と魔物は相性が悪いらしい。それとも、慣れれば理解できるようになるのだろうか?
もし言葉が分かったら、ここ最近の魔物の増加とか、ゴブリンがスライムと手を組んだ理由とか色々面白い事が聞けたかもしれないのに。
「貴方達はどうして協力しているのかしらね。そもそもスライムとゴブリンが揃って狩りしたところで、メリットなんてあるの?そんな不確かな行動取る位なら、ゴブリン同士、或いはスライム同士で行動すべきなのに……って、言っても仕方ないのに。」
別に問いかけたわけではない。殆ど無意味な独り言のつもりだった。
言葉が通じたところで魔物に答える気が無ければ、回答は得られない。今の私は、彼ら魔物にとって敵対している人間でしかないから。
しかし、彼らの反応は私が思っていたものと少し違った。
彼らはどことなくきょとんとした反応で、敵意よりも困惑の感情を強く表に出していた。
「ギ、ギギッ。」
ゴブリンが私に話しかけるような声を発した。もはや威嚇でも悲鳴でもない。
そして、警戒しながらも一歩、私に近づいてきた。
「……ゴブリン、あなた、私の言葉が分かるの? それで話をしたい、ってことかしら?」
ゴブリンがこくりと頷く。私はゆっくりと息を吐いた。
「分かったわ。話を聞きましょう。そこのスライムはどうする?」
そう聞いても、スライムは分かっているのか分かっていないのか、ただ跳ねているだけだ。そもそも単独生活をするスライムは言語を持たない。
それでも、どこかへ去る様子は見られない。本来スライムは臆病な生き物なのに未だ逃げないということは、多少なりともこちらやゴブリンの意思が通じているのだろう。
「そこにいていいわ。……さて、ゴブリン。伝えたいことがあるのよね? 私にはあなたの言葉は分からないから、身振り手振りでお願い。」
「ギギ!」
ゴブリンが小さく吠え、決意したように私を見上げる。
言葉が通じるだけで仲間と認識する――まるで人間と同じだ。その上、私は初めから敵意を示さなかった。それも安心材料になったのだろう。
ゴブリンはついてこい、とばかりに森の奥へと進み、私を振り返ってじっと見つめた。
少し面倒だが仕方ない。最初に話しかけてしまったのは私の方だ。別に採取依頼は今日でなくていいし、何かいい情報を得られればギルドに売れるかもしれないとポジティブに考えよう。
私はゴブリンの後を追いかけ、普段は行くことのない森の奥へと歩みを進めた。
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獣道――いや魔物道というべきか――を暫く進んでいくと、どことなく雰囲気が変わったように感じられる。
予め調べていた地図を見ても、この辺りは探索記録が殆どない。目ぼしい素材がなく、かといって危険な魔物も居ない地帯、冒険者にとって用のない場所のようだ。
この先に一体何があるというのか。
とある地点までくると、ゴブリンは背を低く屈め、小さく低い警告音を出し始めた。
仕草から察するに、お前も屈んで周囲に注意しろという事だろう。言われた通りに身体を丸め、魔力を抑えて気配を隠す。
ゴブリンは私の様子に満足し、再び前方へゆっくり歩き始めた。
目的地はすぐそこであった。
森の植物の群生地にひっそりと隠された洞窟の入り口付近には、石や木材を使った簡素な道具が並んでいた。
食べ物を干す棚に、切り株を活用した椅子。どう考えても自然にできたものではない。かといって、冒険者が作ったものにしては手入れが行き過ぎている。
では、誰が作ったものか。その答えは火を見るより明らか。
ここに生息しているゴブリンだ。
洞窟のすぐ隣には、長槍を持ったゴブリンが立っている。どことなく落ち着かない様子で、歩き回りながら息が荒く、時折独り言のように鳴き声が漏れている。何か嫌なことがあったのだろうか。
少し離れた先の藪に身を隠して暫く様子を観察していると、洞窟の中から別の個体が現れた。
門番役に比べると少し小柄な個体だ。ゴブリンの一般的な道具である棍棒を手に握りしめ、攻撃的にぶんぶんと振り回している。
あの門番役と今出てきたゴブリンは恐らく同じ群れに属する者同士だ。
しかし、彼らは何故か互いを視認した瞬間、牙を剥き出して鬼の形相で睨みつけるように顔を歪ませた。
「ガッ!ギギギギ!」
警告音や威嚇とも違う、高い攻撃的な鳴き声だ。静かな森に奇怪な響き渡り、不快に木霊していく。
小柄な個体が先に動いた。門番役に詰め寄り、牙を剥き出しにして怒鳴りつけている。
門番役も我慢の限界だったのか、自分よりも小柄なゴブリンに対して槍を振りかざし、相手の頭めがけて振り下ろした。
槍は小柄な方の脳天に直撃し、ぱっくりと開いた頭の傷から真っ赤な血が噴き出した。肌が緑色のゴブリンでも、血は真っ赤らしい。
小柄なゴブリンは悲鳴の入り混じった呻き声を出しながら、その場によろよろと倒れ込んだ。
しかし、そこで門番役の攻撃は終わらなかった。小柄な方の戦闘意欲はとっくに無くなっているにも関わらず、怒り狂ったように何度も手にした武器で頭を殴りつけ、甲高い鳴き声で喚き散らしている。
その目は狂気に満ちており、とても道具を使える程に理性が発達した存在だとは思えない。
生きるための闘争ではない。ただ自分が快楽を得るための暴力をふるい続けている。
何度も、何度も。
我を失ったまま、収まらない怒りに狂ったまま、殴り続けた。
苦しい。痛ましい。
小柄なゴブリンが殴りつけられるたびに心が張り裂けそうに痛み、彼の悲鳴が脳内に響き渡るたびに頭が締め付けられるような感覚に見舞われる。
目の奥がぐるぐると回り、吐きそうになる。まるであのゴブリンが受けているような苦しみがそっくりそのまま私に移るように、強く殴打されるような痛みに頭を抱えた。
何度見たって慣れっこない。いつもそうだ。
生き物が死ぬ姿を見ると、気分が悪くなる。
私をここまで連れてきたゴブリンがこちらを不安げに見ている。彼は私にこの様子を見せたかったらしい。
確かにこれは異常だ。
ゴブリンという魔物は普段から集団生活を営んでおり、その生態は冒険者の間でもよく知られている。
人間や肉食性の魔物に対しては攻撃的な一方で、仲間に対してはかなり温和で友好的に振る舞う。序列に沿って仲間内で食べ物を分け与えたり、傷ついた仲間を慰める様な仕草をすることもあるらしい。
そりゃ群れで生活をしていれば喧嘩をすることもあるだろう。酷い傷を負ったり、群れを追い出されることもある。
しかし、それはあくまで生きるための本能の一部。ああやって仲間を殺して悦に浸るような存在は異端でしかない。