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『で、どうするの?』
「何が?」
家に戻り持ち物整理をしてくると、珍しくグリハの方から話しかけられた。
『竜、いるんでしょ?ミスト、気になってる。』
「ああ、その話ね。よく分かってるじゃない。」
グリハの頭を撫でると、目を細めて嬉しそうにしている。緑色の肌は一見ごつごつしているが、触ると意外にもすべすべしているのだ。
『でも、ミストは戦わない。……何をするの?』
「うーん、そうねえ……見に行こうかしら。」
『見に行く?』
意味が分からないと首を捻るグリハが愛おしく、思わず笑みが浮かぶ。
「そう、竜なんて滅多に見られないでしょう? だから見に行くだけ。」
『……ふうん。』
人であればもっと質問攻めにされただろうが、グリハはそこで追及を止めた。諦めたのか、興味が持てなかったのか。
信頼関係があるという事にしておこう。
「そう言えばグリハ、また大きくなった?」
『なったかもー。』
「あんまり大きくなると町中歩けなくなっちゃうかもね。」
『やだー。』
その時は町の外で待っていてもらえればいいか、なんて考えながら再び荷物整理へと戻った。
「あとミズハ、室内ではあんまり広がり過ぎないでね。べとべとするから。」
部屋いっぱいに広がったミズハに軽く注意すると、シュルシュルと小さく縮んでいった。
素直に言う事を聞けて偉い子だ。
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取り合えず、物を買いに行かねば。
服は血と汗で汚れてしまったし、ミズハを入れる瓶も必要だ。
使い魔達のおやつでも買ってきてあげようか。果実でも喜ぶだろうが、やはり肉の方がいいのだろうか。
いや、肉は散々ダンジョン内で食べさせたから、またしばらくは果実でいいか。その方が私の気分が楽だし。
久々に太陽の下で活動できる。これが何と気分の上がる事か。
竜が来たという情報はとっくに広まっているだろうに、町は変わらず栄えている。
人々の活気で溢れる市場では、実に様々なものが売っている。その大半は食べ物であるが、中にはアクセサリーや服飾、小物等の日用品も散見される。
資金は潤沢にあるが、無駄に色々買っても仕方ない。なんたって置ける場所は無いし、余計な荷物は持っていられない。
いずれはこの地を去る予定なのだから。
冒険者御用達店の服は丈夫でいい。特に、ローブの下に着る薄着はここ以外で買うと長持ちしない。というのはリリカの教えだ。
冒険者は肉体労働者。それにふさわしい品質でなくては耐えられない。
適当な品を選び、店主に渡し、一息つく。
「いやあ、こんな小さい子が冒険者かあ。」
その言葉には軽蔑も疑問も無く、ただ感心が含まれていた。
「家の事情で働かなきゃいけなくて。」
「そりゃ大変だ。ほれ、おつりだ。」
取り合えず先払いで、と渡された金額は報酬の一部にしては多すぎて、釣銭の関係で普通の店で使うことは戸惑われた。その点冒険者慣れしている店はこういう高額の金銭のやりとりも手慣れている。
じゃらじゃらと渡された金額を丁寧に数えても嫌な顔1つせず、静かに待っててくれている。
「それにしても、冒険者は今大変だろう。なんたって竜が発見されたそうだからな。」
「自分はランクが低い事もあって、そんなに変わったことはありませんよ。」
「いやいや、受けられる依頼が減ったそうじゃないか。竜の居る山に依頼をこなしに行くことはできないから、低ランク冒険者が一番割を食っていると聞いたぞ。」
成程、通りで掲示板に貼ってある依頼が少なかった訳だ。
「そうなんですね、自分はあの山に行くことがないのであまり知りませんでした。」
そう適当なことを言うと、店主はああ、と納得したように頷いた。
「そりゃそうか。元々あの山は危険だったしな。」
買ったものを丁寧に袋に詰めてもらう。幸い現在他のお客さんはいない為、こうやってのんびり私と会話しているようだ。
「ま、嬢ちゃんも気をつけな。竜次第ではこの町だって危ない。事実、引っ越しの準備を進めてるやつらが多いって話だ。……全く、つい最近シルハから逃げて来た奴等がいっぱいいるというのに、この町からも逃げることになるなんてな。世の中どうかしてるぜ。」
チリンチリンと音を鳴らし、再び外に出れば、陽がすっかり高くなっていた。
市場は昼食を求める人々ですっかり賑わっている。
人混みは正直、あまり好きではない。聖龍故ではなく、単に私の性格由来の理由だ。
「あ、ミストだ。」
聞きなれた声に振り返ると、リリカが大きく手を振っていた。
「奇遇ね、こんなところで。」
「リリカさんこそ。何しているんです?」
「ちょっと買い物と昼ごはんをね。ほら、ずっとダンジョンに居たせいで消耗品が多かったでしょう?それを補充しに来たのよ。」
ほら、と身体を捻って背中の荷物を見せつけてきた。重そうな革リュックが重力に従い、ずるりと背中を滑った。
それでもバランスを崩さないリリカ、流石の体幹である。
「ミストもしっかりと補充しておくのよ。いつ予想外の事が起きるか分からないんだからね。例えば、未知のダンジョンに閉じ込められたりとか。」
リリカのウインクに、思わず苦笑いしてしまう。
生きて帰ったからこその冗談だ。誰か死んでいたらこうやって日常会話に混ぜることだってできやしなかった。
彼女は付け足す様に、ああそれと、と声を潜め、私に顔をそっと近づけた。長い睫毛が揺れ、きめ細かい肌が良く見える。突然の事に驚いて、少し体が跳ねる。
彼女の精悍な顔つきがすぐ目の前に迫り、男前だなあ、なんて勝手な感想を抱いてしまう。
そのままリリカは私の耳元の髪を掬い上げ、耳元でそっと囁いた。
「ミーゼは無事よ。ただし、神殿の方から呼び出しがあったみたいで、アイザが向かったわ。まあ、戒律の厳しい神殿から勝手に長期間いなくなったものだから、その弁明をしなければね。ミストもお見舞いいってらっしゃい。」
私達パーティーが竜と接触したことは一応関係者のみが知る秘密として処理されている。不安になった人々に詰められるのが面倒だからだ。
故に小声で、耳元で誰にも聞こえぬように囁かれた訳だが、驚かされたことが何となく癪で。
わかった、お見舞いに行ってくる。リリカも、気を付けて。
別に小声で言う必要はない内容であった。特に意味はなくただリリカの真似をしただけで、もしかしたら多少驚かされたやり返しの気持ちもあったかもしれない。
先程言われたように、小声で言い返そうと、彼女の肩にそっと乗りかかり、耳元で囁こうとした。耳にかかる金髪が邪魔になるだろうと、軽く掬って払った――瞬間、リリカがびくっと身体を震わせ、突然私から身体を離した。
突き放されたせいでよろめいてしまい、慌ててリリカが支えてくれた。
「あ、ああ、ごめん。急に髪を払われてびっくりしたんだ。」
「……リリカさんだって、同じことやってきたのに……」
「そうだな、すまんな。」
アハハ、と誤魔化す様に軽く笑った。
それじゃあこの辺で、と急いたように突然足早にその場から去ってしまった。
何も見ていなければ、何なんだ、変な様子だったな、程度で済んだだろう。
だが、偶然見てしまったそれが、気になって仕方が無かった。
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白い建物はともかく、白い床は維持が大変そうだ。毎日どれだけの掃除をすれば済むだろう。
にも拘らず、先日訪れた時と同じく、床には埃1つ落ちていない。
足まで体形を覆いつくすローブを被った僧侶たちがせわしなく廊下を行き来しているが、これはいつもの事なのだろうか。
或いは竜の出現で慌ただしくなっているだけなのだろうか。
「ミーゼの冒険者仲間ですか。いいでしょう、案内します。……ですが、彼女は療養中の身です。必ず安静に、決して催促は行わないように。」
神殿の案内役は目を細め、私を見定めるように見つめた。被っている帽子の文様からして、そこそこ偉い地位についているのだろう。
「分かりました。」
私が頷いたところを見ると、案内役は静かに私を先導してくれた。
幾つかの部屋を抜けた先に、人通りの少ない静かな通路が伸びている。その中の茶色の扉の1つが、コンコンと軽くノックされる。
「ミーゼ、入りますよ。」
ガチャリと扉を開けた先に居たのは、小さな部屋の簡素なベッドに横たわるミーゼであった。
「……ミスト?」
私の姿を見るなりミーゼは目を丸くして起き上がった。
顔が少しやつれているが、難なく1人で体を起こせるまでには回復したらしい。
案内役がどこかへ行くのを確認してから、ミーゼと私の目線が合った。
「……ミスト、大丈夫だった?」
「大丈夫だったか聞きたいのは私の方ですよ。」
「確かに。」
ふっと笑った顔はいつも通りで、何となく安心した。
「私、背中を切りつけられたって聞いたのよ。でもそんな記憶が無くてね。お姉様――高位僧侶が治してくれたの。あの方は回復力も凄くてね、難しい内臓の治療まで完璧にしてくれるの。私は魔力強壮剤をひたすら飲みながら体力も精神力も削ってようやくできることを、あの人は完璧にやってのけるのよ。」
「その人を尊敬されてるのですね。」
「そりゃね。お姉様は皆に人気だから。」
ミーゼの身体は完全とはいかないが、粗方治療は済んでいるようだ。後はゆっくりと自然回復力に従って体調を戻すだけで、1週間もあれば外に出られるようになるという。
背中を切りつけられて瀕死になっても、僅か数日あればここまで回復するとは。この世界の医療は驚く程発展している。前世の世界ではあり得ない程に。
「ねえミスト、外の様子はどう?」
「皆竜に混乱しているけど、そこまで混沌って訳じゃ無いですよ。この町には冒険者達が沢山居るし、領主の兵団もあるらしいから。」
「そう、それは良かった。私達だけで戦わなきゃいけない訳じゃ無いものね。」
実際あの竜の強さは未知数だ。ダンジョン内にいた個体とは比較にならない程強いだろう。
でも、人は群れれば強気になれる。それが良い方向に作用してくれればいいけれど。
「そう言えば、ちょっと聞きたいことがあるんですが。」
「なあに?」
ミーゼが首を傾げると、いつもよりもくるくると螺旋を描いた髪がさらりと流れ落ちる。
「リリカさんと仲いいんですよね?」
「ええ、そうよ。」
「リリカさんの――髪、結い上げたとこ見たことがあります?」
我ながら変な質問だが、ミーゼはその意図を理解してくれたらしい。
「ああ、ぼかさなくてもいいわよ。リリカの耳のことでしょう?」
「ええ、そうです。」
こういう質問で返してくれるという事は、やはり知っているのだろう。
リリカの耳が、尖っていたことを。
犬や猫と違い、人の耳は丸まった形をしている。周囲を見る限り、それは今も昔も変わらないはず。
だというのに、リリカは違った。あの形状は、明らかに人の耳ではない。
「言っていいのかしら。でも、ミストが相手だし……流石に恩人に言ってダメってことはないだろうし、何よりミストは見ちゃったのよね。」
「ええ、偶然です。偶然リリカさんの顔に近づいちゃって、髪を払っちゃって……耳の先、あんなに尖っていたんですね。」
「ああもう、そこまで言われちゃったら言わざるを得ないじゃない。でもね、これは内緒よ。本当に本当に内緒。そうじゃないと、リリカと絶交されるわよ。」
ミーゼは一息つくと、私に近づくように手招きした。近づくと、彼女は私の耳元に近づいた。
「彼女はね、エルフと人間のハーフなのよ。」
「エルフ、ですか。」
「そう、知ってる?深い森に住んでいて、人とは全く関わりを持たない種族。」
「話に聞いただけですが。」
何ならおとぎ話の類だと思っていた。私自身そんな存在は見たことが無かったからだ。
昔そんな生き物はいなかったはずだし、今ですら人はその存在を確認できていない。
人と関わりを持たないのなら、どうして『居る』と言えようか。
そう思っていたが、リリカの耳を見ればそうもいっていられない。
「人が天使を信仰する様に、エルフは精霊を信仰しているって言われてるわ。リリカ曰く、それは本当らしいの。ほら、宗教の違いって根深いから……エルフの方は人間を嫌悪しているから、人の前に姿を現さないようにしてるんだって。」
「そうなんですね……あれ、そうしたら、リリカさんはどうなんです?関りがないのなら、エルフと人間のハーフなんて、どうやって生まれたのでしょう?」
「それがね、私もそこまで詳しく聞いていないんだけど。どうやら、リリカのお父様とお母様は偶然出会って恋に落ちたらしいの。ロマンチックよねえ。でも、それが原因でご両親はエルフの里から追放されて、リリカも幼くして1人になってしまったらしいの。」
「エルフの里から追放……」
「そうよ、エルフが人と交わるのは禁忌って言われてるらしいわ。『らしい』というのも、結局リリカが母親から聞いただけで、彼女自身は里の事なんて全く知らないって言っていたけどね。」
「……そのエルフの里、リリカさんはどこにあるか知っているんですか?」
「さあね、私達にその話をしたがらないから。ミストにすら話してくれるか分かんないわ。」
エルフ。彼らが精霊を信仰しているのなら、エルフの里に行けば、精霊について何か情報を得られるかもしれない。
或いは、上位の精霊に逢えれば……
「リリカのこと、本当に他の人に言っちゃダメだからね。絶交される位ならまだマシよ。エルフの血を引いている人間は本当に数少ないの。奇異の目で見られたり、最悪捕まって売り飛ばされるなんてこともある位なんだから。」
「リリカさん以外にもエルフの血を引く人が居るんですか?」
「ほんの稀に、よ。そうねえ、歴史上竜に出会って生きていた人の数くらいかしら。」
ミーゼはくすくす笑ったが、私は思わず苦笑いした。




