38
「アイザ、そっち行ったぞ!」
ジズの声に、アイザはハッとした。
積み重なった疲労のせいだろうか、明らかに戦闘に集中できていない。
毎日戦っていれば、戦闘技術は確実に少しずつ上がっていく。しかし、それが疲労によるパフォーマンス低下を上回るかと言えば微妙なところだ。
ジズの攻撃範囲から逃れた小型魔物がアイザの隣をスルーし、後衛の方へと向かう。
それを見たリリカが反射的にミーゼの方へと向かう。
いつもならミーゼに飛び掛かって来た魔物をリリカが自身の肉体で受け止めるところ、ミーゼはその時初めてリリカを静止した。
「リリカ、大丈夫。」
「え?」
思いがけなく力強いミーゼの言葉に、リリカは一瞬戸惑う。今までずっとおどおどしてきた彼女の瞳が、真っすぐに魔物を捉えていた。
その気迫に、リリカの動きが一瞬止まった。
ミーゼは一瞬にして魔力を集中させると、飛んできた魔物の顔面に向かって小さな火球を繰り出す。威力は低く速さも遅いが、反撃には丁度いい。
顔面に攻撃を食らった魔物は視界を塞がれ、驚いて悶絶し転がった。その隙を見逃さず、リリカが弓で頭部を撃ち抜いた。魔物は、動かなくなった。
「……ミーゼ。」
「えへへ、教えてもらったのよ。」
ミーゼは微笑み、ちらりとこちらを見やる。
リリカもその視線を追い、すぐに理解したように頷いた。
「なるほどね。」
「そう、だからもうこれ以上貴方に迷惑をかけることはないわ。」
「迷惑って……」
リリカが困ったように眉尻を下げた。
「そんな風に思ったことは一度もない。私はただ、このパーティーの一員として、役割を果たしただけで……」
「でも、それで貴方が傷ついていたのは事実でしょう?私、もうリリカが苦しむのを見るのが嫌なの。」
リリカは何度か口を開いて何かを言おうと思案していたが、結局何も言わずに吸った息を吐いた。
代わりに、少し笑って、「ありがとう。」と小さく呟いた。
「お前達、戦闘に集中しろ。」
アイザの冷静な言葉にハッとした2人は少し慌てて周囲を見渡し、そして各々の役目に戻った。
その背中には、さっきまでとは違う、ほんの少しの自信と安堵が宿っていた。
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戦闘が終わり、肉を剥ぐ。
魔物の肉の味にもそろそろ慣れて来た頃だ。寧ろこのえぐみがおいしいんじゃないか、なんて錯覚まで芽生えてくる。
肉のえぐみは水にさらせば落ちることに気づいたのは、つい最近のことだ。そもそも水自体が魔力で汚染されているせいで変な味がして、美味しいレベルにまで至らないのは仕方ない。
因みに、食事は各々バラバラで食べている。
私は手渡された肉をこっそりと使い魔達にやっているが、幸か不幸か、他の仲間達は疲れ切っている為気づく様子も無い。
……と思っていたら、リリカがこちらをちらちら見ながら、そっと手招きしていた。その隣には、にこにこと穏やかに座るミーゼの姿もある。
「……どうかされました?」
「一言お礼を言いたくてね。」
そう言うと、リリカとミーゼは一瞬互いの顔を見合い、にこりと笑った。
「ありがとう、私達に魔法を教えてくれて。あの時貴方が炎魔法を教えてくれたおかげで生き残れたと言っても過言じゃないわ。」
「あと、私に攻撃魔法も教えてくれたでしょ?おかげで私、心がすっかり晴れたの。おかしい話よね、こんなところに閉じ込められて絶望的だというのに。」
くすくすとミーゼが笑う。何となく、このダンジョンに入る前とは違った、憑き物が取れたような明るい顔だった。
「どういたしまして。」
「貴方も災難ね、うちのパーティーに入ったばかりにこんなところに閉じ込められて。……でも、貴方結構メンタル強いのね。」
意味が分からず首を傾げた私に、リリカはだってそうでしょう、と言葉を続けた。
「貴方、ここに来てから一切落ち込んでいないじゃない。」
ミーゼはリリカの言葉に同調するように頷いた。
「そう見えますか?」
「そうでしょう?だって、私達は未開の地に閉じ込められてしまったのよ。そこから何日も閉じ込められて、生きて出られるかも分からない。そんな状況だから、私達も、アイザやジズも皆正気を失いかけている。……でも何故か貴方だけはいつまでも平気な顔してるじゃない。寧ろ何だかこの状況を楽しんでいるようにすら感じられるわ。」
「そう、冷静沈着って言葉で表すには余りにも落ち着きすぎているわ。何か秘訣があるの?それとも、」
生きて帰れるって信じているから?
縋るような、小さな声。私と、リリカと、ミーゼ本人しか聞こえないような声であった。
私が落ち着いているのは、年の功だ。或いは、危機感の欠如である。
だから、本当の理由は全然違う。
でも、それを正直に言う必要はない。寧ろ、
「……ええ、そうです。皆さんの力があれば、きっと。」
そう言った方が、皆のためになる。
言葉とは不思議なもので、ネガティブなことを言えば言うほど心まで沈む。逆に、前向きな言葉は自分の中にも希望を芽生えさせる。
「ええ、きっと。」
リリカとミーゼは微笑んだ。薄暗く息苦しいダンジョンの中でも、決して絶望することはないだろう。
「アイザ、そろそろあの部屋に挑戦した方がいいんじゃないか?」
その声に振り向くと、いつの間に食事を終えたのか、ジズが立ちあがり、アイザに話しかけている。眉根を顰め、血生臭い大剣を背に担いでいる。
「……今の状態で、あいつに勝てると思うか?」
「ここにこれ以上籠もったって、もう得るものはない。確かに、戦いを重ねたおかげで俺たちは強くなった。だったら、もう十分だろう?」
ジズはアイザに詰め寄り、肩を揺さぶった。アイザはそんなジズを鋭い眼付で睨み、その手を掴んだ。
一触即発の雰囲気に、慌ててミーゼが駆け寄ろうとする。が、リリカがそれを止めた。
「ジズ、勝てない相手に突っ込んでも死ぬだけだ。それに、ここで訓練するのは無駄じゃない。事実、ここに来てから攻撃の精度は上がったし、何よりミーゼだって攻撃魔法が使えるようになったじゃないか。ここに初めて来た時は魔物に怯えていたが、今では問題なく狩れている。」
言葉の通り、彼らは確実に強くなっていた。
元々Dランクでもギリギリだった彼らが、今ギルドの認定試験を受ければ即座にCランクへ昇格するだろう。正直、驚くべき成長だった。
剣を振るう速度、魔法の発動精度、その威力も、目に見えて向上している。筋力や魔力は本来、そう簡単に伸びるものではないのに。
異常だ、とさえ思える。
原因はおそらく、彼らが摂取している魔物の肉か、魔力を多量に含んだ水。私がそれらを避けているせいで、同じ環境にいてもほとんど成長していないのが、その証拠でもある。
その異常さを成り立たせているのは、恐らく彼らが食べている魔物の肉か、魔力のたっぷり含まれた水か、そんなところだ。
その証拠に、どちらも摂取していない私は大して成長していない。悲しい。
いや、もしかすると違う。
追い詰められた状況、死と隣り合わせの極限状態が、彼らの可能性を引き出したのかもしれない。千年変わらぬ存在と、数年で変貌する人間とでは、比べること自体が間違いなのだろう。
ともかく、彼らはこの数日で見違えるように成長した。
が、一方で削り削られたものもある。
「いいや、もう我慢ならない。お前達が行かないと言うのなら、俺1人で行ってみせる。」
そう吐き捨てると、ジズは大股で部屋を後にした。
「ジズ、大丈夫かしら?」
ミーゼが心配そうに声を落とす。リリカと私も自然と顔を寄せ合い、ひそひそ声に切り替える。
「このあたりからあの扉までのルートは魔物も少ないですし。ジズなら、多少のことがあっても対処できるはずです。」
長く滞在している分、周辺の地形はすっかり頭に入っている。マッピングは私が中心だったが、ジズやアイザも概ね把握しているはずだ。無理に下層へ向かうようなことは、まずないだろう。
「いや、そうじゃなくて。あの魔物に1人で挑みに行かないかってこと。」
「確かに彼はずっとあの扉への挑戦を望んでいましたね。早く帰りたい気持ちも分かるのですが、あの魔物を目にして尚挑戦しようという気持ちが湧くのは不思議です。」
あの扉の向こうにいたのは、一目見ただけで分かる“強者”だった。距離を隔てていても伝わる威圧感は、ただ視線を向けただけで戦意を喪失させる。
「多分ね、ジズは家族が大事なのよ。」
「家族?」
「そう、妹さんがいるって聞いたことあるでしょう?ジズの妹はね、病気なのよ。」
初耳の情報に、思わず瞬きをする。
「まだ元気で外で遊べるくらいには元気なんだけどね、いつまでその元気が持つかも分からないから。」
妹が元気なうちに、一緒に居てやりたい。
その想いが彼を焦らせるのだろう、とリリカは語った。
「……元々冒険者をやっているのだって、妹さんの治療費を稼ぐためらしいから。自分がいなくなれば、妹の治療費は払えなくなる。それが怖いのでしょう。」
「アイザさんは、それを知っているのですか?」
「多分ね。でも、アイザは既に天涯孤独の身。元々の家族とは縁切りしてきたようだから、ジズの気持ちが分からないのでしょう。……ま、私も似たようなものだけど。」
思った以上に、複雑な事情があるようだった。
だが、人間誰しも抱えているものはある。だからこそ、時に分かり合えない部分が出てくる訳で。
「それなら尚の事不味いのでは?焦った人は、何をしでかすか分からないと言いますし。」
「流石に1人で突っ込むような真似はしないと思いたいけれど、状況が状況だし……自暴自棄になっていてもおかしくはないわね。」
「それに、ジズのいう事も一理あるわ。いつまでもここに居続ける訳にはいかない。いつ体調を崩してしまうかも分からないのに。……ねえアイザ、そう思わない?」
アイザの身体がピクリと動かす。
ひそひそ話をしていたつもりが、いつの間にか声が大きくなるのはよくあることだ。
この話もアイザは聞いていたようで、面倒くさそうにこちらを向いた。
「普通に考えて、勝てる訳ないだろう。遠目で見てもあんなデカいのに、いざ戦えばきっと木端微塵にされてしまう。今まで散々ここで戦い続けて力を付けたのだから、もう少しここに残ったっていいだろう。」
「でも実際は、そこまでの余裕はない。精神的な余裕も無ければ、物資的な余裕も。食料と水はあっても、装備や着替えは限られているのよ?」
そう言われ、全員の目線がちらりと荷物の方へ向けられる。装備一式は綺麗に手入れはしているが、いつダメになってもおかしくない。
状況は私が思ったよりも切羽詰まっていたらしい。というか、私が暢気すぎたのか、と認識を改める。
「そろそろ覚悟を決めないと。アイザ、貴方が本当は臆病なことくらい知っているわ。」
途端にアイザの目が開かれる。いつも冷静に堂々としていた表情は、怒ったように歪んだ。
「何分かったような口ぶりを。」
「本当は怖くて仕方ないんでしょう?あの魔物と戦うのが。戦ってあっけなく殺されてしまうのが。昔から貴方はそうだった、いつも貴方は……」
「煩い。」
酷く不機嫌な声だった。上機嫌を振る舞う笑顔も、リーダーとして振る舞う無表情さも、今はすっかり剥がれ落ちている。
そこに残っているのは、ただただ子供の様に感情をむき出しにする男が1人。
「俺の気持ちがお前に分かるものか。自分から好き好んで家を出た奴と、家を出るしかなかった俺が分かり合える訳ない。」
「私が純粋な夢希望を持って家を出たとでも?」
「そうだろう、大体お前は……」
「ストップ!」
私は慌てて静止し、アイザの腕を掴んで引っ張った。私の動きに合わせ、ミーゼもリリカの腕を掴んだ。
「待ってください、そんなことしている場合じゃありません。」
「そうよ、そう言うのは後でやって頂戴!」
クソっと吐き捨てたアイザは私に怒鳴る。
「あいつの安否なんてどうでもいいだろう、勝手に出て行ったんだ、自己中野郎は放っておけば。」
「私もそう思って、でも一応魔力探知で追っていたんですけれども。」
一旦息を整え、そして静かに言う。
「ジズさんと大きな魔物の反応が随分近くにあるようでして。」
時間がぴたりと止まる。
誰もが息を吸い、吐く事無く音が止まる。
一番最初にその沈黙を破ったのは、リリカだった。
「おい、それって……」
「ジズさんは、あの扉へと向かいました。」
その瞬間、リリカが叫んだ。
「アイザ!」
「……何だ。」
「今すぐジズに加勢しに行くぞ。」
「いいだろう、放っておけば。」
「ジズが死んだら、確実にここから出られなくなるぞ。」
その言葉に、アイザがピクリと身体を動かす。
「やるなら今だ。今やらねば、絶対に後悔する。お前だって、幼馴染を殺したくはないだろう?」
アイザは黙っている。何も言い返さない。
「アイザ、行きましょう。野垂れ死にたくないのなら。」
ミーゼの言葉に、再び体を揺らす。
「よいしょっと。」
その隣で、私は自分の荷物を持ちあげた。
「……おいお前、何しているんだ。」
アイザが思わず沈黙を破った。
「何って、ここから出る準備ですよ。アイザさんが行かないのなら、私が行きます。」
「正気か?お前とジズだけで勝てる相手じゃないんだぞ。」
「ダメなら逃げます。最悪、このダンジョン内を逃げ回れば案外倒さなくても撒いて扉を開けるかもしれませんし。ダメだったら狭い部屋にでも立てこもれば入ってこれなさそうですし。」
その発想は無かった、とばかりに全員が目を瞬かせる。
「ま、普通に相手の方が速かったり、魔法で部屋中無差別攻撃とかしてくれば一巻の終わりですがね。手法は相手によってその都度変えれば良いでしょう。私は器用貧乏ですが、工夫は人より得意なので。」
ふと、裾を引っ張る感覚を感じ、横を見ると、グリハがジト目でこっちを見ている。
『それ、僕たちのことどうするの?忘れてない?』
しまった、とは口に出さなかったが、顔には出ていたらしい。余計にグリハは口を尖らせる。
「ごめんごめん、貴方達は、そうね、私が背負って飛び回るから大丈夫大丈夫。」
『なんかこのダンジョン飛びにくいーって言ってたのに?』
うっと返しにつまり、思わずそっぽを向く。その先には、不思議そうな目でこちらを見る仲間達が居た。
「……本当、何話しているんだか。」
「ま、まあ、お気になさらず。それで、どうします?一緒に行くなら行きますけど。」
無理矢理話を逸らすと、アイザが不意に立ち上がった。
「……行く。」
「そうですか、それでは準備をしましょう。」
生憎時間はそれ程ない。ジズは壁役だから即死はしないだろうが、ミーゼの回復なしで長時間は耐えられまい。
それを皆分かっているのか、随分てきぱきと動いている。
……これで、どこまで行けるだろうか。
出来れば私があの魔物を殺す展開にはならないといいな、なんて場違いな思いを抱えながら、ジズの元へと向かった。
章全体を大きく変更するかもしれません。