30
翌日、私は早速チャリゼの山脈のうち、一番近い山に来ていた。
「前方に小型魔物の群れが居ます。恐らく虫系です。」
「この辺りだと蠍蜂の可能性が高い。蠍蜂は一度追われるとしつこく追い回されるから面倒だ、迂回しよう。左ルートは行けそうか?」
私は素早く周囲を探知し、敵がいないことを確認した。
「はい、大丈夫です。」
初めての共同依頼はスムーズに進んだ。
無用な戦闘は避け、必要な魔物だけを奇襲し、確実に刈り取っていく。
「ジズ、頼むぞ。」
「おう、アイザは手前に居る奴を、リリカは奥に居る奴を倒してくれ。ミーゼは後でまとめて回復魔法を撃ってくれ。」
「了解!」
Dランクは、冒険者の中でも実力は低い方と言われている。確かに、彼らの動きは訓練された冒険者のようなキレはない。
だが、決して弱く無力な訳ではない。しっかりと己の実力を把握し、その上で見事な連携を見せている。
蠍蜂は蠍のようなハサミと毒尾を持った蜂だ。その大きさは大人の片腕よりも短い程度の小型魔物だが、いかなる時も蜂は本来毒針を持っているが、蠍蜂は長い尾の先に毒針がある。
この長い尾を振り回して攻撃したり、ハサミで掴もうとしてくる。下手に当たると内臓が潰れる。
おまけに巣の周りには数十匹の群れを成して生活している。戦いに慣れていないEランクでは歯が立たない訳だ。
とは言え、他の魔物と比べればそれほど強い方でもない。この世界の回復魔法をもってすれば内臓なんて元通り生えてくるし、毒もじわじわ効いてくるタイプだから即死はしない。まだ頭をつぶされる危険性があるオークの群れの方が脅威だろう。
そんなことを後方で思っていると、ジズやアイザの剣をすり抜けた蠍蜂が数匹、後方組の方へと飛んできた。
「ちょっと、危ないわね!」
リリカとミーゼは慌てて防護壁をそれぞれ展開し、攻撃を上手く防いで見せた。その直後、リリカは力強い弓の一撃を蠍蜂の脳天に食らわせ、一瞬で仕留める。
しかし、ミーゼの武器は回復魔法用の大杖だけ。しかも攻撃魔法はほぼ使えないのか、蠍蜂の攻撃を防いでも反撃する手段が無い。
攻撃を防がれた蠍蜂は怒り、そのまま次の攻撃を繰り出そうとしている。
「ひい!」
アイザとジズは離れた位置で他の個体とやり合っているせいで、ミーゼの方まで攻撃が届かない。リリカも目の前の敵を打ち落とすのに精いっぱいで、矢を新しくつがえる余裕がない。
リリカは軽く舌打ちをし、蠍蜂とミーゼの間に割り込んだ。自分の身を犠牲にしてミーゼを守るつもりだ。
「ミーゼ!」
「リリカ!」
あわあわと焦るミーゼに覆いかぶさったリリカに、蠍蜂の次の攻撃が当たろうとした瞬間。
ぽよよん。
2人の視界いっぱいに水色の液状物体が広がり、蠍蜂の攻撃をその身体もろとも飲み込んでしまった。
それが巨大なスライムだと気づいたのは、液状物体がうねうねと動き回り、飲み込んだ蠍蜂の死体をすぐに融かし始めたからだ。
「大丈夫ですか?」
私はミーゼとリリカの手を順番に取り、腰が抜けた2人を何とか立たせる。
「え、ええ。大丈夫です。しかし、あれは……」
「ミズハ……私の使い魔のスライムです。ちょっと食事しているだけなので、気にせず戦闘を続けてください。」
蠍蜂はミズハの中で溺れたように藻掻いていたが、暖簾に腕押し。次第に動きが鈍くなっている。
アイザとジズは一瞬こちらを確認した後、大丈夫だと判断したのか、そのまま別個体との戦闘を続行している。リリカも直ぐに新しく矢を弓につがえ、前衛の補助に入った。
それを見てミーゼも気持ちを切り替えたのか、少し遅れて回復魔法の詠唱を始めた。これで元通りだ。
『僕も戦う?』
その様子を後ろで見ていたのか、暇を持て余したグリハがローブの裾を引っ張った。
「まだいいわ。また後方に魔物が来たら、今度はよろしくね。」
『はーい!』
グリハは無邪気に返事をし、大人しく周囲の警戒に戻った。
その後は皆特にミスをすることなく、私達はただ周りを警戒しながら立っているだけだった。
正直目の前で血が流れる様を見るのは多少しんどいものがあるが、これ位は耐えねばならない。
無事討伐が完了した後は、採取へと移る。
蠍蜂は尻の部分に毒袋を持ち、これを獲物に注入して狩りをする。しかし、この毒は人間の手によって薬の材料となる為、薬師の中で需要があるらしい。
よって、これを切り取って持ち帰るとそれなりに高く売れる。この辺の低ランク冒険者はよくこの方法でお金を稼ぐようで、このパーティーも同様だ。
「よし、毒袋は全部キレイに取れたな。しかし、これだけあると戦いの邪魔になるな。」
「あ、それくらいなら私が持ちますよ。」
「そうか、それはありがたい。だが、気を付けて持ってくれ。毒袋が破れれば売れなくなるし、うっかり素手で触ってしまうと皮膚が爛れてしまう。ま、以前はミーゼが戦闘しながら持っていた位だし、案外硬いから振り回しても破れないだろうけどな。」
「はい、気を付けます。」
回収した毒袋は専用の革袋に入れておく。戦闘していても破れないのなら、余程暴れない限りは大丈夫だろう。
グリハの方を見ると、討伐した蠍蜂の死体を貪っていた。硬い殻を器用に剥がして中の柔らかい肉を齧っている。
多少死肉を持ち帰れば、暫く使い魔達の食糧も心配ない。
「しかし、この使い魔が居てくれて助かった。あのままではリリカが怪我をするところだったな。」
休憩中のジズの言葉に、ミーゼはこくこくと頷いた。
「お陰様で、助かりました。普段もたまにああいう感じで怪我をすることがあるので……」
「大丈夫ですよ、このスライムがお役に立てたなら幸いです。」
ミズハは未だに蠍蜂の死体を食っているようだ。グリハが剥がして捨てた殻まで吸い込み、体内の酸で溶かしている。
言葉を話すグリハはともかく、ミズハは私も何を考えているのか分からない。本当は、何も考えていないんじゃないかとすら思えてくる。
ミズハにとって他の魔物は食料でしかないので、今回のこともミーゼやリリカを守ったというより、食べ物が飛び込んできた位の感覚に違いない。
「しかし、また俺等がミスしてしまったな。」
「ミス?」
「魔物の群れ相手だとどうしても前衛から抜けて後衛に魔物が襲い掛かってしまう事があるんだ。リリカは対処できるが、ミーゼは攻撃魔法が苦手だから魔物を目の前にしては打つ手が無くなる。」
「仕方ない、回復魔法は集中力が必要らしいからな。下手に攻撃魔法を覚えて気を分散させるよりは、回復に専念してほしいと言ったのは俺等だ。」
前衛は自分達が後衛の方に敵をやってしまったことを反省しているのだろう、ため息をついている。
「怪我ってよくある事なんですか?」
「それなりに。ミーゼは優秀な僧侶だから、即死か重い呪いでなければ基本すぐに回復できる。だから後衛の方に敵が行ってしまった時、私が何としてでもミーゼを守ることになっている。私が怪我してもミーゼが治せるが、ミーゼ自身が怪我をすると回復魔法に支障が出るからね。」
リリカは体に着いた砂埃をこまめに落としながら答えた。
確かにリリカの言うことは筋が通っているし、実際彼女はミーゼが怪我をしそうになった時真っ先に庇っている。
論理的には正しくとも、いざとなった時に自らを危険に晒すという判断ができる人間がどれほどいるだろうか。
「……何というか、リリカさんって凄く冷静沈着な方なんですね。」
「昔からリリカは責任感が強かったし、両親も冒険者だったらしいからな。」
「ちょっと、あんまり勝手に色々言わないでよ。」
アイザはごめんごめん、と首を振った。
「しかし、ミストの使い魔が援護してくれるなら楽でいいな。ミーゼの為にリリカが怪我する頻度も減るだろう。それに、ミスト自身の探知能力も高い。正直最初は実力を疑っていたが、結構助かるな。ありがとう。」
「ええ、私もそう思います。背後から襲われる危険が無いってだけで精神的に凄く楽なんですね……」
ミーゼの言葉に、リリカは黙って頷いた。
「そういって頂けて、幸いです。」
何とか自分の有用性を示せたようだ。当初皆の間に広がっていた疑念の空気も、今となっては大分薄まっている。
寧ろ歓迎されている……様な気がする。
「それじゃ、もう少しだけ蠍蜂を狩りに行こう。まだ日が高いからね。でも、気を抜いたらダメだよ。冒険者にとっては、油断が一番の敵だからね。」
アイザの言葉に、一同は頷いた。
グリハも賛同したのか、或いは何も考えずに皆の真似をしたのか、黙って頷いていた。