22
シースは苦戦を強いられていた。
彼は特別強い訳ではない、一介のCランク冒険者だ。
冒険者としては一人前だし、気の合う優れたパーティー仲間とも巡り会えた。だから、それなりにやってこれたのだ。
だが、街の危機ともなれば話は別だ。
不利になっても逃げ帰れる場所など存在せず、一旦落ち着くこともできやしない。
それは死への強い恐怖となって、自分自身の行動を制限することになる。
このパーティーにおいて、自分の役割は盾役兼近接アタッカーと言ったところ。剣と大楯を片手ずつ装備し、きちんと取り扱えるのはそれなりに修行を積んだ戦士の証。
積極的に前に出て相手の隙を作ることが自分の仕事で、それはこの戦いにおいても変わらない。
だが、大きく硬いはずの盾で暗黒狼の攻撃を受ける度に、腕が痺れそうなほどの衝撃に襲われる。
「シース!」
背後から仲間の声が響き、それを合図に盾で相手の大勢を崩させる。
次の瞬間、背後から巨大な火の玉が飛んできて狼の顔面に直撃した。苦しそうなうめき声を上げながら地に伏せた暗黒狼に剣を突き刺し、とどめを刺す。
ようやく1体。
だが、相手は何百もいる。1匹倒せば刺激された周囲の数体が同時に襲い掛かってくる。
「シース、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫なうちに早く仕留めてくれ。」
「了解した!」
自分が引き付けた暗黒狼を、今度は両手にそれぞれ剣を構えた仲間が次々に切り伏せていく。
彼らの毛皮が分厚いとはいえ、無傷と言う訳にはいかないだろう。毛が舞い散り、刃は皮にまで到達する。
「……おいおい、マジかよ。」
それでも彼らは立ち上がる。身体中血を流しながら、爪を剥がされ牙を折られ、どうしようもなくなりながらも人を襲うことを止めない。
それは食うための、生きる為の捕食ではない。生を破壊せんと迫る、執着でしかない。
「流石シルハの狂気に侵された魔物。」
「一筋縄ではいかねえってこった。行くぞ!」
自分が真っ先に切り込んで、鍔迫り合いになった隙に他の仲間が他方から攻撃を加える。
仲間に敵が向かいそうになれば、盾を構えながら突っ込んで邪魔をする。それが盾役だ。
だが、その戦法が有効なのは敵が少ないとき。相手が複数体、それも3匹以上となると話が変わってくる。
冒険者の少人数パーティー制度は、不利な戦いから迷わず撤退できるから成り立つもの。
だから、こういう防衛戦にはとことん向かない。
「糞ッ!」
自分の頭上を小柄な暗黒狼の牙が掠めたと思えば、火の塊が飛んできて頭ごと黒焦げにしていく。
うちの魔法使いは回りをよく見ているから、カバーが上手い。だが、それも魔力が続くうちだけ。
「ちょっと、そろそろ魔力半分切りそう。三分の一切ったあたりで一度城壁内に戻って回復薬飲みにいかない?」
「周りの冒険者次第だな。皆同時に撤退したら戦線は押し上げられるぞ。」
「そんなこと言ってもね、私たちだって死んだら元も子もないでしょう。……周りの戦況は良くないね、冒険者が減れば減る程生きている冒険者に負担が行く。」
その言葉にぐるりと見渡すと、息も絶え絶えに戦っている冒険者達ばかりだった。
元々Cランク以上の冒険者はそれほど多くないし、Bランク以上ともなれば殆どいない。ここは小さく安全な街だから、強い冒険者が滞在する意味がない。
だから戦力的にはかなりギリギリだということは、ギルドマスターも事前に分かっていたはずだ。それでもこうするしかなかったのだろう。
しかし、想定外だったのは暗黒狼達の連携力だ。
彼らは狂気に侵され共食いを繰り返していたから、連携なんてあってないようなものだと高を括っていた。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
彼らは常に複数で人を襲っている。冒険者相手に単独で戦うことの不利さをしっかり理解しているのだ。
「あいつら、意外と賢いな。共食いしながらも共闘してやがる。」
「多分ああやって共闘するのは知能故じゃなくて本能故の行動なんだろう。本能故に共闘し、本能の暴走故に共食いを繰り返す。狂気ってのは異常性を発揮するというよりも、生きる為の行動を強化する役目があるのかもしれない。」
「ああ凄い分析だ。お前、今から学者にでも転職したらどうだ。」
軽口を叩きながら、震える手を無視するように盾をどっしりと構えた。怖がるな、一度でも恐怖を受け入れたら戦えなくなる。
「ああ、Aランクが居てくれればこんなに苦労すること無かったのにな。」
「バカだな、Aランクがこんな街で油売ってる訳ないだろう。彼らは王都みたいな重要都市にいるか、もっと危険なエリアに行ってるかのどちらかだ。だが、せめてBランクがもう少し居てくれたらマシなんだがな。」
「BランクでもCランクの俺らよりはずっと強いもんな。こんな暗黒狼なんて1対1でもあっという間にねじ伏せるだろう――さ!」
二刀流の剣捌きが暗黒狼の喉元をズタズタに切り裂き、同時に魔法使いが放った氷の欠片が胴体部分に突き刺さる。
暗黒狼は悲鳴を上げてバランスを崩し、そのまま体を地面に打ち付けた。
また1体倒せた。が、安心してはならない。
倒した瞬間が気の緩み。後ろから夜闇に紛れてこっそり近づいてきた個体の存在に、誰も気づけなかった。
「――シース!」
真っ先に気づいた魔法使いが魔力を固め始めるが、間に合わない。
声のままに振り返って、自分の頭にかぶりつこうとした狼の存在を視認した瞬間、ああ、自分はここで死ぬのかと諦めてしまった。
「お前ら、まだ死ぬのは早いだろうに。」
目にも留まらぬ速さで、暗黒狼の頭が飛んだ。自分のじゃない、目の前の狼の頭が。
ワンテンポ遅れて首の切断面から血が噴き出し、至近距離にいた自分は血を大量に浴びてしまった。
「うわ、お、おえ……」
生臭い鉄混じりの臭いが顔面に張り付き、思わず吐き気が込み上げる。
「お前ら、Cランクにしては良くやるな。この戦いが終わったらBランク試験でも受けたらどうだ。」
「お前は……Bランク冒険者か。」
突然現れた飄々とした男は仲間たちに笑いかけた。ギルド内で見たことがある、この男は数少ないBランク冒険者のうちの一人だ。
その力は本物で、颯爽と現れた瞬間に自分達が苦戦していた暗黒狼を一人で簡単に屠ってしまった。これがランク差というものか。
「ありがとうございます、おかげで助かりました。」
「気にするな。ここは俺が適当に食い止めて置こう。お前たちは一旦城壁内に帰って回復薬を飲んで来い。長期戦は不慣れだろう?引き際を間違ったら死ぬ。」
「わかりました、お言葉に甘えて。」
手負いの自分達は彼にとってお荷物になる。素直に彼の指示に従おう。
そう判断し、仲間皆で街の方へ一旦帰ることにした。
帰り道、周囲を警戒するために周りをしっかり確認しながら走っていた。
自分達がこうして退却しようとしている時にも、そこら中で冒険者と狼たちが戦っている。
戦いの中で死んだ人間や狼は、等しく死体として生き残った血塗れの狼に食われていた。
その中に、見覚えのある顔もちらほらいる。
昨日酒場で見かけた顔。森の探索中によく出会う別パーティー。
名前は分からないけれど、顔は何となく思い出せる程度の仲でしかなかった人たち。
そんな顔が凶悪な狼の牙の間に挟まり、ぐちゃりと骨ごとひしゃげて砕け散った。
咄嗟に感情に蓋をした。これは現実じゃない、まだ夢を見ているんだ。
現実だと受け止めてしまうと、もうここには戻ってこれない気がしたから。