21
グリハを連れて街に入ると、それはもう人々の視線を引いた。
そりゃあそうだ。魔物使いは珍しく、街中で魔物を見ることは殆どない。街に入る時に門番に何度も確かめられたほどだ。
しかし、ギルドから貰った首飾りを見ると使い魔だと一目見てわかるお陰か、特に何か話しかけられることもなかった。
ただ遠巻きに見てくるだけなので、さほど気にする必要もないだろう。
魔物使いは、使い魔を冒険者ギルドに登録する義務がある。
グリハとミズハをギルドの受付で見せると、受付嬢のみならずスタッフは皆驚き戸惑っていた。
「いえ、本当に野生の魔物を飼い慣らしてきたんですね……」
グリハとミズハも戸惑っていたが、私の言いつけ通りきちんと大人しくしていた。
そのお陰で審査はすぐに終わり、彼らは晴れて私の使い魔として認められることになった。
「それでは冒険者証に記載しますね。……使い魔が逃げたり死んだ場合はすぐに届出を出してください。」
「はい、わかりました。」
ギルド内でも彼らは相当物珍しい目で見られている。
仕方ない。珍しい魔物使いの中でも、珍しい野良出身の使い魔だ。が、冒険者たちも特に絡んでくることはなく、思ったよりも平穏にことは済んだ。
その後数日間は採取依頼をこなしながら様子を見ていたが、森の狂気は今だ収まる気配がない。
寧ろ少し酷くなっているようにすら思える。
『ねえ、なんで収まらないの?原因は直したでしょ?』
私の採取中に周囲を警戒しているグリハは、不安げな声で話しかけてきた。
「確かに地脈エネルギーの噴出は止めたけれど、既に外に出たエネルギーが戻る訳じゃないの。空気中のエネルギーが分散しきって害がなくなるまでにはあと数週間程度かかるでしょうし、既に狂った魔物が自然に戻ることは無いわ。」
説明しながらも、採取の手は止めない。今日のターゲットは比較的低位置に実る山葡萄だ。よく探さないと見逃してしまう。
『じゃあ、数週間経っても治らない?新しい魔物が生まれるまで待つ?』
「そうね、今生きている魔物が死滅して世代交代するのを待つしかないでしょう。でも、狂った魔物を食うと若い世代にも狂気が伝播する可能性もある。つまり、何年、何十年、いえ何百年という長期にわたって影響する可能性も考えねばならないわ。」
そう説明すると、ゴブリンはあからさまに悲し気な顔になり、項垂れた。
彼の故郷が暫くは元に戻らないと知って悲しいのだろう。
ゴブリンの寿命はいくら長くとも犬や猫と同程度、一生かけても元に戻るか分からないと言われれば絶望しても仕方ない。
山ぶどうで籠がいっぱいになった頃、私達はようやく帰路へついた。
問題なく門を通り、冒険者ギルドにて買い取ってもらい、さあこれから宿へ帰ろうとしたその時、
「緊急招集!冒険者は刮目せよ!」
大きな鐘の音が街中に響き渡り、血相を変えた男がギルドへ飛び込んできた。
「門番さん!何事ですか?」
受付嬢が務めて冷静に男を問いただすと、彼は息切れし震えながらも言葉を紡いだ。
「魔物の大群がこの街に攻めてくる!」
「魔物の種族は暗黒狼。数は確認できるだけで数百匹程度。」
「数百?暗黒狼は精々数十匹程度の群れしか作らないはずでは?」
「最近シルハの魔物はおかしいんだよ!しかし暗黒狼は厄介だな……」
報告を聞いた望遠者たちは不安と恐怖に声を上げている。
無理もない、これだけの規模の魔物の群れが街を攻めてくるのは前代未聞だから。
暗黒狼とは、影狼によく似た亜種だ。一説によると、暗黒狼は影狼が力を付けた後の姿であるらしい。
全体的に影狼よりも脅威度は高く、Cランク冒険者のパーティーが推奨されている。
それは暗黒狼の体格と習性によるものだ。
細くしなやかな影狼と比較して、暗黒狼はがっしりとした体形をしている。
群れの大きさも影狼が十数匹程度に比べ、暗黒狼は数十程度。魔物全体の中でもかなり多い方だ。
それだけの数を食わせる為か定住することはなく、広い大地を旅して回る習性がある。そのためか、今までこの森に暗黒狼が住んでいたというデータはあまりなかったはず。
だが、最悪のタイミングでこの森に来てしまったようだ。
「あいつ等は影狼よりも攻撃的で、人間を積極的に餌とみなす。つい昨日、森に出かけていた冒険者を食って人間の味を覚えてしまったらしく、この街に真っ直ぐ向かってきている。家族や友人を死なせたくなかったら、冒険者たるもの前線に出て戦え!」
恐らく冒険者ギルドの偉い人が、怖気づく冒険者達を一喝し、拳を振り上げた。最初は戸惑っていた冒険者等も、次々と彼に続いて拳を振り上げる人が次第に増えるに従って、勢いに飲まれていく。
最終的にはギルド内の大半が雄たけびを上げながら戦闘意思を燃やすようになった。
「よし、皆やる気満々だな!暗黒狼は影狼とは比べ物にならない程強い。よって、Cランク以上のみ前線で戦え、Dランク以下は街中で援護に回れ。」
高ランク冒険者達はすぐさま準備に取り掛かっている。努めて冷静沈着に準備をしていく彼らの姿に、低ランク冒険者達もどことなく勇気づけられたのだろう。
街の為に、大切な人の為に戦わなくては。
「この街の領主は何と?」
「男爵か?近隣の領に救援を出したそうだが、少し時間がかかるとのこと。この街には軍隊がおらず、男爵に仕える私兵くらいだからな。魔物との戦いは冒険者を頼るしかないと頭を下げられた。」
「ま、そうだろうな。大体自分で何とかするしかないんだよなあ。」
ガッハッハと笑う声は少し震えている。皆そうだ、死ぬかもしれないという恐怖に打ち勝つために、恐怖心を何とか心の隅に追いやっている。
戦々恐々とした冒険者達を観察していると、受付嬢が心配そうに話しかけてきた。
「あの、ミストちゃん?貴方はEランク冒険者だから、後方支援をお願いしていいかしら?はいこれ、低ランク冒険者に割り振られる仕事のリスト。ミストちゃんにはこういうのがお勧めだと思うけど……」
差し出された紙には、いずれもほぼ雑用のような仕事が書いてある。戦闘能力のない冒険者に割り振られる仕事の中から、更に力仕事を省いたようなリスト。
恐らくかなり配慮されているのだろう。
しかし、ここで大人しく後方支援に回る程私は弱くない。
「あの、私やりたいことがあるんですが。」
「え?」
---
日はとっくに沈み、星々がちらちら顔を覗かせる時間帯。
そんな闇に乗じて、暗黒狼達は森から街へと押し寄せてきている。
鐘が1つ鳴った。
戦闘準備の合図だ。
剣士は剣を抜き、魔法使いは杖を構え、アーチャーは矢を弓につがえた。
戦場は街を囲む城壁のすぐ近く。いわば水際作戦だ。
そんな中、私はこっそりと森へ侵入した。
私の役目は偵察部隊、隠密しながら狼たちの様子を観察し、位置や動きをギルド本部へ随時伝える役目。
だが、私の真の目的は偵察ではなく、問題そのものの解決にある。
背中にグリハを背負い、腰の水筒にはミズハを入れている。
2匹とも街中に残していこうかとも考えたが、2匹に猛烈に反対されたのだ。
『ミストと一緒に行く。ミストはいざという時に殺せない。』
そう言われると、反論できなかった。
「貴方達、やることは分かっているわね。」
『うん。隠密しながら森に入って、群れのボスを探す。』
「よろしい。」
ただ戦うだけでは駄目だ。
狂った魔物と戦うのはリスクが高い。それに、私はまともに戦えない。
そこで、一つの作戦を思いついた。
暗黒狼について以前調べたことがある。
暗黒狼の群れは1頭の巨大なボス個体を中心にして回っているので、ボスを倒せば基本的に連携がとれなくなってバラバラになるらしい。
彼らが狂っているとは言えど、一斉にこの街を襲おうと画策していた辺り、群れ内連携は未だ健在だと予想できる。
だから、隠密して戦地を通り抜け、ボスのところまで一直線に向かおうという作戦だ。
『でもそれってミストがやる意味ある?狂ってる魔物に話が通じるか分からないよ?』
「この前地脈の穴を塞いだ時に、上手な隠密の方法を学んだのよ。だから、他の冒険者たちに向かわせるよりも私が単独で隠密して行った方が確実。それに、影狼とは会話できたでしょう?暗黒狼が影狼の亜種なら、暗黒狼とも会話できる可能性が高い。狂気に侵されているとはいえ、群れ行動が出来るくらいだからオークの狂化個体よりは正気を保っているはず。……無理そうなら眠らせて逃げましょう、私の逃げ足速いの知ってるでしょ?」
この話をしても冒険者ギルドにはまともに取り合ってくれないだろう。戦闘実績のない非力な女子が普通の冒険者よりも隠密行動が得意だなんて、信じない。
そもそも魔物と会話できることを知られたくないし、この作戦自体失敗しても街の安否にはさほど影響を与えない。
だから、取り合えずは一人で行動した方がいい。
私の言葉に、グリハは頷いた。
それと同時に、2度目の鐘が鳴った。
戦闘開始の合図だ。
狼の遠吠えが森中を揺るがすように広がり、草木は不安げに騒めいた。
その直後、岩陰に隠れる私の近くを足音が駆け抜け、街の方へと向かって行く。度々血に飢えた光る眼が闇の中を通り抜け、魔力の残響だけを残していく。
ある程度落ち着いた後に近くの音を遮断する小さな結界を張り、耳元の通信機に手をかけた。
「只今A地点、数十程度の群れが通過しました。」
「了解、そのままB地点へ向かう様に。」
「了解。」
取り敢えず、偵察部隊としての仕事をしながら森の奥へ進もう。話はそれからだ。