17
日は既に大分傾いてしまったので、私達はこの元集落内で夜を明かすことにした。
私に睡眠は一切必要ないが、ゴブリンとスライムはゆっくり眠る必要があるし、歩き疲れを癒さねば体調を崩してしまう。
それに、私自身いくら魔力や魂、地形を感知できるからと言って、昼間と同じく自由に歩き回れる訳じゃ無い。
夜闇の中ではやっかいな魔物が徘徊している。夜行性の魔物は影狼のように素早いものが多く、魔法使いとは相性が悪い。むやみに歩き続けても魔物と遭遇して余計遅れるだけだ。
私達は比較的形を保っている住居に入り、そこで眠ることにした。オークの住処とだけあって大きく、頑丈な作りになっている。
もうここの元住人が帰ってくることはないだろう。仮に生き残りが居たとしても、あの変異個体が死んだことを知らない限り戻ってこようとは思うまい。そしてそれは、この周辺に元々住んでいた魔物たちも同じこと。
どちらにせよ、ここは比較的安全地帯。安心して眠れる。
その辺に散らばった藁をかき集めた寝床に横たわると、ゴブリンも一緒に寝ようとすり寄ってきた。
「ゴブリン、なんか喋ってよ。ちょっと長めの文章とか。」
『僕、オークを殺した。万歳万歳!』
「ちょっとたどたどしいけれど、ちゃんと言葉として認識できるようになってるわ。何でだろう?」
『なんでだろう?』
「……本人の知能の問題かしらね。」
あのオークとの戦いから、何故かゴブリンが突然言葉を話し出した。
いや、私が言葉を理解できるようになったという方が正しい。影狼のボスのように流暢でないが、確実にはっきりとした言葉として認識できている。
もしかして、狂気が濃い方に来たからか?それとも私が変わったのか?
外では相変わらずスライムがもそもそと変異オークを吸収している。相変わらずスライムの声は聞こえないが、そもそも言葉を発する気がないのかもしれない。それでも動きで何となく嬉しそうにしている事は分かる。
あれだけ巨大化していたスライムは、水分を捨ててすっかり元通りの大きさに戻った。
ゴブリンは自分の言葉が私に通じるようになったことをそれ程気にしていないのか、何となく楽し気に笑うばかりだ。
「2匹とも、助けてくれてありがとう。それにしても、よくあんな大きな相手に飛び掛かろうと思ったわね。」
『どうせお前が死んだら、僕達も死ぬ。だから助けた。』
「なるほど、確かに私がいなくなればお前たちに掛けた加護も無くなってしまうでしょう。」
『それに、お前は魔物を殺せない。だから、僕達が代わりにとどめ刺そうと思った。』
ゴブリンは自慢げに胸を張って手を当てた。後ろのスライムにも大振りで手を振ると、スライムはそれに反応するようにぷるぷると揺れ動いている。
「私が殺せないって言ってたこと、覚えていたのね。」
『うん!なんでかは知らないけど、お前は魔物を殺せない。でも、僕たちは殺せる。殺せばスライムはお腹いっぱい、僕はオークが嫌いだから嬉しい!』
キャキャと笑うゴブリンが、私に甘えるようにもたれかかってきた。
そっと頭を撫でてあげると、気持ちよさそうにそのまま目を瞑っている。一瞬の奇襲とは言え、戦って疲れたのだろう。このまま寝かせてあげよう。
今日はゴブリンとスライムのおかげで助かった。最初は弱い魔物2匹連れて行っても足手纏いかと不安だったが、今となっては寧ろこうやって助けられたことには感謝せねば。
自らの罪悪感で生き物を殺せない代わりに罪悪感のない魔物に殺してもらうなんて、罪を押し付けているようで何とも身勝手だという気持ちもある。
が、そもそも魔物にとって敵対する魔物を殺すことは罪に当たらず、押し付けたというよりは自分から進んで請け負っている。
そもそも私が生き物を殺せないのは本能が働くから。なら、本能が働かないのなら何も問題ない。
まあ、今後その辺の判断は彼らに任せて、私は何も言わないでおこう。彼らには、聖龍とも人間とも異なる感性を持ち、それに従って生きているのだから。
---
森の中を彷徨う事10日間。
私達は地図上にも存在する、大きな湖に来ていた。
『泳ぐ?』
「ダメよ、ここの水中には肉食性の魚類も生息しているらしいから。何なら水分補給する時も気を付けないとね、岸の獲物を引き摺り込んでしまうらしいから。」
私が指を差した先には、今か今かと獲物を待ち構える肉食魚たちがいる。水面の反射のせいでゴブリンの目には見えていないだろうけど。
『水も飲めない?』
「私が掬ってきてあげるわ。大丈夫、魔物の場所は分かるの。」
心配そうに見つめるゴブリンを安心させるように手を振り、魔力反応のない安全な場所に移動して手元の水筒に水を入れ始めた。透き通ったきれいな水だから、このまま飲んでも大丈夫だろう。人間と違って、ゴブリンの胃は強くお腹を壊すことも少ないはず。
「……この水、随分汚染されているわね。」
『汚い?』
「ううん、大丈夫。ただね、この水には皆がおかしくなった原因のエネルギーが溢れているように見えるの。水中に水棲魔物がいない原因かしら。……水だけじゃないね、空気もそう。風上からあのエネルギーが流れているみたい。」
『ねえ、僕とスライムは本当に大丈夫?』
ゴブリンの方へ視線をやると、少し不安げに水を見つめている。
『なんか、変な感じする。少し寒くて、凄く不安で、落ち着かない。』
「……思ったよりも狂気が濃いせいで、加護の効き目が薄すぎたようね。おいで。」
震えて腕を摩るゴブリンの額に再び手を当て、祈りを込める。今度は前よりもずっと強く、濃い祈りだ。
どうか、彼らが不安を感じることなく落ち着いていられますように。あのエネルギーに、心を惑わされることが無くなりますように。
そんな願いは魔力を通じて彼の身体にするりと入り込む。魔法の本質は願いそのもの。純粋な願いは彼らを守る盾となるだろう。
「どう?ちょっとマシになった?スライムもこっち来なさい、もっといい加護を掛け直してあげる。」
スライムにも同じように手をかざす。一回目に掛けたよりもうまくできた気がする。やっぱり魔法は練習しないと上手くならないか。
『ちょっと良くなった。安心できる。ありがとう。』
暫くしてゴブリンは元気が出たのか、勢いよく立ち上がった。
『お前は大丈夫?』
「大丈夫、あと、私の名前はミスト。お前でもいいけどね。」
『わかった、ミスト。』
「……そういえば、貴方の名前を聞いてなかったね。ずっとゴブリンとスライムじゃ紛らわしいから、今のうちに聞いておきましょう。なんて言うの?」
すると、ゴブリンはスライムと顔を見合わせ、首を傾げた。
『名前?』
「……そこからかあ。」
思わず天を仰いだ。
「いい?名前はね、その個人を識別する記号みたいなもの。他の仲間と自分の境界を作り出し、自他ともに貴方と言う存在を認識しやすくなる……難しく言ったけれど、要するに他のゴブリンとは違う存在になるということよ。私もあなたにとっては他の人間と違うでしょ?」
『ミストは人間じゃない気がするけど……僕も他のゴブリンとは違う?』
「私にとってはね。加護も与えてる、特別な存在よ。勿論スライムもね。」
ゆっくり近づいてきたスライムの身体を軽く撫でてあげる。ひんやりした液体が手のひらを滑って気持ちいい。
『そっか、特別。僕、他のゴブリンと違う。でも、僕名前ない。』
「ゴブリン同士で名前はつけないの?」
『ない。皆お互いに、お前、って呼んでいるから。』
「じゃあ私が名付けてもいいかしら。」
私の言葉に、ゴブリンはこくりと頷いた。
と言っても、名付けなんてやったことがない。いや、子供の頃にペットを飼った時名付けた時以来か?
人を名付けるときは大抵願いを込めるものだが、ゴブリンに対して特に願うことも無い。それなら、出身地や見た目の情報を入れてあげた方がいいか。
「グリハ。グリハなんてどう?ゴブリンとシルハの森を合わせた名前よ。」
『グリハ。ゴブリンとシルハの森を合わせた名前。……僕の名前は、グリハ。』
「そうよ、まあ人間の言語から取ったものだから、気に入らなきゃ別の名前を考えてもいいけれど……」
『ううん、気に入った。ありがとう。これから僕はグリハ。』
彼は何度もグリハという名前を繰り返し呟き、そして満足そうに小躍りした。よかった、気に入って貰えて。
ところで名付けた瞬間、彼の魂がより一層大きく輝いたのは何だったんだろうか。
「……あ、スライムじゃない。貴方も名付けて欲しいの?」
スライムはすりすりとこちらへ寄りかかってきた。液体の重みがダイレクトに足にかかって少し痛いが、気にするほどでもない。
「そうね、貴方もシルハの森出身だからそことスライムから名前を取ってもいいんだけれど、それだとグリハと全く同じね。……ミズハでどう?水とシルハで合わせてみたの。少しグリハと似ているけれど、私としては覚えやすくていいわ。どう?」
それを聞いたスライムは身体を縦に大きく揺らした。興奮状態を表す仕草だ。
スライム自身は喋らないものの、言語自体は理解できているとしか思えない。嫌がっていないならそれでいいか。
そしてやはり、名付けた瞬間ミズハの魂の輝きも増した。もしかして魔物を名付けると、魂が変質するのだろうか。
取返しの付かない事をしてしまった気もするが、まあいい。彼ら自身がそれを望んでいたようにも見えるし、そもそも彼らに加護を与えた時点で面倒は最後まで見ると決めたんだ。
「グリハとミズハ、これからもよろしくね。」
『よろしく。』
ぽよんぽよん。
さて、休憩もそろそろ終わりだ。この旅ももう直ぐ終わる。
エネルギー源はすぐ目の前だ。