12
「暫くいなくなる?どこへ?」
シースは驚きのあまり手にしたビール瓶を落としかけた。
仕方ない、我が娘のように可愛がっていた子が突然どこかへ行くというのだから。
「ちょっと修行に行きたいと思って、森の中で暫く暮らしてみようと思ったんですよね。」
「どういうこと!?いやいや、危ないよ。昼間だけなら兎も角、夜の森は危険度が桁違いだ。しかも、最近は魔物が活性化しているから何が起こるか分からない。絶対やめた方がいい。」
「心配してくれてありがとうございます。ですが、もう決めたんです。大丈夫、浅い所にしかいませんから。」
「いや……しかしだな、それならせめて誰か他の人とパーティーを組んでいきなさい。1人で行くのは絶対ダメだ。」
「……はい、そうします。」
私は素直に従った振りをしながら、心の中で淡い罪悪感を抱いた。
まあ、嘘はついていない。彼もまさかパーティー仲間がゴブリンだとは思っていないだろうけど。
「ところで、魔物の活性化はどうですか?確かシースさんは森の奥まで行って調査してきたんですよね?」
「そりゃあ酷いもんさ。どこに行っても死体がある。死体がありふれている癖に、個体数が減っている気がまるでしない。遭遇率は寧ろ上がっているくらいだ。活性化なんて言葉で片付けられない程の異常事態で、このままいけば最悪この街も危ないだろう。」
「他のところはどうなんです?おかしくなっているのはこの森だけなんでしょうか。」
「行商人に聞いたが、他の街では問題になってないらしい。こんなにおかしなことになっているのはこのシルハの森だけ。前例がないから、解決方法も分からない。冒険者ギルドも個々の領主もお手上げ状態だ。」
シースは手を挙げて肩を竦めてみせた。
やはり人間の手では限界がある。
「実は私も魔物を見たんですよね。……気のせいかもしれませんが、個体数が多いわりに若い個体が多かった気がします。そんな気しません?」
「え?ああ、言われてみればそうかもな。俺が観察したのはオークの集落だが……確かにいつもよりも小さな個体が多かったような。確かにおかしいな、小さく弱い個体は真っ先に排除されていきそうなものだが。大柄な個体の方が狂いやすいのか?活性化の影響で繁殖行動が促進されたというには、成長が間に合わないな。あれくらいの大きさになるには最低でも5年程度……」
シースはぶつぶつと独り言を呟き考え事を始めた。
目の前で手を振っても気づかない。ダメだ、完全に自分の世界に入ってしまった。
まあ、挨拶は終えたからいいか。
そのまま私はギルドを後にし、家で旅の準備を始めることにした。
準備と言っても、そこまでやることは無い。
食事は私に必要ないから、ぶっちゃけ飲まず食わずでもいい。でも、元人間の感性にとって、食事は気晴らしになる。干しブドウを少し持っていこう。
応急手当もいるかな。私に使わなくともゴブリンが怪我をするかもしれないし。
ナイフ、火打石、地図、コンパス、着替え。道具一式鞄に詰めて、鞄のふたを閉めた。
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約束の日に、待ち合わせ場所にて。
私とゴブリンだけでなく、何故かスライムもついてくることとなった。まあ、本人自身が望むのなら止めはしない。
「ゴブリン、貴方いい棍棒持っているのね。それに、服もちょっと綺麗になった?」
「ギギッ!」
彼は自慢げに胸を張り、綺麗な毛皮の服を見せつけるようにくるりと回ってみせた。
どうやら元の群れの巣にあった貯蓄用の新品を持ってきたらしい。
「元仲間の物をわざわざ持ってきたのね。その、大丈夫なの?あんなに落ち込んでいたじゃない。」
「ギ?ギギ!」
ゴブリンはもう全く気にしていないようで、屈託なく笑った。
なんと元仲間の死体は一緒に居たスライムが食べてしまったようで、折角なら集めた物資も有効活用しようと粗方持ってきたようだ。
ゴブリンは仲間の事についてはすっぱり割り切っているようで、全く、ゴブリンの切り替えの早さには驚かされる。魔物の感性は人間にも聖龍にも理解しにくい。
私は持ってきた森周辺の地図を開き、行先を丸く記した。
「貴方達、地図の見方は分かる?ここが現在地で、これから西にうっすら見える山方向へ行くの。多分山の近くだと思うけれど、見ないとわからないわ。」
「グギギ?」
「どこへ行くのかですって?見ればわかる……いえ、見ても分からないかもね。魔物活性化の原因であろうエネルギーの話はしたでしょう?狂った魔物は特別な力を纏っているって。そのエネルギーの噴出地よ。ああ、そうだ。」
私はゴブリンとスライムに触れ、目を閉じ祈った。再び目を開けると、ゴブリンとスライムは困惑したように私の手と自身の身体を交互に見つめた。
「貴方達に加護を授けたのよ。この先行く場所は、魔物にとって致死性の毒ガスが撒かれているようなもの。わざわざ災害の中心地に自ら赴くのだから、私の力を少し分けてあげる。これで狂気への耐性がかなり上がったことでしょう。それでも私から離れると効果が薄まるから、できるだけ常に近くに居てね。」
「……グギャギャ、ギャ?」
「私が何者かはまだ秘密。説明が難しいし、魔物相手に話すことでもないから。」
ゴブリンは少し不満げに鼻を鳴らした。一方でスライムは私の触った箇所を体の中に埋め込み、異常が無いかを確認しているようだ。
他人に加護を与えるなんて初めてのことだから、上手くできたか分からない。それでも、何も対策しないよりはマシ。
「それじゃあ、出発!」
えいえい、おーと手を合わせて気合を込める私とゴブリン。そして、何故か一緒に着いてくることになったスライム。
この3人(3匹)の旅路が、今始まった。
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シルハの森は、元々魔物の多い森で鹿やクマなどの一般生物は少ない。
むしろ一般生物は植物や虫以外、自然界では生きていけなくなっている。大体が魔物に置き換わり、人間が買っている生き物以外は絶滅危惧種とされている程に。
ただ、それも生態系の1つである。生き物の移り変わりは自然の中では当然あり得る話だ。
そんな我々も、今では生態系の1つとして存在している。
故に、弱肉強食の理からは逃れられない。
ほら、今だってよだれを垂らした影狼たちが私達を取り囲んでいるのだから。