微睡 - 2
聖龍としての日々はひたすらに穏やかで、変化の全くない日常の繰り返し。
私達はいわば神の代理だ。天界という地に住み、千里眼で地上の様子を毎日観察する。それが私たちの仕事の1つらしい。
天界は全ての生き物の頭上にあり、同時に世界の中心でもある。空には星も太陽もなく、ただ真っ黒な闇が広がっている。
生き物一切を拒絶するような真っ白な結晶と大理石で構成された広大な浮島に住む者は12匹の聖龍達だけ。
常に無限のエネルギーが溢れ出し、世界中にその力を分け与えている全ての源。それが天界だ。
世界は広い。どこを見るか迷ってしまう程に。
前世に似た生き物も居れば、ちょっと姿かたちの異なる生き物もいる。
いずれも必死に生きている。生きるために他者を捕食し、捕食されぬよう身を守って生きている。
周囲の気温変化から耐え忍び、病気を回避し、子孫を残して死んでいく。どんなに小さく無力な生き物でも、命1つ1つにストーリーが存在している。
「『12番目』、地上の様子はどう?皆がんばって生きているよね。」
後ろから声を掛けてきたのは、10番目。私より少し年上の聖龍だ。
「……生き物は脆いのね、どんなに強い生き物でも直ぐに死んでしまう。折角生まれてきたのに。」
「そうだね、この世界に誕生したのに、直ぐに消え去ってしまうのが生き物。とっても儚くて美しい存在だよね。」
聖龍の会話は『念力』という特別な力を使う。
人が言葉を話すのと同じくらい自然に使えるので、最初は念力を使って会話していることに自分で気づかなかったほどだ。
そうやって会話しながらも、地上の観察は止めない。今日も沢山の生き物が誕生しては死んでゆく。
当然のことだ。生き物はいつか死ぬもの。それは人間であった私も例外でなかった。
誕生直後に死ぬものもいれば、元より生まれなかったものもいる。天寿を全うする者も、私達に比べれば短命だ。
そんなこと当たり前だと分かっているのに、無性に悲しくなってくる。
「ねえ10番目、どうして私は悲しくなってくるのかな。何千、何万、何億の命が潰えるのを見てきたのに、それでも悲しくなってしまうの。おかしいよね、植物も動物も生きているから死ぬのは当たり前なのに。助けてあげたいって思っちゃうの。」
人間出会った時はこんなこと思わなかった。当然、自分の身近にいる人間やペットが死んだ時は別だ。
それでも、植物が枯れるだけで、或いは虫が潰れて死ぬだけで悲しくなることなんてなかったはずなのに。
「そっか、12番目には前世の記憶があるんだったっけ。確かに生き物同士だったら生存権を巡って争うのが当然だもの、傷つく暇はないよね。でも私達聖龍は、生き物が死ぬところを見ると傷ついてしまう。そういう存在なんだ。」
「どうして?私達は生き物じゃないのに。」
「生き物じゃないからだよ。私達は天から常に生き物たちを見守るための存在。神の作った世界を神の代わりに監視し、常にあるべき姿に保つための存在。そのために最も必要なものは何だと思う?」
10番目は私に静かに寄り添ってくれている。その長い尾が私を安心させるように、まるで人が手を握るように、私の尾に巻き付いた。
「分からない。力?世界を保つための、或いは世界が変わった時に元に戻すための力が必要ってこと?」
「うーん、ちょっと違うかも。確かに力は必要だよ。でも、それを持つのは僕達じゃなくていい。地上には僕達の同族、龍達がいる。彼らは世界を保つための圧倒的な力を持っている。ほら、見えるでしょ。あの山とか。」
10番目は地上のとある一点を見つめている。私も促されるまま千里眼でその場所を見て見ると、そこには確かに大きな山がある。
麓から中腹にかけては木々が密集して生えており、獣も多く住む森林を形成している。雨を含んだ土から染み出た水はいくつもの細い川となり、平地の太く緩やかな川へと繋がっている。
その雲に隠れた頂上には常に雪が積もっており、そこに住む生き物はごくわずか。そんな生態系の見本のような山が聳え立っていた。
「あの山そのものが、巨大な龍だよ。」
「え、あれが?確かに不思議な力があると思っていたけれど……」
「あそこに篭っているのは龍の魂。龍っていうのはね、自然の力そのものであり、世界の一部なんだ。大地で命を育む龍だけじゃない。海底で火山を見守る龍、地底で地脈を監視する龍、大空が濁らないよう浄化し続ける龍。大きいものから小さいものまで、様々な龍がこの世界を支えている。僕達聖龍もその1つだよ。」
巻き付いた尻尾は硬く冷たく、体温を感じられない。聖龍に体温は無いのかもしれない。
それでも、10番目の気遣いが温かい。悲しくなっていた気持ちが少し紛れてきた。
「私達にあの龍みたいな強い力があるとは思えないけれど、本当に同じ種族なの?」
「そう、私達聖龍は龍の中でも最も弱く、小さく、力の無い龍。背に森を育てることもできないし、大地を揺るがすことも火山を噴火させることもできない。簡単な魔法程度なら使えるけれど、世界の管理者としては正直力不足に見えてしまう。でも、その代わりに誰にも負けないものがあるんだ。――それは、”愛”だよ。」
10番目が微笑んだ。美しい龍が微笑む姿は、この世のものとは思えない程に優雅で無機質だ。
「愛?」
「そうだよ。……うーん、ちょっと説明が難しいかも。もう少し世界の様子を見てみなよ。そして、暫くしたら『精霊』に話を聞いてみたらいいんじゃないかな。」
「精霊?」
「うん。龍と同じく、神に世界を任された者達のこと。普段は地上で死んだ生き物たちの魂を導く役目を担っているよ。12番目はまだ若いけれど、精霊たちは聖龍に凄く優しいから。きっと色々な事を教えてくれるよ。」
精霊、か。
龍に精霊に、天界に。この世界は驚く程ファンタジーで溢れている。
聖龍として生きるためには、もっとこの世界について知らなければ。
10番目の言う通り、もう少しだけ地上の様子を見てから精霊に会いに行こう。100年後、いや、200年後くらいに。
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