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 森の限りなく細い道を抜けた先に、山との境界線上に存在する茶色い岩肌がせり出している。

 その側面には大きなヒビのような隙間があり、人が数人横に並べそうなくらいのサイズだ。


「ここが昨日の冒険者が言っていた洞窟ね。ゴブリン、私ここに入ってくるから。もし中から何か出てきたら真っ先に逃げなさいね。或いは、私以外の冒険者がここに来るかもしれないから、入り口から少し離れたところで身を潜めていなさい。」

「グギ、ガガ。」

「心配しているの?大丈夫よ、私はそう簡単に死ねないの。」

 笑いながらゴブリンの頭を撫でると、彼は目を細めて気持ちよさそうにしている。が、それでも不安は消えないらしい。


 彼は手元の棍棒を握りしめ、もう片方の手を私の掌と重ねあわせた。人間の柔らかい手とは違う、硬い乾燥した皮膚に覆われた小さい手だ。

「グルル、ガ!」

 人間でいう所のえいえい、おーだろうか。それとも、指切りげんまんの方が近いのか。

 いずれにせよ、ゴブリンなりに頑張れ、と励ましてくれているようだ。微笑ましい。


「ありがとう、行ってくるわ。」

 私は意を決して、洞窟へと歩みを進めた。


 ---


 昨日、酔っ払いの件で謝罪を受けてから、事情を聴くことに成功した。

 彼らもやはり、魔物活性化の件で被害にあっていたようだ。


「俺らの依頼について聞きたいって?ああ、お前も冒険者だからな。魔物の情報は多いに越したことは無いか。」

「いいわよ、本来冒険者同士の情報はただじゃないけれど、今回は私たちのメンバーが迷惑をかけてしまったからそのお詫びがてら教えてあげようじゃない。」

 パーティーの魔法使いと思わしき女性が声を潜めながら、私の周りに小さい音結界を張った。周囲の音を遮断する魔法の1つだ。即座にこれを張れるあたり、彼らはそれなりに熟練した冒険者達に違いない。


「……今日、私たちはとある洞窟へ鉱石採取の邪魔をする闇コウモリを討伐しに行ったの。闇コウモリ、知ってる?闇コウモリは文字通り闇に住むコウモリ型の魔物だよ。奴等、肉食性で入った人間を襲うことも多いんだけれど、基本群れで過ごしているのよね。コウモリの癖に頭が良くて、連携して魔法を使ったり逃げ道を塞いでくるからやっかいでさ。私らも十分注意して準備した上で臨んだのに、もう散々。」

「何があったんです?」

「今話題の魔物の活性化さ。酷いありさまだった。本来闇コウモリは群れ全体で1つの生き物の様に動く連携力が強みだってのに、今や全ての個体が荒れ狂ったように暴れていた。ああ、そういや何故か数も異様に多かったな……暴れたせいか、あちこち身体が欠損している個体ばかりだったが。」

「それで僕達が近づいたら、新鮮な食料が来たとばかりに一斉に襲い掛かってきた。向こうの連携は取れていなかったし欠損個体ばかりだから脅威ではなかったけれど、なんせ数が多くてね。予想外のことばかりで混乱していたのもあって、相手の攻撃を許してしまった。」


 仲間に促されると、酔っ払いの男は渋々腕を捲り上げた。すると、そこには大きな痛々しい傷跡と、それを覆うような赤い皮膚があった。

 もう一人の仲間、女性の魔法使いもずっと被っていたローブのフードを取り、顔をあらわにした。彼女の頬もまた、大きく肉が抉れたように凹んでいる。話す度に無理に筋が引っ張られているようで、見ていて痛々しい。


「わかるでしょう、格好の餌とばかりに腕の皮と、頬肉を持っていかれたわ。ま、僧侶の回復魔法で大怪我とまではいかなかったけれど、今日の分の報酬は全てパーになっちゃったってこと。」

「今日起ったことはこれくらいかな?兎も角、あの洞窟は行かない方がいいよ。」

「情報ありがとうございます。」

 ちらりと受付嬢の方を見れば、満足気に頷いてその場を離れていった。そういえばここの規則に冒険者同士の争いを禁ずる項目があったっけ。

 受付嬢は案外強い権力を有しているらしい。

 冒険者パーティー一行は軽く礼をして遠い席へと離れていった。いつの間にか音結界も解除されていた。


 彼らの忠告を聞いた後、私はその洞窟に行くことを決心した。

 何故か?調査のためだ。


 きっとその洞窟内部で発生していることは、ゴブリン達に起こっていることと同じだ。

 狂気に苛まれ、集団生活を営む魔物たちが仲間内で争っている。

 つまり、その闇コウモリを観察すれば何かヒントを得られるかもしれない。

 ギルド内で情報を待つだけでは遅い。自ら動こう。


 ---


 洞窟内部は暗い。光を灯す魔法を使わなければ何も見えなかっただろう。

 どことなくじめじめとした空気が肌に張り付き、くぐもった不快な匂いが鼻につく。

 横幅は狭いが、天井は高い。戦うならば、地形的には圧倒的に人間が不利だ。


 明るい光に照らされた岩壁は濡れている。一見露に濡れているのかと思ったが、どうやら違うらしい。

「これ、血……?」

 鉄とアンモニアの混ざったぬめりが壁全体に塗られ、粘性のある液体が床にまで広がっている。どうりで裾が引っかかって少し重かった訳だ。


 油断は禁物。試しに周囲の魂を感知して見ると、成程、あの冒険者たちの言った通り。

 夥しい数の小さな魂達が洞窟の奥で蠢いている。

 森や草原と違って、洞窟内部には生き物が少ない。にも拘らず、こんなに生き物の反応があるなんて本来あり得ない。

 あんなに密度が高ければ、満足な量の餌を得られないだろうに。


 奥へ、奥へとそのまま歩みを進めていき、反応がどんどん近づいてきた。

 そろそろ明かりを消そう。目も慣れてきたし、探知能力がある以上余計な光は相手を刺激するだけ。

 そうして灯を消して数歩歩いたところで、騒めきの様な音が聞こえてきた。


 鳴き声なんて穏やかなものではない。

 悲鳴、呻き、叫喚、嬌声、嘆き、哀号。

 全てが入り混じった、無数の蠢く音波の塊。


 それがこの洞窟内部に反響して、ぐわんぐわんと脳を揺らす。

 それが全てこの奥に居る闇コウモリによるものだと思うと、こっちまで気が狂いそうだ。

 少しずつ歩みを進める。衣擦れの音がしない様に体を余り捻らず、足音を立てず浮いたまま移動していく。

 闇コウモリは音に敏感だ。呼吸1つも気が抜けない。



 ようやくたどり着いた反応の場所。闇に慣れた目は、明かりのない洞窟の中でもはっきりとその形を捕らえた。

「なにこれ……」

 想像していなかった情景に思わず口元が動く。声には殆ど出なかったのは幸いである。


 無数の小さな闇コウモリ。その大きさは図鑑に書いてあったものよりも随分小さく、いずれも未熟な個体ばかり。

 天井に張り付くもの、活発に飛び回るもの、壁に引っかかるようにして止まるもの、地面で横たわっているもの。どこを見渡しても黒い闇コウモリ達の身体で埋め尽くされていた。

 翼はいびつに歪み、手足はもがれ、飛べなくなった個体が地面を這うこともできずに地面でウジ虫の様にくねっている。まだ飛べている個体もふらふらと元気がなく、互いにぶつかっては跳ね飛ばされ、擦り傷や打撲痕を次々に作っている。

 壁や天井に居る個体も時々苦しみ悶え、周囲のコウモリ達に噛みついたり蹴り落して攻撃している。攻撃されたコウモリはそのまま血を流して死んだり、逃げるように混雑しきった空中へ飛び立っていく。


 闇コウモリの狡猾で俊敏な姿はどこにもなく、目の前にいるのはただ己の体液を撒き散らしながら暴れる、見るも無残な生き物の成れの果て。


 なんて酷い。思わずこみ上げる吐き気に手を口元に当てる。

 耳鳴りが煩い。頭痛が頭を締め上げる。

 本能が、悲鳴を上げている。


 いいや、それでもしっかり観察しなくては。

 ここの闇コウモリは狂っている。今にも死にそうな個体ばかりだ。

 ではなぜ、こんなにも大量発生している?普通ここまでおかしくなる前に、この群れはとっくに絶滅してしまうはずだ。


 上の方を見上げ、飛び回っている闇コウモリ達を目で追っていく。動きは早くない、数が多いだけだから冷静に1匹ずつ観察すれば良い。

 すると、ある時ぶつかった2体がそのままもつれ合うようにして移動し、私の目の前の地面に叩きつけられた。高所から落ちただけでは死なないらしく、落ちた後も何やらもぞもぞと動いている。

 暫くすると、2体のうちどちらかはもう1体から離れ、そのまままたふらふらと飛び去って行った。


 何なんだ、と思いながらも地面に残されたもう1体をよく観察する。もう片方も死んでいない。翼も敗れていないし、致命的な傷を負ったようにも見えない。

 ただ、暫くもぞもぞと苦しそうな呻き声を出しながらも動き続けている。

 どうしたのだろうか。


 息を潜めながらも目の前に落ちた闇コウモリを暫く観察し続けていると、数十秒程度で突然何やら様子がおかしくなった。

 身体が膨らんでいる。いや、膨らんでいるのは腹だけか。腹が異様な程に膨らみ、その個体は苦しそうに体を背中側に反らせた。

 それでも腹の膨らみは止まらない。風船のように膨らみ続け、闇コウモリはバランスを崩して仰向けに転がった。

 しかもよく見ると、その腹の中が蠢いているではないか。


「ギャア、ギャ……」

 腹が体の数倍程度まで大きくなり、苦しみのあまり声を上げた瞬間、その腹が破裂音と共に爆散した。

 その瞬間、中から這い出てきたものは、


「子供……」

 私の呟きなんて簡単にかき消される位に大きな産声が辺りに響き渡った。あの破裂した腹から、無数の子コウモリ達が誕生した。いずれもまだ親指程度の大きさだ。

 キイキイと高音の鳴き声をあげながら子コウモリ達は自分の母親の死骸を食べている。

 母親の死骸を食べつくした後はまだ物足りないと言わんばかりに、今度は墜落してきた他個体の肉を貪り始めた。既に事切れた死肉を漁る子もいれば、まだ生きているものを齧る子も居る。

 果てしない共食いだ。


 死骸を貪って栄養を摂取した子たちは目に見えて成長し、小さな虫の大きさから手のひらを広げても収まらない大きさにまで増大していく。十分飛べる程度の大きさになると、コウモリ達は空中へとふらふらと飛び立っていった。



 目の前の個体だけじゃない。周囲をよく観察すると、同じことが至る所で発生していた。

 飛び回るコウモリ達が度々衝突した勢いで交尾して、その数十秒後に母親の腹が破裂し、中から無数の子コウモリ達が溢れ出す。そのあふれ出した子達が地上の仲間の死骸を貪り、成長して空中に飛び立っていく。

 中途半端に成長したコウモリ達はそのまま空中で再び交尾し繁殖するか、壁や天井、他個体に衝突を続けて死ぬかのどちらか。いずれにせよ、行く先は同じ『死』だ。


 この世のものとは思えない地獄が、そこに広がっていた。

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