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取り合えず今日は早めに切り上げよう。
ゴブリンに明日も来るからと約束をして、代わりに木の実集めを手伝ってもらった。
ゴブリンに目的の実の見た目を伝えると、ギギ!とひらめいたように案内してくれた。その先へついていくと、幾つもの熟れた実が幾つも連なっていた。
この辺りは冒険者も来ず、競合相手が少ない。おかげで、たっぷりと籠に溢れるほどの木の実を手に入れられた。
どうやらゴブリンはこの実が食べられることを知らなかったらしい。殻が硬すぎて、彼らの持つ鈍器では割り切れなかったのだろう。
硬い殻に覆われた実を喜んで集める私を見て、首を静かに傾げていた。試しに、手に持っていた小型ナイフを殻の側面にある溝に添わせ、そっと力を入れる。すると、ヒビが入り、そのままぱっくりと二つに割れた。中からは、甘い香りと共に果汁を多く含んだ柔らかい実が顔をのぞかせた。
甘い香りに誘われて一口食べてみる。すると、口の中に甘酸っぱい味とシャクシャクした食感の果肉が口いっぱいに広がり、今日の疲れと緊張を癒してくれる。
ゴブリンにも一欠片渡すと、匂いを嗅いで恐る恐る口へと入れた。そして目を零れ落ちそうな程見開き、私の手元にある実を凝視した。
「美味しいでしょ?場所を教えてくれたお礼に、残りは全部あげるよ。」
そっと手渡すと、ゴブリンは顔面を果肉に埋める勢いでかぶりついた。相当美味しかったのだろう。
或いは、最近は他の魔物が暴れた後の死肉しか口にしていなかったから、新鮮な食事に飢えていたのか。
どちらにせよ、喜んでくれたのならそれでいい。
「じゃあゴブリン。私、そろそろ帰るから。人間の街で情報を集めて、またここに来るね。森の浅い所に居れば上位魔物には狩られないと思うけれど、代わりに冒険者には気を付けないと殺されるよ。」
「ギギギッ!」
ゴブリンはお礼を言うように片手を手を大きくブンブン振った。もう片手はしっかりと木の実を握りしめている。
彼の魂の形は覚えた。また来たら遠くからでもすぐに見つけられる。
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「おかえりなさい!」
「こんばんは、達成確認をお願いします。」
いつも通りにこにこの受付嬢に籠ごと渡すと、そのままギルドの裏へと受け渡された。
どうやら、今が一番人の多い時間帯らしい。いつもの受付嬢に加え、何人か別のギルド職員が事務作業にあたっている。
「はい、お疲れ様!依頼完了です!」
「ありがとうございます。あの、森の方で沢山魔物の死体を見かけたのですが。」
混んでいる時に聞くのはどうかと思ったが、情報を得るなら今しかない。
「あっ、やっぱりそうなのね。私達も良く聞いているわ、最近異常な程に魔物の死体が増えているって。特にここ数日で相当数の死体が発見されているそうよ。丁度今日、Cランク冒険者たちに調査へ向かってもらったところ。」
「そうなんですね。どうだったんです?」
「うーん、まだ公開できるような情報は無いわ。調査してくれた内容をしっかり精査しないとどうにも……」
「わかりました。何か分かったら是非教えてください。依頼をこなす上で、不安なので。」
「ええ、勿論。ミストちゃんはできるだけ森の奥には行かないようにね。」
どうやら既に調査を入れているようだ。これでは、ゴブリンたちが討伐されるのも時間の問題だ。
ゴブリンどころではない。原因不明で狂った魔物が原因不明のまま殺されてしまう。
私は受付嬢にお礼を言いつつ、その場を離れた。
ギルドに併設された酒場は常に武器を背負った冒険者たちで賑わっている。
中央付近の席に座り大声で騒ぐ者、それを見て酒の肴にする者に、少し離れたところで仲間たちと断章する者。そして、端の席でひっそり息を潜めて安らぐ者。
私が向かうのは勿論、端の静かな席だ。
ジュースとフルーツの盛り合わせを頼み、長いローブの裾をそっと撫でた。
着心地もいいし、汚れも付きにくい。今日1日歩き回っても汚くならない。
最も、この酒場に汚れを気にするような人は居ないだろうが。
わざわざ一人で酒場に来たのには、理由がある。
注文を待っている間に、じっと耳を澄ませていく。所謂情報収集だ。
こう見えて耳はいい。煩い酒場の雑音を聞き分け、重要な情報とそうでないものを聞き分けていく。
盗み聞きは褒められたもんじゃないが、この際仕方ない。
中央から少しずれた位置にあるテーブルで、パーティーと思わしき男女達が何やら話している。「魔物」や「活性化」という単語が聞こえてきたから、彼らの話をこっそり聞かせてもらおう。
「なあ、お前も見ただろう?あの死体の山。普段あの辺りには影狼くらいしかいないっていうのに、あの歯形は絶対にオークだって。」
「いや、オークは群れ行動するはずだろう?群れで狩りをして、死体は住処へ持って帰ってから余すことなく利用するハズだ。単体で狩りをして、歯形が残った死体をそのまま捨てるなんて考えにくいけれどなあ。」
「それが実際に起こっているから異常事態なんだろう。オークだけじゃない、森は奥へ行くほど死体だらけだ。普段大人しい植物系魔物ですら暴れ回っていたぞ。」
「あ、それ私も聞いたよ。森の奥の方に住む高位魔物程おかしくなっているんだって。それで、弱い魔物たちが追い出されるように浅い所に来て、そこに本来住んでいた更に弱い魔物たちがまた浅い所へと……って感じなんだって。このままじゃ、魔物の生息域がこの街に近づいて来ちゃうから、討伐していかないと。」
彼らはため息をつきながらも、気を紛らわせるように酒をぐびぐび胃に注ぎ込んでいる。
確かあの魔物が住む森は、かなり広大だ。一度この辺りの地図を見せてもらったが、ここ周辺の街はほぼ全てあの森と隣接していると言っても過言じゃない。
ここ含め、周辺の地域が防波堤になるような形で森に接している。つまり、魔物の生息域が街側に寄ってくると、人間達は大きな被害を被ることになるだろう。
頭の中にあのゴブリンの顔が思い浮かぶ。あの子は退治されていないだろうか。
むやみに人を襲わなければ、冒険者もわざわざ隠れているゴブリンを探し出して退治することはない。倒したところで報酬は美味しくないから。
それでも、できるだけ早く解決してあげたい。
どうしたものか、とぼんやり考えていると、
「おい、ここはガキの来るところじゃねーよ。早く帰りな。」
突然私に乱暴な声が掛けられた。まさか、聞き耳を立てていたのがバレたか?
横を向くと、たちの悪い酔っ払い男が酒瓶片手に私の前に立ち塞がっていた。
「……何か問題でも?」
「お前、それジュースか?ワハハ、いつからここは託児所になったんだ?ここは大人が酒を飲むためのところだ、ガキはすっこんでママのおっぱいでも吸ってな!」
酔っ払いがガラガラ声で笑うと、周りに居た取り巻き達も下品な笑い声を上げた。すっかり出来上がっている。
周辺に居た真面目そうな冒険者たちはこちらを遠巻きに観察したり、無視したり、或いは心配そうに見つめたり様々だが、いずれも助けに入ろうとはしない。
当たり前だ、ここは冒険者ギルド。実力主義の世界だ。
「なんだ、怖くなったか?やっぱりおうちに帰って早くママに泣きつ……」
「残念ね、私にママはいないの。飲めるもんも飲めないわ。貴方達みたいにたっぷりミルクを飲んで育ったわけじゃないの。」
にこりと微笑み、淡々と言葉を返す。
喧嘩をしたい訳じゃないから、強い口調で返してはいけない。できるだけ穏やかに、しかし舐められない程度の余裕は見せておく必要がある。
以前人間同士の言い争いを見ていた時から得た知見だ。
私がまさか言い返してくるとは思わなかったのだろう、酔っ払い男はたじろいだ。
周囲の取り巻きはお?喧嘩か?とヤジを囃し立てるが、生憎こっちにその気はない。そっぽを向いて、ブドウの実を齧った。
男はたじろいでいる。私の見た目は幼い女子だ。少し脅せば怯えるだろうと考えていたに違いない。
しかし私の対応が思った反応と違ったのか、罰が悪そうに頭をかいて返しに困っていた。
「いや……そ、そうか。そりゃ悪かったな。親がいないなんて知らなかったからよ。だが、ガキが来る場所じゃないのは確かだぜ。」
「私が自分で稼いだお金でここに居て、何が悪いの。」
「そ、それもそうか。」
ここのジュースは美味しい。普段食事を必要としない私でも定期的に飲みたくなる。
酔っ払いはすごすごと引き下がっていった。周囲の酔っ払いもつまらなさそうに私から視線を外し、既に別の話題へと移っている。
これでいい。
しかし、暫くしてから私の元へさっきの酔っ払い男とその仲間達と思わしき連中が、揃って私の元へやってきた。
正直びっくりした。集団で何か仕返しに来たのかと思い、少し身構えてしまう。
面倒なことに巻き込まれないことを願いつつ顔を上げると、予想は外れ、彼らの表情に敵意はない。寧ろ少し申し訳なさそうな顔をしている。
「嬢ちゃん、さっきはこの酔っ払いがすまんな。ただちょっと最近上手く行かなくてイライラしてたんだ。許してやってくれないか。」
仲間らしき男に肩を強く叩かれ、先ほど絡んできた男が少し頭を下げる。少し不服そうであるが、反抗する気は無いようだ。
「わざわざ謝りにに来てくださったんですか。そんなに気になさらなくても良かったのに。」
「いや、冒険者同士喧嘩するのもな、険悪になるよりも仲良くできた方がいいだろう?」
ちらちらと目線が泳ぐ仲間の男。その視線が泳ぐ先を見ると、ギルドの受付嬢がにこりと微笑みながらこちらを見ている。
成程、そういうことか。
「気にしなくていいですよ。私も何かされたわけではありませんし、酒場に子供がいるのは実際おかしいことですから。」
「いや、それでもああいう口のきき方は良くなかった。何事にも言い方ってものがある。」
「そうですか、それでは今後気を付けて頂ければそれで大丈夫です。……最近、上手く行っていないとは?」
私の勘が告げている。これは、情報を得るチャンスだと。