プロローグ
震える足元に、響く轟音。巨大な空挺が空を埋め尽くし、今まさにこの地へ乗り込もうとしている。
私達の身体を貫かんとする硬い鉄玉は足元に当たり、半透明の結晶の床が砕け散った。
あんなにも青かったはずの空は火花で真っ赤に燃え盛り、静かだったはずの風は唸りを上げて彼らに味方している。
どうしてこうなったのだろうか。そんなことを考えても仕方ない。
私達に何か非があった訳じゃない。だって、皆はあんなにも地上を愛していたから。
地上の様子を毎日眺めては喜び、悲しみ、驚き、感動した。
いつか来る役目の為に、繰り返される地上の営みを見続けていた。
それが今やこうだ。愛すべきはずの地上の民、人間に裏切られた。
人間たちは、地上の民であったはずの彼らは、私たちに牙を剥いた。天界を――私たちの聖域を――奪おうとしている。
このままでは、全滅だ。私たちは滅びてしまう。
「逃げよう、皆。死んじゃだめだよ。」
私は仲間たちに呼びかけた。しかし、彼らが長い首を縦に振ることは無かった。
「ダメよ。逃げるのはあなただけ。私たちは、ここに残る。」
信じられなかった。ここに残れば、確実に殺されるのに。
私達は絶対に戦えない。戦う意思すら持つことを許されていない。
ここに留まることは、ただ首を差し出すことと同義なのに。
「ねえお願い、私と一緒に逃げて。私、皆が死んだら嫌なの。」
「いいえ、私たちはここに残らなくてはいけないの。私達の魂は、ここに縛られている。天界が人間の手に渡るというならば、その時が私達の命日でしょう。」
「じゃあ、私もここに残りたい。1人になるのは嫌だ。皆と最期まで一緒に居させて。」
「それも……ダメよ。貴方には貴方の使命があるの。そうでしょ?」
彼女は目を細めて微笑んだ。真っ白な睫毛が、薄い瞼につられ揺れている。
その身体を覆う水晶の様な鱗が空を反射し、真っ赤に染まっている。この天界には、私達を染めるものなんて何1つなかったのに。
彼女の後ろには何匹、いや、本来は何柱と数えるべきだろうか。私の仲間たちが静かに佇んでいる。何の色も持たない銀の瞳は、彼らの運命を受け入れるように深みを宿していた。
もう、何を言っても無駄だ。彼らは決して意思を曲げたりしない。
「じゃあね。貴方だけでも生き延びて。」
とん、と彼女は長くしなやかな尾で私をゆっくり押した。
身体がふわりと浮き、私は浮島の縁から後ろへ倒れ込んだ。
ここは天界。私たちが暮らしてきた浮島の端。その先にあるのは、ただ果てしない空と雲だけ。
何もできない。涙さえ流せない。
人ならざるこの身には、悲しみを表現する術さえ許されていない。
私はただ、自由落下の力に身を任せるしかなかった。
「どうか、生き延びて。」
彼女の最後の言葉なんて聞きたくない。それでも、はっきりと分かってしまった。これが最後だ。
既に遥か小さくなってしまった天界に、少しずつ人間が上陸している。 私の仲間たちももう助からない。
ああ、神よ。なぜこんな仕打ちをするのですか。
願いも虚しく、私はただ落ちるしかなかない。なんて無力。なんて非力。
身体が熱い。怒りで頭が煮えくり返る。折角できた仲間を、家族を何もできずに失っていくなんて。
憎い、人間が憎い。仲間を、家族を、ただ己の為だけに脅かす人間が憎い。
彼ら、地上の生き物たちの事を一番に考えていたのに。この世界を一番愛していたのに。
恩を仇で返す、そんな人間が憎い。
今ここで誓おう、いつかこの人間達を殺してやる。
天を奪った人間達を私は許さない。いつか私が天を取り返してやる。
私の身体と魂は下へ下へと無限に堕ちてゆく。天界はいつしか雲に覆われ、見えなくなってしまった。もう自力で天まで昇ることはできないだろう。
それでも私は忘れない。この思い出を、この憎しみを。
目をぎゅっと瞑ると、全身が硬い殻で覆われていくのを感じる。彼女が私を守るために残した魔法だ。
身体が勝手に丸まり、外殻は更に分厚く卵の様に覆いかぶさる。この殻は私が眠りから覚めるまで決して割れることがない。
いつかこの世界がすっかり変わった時、それが私の果たすべき使命が来る時だ。
そのときこそ私達、聖龍の復讐をこの手で遂げてやる。その時が来るまで、この卵の中で眠り続けよう。
愚かで恩知らずの人間達よ、それまで首を洗って待っているがいい。
あれほど燃えた怒りも、やがて感覚を失い、
悲しみと絶望だけを残して、私の意識は闇へと沈んでいった。
冷たい殻の中に、私のすべてが溶け込んでいく。
その日、世界の全てが変わった。天界は神の代理から人間の手に渡り、全てを照らす太陽は曇り始めた。
人間達は勝利に酔いしれ、地上の全てを支配したとまで思いこんだ。それがこの世界の終焉を招くと知らずに。