伯爵令息は猫が見える
突然だが、俺には「猫が見える」。しかも、ただ見えるだけじゃなくて……「その猫がどのくらいの大きさなのか」まで見えるんだ。
あっ、ちょっと待って。最後まで、話を聞いて。そんなの当たり前だって、思っただろ? だけど、俺が見ているのは普通の猫じゃなくて……周囲の人間が「被っている猫」。つまり、自分に対して相手がどれだけ外面を取り繕って、相手がどれだけ可愛子ぶっているかが見えちゃうんだ。
最初は些細な気づきから……って、その前に。自己紹介が必要だよな。ゴメンゴメン。
俺はアーディン・ハーベリル。これでも、伯爵令息ってヤツらしくて……要するに、親が金持ちのお偉いさんだっただけなんだけど。父親が王宮の要職持ちエリートだった上に、4人女の子が続いたところにようやく生まれた男子だったもんだから、両親の期待と愛情の重さも生半可じゃなかった。
もちろん、俺もそれなりに努力はしてるよ? 経営学やハーベリルの特産品でもある小麦の研究に、貴族社会の礼儀作法や剣術に馬術。とりあえず、一通りは人並みにできる……はず。
姉さん達は美人揃いだけど、いずれは嫁に出て行ってしまうし。「ハーベリル家の未来はお前にかかってる!」なんて四六時中言われたら、イヤでも頑張るしかない。
それでも、俺が腐らずに頑張れたのは、家族に本当に恵まれていたから……この一言に尽きる。
両親は優しいし、姉さん達も寄ってたかって可愛がってくれる。使用人達も気さくで、いい奴ばかり。時には厳しく叱られたりもしたけど、そんなのは悪さをすれば当たり前の事。家族や使用人達は等身大で俺に接してくれていたし、いわゆる「猫可愛がり」してくることはなかったように思う。
俺自身はそんな恵まれた環境で、のほほんと育てられていたが。周囲の貴族からして見れば、「超有望株」だと映っていたようで。
子供の時から「この子をお嫁さんに、どうかしら?」とか、「この子は将来、きっといいお嫁さんになるわ」なんて、無理やり女の子達と顔を突き合わせさせられていたんだ。
だから、子供の時、同じ年頃の女の子が「猫をかぶっている」のに気づいた時……心底、ビックリしたんだよ。だって家族の頭には、そんなモノは乗ってなかったし。しかもその猫……こっちを狙うように、睨んでくるんだもん。あれは完璧に、獲物を狙うハンターの瞳だった。……正直、勢いで猫が苦手になるくらいに怖かったさ。
「ウワァァァン! この子の猫、怖いぃ〜!」
……今思い出しても、情けないし限りだし、酷い事をしてしまったと思うけれど。当時5歳だった俺は猫の迫力に負けて、大泣きしてしまったんだ。そして、目の前の女の子を指差し、「この子は猫が乗ってるから、会いたくない!」とその場で叫んでしまって。……母さんや大人達の引き攣った顔、今でも忘れられないよ。
その後、父さんや母さんに正直に事情を話してみたけれど、俺に「被ってる猫」が見える理由はサッパリ分からない。家族は俺の言い分を信じてくれたものの。悪い噂が立ってもいけないと、それ以降は見えても「相手が猫を被っている」のは内緒にしておくようにと言い含められた。
しかし、出会う令嬢のみんながみんなの頭に猫が乗っていれば。……当然ながら、お見合い恐怖症になるというもので。しかも、大人になるにつれ分かってきた事なんだけど……俺に対して野心や下心がある奴の猫程、デカくて凶暴な雰囲気になるみたいなんだ。そんな相手と結婚したところで、絶対に幸せになれないし、ハーベリルのためにもならない。
そんな訳で、俺は17歳になっても婚約者どころか、仲のいい女の子は1人もいない。両親は理解を示してくれるが、流石に焦りが見えてきているし……そろそろ婚約者を決めないと、申し訳ない気がする。
***
そんなこんなで、気まぐれに夜会にも参加してみたが……俺は到着早々、メチャクチャに後悔していた。
俺が噂の「ハーベリル伯爵令息」だと、知るや否や。周囲に侍るのは、見事に丸々と太った猫を頭に乗せた、令嬢達の黒山。中には猫の毛並みで顔が隠れていて、甲高い声を発するだけの奇妙な毛むくじゃらになっている令嬢もいて……これは最高記録更新だと、俺は内心で慄いていた。
(うっ……猫だけ見れば、可愛いんだけどな……)
いくら俺が勝手に見ているだけの、実態のない猫だとは言え。明らかに物理的法則を無視した盛り加減が、見るからに痛々しい。そもそも……人間の頭って、耐荷重どのくらいなんだろう。彼女達の甲高い声も、それが気になりすぎて耳から耳へと綺麗に抜けていく。
(折角、話しかけてくれているのに……何だか、申し訳ない……。って、おや?)
とりあえず、飲み物をもらおうと……彼女達(猫達)を掻き分け、ようやく輪の外に出てみれば。和やかに歓談している貴族達を尻目に……白い壁に同化するように、ひっそりと1人の令嬢が立っているのが目に入る。
まるで漂白したかのように、真っ白な銀髪に、真っ白な肌。それだけだったら、磨き抜かれた真っ白な壁に同化している彼女を見つけるのは難しかっただろうが……彼女のドレスがあまりに「酷いもの」だったから、辛うじて気づいた感じだ。
(形が流行遅れなのも、そうだが……色もサイズも彼女に合ってない。しかも……)
周りに連れらしき相手も居ない……みたいだな。そもそも……一体、どこの家だ? あんな格好をさせた挙句に、女の子1人で放っておくなんて、あり得ないだろ。
「見て……今夜も来てるわよ」
「本当。恥知らずも、いい所よね」
「あぁ、嫌だ嫌だ。これだから、貧乏令嬢は」
「貧乏令嬢?」
「まぁ、アーディン様はご存知ありませんの? あれはアリル・メルポルタですわ。ほら、例の……」
メルポルタと言えば、昨年の大規模災害で深刻な被害を受けていた場所だったかと思う。ハーベリルからも支援金を出さなければと、父さんと話し合ったこともあったが……そうか。まだ、メルポルタの傷は癒えていないのか。
「……貧乏なのは、彼女のせいではないだろう」
「えっ?」
「メルポルタは災害で酷い目にあったんだ。それは、絶対に家のせいじゃない。それなのに、そんな風に馬鹿にするなんて……失礼だと思わないのか?」
「ア、アーディン様……もしかして、怒っていらっしゃるの?」
俺が憮然と言い返したのに、驚いたのだろう。令嬢達の勢いが萎むと同時に……さっきまで、鋭い視線を寄越していた猫達が小さく「にゃっ」と声を漏らす。……あっ。この猫……怯むこともあるんだ。
「とにかく、君達とこれ以上話すことはなさそうだ。……俺の事は放っておいてくれると、助かるよ」
「そ、そんな!」
「今のは、ちょっとした噂話ですのよ?」
「そう? いずれにしても、不謹慎な噂を楽しそうに垂れ流す人間を、ハーベリルに迎えるワケにはいかない。淑女なら、もう少し慎み深くするべきだと思うけどね」
そこまで言い捨ててみれば。……うん、意外とスッキリしたぞ。色々と言ってやって、ちょっと気分がいい。
貴族同士の付き合いを考えたら、もう少し我慢しなければいけないのだろうけれど……俺は間違った事は言っていないと思う。もう、いいや。今夜は頑張るの、やーめた。この際だから、うるさい毛むくじゃらは無視してしまおう。
第一、顔がまともに見えている令嬢の方が少ないし。俺の方は誰が誰だか、分かりゃしない。
「今晩は。……あなたがアリル・メルポルタ嬢でお間違いないですか?」
「は、はい……。えっと……。アーディン・ハーベリル様、ですよね……?」
「あれ? 俺の事……知っていたのですか?」
いつもなら、名乗った瞬間に猫が乗るんだけど……アリル嬢の頭に、猫が装着される様子はなさそうだ。
「はい……存じております。昨年は多額の支援を賜りまして、ありがとうございました。ハーベリル様のおかげで、なんとか去年の冬は越せまして……」
「そう。でも、その様子だと……まだ、復興はできていない感じかな?」
「……」
恥ずかしそうに俯き、今にも泣きそうな顔で頷くアリル嬢。
そんな彼女を前に……俺は悪いことを聞いてしまったと、すぐさま後悔していた。
元々メルポルタ侯爵家は、名門中の名門貴族だったと記憶している。
領土中央を走る大河による水運と、豊かな金山のお陰で相当に潤っていたはずだ。だが長雨が続きに続いた結果、恵みだったはずの大河が氾濫を起こし、豊かな森林を飲み込んだ挙句に……頼りの金山も土砂崩れで、再起不可の状態だったと聞いている。
もちろん、支援金を出したのはウチだけではないはずだが……災害の規模を考えれば、簡単に復興なぞできないことに、すぐ気づくべきだった。
(それはそうと、アリル嬢の頭に猫が乗らない……。アリル嬢からすれば、俺は格好の獲物だろうに……)
領地が火の車だと言うのに、流行遅れのドレスを着てまで夜会にやってくる理由なんて、1つしかない。金蔓を見つける事。そのために、何がなんでもめぼしい相手を捕まえてこいと、アリル嬢は単身で夜会に放り込まれたのだ。
しかし、見れば見る程見窄らしい様子に、これでは婚約相手どころか、話し相手さえも見つからないだろうと思うのは……流石に失礼にしても。肌の白さからしても、元々は深窓の令嬢だった様子のアリル嬢に、いきなりボーイハントをしてこいなんて、無茶にも程がある。
(……待てよ? 俺を相手に猫が出てこないってことは……)
もしかして、ひょっとする? アリル嬢が相手なら……俺、猫に睨まれずに婚活できたりするのか……?
「あ、あの……出会ったばかりで、こんなお願いをするのは、心苦しいのですが……」
「うん?」
「……少しでいいのです。小麦など、食料を融通していただけないでしょうか……。ハーベリル領は小麦の産地とお伺いしておりましたし……せめて、子供達の分だけでも……」
ヤバい。アリル嬢、健気過ぎる上に、可愛いんですけど。この真っ直ぐな視線……新鮮過ぎて、クラクラしそう。
(考えたら、姉さん達以外の令嬢の顔……久しぶりにちゃんと見たかも……)
しかも、アリル嬢はハーベリルの特産もきちんと押さえているじゃないか。……まぁ、ウチが小麦大国なのは有名な話でもあるので、そこに敢えて感心する必要もないのかもしれないけど。ここに言及してくる時点で、伯爵家のネームバリューしか見ていない、毛むくじゃら達とは大違いだ。
「いや、その必要はないよ」
「えっ?」
「……決めた。アリル嬢。良ければ、俺と婚約してくれないだろうか?」
「へっ……?」
「幸いにも、今年は豊作でね。俺と婚約すれば、ある程度の融通はしてあげられるよ。それに……この際、折角だ。父上にも掛け合って、王宮にも復興支援の話を通してもらおうかな」
「で、でも、それとこれと、婚約は別では……? アーディン様には当家との婚約に、何の旨味もないですよね?」
「旨味? そんなもの、関係ないさ。少なくとも、旨味ばっかりに気を取られている猫被りよりは、アリル嬢の方が数百倍マシだよ」
多分、これはちょっとした一目惚れ。猫が乗っていない令嬢に会ったのが、初めてだという新鮮さもあったのだろう。だけど、俺はそんな事を考えるのも馬鹿馬鹿しい程に……自然と膝を突いては、彼女の手を取る。そうして彼女を見上げて、返事を待つが……。
「……も、勿体ないお言葉です……。私でよろしければ、是非にお願いします……」
最後の最後まで、謙虚な姿勢を保ったまま。アリル嬢は「猫を被る」こともなく、俺を見つめては……柔らかく微笑んでいた。
***
アリル嬢を婚約者として連れ帰って、両親や姉さん達が大喜びしたのは言うまでもないが。使用人は元より、なぜか領民達からも祝福される始末。……ここまでくると、婚約者選びでどれだけ心配させていたのかを思い知らされて、却って申し訳ない。
難題だらけだったメルポルタ復興も、父さんが「結婚祝いだ!」とよく分からない事を言いつつ……きっちり王宮のバックアップを取り付けてくれたこともあり、順調に進んでいる。だけど……。
「アーディン、そろそろ休憩されてはいかがですか? お茶にしませんこと?」
「うん、そうしようかな」
互いに呼び捨てで呼び合うようになり、本格的に結婚の話も出始めた頃。仕事の合間に、アリルと一緒にお茶をするのが日課になりつつあったけれど。今日のアリルは、いつもよりも華やかな気がする。それに……。
(あれ? アリルの頭に猫が乗ってる……?)
領内の出納報告書から視線を上げて、ふと見れば。お茶を差し出してくれるアリルの頭に、小さな小さな白い子猫が乗っていて、こっちを見つめている。うーん……でも、俺を睨んでいる感じじゃないし、威圧感も感じられないが……。
「アーディン、どうしました? 私の頭に、何か付いていますか?」
「あっ、いや……なんでもない」
「そうなの? もしかして……猫でも乗っていましたか?」
「オゥフ⁉︎」
誰だ、アリルに俺の秘密をバラした奴は。危うく、お茶をこぼしかけたじゃないか。
「え、えぇと……でも、アリルの猫は平気、かも……」
「そう? それは何よりです。ふふ……あなたにだけは、可愛いところ見せないといけませんから。たまには猫を被ってみるのも、いいでしょう?」
「あっ、そういう事……」
要するに、だ。今のアリルは俺に可愛いと思われたくて、猫を被ってくれていると言う事らしい。
そうして、改めて子猫を見つめてみると。いかにも初々しくて、ぎこちなく……それでいて、嬉しそうに「にゃっ」と小さく鳴いた。
……うん。アリルの猫だったら、見つめられていても問題なさそうだ。被っている猫ごと、彼女とは上手くやっていける気がする。可愛い彼女を見られるのなら、猫を被られるのも悪くない。
(あっ、毛繕いしてる……。今度、猫じゃらしでも用意してみようかな?)
猫を被る、と言われて……大抵の人は、あまりいい印象を抱かないだろう。
かく言う俺もそうだったし、なぜか見えてしまう猫達に怯える自分が嫌だった。
でも、こうしてアリルの猫を見つめていると……考え方次第で、怖くも可愛くも見えるものなのかも知れないと、思えたりする。きっと、俺は「猫を被っている」という根拠のない感覚で、令嬢達を毛嫌いしてしまっただけなのだろう。
結局、「被られている猫達」が何なのかは、分からないままだけれど。こうして見方を変えられるようになった今となっては、俺もアリルに対して「猫を被っている」のかもと……密かに反省している。
それでもって、毛むくじゃらになってしまった令嬢達にも謝りたい気分で一杯だ。彼女達だって、俺に好かれたくて頑張っていただけなのに。今まで、冷たくし過ぎてしまっていたかも知れない。
好きな相手には、嫌われたくない。些細な事でも、悪い印象を持たれたくない。
きっと、アリルには俺が被っている猫は見えていないだろうけれど。こうして穏やかに過ごしたいと願っていられる間は、精一杯猫を被っていようかな……なんて、思ってしまうんだ。
だって、誰かに嫌われたくないと頑張ることは……絶対に悪いことではないのだから。こうして一緒に生きていくのなら、互いに嫌われないように尊重するのも大切なことだと……「被られた猫」の視線から、ほんのり学んだ気がする。
追記:誤字報告をいただきまして、ありがとうございました。なかなか自分で気づけないこともあり、こうしてご指摘いただけるのはとてもありがたいことなのです。