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契約を破棄された絵師

こんな辺鄙な画廊に、何の用かね。修道女さま。

(モデル)を忘れたのか? って。

さあて、美しいご婦人は、山ほど書かせていただいたんでね。

王国時代は、お貴族様のお抱え絵師なんて洒落込んでたんで。

今は平民相手なんで。安価な木炭画ばかりでさ。

質の良い絵の具も、手に入らないんでね。

まあ、ライフワークの題材と画材は釣り合ってるさね。


「亡国の若き王」って、渋い題材でしょう?


昔の絵の具があれば、また美人画が書きたいねえ。

傾国の王妃ヘレナとか。

なに? ありゃあ春画のミューズじゃないかって? 違いないねえ。

無血開城した城に雪崩れ込んだ革命軍は、王を捕らえて拷問し、王妃を慰みものにした。

嘘か本当か知らんが、兵士たちは全員平等に王を殴り、平等に王妃を犯したってさ。4人の夫を持つアバズレなんだから、むしろご褒美だろうってか。

蛮族の性教育かね? か弱い女を犯した荒くれどもの、どこに正義あるってんだ。


この思想、よろしくないかね。

ああ、公安にチクッてかまわんよ?

はあ。政治に興味ナシ、と。

この作品群の解説を聞きたいだけ?

へえ、修道女さまは、元お貴族様でしたか。

では、口調を改めさせていただきましょうか。


私は、とある高貴なご令嬢に才能を見出され、専属絵師として仕えてまいりました。

スピカと申します。

おや、初めて知りましたか。高慢な旧貴族は、平民の名前なんか覚えなくて当然ですからね。

雇い主だった令嬢は、無実の罪で王都を追われました。まだ18でしたよ。私は直後、宮廷絵師に召し抱えられました。


出世作は、『花嫁』

バージンロードを歩くヘレナ妃のお姿を描き上げました。

地上に降りた天使もかくやの美しさでしたね。

正夫のオレステス殿下の背後に愛人たちが続く、異色の結婚式では、ありましたがね。


それでも、王太子オレステス殿下と侍女だったヘレナ様の結婚は、身分違いのロマンスとして多くの国民に受け入れられました。

旧態貴族然としたカサンドラ様は、美しいが高慢で、湯水のように散財する令嬢。

ヘレナ様は絶世の美妃ながら、質素倹約を公言する淑女。

そんなイメージが、庶民の中で広がっていたのです。


まあ、概ね間違っていません。金に糸目をつけない公爵家の専属は、実に魅力的な職場でした。

画材も資料も、好き放題経費で落とせましたから。

王室お抱えの商会からのみの仕入れるとなると、ねえ。

まじめな業者は淘汰されて、混ぜ物や賄賂が得意な業者がのさばった時代です。

それで完成度を落とすなとか、無理難題ですよ。

多くの同業者が、路頭に迷いました。

私も、古い絵の具がきれたら、廃業しようと考えておりました。



絵の具同様、人の世にも淘汰はつきものです。

2年もすると、オレステス殿下とヘレナ妃の人気にも陰りが出てきました。

冷夏と不作で、税金が上がったからです。

平民の生活は苦しくなりましたが、貴族は瀟洒な暮らしを続けていました。ヘレナ妃が倹約をすすめることに難色を示し、身分の低さを嘲笑い、貴族がまず王太子妃を支持しなくなりました。

平民たちからの人気も、生活の困窮と並行して暴落しましたよ。


王太子オレステス殿下は、あらゆる立場の者たちの調定をなさってきましたが、焼け石に水とはこのことでございました。

終末期の王政は、4大公爵家をはじめとする大貴族たちの傀儡でした。

賢く公平なオレステス殿下は、貴族受けが悪くて。第二王子(能無しの豚)のパリス殿下を次期王に担ぎ上げる勢力が、殿下の足を引っ張りました。


はっきり申し上げて、殿下が学園を卒業する頃には、王政は終焉間近でした。

学や財力をつけはじめてきた平民や下位貴族たちが、大貴族たちの癒着や怠慢、腐敗に気がついてしまったのです。

この流れはうねりとなって革命軍が結成され、共和国家樹立の波がおきました。

ただ、なぜ、革命軍は傀儡の王家にまで、怒りの矛先を向けたのでしょうか。言うほどは富も強権もない、伝統だけの王家などに。

革命を歓迎しつつ失脚を回避した大貴族が、革命軍とつながっていたからですね。つまりまあ、共通の敵に祭り上げられたんですな。大貴族だって一枚岩じゃあない。

平民の指導者層は、政治の実権を握れるほどには熟していませんでした。それは、共和制になった今でも変わりません。国民主権なんて建前だけで、聡い旧貴族たちは狡猾に強権を保ってますよ。


一介の絵師にすぎない私が、なぜこんな話に詳しいのかといえば、それこそ絵師だからでございます。

雇い主たちは、内緒話の現場に私がいることに頓着しません。絵師を置物かなんかだと思われているのでしょう。

私が隠密だったら、どうするんでしょうね。まあ、しがない絵師で間違いないですけど。



さてと。王都……いや、首都でそこそこ名の売れた絵師が、なぜ国境の画廊で日銭を稼いでるんだって話ですかね。

墓が近いからですよ。

3年だけ王太子妃だった女神(ミューズ)の。

近いったって、この大河の向こう岸ですけど。


私も、あの毒婦に魅了されたのかって?


そうですね。魅せられていました。

ヘレナ妃だけではなく、彼女の夫だった方々の生き様に、ね。


真実を語れば、ヘレナ妃の夫はおひとりでした。

信じられない?

これを話せば、明日の朝、私の体は大河に沈められるかもしれません。

貴女次第ですかね。

でも、貴女が政治に興味がないように、私も命に頓着ないんですよ。

最も描きたかった題材は、永遠に失われました。

旧王国時代の絵の具も、手に入りませんしね。



私から見た、オレステス陛下の人となり、ですか?

そうですね。理知的で、穏やかな殿方でした。

声を荒げたのは、婚約を破棄した夜会の、一幕だけだったように記憶しております。


最期の日の彼は、王冠を被り、玉座に腰かけていました。

この絵です。

足元で絶命してるのは、国王です。

父殺しの大罪を犯し、平然と玉座に座る愚王。

ひどい絵面ですよね。

革命の混乱に乗じて王位を乗っ取ったものの、革命軍に処刑された、でしたっけ?


愚王の戴冠の言葉は、ご存じですか?


「あと3年くらい粘れるかと思ってたけど、やはり限界だな」


場所は、バルコニーから王宮前の広場が見渡せる、謁見の広間でした。

修道女さまも、元お貴族様ならご存じでしょう。

アンティークの調度品は全てが一流で、製作者の魂が込められているかのような逸品ばかり。

玉座の傍に立つヘレナ妃は、真っ青な顔で、物言わぬ王を見下ろしていました。

出自の低いヘレナ様には、豪華な調度品も、王宮あるあるの暗殺劇も、馴染まない風です。

そんな彼女の肩を、オレステス殿下と瓜二つの青年が、守るように支えていました。


そんな男性は、知らない?


……ですよね。この私も、落城の間際まで知りませんでした。お会いしたことはあったのですが、オレステス陛下本人だと信じていたので。

本当にね、合わせ鏡みたいにそっくりなふたりで。

幼少期より仕える影武者と聞きました。

異母兄弟で、名はルシアス。忘れちゃってかまいませんよ。戸籍もない、平民の権利すらない性奴の子ですから。


あとは、侍祭のケイロン様が亡き王に寄り添い、文官のホレイシオ様が陛下の側にひかえ、窓を背に武官のイアソン様が立っていました。


「明日以降、城は革命軍に占拠されるだろう。皆、出立の準備に取り掛かってくれ」


この前日に、革命軍から無血開城を要請されましたが、王家の足並みはそろっていませんでした。

オレステス殿下は革命軍の殲滅を命令した国王を殺害し、王妃や弟王子たちを逃しました。

無事に、逃げられたんですかね。

給金が支払われたり、支払われなかったり、遅れたりで、下働きの者たちの不満が溜まっていましたし。


「無血開城なんか呑んだら、後世の歴史家どもに腰抜けって笑われましょうな」


もともと細面でしたが、限界まで痩せて眼鏡がずり落ちそうなホレイシオ様がぼやきました。

ギョロリとした双眼を、ギラギラ輝かせて。


「父殺しが腰抜けだなんて、心外だなあ」


オレステス殿下、いえ、陛下が笑うと、国王の亡き骸に祈りを捧げていたケイロンさまが、鼻白みました。


「国王が受けるであろう処罰を、肩代わりされるおつもりでしょう? 親孝行っていうんですよ。それ」


「全くだ。この俺が殺してやる手筈だったのに」


ヘレナ妃を支えていた男も、深いため息をつきました。


「かわいい弟に、父殺しの罪をきせたくなかったんだよね」


「俺は、こいつに情なんかない! ひとりで罪をかぶるな」


「どちらにしろ、わたしは残って葬式をせねばなりません。皆様は亡命してください。ホレイシオ様とイアソンくんは、特に。まともな政治家と軍人がいないことには、革命後に国が滅びますから」


「嫌だね」


「お断りします」


失われた未来の宰相と将軍が、同時に首を振りました。


「無血開城したところで、オレステス様が処刑される未来は、覆されまい」と、イアソン様。


「オレステス陛下が元首でない国など、他国に侵略されるか、自滅すればよい」


ホレイシオ様も、うなずきます。

オレステス陛下は、パチパチと瞬きをされました。


「いつから、そんな忠臣になったんだい?」


「もとからです。地獄の果てまでお供しますからね?」


「同じく」


ホレイシオが膝をつくと、イアソンも騎士の礼を主君にささげた。


「イアソンくんはいつもカッコいいけど、ホレイシオ様までカッコいいなんて。ありえない」と、ヘレナ様。


ホレイシオ様の眼鏡が光りました。


「ヘレナも、新たな王に忠誠を誓いなさい。陛下のおかげで、『この世に存在しないはずの影武者殿』との結婚が叶ったのだから。我々は、婚約者がいながら王妃に懸想する愚者扱いだがね」


「4大公爵家は革命軍と新興貴族にロックオンされてるから。なのに危機感ないから。ついでに散財も汚職も半端ないから。せめて婚約者だけでも守ろうって、辺境の修道院に亡命させようって。婚約者たちを納得させるために逆ハーレム設定考えたの、ホレイシオ様じゃん。あたしらを利用しただけじゃん。この腹黒メガネ野郎!」


えーと。実はヘレナ妃は、とんでもなく庶民派でいらっしゃいました。

顔面偏差値と頭脳、剣技は立派なのですが、知性が、少々。あと、言葉遣いが、かなり。


「まあまあ。ホレイシオのおかげで愛しい女性たちが息災なんだ。そこの絵師にも、悲劇の令嬢たちの絵をたっぷり描いてもらった。旧貴族でありながら被害者の彼女らは、連座を免れるだろう」


これは、驚きました。王太子殿下ともあろう方が、絵師などの功績を評価されるなんて。

すると、ヘレナ妃の視線が、ジロリとわたしを刺しました。


「後味、ちょー悪いんですけど?」


「婚約者のいる男たちを手玉にとった挙句、ライバルを全員修道院送りとは。非道い悪女でしたねー」


茶々を入れるケイロンさまに、ヘレナ妃がかみついた。


「黙れ、未練タラタラ侍祭! あんたがエウノミアーさまの絵姿に話しかけてる日課、有名よ? 『あれは芝居でした』と土下座してらっしゃい!」


「な、な、な、な、なにおう?!」


「まあまあ」


「イアソンくんは、さっさとペンテシレイアさまを帰俗させちゃいな! あの子を騙し続けるの、ツラい。良心の呵責が半端ない」


「俺に、天使を娶る資格など。それより、メティスとカサンドラに呵責はないのか?」


「メティス様には、ない! あの方、かなり初期から茶番に気がつかれてましたよね! 修道院にいながら、辺境伯と組んで軍備固めてるっつーか、革命軍とは一線を画してるっていうか、別勢力で独立準備してますよね? ホレイシオさま、秘密裏に協力されてますよね?」


「なんのことやら」


「カサンドラ様には、もはや罪悪感しかないですよ。カサンドラ様の為に用意されたウエディングドレスを着て結婚式なんて。私、どんな悪女ですか。最高級の刺繍への冒涜ですよ」


「そこは……フォローできねー…」


「まあまあ。噂や建前はともかく、実際にはルシアスとだけ結婚してるんだから。納得して?」


「世間では、5Pにいそしむ変態王妃ですけどね。ルシアス以外のチン◯の具合なんか、興味もないのに。あー、おぞましい!」


「……ほんと下品だよね。君」


「下品で結構。ケイロン様の童貞」


「エウノミアーを娶れなかったのだから、当然だ!」


「ヘレナ。愛する女性たちの命を守りたかったからとはいえ、傷つけて手放した僕たちだ。これは、贖罪なんだよ」


オレステス陛下の仲裁は、ヘレナ妃の罪悪感を煽ってましたね。悪気がないだけに。真心なだけに。


「へ、陛下は、女好きを装ってカサンドラ様を害そうとする女性たちを排除してきたこと、ゲロってらっしゃいよ! ついでだから、数多のハニートラップを解除してきた鋼鉄の自制心を自慢してさしあげてください! あの方、貴方が思う以上に貴方のこと、大好きですよ?!」


「はっはっはっ! まあ、ルシアスとヘレナこそ逃げてよ。生きて、子を成してほしい」


「兄上が名付けるのが、条件です!」


「ルシアスにはせいぜい囮になってもらいたいし。全員、ここで解散。君たちも、奥さんたちによろしくね」


「だーかーらー、ひとりで責任被るな! 死のうとするな!」


その時、パリンとガラスが割れ、詰め寄るイアソン様の背後を、投石がかすめました。

投石機、というものでしょう。

外の風と怒声が部屋に入ってきました。


「あらら。あちらが決めた期日は明日なのに、せっかちね」


ルシアス様とヘレナ様が、背中合わせに剣を抜きます。


「革命軍なんて、憂さ晴らしの場だからな。略奪でもせんと、士気を保てんのだろう」


イアソン様も大剣を抜き、ケイロン様、ホレイシオさまが魔法陣を発動させました。


「困ったな。どうしてみんな亡命してくれないのさ。最初で最後の王命なのに」


「今、あなたを置いて逃げたら、死んでも後悔しますんで」


「しんがりの聖職者は、葬式を取り仕切らなくてはですから」


「君主の盾になることこそが、騎士の務めだ」


「私、負けませんわよ? 全員生かして婚約者さまたちに返却しますから!」


「我が君主に、ひとりで良い格好は、させん 」


「何が何でもカサンドラ様に再会させて、陛下のかっこ悪い姿を白日の元に!」


「白日の元に!」


「君たちねえ……。今更フラレに行けと? これが、愚王ゆえの不徳か」


部屋中に魔法文字が浮かび上がり、白や緑に発光しました。眩しさに目を細めると、オレステス様が私の肩を掴みました。


「さて。宮廷絵師スピカ。君との契約をここに破棄する。魔法陣の真ん中に立って。大河の西岸あたりが、限界かな。転送するよ」


「え、でも。私などより、あなた方が脱するべきで……」


「情けないことに、宮廷魔術師たちに夜逃げされてね。僕たち全員の魔力を使わないと、発動できないんだよ。これ。君の才能は、こんな場所に埋めておくべきではない。とはいえ、手放すのも惜しくてね」


キラキラと輝く瞳が、急激にぼやけます。


「君の描いたカサンドラは、僕の宝だ。どんな財宝よりも輝いていた。君の手は、我が王国の文化だ。どうか、君の人生に幸あらんことを…」


凛とした声が、優美な笑顔が、宙に溶けてゆきました。


「貴方の作品に、心慰められた。ありがとう」

痩せすぎなホレイシオ様も。


「神の恵みが、あなたに降り注ぎますように」

ケイロン様の白い法衣も。


「この城に残された作品は、極力守る」

鍛えられた体躯のイアソン様も。


「どうか、体に気をつけてくださいね」

絶世の美女ヘレナ様も。


「当てがなければ、西国にむかえ。芸術の街がある」

王太子の影武者、ルシアス様も。


微笑みを、祈りを、礼を、この私に向けられたのです。特権階級であり、その地位が風前のともし火である若者たちが、しがない中年の絵師を、負け戦に巻き込まないように…。


「陛下! オレステス陛下! 失われてはいけない! あなたが、あなた方こそが真の……!」


声の限りに叫びました。でも、この絵師の声が彼らに届くことはありませんでした。




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