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婚約を破棄された令嬢




その女は、元婚約者にそっくりな赤子を差し出しました。

「オレステス殿下の最愛に、我が子を捧げます」と微笑みながら。


今さら、何を言っているのだろう。

私から、最愛の殿方を奪っておきながら。


雨が止んだ曇天の空から、いく筋もの光が地上を照らしていました。

垢まみれで異臭を放ち、物乞いよりも酷い有様でしたわ。

雨に濡れ、ひどい皮膚炎と打撲痕にまみれていました。

『あれは、性病由来の皮膚疾患だ』と、兵士たちが眉を顰めました。


傾国と呼ばれるほど、美しい娘でしたのに。


変わり果ててはいても、一目で彼女とわかりました。なにをしても、不思議と清純に見える女でしたから。

赤子を見つめる瑠璃の瞳は、命懸けで神子を守り抜いた聖女のようでした。


女はそのまま気を失い、数日後に息を引き取りました。


彼女について、何を語れば良いのでしょう。

「ヘレナ」という名の、略奪者を相手に。

幼なじみであり、血の繋がらない従兄で婚約者だったオレステス殿下を奪った淫売を相手に。


葬儀の日の空は、婚約破棄を告げられた日の青さと、どこか似ていました。

どこまでも高く、青く、澄んでいて。

吹く風が、とても冷たくて。

今は廃校になったであろう全寮制の教育機関、アルテミス学院の卒業式の日を、思い出させました。


3年前、になりますわね。


あの日の私は、無邪気な少女でした。

『今日の景色を描いてちょうだい。できるだけたくさん』と、雇ったばかりの絵師(あなた)を引き連れ、我儘を申しておりましたもの。だって、誰よりもスケッチが素早くて、写実的でしたもの! 

子どもじみた感傷でしょう? 制服を脱いだら、コルセットをしてドレスをまとう。子どもではいられなくなる。誇らしくて、どこか淋しい。感慨深くもなりますわ。

私などは、卒業式の次の週には、オレステス殿下との結婚式が待っておりましたもの。



あなたも知る通り、事件は、卒業式の夜に開かれたパーティで起きました。

私のエスコートをされるはずの殿下が、女子寮に迎えに来てくださらなかったのです。

待ちぼうけは、私だけではありませんでした。


宰相の嫡男ホレイシオさまの婚約者で、ウエスタ公爵家令嬢メティスさま。

枢機卿の次男ケイロンさまの婚約者、ノーザン公爵家令嬢エウノミアーさま。

国防大臣を祖父に、騎士団長を父に持つイアソンさまの婚約者、イース公爵家令嬢ペンテシレイアさま。

そして私、王太子オレステス殿下の婚約者、サウザン公爵家のカサンドラ。


国益を守る4大公爵の令嬢たちが、同じ場所、同じ時間に、婚約者にないがしろにされたのです。


戸惑い、怒り、悲しみ…。


皆、表情にこそ出しませんでしたが、途方に暮れたものです。


結局、それぞれの兄弟や従兄弟と、はせ参じることになりました。婚約者を伴って入場する決まりがあるわけではありませんから…。

でも、まあ、あまり麗しい事態ではありませんでしたわね。



オレステス殿下、ホレイシオさま、イアソンさま、ケイロンさまは、見目麗しい少女を囲んでいました。

それがヘレナです。

はっとするほど真っ直ぐに輝く金髪。白磁の肌。キラキラとした瑠璃色の瞳。誰もが目を奪われる美少女でした。

清楚で上品なローウエストのドレスをまとい、妖精のような佇まい。顔が小さく、足が長くなければ着こなせないデザインのドレスを完璧に着こなしていました。

美麗な青年たちに肩を抱き寄せられたり、髪を触られたり、戯れるように腕を組む姿はまるで娼婦なのに、清らかな乙女にしか見えない。なんとも不思議な女でした。


私は、思わず扇子で口元を隠しました。

火遊びのお相手にしろ、貴族と庶民の純愛にしろ、『よくぞここまで殿方の身勝手な理想を、具現化した娘がいたものだ』と。どこの間者かと、疑うレベルでしたね。


嫉妬心……ですか。

さあ、どうでしょうね。


貴族の婚約は契約ですから、恋愛感情は要りません。あった方がロマンチックですが、娼婦みたいな聖女だか、聖女みたいな娼婦だかを連れてこられてしまいましたから……戸惑いましたわ。


私たちの入場に気がつかれた殿下たちが、グラスを置いてこちらにやってきました。


「ようやく来たか。身分ばかりで恥知らずな令嬢たちが」


まるで卑しいもののように、私たちを見下ろします。

令嬢たちは固まり、音楽は鳴り止み。もはやパーティどころではありません。


「サウザー公爵家長女、カサンドラ・ムーサ・サウザー。そなたとの婚約を、破棄する」


美少女の肩を抱き、未来の重鎮たちを背に宣言したオレステス殿下に迷いはありませんでした。

ですが、10年もの歳月を王妃教育に費やしてきた私にとっては、まさに寝耳に水。

目を見開いて殿下の尊顔を見上げる以外に、何ができたでしょう?


「まるで、被害者のような顔をする。だが、カサンドラ。そなたがこのヘレナを害し、亡き者にしようと策を巡らせた事実を、この私が知らぬと思ったか?」


確信を込め、憎々しげに告げる声に、ヘレナとやらが身を震わせました。

私の何に怯えているのでしょうか。見目? 権力?

殿下はそれに気がつくと、宝物をくるむように彼女を抱き寄せたのです。


「厭わしい女め! 失せるが良い! わたしはこの、ヘレナと結婚する‼︎」


私は扇を広げ、視線は落とさずに思案しました。


殿下に愛人がいるという噂を聞いたのはいつの頃だったか。調べれば、辺境伯の私生児を、侍女として召したとのこと。婚約者のいない未婚の娘で、貴族の落胤とくれば、侍女という役職の愛妾である可能性も否定できません。


王太子妃となる私の、障害にはならないと判断し、絵姿も確認せず放置しました。


確かに私は、オレステス殿下をお慕いしていました。

ですが、放蕩を好む殿下は違います。

愛妾のひとりやふたり、正直、今さらでした。

むしろ、どんな病気や陰謀を持っているかわからない娼婦や未亡人より、身元のはっきりした娘でよかったと安堵してさえいました。


だいたい、この私が、爪の先ほどでも嫉妬の念にかられていたなら。彼女の首と胴体は、とっくにお別れしていたでしょう。


では、なぜ、私が彼女を害したことになっていたのでしょう?


初対面なのに?


なぜ、公の場でそれを宣言するのでしょう?



沈黙する私の周囲で、他の公爵令嬢たちも婚約破棄を宣言されました。

あまりのことに、何を申したら良いのか。


私と違って冷静なメティスさまは、証拠の有無を問いただし、不貞を指摘し、慰謝料を請求されました。

宰相の子として英才教育を受けたホレイシオさまも、法律や過去の判例を諳んじて切り返されました。

そこだけ個人法廷というか。

今思えば、このおふたり、お互い以上にふさわしいパートナーが存在したのでしょうか?


潔癖なエウノミアー様は、ケイロン様に絶対零度の眼差しを向けました。

『枢機卿の息子ともあろう方が、穢らわしい』と、嫌悪感を隠しもしません。

心からケイロンさま慕い、尊敬していた淑女はいずこ?

『豚は食料として、汚物は肥料として役にたちますが、不貞を働く男はそれ以下ですわ!』と言い放たれました。

婚約破棄を告げたケイロンさまの方が、3倍くらいダメージを受けた模様でした。


優しく繊細なペンテシレイアさまは、泣き出してしまいました。

『こちらの方が愛しいならば、実質的な妻の座は譲ります。形だけで良いからどうかお側にいさせてください。イアソンさまのお力になりたいのです』と言われて、動じないイアソンさまはおりません。

ていうかイアソンさまは、ヘレナとやらに骨抜きにされた演技がなってません。どうせやるなら、オレステス殿下を見習いなさいませ。


殿下はまあ、最初から私を愛してはいませんでしたから。ただ、私の存在価値、婚約の利害とは何かを知らなかったことはないでしょう。

茶番を演じるなら、部下という名の大根役者を巻き込むべきではありませんでしたね。


ようは、ヘレナとやらを愛してしまったのでしょう。

心から。体ごと。狂おしいほどに。

王太子ともあろう方が、愚かなことです。


「罪深い女どもをひっ捕らえろ! 辺境に追い出せ! 僻地の尼寺がふさわしい!」


よく通る殿下の声。

それが、最期の言葉になるなんて。


私たちは騎士団に囲まれ、拘束されました。そして、家族に会うことさえ許されず、国境の修道院に連行されました。


パーティは無礼講となり、平民もなだれ込んで三日三晩も乱痴気騒ぎが続いたんですって?

そして、宣言通り殿下とヘレナと結婚されました。

殿下だけでなく、ホレイシオさま、ケイロンさま、イアソンさまの花嫁になった、と。

私のために用意されたウェディングドレスをまとった彼女は、女神が降臨したかの様に美しかった、と。


…………想像を絶する、穢らわしさですわね。


なにはともあれ、王妃教育を受けていない、ただ美しいだけの王太子妃が誕生した模様です。



私は、私たちは、辺境の修道院で、遠い王都の噂を、物語みたいに聞かされました。やがて革命が起き、痴れ者たち刑に処されるだろうと。


ひとつの国は乱れて、滅びてゆく……その前兆となる事件でした。




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