5.
アルフレートの出現によって、ベルは久しぶりに銃を持ち歩く決意をした。
ケルベロス・デンを丸腰で歩くのはケツにファック・ミーと書いた紙を貼りつけて歩いているようなもので、よほどの馬鹿か拳法の達人みたいなやつにだけ許される特権だった。
ベルはよほどの馬鹿として、その特権を享受していたが、吸血鬼王子の出現で、それも古きよき時代の過ぎ去りし記憶となりつつあった。
それに、定期的にリヴァイアサン通りへカレンヌに報告を入れなければいけないのだから、どっちみち銃は手に入れる必要があった。リヴァイアサン通りなんてヤバい場所を歩くのに、ベルの持っている護身用具といえば、アイス・キャンディの当たり棒だけなのだ。
ケルベロス・デンで銃を手に入れるのはキャンディの万引きよりも簡単だが、信頼できる銃を手に入れるとなると難易度がぐんと上がる。ここぞという瞬間に弾が出なかったり、暴発して指が吹き飛んだり、すでに警官殺しに複数回使われていて持ってるだけで電気椅子間違いなしの罪をおっかぶせられたり。
そんな銃が恥を知らないディーラーたちによって流通していた。
腕利きの殺し屋たちはちゃんと弾が出て、さらに指紋をべったりつけたまま現場に残しても決して足のつくことがない夢のような銃を求めて、街をさまよった。そのうちまともな銃はサウスアイランド産のハッピー・マッシュルームと同じくらい貴重になり、伝説のヴェールをまとって、羽の生えた馬や絶滅した首長竜と肩を並べるようになったのだが、銃の入手方法にまつわるオカルトはそれこそ弾の数ほどある。
そうしたオカルトのいくつかはグロヴリング・マーシュへと続いている。ケルベロス・デンを囲む半壊状態の城壁の外、入江沿いの道を進んだ先に葦がびっしり生えた汽水の沼地で、そこには銃と煙草の密輸を生業にしている伝説的なキャベンディッシュ一族がいた。ケルベロス・デンがまだベルレンヌと呼ばれ、騎士団に直轄支配されていたころ――つまり、五百年以上前にはすでにこの沼地に居を構え、密輸を極めていた。そのころ、密輸していたのは王国に関税を払っていない塩と王国に関税を払っていない煙草の葉だった。時代の変化を拒み続けた一族は塩の密輸を銃の密輸に切り替えただけで経年劣化の危機をなんとか乗り切り、暴力と近親相姦によってキャベンディッシュの血筋を守り抜いた。
そんなキャベンディッシュ一族の変わり者でケルベロス・デンの市街地に住みついたコーネット・キャベンディッシュはベルのキノコ吸い仲間だった。沼のガス以外の煙を体験したことのないコーネットにとって、ベルに勧められて吸った初めてのキノコ・シガーは衝撃的世界回帰であった。
「オオオ、すげえ。全部見えた」
「全部って?」
「おれのご先祖さま全部。こいつらとんでもねえワルだぜ。船で繰り出しちゃ、海辺の町や教会を襲って、殺すわ犯すわぶっ壊すわの大騒ぎだよ。目についたもんは黄金の聖人像から木でできたカップまでみーんなかっさらう。それでみんなビビッて海辺で暮らすのをやめるんだけどさ、そんなことじゃご先祖さまたちからは逃れられねえ。船で川をさかのぼって、また殺す犯すぶっ壊すの大騒ぎ。ベル、あんた、〈羽ばたける鷲〉って知ってるか? こう、両方の肩に深く切り目を入れて、肩の骨を背骨つけたまま、こう、グチャドバーって真上に引っぱり出すんだよ」
「そのグチャドバーって、鷲での話だよな?」
「何言ってんの、ベル。人でやったに決まってんじゃん」
銃を手に入れようと決意した次の日、ベルはコーネットと屋根のない田舎風の荷馬車に乗って、ネオン街をひたすら城門のほうへと向かっていた。朝の八時にネオンがぎらつくせいで、不眠症を起こした連中がドラッグ入りのソーダ水を片手にうろうろしている。不眠症が極まると、ドラッグなしのソーダ水でトリップできるという伝説を無邪気に信じたジャンキーたちが一睡もしないためにドラックをバカスカ飲んでいた。その結果、足元がお留守番を決め込み、足どりが危うくなったジャンキーをコーネットの馬車は三度轢きかけた。
「てめえ、どこ見て歩いてる! 〈羽ばたける鷲〉をお見舞いされてえのか!」
「なあ、コーネット。馬車がだいぶギャングのリムジンに寄ってるぜ。ほら、用心棒たちがホルスターをまさぐり始めた。車間距離取ったほうがいいんじゃね?」
「キャプテンって呼べよ、ベル。今日からおれはキャプテン・コーネットだ」
「お前、なにトチ狂ってんだよ?」
「おれの体には海賊の血が流れてるんだぜ」
「そんなん、キノコ童貞卒業と一緒に見た幻覚だろうが」
「分かってねえな、トリップマン。あれは啓示だったんだよ」
グロヴリング・マーシュには木造家屋が点在しているが、一番マシな家でも七度傾いていた。嵐が来るたびに泥の上に建つ家はズルズルと動いていくので、一族のコーネットでさえ目指す家にたどり着けるかは因果律頼みになる。案内なしで踏み込むのはヤバい場所で、固定資産税を取り立てにいった小役人が毎年一ダース消えている。
「ここ、ラジオの電波入るの?」
「そんなもんいらねえさ。沼じゃキャベンディッシュ劇団がおくるドロ沼レイプ劇が絶賛生放送中だから。従兄のスティーブが妹のリザをレイプして、親父のフランクリンはワニの餌やり当番をめぐって、大叔父のニュートンをレイプ。カバみたいに不細工な女たちのために、一族の女が誰しも一度はレイプされるレイプ・ローテーション制度をつくったが、ジェームズ叔父がレイプを拒否。これにより血で血を洗う内戦勃発まで秒読みに入ったが、不細工代表のマチルダが自分で自分をレイプするという離れ業でひとまず休戦。だが、これはこれから起こるレイプ・ノルマという惨劇の序曲でしかなかった……」
「レ、レイプ・ノルマ? それ、すげえクレイジー。再放送、どの局でやってる?」
「ラジオのスイッチ切って外に出ろよ、ベル。本当に見る価値のあるドラマはな、現実世界で起こるもんだぜ」
コーネットの祖父であり父親でもあるアウズリーは屋敷の納屋で皮を剥いだワニの尻尾の肉にせっせと塩をもみ込んでいた。アウズリーは密輸、密売、故買、強姦と近親相姦のコンビネーションとあらゆる悪行に手を出してきたが、老年になってハマりこんだのはワニハム作りだった。爬虫類の肉に潜むという致死率百パーセントの殺人寄生虫のことをラジオできいていたベルはハムを食べてけと言われませんように、とキノコの神さまに祈った。アウズリーはワニハムの下地つくりで忙しかったので、放蕩息子とその放蕩息子にキノコ・トリップを教えた悪友を相手するヒマはないようで、銃が欲しいなら隣の部屋へ行けと、顎で追い払われた。
「ハァイ。あたし、ヘザー。あんた、だれ?」
「お前の兄貴のコーネットだよ。こっちはベル」
「ハァイ、ベル」
「ハーイ」
煙草のカートンと様々な銃が散乱したこの部屋で、祖父であり父親であるアウズリーに代わり、そばかすおさげのティーンエイジャーが銃の密売にいそしんでいた。百年前の女の子だって着ないような古い農家風ドレスの上に弾薬を差したガンベルトを巻いている。双子の殺し屋といい、シルバーキャピタルを盗んだガキといい、犯罪者の低年齢化は今に始まったことじゃないが、扱う犯罪が大きなものにシフトチェンジしているのはキノコの煙でいぶされたベルの気のせいだろうか? なにせ、あの吸血鬼でさえ、ギリギリのティーンなのかもしれないのだ。十九歳と九か月とか。
ヘザーは自分の兄貴の名前も忘れるクルクルパーだが、売り物に関しては非常に細かい性能から偏屈なガンマニアが思わずくすりとくる逸話までいろいろ忘れないでいる。ヘザーはどんな銃が欲しいかではなく、どんな相手を撃つのかをきいて銃を見つくろう良心的なディーラーだった。吸血鬼王子のことを教えると、ホントは銀の弾丸を撃てる古いフリントロック・ピストルがいいんだけど、と前置きしたうえで、小さな自動拳銃をベルに見せた。
「M三〇。シグレ・インダストリー製。三二口径。七発入りの挿弾子。銃身長九〇ミリ。全長一五八ミリ。重量五七〇グラム。初速は秒速三〇〇メートル。グリップがカスタムされてて、握手してるみたいなにぎり心地。それに見て。撃鉄内蔵型のシンプル・ブローバック式。あたし、撃鉄が露出してない銃、好きなんだ。でも、トグルアクションのPP7も捨てがたいよね。あの我が道を行く動作方式に女の子はシビれちゃうんだ。このあいだ、PP7を四丁も買っていったのは双子でさ、サイレンサーもお揃いのを選んだんだよ。双子ってそういうもんなんだね」
あれはクライビーが販売委託されたものであってベルのものじゃないけど、でも、あのシルバーキャピタルを賭けてもいい。その双子の名前はエミリオとエミリアだ。
立て続けにズアーヴを三本吸って、頭のなかに一つ人格をほいっと作って、そいつにどうやったらこの場をクールに切り抜けられるかきいたが、新人格の答えは「そんなことよりヤクやろうぜ」だった。
「ねえ、ヘザー。その双子がどんなやつで、どこに住んでるかなんて知らないよね」
「知ってる」
「覚えてる?」
「髪はプラチナブロンド。目はアイスブルーだった。睫毛が長くてお人形ちゃんみたいにかわいかったよ。身長は一四三・三センチ。二〇ミリ機関砲の銃身とちょうど同じ長さだから、ミリ単位で分かったんだ。エミリオって名乗ったほうは男の子にしては少し髪が長くて、エミリアって名乗った女の子は髪が少し短めだった。つまり二人とも区別がつかないくらい似てたってこと。着てたのは襟のないドレス・シャツ。ほら、一番上をスタッズで留めるやつ。それに脚にぴったりした乗馬風の黒のズボンを黒のサスペンダーで吊って、黒の革靴履いてた。蝶結びにしてたけど、二人とも左のわっこが少し大きすぎた。膝頭まである黒い艶消し革のゲートルで留めてて、ゲートルのボタンは片方の脚に十六個。合わせて三十二個。二人合わせたら六十四個」
「なんでそれだけ覚えてるのに、自分の兄貴を忘れられるんだ?」
「さあ? なんでだろ? ていうか、あんた、だれ?」
「お前の兄貴のコーネットだよ」
「で、続きだけど、使ってたホルスターはショルダーホルスターがモレンティのダブルタイプ、レッグホルスターはタワー王国で制式採用されてるのに似てたけど、銃の代わりにナイフが入ってた。で、買った銃だけど――」
機関銃。連射式ショットガン。対戦車ライフル。大砲をポケットに入れて持ち運びたいというクレージーな設計思想に基づき製造された大口径リヴォルヴァー。ワルモノ軍団の吸血鬼王子にビビッて銃を買いに来たら、双子が既に世界大戦を始めるために訪れていたという悪夢。今だって、ヘザーは双子のヤサも知っているみたいで、それを口に出そうとしていた。これ以上はききたくないから、耳塞いでアーと叫んじゃおうかと思ったが、双子の居場所までつかんでおきながら、情報をカレンヌに上げなかったときの制裁のほうが恐ろしい。
「――で、住んでるところは骨職人街のホテル・カロン。これ、役に立った?」
ノー。最悪。「すげぇ役に立ったよ。あんがと、ヘザー」
「どういたしまして。やっぱり人間、誰かのためになるって気持ちがいいよね」
この手のことには覚えがある。オギャアと生まれてこのかた何度かあった。誰だか知らないが、そいつはベルの運命をきっちり握り、好きなとき好きなやり方でベルの人生メチャメチャにする方法をモノにしている。そんなとき、ベルが愛用しているトラブル対処法は尻尾を股に挟んで頭を地面に掘った穴に突っ込んでトラブルが通り過ぎるのを待つことなのだが、たいていのトラブルはそんなベルの殊勝な態度を屁とも思わず、ケツを思い切りバットで殴り、この根性腐った負け犬ジャンキー野郎と言い捨てて、より大きなトラブルのためにバッターボックスを譲る。
煙草三本で作り上げた新人格と今後の予定を話し合おうとしたが、相手はケムリのように消え失せ、一人残されたベルはパニック寸前。そんなベルをよそにコーネットは壁に入れ墨屋の住所をナイフで刻んでいた。
「ここに行ってな、デコでもケツでもどこでもいいから『あたしの兄貴はコーネット』って彫ってもらえ」
「オッケー。で、あんた、だれ?」
「だから、お前の兄貴のコーネットだって」