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4.

 ベルはエル・レイを色電球がチカチカつきまくる旧城壁通りで走らせて、クライビーがパーツをすり替えていないか、エンジン音やサスペンションのケツへの衝撃に対する和らげ具合で確かめた。クライビーのその手のインチキはエンジン・カバーを開けて、じっくり眺めただけでは分からない。その器用さがほんのわずかでもギャンブルに活かせれば、今ごろ、クライビーはシルバーキャピタルの残り九台を手に入れられる身分になっているはずだ。


 ケツに対する納得の衝撃緩和が得られたころにはそこはベルの事務所のある旧ベルレンヌ音楽学校の中庭だった。昔は芝生があり、演奏用の園亭あずまやもあったが、今は集合住宅の立派な車庫として生まれ変わっていた。車と車を守るための小屋がひしめき合い、恐怖の欠陥建築がいつ住人の頭へと崩れ落ちてくるかは神のみぞ知る。というのも、ここに住むカー・キチたちが自分の愛車を雨露から守るために使える物資は防水キャンバスとボール紙しかなかったからだ。


 二階の事務所へ戻ると、ドアの前に二人のゴリラみたいな男が立っていた。山高帽も眼鏡もフロックコートも蝶ネクタイも黒くて、黒い口髭はブラシみたいにごつい。機関銃を胸の前に四十五度の角度でしっかり保持しているのを見ると、ベルは自分が平行世界に迷い込んだような気がしてきた。そこではベルはチョークストライプのスリーピースを着た腹の出っ張った脱税コンサルタントになっていて、ヘル・ハイツのアパートにアマンダラそっくりの愛人を囲っていて、顔も覚えていない女と結婚し、顔も覚えていない子どものために(そして、もちろんアマンダラそっくりの愛人のためにでもあるが)、見かけた実業家へ手当り次第に脱税を持ちかけ、お上に払うカネをごまかすスリルについて、あることないこと吹聴して、手数料を稼ごうとしていた。そんなベルの事務所は皮肉にも税金滞納者の押収品倉庫になっていた。税務署に雇われたゴリラたちは無理にでも入ろうとするふざけた納税者をぺしゃんこにしてやろうと待ち受けているのに、ベルときたらそこに入りたくてたまらなかった。とりあえず階段室の戸口に体を半分隠して、じっとゴリラたちに視線を送ったが、立ち番兵士の常でまっすぐ前を見ていたから、ベルがいることに気づいている様子ではなかった。


 ひょっとすると、ネオンサインの差す角度がもたらした幻影かもしれないと思い、ポケットひっくり返して分度器を探しているといきなりゴリラが崖からぶら下がった人間の手を踏んづけるようにかかとを鳴らしたので、ベルは一秒で階段へ転げ落ち、次の一秒で中庭を駆け抜け、三度目の一秒でエル・レイ・コンバーティブルに飛び込んで、キーをまわそうとしていた。


「そう慌てないでください。ミスター・ジェイス」


 体の上半分を車にねじ込み、残り半分はケツが上向きになって外に飛び出ているのに、ベルのことをミスター付けで呼ぶのは悪意の表れか、礼儀作法の気まぐれか?


 黒服のゴリラを二人従えているのはやはり黒い軍服の、恐ろしくハンサムな男で、軍帽の庇はそこに映ったネオンの文字が読めるほど磨かれていた。

 ルックスと印象を総合すると、吸血鬼の王子。ケルベロス・デンでは三年に一度、自分を吸血鬼だと思い込んだやつが連続殺人を起こす。が、吸血鬼の大好物である処女の血がどうしても見つからないので、吸血鬼たちは商売を初めて三年以内の娼婦で妥協している。

 最後にその手の殺人鬼が出たのは半年前だから、この黒服がここにいるのは吸血鬼がらみの因果律ではない。とはいっても、危害を加える気はない、その気があればとっくにしているとか、そんな安心させてくれる言葉をきけないうちはベルとしても車から這い出るつもりはない。


「もしよければ、場所を変えませんか?」

「それ、遠回しに地獄に落ちろって言ってる?」


 ワルモノ軍団の王子さまはアルフレート・フォン・ツィタデレ大佐と名乗った。帝国の小さな旗をバンパーから生やした外交官用高級車にベルを乗せて、連れていったのは獲物街。人呼んでケルベロスの胃袋。そこでは腐敗は熟成と呼び直され、食品衛生に対する責任というものが欠落した悪徳肉屋たちが石造りの不細工な店に肉をぶら下げている。その肉がなんであるのかは食べてみてのお楽しみ。いや、食べても分からず、結局は謎を抱えたまま、食中毒によってあえない最期を遂げることもある。ただ、なかにはマエストロの名にふさわしい本物もいて、フォン・ツィタデレ大佐がゴリラ二人に車の番をさせて入った店はマエストロ・タイプの店だった。


〈スピークス〉の壁と調度は#四〇〇サンドペーパーで艶出しをしたブラックウォルナット材、カウンターには真鍮のバーがきらきらしていて、そこいらじゅう肉を頬張る支配者階級でいっぱいだった。クスリ打つためにトイレを使うやつはいないし、ケミカルと一緒にアルコールを飲んで痙攣を起こすやつもいない。使う食材は街の外から仕入れているが、小さなイカから巨大な牛まで、必ず生きたままの状態で厨房に持ち込まれた。野菜ですらブローカーは信用できないということで土から引っこ抜かず、まわりの土ごと四角く切り取って箱詰めにして、この店のなかで改めて収穫されるのだ。


「ミスター・フォンって呼んだほうがいいのかな?」とベル。「おれの知り合いにウィリアム・ユリシーズ・ジャスパーナイトってやつがいるんだけど、そいつがミドルネームのユリシーズで呼ばれたがってたんだよね。そいつ、〈クラカブー〉って存在しないスポーツをでっちあげて、存在しないオッズをつくって、ついでに存在しない選手カードもつくって、大儲けしたんだけど、ペテンがバレて、ギャンブル・ジャンキーどもに二十丁の銃を顔につきつけられながら、土下座して何とか――」

「アルフレートと呼んでください」

「アルちゃんは?」

「アルフレートで」

「こんなこと言って怒らないで欲しいんだけどさ、あんたみたいな悪の黒幕の腹心で最後は黒幕を裏切って、自分がまんまとその地位についちゃうようなのがさ、オレにどんな用があるの?」

「確かに普段ならわたしのような人間があなたのようなキノコ中毒者を相手する時間はありません」

「それ、誉め言葉? よせやい」

「ですが、今回はちょっと特殊でしてね。双子、と言えば分かるでしょう?」

「あ、その話、ここでするのはヤバいかも。ほら、双子の標的はみんなここでメシが食えるくらいの大物だから。集団パニック起きちゃうかもよ」

「むしろ好ましいですね。パニック、好きなんですよ」

「マジで? パニックのこと、肉の焼き方かなんかと勘違いしてないよね?」

「特に好きなのは豪華客船が沈没するときのパニックで、救命ボートで押し合いへし合いしているうちにロープが切れて、氷のように冷たい海面に叩きつけられるのが快感を――まあ、この話は置いておきます」

「まだ若いのにすげえ趣味してんな。あ、これ、逆説的な意味はないから。言葉そのままで取ってちょ」


 明らかにベルよりもいいものを着ているウェイターがやってきて、アルフレートから注文を取り、ベルには蔑みの視線を送ってきた。ベルの服装がよれよれのシャツにネクタイなしだからかもしれないし、開口一番にホットドッグと瓶ビールを注文したからかもしれない。それでも店は自身のプライドを犠牲にして、ホットドッグと瓶ビールを出し、アルフレートには表面をちょっとあぶっただけでほとんど生のステーキと赤ワインがやってきた。


「アステン=エンテ少佐がここに来たことは分かっています」

「それってカレンヌのことでしょ? あいつがこの店に来るかなあ。なんせ、戦争のないときでもビスケットとコン・ビーフの軍隊メシ食ってるくらいだから、舌がパアになって――あ、店じゃなくて、この街ね。それならイエス」

「あなたに会いに来た?」


 ベルはシャツのポケットからズアーヴの箱を取り出し、最後の一本を振り出した。


「それはノー・コメント。ほら、依頼人の秘密は守らなきゃいけないんだよね」

「あなたは彼女からどのくらいのことを知らされているんですか?」

「ぜんぜん。だって、カレンヌがオレのこと信用するわけないし、それもまんざら間違いではないわけで」

「もし、あなたがアステン=エンテ少佐から知り得たことをわたしに話さなければ、ここから生きてはでられない、そう言われたら?」


 やっぱりきやがった。


「そんときはあんた好みのとびっきりのパニックを提供できると思う。でもさ、覚えておいてほしいんだけど、あんたみたいな冷酷非道の黒幕腹心タイプがボスを裏切って、頂点極めても、それ、だいたい五分かそこらしか続かないんだ。つまり、おせっかいな正義のヒーローが現れて、全部パアにされるってこと」

「現実はラジオドラマのようにはいきません」

「その通り。泣けるね。ついでに言っておくと、オレみたいな小物は締め上げるよりも泳がせたほうが情報がゲットしやすい。これホント。まあ、試してみてよ」

「ふむ。まあ、いいでしょう。実際、彼女がどこまで知っているとしても、大局に影響はありませんしね」

「ほいじゃ、オレ、ここいらで退散するわ。ホットドッグごちそうさん」

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