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2.

 探偵としてのベルの情報源は揚げパンを包んでギトギトになった新聞で、これが一週間分、引出のなかに溜まっていた。油が酸化してひどい臭いを発し、三秒と正視できるものではなかったが、それでも、この二か月、かなりのハイペースで大物の暗殺が続いていることは分かった。

 貴族、ギャング、警察幹部、大物テロリストが射殺、刺殺、絞殺、毒殺、爆殺と手口はバラバラだが間違いなく一人、あるいは一つの暗殺チームによって消されていた。

 各組織は報復を叫んでいるが、これはおかしい。ギャングなり警察なりが本気で犯人捜しをすれば、ドヤ街で釘バットがびゅんびゅん唸ってザクザクと容疑者を切り刻み、ベルのような後ろ盾ゼロのフリーランスは振れば何か出てくるかもと精肉工場で逆さ吊りにされて徹底的に絞られるはずだ。


 つまり、殺られた連中はちゃあんと依頼があって殺られてる。組織犯罪の力学にのっとって殺されてるわけで、善悪の判断がついてるのかも怪しい双子の子どもが無軌道に殺しまくってるのではない。

 もちろん、ギャングなり警察なりが事情を知りすぎた殺し屋を処分してしまおうと考えない保証はないけど、今のところは重宝されているんじゃないか? しかし、報酬は何で払ってるんだろ? アーモンド・キャンディ一年分? ギャングと警察と快楽殺人鬼が織りなす殺人カルマのなかでこいつらはどんな地位を築きつつあるのだろう?


 別にベアトリス金貨に魂引っこ抜かれたわけではないが、カレンヌがこの街のことに暗くて、誰か知っているやつはいないかと思って、自分の名前を思い浮かべたことは、ベルをそれなりにセンチにはしてくれる。それでも、センチになりすぎるのは危ない。気になって筋を追っているラジオドラマが三つあるんだし、最終回を聴くまではおちおち死ぬこともできない。


 でも、カレンヌはオレの事務所に来るのに近衛連隊の軍服で来るような無神経的危機感知らずだから、ひょっとすると、オレのほうが危ない目に遭うかも。めぐりめぐった輪廻のひずみが、窓から飛び込む銃弾や病原菌に汚染されたサラダ・モンスターの形で襲いかかってきたら、どうすればいいのか?


 とりあえずメシ食いに行こう。白夜の逆バージョンを食らい続けるようになり、この街から朝メシの概念が消えた。隣の建物の一階にあるプラグナント・カフェはそんなケルベロス・デンで唯一、メニューを朝と夜で分けている。


 一晩中オペラ座劇場の前で待たされ怒り心頭の辻馬車の馭者たちが群がる朝メニューは二つ。卵料理を中心とする〈ザ・卵子〉と豚の血入りソーセージがうまい〈ザ・メンス〉。


 朝飯の名前を通じて人類の再生産ツールと触れ合うと、ふと、ヴィクターとアレンのことを思いだした。二人はホモの殺し屋で、二人ともすごい美形。やろうと思えば、目についた女に片っ端からミニチュア人間を孕ませることもできたのに、二人はそうせず二人だけでイチャイチャウフフをやって、人類の再生産に貢献する気ゼロ。それどころかお値段五千クレジットで人間を間引いている。


 このコンビとベルは結構長い知り合いだ。シリアイといっても、ベルが尻での愛し合いに加わったことはない。ただ、昔のヴィクターとアレンは四百メートル離れたギャングの眉間に狙撃をキメられるくせに、ことトリップとなると下手を打ち、カサの広い安物キノコばかりつかまされていた。

 そんな二人を哀れに思い、本当のトリップを教えてやって以来、二人はベルを麻薬王のごとく崇拝――とまでは言わずとも、二人のお楽しみアドバイザー・ドラック部門統括くらいには取り立ててもらっている。ただ、アドバイザーと言っても給料もらってるわけではないし、給料のかわりに現物支給しようかときかれているけど、それってつまり誰かぶっ殺すときロハでやってくれるという意味なのかもしれないけど、それを本気にするほどベルだっておめでたくはないわけで――。


「わお、ベル。それっておまんこ?」


 ベルの近所に住んでいるアマンダラが、ベルが無意識のうちに床にまかれたおがくずにつま先で書いた絵を見て、そう評した。ベルはその思い込みをそのまま放置するか、それともきちんと修正するか考えた。


「違う。こりゃトコブシだよ」

「なぁんだ。マンコじゃないんだ」

「マンコだったら何だってんだよ?」

「いや、ほら。さっきすっごい美人がベルの部屋から出てきたからさ。たまってるのかなって思って。あ、あたしでよければ、発散する? 今ならスピーディーでスペシャルなプレイがご奉仕プライス七十クレジットぽっきり」

「うーん、それも悪くはないんだけど、頭ンなか、考えなきゃいけないことでいっぱいでさ」

「まあ、そうだよね。ブロンドの、軍服着たプロポーション抜群の美人がさ、トラブルの種を持ち込まないなんてありえないもんね」

「そうだけど、ひょっとすると、一発やれば、ふいに解決策が浮かぶかも」

「あ、もうだめ。時間切れ。〈ザ・メンス〉が来たから。これ食べた後は客は取らないことにしてるんだ。もしかしたら、妊娠するかもしれないじゃん」

「おれとお前の子どもなら、きっとかわいいのができるって」

「もう、ベルったら。冗談はチンポコだけにしてよ」


〈ザ・卵子〉をたいらげて、事務所へ戻ると、ドアが開けっ放しになっていた。オレの事務所で盗む価値のあるものなんてあっただろうか? いや、盗むかわりに置いていく可能性もある。触るとヒリヒリする産業廃棄物とか、警察に寝返ったギャングの宣誓供述を録音したレコード盤とか。一番最悪なのは死体だけど。


 事務所に入ってみると、台所でヴィクターとアレンがお互いの尻をきゅっとふざけてつまみながら、ベルの冷蔵庫から漁った卵でスクランブルエッグをつくっているところだった。


「ああ、ベル。悪いね。勝手に上がってるよ。それとグレープフルーツ・ジュース、全部飲んじゃった」

「気にすんなよ、ヴィクター。もちろんアレンもな。あれ、ちょっと待て。グレープフルーツ・ジュース、全部飲んだって? あれ二リットルあったんだぜ? ひょっとして、ヴィクター、妊娠した?」


 二人はキノコを分けてもらいにベルの事務所にやってきたのだが、最初はお行儀よく事務所の扉の前で待っていた。鍵がかかっていないことが分かったので、事務所のなかで待つことにした。すると、二人のお腹が同時に鳴ったので、意識のレベルを落として、うろついていくうちに隣の部屋の冷蔵庫に漂着したのだ。


 二人が小さなテーブルで卵を食べるのをベルは冷蔵庫によりかかって眺めていた。ヴィクターのほうが背も高く、胸板も厚く、齢も上で、アレンは少年らしい小柄で華奢な体格なのに、数多のゲイカップルに起こる好みとオカルト、そして、宇宙規模のカルマを巻き込む事情により、ヴィクターが女役、アレンが男役になっている。二人は今のめぐり逢いにしみじみと幸福を感じているようだった。


「多くのゲイはね、女性のせいで苦労するんだ。いい男はみんな女性の恋人がいるからね。僕にはアレンがいるからいいけど、そうでなかったら、きっと僕なんかファミリー・マンになってたと思うんだ」

「お前がファミリー・マンに?」アレンが長い睫毛に縁取られた大きな目をくるりとまわした。「アリゲーターみたいな女と結婚して、子どもをバカスカ産んで、離婚して、親権争ったり、慰謝料値切ったりするのかよ」

「そっちのファミリーじゃなくて、仕事を持ち込んでくるファミリーのほうだよ。仕事人間になるってこと」

「とりあえず、あんたら二人が充実した性生活を送ってるらしいことは分かったよ」ベルはセックス中のベッドのように椅子をギシギシ軋ませた。「でも、ちょうどよかった。ききたいことがあってさ。最近、巷を賑わせてる双子の殺し屋なんだけど」

「都市伝説みたいなもんだよ。確かに仕事コントラクトが発生して、標的は死んでるんだけど、みんな死んだやつは最初からいないことにしてるんだ。命だけじゃなくて、そいつが生きてたっていう過去までなかったことにして」

「生きてた過去までなかったことに? うーん、それって集団パラノイアでも起こさなきゃできないことだよね」

「そんな難しいことじゃねえよ。警察とギャングのトップクラスが手下全員に、お前らパラノイアになれって命令すれば、それでおしまい」

「ただ、この殺し屋の場合、何だかデリケートな事情があるらしいんだ」

「待った待った。市警とギャングが同じ殺し屋を使いまわしてるってこと? こんなこと言うとピュアな野郎だと思われるかもしれんけどさ、そんなのありなの?」

「普通はなしだろうけど、この場合はあり。とにかく何もかも特別なんだよ」

「で、おたくら二人、会ったことはあるのか」

「それこそ、僕らの業界ではあちこちに情報が錯綜してて、わけが分からないくらいだよ。大鰐通りでヌードルを食べてたとか、移動方法は潜水器具でケルベロス・デンの地下水脈を移動してるとか。もし、会えたら、ちょっと仕事のペースを落とすよう忠告するね。凄腕だけど、クライアントを無邪気に信じすぎてる気がする。だって、最近の殺しを全部把握してるんだから、やろうと思えば、どこかの軍隊に自分たちの殺しの全容を暴露して、どうぞ攻め込んでくださいってお願いできるしね。そうなると、使い捨てにされる日は迫ってる。ところで、ベル。きみはこの殺し屋と何の関係が? 誰か殺したいっていうなら、僕らがロハで引き受けるのに」

「いや、別に殺してもらいたいやつがいるわけじゃなくてさ。ただ、オレ、その仕事ぶりを讃えて直接会ってお礼を言っても、バチは当たらないかなって思って。だって、そうでしょ? このペースでその双子がゴミ掃除をしてくれれば、ひょっとすると、どこかの物好きな国がケルベロス・デンを併合する気を起こしてくれるかもしれないじゃん。この街もみなしごみたいな自治権捨てて、もうちっとまともな国に支配されたら、ラジオの番組も増えるだろうし、話の分かる自動車マニアが安心して住める場所になれるかもしれないだろ?」

「ベル、あんた、それマジで言ってんのか?」


 適当な作り話をしたつもりでいたのだが、だんだんそれがベルの本音に変わりつつあった。

 それもこれもどこかのクソバカ野郎がベルの持ち物のなかではペニスと同じくらい大切な栗色のエル・レイ・コンバーティブル・クーペを盗み、一週間後にシートにクソをされ、ラジオを引っこ抜かれた状態で発見されたことが原因なのだ。


 クライビーのガレージにひとまず預けたが、カネが用意できるまではシートのクソだって取り除かないと宣告され、ベルはこの二ヶ月移動に乗合馬車を使っていた。

 愛車がガレージの庭に野ざらしになっていることを考えると、ベルは気も狂わんばかりになり、危うくマッド・ジュースからカネを借りるところだった。カレンヌの金貨で愛しのエル・レイはベルの手に戻るわけだが、またクソ馬鹿がクソ垂れたりしないように手段を講じる必要があった。

 ベルは車泥棒との終わりなき抗争に終止符を打ってくれるなら、ケルベロス・デンの持ち主が帝国になろうが共和国になろうが、どうでもよかった。


「おい、ベル。あんた、頭大丈夫か? 何だか急に変な顔になってるけど」


 ベルは愛車に侮蔑を施されたカー・キチガイの顔を何とかマイルドなものに変えようとした。それには上等なキノコが必要なのだと分かると、ベルは一服つけて、ヴィクターとアレンにも勧めた。

 そこで三人リラックスして、また件の殺し屋双子の話になったのだが、孤児を仕込んで暗殺者にする組織はケルベロス・デンのなかだけでも二十五ある。どの組織も自分たちは関係ないと宣言している。それぞれの組織は伝書鳩で声明を知らせるだけにしておいたものから、ラジオ局に武装した暗殺部隊を向かわせて、公共放送を通じて宣言したものもあった。この連中のことなら覚えていた。『撃滅ミルキーウェイ・ガールズ』の第六十三話をきいていたら、いきなり音声が耳障りな摩擦音のようなものを発してドラマが途切れ、暗殺組織〈黒いサソリ〉の最高指導者なる老人が今度の双子殺し屋について自分たちの関与を否定し、さらにプロの視点から双子の正体を考察してみたのだが、最高指導者によれば、これはケルベロス・デンのカルマから生み出された悪の権化であり、遅かれ早かれこの街は悪によって浄化されるだろうと矛盾も承知の意見を言ったが、直後に警官隊が踏み込み、壮絶な銃撃戦の末、皆殺しにされた。そのとき、警官たちはラジオ放送が続いていることを知らなかったので、安月給にイラつく下っぱのおまわりさんが〈黒いサソリ〉のメンバーを一人一人嬲り殺しにする音声がケルベロス・デンじゅうに放送された。全てが終わって、放送が再開されたころには古典文学の朗読という誰にも用のない番組が流され、それ以来、『撃滅ミルキーウェイ・ガールズ』の第六十三話は電波のひずみへ消えてしまい、それを聴いたものはいない……。


 ヴィクターとアレンはベルが特別に調合したミックス・スペシャルの紙巻をもらって帰っていった。アレンは自分が運転すると言い張ったが、ヴィクターがうんと言わなかった。


「なんでおれが運転しちゃ駄目なんだよ」

「アレン。きみ、信号のランプが何を意味してるか分かる?」

「そんなの知ってらぁ。馬鹿にすんな。青は進め。黄色は注意して進め。これで合ってるだろ?」

「赤は?」

「赤? きれいな色じゃねえか」

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