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1.

 たとえば、ある男が十階の窓から飛び降りるとする。

 で、ベルはこれまで百回、窓から落ちて死んだ男たちを見ている。

 ベルは言う。バカな真似やめてピースフルにいこうぜ。

 でも、そのバカはきく耳持たずで飛び降りて死ぬ。


 ケルベロス・デンに住むというのはそういうことだ。ろくな目に遭わないのははっきりしてるのに、それでも飛び降りる。


 ただ、十階の窓とケルベロス・デンの違いは、十階の窓はひょっとしたら奇跡が起きて、飛び降りても無傷でいられるかもしれないが、ケルベロス・デンは無傷でいたところで結局地獄に落ちたのと変わらない。


 だが、救いようがない罪びとにとっては、クリスタルのように透き通った青いアーチがいくつも重なってできる清楚な都市のほうが嫌だってやつがいる。密造酒を浴びるほど飲んで目ン玉つぶしたいとか、カードでイカサマやって腕へし折られたいとか、街じゅうの高利貸しからカネを借りまくってどこまで逃げ切れるか試したいとか。


 ケルベロス・デンはそうした願いを全て叶える悪のカルマの中心地。大昔の騎士団の建物をクソ壺にしたり、飲料水のため池にバラバラ死体を放り込んだり、どこかの建物でヤバい感染症が出ると、軍横流しの火炎放射器で建物ごと患者を焼き払ったりする。警察は街で最悪なギャングの一つで、〈蜜〉を吸わせるキセル窟が廃人をせっせとこしらえ、法は機関銃で書く。探せば、天使の心をもった娼婦が見つかるかもしれないが、それは十階の窓から飛び降りるのと同じだ。


 ろくな目に遭わない。成果ゼロ。


 そんなこの街を三十年前、太陽が見捨てた。それ以来、この街はずっと夜のまま。太陽にしたら懲罰のつもりだっただろうが、ケルベロス・デンは名実ともに眠らない街の称号を獲得して、以前よりも三十倍はたちが悪くなった。


 ベルサリエリ・“ベル”・ジェイスがカレンヌ・アステン=エンテ少佐の訪問を受けたとき、ベルは家庭用サイズのゴミバケツに頭を突っ込んでいる真っ最中だった。

 いつもは刻んだ乾燥キノコを煙草の葉と混ぜて、火をつけて吸うのだが、呼吸器官ばかりではなく消化器官にも等しくチャンスをやるべきだと思ったベルは一度巻いた煙草をぶつ切りにして、一つずつ、どうかトリップしますようにと願をかけながら飲み込んだ。

 これが胃に到達するや内臓を全部吐き出してしまうくらいの吐き気を催し、ベルはゴミバケツに突進した。


 さんざんゲーゲーやってバケツから顔を上げたとき、重騎兵用のサーベルを佩び、近衛連隊の軍服を着たカレンヌを見たベルはまたバケツに顔を突っ込んで、嵐が過ぎ去るのを待つのも悪くはないかもしれないと思った。

 だが、カレンヌの凍てつく視線を浴びながら、ベルは名うてのキノコ吸いマッシュルーマーにしてケルベロス・デンで唯一人の私立探偵として、できるだけクールにふるまうべく立ち上がり、デスクにかけて、扇風機をつけ、ブラインドを開いて、ある種の光は人をクールに見せるという雑誌の入れ知恵を信じて、売春宿のネオンの光が入るようにした。


「ハロー、カレンヌ。五年ぶりだっけ? てっきり恩給もらって自伝なんて書いたりしてるかと思ってたけど」

「黙れ、ベルサリエリ」

「はいはい。でも、一つききたいんだけど、これって有給取って遊びにきたわけじゃないよね? てことは、ま、まさか仕事の依頼?」

「そうだ」

「分かるよ。それってすごい屈辱だよね。おれに依頼だなんて。こんなことなら敵に捕らわれてレイプされちゃいそうなところで、くっ、殺せ! って言ってたほうがずっと、その、なんちゅうか――プライド? かなんか知らんけど、とにかくかっこがつくよね。おれに用があるってことはキノコのおすそ分けを期待しているわけじゃないみたいだけど」

「単刀直入に言う。探してもらいたい人物がいる」

「オーケー。名前と特徴を教えてちょ」


 ベルはできるところを見せようとタイプライターに紙を挟んでみたが、いざやってみるとカレンヌの言うことを一言一句タイプするかわりに、お気に入りのラジオドラマ『服を着ててもエロい』で何百回ときいたコンドームのコマーシャルのセリフを打ち出していた。薄い、強い、漏らさない。人類の再生産システムに中指を立てろ(きっと中指にもゴムをかぶせているのだろう)。


 それでもベルに備わった自己保存のための本能が大切な言葉――というか、今になって胃袋から効き始めたキノコのもたらす第六感で、その探し人が二つに分裂して、というより双子の殺し屋で、二人の年齢を足してもベルの年齢に足りないガキんちょのくせに、相当殺しまくっているようだ。

 エミリオとエミリアというのが双子の名前なのだが、問題は――、


「ねえ、カレンヌ。そのヤバい双子とどんな関係にあるの?」

「お前には関係ない」

「だって、こんなん変じゃん。殺し屋ってキノコみたいにじめっとしたところ探せば、生えてるようなもんじゃないでしょ? ほら、先行投資っていうか。そんな双子、相当のカネとコネを握ってるやつじゃないと作れないような代物じゃん。どう考えても、あんた向きの仕事じゃないよ。塹壕から飛び出して突撃するとか、サーベル一本で戦車に刃向かうとかなら分かるけど、双子の殺し屋を追いかけるなんて、どう考えても――」

「お前が詳しいことを知る必要はない。進展があったら、ここに知らせて欲しい」


 そう言いながら、カレンヌが置いたメモを見たが、そこの住所を見て、どうやらカレンヌはのっぴきならないことに巻き込まれているらしいとベルは確信した。

 辻馬車乗り場のあるロータリーと竜職人街のあいだにある大蛇リヴァイアサン通りは、万人の万人に対する闘争の真っ最中で住人たちはお互いの一日をクソまみれにしてやろうとあれこれ悪巧みをしていた。ドアの前に小便したり、ゲロ吐いたりするのは序の口で、ひどいのになると、誰かが隠しておいたヤクをベーキングパウダーとすり替えたり、人生台無しにしてやりたいやつの名前を騙ってマッド・ジュースやクレージー・サム・ドレッドノートといったケダモノ高利貸しから借金しまくったりとヤバさの点ではケルベロス・デンのなかでもトップクラス。


 カレンヌはそこの安ホテルに泊まっているのだが、どうして王国領事館を頼らないのだろう? もっと快適で、カレンヌのクソ厳しい倫理規定が満足をもってクリアしているヤサがいくらでもありそうなものなのに。


「おっかしいよなあ。これ、命令とカネの出元はどこなの?」

「お前に言う必要はない。報酬について心配なら――」

「ヘーイ。心配してるのは、ほら、おれのことじゃなくて、あんたのことだよ。だって、いきなりケルベロス・デンに現れて、まだ荷物の紐も解いてないでございって顔して、おれのところに寄ってきて、人探ししろ、双子の殺し屋を探し出せってヤバい案件ケースを持ち込んで、泊まってるホテルがリヴァイアサン通りにある? なあ、こんなの三歳の甥っ子でも、裏に何かあるって感づくぜ」

「お前に甥なんていないだろうが」

「いたらの話」

「とにかく、仕事は頼んだ。これは前金だ」


 そういって、置かれた革袋は目から透過光線を飛ばさなくてもわかる。中身はベアトリス金貨だ。紙幣に切り下げの噂が出るたびに人間をきりきり舞いさせる黄金の売女ゴールデン・ビッチ。それがずっしり。


 カレンヌがサーベル色の艶やかな沈黙を残して去ると、ベルはキノコを巻いて一服つけた。宇宙を満たすエーテルがベルの脳みそと同調して、この依頼がもたらしてくれるであろう未来を垣間見せてくれたが、その未来ときたら自動車から機関銃を乱射されたり、セメントの靴を履いて海にダイブしたり、ケミカル切れをおこしたジャンキーたちに囲まれてケツとチンポをちゅうちゅう吸われたり、といった具合で、もしベルが妊婦だったら、胎教によくないと文句をつけたところだろうが、ベルは妊婦じゃないし、それにたぶん妊娠もしない。そのはずだ。

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