ただあなたに愛されたかっただけ…(上)
「ごめん、なんかもう冷めたわ…」
そういわれた瞬間、私の中でも何かが冷めていく感覚がして…新しい彼女に手を引かれて去っていく彼氏の後姿を見ていくうちに自分が夢から冷め切ったのを悟った。
惰性で、まるで会社帰りの飲み会の帰り道みたいな千鳥足で、いやそれとも違う妙に視界だけがはっきりとした足で家に向かう。
何がダメだったのか…会社だって働いて…それで彼氏にお金が必要だって言われて…一生懸命稼いだお金を渡して…何時の間にか私は…カモになっていた…。
ああ、こうやって捨てられていくんだなと私は何処か他人事のように達観したしたようにその残酷な現実を受け止めていた。
ただ…受け止め切れなかっただけかもしれない、そうしないと心が今にも壊れて消え去ってしまいそうだったから。
今にも道路に飛び出してしまいそうな足を必死に押さえつけた。
誰のために…私は生きているんだろう?
もう…生きる価値なんて…あるの…かな…?
気が付くと家についていて…丸く模ったロープを椅子の上に立って握りしめていた。
ああ、体がもう生きる意味なんてないって言ってるんだな…。
そう、思った瞬間だった。
バンッと玄関の扉が大きく音を立てて開け放たれた。
はぁはぁと荒い息をたてながらそこに立っていたのは、中学校が別々になって以来ちょくちょくメッセージでしか連絡を取っていなかったはずの幼馴染の明だった。
今更こんな時間に何をしに来たのだろう…ただ見られているとやりづらいなと一瞬思った。
「…ってめ…ぇ…何…やってんだよぉ!!」
その瞬間、明はどたどたと音をたてながら家の中に入ってきて私の体をつかんだ。
そこからは記憶があいまいで気が付くと私はベットで横になっていて、横には明がいた。
後に聞いた話だと、私はやめてやめてと言いながら激しく抵抗していたらしい。
「え……あ…きら…?」
私が目を開けて驚いていると、横を向いていた明がこちらに顔を向けてきた。
「目…覚ましたかよ…」
「なんで…なんで…こんなところ…いるの…?…それに…住所は…?」
「そーいうめんどいことはいいから、お前のことを聞かせてくんね?」
私の波のように押し寄せる疑問をすべてよそに、明は私のことを聞いてきた。
その強引な態度に、当時の私は苛立ちを覚えた。
ただそれが…妙に懐かしくて…気が付くと目からは涙がぽろぽろと流れていた。
中学校の頃は…こうして明とバカやってたな…。
そう、懐かしくて…つい…。
何時の間にか、私はもう生きる価値を考えることはなくなっていて…。
明にどこから話そうかと考えていた。
明は何処から話したら受け止めてくれるんだろう…嘘をついてでも自分を取り繕った方がいいのかな…。
そんなことが浮かんでは消えを繰り返していたが、ついに私は観念した。
いや…明ならきっと…!
「明…」
「何?」
私が話しかけようと顔を上げると、目が合った。
大きい目、昔からそうだったけど。
ただ大人になってもやっぱり明は明なんだな…そう思って何か心の奥でほっとした。
「私…振られたの…」
「うん、知ってる」
「仕事で稼いだ金も…全部持ってかれてさぁ……もう…空っぽになっちゃって…」
「それで…これか…?」
私の言葉を先回りして、明は私がさっきまで立っていた椅子の上を指さす。
そこには、つるされたロープと倒れた椅子が転がっていた。
これを見れば…誰でも私がしていたこと大体は察しが付くだろう。
ただ、私は今になって気が付いたことを明に尋ねてみた。
「ねぇ…なんで明は私がその…これしようとしてるって…わかったの?」
「ああ…お前…前会った時さ…彼氏の話してただろ?」
「ああ…うん…ごめん…自慢してたわけじゃなくて…」
明は今まで、彼女はいない。
それで気分を悪くしてしまったのだろうか?
「いや…そういうことじゃなくってよ」
「お前…その時話してた内容…覚えってか?」
「うーん…ごめん…覚えてないかも」
「そん時さ…お前…彼氏に貢いでるっぽいこととか言ってたぞ…」
「え…」
「いやまぁそんな直接的ではないけど…それっぽい…例えば金貸しても返ってこないとか」
まったく身に覚えのない話だった。
その話をしたこと自体忘れていたし、忘れていたのなら覚えていないだけで他の人にも同じような内容の話をしている可能性も出てくる。
「それでさ…今日なんとなくお前んちの前通りかかったから来てみたら…」
「ごめん…」
「インターホン鳴ってたの…気が付かなかったか?」
「まったく…気が付かなかった…」
「なんかさ…あんだったら言えよ?起こってからじゃ遅いんだから」
「ごめん…」
ただ一言、ごめんしか言えなかった。
相談…しなかったわけじゃない…出来なかったんだ…。
彼氏に…夢中になりすぎてて…他のことを…それこそ忘れるくらい夢中になってて…。
自分と彼氏のことで手一杯だったから…相談するなんて…考えることも出来なかった…。
「私…多分凄い無理してたんだと…思う」
「彼氏と自分のことばっかり考えてて…それしか頭になくて…本当…私が全部どうにかしなきゃって…思ってた…」
「…そっか…」
何か一気に自分の思いがあふれてきて、明に一方的喋ってしまっていることに気が付いてはっとする。
「あ…ごめん…私ばっかりしゃべっちゃって…」
「いやいいよ…俺は相談を受ける側だからさ…むしろ普通」
「…ありがと…やっぱり変わんないね…明は…」
「でも…ちょっと大人にもなってて…」
その時自分が明に対して凄い場違いな感情を抱き始めているのに気が付いた。
そしてそれはもう…自分の中で抑えがきかないところまできていて…。
「明…今…彼女とかって…いるの?」
明の顔を真正面から見れない。
だってこれじゃ、私がすぐに乗り換えるみたいなもの…。
そんなの…何より明が許してくれるはず…ない…。
「いや…?いない…」
「今も昔も、お前一筋だからな」
その言葉に、私の体と心は硬直した。
一筋…?誰に…?私に…?
「学生時代からずっと、お前一筋だ」
「だからずっと相談も乗ってたってのもあるし、お前が彼氏自慢してたりしてる時は…ちょっと複雑だったけど…」
「そう…なんだ…」
私はあまりのショックに、それしか言葉を絞り出せずにいた。
正直どう頑張っても、これまでのように明を見れる自信がない。
「答えは別に急いでない。学生時代からずっと待ってんだ、待つことには慣れてきたしこれくらい苦じゃねえよ」
「うん…ありがと…」
私は思わず、向き合っていた姿勢を崩して反対を向いた。
明もそれを察してくれたらしく、ふとんのこすれる音が聞こえた。
「寝るか?」
「そう…だね…」
すると、後ろから手が伸びいてきて私の体を包み込んだ。
「っ…!」
思わず私は体を震わせたが、そのぬくもりに嫌悪感を抱いたわけではなくただびっくりして驚いただけ…。
「びっくりしたか…?」
耳元で…それこそ唇が耳に当たるんじゃないかともう程近くで吐息を一緒になってささやき声が耳をくすぐる。
恐らく私の顔を今すぐにでも噴火でもしそうなほど赤くなっているだろう。
「耳…赤くなってる…けど…」
そう言われると、ますます顔全体が熱を帯びてくるのがわかる。
これはもう…狙ってやってるとしか思えなかった…。
何も言えずにただ私がうつむいていると、明が私のうなじに顔をうずめてきた。
「……っ…」
思わず一瞬声が漏れる。
ただそれが思っていた反応と違ったのか、明は続いて首筋を伝ってうなじを下で舐めてきた。
「ちょ…ん…それ…やばい…から…」
私の声に満足がいったのか、明がニヤリと笑うのが見えた気がする。
こういう時に意地悪になるのは、彼氏もそうだった…。
いやでも思い出してしまう。
「私…やっぱり…」
「ん?」
明が私の顔を下から覗き込むようにして見てくる。
「私…明に認められるような…そんな女じゃないの…」
気が付くと、涙が1滴2滴とぽろぽろと出始めたかと思えば思いとともにどんどんとそれが大粒になっていく。
「それを決めるのは…俺だよ」
明は後ろから優しく、そっと私の涙を手でふき取る。
「こんな私でも…?」
「そんな茜だからいいんだ…俺は」
私はこの時、救われた。
いや…それは救われた気になっていただけかもしれない。
ただそれでも今は…私をここから救ってくれるのは…明しかいないと思った。
「明…私…も」
「ん?」
「私と…付き合って下さい…」