第9話 “完全勝利”
マウンド上の高崎は軽くグラブを叩く。
「今度こそ行きますよ! 作田先生!」
大きく振りかぶり、高崎は一球目を投げた。
厳密には四球目だが、時間が巻き戻っていることを、俺以外知る者はいない。
初球はストレート……だったな。もう球のイメージは出来てる!
すでに球種、球の軌道を把握しており、完全に俺が優位に立っている。
「もらったーー」
今度こそ、捉えた!! と、思ったのだが……
ストレートが来るはずが、直前で球は落下。またしてもバットは空を切る。
「フォークだと!? バカな! 初球はストレートじゃないのか!?」
予想とは違う結果に俺が声を荒らげていると、黒瀬があの淡々とした口調で言った。
「そんなの暗黙のルールですよ。初球から変化球だって場合もあります」
いや、違う……俺は野球のセオリーの話をしたのではなくてだな……どうなってやがる……
「黒瀬、球種はピッチャーの高崎に任せてる……のか?」
「えぇ。でも高崎の頭に配球なんてものはないでしょうね。普段は俺がサイン出してますし」
「じゃあ、どうやって彼は球種を決めてるんだ?」
「あいつとは付き合いが長い俺だから分かりますけど……“気分”じゃないですかね」
その時の気分だと!? じゃあ……高崎本人も投げる直前まで、どうなるか分からない……だからアットランダムってわけか……
「高崎ーー! 野球は頭を使うスポーツって聞いたぞ! 頭使って投げろーー!!」
「なにをーー!? 知ったような口を利かないでくださいよ!」
野球素人の俺に言われるなど心外だろう。
この離れた距離からでも、高崎が苛立っているのが分かった。
「お喋りはここまでだ! 作田先生!!」
──罠にかかったな。高崎!
彼は今、頭に血が上っている。だから、投げてくるはずだ! 力を込めた……ストレートを!!
俺はストレートにタイミングを合わせて、バットを振りにいった。
だが、思ったよりもボールのスピードは遅く、中々こちらまでボールがたどり着かない。
フォークなら、もっと速かったはず……ストレートでも、フォークでもない!? これは……“カーブ”!!
フォークボールよりももっと緩い速度かつ、大きく曲がるカーブに、俺は完全にタイミングを狂わされた。
一旦バットを止めようにも、全力で振ったバットの勢いは止まらない。
中途半端なスイングとなった俺のバットは、撫でるような優しさでボールに当たった。
全く勢いのない打球は、ピッチャー高崎の前へと亀が歩くよりも遅い速度で転がっていく。
「はーい、ピッチャーゴロ! 俺の勝ちっすね! 先生!」
ぐっ……ちゃんと頭使って投げてるじゃないか……高崎!!
二度目の勝負も俺の負け……潔く俺も負けを認めたかったが、この世界では、そうも行かないらしい。
またもや景色は色を失い始め、時間が勝負の前へと巻き戻ったのだ。
またか……もしかして、これ……
俺がヒット打って勝つまで、終わらないやつか!?
最初は負けてもやり直しが効くため喜んでいた。
しかし、高崎に勝つことは困難を極める。このままでは無限ループに陥る危険性がある……決して、喜ばしい出来事なんかではなかったのだ。
「男と男の勝負ですからね、高崎先生!」
このセリフを耳にするのも三度目。そろそろ聞き飽きたぞ。いい加減、終わりにしたい。
「なぁ、黒瀬。高崎にストレート投げるようお願いしてくれないか?」
「八百長ですか? よくないですよ先生。真剣勝負なんでしょう?」
無駄だったか……タバコを吸ってる犯人のくせに……どいつもこいつも野球に関しては真面目だな!
やはり実力でどうにかするしかないようだ。
何度やり直したところで、お互いの体力は元通りなわけで、疲労を感じることはない。
この事実を唯一知る、俺の精神力だけが削り取られていく。
打てる確率は下がる一方だ……早いとこ、この地獄から脱出しないと大変なことになるぞ!
──そして、その後、何度も何度もチャレンジし……とうとう俺が勝利を手にする瞬間が訪れる。
球種を読むことを諦め、適当に振ったバットに、心地よい金属音が鳴り響いた。
俺の打った球は内野の頭を越えていく。
六人しか揃わなかったスカスカのグランドではケチがつくはずだが、きっとこの打球なら関係ないだろう。
仮に九人全員の選手が揃っていたとしても、間違いなくヒットと呼べるはずだ。
「おおっ!!」
上原の驚きをあげる声が聞こえる。
「凄い!! 作田先生凄ーーい!!」
更に一番聞きたかった、相澤先生が俺を褒め称える声だ。
「よっしゃーー!!」
思わず俺は雄叫びをあげた。
勝負に勝っただけではなく、ようやくループから脱出できるのだから。俺の気分は最高潮に達していた。
ここまでたどり着くのに相当の時間を要してしまった。
負けては仕切り直しをひたすら繰り返し、勝利を掴んだのは──十三回目の出来事だった。
「っしゃ! よっしゃ! よっしゃーー!!」
嬉しさのあまり、俺は何度もガッツポーズを決める。興奮し過ぎてバットを手離すことすら忘れて。
「なんだよあれ……中学生相手に勝ったくれぇでよ。大人げねぇな」
「高崎の球を打ったのは本当に凄いことだと思うけど……これじゃあ感動も薄れる」
ん!? 高崎に黒瀬が何か言ってるか?
知ったこっちゃない。今は喜びに浸らせてくれ。なにせ俺は今、最高に気分がいいんだ。