第8話 “仕切り直し”
長袖シャツに、ベージュのチノパンを履いた男が、バッターボックスに立っている……
周りから見たら不思議な光景だろう。明かに野球をするような格好ではない。
野球場に来ることが分かっていたため、スニーカーを履いていたのがせめての救いだ。
相手ピッチャーは源光中エースの高崎。受けるキャッチャーは黒瀬。
内外野には野球部二年生の数名が配置につく。
「頑張ってーー!! 高崎君、作田先生ーー」
勝負を見守る、相澤先生の黄色い声援が飛んだ。
先に俺の名前ではなく、高崎の方が来てるのが気にくわないが……まぁいいだろう。
こうなったら……やってやる!!
「男と男の勝負ですからね、作田先生!」
ピッチャー高崎は振りかぶり、渾身のストレートをキャッチャーミット目掛けて──投げた。
速っ……なんだ今の球……
初球から思いきり振ってやろうと思っていたが、想像以上に高崎の球は速く、気がついたらミットにボールが入っていた。
「はい、ワンストライク」
公式試合ではないため、審判を兼任するキャッチャー黒瀬がコールする。
「くそっ……」
外で見てるのと、打席とでは全然印象が違う!! こんなに速かったのか、あいつの球は!!
「次、行きますよ! 先生!」
意気揚々と高崎が二球目を投げる。
多少一球目で目が慣れていたのか、今度は振ったバットがボールをかすった。
「ファール。おしいですね、先生」
テンションの高い高崎とは違い、黒瀬はずっと冷静だった。
キャッチャーマスクを被っているのもあってか、何を考えているか読み取ることができない。掴み所がないと言ったところか。
「あと一球ですよ、先生」
「分かってる。次は……打つ」
一打席の勝負のため、次で打てなければ俺の負けが決まる。
負けたってどうってことないが……やるからには俺も勝ちたい。
俺だって、相澤先生に──褒められたい!!
そして、勝負の三球目が高崎の右手から放たれた。
ん!? 投げミスか!? さっきよりもボールが遅い!!
どうやら勝負の場面で高崎は力んだらしい。スピードが若干、一、二球目よりも遅かった。
「もらったーー」
俺は勝利を確信した……が、やはりそこはエース高崎。こんな場面でミスるわけもない。
捉えたと思ったボールはバットに当たる直前、急にブレーキがかかり、沈んだのだ。俗にいう──フォークボールである。
「フォ、フォークだと!?」
バットは完全に空を切った。
空振り三振……あっさり勝負は決まってしまった。
「はい、終わり。残念でしたね、先生」
愛想のないセリフ。抑揚のない声のトーン。キャッチャーマスクのせいでよく見えない顔……
表情が豊で分かりやすい高崎より、俺は黒瀬に腹が立っていた。
「黒瀬!! フォークって、お前の要求か!!」
「違いますよ。今回は高崎が挑んだ勝負ですし、決めてるのは全部高崎ですよ」
俺は冷静沈着な黒瀬とは裏腹に、怒りの感情を今度は高崎へとぶつけた。
「おい、高崎!! フォークボールなんて中学生が投げていいのか!? ルール違反だろ!!」
「ルール違反なのは少年野球まで。中学では問題ないですよ!」
「いや、だめだ!! 変化球は体に負荷がかかり、成長期の中学生には不要。よって、ルール違反とみなし、おまえの負けだ!! 高崎!!」
「えぇーーっ! なんすかそれ、言ってることめちゃくちゃですよ! 俺の勝ちは変わらないですから!」
聞いてないぞ、フォークを投げれるなんて!
だいたいこんな遊びに変化球だなんて……
「あっ……」
ふと俺が相澤先生を見ると、先生は大きな口を開けながら俺の方を見ていた。小さな両方の手で口を抑えているが、収まりきっていない。
空いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
やっちまった!! ついムキになって、生徒達の前で口調が荒くなってしまった……
「あの……上原先生。作田先生って普段おとなしいですけど、あんな一面があるんですか……?」
「えぇ、あれが彼の本性です。見てしまいましたね、“ブラック作田”を」
「なるほど。人間誰しも、裏の顔ってありますからね……」
相澤先生……納得してるようだけど、全然目が笑ってない!!
勝負に負けるどころか、失ってはいけないものを失ってしまった気が……
やっちまった……完全にやっちまった!!
俺が落胆していると、マウンド上で高笑いをしていた高崎の笑い声が……突然止まった。
「えっ……」
俺が高崎の方に目をやると、高崎は大笑いした状態で体が固まっている。
そして、次第に辺りの“色”が失われ始めた。
「もしかして……これって!!」
事態に気づくも、次の瞬間には、一度出たはずのバッターボックスの中に俺は立っていた。
少し離れた先には、ピッチャーマウンドに立っている高崎の姿がある。
「男と男の勝負ですからね、高崎先生!」
この光景……前と同じだ!! 時間が巻き戻っている!!
慌てて俺はバッターボックスから足を外し、タイムをかけた。
「ちょっと待った! タイム! まだ投げないでくれ!」
「なんすか先生、せっかく気合い入ってたのに……」
文句を垂れながら、高崎は足でマウンドの砂をいじる。
勝負が振り出しに!? はっはっは!
これが主人公補正ってやつか!?
よっしゃ、仕切り直しだ! 観念しろ、高崎! 次こそは打ってやるぜ!!