第6話 “イベント”
日常生活は、ある程度行動が限られている。
朝起きて、仕事に行って、終わって帰ったら寝ての繰り返し。
俺は今、小説の中の世界にいるんだ。
そんな何の見所がない部分を、あえて小説のストーリーとして書くわけがない。
何らかの“イベント”が起こるまで、それらはすべてカットする。
恐らく明日の野球部の練習試合は、俺と相澤先生が仲良くなる重要なイベントなのだ。
例え、そのようなイベントに絡まないシーンでも、小説の中にいる俺らキャラクターは当たり前のように生きている。
本編で描かれることのなかった日常を過ごしている。
俺は昔から「作品のキャラクターは生きている」という持論があった。
小説を書いていると、キャラ達が作者の予期せぬ行動を取ることがあるのだ。
中には「そんなことはありえない」という作家もいるだろうが、俺はそう信じていた。
別にどっちの考えが正しかったという話ではなく……その事実が、ただただ俺は嬉しかった。信じていてよかったって、心から思えた。
・・・
翌日の朝、俺は相澤先生に教えてもらった野球場へと向かった。
いざ、たどり着いて俺は確信する。間違いなくこの場所は、俺が昨日見た映像と同じ場所だ。
ここには初めて来るため、勘違いってことでもなさそうである。
すでにグラウンドでは源光中学校の野球部、相手チームの選手がウォーミングアップを始めている。
俺がノックを受ける生徒達をボーッと眺めていると、背中越しに誰かが声をかけてきた。
「よっ、作田!」
「──あぁ、上原か」
どうやら相澤先生よりも先に、俺らが着いてしまったらしい。
同じ学校の教師だし、部外者ってわけではないが、誘われてもいない俺らだけがいるのもおかしな光景だ。
「いるのか? この中に……怪しい犯人が」
「おいおい、生徒達を犯人呼びするのやめろよ」
上原は自分が警察官にでもなったかのように、生徒達の動きをチェックしていた。
まさか練習中にタバコを吸い始めるわけがない。熱心に見たところで無駄だろう。
「まぁ一番怪しいのは……一組のピッチャーの高崎だよな!」
「だからやめろって! 決めつけたら可哀想だろ」
「なんだよ……やけに高崎の肩を持つじゃねぇか」
確かに普段の生活態度で、高崎が疑われるのは仕方がない話なのかもしれない。
「いや、見た目だけで決めつけるのはよくないってだけだよ」
今の段階では、誰がタバコを吸っていたか分かるはずないが、俺はある一人の人物をひたすら目で追っていた。
その人物とは、相澤先生が担任している二年一組の生徒──“黒瀬”だ。
何を隠そう、この黒瀬こそが……タバコを吸っている生徒なのである。
俺は自身の書いたストーリーの一部を思い出していた。
黒瀬は高崎とバッテリーを組む、レギュラーキャッチャーだ。成績も優秀で、生活態度もいい。にわかには信じがたいが、やはり人は見た目では分からない。
黒瀬とは対照的に悪さが目立つ高崎だが、彼は野球に関しては真面目だった。
中学生と若い身体に悪影響を及ぼすタバコには、手を染めることはなかったのだ。
まさか黒瀬が“犯人”とは誰も思うまい……
おっと……俺も上原の言い方が移っちまったじゃないか。でも正直、こっちのが呼びやすいな。
犯人はおまえだ──黒瀬!!
「今日はありがとうございます。先生達」
俺が名探偵に成りきっていると、背後から聞き馴染みのある声が聞こえた。
「相澤先生!」
そこにいたのは、普段職場で着ているスーツとは違う、私服姿の相澤先生だった。
「こ、こんにちは」
思わず見とれてしまった俺は、慌てて挨拶した。
それに対して、相澤先生は俺達に深々と頭を下げる。
「こんにちは。何だかすみません、お休みの日に来てもらっちゃって」
「いえ、いいんですよ。相澤先生も休みなのは変わらないですし。どうせ暇だったので。なぁ、作田先生!」
「えぇ、全然平気ですよ。ははは……」
俺は滅多に見れない、先生の貴重な私服姿を目に焼き付けようと必死だった。
この後に続いた、上原の小気味なトークも、ほとんど耳に入りやしない。
へぇ~……先生って普段はこんな服装なんだ。悪くないな! うん、悪くない!
九月の下旬ということで、少し肌寒くなってきており、相澤先生は黒のワンピースの上にベージュのカーディガンを羽織っていた。
シックな大人しい雰囲気で、先生の性格にもよく似合っている。
大好きなあの子の、ファッションセンスに幻滅……なんて話も聞かなくはない話だ。
この時期&生徒達がいる場で、派手な露出のある服で来られたらどうしようかと思ったぜ。
まぁ相澤先生は俺の妄想が生み出したキャラクターなんだ。服装も俺の好みになるのは当たり前か。
俺が偉そうにファッションチェックをしていると、そこに練習を終えた生徒達が、グランドからこちらの方へと歩いてきていた。
「あ! 相澤先生! 本当に来てくれたんですね!」
真っ先に高崎は相澤先生の存在に気づいたようで、満面の笑みで手を振っている。
だが、すぐさま高崎は顔をしかめた。
「げっ……なんで作田と上原までいんだよ……呼んでねぇぞ」
どうやら俺達がいることも知ったようだ。
もう少し小声で愚痴を溢せばよかったものの、高崎のテンションが上がっていたせいか、俺達に丸聞こえだ。
「おーい! 聞こえてるぞ、高崎!」
俺は聞こえないフリをしたが、上原は許せなかったらしい。
「先生に向かって呼び捨てかー!」
「あ、すみません! 上原先生に作田先生も観に来てくれて嬉しいっす」
高崎は慌てて野球帽を取り、感謝を述べるが、全く言葉に気持ちが込もっていない。
「それにしても相澤先生の私服姿いいですね! めっちゃ最高っす!」
そして、すぐさま話を相澤先生に戻し、再び高崎の顔は笑顔に包まれた。
「そう? ありがとう。試合頑張ってね」
「はい!」
相澤先生の登場により、高崎だけでなく、皆嬉しそうにしている気がする。
きっと生徒達のやる気も上がっていることだろう。
「ったく……調子のいいやつめ」
機嫌を損ねた上原をなだめる。
「まぁまぁ、ここは大目に見ようじゃないか」
「これから試合って時じゃなきゃ、もっときつく言ってやったのによ!」
うちの生徒だけでなく、相手チームの生徒達もいるからな。そんな場で怒鳴るのもよくない。
ひとまず、今は生徒達の応援をしようじゃないか。