第31話 “可能性”
金縛りにあったかのように、俺の体は固まっていた。
「あ、あの……相澤さん、今なんて……」
「私も二度と口にしたくなかった……私だって、未だに信じられない……」
相澤さんは泣き崩れ、顔を覆い隠した。
なぜ相澤さんがこの世界に来たとき、俺を見て泣いていたのか……その理由も分かった気がする。
「俺が死んでいる? そんなバカな! 俺はこうして、ここにいるじゃないか! ちゃんと生きている! これは一体どう説明するんですか!?」
俺は必死だった。相澤さんが答えのすべてを知っているとも限らない。それなのに、俺は真っ先に問いかけていた。
それは単に『大丈夫』って、『心配しないで』って、優しい言葉をかけて欲しかっただけなのかもしれない。
「分からない……私にも詳しい理由は……でも、これが……現実なの……」
「──!!」
だけど……相澤さんは可能性を否定し、俺に“現実”を突きつけた。
嘘だ……そんなの嘘だ!!
信じられない……いや、信じたくもない……!!
しかし、相澤さんのあの泣きっぷりを見ていると、相澤さんが嘘を言っているとは到底思えない……
俺は一気に全身の力が抜け、椅子にもたれ掛かった。
どこを見るわけでもなく、ぼんやりとただ一点を見つめた。
嘘じゃ……ないのか……? 全部本当の出来事なのか……?
終わったのか、俺は。死んじまったんだ……俺……
そんな、もぬけの殻となった俺の耳に、相澤さんの声が微かに届く。
「──それでも、ひとつ言えるとしたら……」
「えっ?」
俺はよく耳を傾けた。
「これは……“奇跡”なんだと思う。そして、今もまさにその奇跡は続いてるのだと思う!」
相澤さんの表情は明るかった。涙を流しながらも、なぜか笑顔を見せている。
俺は絶望していたにも関わらず、相澤さんの言葉からは、“希望”を感じ取ることができるのだ。
まだ終わってない……? 俺にも可能性はあるのか!?
その相澤さんが言う奇跡とやらが、一体何を指しているのか、俺には分からない。
けれど、僅かでも望みがあるというのなら……俺はそこに賭けてみたい!
「──教えてください、相澤さん! その奇跡ってやつを!」
「えぇ、もちろん! でも、その話をするには、色々と説明する必要がある。どうして私がこの世界にいるのか……どうやってこの世界に来たのか、そのいきさつを。私自身、ここにいることが、すでに奇跡みたいなものだから」
「えっ? 相澤さんがここにいるのは奇跡? 相澤さんは、外と中の世界を自由に往き来できるわけじゃないんですか!?」
「いえ、私もこの世界に来たのは初めて。はっきり言って、戻り方も分からない。それどころか、戻れることすらできるのか怪しいくらい……」
「そ、そんな……」
犯人を見つければ、俺は元の世界に帰れるものだとばかり思っていた。捕まえさえすれば、すべてが解決するのだと。
元々犯人を捕まえたって、何も解決はしなかったのか……いや、俺はもう死んでるのだから、そもそもが何をやっても無駄なんじゃ……
俺は再び、相澤さんの顔を眺めた。
やはり相澤さんの顔に悲壮感はない。
諦めてどうする! 俺! まだ相澤さんの話を何も聞いてないじゃないか! まだ分からないじゃないか!
諦めるのは、話を聞き終わってからでもできる……今は信じよう、その奇跡がもたらす可能性を!!
「──話してください! 相澤さんがここに至るまでの経緯を!」
「えぇ、あなたが望むなら。私はすべてを話します!」
「はい、よろしくお願いします!」
相澤さんは無理矢理涙を止めるために、自分の目を激しく擦った。すでに目は真っ赤に腫れている。
相澤さんは一度呼吸を整え、語り始めた。
「あなたが亡くなってしまったあと、私は寂しさでいっぱいだった……せっかくいい人に巡り合えたと思っていたのに……素敵な彼氏が、もうすぐできるって心待ちにしてたから」
「えっ、彼氏? それって、俺のことです?」
「そ、そう! 話の流れで分かるよね? 言わせないでよ」
相澤さんは恥ずかしそうにし、俺から目を背けた。
現実では俺と相澤さんが、あと少しで付き合うって感じだったのか。まさに小説のストーリーと一緒だ!
それは大いに嬉しい話だが……そこには、ある疑問が生じてしまう。
「いまいち理解できていないのですが、俺や相澤さん、その他のキャラもそうだけど……全部作者が生み出した架空の人物じゃないんですか?」
「いえ、そんなことはない。“全員”が実在する人物。あなたの仲良かった上原先生や、学校の生徒達、みんな現実に存在する」
「そうだったんですか! てっきり相澤さん自体も架空のキャラかと……外の世界から、“相澤美幸”のキャラに成りきって操作しているものばかりだと……」
「外から操作? 難しい表現だね」
「そうですね……例えるなら、ゲームのコントローラーを握るように、外から小説世界の相澤さんを操作するってイメージでしょうか」
我ながら、的確な例えを出せたと思う。
相澤さんも、しっくりきている様子だった。
「なるほど! それならイメージできたかも」
「その外で操る“誰か”が犯人と、俺は睨んでいましたから。正体も名前も分からない犯人を、俺は“外の世界の相澤さん”と呼んでいただけです。中と外にいる相澤さんは、まったくの別人だと考えてました」
「そういうことね。ううん、私は私だよ。安心した? 同一人物の相澤美幸だからね。もちろん私は中学校の英語教師で、あなたが国語教師。ありとあらゆる設定が、現実と同じになってるはず」
「設定までもが、全部同じなんですね! それで、俺が亡くなったあと、相澤さんはどうしたんですか?」
「私はね、あなたとの大切な思い出を、形に残そうと考えたの。そこで私は思い付いた。せっかくなら、あなたが大好きだった“小説”にしようって」
「じゃあ今までのストーリーは、俺と相澤さんとの間で、実際に起こっていたこと……? それを小説に書き起こしていたと!?」
「そう、“私小説”みたいなもの……って考えればいいかも。野球部のタバコ事件で仲良くなって、映画館でデートして……ってな具合で。少し現実とは違う部分もあるけれど、ほとんどが同じかな」
「それなら、本当にこの小説は……相澤さんが書いたものだったのか」
「だから、ずっと言ってたじゃない! 作者は私だって!」
嘘じゃなかったんだな……てっきり、誤魔化しているものだと……
──ん? 待てよ。それだと、また、おかしな点が生まれてこないか?
あらゆることが明らかになり、少しずつ話の流れが見えてきている。
しかし、俺はここで大きな謎に直面していた。
この小説は、間違いなく相澤さんが書いたものだった。
俺が『作った世界』ではなく、相澤さんの手によって、『作られた世界』だったんだ。
だとしたら、どうして俺はこの世界が、自分の書いた小説の世界だと、思い込んでしまったのだろう?