第3話 “禁句”
俺は家のパソコンの画面の前で固まっていた。
俺が自作小説の中に入った? いや、主人公になった?
そんなこと、ありえるわけがない。もしかしたら『これは全部夢なんじゃないか?』そう思った。
だが、この自分の意思とは別に、勝手に動く体……これはどう説明するのか。
また、今日一度起きた、辺りの色が失われ、時間が戻る怪奇現象。これについては全く説明ができない。
「やはり……そうとしか考えられない。仮に、そうだとしたら……」
完璧に受け入れられたわけではないが、もしこの仮定が合っているとするならば……果たして俺の作った小説は、どんなストーリーだったのだろうか?
「くそっ……よく思い出せない……」
しかし、いくら考えても出てこない。
一旦俺は心を落ち着かせ、今日一日に起きた出来事を振り返ってみた。
「今日の生活から何か導き出せるはずだ。よく考えろ……考えろ、俺」
元々は自分の書いたストーリーなのだ。自分自身が一番知っているはず。
ただ、どう考えても、おかしな現象を除けば、今日の出来事はどこにでもいそうな、ごく普通の教師の日常だ。
「何のヒントにもならないな、これじゃ……いや、待てよ」
そんなありきたりな話を俺が書くだろうか?
逆にこれがヒントになるのかもしれない。何気無い日常に、ひとつ華を添えるとしたら……
「──そうか!! 分かったぞ!! “恋愛”だ!! 俺が書いていたのは恋愛小説か!! “どこにでもいるような冴えない男が、美女と付き合える、ウハウハな物語”……」
く、くだらねぇ……客観的に見れば、何て馬鹿げたストーリーなんだ……
せっかく思い出せたものの、少し恥ずかしさを覚える。
けれども、元々はうまくいかない現実から逃避するために書き始めた、ただの妄想ストーリーだ。都合がよくなるのも当然なのかもしれない。
“美女”というワードが出て、真っ先に俺が思い浮かんだ人物は、同じ職場で英語教師の“相澤 美幸”だった。
「なるほど……悪かねぇな。俺の好みだ」
あくまで、小説だと文章の表現のみで、人物像は“イメージ”でしかない。しかし、俺は美女をこの目で見ることに成功している。
白い肌に、ぱっちりとした目。また、教師という職業柄もあるかもしれないが、今時珍しい黒髪のセミロングに薄化粧。
決して化粧映えしてるわけではないということが、これで分かる。例え化粧を落としても、モンスターはそこにはいない。
魅力的な相澤先生を筆頭に、俺に良くしてくれる社会科教師の上原、その他の先生や生徒……
数々の名脇役達が、俺の物語を盛り上げてくれるってわけか。
「いいねぇ。自分の妄想の世界を体現できるなんて、最高じゃ……」
──いや、待て待て。何を肯定的になってやがる。
これは俺の物語じゃなくて、作田の物語だぞ? 現実に戻る方法を考えよう……
だが、どうやってこの世界に入ったかも分からず、いつの間にか俺はこの世界にいた。
元の世界に帰る方法を見つけるのは、困難なことなのかしれない。
「……これはきっと夢だ。全部夢。そうだ、俺は疲れてるんだ。きっと。寝たら全部……全部が元通りだ」
実際に体が疲れているのもあったが、俺は早々に寝ることにした。寝ればすべてが元に戻っていることを信じて。
俺は小説の世界の中でも現実逃避した。
・・・
翌日。携帯の目覚ましのアラーム音で、俺は目を覚ます。
布団から起き上がり、見た景色は……昨日見た、1Kの“作田の部屋”だった。
「あぁ、そうかい。これは夢じゃないってんだな……仕方ない」
俺の願いも儚く散り、渋々現実を受け入れる。
また今日も一日、作田を演じなければならない。
いつもの朝のルーチンと思われる、食パンと一杯のコーヒーを飲み、俺は職場へと向かった。
・・・
──職員室にて。
「おはようございます。作田先生」
「おはようございます」
一通り先生達に挨拶をし、俺は自分の席に座った。早速一限目の準備を始める。
すると、学年主任の梅野先生が俺の席へと歩みより、声をかけてきた。
「おや? 今日は居眠りしてないみたいだね」
「はい、今日は大丈夫です」
「はは、そうですか。その調子で頼みますよ。生徒に示しがつきませんからね」
やはり学年主任とだけあってか、いちいち面倒くさい。まるで生徒のように、俺を監視しているように思える。
梅野先生が俺の席から離れるや否や、隣に座る上原が小声で俺に話しかけた。
「そう気にすんな。いつものことだ。ちょっと俺らより偉いからって、生意気なんだよ」
「確かに、気にくわないな……」
見た目からして、俺より少し歳上くらいだろうか。それでも主任の肩書きを持っているということは、中々のやり手なのだと思われる。
「しかも、あれが女から見たらイケメンなんだとよ。みんな趣味悪りぃよな」
どうやら上原は、梅野のことをあまり好いていないらしい。
俺もイケメンの言葉には疑問が残るが、そこそこ背は高く、スタイルもいいため、イケメンの部類には含まれるのだろう。
まぁ俺みたいな不細工な男が何を言ったところで、全部僻みにしか聞こえないはずだが。
「俺らは俺らで、頑張っていこうぜ! きっと俺らにも、いい女はできるはずだからよ!」
「あぁ、そうだな」
昨日から感じていたが、梅野とは違い、やはり上原はいいやつだ。常に俺のことを気にかけてくれている。
さすがは俺の友達設定といったところか。いつでも俺の味方でいてくれるみたいだ。
上原なら信頼できる……そう、この二日間で判断した俺は、『ここは小説の世界の中なんだ』ということを、打ち明けようとした。
「なぁ、上原。それよりも、聞いて欲しいことがあるんだ」
「ん? どうした作田。真剣な顔をして……」
「実はな、ここは小説────」
あれっ? これ以上、言葉が出てこない……
「小説が……どうかしたのか?」
「いや、だから小説──」
おかしい……どうなってるんだ……
なんとか言葉を絞り出してはみるが、なぜか“小説”でストップし、それ以上先を説明することができない。
一向に進まない話に、上原は呆れた様子だった。
「何だよ……何があったか知らないけど、いつでも相談に乗るぜ」
「あぁ、ありがとう……」
それでも俺の真剣な眼差しは伝わったのか、俺のことを心配してくれている。
「さっ、そろそろ授業が始まる。遅れないように行こうか」
「お、おう」
どうやら誰かに『この世界が小説の中』だという真実を告げることは、禁句のようだ。
家で一人きりのときは、口にできたわけだが……不思議なものだ。
確かに考えてみれば、突然作中のキャラクターが「ここは小説の世界なんだ!」と訴えれば、作品自体が破綻してしまう。
恐らく、上原やその他の登場人物は、ここが偽りの世界と知らず、平然と日々過ごしているのだろう。
そう考えると、恐怖すら覚えるけども、この事実を知るのは作者の俺しかいない……
仲のいいはずの同僚や、今は別に暮らす両親にすら、この悩みを打ち明けることはできないのだ。
俺はこの未知の世界で、孤独感を味わっていた。
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