表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
事実も小説も奇なり  作者: Guru
偽りの世界で
1/38

第1話 “操り人形”

 幼い頃から本の匂いが好きだった。

 インクの独特の香りが、妙に俺の心を落ち着かせてくれる。

 新品の本を買った際には、読む前に必ず匂いを嗅いでから中身に入るくらいだ。


「──先生……作田先生!」


 どこか意識の遠いところで、誰かに名前を呼ばれている気がする。

 しかし、俺は今、不思議とインクのいい香りに包まれていた。この幸福の時間を、もっと味わっていたい。それどころではないのだ。


「いい加減に起きなさい! 作田先生!」


 そう声が聞こえた瞬間、俺の後頭部に衝撃が走った。


「──痛った!!」


 衝撃と共に、俺は正気を取り戻す。

 目の前には、学校の職員室の景色が広がっていた。


「相当お疲れのようですね。開いた教科書の上で寝るだなんて」


「──梅野先生……す、すみません……」


 どうやら俺は職員室で居眠りをしていたようだ。

 開きっぱなしの、国語の教科書を枕代わりにして。


「今はいいですけど……生徒の前ではしっかり頼みますよ」


「はい……」


 机の上には、何冊もの教科書が並んでいた。一番手前に、一際目立つ大きさの国語辞典が置かれている。

 

 もしかして、こんな分厚い本で俺の頭を叩いたのか? どおりで痛いはずだ。

 何も、そこまでしなくてもいいのに……


「珍しいな作田。こんなとこで居眠りするなんてよ」


 そう馴れ馴れしく声をかけてきたのは、隣に座る同僚の達也だ。


「──達也」


「やめろよ。学校の中じゃよ。上原で頼むわ」


「あ、そうか。わりぃ、上原先生。それにしても、まだ痛い……頭がボーッとする」


「大袈裟なやつだな。ほら、シャキッとしろ。お前の気になる相澤先生……こっち見て笑ってるぜ」


 ぼそりと耳打ちした達也の目配せに、俺も目線を合わせる。

 対面に座る右隣の席には、俺が想いを寄せる相澤先生の姿があった。

 相澤先生は、こっぴどく叱られた俺の姿を見て、手で口を抑えながら、くすりと笑っている。

 

 うわっ……やっちまった……また俺のイメージが下がる……


 俺がしょげていると、間もなくしてチャイムが鳴り響いた。


「──よし、行くか。作田先生ものんびりしてないで行くぞ」


 気だるそうにして達也……いや、上原は立ち上がった。

 何となく予想は着いていたが、まだ完全に状況を飲み込めていない俺は、念のために上原に尋ねる。


「行くって……どこに」


「授業に決まってんだろ。まだ寝ぼけてんのか? ほれ」


 そう言って上原は、机の上に開きっぱなしだった“国語”の教科書を閉じて俺に手渡す。


「あ、あぁ」



 何だろう……この違和感は……

 俺が国語の教師? 俺って……本当に教師だったっけ? 


 妙な疑問を残したまま、俺は上原に着いていくように後ろを歩いていった。



「先生、おはようございます」


「おはよう」


 廊下ですれ違う生徒達から、挨拶をされる。それに対して、少し偉そうに上原は挨拶を返す。

 教師と生徒という立場なら、何らおかしいことではないのかもしれない。

 生徒達は皆制服を着ており、見た目からしても、まだまだ子供だ。恐らく中学生といったところだろう。

 高校生にしては幼すぎるし、例え小学生なら制服である確率は低い。


「作田先生、おはようございます」


 ふと横を通った女子生徒が、俺を名指しで挨拶をしてきた。


「……おう、おはよう」


 どこか照れ臭さは残るが、上原のように少し偉そうに返してみる。

 今の俺からすれば、すべてが違和感に思えるが、きっとこれが“俺の日常”なのだろう。

 

 そもそも、この景色だけじゃない。先程から何度も呼ばれている──“作田”。

 この名前にすら疑問を感じているのだ。


 俺は本当に、“作田”なのだろうか……?


 比較的話しやすく、交遊関係がありそうな上原に、俺は背後から小声で尋ねた。


「なぁ、俺って……作田……なんだよな?」


 上原は軽く振り返り、呆れた顔で答える。

 

「何当たり前のこと言ってんだよ。おまえの名前は“作田 (あきら)”だろ? 何だか今日のおまえおかしいぞ?」


 作田 明……どこかで聞いた覚えがある。そりゃ俺の名前なんだから、当たり前だが……

 違う……どこか違う気がする。俺の名前は作田ではないはずなんだ……

 

 なぜか引っ掛かりを覚えるも『作田』と呼ばれれば無意識に返事をしてしまう。

 仲のいい同僚の上原、想いを寄せる相澤先生……今日初めて会ったはずなのに、そう俺の中で認識することができる。何なんだこの違和感は……


 どう説明していいか分からないほどの、もどかしさ。

 俺は考え込んでいた。下を向きながら上原の後ろをひたすらに着いていく。


「……おい。作田。どこまで着いてくるつもりだ」


「──えっ?」


 気づくと俺達は二階の教室の端まで来ており、『二年一組』の前だった。


「おまえ今日の一限目は三組だろ? 担任のクラスの場所も忘れちまったのか?」


「あ、あぁ……そうだった。わりぃわりぃ」


 俺はすぐさま廊下を引き返そうとするが、今のやり取りを見ていたと思われる女子生徒二人が、俺を茶化し始めていた。


「何あれ、作田先生ボケちゃったのかな……?」


「ボケるにしては早くない? やっば! こっち見てる……!」


 悪口が本人にバレたと思った女子生徒は、そそくさと逃げるように自分達の教室へと走っていった。


 は、恥ずかしい……あんな若い子にバカにされるなんて……


 いくつになっても、女子にバカにされるのは避けたいものだ。

 例え相手が幼かろうと、カッコ悪いところは見られたくない。これは男の性だろうか。


 俺の持ち場は三組なんだな。とにかく、今は急がなきゃ……


 納得できるものは何一つ俺にはなかった。だが、今の状況を受け入れるしかない。


 “俺は国語の教師”、“俺は二年三組の担任”──そう心の中で、自分自身に言い聞かせた。



 不安さながらに三組の教室を開けると、日直の起立の号令がかかった。

 俺は緊張しながらも、教壇の上に立つ。


 国語の教師と言われても、一体何をしたらいいのか分からない。急にこの場に放り出されたに等しいのだから。

 きっとまごまごとし、何もできず完全な“事故”になるに違いない……

 

 嫌だ……またバカにされる……もう女子に笑われたくない!


 俺は諦めていた。卑下される心の準備をしていた。

 しかし、不思議なことに俺の口は、意思とは別にペラペラと喋り始める。


「よーし、前回の続きからやるぞー。教科書の五十七ページを開いて」


──えっ……何だこれ? 体が……口が……勝手に動く……?


 俺の心配とは裏腹に、見事に国語教師をこなしてみせたのだ。

 自分の意思にそぐわぬ体の動き……まるで操り人形になったかのようだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ