競争?
>競争とは成長する上で大切なことの一つである。
人間は誰しもが一人で勝手に成長できるほど都合のいい生き物ではなく、誰かに負けたくないという思いはいつの時代も燃費のいい原動力と言えよう。
(https://kakuyomu.jp/works/16817330668503046681/episodes/16818093083737990393)
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今一気読みしてる作品なんだが、
ココ読んで一瞬自分の今まで振り返って、「無いわ」と。
ゲームみたいな競争?勝ち負けは、まぁ、やらんこともない?
でもゲームでも、上海やカードゲームみたいに1人でやるやつの方が楽しめる。自分がどういう状態の方がよりうまくできるのか?とか確認しながらやっていき、伸びてくほうが面白いと感じる。
多分根っこが中学生のときかな
昔から体育は1(成績表5段階)しかとったことない。
特に競技モノはだめ、集団モノも更にだめ。
が、
中学の時の棒高跳び。
誰かに「おまえ、逆からとんでみ?」って言われた。
どうせダメなんでどっちでもいいだろう、と、素直にやってみた。
で、上位3人くらいまで残り、最後に飛んで引っかかった時、「おおお!」「うわー!」みたいな残念な声が皆からあがった。
いたずら等以外で全員からまともな注目浴びたのは、特に運動系でははじめてだった。嬉しい?はなかったが、なんか少し感動はあったとおもう。
勿論、その後は左から飛び続けた。
それとハードルもあったな。
運動会の競技のため、授業で数回やっただけ。でもドベじゃないんで「合うのかな?」と思った。
運動会ではなんかに出なきゃならんかったので、ハードルにした。
当日、自分のとき、自分以外(4−5人?)みなハードル倒してこけてた。
ラッキー1位。人生で唯一だろう!!wwww(運動で1位っつーのは)
そういや、大学のときの体育はソフトボールだった。ルールしらんし覚えるの下手だったんでダメダメと皆に。でも
「おまえ、バッターだと必ず塁に出るよな」と言われた。自分は気にしていなかったがそうなんだろう。でもフライは落とすわ、リード?でアウトになるわ、なんかよくわからん失敗ばっかだったらしい。何がよくなかったか今でもわからんし。
野球は見るものなんだお?!
社会人になってからかな?、友人達に誘われてハワイに行って(英語力ゼロw)はじめて実銃射った。点数よくてなんかもらった。ターゲット数枚(2枚?)全て仲間たちにとられた。スポーツ?でこれほどしっくりきたモノはそれまでなかったので、まぁ自分としては「はじめてならこんな程度」と思ってた。
他運動、、、山登り(ソロ)、スキー(当然ソロ)、、、
あ、そいや、
大学時バイクサークルはいってて学生二輪連盟のレース(耐久)に参加したことあった。
ダート。前日雨。沈没選手多数w。沈没はどうにか免れていたし、転倒も免れていて、ゆっくり順位を上げていた。ほぼドベからw。で、途中ピットインに呼ばれ「変わって!」と友人に言われ、「??」だったが強引に代わられた。走りはじめ最初の大コーナーで大ゴケしやがりました・・・。
一緒に見てた仲間たちが「おまえ、なぜコケないの?」
は??
「いや、前後輪滑ってるんだよ、でもコケないの」
は?
「どうやってんの?」
「・・・わかんない」自分
走ってるときってさ、前の方みてるから、自分がどう操縦してるかなんか気にしていないの。勝手にやってるの体が。
順位がgdgdだったが、最後表彰式のインタビューん時に呼ばれ、やっぱ「なんで?」て聞かれたが「わからない」としか言いようがなかった。
学校のサークルではロードバイク側に属していた。ツーリング派な?
でもその学に連レース後、オフロードグループから結構誘われた。聞くと「林道、川を遡ってく」とか。興味ゼロだった。
パンクしそうで嫌だったw.其の頃、ロードバイクはチューブレスが出回り始めていたので自分もそれにし、タイヤ修理のヤりやすさが段違いなんで、ね?、チューブタイヤのオフは嫌だった。集団で長距離行けば一回くらいパンク(や故障)あってもおかしくない。一人なら結構避けられる。で、大体「おしつけられる」ようになるのは目に見えてるし。
つーよーに、
ひとと張り合うことに興味ない、ではなく、できない、って者になってました。つか、生まれつきなんか?しらんが。
ただ、へんなとこ(一般ではきにしないとこ)でひと目を気にするとかあったなww
当時「へん」「かわってる」は、今ほど悪意は込められていない言葉だった。自分的には「個性ある」的概念だったようで、言われたら「そう?ふーん?そうなの?(へへっw)」みたいな感じだったw。
まぁ、一般人社会に悪意はそうそうあるもんじゃなかったからな、あの時代。むしろ赤の他人に対しての善意が一日あるけばどこかで何度か見るくらいあった。
今は、「受験勉強」を中心とした社会で、なにごとも「張り合わねばならない」が根っこになって生きている人間たちの社会なんだろう日本は。
今どきの人が書いた文をよんでると、そういう「違い」がそこここに見える。
大概が、昔より劣化したもの・こと。
ほんの一部、広めてきたことが残って受け継がれてるのを見ることができる。それだけは自分たちが受け継ぎ広めることをやってきてよかったことだと嬉しい。
「張り合うこと」に関しては、自分は「前の自分より良くなって行ってればいんじゃないかな?」的です。停滞はスランプみたいな時あるだろうから、気分を変えるとかすればいいし、でも逃げてしまったら行けない、とは思う。どこまで、を決めてもいいし、そこに到達したらさらに、と。
多分、そういうとこ全て、自分の書いた作品全てに反映されてると思う。
んな感じっす。




