社会科 公民 w
以前からなんか違和感感じていた、若い世代との。思想というか、民主主義とか法律とかそういう「人間集団のきまりごと」?みたいななんかに関して。
若い世代はそれを盲目的に肯定しているんだよね。
洗脳的ななんかがすごくキモく感じている。
で、
なろう小説読んでたら
歴史・地理・公民、という言葉が出てきた。
自分らの世代では「社会科(歴史)、社会科(地理)」だった。勿論公民なんざなかった。
だから自分らの世代では、そういう全体的な洗脳は行われていなかった。
勿論テレビや新聞などマスゴミにおいて大衆を洗脳していた。が、それらを見ない者達を洗脳することはできていなかった。
だから、
民主主義の「おかしさ」を説明しても、理解できる者くらいたまーーーーに存在していた。今は知らんが
法の概念がものすごくおかしく、支配層に良いように利用されているだけの制度に成り下がってることも、同様。
人間の精神が、産業革命以降劇的劣化が加速されて今最悪、ってのも、わずかに程度は理解できるものも、同様。
だが、
公民世代って、理解できないんじゃね?、自分的には「あーこいつら無理」と感じる。
でも、学校による洗脳は主な原因ではないな、とも感じる。
もし、
その洗脳されてる者達でさえ、自分の意思で自分の力で世界を歩いてみて、見聞や経験を積み重ね、幾度も死ぬ目にあいながら乗り越える、ということをその人生の一部ででもしてきたら、
そんな洗脳あっさり解ける。
”必要な”人生経験が「致命的に少なすぎる」
ということが、生き物として、そして「最低レベルだが、知性の在る生命体」として、の「存在」に致命的なのだ。
各個体としてな。
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だから、個人でそこを努力しようとしたら、自分のみの意思と力で克服できる。
だが、
それを行うためには「決断」しなければならない。
それができないのが致命的。寄生虫で一生生きていけばいいや、ってのしかいないから。