思念体
と呼んでいいのかどうか知らんがw
タイの昔の坊さん達には凄い人も何人もいたようだ。
即身仏になった人達。
で、わからんかったのが、「なぜ即身仏に?」って。
やっと分かったかもしれない。
以前書いただろうけど、
肉体+魂=自立・自律できる生物等になる。
でも
物理界以外では、物理的なものは無い。
んじゃ?
んー、精神体というか思念体というか、そういうの?、知らんがw
んじゃその場合の魂は?
その個体の精神体+魂で、思念体になり、その思念体?が個として自律・自立できる?、みたいな?
そこはまだ概念界だから、そういうのが存在する場所なので、そんな感じ?
我らのとこは物理界なので、その間に肉体を挟む。魂は肉体にやどり、精神も肉体に宿る。
ただ、概念ってのはどっちかというとかなり固定化に近い方にあるもの。阿呆は固定化しないと理解できないんで、阿呆にとっては概念=固定になっちゃうが、それは知性が無いんで例外。例外が多数派でも例外は例外。しかも我らのことろは物理界なので更に制限がぶっデカイわけ。
(知性=無限に思考すること。)
いわゆる神の世界については、ルーチンができてる宗教だと、お勉強内容も凝り固まってるで固定化しやすい。なので可能性というか、探求が無限の可能性というわけではなくなる。制限されちゃう、人間というかその宗教の都合でw。
タイみたいな、曖昧・余裕を多く持つ風土だと、固定化はしにくい。なので、即身仏までたどり着いた者たちがいたのだろう。
いわゆる神の世界を見たいと思うと、どうしても壁にぶち当たる。肉体(物理界)の壁。肉体という物理界を捨て去って、初めて物理界から外に行ける。
ただ、
そこまで行った思念体によって、肉体を動かす(肉体に宿る)→進化した人類
となると、一度思念体になって修行?して、肉体に戻って、、、、と、思ったんじゃないかな?
エジプトの「魂はいずれ帰ってくる」というのと通ずる。なんとなく感ずる者たちはどこにでもいたんだろうかね?
ただね、肉体の脳 な ど にすげー負担みたい。
だから、サヴァン。
わかるよね、脳などの一分を特化して進化させたんじゃないかな?って。
ただ、我ら旧人類にわかるのは、旧人類の概念内のことだけ。だから、彼らの真の進化部分を見出すことなどできず、我々の概念内で理解できる「一部の才能の秀でた部分」の部分だけ「すげー!」と、なるしかない。
いわゆる神から与えられたサヴァン達は持って産まれたもの。
が、即身仏になったり、今いろいろ修行?してる人たちみたいなのは旧人類で努力している人たちなので、後付け。後天的なもの。
そういう人たちだと、旧と新(というか、向こう側?)がある程度わかるんで、
祝詞という形で残したりしているんじゃないかな?と。
ちな、
脳を改造してすんげー能力向上させても、無理です。精神性が全くたりないから、、、どうなるんだろう?怪物?
NWOとかそういうことしてるんじゃねーかなもうw。だって人類の中の究極のバカキチだもの♪