小説で学んだ
日本食レストランで働くこっちの人と話してて、
日本語を少し覚えようとしてるらしい。
ただ、
なんとなく覚えられたらいいな的なレベル。
一般的なレベルはそんなもんなのでまぁそんなもん。
数字を最初に、みたい。
でも日本語の数字と数詞、ラテン系みたいな規則性ないからなw
でも、覚え始めると、そういうのは「感覚」なんだと何気に感じるようになるだろう。
しっくりくるかこないか、みたいな?
Oを、オと発音するか、アと発音するか、エイと発音するか、なんかは、初めて見る単語でも「英語なら・・」「ロシア語なら・・」とかなんか感じるとこあるよね。
タイ語にも当然ある。その感覚は他の言語でも通用する。
一度身につくと結構便利。
で、
日本人として、数詞だけでも「どうやっておぼえたっけ?」。
小学校低学年あたりだよなぁ、、
からはじまって、いろいろ考えたら、
「最低限の社会における知識」は小学校中学校で習う。
が、
生きていく上で必要な知識は「小説から学んだ」。自分はね。(注;らのべ除く)
時代が時代なんで、柿の木のある家(坪田譲二)くらいから始まって、山本雄三、島崎藤村などの文庫全部、ちゅーぼーのくせにカッコつけるためにサガンとかしったふうにwとかもあったが。勿論SFも小松左京、広瀬正などしっかりしたモノ。ハードボイルドは大藪から始まり、米がよく、チャンドラー、ハメットなど。スパイ・アクションものはル・カレ、クイネル。ホラーはキングなど。おバカホラーSFは筒井。
いい加減にかかれているモノはとっかかりで「もうだめ」と読むことはできなかった。
勿論これらの大半は中学に入ってから。それまでは映画がつなぎになってたと思う。あの頃の映画はいい加減すぎるものでも(いわゆるB級)、それなりに最低必要な部分はしっかりしてるものが多かった。それらと比較してしまうので、今のは全く見るきしないほど。
ちな、中学の教師が小説なんでもいいから読め読めうるさかった。サヨっぽかったが、ちゃんと教師していた。筒井読んでても「読まないよりいいんだ!」って言ってくれるほど!ww
人間の精神部分、心の部分、弱い部分、など。強くなるために、などの参考になったし?
当時は、身体よりも心を強くしていく、ことに重きを置く風潮がまだ残ってたんじゃないかな。
戦中の偉人伝みたいなアニメとか、漫画とかあり、そのくらいの人物になると、やはり心と精神性が強い。欲に流される者などは偉人にはいることはなかった。
人間は自分の心に、
善悪、正邪、の物差しを作って堅持して、初めて精神的に成熟にはいることができうる。
それが、全てのところに影響する。すべて、にだ。
社会がクソだろうが、上記小説などはまだまだ売っている。
だが、
若者が小説を読まなくなって久しい。=日本人の劣化
生活が便利になればなるほど、人間は劣化していく。
不便だと、考えるだろう?
バックパッカーやってるときは海外の安宿街の古本屋で日本の文庫で読んでないものを見つけた時は嬉しい。
貪るように読んだものだ。
視界にはいるのが英文字か、現地文字ばかりで和活字貧血状態だったんじゃね?w
猿岩石以前なんで、文庫など少なかった。ほとんどペーパーバック。よめねーよwよめても情景が想像できねーんだよ!!w(慣れてないからだと思います!)
移動一つ、買い物一つにも比較にならないほどの手間暇がかかった。
それが、自分の経験値を大幅に高めてくれた、と、今ならよくわかる。
先進国の人間の劣化が「凄まじい」のはそういうわけがある、んだとおもふ今日この頃ですが、やっと少しは暖かくなってきた日本でいかがでしょうか?こっちは暑くてたまらんけんね!
(注意:らのべは上記で言う小説に含まれません。)