9月2日かおーす!
最近アフガンの件があったので、結構ツイッターとか動画とか見ていた。
当然Covit19に関することも目に付くので見る。
そこでもまた新たにアホウな事を知り、和文のツイッタや動画にそれ関連があると見てしまうこともある。
で、結論。
実際には、先を見ている者はいないんじゃないかな?と思った。
そう言っている者は多数居る。
が、漠然とCivit19が抑制さてるかなんかで世の中が落ち着くだろうと思って、その先のことは今の延長、しくなくともCovit19混乱を加味した過去の世界の延長と捉えている。
予測は、過去はよほどの要素でなければ無視しなければいけない要素。その要素が未来に影響在るだろうという合理的理由が在る場合にのみ加味する要素となる。
クズの社会が彫らんクズ政権の国家にいきなり良い政権が出来るわけないというのと似たようなもの。
ひとの多くはその個体が保つ概念から離れた事象に対応するのは、まずできない。
そういう事象を多く経験してきた者は例外になる。そういうものは「自分の狭い概念外のことが起きた場合に行うこと」を体が覚えている。
まず冷静になる。
そして衝動や感情を排除。
それから事象を見つめる。
「なぜ?」を繰り返し可能以上に底を掘り返して行く。
そしてその範囲も関係性が「無いかも知れないけど」を含めて、やはり全て掘っていく。
結果が出るまでは全て保留して、純粋に情報収集のみを行う。当然関連から想像された事をもチェックして掘っていくことも必要。
当然膨大な量になる。
その間に、目先で対処しなければならないような「期限のあること」に対処することも、どうするか決めなければならない。
これらは平時の、交通事故でさえルーチンワークでしかない生活に比べて絵空事のようなものだ。
だからこそ信じがたいし、対応なんかどうしていいのかわらずに脳がパニックになり、誰かの言葉を信じることが楽なのでそっちに走ることになる。で、更に都合の良い言葉が出てきたらそっちに、と右往左往する。
その間にも時間は進み情況は変化していく。
最初から調べ始めていたら、基本情報の多くが集まっている。その真偽にかかわらず。
なので新しい情報の分析はしやすい。
が、好きな言葉だけ聞いていた場合、何もしていないのと同じでしかない。情報が一部しかなく、その評価もできていないのだから。対比する情報、ベースの情報が無ければ評価などできない。
これはPCではできない。
ひとの脳で行うしか無い。
なので、当初は苦痛だろう。寒い時期だとおでこから湯気がみえることだろう。見えなければまだイケるからガンバ!w
そこまで使っていくと、いつのまにか脳を使うことが苦痛ではなくなる。やっと門が開いたのだ。
Covit19に関しては、まだまだ情報が足りない。その発生はSARSから始まって恣意的なものだとほぼ確定するほどではあるが、見えないんだよ、最終的な着地点をどうしたいのかってのが。




