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シケモク日記  作者: uni
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賃金がおかしいのではなく、根っこが狂ってる。

賃金がおかしいのではなく、根っこが狂ってる。


【社畜ジャパン】というユーチューブチャンネルがある。よく見ている。


https://www.youtube.com/watch?v=Wz8Xi8kGaY8&t=203s

[ブルーカラーの逆襲]トラック運転手を辞める理由に関する口コミを20件紹介します


↑を見はじめて早々に少し違和感。で、すぐに

社会自体が狂ってる世の中になっている。根っこがそれだから目先だけ手を打ってもどうしようもない。


というのは、


昔、私がまだ若い頃(今還暦過ぎ)はまだ現場の賃金が背広より高かった。

現場はほぼ技術を持つ者たちばかりだった社会。

大工も部品組み立て屋ではなく、しっかり道具を使える者たちの集まりだった。

土工ですら慣れれば勘を働かせていい仕事をできる者たちであった。


だが、

事務屋にたいして偉そうにマウントとるものはあまりいなかった。

というのは、現場の親方がそういうのをたしなめていたから。

人間の常識を持つ者たちの社会だった。


大きい会社も体外はオーナー会社で、社長は会社に責任を持つ者が多かった。

雇われ社長でも、その責任というものを、つきあいの周囲の多くのオーナー社長に仕込まれていた。

無責任で自分のことだけばかり考えている雇われを社長に据える無責任な者はあまりいなかった。

持株会社など容認されない時代だった。それほどの無責任さというものを社会の上の者達の多くは理解していたのだろう。



「責任」という言葉の概念は、まともに理解されていた社会だった。



だから、「どこが金を稼いでいるのか?」と、重要性を理解できる者たちだった。下の者たちでさえその程度理解できていた。

(余談:当時は「事実なんかどうでもいいんだよ!」という者は見たことはない。かといって事実の重要度が世界標準レベルか?というと、そこまでではなかった。=つまり、状況によっては事実の改変も許される、社会。今よりも頻度は低いのでマシ。)


また、経営側、社長たちがバカばかりでもなかったので、営業も馬鹿の存在は許されなかった。

提供する技術、ザービス、商品よりも安い額での取引は許されなかった。

取引相手も、自分の立場をかさに無理難題を言うことは許されなかった。その会社の社長など経営陣が許さなかった。

「誇り」も、まだ存在していた頃だった。


それより以前、大恐慌の頃、今のように自分側のリスクを相手にすべて負わせるような者の存在はあまり聞かない。リスクは相応に負担するのが「常識」であり、その常識が非常時にも守られていたのだろうと推測される。破産するなら皆一緒になる、とわかっていたのだろう。そこまでひどかったから。

だから今の日本のように、経営側の無能・無責任を国が被るような再生法など在り得なかった。



社会は、人の集まり。

スラムでも大半がまともな者たちであれば、単なる貧乏人の地区、でしかない。

が、

こすい者、卑怯者、ゲスな者たちばかりのスラムであれば、そこは犯罪の巣窟になる。


今の世は、見た目はスラムではない。

が、後者のスラムでしかない。


被害者ぶっている者も、場面が変われば「権利」とばかりにワガママを押し通そうと横暴な振る舞いをしている。

いじめ被害者でも、一方でもっと弱いものをいじめている者も少なくない。そういう者たちによって、今の世はできている。


どんなに言い訳を言おうが、事実を変えることはできない。




ただ、


世界でも、それが極端にひどい極東+先進国、さほどでもなくいまだまともが大多数な中興国なども、まだ存在している。




ps.

そうそう、昔は銀行や証券などは信用度は低かった。

自分のちからではなく、ひとを利用してかせぐしかない銀行。相場みたいな賭博のような社会のにいる証券。それらが生産性が無いことは人々もわかっていた。

「借金」も、かなり悪いこと、だと人々は理解していた。ローンなど一般的ではなかった。

分割という言葉に騙される者たちも少なかった頃だった。


あの時代に分譲マンションなどあったら、誰も買わなかったのではないか?。土地も無い、崩れたら一瞬にして無価値になる、崩れなくとも何十年後かにはお荷物でしかなくなる事は、誰もがわかるのではないか?という時代であった。


学歴も低いものばかりの時代であったが、皆それなりに自分の脳みそで考えることができる者たちであった。

今のように、脳みそを使うことができないものばかり、というものはさほどいなかった気がする。


TVやネットや試験のための勉強のように「受動だけ」の脳の使い方ばかりしていたら、脳が偏るのも仕方がない。けど、昔はそんなのなかったから、人間として生き物としてまともな生物でいられたのではないだろうか。

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